なぜないのか疑問だった

冒険者と白メタ


 震える手で冒険者がメタトロンの豊満な乳房を掴み、やわやわと揉む。
「んっ……」
 小さな声をメタトロンが漏らした。鷲掴みにしたその胸は服の上からでもその柔らかな感触が良く分かる。冒険者が指に力を込めればその分だけ胸に埋もれていく。
「……柔らかい」
「恐れながらお尋ねします。ご主人様は童貞でしょうか?」
「何を聞きよるかこんっ!?」
 突然の一撃に冒険者は反射的に否定しようとし、それが墓穴であることを悟る。
「……悪いかよ」
「いえ、ただ一定以上の大きさの女性の乳房は基本的に脂肪ですので、私の胸に関して言えば柔らかくて当たり前です。それをわざわざ口にして確認するので童貞かと愚考した次第です」
 余裕綽々といった態度でメタトロンが述べた。
「……お前もう黙ってろよ、なんかゲンナリするわ」
 メタトロンが首を縦に振った。どうやら、「黙ってろ」に従ったらしい。
「取り敢えず脱げ」
 余裕たっぷりの態度が気に入らず、直に攻めようと企んだ冒険者の内心を知ってか知らずか、メタトロンが全裸となった。躊躇いを感じない、いっそ清々しい脱ぎっぷりだった。
 すらっとした首から色っぽい鎖骨。鎖骨から続く大きな胸。胸から括れた腰。服の上からでも分かったメタトロンを構成する美しい線が惜しげもなく晒される。もちろん、またぐらの茂みも例外ではない。
「恥じらいとかは無いのか? ……ああ、別に返事はしてもいい」
「従者として主の性欲処理の補助をするのです。誇りこそすれど、恥ずる道理はございません」
「……あっそ」
 些か趣に欠けるが、本能に任せてメタトロンの胸の頂へとむしゃぶりつく。
「っ……んッっ……」
 冒険者が吸い付き、舌で舐め上げるたびに漏れる、嬌声を噛み殺し損ねた声が冒険者の欲望を加速させる。
「どれ程吸おうとっ……私の胸から母乳は出ませんが、承知ッ……でしょうか?」
 意地でも事務的な態度を崩そうとしないメタトロンの頑なな態度に、冒険者も密かにムキになる。
「でも、声は出るだろ」
「性欲処理にあたり……私が声を出すことは不要、かと。どうしても声を楽しみたいのであれば、恋人をお作りに……」
 そこでメタトロンの言葉が途切れた。
「……そこで黙るなよ」
「なられては、と続けようとしましたがそれは失礼かと愚考した次第です」
「安心しろ、どっちにしても失礼だから。……あっそうだ。今、お前がなってみるか?」
「私が、ですか?」
「そう、お前が、だ」
 唐突な一撃で少しは慌てた表情でも見られるかと期待した冒険者だったが、特に珍しくもない思案の表情。
「……分かりました。ご主人様がそれを望むのであれば、喜んで引き受けましょう」
 そう言うと恭しくメタトロンが頭を下げる。
「……少しは自分の意思を持てよ」
「気を遣ってくれてありがとう。でも、従者としては従うべきで、一個人としてはご主人様が好きだから何れにせよ問題は無いんです」
 やや砕けた口調となったメタトロンが小さく微笑む。普段の澄ました顔と従者然とした口調と異なり、何処か親しげな表情と言葉に冒険者の鼓動が不意に高まる。
「……ふっ」
 冒険者がそんな自分の内面に気付き、自嘲の笑みを零す。情動で行動するのは勝手だが、この様では来たるべき時が来た時に情で選択を間違いかねない。
「……ご主人様?」
 メタトロンの声で冒険者がハッと我に返る。冒険者の不意の自嘲の笑みにメタトロンが心配の表情を浮かべていた。冒険者は口づけをし、自身の胸中とメタトロンの心配の両方を誤魔化す。自覚していれば多分大丈夫だろうという、根拠のない自信を持って。

 薄い本を参考にしてメタトロンの口内へ舌を入れ、彼女の舌を捉えて強引に絡める。技倆など介在しない、ただ我武者羅に貪るだけの口付け。だが、淫らにすぎる水音が肉欲の焔を煽っていく。息切れした冒険者が口を離すと、どちらの物とさえ知れない唾液が伸び、自重で千切れた。ふとメタトロンの表情を一瞥すると、興奮を示かのすように微かに紅潮していた。
「中々良い顔になってきたんじゃないか?」
「ご主人様がそう思って興奮して頂けるなら、そういうことにしておきましょう」
 その反応で冒険者がある事に気が付いた。
「さっきみたいな気さくというか、馴れ馴れしい恋人ぶった対応はもう終わりか?」
「ッ……申しわ……ごめん、ちょっと恥ずかしくて。今からは気をつける」
 冒険者の言葉でメタトロンが口調を正す。言い換えると、それは口調を変える余裕がないということだ。メタトロンの恥じらうような反応に、彼女がもっと欲しくなる。
「……もう挿れていいか?」
 返事は無かった。ただ、首が縦に動いた。メタトロンの指が自身の潤んだ雌を指で開く。濡れ烏の茂みの奥で艶めかしい桜色が妖しいコントラストとなって中々に映える。濡れきって雌の色香を撒き散らすそこに、冒険者が怒張を充てがう。
「……ご主人様」
「なんだ、怖気付いたか。士道不覚悟だな」
「そうじゃなくて……その……挿れる時、ぎゅっとしてくれますか?」
 上目遣いの甘える目線と、ねだる内容がまた可愛らしい。冒険者がメタトロンの背に腕を回し、そっと抱く。メタトロンはうっとりと嬉しそうに微笑み、冒険者に抱きついて耳元に口を寄せてきた。
「その……どうぞ」
「……おう」
 メタトロンの言葉を聞き、腰を押し進める。肉茎を拒むかのように抵抗するメタトロンの秘肉を強引に押し拓いていく。
「んっ……ッっ……」
 挿入されるメタトロンの口から漏れ出たそれは、明らかに苦鳴を押し殺したもの。冒険者に抱きつく腕もまた、痛みに耐えるようにギュッと力が篭っている。
「おい、大丈夫か? もしかしなくても一旦抜いた方が良かったりする?」
 濡れているからと、ロクな前戯もせずに挿れたのは早計だったかと冒険者が不安になる。
「大丈夫、だから……っ。ご主人様の、好きにして……」
 強がってそう言っているのは間違いないだろう。だが、体が痛みを発するというのはある種の警告だ。心が望んだからといって、無茶をするべきではないと冒険者は考えた。しかし、一方で抜きたくないという気持ちもまたあった。
「そうそう、聞きそびれたが……」

 時間を稼げば多少は慣れてマシになるだろうと、適当な話題を振る。
「さっきの言葉だと従者として従うのとは別に俺が好き、というように聞こえたけど、何がきっかけだったんだ?」
「それ、今聞くことですか……?」
「いやほら、そうでもないけど気になったんだよ」
 訝しむメタトロンに冒険者はそれっぽい言い訳を展開。怪しまれないように急いで答える。メタトロンの苦痛の表情の中に猜疑の色が見え、冒険者の背に冷や汗が流れる。
「それはですね……」
 語り出したメタトロンに冒険者が密かに安堵する。
「太陽神や秘女神といった名だたる神を差し置いて、私を選んでいただいたと知った時です」
 メタトロンの上げた名前に、冒険者が愕然とする。何故なら、それは……。
「心配しないでください、ご主人様が禁術を行使した、などと言いふらすような気はありませんよ」
 そう。冒険者は禁術を用いた。本来の召喚は属性やタイプ、また特定の神の出現率が高いなどの偏りはあるが、基本的に召喚するモンスターは予測出来ない。だが、初めての召喚に限り、求めるモンスター以外であればそれを捨て、再びの召喚を行う方法がある。それが禁術だ。そしてメタトロンが上げた名は、いずれも冒険者が捨ててきたモンスターだった。
「あの日、私を召喚するやいなや姿を消し、そして戻ってきた時、私を選んで下さったのだと分かりました。本来の目的までの繋ぎとしてでも、それでも私は嬉しくて……それがきっかけですね」
 禁術の行使が知られた。そこまでは知られても構わない。だが。
「……『繋ぎとしてでも』だと?」
『繋ぎとしてでも』。それが意味する所は……。
「……最近、ご主人様の帰りが遅くて察しました。狙いが四獣、或いは東洋の神だって」
 バレていた。未だに禁術を続けていることが。
「なら何故だ? なんで好きでいられる? 禁術を続けるということは、つまり……」
 その先は言えなかった。禁術は成功した時、代償としてそれまで持っていた何もかもを失う。そして、それは従者も例外ではない。それが禁術が禁術である所以だった。
「糊口を凌ぐための一時的な供としてでも、名だたる神を差し置いて私を選んで下さったことは事実でんふぁっ!?」
 冒険者が不意打ちで腰を打ち付けた。時間を置いたからか、甲高い嬌声からは苦痛の色は見られなかった。
「……大体聞いたし、スッキリしたから再開だ」
 嘘だった。これ以上聞いたら、メタトロンを捨てられなくなる。そう確信したから、喋らせない為にも勢い良く攻める。
「んッ、ま、待って、激しすぎっ……ひぃっ!」
 濡れそぼったメタトロンを冒険者が突く。彼女に抱いてしまった情も、彼女を捨てる罪悪感も、それを知ってなお自らを受け入れられる申し訳なさも、結合部からの快感でまとめて塗り潰す。揺れる乳房と蕩けた顔に劣情がさらに沸き上がる。
「やぁっ、ちょっと、ゆっく……」
「断る」
 冒険者はもはや突くというより、刺し貫く勢いで一心不乱で腰を叩き付けた。雑念の一切を持たない為に、貪欲に快楽を求める。ただの逃避だが、それでもせずにはいられない。
「んんっ、ふはぁっ……」
 喘ぎ声を堪えて微かに漏れる声が、寧ろ目の前の雌を孕ませたいという雄の本能を昂ぶらせる。腰を打ち付ける度、それに合わせて震える胸の頂にある小さな果実を指で抓る。
「ひゃあ、駄目ッ!?」
 効果は覿面だった。一際高い声が上がり、冒険者を締める肉襞がより強く収縮した。
「いい声だ、扇情的だな」
「ひあっ、あぁ、やだぁ、せめてゆっく、りッ……!」
 今まではどうにか耐えていたメタトロンだったが、遂に悲鳴を上げ始めた。
「なんで、嫌、なんだ? もっと聞かせろ、よっと!」
「だって、恥ずかしッ、です、からぁ……!」
 そう言いながらも、呂律さえ怪しくなってきたメタトロンには耐久は出来ないだろうと冒険者が判断。自身も長くは保たないことを察し、スパートを掛ける。
「なら、耐えろ、俺に頼むんじゃなく、自分で!」
「そんなの、出来るわけ、ッ!? ーーーーッ!?」
 メタトロンが喉奥から声にさえならない高音が発し、精を搾り取るように女陰が締める。
「っ……!」
 耐えられず、引き抜こうとするがメタトロンの腕と脚が逃さないとでも言うかのように絡みつく。半ば自棄気味に開き直り、腰を全力で押し付けて少しでも奥へと怒張を進める。行き止まりの硬いそこにぶち当たり、限界が来た。
「つっ……」
 ドクドクと、脈打つような射精がメタトロンの中へ放たれる。否、放ってしまった。

 射精の終わりを確認し、メタトロンが冒険者の戒めを解いた。倦怠感の残る体で自身を引き抜くと、粘度の高い水音が聞こえた。冒険者はメタトロンの真横へと転がる。
「……なんのつもりだよ」
「何が、でしょう」
 メタトロンの幸せそうな表情に一瞬、冒険者が怯む。
「脚で捕まえて、中出し強要した件だ」
「そもそも子種を地に流さないため、性欲処理をお手伝いという話だったと記憶していますが?」
 メタトロンの言葉に冒険者の顔から血の気が引く。
「……お前、初めからそのつもりだったのか?」
「ええ、何か問題でも?」
 対し、事も無げなメタトロンの返答。
「お前、当たったらどうするんだよ!?」
「……仮に出来たとして、冒険に支障が出る頃にはご主人様はいらっしゃいませんから、ご主人様の迷惑にはなりませんよ」
 寂しげな笑みをメタトロンが浮かべた。それは言外に、自分を捨てても良いと告げていた。一時は誤魔化した罪悪感が再びもたげる。
「……すまない」
「良いんです、私はご主人様が一番大切だから。ご主人様が自慰に耽るくらいなら体を差し出しますし、ご主人様に冒険で苦労してほしくないから捨てられても……寂しいですが受け入れます」
 メタトロン自身よりも冒険者の都合を考えた言葉に、却って冒険者の胸が痛む。
「俺に……」
「?」
 寂しさと、それ以上の慈愛が込められたメタトロンの視線が冒険者を見つめて続きを待つ。
「俺に、出来る事は無いか? そこまでされて、そこまで思われて、ただ享受するだけなんて心苦しい」
 冒険者の言葉にメタトロンが思考する。
「……二人きりの時だけでも恋人扱いしていただく、というのは出来ますか?」
「……俺なんかで良いなら」
「大好きなご主人様だから良いんですよ。そうでもなければ初夜の相手に選びませんよ」
 メタトロンの股間を見れば、血が幾筋かの朱線となって流れていた。それはメタトロンの散らせた純潔の証だった。
「自分で言うのもなんだが、本当に好きなんだな」
 メタトロンが冒険者の腕に抱きついて微笑む。
「ええ、それはもう。……もう一つだけ良いですか?」
「幾つでも言ってくれ、出来る限りはする」
「ではお言葉に甘えて一つだけ。本命を引いたら私を忘れて幸せになってください」
「っ……前向きに善処する」
 嘘だった。メタトロンを忘れるなんてもう出来ないと、冒険者の中には確信があった。それでも、自分を思うメタトロンの意思を無下には出来なかった。



 人目を忍んで束の間、二人は愛を育んだ。だが、時間は無常に過ぎていく。そして……。

 神の召喚率が上がる時が来た。そして、その三日目である今日が、冒険者の求める神の召喚に適した日だった。
「……ちょっと出かけてくる」
「行ってらっしゃい」
「気をつけて〜」
 冒険者の言葉に、何も知らない従者達の声が散発的に響く。唯一、事情を知るメタトロンを見る。
「行ってらっしゃいませ、ご主人様」
 彼女は一介の従者としての態度で、恭しく一礼した。
 改めてしっかりと彼女を眺める。初めて交わった頃とは違い、整った造作の顔に嵌る瞳は夕焼けの朱から澄んだ空色に、濡れ烏の長髪は派手な桜色に。そして、服は露出の多い黒いそれへと変化していた。その全てを忘れないように、その姿をしっかりと心の底に焼き付けるために。
 長々と見つめても不自然なのでくるりと背を向け、歩き出す。しかし、数歩行った時、彼女の視線が背中に突き刺さるような感覚に足が止まった。
「どうなさいましたご主人様?」
 ただ、僅かに止まっただけですぐに掛かった声。振り返り、彼女を見る。一見ただの無表情だが、冒険者には今にも泣きそうな目に、僅かな期待が浮かんだように見えた。
「……部屋の電灯、消したか気になってな。調べてくれ、メタトロン」
「分かりました」
 らしくもなく走り去る姿に、一部の従者が首を傾げていた。
 冒険者が心の中で密かに詫びる。彼女のその期待には答えられない。なので、せめて一人で泣ける場所を提供。罪悪感に逃げるように冒険者は自らが住処としていた家を去った。



 家からいくらか離れた公園で冒険者がベンチに腰を下ろす。周囲では親子連れや子供達が楽しそうに球技に興じていた。
「そういえば、二人でデートくらいしても良かったかもな」
 思い出したかのように冒険者が呟く。あの日以来、メタトロンは表向きは従者、二人きりの時は恋人としての役を演じていた。爛れた関係だったが、彼女は幸せそうだった。だから気にしなかったが、行ったのはほぼ性行ばかりで、それ以外の一般的な恋人どうしがし得る大半の行動をしていなかった。周囲に隠すことに拘るにしても、少しばかり遠出してやれば良かったのだから、それくらいサービスするべきだったのだろうか? とはいえ、悔いてももう遅かった。冒険者は失うものを知ってなお、禁術を行使した。
「なあ、メタトロン」
 遅いからこそ、冒険者は口にする。すう、と胸郭一杯に息を溜め、全力で叫ぶ。
「お前のこと好きだったんだよ!」
 冒険者の突然の絶叫に周囲が半狂乱状態になって逃げまどう様が滑稽だったが、冒険者にはどうでも良かった。下手に口にし、期待を持たせるのはかえって残酷だろうと言えなかった一言。彼女の前で言えなかった言葉を口にし、少しだけスッキリする。そして、先程の絶叫とは打って変わってそよ風にさえ融けそうな小さな声で囁く。
「……今まで、ありがとうな」
 彼女との物的な繋がりは何一つ持ち越せない。それが、禁術の代償だ。それでも、記憶だけは胸の内にある。だから、もうどんな引きも、別れも怖くなかった。これ以上、辛いことなど無いから。
 彼女との思い出だけを胸に冒険者が立ち上がり、召喚の龍へと向かった。


白メタ√

 主が立ち止まった時、メタトロンは期待し、声を掛けてしまった。口では冒険者の為、自分を捨てる時に楽になるよう気を遣っていたのに、いざとなって心が揺れてしまった。
 対する主の言葉にさらに胸が痛む。出て行く主が電灯のことなど気にかける道理は無い。つまり、それは泣き出しそうな自分を誰もいない主の部屋にやる口実。つまり、メタトロンの弱い内心を主は見抜いたのだ。いたたまれなくなったメタトロンは主の部屋へと小走りで向かった。



「ぅうっ……うあっ……」
 一人、メタトロンが主の部屋で泣き崩れた。主に気を遣わせる自身の不甲斐なさ。別れを覚悟していたはずなのに、主が一歩足を止めただけで期待してしまった自分の心の弱さ。そして何より、主がもういないという空虚さ。
 その諸々の感情をメタトロンは抑えきれなかった。それでも、大声で号泣することは堪える。ただ、嗚咽だけが部屋に満ちていく。涙を手で拭っても、拭うそばから溢れてくる。
「っ、うっ、ご主人様、ご主人様……」
 泣き咽ぶメタトロンの視界の端に主が使用していた寝台が映る。今日の午前中も、同衾した寝台が。思い出をなぞるようにメタトロンがふらついた足取りで寝台に向かい、倒れ込んだ。そのまま、布団に顔を埋めてすんすんと嗅ぐ。自分が暇を見て洗うせいで洗剤の邪魔な匂いがついていたが、確かに主の匂いが残滓となって残っていた。そして、微かに薫る自らの体液の匂いに顔が赤くなる。それは、メタトロンが主と交わした愛の痕跡だった。
 主の匂いに夢中で、メタトロンの悲嘆は何時の間にか何処かに消えていた。主の掛け布団に潜ると、予想通りに主の匂いに包まれた。虚しい多幸感が胸に満ちる。所詮はただの残り香に過ぎないが、それでも今は幸せだった。いつか主の匂いが消える、その時までこうしていよう。メタトロンは密かにそう誓い、そっと目を閉じた。



 主の私室に誰かが立ち入る音が聞こえ、メタトロンは目を覚ました。主はもう、帰ってこない。なら、別人ということになる。メタトロン自身、主の部屋で勝手に惰眠を貪っているようなものだが、主の香りに包まれる時間を邪魔されたくなかった。
 闖入者の足音がつかつかとベッドに近づく。布団の膨らみから、誰かが中にいるのは分かっているはずだ。闖入者は溜息を吐くと、布団越しとはいえ無遠慮にメタトロンに触れてきた。主を懐古する時間を妨げ、挙句勝手に自らに触れる不届き者にメタトロンは怒りが込み上げる。布団から手だけを伸ばし、思い切り叩く。

「っ……起きてたか。寝るのを邪魔する気はないが、少しは端によってくれないか? 俺も横になりたい」

 その声に、メタトロンが息を呑む。さっき聞いた声は、二度と聞くことさえ叶わぬと思った声だった。それが聞き違いなのか否か、確かめるためにメタトロンは恐る恐る顔を出す。そこにいたのは……。
「ご主人、様……? なん、で……?」
 二度と会えないと諦めていた最愛の主。若干顔色こそ悪いものの、見紛うハズもない。メタトロンの身が震える。寝たままでは非礼だろうと、慌てて主の前に立ち、直立不動の体勢を取る。
「いや、禁術を行使する前に手持ちの石を召喚に使ったらたまたま偶然目当ての奴がポロッと出てな。このリストの最後の奴な」
 主が衣嚢から一枚の紙を差し出す。受け取ったそれは、何体ものモンスターの名が列記されていた。
「(……あっ)」
 メタトロンは察する。主の持っていた石の数と召喚の試行回数に若干の齟齬があった。それが意味することは一つ。メタトロンの胸中が多目の歓喜と少量の困惑の二色陣から変換、歓喜の花火となった。
「そいつは多色系リーダーでな。サブになるが、これからもずっと力を貸してくれるか」
 さらに、こっそりと混ぜられた“ずっと”の一言で嬉しさがいや増す。例えて言うならドロップ強化がかかったように。
「愚問ですね、答えはイエスです。そもそも私は従者です。元より主の命令には絶対服従です」
 メタトロンの答えに主が微かな笑みを浮かべる。
「ふーん、そうかそうか」
 そして、主がメタトロンに覆い被さってきた。胸部に主が顔を埋める。
「ご、ご主人さ……」
 押し倒されたメタトロンとしては主が己を求めるなら否はないが、寝汗や体臭が気になって慌てる。だが、それ以降の追撃が無い。よくよく主を見ると、穏やかな表情で眠りこけていた。自らに掛かる主の体重は決して軽いものではないが、寧ろその重さと温もりがメタトロンには愛おしかった。
 主を起こさぬように気を付けつつ、傍らのベッドから布団を取って主にそっと掛ける。
「おやすみ、ご主人様」
 それだけ言い残し、そっとメタトロンも目を閉じた。その胸に、暖かい物を感じながら。




冒険者√

 そこで、眠りこけていた冒険者がゆさゆさと揺すり起こされた。目を覚ました冒険者は欠伸を噛み殺しつつ、自らを起こした従者に尋ねる。
「えっと、ゲリラ?」
 ふるふると従者が首を左右に振る。
「泣いていらっしゃったので、眠りを妨げることを承知で起こしました。……余計なお世話でしたでしょうか?」
 冒険者が目元に手をやると、確かに濡れていた。その様子を従者が覗き込む。従者のその目に宿る心配の色は、きっと冒険者の身を案じたもので、叱責を恐れる物ではないのだろうと、なんとなく分かった。
「……少し、昔の夢を見ていた。俺が過去に働いた、裏切り夢を」
 滔々と冒険者が語りだす。夢として見た、自身の過去を。

……。

「で、メタトロンはあの日の事をどう思ってるんだろうな、と気になった」
 その答えはきっとメタトロンにしか出せない。そう知っていてなお、考えてしまう。
「そんなこと、決まっています」
 一片の迷いさえ見えぬ表情で従者が告げる。
「ご主人様が戻られて嬉しい、です」
 目の前の従者、メタトロンが微笑む。

 そう。冒険者は禁術を行使せずに運良く求めるモンスターを引き込んだ。つまり、結果としてメタトロンと別れずに済んだ。

「それでも、一度お前を捨てようとしたのは事実で、引けたのはただの結果論に過ぎない。……お前は、なんとも思わないのか?」
「確かにあの時は悲しかったですが、仮定なんてどうでもいいんです。私にとって大切なのは、今、そしてこれからもずっとご主人様と一緒にいられるという事実だけです」
 メタトロンの微笑に、あの日からずっと冒険者の胸中にしこりのように残っていた罪悪感が消えていく。
「……そうだな、ずっと一緒だ」
 そこで一旦話を切り上げて冒険者が起き上がり、メタトロンの用意した服に着替える。背中越しに冒険者がメタトロンに問う。
「今日も付いてきてくれるか?」
「もちろんです。リーダーでもサブでも、ご主人様のお役に立てるのが私の幸せです」
 迷いのない答えが頼もしい。
「いい答えだ。準備はいいな?」
「万全です」



 とある冒険者が従者達を引き連れ、ダンジョンへと潜入した。その傍らに、バインド対策に特化した桃髪の美女がいたのは言うまでもない。

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