サバイバル持ち寄り鍋の記録です。

●18:20〜:全体でディスカッション

 キーワード

場所〈環境〉と活動アート?
安い家と遊べる余地、弱い配線はすぐできちゃう地域、勝手にやることがゆるされてる、地域活動の積み重ね、もともと閉じたコミュニティがあるかた入ってきやすい
つながってる所とつながっていない所:
異なるクラスター、都市インフラ、ネットワークの役割、似た活動のコミュニティはつながる、
せだいかんのぶんだん:ヒキフネ:20代40代の世代間差、
スペース運営は何を目指すのか
どのクラスターにも分類できないものが後にキーになる?、なに屋さんですか?⇔おすそわけ?
地域/近所/外→これってなんだ?(ご近所様という概念は共有できてるのか?)
ゴーヤくれた—ご近所レベル、別に地域ではない、ご近所さん:範囲と付き合い方と仕事時間、アート助成:上から⇔ご近所さん:下から、ご近所さん→生活者がそのままアーティストだった?、お店は近所の人に買ってもら    うことを想定しているのか、八百屋・カフェ・ノコギリ、肉屋:腐る、消費必要、カフェ:休む、飲む、集まる、ノコギリ屋:切る、質、専門、道具性
エコシステムごと作る:アートには生態系が必要!
外と内:システムから漏れる、“外に広がる”、興味抜きで「外」とは?
現代アートの移入

 概略

造形大の話、
CSLABのある造形大は山中にあり、生活空間から孤立している
CSLABは、大学の縦割り組織において横のつながりを作ろうとしている
その意味で、大学内にありながら外
美大生の自主性が乏しい+大学も学生を一種の商品化+文科省の上からの決定+4年しか在籍しないのでスパンが短い=孤立
その中で、自主性はどのように生まれるのか?

曳舟の話、(青木さん・安藤さんより)
アーティスト、1年から10年と住んでいる期間に幅がある
青木さん、たまたま曳舟に来た、土地が安いから
つながりとしては、20〜30代と40代の間に世代的断絶
小さいグループが点在、グループごとに活動も色々、アーティスト、リノベ・建築、カフェなどなど
弱いつながりはすぐにできる、そのつながりを強めるかは関係次第
墨東まち見世が東京都・文化発信プロジェクトとの提携を終えた後、自主的に数人の人たちがネットに曳舟周辺のスペースや展覧会情報などを載せている
向島学会は、研究者の成果をアーティストに還元する活動、10年以上

曳舟のスペース同士は、つながりを広げたいのか、また曳舟から外に発信したいのか?
曳舟はクラスター化されていて、自分たちがやっていることを周囲は気にしていない場合が多い

“ご近所さん”レベルの付き合いであり、地域という一体性は感じていない
(あをば荘の初展覧会は「わたしたちがおすそ分けできること」といいうタイトル)
ご近所さんとは何か? ある近い範囲があり、そのなかでの付き合い方が共有されている、
アート助成は上からだが、ご近所さんは下からであり、ご近所さんには、一種の生態系がある
アートにはこうした生態系が必要では?
(岩谷さんから、インドネシア・ジャカルタの、アートフェスに合わせて、ギャラリーのみでなくカフェやレストランなど各種施設も併設して、生態系を作った事例)

ご近所さんのつながりとは何か? スペースはその仕事内容によって道具性が異なり、外とのつながり方も様々
(八百屋はその地域で消費されるものを売るので地域に近いが、ノコギリ屋はノコギリの専門的性能を求める外からの購入者が来るかもしれない)
曳舟のスペースは、別段、近くのエリアの人に来てもらおうとはしていない
その意味では、スペースの位置において曳舟というエリアに存在しつつも、そこで行っている中身(アート活動)は別段「地域」にガッツリ根ざしているわけでもない
(ノコギリ型にやや近いか? by 筆者)
スペースとして、地域に属しつつも、そこでの活動は地域外と接続したりまたは孤立したりして、別の価値体系を作ることがありうる
その点では、地域社会から離脱したアートの価値体系も存在しうる
Spiidは、「なに屋さんですか?」とよく言われる
安藤さんは、他のスペースとの関係を考える時、「あそことはご近所さんかな?」と考える傾向がある
仕事をしている時間が被っていると、ご近所さんになりやすい
(寝に帰っているだけでは、ご近所さんになれないかも Cf: タワーマンションの住人の関係性)

外の人・一般の人にアートを知ってもらうのには、プロセスが必要
(Aokid、長野・松本でのAwai art center、Give me little more、栞日が共催したイベント「あそびなおす」の経験から)

一つのイメージに固着しない、オープンなスペース作りの必要性
(靴を作り友人にあげるプロジェクトを今度あをば荘で、演劇かアートかクラフトかパフォーマンスか何か、どれにも収まらない!)
(岩谷さんの寺子屋:文化芸術のイベント全般をやるスペース)
(Zineとかも、体裁を気にせず好きに書ける、オープンスペース)
スペースのネットワークも、商業か実験か、色々なポジションがある
スペースを自分でアイデンティファイしない方がイイことある

ではスペースが存在感を増すには、どうしたら良いか?
(ウルリケさん、日本の面白いスペースが見つけられなくて困ってる)
口コミベース?
ネットの情報ベース作成?
しかし、ただ増せばよいという問題でもない、観客が一般人に偏ると作品の個性も落ちる


●休憩時

 キーワード

日本人、英語はなせない問題
フィルカッフィン(Phil Kaffin)

 概略

日本の文化やアートは、外国の人に開かれていない、大問題!
外国の研究者の方が、はるかに自由に研究してる(ニューヨーク大のPhil Kaffinとか)
日本の商業ギャラリーの人は、アートのことを知らないケースが多い
外国の人とつながる、出会うきっかけをどのように作るか


●19:30〜:全体でディスカッション

 キーワード

英語って必要?
いま英語が必要なわけ、英語が必要なのは、英語圏の人とコミットする必要を感じているから、日本語とうしでもわからない≠コミュニケーションとれない?、文脈ナシOr軋轢、教育とか習慣とかのコミュニケーション力、英語しゃべれなくても伝えられる人はいる、英語の羅列、<結びつける能力>誰でも持ってる⇔文法、たたずまいも言語、日本語のみでよかった!!、言語の壁はそのうちなくなる、ほんやくソフトとか、そごをつき合わせるプロセス、参加に価値を見出す/見出そうとする、原言語
週一回外国人と飲みにいく(たのしむ)
週一で飲み会に行くべし!、人といることが強制される空間があれば、英語ができる、英語かんごく、必要性と遊び→英語、
ちがう文脈のものが出会って、よくわからないものが生まれる
ショートアイスチョコレート、オランジュモカ、ノンモカエクストラ、ホイップエクストラ、ソース、ジョグジャカルタ:外からの刺激が影響力をもたない、日本−output不足、ジョグジャ―input不足、余暇をたのしむものがあふれすぎてる、余暇、週末に何をするのか、地域性のリアリティとアプリのリアリティ(コミュニティ)、ゲーム体験と現実への影響は因果関係なし?、人とのコミュニケーションと安心感、
参加型って?
「作品」=アーティスト?観る人?社会?歴史文脈?、参加型アート1:観客がアート、2:作家がアート、3:作品(構造)がアート、アートやs地域を延命するために「参加型アート」←見込み違い?、行政のあとおい感

 概略

英語は必要か?
しゃべれなくてもよいのでは?
←問題意識が明確にある人や伝える意欲のある人は伝えられる、スペイン語圏の人は特に
あと喋る必要があること、またその必要性を感じていることも大事
(Aokidの代々木公園での、アルゼンチンの人との交流、日本語が多くなってしまった、反省)
(安藤さん、劇団の海外公演のお手伝いのとき、英語を使うが、他のアジアの国の人はフツーに英語を話す)

アジアの日本語話せる人は、アニメから学んだりしている
むしろ楽しむことの方が大事では?週一で外国の人と飲みにいく、という授業
または、数時間でも、外国の人と同じ部屋にカンヅメにされる授業
⇒強制か遊びで、英語はマスターできる!

日本は余暇を楽しむものが多すぎる、そのために言語学習に充てる時間がなくなっているのでは?
スパートフォンもアイドルもなくすべし
いや、すぐになくなりはしないから、むしろスマフォやアイドルよりも、外国の人と話すのは楽しいと伝えることも必要では?
また、リアルな会話が上で、ネットなどのフィクショナルな領域は下、と一概に決めつけることはできない
どちらの世界にも、齟齬を突き合わせるプロセスがある
インドネシアでは、むしろネットとSNSによって、アーティストネットワークができている
自分たちのネットとの付き合い方とは違うルールの世界に、まず参加していくのが大事

英語ではない言語、例えば中国語やアラビア語で話しかけられたとき、どうする?
言語が話せない障害の人、ただ「オッオッ」というだけで生活できてる、ご近所さんが彼の言葉を楽しみ、またサポートしているから
伝わらなくても、なんとかなる(生江先生の青森でのフィールド調査の経験)
言語も、こうした生きることに基づいて、成立しているし学習される
その意味で、必要がなければ日本語だけでもイイ
しかし国外の人と関わる必要があるから、英語を学ぶ必要が出てくる
インドネシアはアートとしては外からの影響が少ない、逆に日本はこうした外からのinputが過多、両者のバランス大事!

英語と言っても色々ある、その地域の文化的・歴史的コンテクストから様々な英語が生まれてきた(クレオール)
参加型アートも、そうした公約不可能なもの同士の出会いや軋轢を核としているのでは?
しかし、なぜ今、「参加」なのか?
欧米に律儀に反応する日本の滑稽さ、行政の後追い感、それによってWinwinの関係を気づけない残念さ

そもそも「日本語」ってあるのか?
たたずまいも言語

安心感がコミュニケーションを促進させる
(生江先生、分館によく来ているので、今日来た時安心感があった)


●20:40〜:二つのグループに分かれてディスカッション

・グループ1

 キーワード

あをば荘、ライターインレジデンス
小さいところがやってることの存在感をどうやって示すか
アツいナウな情報を探すツールが欲しい、たてわり、IRA、新宿、Zineとか集まる、アクティビスト・アーティビストのハブになっているスペース、コンテンツとスペース=点と点を渡り流れる人が大事、紹介してくれる人募集!!、ネットベースで可視化する、可視化されるとうすまる、マッピング、情報をさがすツール
スペース同士の関係性
スペースがつながる必要はない、作家=作る家、誰の為でなくても作る、カテゴリーの組合せ、ご近所様、自分のスペースのポジショニング、市民団体(以上のことを言わない)、自分たちで自分たちの活動をカテゴライズしない、個展をやったことない人に個展をさせる専門のスペース、展示にいたるまでのサポート
日常の中の狂い:墨田区は狂っているから好き、日常の中にある狂いを言語化、狂った人マップ

 概略

あをば荘のライター・イン・レジデンスの試み
⇒外の人に来てもらって、自分たちの活動を外に紹介してもらう
⇒小さいところがどのように存在感を示すか?
 ・IRA(「Irregular Rhythm Asylum」、新宿)など、面白いことやオルタナティブな活動をしている人の集まるハブがある。そこに行く。
 ・外の人、スペースを渡り歩く人を入れて、紹介を担ってもらう
⇔可視化されすぎると、内容が薄まる危険あり
 ⇔でも、ネット上の情報ツールはあった方がイイか?
  (西田さんが一昨年まで、こうしたTumblrをやっていたらしい)

スペース同士は、必ずしも強くつながる必要はない(つながりすぎると、予定調和)
あえて自分たちの活動を規定せず、「市民団体」と名乗るのもアリ
(Cf: ジョグジャのLifepatchの事例。メディアアートや環境アートの文脈で評価されているが、本人たちは市民団体とのみ名乗る)
研究者やアーカイビストともつながるようなネットワークも面白そう
(Cf: ジョグジャのLirの事例。個展をしたことない人に個展の機会を与えるスペース。半年間の準備期間中、大学その他の組織から、研究者やキュレーターを呼び、アーティストとのディスカッションの機会を設けている)

面白いスペースは、日常の中の狂いというものをもっている
墨田区エリアには、そういう狂いがあって楽しい!
そういう狂ったスポットマップのようなものを作れたらイイかも

・グループ2

 キーワード

スーパーオープンスタジオ(アトリエ、ギャラリーーー)、
教育→学生、学生だけじゃなく
横浜線
北アルプス
本を置く場所、SNS、本屋

相原 :造形大学(CSLAB)、とほ20分
橋本 :タマビ
淵辺 :桜美林、「ダンス」
町田 :玉学、パフォーマンス
横浜 :STスポット、横美大も
桜木町:BANKART、黄金町バザール、美術館、KAAT、横浜スタジアム、図書館、急な坂スタジオ、芸大映像
―――――――――――――――モチベーションのある学生

もともとある場所を利用する、話を持ち掛ける
大学同士をつなぐプロジェクトがある
多摩美と造形大をつなぐ道を自分たちでつくる
大学・劇場へのアクセスをつくる

本の重要性
本を置く場所・本がある場所→共有、SNSでも可能?
国立本店
各スペースで独自の本棚、
横浜線、電車の中に本棚

概略

横浜線を軸に、色んな大学・美術館・シアター・スペースをつなげるプロジェクト
相原 :造形大学(CSLAB)、
橋本 :タマビ
淵辺 :桜美林、「ダンス」
町田 :玉学、パフォーマンス
横浜 :STスポット、横美大も
桜木町:BANKART、黄金町バザール、美術館、KAAT、横浜スタジアム、図書館、急な坂スタジオ、芸大映像
(これ、もしや、北アルプス連峰みたいに、山脈みたいに、つながっていく山みたいに、つながっていくイメージ??(by 筆者))
(モチベーションのある学生を動員して大々的に?(by 筆者))

本でスペースを成り立たせる、また本を通じてスペースをつなげていく
(Cf: 国立本店の事例)
各スペースで独自の本棚を作るとか、電車の中に本棚を作るとか


●21:00〜:二つのグループに分かれてディスカッション

・グループ1

 キーワード

墨田区沿線を編みなおすプロジェクトをたとえばあるとか?世代のちがう人も集めて。
横浜線スカーフ
青木さんの今取りくんでる“よつぎ駅”ダンススタジオ付シェアハウス。たくさん部屋がある。
→北千住BUOYとたとえば何か
NYシェアハウス、色んな分野の人が集まるとこに住んだが、特に何もなかった
Aokid:そういうの起きるって結構奇跡的なものなんじゃないか

 概略

面白い物件が見つけたので、入りたい人を紹介してくださいと青木さん。aokidがSNSで拡
散して募集してみますねと反応。青木さんは、紹介料など入らない代わりに面白い人にピ
ンポイントで来て欲しいので、もう少し閉じた個人的な声かけを希望。対して、生江さん
が、継続性のためには保証人や他の組織とのネットワークを作る必要があるのでは?と問
うとそこまでの関与は考えていない旨の応答が、青木さんから帰ってくる。最後にaokidが
ウルリケさんと登さんに発言を促すと、ウルリケさんは外国のゲストでもわかってアクセ
う可能な「オルタナティブスペースマップ」等の情報が欲しいとのこと。時間切れ。

・グループ2

 キーワード

どうやってる情報収集
絶対さそってね(って言ったらさそわれたら行く)、情報ひとづて、濃密さ、情報の流し方、ご近所をどうつくるか、勝手にマップなりカレンダーなり作る
アーティストイニシアティブ←できないよね何でもは
アーティストイニシアティブの限界、うまくいかない、アーティストは情報発信下手、外の人が情報を伝える、研究者のコレクティブあるといい、研究者・アーティスト・大学との密な関係、研究系の人がもっとオープンになればいいのにね、人がいっぱいくることを目的にするとイベントは薄まる、
場所でもっている情報とかコミュニティとかを外部に発信
Seesaawiki使える?、情報をみんなで載せてってオモシロイ情報、なんかそういうの欲しい
メディアとしての商店街
ラジオ電波でできないか、情報、スピーカー、商店街なら、イベントの告知を放送する、音声で情報を流す、告知
シェア図書館、すみだ区のアーカイブ
キュレーションされていないチラシ棚、助成金―アーカイブ、モノ作り推し、すみだ区だけで後継者出ない、ほろびつつある、年寄りからめたら金が出る、お金のとりやすさ、見返りは?、それでもうかる人がいるかいないか
企業のアーティスト助成(正し経済発展中の地域に限る)
ジョグジャ、クンチ―研究、イーファ―アーカイブ、ライフパッチ、クンチ:美術研究者のグループ、インドネシアアートをどう言語化するか、イベントスペース・生活空間・アーティストのスペース・アーカイヴィング、地域のみんなの図書館、ご近所さん、クンチ←海外からの助成金―オランダ、負い目、東アジアねらい目、イベントスペース兼研究系のスペース兼図書館←海外からの補助金

 概略

シェア図書館(昔、地下鉄の駅構内とかによくあった)は、BookOffができて、そこに盗んで売る人が多くなって、なくなった

情報は人を通じてゲットする、しかし限界もある
アーティストが情報発信も行うのには限界がある、人集めに偏ると、作品の質も薄まる
むしろ外部の人がやった方がイイ
研究者とか、研究者がもっとオープンになった方がイイ
研究者もコレクティブを作った方がイイかも
ネットを使う?FBとかTwitterとか?
SeesaawikiのVSCollectiveのサイトに、そういう項目作る?
(メンバーになると編集できるので、情報もってそうで信用できる人に限定してやる?(by 筆者))
何か、ネット上に情報ハブがあってもイイかも
墨田区のネット情報「墨東まち見世」のサイト、またGoogleカレンダーにアップしたりとか?
CSLABには、チラシを通じて情報が集まる、アート関係からラーメン屋の割引券まで、特にキュレーションせず、放置して公開、学生数人くらい、毎週見に来る
→この情報を外部に出す可能性もある?
 Blanklassの人がやったら、載せないでほしいという要望があったことも

CSLABは、大学の構内放送を使って、昼休みに情報発信することもある
(小学校のころの構内放送や、地方の村の盆踊りの放送お知らせみたい)
それ、商店街の放送を使ってもイイかも
今度のライターインレジデンス、作家さんに小説書いてもらって、商店街の放送で毎日定期的に朗読放送する?!
十和田芸術祭では、小説作品を作家に書いてもらった

アーカイブ作りもできたら良いのに
(Cf: ジョグジャのイーファ(IVAA)の事例。海外からの助成金を取り、地元のアーカイビストがアーカイブを行っている。公共スペース・書庫・研究スペース併設)
アーティストイニシアティブでは、こうしたところまでできない
墨田区エリアの活動のアーカイブ、昨年、助成金申請したが落ちてしまった、しかしこれからもトライしていきたい
どうしたら墨田区で助成金が取れるか
(Cf: ジョグジャのスペースは、近年の目覚ましい経済成長を見込んだ海外の企業を利用したり、また被植民地であったことで旧宗主国(オランダ)の「負い目」を逆手に利用したりして、助成金を集めていた。しかし、これは日本では難しい。日本は経済的に落ち目であり、またむしろ宗主国側。)
墨田区はモノ作り・職人の地域として自己アピールしているが、高齢化と後継者の不足でそのような文化が存続の危機
こうした高齢者に関する問題をからめたら、お金が落ちてくるかも

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