ビーストバリア国は、明確な法も議会もなく、それぞれの将軍が自由に発言することで国の方針を決めていた。
そのため、時に方針をめぐる対立は、将軍たちの感情的な対立にまで発展することもあった。
それまでも、個人単位の出奔や反乱は絶え間なく続いていたが、2998年、鬼龍(
鬼龍の父で先代)を筆頭とする外征を主張していた巨大な派閥が、自らの主張が通らなかった事により、派閥単位による大掛かりな出奔(実質上の独立)を決意する。
彼らは、先代鬼龍の直轄領であった
ビーストバリア国領北部に集結すると、ここを拠点に正当なビーストバリア国を名乗った。
ただし、正式な国家として周辺諸国に認められたわけではないので、いつしか「
鬼龍軍」と呼ばれる様になり、自分たちでもそう名乗る様になっていた。