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広島県双三郡吉舎村(現三次市吉舎町)に本店があった銀行
明治33年8月、資本金4万円、払込資本金1万円で設立。
吉舎一番の地主福永鉄之助が頭取に就任していたが、体調不良により3年で辞任。後任に県議会議長や代議士を務めてきた米田武八郎が選任。専務に二代目福永鉄之助が就任。福永は公務に忙しい米田を助け、同行の経営を実質握っていた。福永はまた、当時珍しかったハーレーの単車に乗って得意先や取引先を巡回していた。その他の役員に地元の呉服屋や素封家、名士が就いていた。
業績を伸ばしていたが、ある支店で不良債権が発生し、預金の取り付けに遭った。これをきっかけに、今後小銀行での経営は難しいとの福永の判断で、県北の銀行との間で合併を進めることになり、結局県内7銀行の合併となり、大正9年6月、藝備銀行設立*1。双三貯蓄銀行は大正9年10月の藝備銀行開業に伴い解散した*2

出典

げいびグラフ第99号
銀行変遷史データベースhttp://koueki.net/bank/details.php?bcode=4877

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