大正時代についてまとめるwiki

1885年12月22日に「太政官達第六十九号」が発せられ、「内閣」と「内閣総理大臣」が設置された。

大正期の歴代総理大臣

  • 第14代。西園寺公望?(さいおんじきんもち):第2次内閣。任期は1911.8.30〜大正元年12月21日。
  • 第15代。桂太郎?(かつらたろう):長門国阿武郡萩村出身。第3次内閣。任期大正元年12月21日〜大正2年2月20日。在任62日で戦前最短。ニックネームは「ニコポン宰相」「巨頭公」*1
  • 第16代(大正2年2/20-大正3年4/16)。山本権兵衛(やまもとごんべえ)。第1次内閣。海軍の汚職事件であるジーメンス事件?の責任を取らされ辞任。ニックネームは「海軍の父」「ボッケモン」
  • 第17代。大隈重信?:肥前国佐賀出身。第2次内閣。任期は大正3年4月16日〜大正5年10月9日。退任時は満78歳6ヶ月で歴代最高齢*2。ニックネームは「ザル碁の大隈」*3。「〜であるんである」が口癖*4
  • 第18代。寺内正毅(てらうちまさたけ):周防国山口出身。山県有朋、桂太郎に次ぐ長州軍閥の大御所*5。任期は大正5年10.9-大正7年9.29。ニックネームは「ビリケン」*6
  • 第19代(大正7年9/29〜大正10年11月4日)。原敬(はらたかし)。陸奥国盛岡出身。日本初の本格的な政党内閣とされる*7。年賀状の「賀正」を発案した人でもある。簡単明瞭を好んで「賀正」を用い、これを「内閣総理大臣年賀状」と呼んでいたが、その後民間でも使われるようになった*8。ニックネームは「平民宰相」「無爵宰相」。東京駅?で少年に刺され死亡。動機は「有名になりたかった」。背後関係は不明のままである*9
  • 内田康哉が臨時代理を務めた。
  • 第20代(大正10年11月13日〜大正11年6月12日)。高橋是清?(たかはしこれきよ)。就任時67歳。武蔵国江戸芝中門前町出身。
  • 21(大正11年6月12日〜大正12年8月24日)。加藤友三郎?(かとうともさぶろう)。安芸国広島出身。就任時61歳。病弱で議会を欠席するなどした。大正12年8月24日没(62歳)。東郷平八郎と山本権兵衛と共に「海軍の三祖」と称された*10。ニックネームは「ミイラ」「ロウソク」*11
  • 外相の内田康哉?(うちだやすや、うちだこうさい)が総理を臨兼中に関東大震災が起こる
  • 第22代(大正12年9月2日〜大正13年1月7日)。山本権兵衛。第2次内閣。虎ノ門事件?(摂政狙撃事件)で総辞職。
  • 23(大正13年1月7日〜6月11日)。清浦奎吾(きようらけいご)。肥後国出身。就任時73歳。ほぼ全閣僚を貴族院議員から選び、護憲三派から激しく非難された。何の成果も挙げられずに5ヶ月で総辞職*12
  • 24(大正13年6月11日〜大正15年1月28日)。加藤高明?(かとうたかあき)。尾張国出身。就任時64歳。憲政会初の首相。日本で初めて、選挙で第一党となった政党の党首を首班とした内閣が成立した。大正15年1月28日没(66歳)。
  • 内相の若槻礼次郎?(わかつきれいじろう)が臨兼。
  • 25(大正15年1月30日〜1927.4.20)。若槻礼次郎。就任時59歳。出雲国松江出身。

メンバーのみ編集できます