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http://number.bunshun.jp/articles/-/24808/?page=2
二宮寿朗 = 文
加茂周監督が更迭されたとき、日本代表の面々はリラックスルームに集まってビールを飲みながら激しく意見をぶつけ合って結束を固めていたのは有名な話。
2002年の日韓W杯でも初戦のベルギー戦を終えて、風呂場で選手たちが集まってディフェンスラインの約束事を決めている。
ジーコジャパンのときも、アジア最終予選のバーレーン戦を前にして意見をぶつけ合った“アブダビの夜”がある。
いずれも戦術の部分だけでなく、気持ちを「共有」できたことが大きかった。

「気持ちを共有すること」確かにそれは、大事なこと。
どうゆうプレーをしたいか。どういうことを意図しているのか。
ころころ変わると言われるが、コンセプトがあり、実践があり
それをすり合わせていく練習をする。1人2人3人4人。と繋げるしかない。
先日フットサルのマッチメイクでそのような話になって、頭が疲れたんだけれども
気持ちを共有するという意味ではとてもいいことだったのかもしれない。


何て素敵な文章!
タイトル:ラストゲーム…長かった4年間
6月30日 21時32分配信(デイリースポーツ)
http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20...



4年前のW杯ラストゲームは大きな失望感と共に終った。正直に言えば、その数週間前の大会初戦の逆転負けで、ジーコジャパンの終結を思った。
もちろん初戦に敗れても可能性は残っていた。けれど、練習時間のすべてをシュート練習に費やすチームの雰囲気は日々悪化しているように感じたし、
気持ちのどこかで、南アフリカ大会のことを考えてもいた。

 しかし、ドイツ大会終了後に始動したオシムジャパンには、ドイツを戦って選手のほとんどが外れていた。海外でプレーする選手だけでなく、
20代後半の働き盛りの選手たちもいない。ドイツでの空しさを晴らす場所もなく、彼らは“古井戸”と言われて退けられた。
 3連覇が懸かっていた2007年のアジアカップは3位決定戦で韓国に敗れ、若い代表選手たちの成長を感じることもなく終った。
しかし、その年秋のオーストリア遠征で、スイスを相手に逆転勝ち。後半相手がメンバーを落としてきたのも事実だが、欧州組も融合され、
「日本人らしい組織的かつ攻撃的なサッカー」で、世界に近づけそうな予感は十分にあった。

 そして11月、オシムが病に倒れて、岡田監督が就任する。2008年アジア3次予選を突破し、2009年W杯出場権を獲得する。
その年の秋、オランダと対戦。前から守備をしかけ、相手を封じ込めるというサッカーで善戦。しかし、終盤に失速し、大敗を喫した。
それでも岡田監督は「W杯ベスト4」という目標を変えなかった。

 それでも監督は「日本のサッカーの可能性を感じた」と大きな手ごたえを得ていたようだった。
 2010年2月の東アジア選手権でホームながら3位という結果に敗れた。3月の試合には勝ったが、4月、5月と親善試合に負けた。
 特に5月の韓国戦では、圧倒的なレベルの差を突きつけられた。彼らは欧州のチームにも引けを取らないフットボールで日本を砕いた。
 この試合後、岡田監督は進退伺いをにおわせる発言をした。W杯直前、チームはどうなってしまうのだろうかと、無責任な監督の行動に怒りを覚えた。
しかも、翌日には「冗談だった」という始末。公式会見で冗談を言える立場ではなかっただろうに。
 その後、高地対策としてスイスで合宿。4-2-3-1という過去の布陣を捨てて、DFラインの前に阿部を置く3ボランチを実施。
守備ブロックの位置を自陣に下げたことにより、ゴールを狙うやり方にも変化が必要になった。スイス合宿序盤、選手たちだけでミーティングを開いた。
「自分たちは強いわけじゃない」と闘莉王が熱弁を振るう。「戦う気持ちが足りない。球際で相手に勝つには気持ちが大事だ」と松井をはじめ、
欧州でプレーした経験を持つ選手が渇を入れる。 続く、イングランド戦、コートジボワール戦にも敗れ、親善試合4連敗。危機感が高まる。

「みんなの中でもベスト4というのがずっとあったけど、コートジボワールとイングランドに負けて、このままじゃいけないというのが出たんじゃないですかね。
それを言葉に発しただけでもみんながそういうことを思っていたんだという一体感が出たと思う」と話す岡崎は、
長い間勤めてきた1トップでの先発の座を奪われ、アウトサイドのサブに回った。

 負傷で出遅れた中村俊輔、内田篤人にも先発の椅子は残されておらず、不動のGKだった楢崎も控えとなった。
「4-4-2のままで僕たちがボールを持つというサッカーをしていたら、どうなっていたかはわからない。ただああいう時期に、
守りを固めるために阿部ちゃんを1枚入れて、守りから速攻という形に変えたことで、逆に大会前に刺激があって、みんなが引き締まったこともあると思う。
いろんな面でいい方向に転がったと」と俊輔。

 W杯メンバーは攻撃陣の数が多いにも関わらず、守備的布陣へ変更したことで、攻撃的な選手の出場チャンスは自然と少なくなる。
しかも、出場できた選手とて、自分のプレーよりも守備に追われ、ストレスも小さくはなかったはずだ。
「それまでの結果が4連敗だし、やっぱり、なりふりかまっていられないというのは、選手自分たちが作った結果だった。
そこで、方向転換するのは、必然というか、まあ、岡田監督の判断だし、選手はそれを遂行するしかない。

カメルーン戦が、そこにあってくれたから、そこへ向かってみんなでまとまれた。その試合で勝ち点3が獲れたし、
みんなが盛り上がらない理由はない。本当にシンプルに意志統一ができている」と憲剛。
「戦い方が変わってもやることは決まっていますから、動揺はなかった。うまい選手もたくさんいますけど、守備だけやっていても、
文句をいう選手がいない。それだけみんなチームが勝つために、自分の持ち味を押さえてでも、まず、点を取られないようにということで、
入ってくれたので助かる」と中澤が彼らを称えた。

 世界と日本とのレベルの差。それを考えれば、守備重視は当然のことだと、大会前から中村(俊)や中澤、松井らが語っている。
それに監督が気づいたのが1か月前ということなのだろう。監督は「主力の選手がコンディションやメンタル面での調子が良くなくて使えなかったから、
現在の戦い方を選んだ」という意味の発言をしているが、彼の決断の理由はわからない。
とは言え、急造チームは多くの選手たちの献身的な思いのもとで、進化し、結果を残した。これはピッチに出ている選手だけの手柄ではない。

「(4年前に比べたら)よりチームのためにやれるようになったかなとは思うし、個人のことよりもチームのために目を向けることが優先的にあったと思う。
いろんな経験をして、自分が出ている、出ていないとは別に勝ちたいという気持ちが前よりは強くなった。だから、そのために何ができるかと考えていた」

 そんな風に話す稲本は、「やれることはやった」とすっきりとした表情で語った。
「人生にとってもっとも大きな挫折かもしれない。辛いのと悔しいのとしかなかった」と話す俊輔とて、ピッチ外での仕事には悔いは残っていないだろう。
 初戦に勝ち、オランダには最小失点で敗れ、デンマーク戦も3-1と勝利した。大きく掴んだ守備への自信を胸に挑んだ決勝トーナメント初戦のパラグアイ戦だったが、
120分戦い、スコアレスドローでPK戦の末に敗れた。

 もう少し早く、3ボランチの戦い方を始めていれば、もっと攻撃の精度もあがっただろう。やはり1ヶ月ではそこまでの時間はなかった。
この守備に、攻撃力が身についたら、確実にもっと上へ行けたかもしれないと、考えられずにはいられない。

 しかし、もうこのチームは解散した。新しい監督がどんなサッカーを志向するかで、メンバーも大きく変わってくるだろう。
世界的にもても日本には強力な武器を持ったエースはいない。選手個々の能力では、ジーコジャパンの選手たちのほうが上だった。
でもだからこそ、全員が組織的にまとまり、小さな歯車が重なり合うことで、大きな力を生み出す。それがこの日本代表。憲剛は力強く言った。
「サッカーをやっているのは11人だけじゃないので、23人、サポートメンバーを入れた27人がこのチームです。他のチームよりまとまっていて、
優れていたと思う。ヨシカツさんをはじめ、経験豊富な選手がベンチでもしっかりやっていた。そういうのを見て心を打たれない選手はいないと思うし、
これはこのチームの誇るべきところだと思う。次の代表でもこの経験は絶対に忘れないと思う。チームの和があって、ここまで来たと言うことは忘れないと思う」
 人生初めてのベンチを経験した内田篤人は「今まで見ていなかった世界、思ってもみなかった世界を見た」という。
そして、数日後にはドイツのシャルケで新しい選手生活をスタートさせる。
「この経験が活きるかどうかは、これからの自分の頑張り次第だから」
 世界を驚かせる結果は残せた。しかし、日本代表が世界に認められるかどうかもこれからに懸かっている。
 一夜が明けたプレトリアには燦燦と太陽がふりそそぎ、冬だとは思えない晴天。そして、日本代表のW杯が終ってしまったことすら、
忘れてしまいそうなほどに明るい。そして、ブラジル大会のことは考えられない。また次の試合があるようなそんな気分さえしてしまう。
 4年間は長かった。いろいろなことがあった。いいことも悪いことも。選手たちはそれがどんなものであっても日々を明日の糧にするために戦う。(寺野典子)

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