最終更新: chiwikipedia 2011年01月16日(日) 23:48:16履歴
- どこに住むのか?(どの国に住むのか?)
- どうやって住むのか?ではなくどこに住みたいのか?
- どこに住むのか?ではなく誰と住みたいのか?
- 何を求めているのか?
- 場所、環境は力、そして運命なり。住むということは時間の使い方そのものなり。
- 職場の近くに住むメソッド
- 職場のある駅に住むメソッド
- 障害:仕事とプライベートの差がなくなる
- メリット:慣れたらめちゃくちゃいい
- 職場のある駅に住むメソッド
- 更新時にちゃんと引越すメソッド
- 図書館の近くに住むメソッド
- 本屋の隣に住むメソッド <-- 駅前に住めば本屋があるから大体困らないけど
- インターネットで探す
- でもなんだかんだ言って最後はリアル不動産屋で探す
- 最悪住む物件(基準物件)を決める
- 5つぐらい物件を見る
- 決断するまで少し悩む
- 決定する
- お金が潤沢にあれば、悩みなどしない。金がないから悩む。つまり、完璧はないのだというリアリティを知る
8 star theoryの1つとしてLivingとして
7年ほど前から考察をしてきて
現在、辿り着けている境地は
住むということは、常に、自分が選んでいる第一優先選択肢に「付随」するものであって
住むという概念の中には、どの「国」のどの「地域」で「誰」と住み、「何」を得ているのかの
結果物にしか過ぎないということ。
HomeからAwayへと移りゆく、物理的な第一Phaseを超えてしまえば
おそらくみなが考えているよりずっとずっと第二Phaseは簡単なものになるのではないかと
私は最近考えていて、もちろん、第二Phaseには第二Phaseなりの困難を伴うのだが
極寒の大地から熱いお風呂に入ることが第一Phaseで経験する、乗り越えないとならないハードルだとするなら
第二Phaseのそれは熱いお風呂からサウナへ移動するぐらいの困難だと考えている。
まぁどちらも大変な作業であることにかわりはないのだが。
第一優先選択肢がない場合でも「住む」ということを考察することは
つまりは、「環境」を創造することであり
多くの示唆に富んでいる。
自分は誰といたいのか?
自分は何をしたいのか?
自分はどんな経験をしたいのか?
自分の求めている幸せはなんなのか?
数限りなく反芻された思いに2年も前
結果をだして生きていると私はそれだけで
本当に幸せだと思うことが最近はよくある。
だから、Homeに恋いこがれている人の話を聞くと
どうしても
自分が7年前にくだした決断を思い出さなければならなくなる。
もし7年前の自分にアドバイスできるのだとしたら
Homeとはあなたの魂だよ。
どこに行ってもHomeとはあなたの魂なのだよと
教えてあげたい。
己を知りなさい。君。
いつかの君。そして今の私。