多人数で神話を創る試み『ゆらぎの神話』の、徹底した用語解説を主眼に置いて作成します。蒐集に於いて一番えげつないサイトです。

人物

ロズゴール王国出身の「マグドール派」の魔術師
デフォンの二番弟子
師の研究成果を再現(デフォンの研究成果は途中の魔術式が難しすぎて殆ど再現不可能だったのである)すべく研究を行い、その過程において「ビーンズ式詠唱法」を考案する。
このことが後の文化・文明に多大な影響を与えるのだが、本人は存命中にそれを目にすることは無かった。
出生については戦災孤児(バキスタの戦いの後、リクシャマー帝国とロズゴール王国の間には大きな紛争があり、そのことによって土地を失って離散する家族が多かった)という説や、零落した商人の子と言う説があるがはっきりしない。
デフォンに見出されて弟子になって後は、デフォンの存命中は引きこもりの彼に変わって、研究の維持のために色々と奔走していたらしい。
デフォンの死後(行方不明後)は、デフォンの研究を受け継ぎ、余程の天才でなければ再現は不可能な彼の魔術のうちいくつかを再現させている。
尚、晩年は流行り病にかかり、故郷のロズゴール王国に戻って療養していたが、数々の無理がたたってか35の若さで夭逝している。

人となり

彼を知る人間が後に記した本によれば「実に誠実で真面目な人となりで、『天才』と呼ばれる人間に珍しく誰にも分け隔てなく接し、弟子に対しては真面目で真摯に物を教える人だった」とある。また、「非常に商才があり、決して一方的に利益を追求するのではなく、取引を行うことで相手も得をすることも多かったので、多くの商人・有力者が彼と取引をして、また研究の出資者になりたがった」とある。
ただし「あまりにもお人よし過ぎて騙される、特に女性から騙されることもしばしばだった」とも後世の記録に残っている。

家族

晩年に自身の研究と財産を継がせるために、養子としてヴォイグナン・ダゥ・グロシエを迎えたが、終生独身であったと伝えられている。
しかしながら彼の日記や数々の手記によると、少年時代には師匠であるデフォン・ダゥ・デカールの他に、姉弟子にあたる人間と、デフォンがゴズリングの妹として迎えた少女と共に暮らしていたことが分かっている。
彼女たちの名前がそれらの手記等に残されていないが、彼にまつわる研究により姉弟子の名前がアンリエッタで、妹にあたる少女の名前がザリスであることが分かっている。ただし、彼女らがキュトスの姉妹と関係あるかは不明である。

名前に纏わる謎

その師匠デフォン・ダゥ・デカール同様に彼も出身がはっきりしない人物である(ただし、こちらは確実に存在したという客観的な記録や、彼の人となりについて描かれた記録が多数あるので非存在説はないが)。しかし、一番の謎はその「ダウ・グロシェ」という姓である。
「ダゥ・グロシェ」という姓はロズゴール王国の建国伝説に登場する、建国に貢献した7人の魔術師の一人が由来であると考えられるが、建国伝説によればその一族は度重なる戦争により血脈は絶えており、またその姓を継承した魔術師がいるという記録はない。
また、戦災孤児説や商人の子供説がある等、彼が魔術師の血縁でない可能性が高いことからこの姓も「偽名」説がある(ただし、魔術師としてちゃんと実績を残しているので、後に政府の公認の下に後継したという説もある)。
ただ、彼が記録に名前を残し始める10年前にドゥイリオ・ダウ・グロシェという魔術を使って暗殺を生業とする暗殺者がゼダ家領内で捕まっており、その際に「ダゥ・グロシェ」という姓を持つ暗殺者の一族がいることを白状したという記録があるので、もしかすると彼の名前にはその一族と何らかの関係があるのかもしれない。

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