多人数で神話を創る試み『ゆらぎの神話』の、徹底した用語解説を主眼に置いて作成します。蒐集に於いて一番えげつないサイトです。

 エッケ・ホモ?イドゥー・ホ・アントローポス?ホモ・エックハルト?などとも呼ばれる、ホモ・サピエンスの一種。


姿、形

 人間とそう変わらないという。

性質

真正

 真正のホモ・エッケはただ一人。
 最初の救世主だけ。

エッド

マルキス?、あるいはバール・マルクス?語りて曰く、
歴史は繰り返す。最初は悲劇だが、二番目は茶番。
 有名なエッドは哲学者であるニーチェ

文化

 彼らは『見る』、『見られる』ということに非常に鋭敏である。

芸術

 彼らは自画像?や人物をよく描く。
 彼らにとって芸術は人を保存・記録するために生まれたものであって、風景画などといった観念はない。
 エッド?じゃないただ一人の真正のホモ・エッケの絵を描くのはずっと流行っている。また、実際に会った人は殆どいないため、大抵は想像図?となる。

 書物や他の芸術においても同様で、こと芸術において、彼らは自身についてを書くこと以外をしない。
よくあるモチーフ
・自画像の視線と鑑賞者の視線がぶつかる
 →この構図をすると売上が1.5倍になる。
 →真正ホモ・エッケでやったら大ウケ間違いなし。

見る

 彼らにとって『見る』という行為は『知覚対象が存在することを認める』ということである。

王の視線

 王の視線は清浄すぎ、また次元を貫通する程度に収まらないため、目隠し?をしている。
 これが示すのは王は、正義の女神よろしく制御でき、支配される存在ということだ。

見られる

 彼らにとって『見られる』とは『その存在を認可』することであり、原罪の浄化へと直結している。
 また、見られないと存在できない存在になりつつある。

人形病

 極稀に『見られたい』という欲求を拗らせた結果として、『露出狂?』などの変態になる場合があり、これらは文化依存の症候群である。
 人形病?が広く知られるようになったのはやはりミヒトネッセ(魔法使い)の影響が大きいだろう。

原罪

存在不能性

 彼らは自身を存在可能なものであると確信できない。
親子
 自身の存在不可能より彼らは自身を生み出した存在を神格化する傾向にあり、親孝行の延長線上にある文化として既に確立された。
矛盾
 親子(あるいは疑似親子)関係において、文化的に推奨されるのは”無”に徹することであり、それこそが神の有を際立たせるとされる。
 しかし、それは如何にも矛盾である。そも、彼らは無から逃れるためにここまで来たのだから。

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