おとぎ話における影 フォン・フランツ
＃１
ユング心理学では一般的に影を無意識的人格のある側面を人格化したものと定義している。それは、自我コンプレックスに組み込むことができるのだが、さまざまの理由で組み込まれていない側面である。したがって影とは、自我コンプレックスの暗い生きられていない抑圧された面だ、といってよい。しかしそれでは部分的にしか正しくないのである。ユングは、彼の諸概念にこだわりすぎる弟子たちに向かって、今までの定義をすべて放り出して、「こいつはすべてナンセンスだ！影とは要するに無意識全体のことなんだ」と言ったことがある。彼は、これらのことがどのようにして発見されたのか、個人がどのようにそれらを体験しているのかを忘れていると言い、つねに現在の患者の状態を考えることが必要なのだ、と指摘した。…こうして最初の段階では、影とは人の内側にあってその人の知らないすべてのもの、ということができる。影を研究すると、一般にそれが個人的な要素と集合的な要素から成り立っていることが分かる。実践的には、はじめて影に出会ったとき、それはさまざまな要素のかたまりにすぎないから、どれが個人的でどれが集合的なものかはっきりさせることは不可能である。
＃２
子どもには互いに調和しない正反対の可能性がある。成長するにつれて、普通はその間で選択がなされ、多かれ少なかれ一方の側画根を下ろすようになる。それからこれに加えて教育が、ついで習慣がくる。というのは、われわれはつねに一方の性質を選び、好んでそういう態度をとるのでそれが「第二の本性」となり、他方の性質が棚上げされるからである。しかし、それはまだ存在してはいる。この抑圧された性質は、もう一方の選ばれた性質とは相容れないために、認められることも受け入れられることもなく影になる。それなりの洞察や夢の助けをかりたりすることで、これらの要素を認知することは比較的やさしい。それが影を意識化するということである。普通、それで分析は終わりになる。しかしこれで目的に達したのではない。というのは、それからずっと難しい問題が起こり、殆どの人々が大変苦労するからである。つまり、影とは何であるかが分かっても、それを十分表現したり生活の中に統合することができない。当然のことながら、直接身近にいる人たちはその人が変わってしまうのを望まない。彼ら自身も再適応しなければならなくなるからである。家族はこれまでおとなしく羊のようだったメンバーが急に攻撃的になり、こちらの要求に対して「否
」と言えば、もっぱら激しい怒りを感ずることになる。それは多くの非難を招き、その人の自我にとっては愉快なことではない。そこで影の統合はうまくゆかず、問題全体がゆきづまってしまう。
＃３
自分の中にある好ましくない性質、長年の間抑圧しようとしてきたものを受容することは、大変勇気のいる仕事である。しかしその性質を受け入れなければ、それは陰で機能する。…しかし影を意識的に表現しようと決心したとき、大きな倫理的な問題が始まるのである。もし面倒な結果を引き起こしたくなければ、大変な配慮と気遣いがいる。…時がたてば人々は、これらの否定的な性質を自分の中に見出し、単に見るだけでなく表現することにも成功する。それはある種の理想や価値基準を放棄することを意味し、周囲の何物をも壊すまいとすれば十分な配慮や気遣いが必要である。
…夢の中には個人的とは思えないものも見出せるから、影は個人的なものと非個人的で集合的なものとから成り立っている、ということになる。
＃４
すべての文明、とくにキリスト教文明は、それ自身の影をもっている。これはありきたりの話である。しかし他の文明を調べてみると、それらがわれわれよりどんな点で優れているかが分かる。たとえばインドでは、一般に人々の精神的・哲学的態度はわれわれよりはるかに進んでいる。しかしその社会的行動はわれわれにとってショッキングなものである。ベンガルの街を歩くと、大勢の人々が明らかに餓死寸前であることが分かる。彼らは極限状態にいるのだがだれも目もくれない。それが彼らの「業（カルマ）」だからである。人々は自分自身の救済に意を用いなければならない。他人の面倒を見ることは、世俗的な関わりに巻き込まれることを意味するにすぎない。われわれヨーロッパ人にとっては、このような社会的態度は国全体をだめにする。なぜなら、人々が飢えて顧みられないのを見るのは胸の悪くなることだからである。このような状態をインド文明の影と呼びたい。彼らの外向性は標準以下で、その内向性は標準以上なのである。他の文明からみれば大変明らかな暗い面に、当の文明の明るい面は気づかないことがある、といえよう。（＊日本文明の影は？）
＃５
集合的な影は、人々が盲目的にお互いを支えあっているので特に悪質である―集合的な影の一面が露になるのは、戦争や他国民を憎悪するような場合だけであるが。…われわれの中にあるある種の性質は、小集団もしくは一人でいる場合には減少するが、大集団になると突然増大する。群集の中では光り輝いてむやみと大物になりたがる引っ込み思案で内向的な人に、このような補償的な現象が典型的に見出される。外交的な人はその逆である。内向的な人は、一人でいる時には野望もなく何も気づかないし、野心的な陰謀を企てることもない。真に自分自身であろうとし、自身の内向性に満足していると言う。しかし、いったん野心に満ちた外向的な人のいる群衆の中におかれると、たちまちその影響を受ける。それはたとえてみれば、何か安いものを買うために店に突進する一人の女性がいて、他の女性がみんな彼女を追いかけていき、家に帰ってから、「一体全体、どうしてこんなものを買ったのかしら？」と言うのと同じである。もし人が、集団の中にいる時だけ野心に捕らえられるとすれば、すれが集合的な影なのだということができよう。内的にはまったく問題がないのに、集団に入ると悪魔が放たれてすっかり混乱してしまう。それがナチの集会に行ったドイツ人に起こったことである。家で考えているときは反ナチであっても、集会に行くと何かが切りかわって、ある人が言ったごとく「まるで悪魔にとりつかれたように」なる。彼らは一時的に、個人的な影よりもむしろ集合的な影に捕らえられたのである。
＃５
集合的な影は、宗教的体系ではいまだに擬人化されて、悪魔もしくは悪霊に対する信仰となっている。そういう集会から戻った中世の人は、悪魔が彼を捕らえていて今再び自由になったのだ、と言うであろう。悪魔自身が、そのような集合的影の擬人化の好例である。他方、そのような集合的な悪霊がわれわれを捕らえるかぎり、われわれの中にもそのかけらがあるにちがいない、と言えると思う。さもなければ悪霊が乗りうつるはずがない。というのは、そうでなければわれわれの心がそこまで感応させられることはないだろうからである。個人的な影の部分部分が十分に統合されていないとき、集合的な影がそこからしのび込む。したがってわれわれは、これらの二つの面の存在していることを知っておかねばならない。というのは、さもないと人々に大変な面倒をかけるかもしれず、それは倫理的・実際的な問題だからである。
＃６
集団の中で乱暴にふるまう人がいる。周りのみんなが、彼が悪い、と分からせようとすると彼は打ちのめされてしまうし、客観的にもそれは正しくない。なぜなら、その一部は集団の影であるからだ。さもなければ罪悪感が大きくなりすぎる。人間がどれくらい影に耐えうるかについては、一種の内的な秘密の基準がある。影をみないのは不健康であるが、それを引き受けすぎるのも同様に不健康である。引き受けすぎると心理的に機能することができなくなる。良心のいたむかぎりはもっと引き受けるべきであるが、最も悪いことは、良心がどこにあるのかしばしば分からなくなることである。影を近くで見すぎると、それが曖昧になる―そしてそこから大変微妙な問題が生ずる。
＃７
集合的な影は、当然のことながらある意味でみんなの影の総計であり、内部的に集団をかき乱すことはなく、外部の集団の目にのみ明らかなものである。実際問題として、同じ興味を持つ三、四人の典型的な知識人を集めると、知的な話し合いですばらしい夜を過ごしたといい、それ以外の点ではお互いの関係の悪かったことに気づこうともしない。しかし彼らの中に放り込まれた農夫の少年は、ぞっとするような夜だったと言うだろう。みんなが同じ問題を持っているときは素晴らしい感じがある！多分すべてのヨーロッパ人が、自分では気づかない多くの特質を持っている。というのは、それがわれわれにとっては正常だからである。そういう偏った意識が個人にとって、かつ集団にとってまともなわけである。（＊心理以外の人は、臨床心理の集団の発想にとゾッとするだろう。染まるor染まらないは微妙で難しい問題）
ユング心理学では一般的に影を無意識的人格のある側面を人格化したものと定義している。それは、自我コンプレックスに組み込むことができるのだが、さまざまの理由で組み込まれていない側面である。したがって影とは、自我コンプレックスの暗い生きられていない抑圧された面だ、といってよい。しかしそれでは部分的にしか正しくないのである。ユングは、彼の諸概念にこだわりすぎる弟子たちに向かって、今までの定義をすべて放り出して、「こいつはすべてナンセンスだ！影とは要するに無意識全体のことなんだ」と言ったことがある。彼は、これらのことがどのようにして発見されたのか、個人がどのようにそれらを体験しているのかを忘れていると言い、つねに現在の患者の状態を考えることが必要なのだ、と指摘した。…こうして最初の段階では、影とは人の内側にあってその人の知らないすべてのもの、ということができる。影を研究すると、一般にそれが個人的な要素と集合的な要素から成り立っていることが分かる。実践的には、はじめて影に出会ったとき、それはさまざまな要素のかたまりにすぎないから、どれが個人的でどれが集合的なものかはっきりさせることは不可能である。
＃２
子どもには互いに調和しない正反対の可能性がある。成長するにつれて、普通はその間で選択がなされ、多かれ少なかれ一方の側画根を下ろすようになる。それからこれに加えて教育が、ついで習慣がくる。というのは、われわれはつねに一方の性質を選び、好んでそういう態度をとるのでそれが「第二の本性」となり、他方の性質が棚上げされるからである。しかし、それはまだ存在してはいる。この抑圧された性質は、もう一方の選ばれた性質とは相容れないために、認められることも受け入れられることもなく影になる。それなりの洞察や夢の助けをかりたりすることで、これらの要素を認知することは比較的やさしい。それが影を意識化するということである。普通、それで分析は終わりになる。しかしこれで目的に達したのではない。というのは、それからずっと難しい問題が起こり、殆どの人々が大変苦労するからである。つまり、影とは何であるかが分かっても、それを十分表現したり生活の中に統合することができない。当然のことながら、直接身近にいる人たちはその人が変わってしまうのを望まない。彼ら自身も再適応しなければならなくなるからである。家族はこれまでおとなしく羊のようだったメンバーが急に攻撃的になり、こちらの要求に対して「否
」と言えば、もっぱら激しい怒りを感ずることになる。それは多くの非難を招き、その人の自我にとっては愉快なことではない。そこで影の統合はうまくゆかず、問題全体がゆきづまってしまう。
＃３
自分の中にある好ましくない性質、長年の間抑圧しようとしてきたものを受容することは、大変勇気のいる仕事である。しかしその性質を受け入れなければ、それは陰で機能する。…しかし影を意識的に表現しようと決心したとき、大きな倫理的な問題が始まるのである。もし面倒な結果を引き起こしたくなければ、大変な配慮と気遣いがいる。…時がたてば人々は、これらの否定的な性質を自分の中に見出し、単に見るだけでなく表現することにも成功する。それはある種の理想や価値基準を放棄することを意味し、周囲の何物をも壊すまいとすれば十分な配慮や気遣いが必要である。
…夢の中には個人的とは思えないものも見出せるから、影は個人的なものと非個人的で集合的なものとから成り立っている、ということになる。
＃４
すべての文明、とくにキリスト教文明は、それ自身の影をもっている。これはありきたりの話である。しかし他の文明を調べてみると、それらがわれわれよりどんな点で優れているかが分かる。たとえばインドでは、一般に人々の精神的・哲学的態度はわれわれよりはるかに進んでいる。しかしその社会的行動はわれわれにとってショッキングなものである。ベンガルの街を歩くと、大勢の人々が明らかに餓死寸前であることが分かる。彼らは極限状態にいるのだがだれも目もくれない。それが彼らの「業（カルマ）」だからである。人々は自分自身の救済に意を用いなければならない。他人の面倒を見ることは、世俗的な関わりに巻き込まれることを意味するにすぎない。われわれヨーロッパ人にとっては、このような社会的態度は国全体をだめにする。なぜなら、人々が飢えて顧みられないのを見るのは胸の悪くなることだからである。このような状態をインド文明の影と呼びたい。彼らの外向性は標準以下で、その内向性は標準以上なのである。他の文明からみれば大変明らかな暗い面に、当の文明の明るい面は気づかないことがある、といえよう。（＊日本文明の影は？）
＃５
集合的な影は、人々が盲目的にお互いを支えあっているので特に悪質である―集合的な影の一面が露になるのは、戦争や他国民を憎悪するような場合だけであるが。…われわれの中にあるある種の性質は、小集団もしくは一人でいる場合には減少するが、大集団になると突然増大する。群集の中では光り輝いてむやみと大物になりたがる引っ込み思案で内向的な人に、このような補償的な現象が典型的に見出される。外交的な人はその逆である。内向的な人は、一人でいる時には野望もなく何も気づかないし、野心的な陰謀を企てることもない。真に自分自身であろうとし、自身の内向性に満足していると言う。しかし、いったん野心に満ちた外向的な人のいる群衆の中におかれると、たちまちその影響を受ける。それはたとえてみれば、何か安いものを買うために店に突進する一人の女性がいて、他の女性がみんな彼女を追いかけていき、家に帰ってから、「一体全体、どうしてこんなものを買ったのかしら？」と言うのと同じである。もし人が、集団の中にいる時だけ野心に捕らえられるとすれば、すれが集合的な影なのだということができよう。内的にはまったく問題がないのに、集団に入ると悪魔が放たれてすっかり混乱してしまう。それがナチの集会に行ったドイツ人に起こったことである。家で考えているときは反ナチであっても、集会に行くと何かが切りかわって、ある人が言ったごとく「まるで悪魔にとりつかれたように」なる。彼らは一時的に、個人的な影よりもむしろ集合的な影に捕らえられたのである。
＃５
集合的な影は、宗教的体系ではいまだに擬人化されて、悪魔もしくは悪霊に対する信仰となっている。そういう集会から戻った中世の人は、悪魔が彼を捕らえていて今再び自由になったのだ、と言うであろう。悪魔自身が、そのような集合的影の擬人化の好例である。他方、そのような集合的な悪霊がわれわれを捕らえるかぎり、われわれの中にもそのかけらがあるにちがいない、と言えると思う。さもなければ悪霊が乗りうつるはずがない。というのは、そうでなければわれわれの心がそこまで感応させられることはないだろうからである。個人的な影の部分部分が十分に統合されていないとき、集合的な影がそこからしのび込む。したがってわれわれは、これらの二つの面の存在していることを知っておかねばならない。というのは、さもないと人々に大変な面倒をかけるかもしれず、それは倫理的・実際的な問題だからである。
＃６
集団の中で乱暴にふるまう人がいる。周りのみんなが、彼が悪い、と分からせようとすると彼は打ちのめされてしまうし、客観的にもそれは正しくない。なぜなら、その一部は集団の影であるからだ。さもなければ罪悪感が大きくなりすぎる。人間がどれくらい影に耐えうるかについては、一種の内的な秘密の基準がある。影をみないのは不健康であるが、それを引き受けすぎるのも同様に不健康である。引き受けすぎると心理的に機能することができなくなる。良心のいたむかぎりはもっと引き受けるべきであるが、最も悪いことは、良心がどこにあるのかしばしば分からなくなることである。影を近くで見すぎると、それが曖昧になる―そしてそこから大変微妙な問題が生ずる。
＃７
集合的な影は、当然のことながらある意味でみんなの影の総計であり、内部的に集団をかき乱すことはなく、外部の集団の目にのみ明らかなものである。実際問題として、同じ興味を持つ三、四人の典型的な知識人を集めると、知的な話し合いですばらしい夜を過ごしたといい、それ以外の点ではお互いの関係の悪かったことに気づこうともしない。しかし彼らの中に放り込まれた農夫の少年は、ぞっとするような夜だったと言うだろう。みんなが同じ問題を持っているときは素晴らしい感じがある！多分すべてのヨーロッパ人が、自分では気づかない多くの特質を持っている。というのは、それがわれわれにとっては正常だからである。そういう偏った意識が個人にとって、かつ集団にとってまともなわけである。（＊心理以外の人は、臨床心理の集団の発想にとゾッとするだろう。染まるor染まらないは微妙で難しい問題）
2005年08月03日(水) 15:12:16 Modified by gedo5