ユングとキリスト教 湯浅泰雄
＃１
精神医学者として著名なユングはすぐれた思想家でもあった。中心的課題を西洋精神の本質の追求におく彼は手懸りをキリスト教精神史に求め、原始キリスト教の成立過程、グノーシス主義の影響等を深層心理学的見地から再検討し、従来看過されてきた重大な問題点を見出した。ユングの思索を追うことにより、キリスト教における正統信仰確立過程で切り捨てられてきた影の領域の復権を迫る意欲的論考。
＃２
宗教改革以来、あらゆる現代人は、ローマ時代以来慎重に築きあげられてきた教会という防御壁を広範囲にわたって失っており、その結果、世界の破壊の根源である灼熱地帯へ一歩ずつ近づいています。
―ユング『心理学と宗教』
＃３
「正統信仰の理念が確立して以後、西洋の精神史は正統的表面流れと異端的低層流に分かれてゆく。従来われわれが西洋精神史について教えられてきたのは、正統信仰の系譜を中心としたその表面流である。これに対して、ユングが注目しているのはその陰にかくれた低層流である。彼が重視したグノーシス主義や錬金術の流れは、従来の精神史研究では異端的思想としてほとんど無視されてきた。彼はそういう影の精神史を発掘することによって、西洋精神史の全体像を再構成する必要を説くのである。」
＃４
グノーシス主義によって発せられた「悪はいずこより来るか」という古い問いは、キリスト教世界では答えられていない。
―ユング『自伝』
＃５
グノーシス主義とは、紀元２世紀を中心に、紀元１世紀から３世紀にわたる約３００年間、初期キリスト教界内部で起こった異端運動であると定義される。この見方は近年の研究によって訂正されるに至る。まず、従来の見方を一通り説明する。まず、東寺の思想的状況から言う。この時代のキリスト教はまだローマ帝国から公認されず、非合法宗教として地下活動の状態にあった。教義面でも制度面でも、明確な統一的組織体系はまだ確立してない。一般的の哲学史では、この時代はヘレニズムとか古典哲学後期と呼ばれている。ローマの知識階級の思想としては、ストア哲学や新プラトン主義の傾向が支配的だった。キリスト教はこの時代、しばしば弾圧を受けながらローマの下層階級の間から次第に広まっていった。当時の教会の指導者たちは教父と呼ばれる人たちだった。彼らは知識階級の思想であるギリシア哲学と対抗して、その思想を取り入れながら、素朴なキリスト教の教説を理論化し、それを知識人の批判にたえる哲学的教義にまで作り上げた。これがいわゆる教父哲学である。グノーシス主義は、このような状況の下で、キリスト教界内部に発生した最大の分派的異端思想であると見なされてきたのである。…グノーシス主義では、正統キリスト教の考え方にくらべて極端に霊的世界を重視し、現世の価値をすべて否定しようとするいわゆる「反現世的二元論」の傾向がみられる。これはプラトン主義の考え方に近づきすぎたためであろう、と解釈されてきたのである。
＃６
けれどもグノーシス主義は、初期キリスト教にとって単なる異端として片付けることのできない問題を含んでいる。…グノーシス思想の含む問題点を十分に明らかにしなくては、初期キリスト教の本質は明らかにならないとさえ考えられるのである。…要するにグノーシス主義は、原始キリスト教時代からアウグスチヌスによる古代キリスト教神学の完成に至るまで、キリスト教思想の周辺にあって強い影響を及ぼし続けた思想の流れである。のみならずこの思想の流れは、精神史の表面から姿を消した後も民衆信仰の底辺に形をかえて頑強に生き延び、錬金術の信仰を復活することによって、中世から近世に至る精神史の転換に当たって大きな役割を演じたともいえるのである。従ってその思想について検討することは、西洋精神史を再検討するというわれわれの課題にとって重大な意義をもっている。
精神医学者として著名なユングはすぐれた思想家でもあった。中心的課題を西洋精神の本質の追求におく彼は手懸りをキリスト教精神史に求め、原始キリスト教の成立過程、グノーシス主義の影響等を深層心理学的見地から再検討し、従来看過されてきた重大な問題点を見出した。ユングの思索を追うことにより、キリスト教における正統信仰確立過程で切り捨てられてきた影の領域の復権を迫る意欲的論考。
＃２
宗教改革以来、あらゆる現代人は、ローマ時代以来慎重に築きあげられてきた教会という防御壁を広範囲にわたって失っており、その結果、世界の破壊の根源である灼熱地帯へ一歩ずつ近づいています。
―ユング『心理学と宗教』
＃３
「正統信仰の理念が確立して以後、西洋の精神史は正統的表面流れと異端的低層流に分かれてゆく。従来われわれが西洋精神史について教えられてきたのは、正統信仰の系譜を中心としたその表面流である。これに対して、ユングが注目しているのはその陰にかくれた低層流である。彼が重視したグノーシス主義や錬金術の流れは、従来の精神史研究では異端的思想としてほとんど無視されてきた。彼はそういう影の精神史を発掘することによって、西洋精神史の全体像を再構成する必要を説くのである。」
＃４
グノーシス主義によって発せられた「悪はいずこより来るか」という古い問いは、キリスト教世界では答えられていない。
―ユング『自伝』
＃５
グノーシス主義とは、紀元２世紀を中心に、紀元１世紀から３世紀にわたる約３００年間、初期キリスト教界内部で起こった異端運動であると定義される。この見方は近年の研究によって訂正されるに至る。まず、従来の見方を一通り説明する。まず、東寺の思想的状況から言う。この時代のキリスト教はまだローマ帝国から公認されず、非合法宗教として地下活動の状態にあった。教義面でも制度面でも、明確な統一的組織体系はまだ確立してない。一般的の哲学史では、この時代はヘレニズムとか古典哲学後期と呼ばれている。ローマの知識階級の思想としては、ストア哲学や新プラトン主義の傾向が支配的だった。キリスト教はこの時代、しばしば弾圧を受けながらローマの下層階級の間から次第に広まっていった。当時の教会の指導者たちは教父と呼ばれる人たちだった。彼らは知識階級の思想であるギリシア哲学と対抗して、その思想を取り入れながら、素朴なキリスト教の教説を理論化し、それを知識人の批判にたえる哲学的教義にまで作り上げた。これがいわゆる教父哲学である。グノーシス主義は、このような状況の下で、キリスト教界内部に発生した最大の分派的異端思想であると見なされてきたのである。…グノーシス主義では、正統キリスト教の考え方にくらべて極端に霊的世界を重視し、現世の価値をすべて否定しようとするいわゆる「反現世的二元論」の傾向がみられる。これはプラトン主義の考え方に近づきすぎたためであろう、と解釈されてきたのである。
＃６
けれどもグノーシス主義は、初期キリスト教にとって単なる異端として片付けることのできない問題を含んでいる。…グノーシス思想の含む問題点を十分に明らかにしなくては、初期キリスト教の本質は明らかにならないとさえ考えられるのである。…要するにグノーシス主義は、原始キリスト教時代からアウグスチヌスによる古代キリスト教神学の完成に至るまで、キリスト教思想の周辺にあって強い影響を及ぼし続けた思想の流れである。のみならずこの思想の流れは、精神史の表面から姿を消した後も民衆信仰の底辺に形をかえて頑強に生き延び、錬金術の信仰を復活することによって、中世から近世に至る精神史の転換に当たって大きな役割を演じたともいえるのである。従ってその思想について検討することは、西洋精神史を再検討するというわれわれの課題にとって重大な意義をもっている。
2005年07月29日(金) 16:51:09 Modified by gedo5