心理療法の光と影 グッゲンビュール
＃１
精神療法家の仕事の１つは、不幸で病んでいる人とか、自らの進む道が分からなくなっている人に対する、非常に特殊な（専門家された）直接的な助力行為である。しかし、この助力者たちの助力しようという意志によってなされる行為が、大きな禍いを引き起こしている。助力することをその使命とする職業は破壊性を所持しているのだ。端的に言えば、精神療法家のもっている力の問題だ。
＃２
他人を助力することを使命としている職業にあるわれわれは、決して終わりまで悪から解き放たれることはないであろう。しかし私たちはいかに悪と関わりあうかという術を学ぶことはできるのである。
＃３
破壊の欲求は若者に非常にはっきりと直接的に現れてくる。精神や文化の破壊（ヴァンダリズム）に傾く傾向があり、財産を破壊し、生命を危険にさらすことを愛する。破壊的行動のいくばくかは、政治的な動機や社会的な動機から合理化されることもある。それ故、人間のもつ破壊的な欲求の心理学的な背景を研究するためには、青年期の心理の研究が役に立つ。彼らは、他人だけでなく、自分自身の生命や財産をも故意に破壊しようとすることが注目される。無謀な行為が多い。危険に心引かれるのだ。…さて、この破壊性の背後には何が存在しているのか。どのようにすればこの破壊性を説明でするのか。説明は全く様々だ。たとえばマルクス主義者たちは人間―と若者たち―のは快適な振る舞いを階級闘争と圧制と搾取の結果だと理解している。階級闘争は憎しみの雰囲気をつくり、これが破壊的な行動になる。…ローレンツも『いわゆる悪について』の中で人間の破壊的行動を取り扱う。彼は破壊性という不安な現象を、動物学の概念で説明した。彼によれば、攻撃性というのは個体や種族が生き延びるために、必要不可欠な基本的な本能の一つである。危険な動物たち、例えば猛獣では同種族のものに対する攻撃性は、ある種の制止や抑制と結びついているものだ。人間というのは道具をもう以前には、おとなしい動物だったので、抑制は必要のないものだった。道具の発明とともに人類はお互い同士殺し合いをすることができるようになってしまったのだ。要するに、ローレンツによれば、破壊性というのは結局のところ一つの本能なのであり、それは人類が発達してきた間に、人類のおかれた環境が変化したことによって、危険なものになってきたものなのである。
＃４
ユングのいわゆる「影」には、お互いに密接な関係のある３つの異なった心理学的な構造が見られる。一つ目は個人的な影である。これはある観点から言えば、フロイトの言う無意識に一致する。それは個人の生活史の中で、個人的な理由から抑圧されなければならなかったイメージであるとか、ファンタジーとか欲動とか体験などである。個人的な影はいわゆる普遍的な影と非常に密接な関係がある。ある特定の普遍性の中では、普遍的な影は個人的な影と全く同じものである。すなわち、個々の人に見られる普遍的な影は、その人が属している文化圏では受け入れられないあらゆるものを含んでいる。影というのは普遍的な理想がもう、もう一つの暗い一面なのである。１９世紀のヨーロッパの一般的な理想というのは、キリスト教と自由主義の混合物だった。愛とか進歩とか、清潔さとか友情の厚さとか、冷静さとか、貞節なこととか、その他の色々なことが普遍的な価値を有していた。それ故、この時代の普遍的な影には、憎しみとかデュオにソス的な陶酔とか熱狂的になる傾向とか、それ自体が目的となっている性とか、楽しみといったようないろいろなことが含まれていた。ヴィクトリア女王時代という禁欲的な時代の普遍的な影は、その当時に咲き乱れたポルノグラフィックな文学の中に現れているのだ。普遍的な影を知るには、ユダヤ人の迫害の歴史とか、場所裁判とかの現象を研究するのが有意義な方法だ。個人的な影は自我の理想には破壊的に働きかける。普遍的影は普通的理想をひきずりおとそうとする。個人的なものであれ、普遍的なものであれ、理想というのは、欺瞞的であり一面的なものである。だからこの影は両方とも非常に価値のある作用を持っている。
＃５
これらの２つの影（＃４）と結びついて、その影にエネルギーを与えてはいるが、それにもかかわらず、その２つの影とは違ったものだというのがいわゆる元型的な影である。ここでは影という言葉は実際的には間違っている。影というのはそのイメージからすれば何かしら二次的なものである。光があればこそ影が存在するのである。個人的影も普遍的な影も本質的には何ら独立したものではない。それに反して、元型的な影では事情が異なる。この影に対応する最もよい言葉は「悪」である。ユングは「悪」をそれ自体独立した何物かであると理解していたのでり、「善の欠如」つまり善なることが存在していないこと、それが悪であるというようには理解していいないのである。ユングの意味では、悪は「私たち自身の中にある殺人者であり、自らを殺すことである」というように理解されるのである。この元型的な影は人間が生まれながらにもっている行動の様式であり、それがつまり元型なのである。元型的な影は物語の中では悪魔という象徴で表されたり、あるいは、錬金術師たちによって黒い太陽として現されたりしたのである。宗教的な物語に出てくる恐ろしい女神たちや神々、シヴァやロキやベールゼブブなどはこの元型的な影の象徴である。悪魔のイメージは、部分的にこの元型的な影の象徴なのである。それゆえ、悪魔と若者が登場してくるおとぎ話や神話を見つけ出すことは意味のあることで、たとえばグリム兄弟のおとぎ話の中の『金色の髪の悪魔』の中ではこれがぴったりあてはまる。
＃６
青年というのは子どもから大人への移行の時期にある。子供の年代から大人の年代に移行しつつある青年は、努力して自由を獲得するためにも、あるいは破壊の可能性を体験するためにも、悪魔や破壊的なものと関わりあいを持たなくてはならないのである。ある観点からすると、私は今、元型的な影というものの存在を了解可能なものにしようとしているのであり、そうすることによって元型的な影をいくらかでも無害なものにしようとしているのである。…多くの未開民族の通過儀礼の場合に、若者が破壊的なことを行ななくてはならないというのは、多分単なる偶然なのではない。それは彼自身を極めて大きな危険にさらすということであり、敵を殺したり、殺した敵の頭を持って帰るとか、である。さて若者が行動するときには、何故そんなにも自己破壊的であり、自己破滅的でありゆるのかということは、私たちにはさほど驚くべきことではなくなった。若者たちは悪魔と勝負しなくてはならないが、決して悪魔と同一化してはならない。若者の自我はある程度、悪魔から離れていなくてはならないし、何がどうなっているのかを知らなくてはならないのである。そして、実際に健康な若者が他の財産を破壊したり盗んだり、あるいはそのような破壊的な行為に参加したりしている時も、通常彼らはごく一時的な実験をやっているだけなのだということを知っている。彼らはその行為が確かに面白いものではあるが、本質的に「悪いことである」ことをしっているのである。
＃７
すべての青年が破壊的な振る舞いをするわけではない。すべての若者は悪魔、すなわち「悪」とか、破壊的なことと関わりをもたなくてはならないのだが、それを行なうにはいろいろな方法が存在している。悪を直接実行してしまうことは、その沢山ある内の一つの道でしかない。それ以外の道の一つは、空想したり、あるいは他の人のファンタジーに自分自身を同一化することである。シラーは青年の時に『群盗』を書いたし、ゲーテは『若きウェルテルの悩み』を書くことでその自殺の欲求から脱したのである。文学は、読者が同一化することができたり、自分のもつ暗い側面と接触することを手助けしてくれる、暗い登場人物に満ち満ちている。映画やテレビや演劇のおかげで、若者たちは、危険なことと同一化することによって、悪魔から黄金の髪の毛の幾本かを盗んでくるという、数多くの可能性を手に入れているのである。
＃８ 『金色の髪の悪魔』
この物語の主人公は、王女様と結婚するために悪魔の頭から三本の髪の毛を引き抜いて持ち帰ってこなくてはならない。これは他のおとぎ話や神話にもみられるミトローゲム（神話素）なのである。王女様との結婚は、若い男が全体性に向かって発達することとか、内的にも芸的にも女性的なものと合一することに向かって発達することを象徴しているのである。しかし、このことができるようになるには、彼は悪魔との関係を持たなくてはならない。彼は悪魔に個人的に接触しなくてはならない。興味深いことには、悪魔は金色の髪をしている。金というのは光の象徴なのであり意識の象徴なのである。金色の髪の悪魔には太陽の髪との親近性がある。だから彼はルシファー神、「光を担っているもの」としても現わされるのである。ルシファーは堕落する前には、神に仕える天使の群れの中では一番光り輝く天使のうちの１人だったのである。それ故、全体性への心理学的な発達は、悪それ自体を意識することによって、つまり悪され自体と関係を持つことによってしか、可能にはならないのだということを、このおとぎ話は言おうとしているように見える。あるいは別な言い方をするならば、若い男というものは元型的な影と接触することがなければ、それ以上発達することはない、ということになる。興味深いことには、悪魔というものは、それ自体悪であるものを象徴しているにもかかわらず、なおかつ神に仕える僕（しもべ）としても理解される。
＃９
神話学は、私たちがそれに対して合理的には答えることのできない、心理学的な、哲学的な、そして宗教的な問題に答えを与えようとするのである。説明できないものとか、神秘的なものとかは神話的な象徴の中に現れるのである。若者たちがもっと発達していくためには、何故元型的な影と関係を結ばなくてはならないのか、ということを合理的な心理学的な手段で説明することは、たとえ不可能ではないとしても実際、非常に困難なことである。それでもなおこの問題に立ち入ろうとするならば、自分たちの限界を十分に意識していなくてはならない。
＃１０
破壊的なファンタジーというものは青年にとって非常に大きな役割を演じているし、自殺したいという考えや、人を殺したいというファンタジーは、若者には非常にしばしば見出されるものである。青年たちは白昼夢の中では、しばしばものすごく破壊的なことを行なう。またある若者たちは哲学することによって、悪魔と接触することもあるし、あるいは宗教的なイメージによって悪魔と接触することもある。しかしながら、ある若者たちは悪魔から幾本かの髪の毛を引き抜いてくるという試みを行なう間に、悲劇的に挫折してしまうのである。破壊的なこととか、悪いというものは、それ自体はあらゆる人間にとって、何か非常に恐ろしい、そして何か耐え難いものなのである。それをなんとか会得して、そしてわきに押しやってしまいたいと、皆思っている。それ故、青年が悪と対決する年齢に達すると、多くの青年は元型的な影を他者に投影してしまおうとする現象がみられる。そこで、大人とか両親とか老人などが悪として、あるいは破壊的なものとして体験されることになる。しかし、いくらか時がたてば、健康な青年というものはこのような投影をしなくなるものである。
＃１１
ところで、破壊的で憎悪に満ち満ちているように見える環境の中で大きくなった青年というものももちろん存在する。そんな若者は、それまでの生活から非常に沢山の破壊的なことを体験しなくてはならなかったに相違ない。そんな彼が青年になって破壊的なことと関わりをもつようになると、破壊的なことを自分の環境へ、あるいは少なくとも環境の一部へと投影することによって、その破壊的なことを簡単に片付けてしまうことがあるというのは、もちろん自明のことである。破壊的なことというのは、今や彼にとっては人間の心の中の統合されなくてはならない部分ではなくて、ただその環境とか、ある特定の仲間の人間とか、社会的な構造を特徴づけているものになるのである。破壊的なものはただ環境の中にだけ見出される。この投影は、それから先のどんな心的発達をも阻害してしまい、社会的な統合を極めて困難なものにしてしまう。何か具合の悪いことが起これば、そのつどいつも、環境が悪いせいだと判断されることになるのである。善意のある他者の行為でも、それを悪意ある態度の表現だとみなすようになる。外界に対してや、自分自身に対して彼が行なう破壊的な行動も、環境が悪いということのせいにされる。
＃１２
もしこのような青年がむしろ内向的であって、自分の持っている葛藤を部分的に空想の中で、内的に解決することができるのであれば、たとえば彼が人を不愉快にさせたり、狡猾であったとしても、社会的にはなんとかうまくやっていくことができるかもしれない。しかし、多くの場合このような青年たちは、自分自身の内的生活を非常に刺激してくれて、空想や象徴を使って自分のもつ問題と対決していくというやり方を教えてくれるような環境の中で育つ幸運を有していないのである。それでこのような青年たちは、彼ら自身の内面におこることを、すべて実際に実行してしまうという傾向をしばしば持つようになる。そして私たちの目の前には、人には無視されているし、反社会的で、あるいは犯罪を犯してしまうかもしれないような、そういった典型的な青年が存在するということになる。それで彼の破壊的な行為というのは、ただ外見上、たまたま破壊的なことに関わりを持つだけの青年が示す破壊的な行為と似てはいるのだけれど、内的にはこの青年たちと全く違うように思えるのである。悪魔と関わりを持つこと、即ち破壊的なことと関わりをもつことは、彼にとっては悲劇であり、それ自体が悪魔の化身であると見られている彼の環境に、ドン・キホーテのような闘いを挑むことになるのである。この種の反社会的な人たちは非常にしばしば、若いときもそれ以後の人生でも、専門家たちによって不当にも、精神病質者であるとか、生まれながらにして性格的な欠陥をもった人間であるとかよばれることがある。ちなみに、１人の大人として彼らがどうにかこうにか家庭を築くことができたとしても、そのような若者はその子どもたちに、独特な反社会的な物の見方を教えていくことがあるものであり、その反社会的な見方は子どもたちの投影を活発化していくだろうし、子どもたちが破壊的なことを自分自身の問題としてなんとか処理していくことを難しいものにすることであろう。子どもの時にすでに悪という現象に深い印象を受けた人のみ、大人になった時、そのような致命的な罠にとらわれてしまうのである。彼らは悪に対する闘いを決して放り出しはしない。しかし彼らは破壊的なことというのは結局は内的な問題なのであり、この内的な問題を外界に投影することは、再三再四、新たな苦しみと哀しみをつくりだすだけなのだということをみようとはしないので、この闘いを意味のない闘いとしてしまうのである。
＃１３
慢性的に見捨てられて堕落している状態というのは極めて悲劇的である。というのはある程度心理学的に分化した人でないと、そのような堕落には陥らないものであるからである。無頓着で鈍感な人は、たとえ自分を拒絶していたり、破壊的な環境で育ったとしても、そんな風には反応しないのである。またそんな人にとっては、悪とか破壊的なことという現象は少しも大きな悩みをひきおこしたりはしない。若いときには、彼らは全く表面的に悪に触れるだけであるし、それから先になると、まさしく、鈍感にただ生きているだけという生活を送る。
精神療法家の仕事の１つは、不幸で病んでいる人とか、自らの進む道が分からなくなっている人に対する、非常に特殊な（専門家された）直接的な助力行為である。しかし、この助力者たちの助力しようという意志によってなされる行為が、大きな禍いを引き起こしている。助力することをその使命とする職業は破壊性を所持しているのだ。端的に言えば、精神療法家のもっている力の問題だ。
＃２
他人を助力することを使命としている職業にあるわれわれは、決して終わりまで悪から解き放たれることはないであろう。しかし私たちはいかに悪と関わりあうかという術を学ぶことはできるのである。
＃３
破壊の欲求は若者に非常にはっきりと直接的に現れてくる。精神や文化の破壊（ヴァンダリズム）に傾く傾向があり、財産を破壊し、生命を危険にさらすことを愛する。破壊的行動のいくばくかは、政治的な動機や社会的な動機から合理化されることもある。それ故、人間のもつ破壊的な欲求の心理学的な背景を研究するためには、青年期の心理の研究が役に立つ。彼らは、他人だけでなく、自分自身の生命や財産をも故意に破壊しようとすることが注目される。無謀な行為が多い。危険に心引かれるのだ。…さて、この破壊性の背後には何が存在しているのか。どのようにすればこの破壊性を説明でするのか。説明は全く様々だ。たとえばマルクス主義者たちは人間―と若者たち―のは快適な振る舞いを階級闘争と圧制と搾取の結果だと理解している。階級闘争は憎しみの雰囲気をつくり、これが破壊的な行動になる。…ローレンツも『いわゆる悪について』の中で人間の破壊的行動を取り扱う。彼は破壊性という不安な現象を、動物学の概念で説明した。彼によれば、攻撃性というのは個体や種族が生き延びるために、必要不可欠な基本的な本能の一つである。危険な動物たち、例えば猛獣では同種族のものに対する攻撃性は、ある種の制止や抑制と結びついているものだ。人間というのは道具をもう以前には、おとなしい動物だったので、抑制は必要のないものだった。道具の発明とともに人類はお互い同士殺し合いをすることができるようになってしまったのだ。要するに、ローレンツによれば、破壊性というのは結局のところ一つの本能なのであり、それは人類が発達してきた間に、人類のおかれた環境が変化したことによって、危険なものになってきたものなのである。
＃４
ユングのいわゆる「影」には、お互いに密接な関係のある３つの異なった心理学的な構造が見られる。一つ目は個人的な影である。これはある観点から言えば、フロイトの言う無意識に一致する。それは個人の生活史の中で、個人的な理由から抑圧されなければならなかったイメージであるとか、ファンタジーとか欲動とか体験などである。個人的な影はいわゆる普遍的な影と非常に密接な関係がある。ある特定の普遍性の中では、普遍的な影は個人的な影と全く同じものである。すなわち、個々の人に見られる普遍的な影は、その人が属している文化圏では受け入れられないあらゆるものを含んでいる。影というのは普遍的な理想がもう、もう一つの暗い一面なのである。１９世紀のヨーロッパの一般的な理想というのは、キリスト教と自由主義の混合物だった。愛とか進歩とか、清潔さとか友情の厚さとか、冷静さとか、貞節なこととか、その他の色々なことが普遍的な価値を有していた。それ故、この時代の普遍的な影には、憎しみとかデュオにソス的な陶酔とか熱狂的になる傾向とか、それ自体が目的となっている性とか、楽しみといったようないろいろなことが含まれていた。ヴィクトリア女王時代という禁欲的な時代の普遍的な影は、その当時に咲き乱れたポルノグラフィックな文学の中に現れているのだ。普遍的な影を知るには、ユダヤ人の迫害の歴史とか、場所裁判とかの現象を研究するのが有意義な方法だ。個人的な影は自我の理想には破壊的に働きかける。普遍的影は普通的理想をひきずりおとそうとする。個人的なものであれ、普遍的なものであれ、理想というのは、欺瞞的であり一面的なものである。だからこの影は両方とも非常に価値のある作用を持っている。
＃５
これらの２つの影（＃４）と結びついて、その影にエネルギーを与えてはいるが、それにもかかわらず、その２つの影とは違ったものだというのがいわゆる元型的な影である。ここでは影という言葉は実際的には間違っている。影というのはそのイメージからすれば何かしら二次的なものである。光があればこそ影が存在するのである。個人的影も普遍的な影も本質的には何ら独立したものではない。それに反して、元型的な影では事情が異なる。この影に対応する最もよい言葉は「悪」である。ユングは「悪」をそれ自体独立した何物かであると理解していたのでり、「善の欠如」つまり善なることが存在していないこと、それが悪であるというようには理解していいないのである。ユングの意味では、悪は「私たち自身の中にある殺人者であり、自らを殺すことである」というように理解されるのである。この元型的な影は人間が生まれながらにもっている行動の様式であり、それがつまり元型なのである。元型的な影は物語の中では悪魔という象徴で表されたり、あるいは、錬金術師たちによって黒い太陽として現されたりしたのである。宗教的な物語に出てくる恐ろしい女神たちや神々、シヴァやロキやベールゼブブなどはこの元型的な影の象徴である。悪魔のイメージは、部分的にこの元型的な影の象徴なのである。それゆえ、悪魔と若者が登場してくるおとぎ話や神話を見つけ出すことは意味のあることで、たとえばグリム兄弟のおとぎ話の中の『金色の髪の悪魔』の中ではこれがぴったりあてはまる。
＃６
青年というのは子どもから大人への移行の時期にある。子供の年代から大人の年代に移行しつつある青年は、努力して自由を獲得するためにも、あるいは破壊の可能性を体験するためにも、悪魔や破壊的なものと関わりあいを持たなくてはならないのである。ある観点からすると、私は今、元型的な影というものの存在を了解可能なものにしようとしているのであり、そうすることによって元型的な影をいくらかでも無害なものにしようとしているのである。…多くの未開民族の通過儀礼の場合に、若者が破壊的なことを行ななくてはならないというのは、多分単なる偶然なのではない。それは彼自身を極めて大きな危険にさらすということであり、敵を殺したり、殺した敵の頭を持って帰るとか、である。さて若者が行動するときには、何故そんなにも自己破壊的であり、自己破滅的でありゆるのかということは、私たちにはさほど驚くべきことではなくなった。若者たちは悪魔と勝負しなくてはならないが、決して悪魔と同一化してはならない。若者の自我はある程度、悪魔から離れていなくてはならないし、何がどうなっているのかを知らなくてはならないのである。そして、実際に健康な若者が他の財産を破壊したり盗んだり、あるいはそのような破壊的な行為に参加したりしている時も、通常彼らはごく一時的な実験をやっているだけなのだということを知っている。彼らはその行為が確かに面白いものではあるが、本質的に「悪いことである」ことをしっているのである。
＃７
すべての青年が破壊的な振る舞いをするわけではない。すべての若者は悪魔、すなわち「悪」とか、破壊的なことと関わりをもたなくてはならないのだが、それを行なうにはいろいろな方法が存在している。悪を直接実行してしまうことは、その沢山ある内の一つの道でしかない。それ以外の道の一つは、空想したり、あるいは他の人のファンタジーに自分自身を同一化することである。シラーは青年の時に『群盗』を書いたし、ゲーテは『若きウェルテルの悩み』を書くことでその自殺の欲求から脱したのである。文学は、読者が同一化することができたり、自分のもつ暗い側面と接触することを手助けしてくれる、暗い登場人物に満ち満ちている。映画やテレビや演劇のおかげで、若者たちは、危険なことと同一化することによって、悪魔から黄金の髪の毛の幾本かを盗んでくるという、数多くの可能性を手に入れているのである。
＃８ 『金色の髪の悪魔』
この物語の主人公は、王女様と結婚するために悪魔の頭から三本の髪の毛を引き抜いて持ち帰ってこなくてはならない。これは他のおとぎ話や神話にもみられるミトローゲム（神話素）なのである。王女様との結婚は、若い男が全体性に向かって発達することとか、内的にも芸的にも女性的なものと合一することに向かって発達することを象徴しているのである。しかし、このことができるようになるには、彼は悪魔との関係を持たなくてはならない。彼は悪魔に個人的に接触しなくてはならない。興味深いことには、悪魔は金色の髪をしている。金というのは光の象徴なのであり意識の象徴なのである。金色の髪の悪魔には太陽の髪との親近性がある。だから彼はルシファー神、「光を担っているもの」としても現わされるのである。ルシファーは堕落する前には、神に仕える天使の群れの中では一番光り輝く天使のうちの１人だったのである。それ故、全体性への心理学的な発達は、悪それ自体を意識することによって、つまり悪され自体と関係を持つことによってしか、可能にはならないのだということを、このおとぎ話は言おうとしているように見える。あるいは別な言い方をするならば、若い男というものは元型的な影と接触することがなければ、それ以上発達することはない、ということになる。興味深いことには、悪魔というものは、それ自体悪であるものを象徴しているにもかかわらず、なおかつ神に仕える僕（しもべ）としても理解される。
＃９
神話学は、私たちがそれに対して合理的には答えることのできない、心理学的な、哲学的な、そして宗教的な問題に答えを与えようとするのである。説明できないものとか、神秘的なものとかは神話的な象徴の中に現れるのである。若者たちがもっと発達していくためには、何故元型的な影と関係を結ばなくてはならないのか、ということを合理的な心理学的な手段で説明することは、たとえ不可能ではないとしても実際、非常に困難なことである。それでもなおこの問題に立ち入ろうとするならば、自分たちの限界を十分に意識していなくてはならない。
＃１０
破壊的なファンタジーというものは青年にとって非常に大きな役割を演じているし、自殺したいという考えや、人を殺したいというファンタジーは、若者には非常にしばしば見出されるものである。青年たちは白昼夢の中では、しばしばものすごく破壊的なことを行なう。またある若者たちは哲学することによって、悪魔と接触することもあるし、あるいは宗教的なイメージによって悪魔と接触することもある。しかしながら、ある若者たちは悪魔から幾本かの髪の毛を引き抜いてくるという試みを行なう間に、悲劇的に挫折してしまうのである。破壊的なこととか、悪いというものは、それ自体はあらゆる人間にとって、何か非常に恐ろしい、そして何か耐え難いものなのである。それをなんとか会得して、そしてわきに押しやってしまいたいと、皆思っている。それ故、青年が悪と対決する年齢に達すると、多くの青年は元型的な影を他者に投影してしまおうとする現象がみられる。そこで、大人とか両親とか老人などが悪として、あるいは破壊的なものとして体験されることになる。しかし、いくらか時がたてば、健康な青年というものはこのような投影をしなくなるものである。
＃１１
ところで、破壊的で憎悪に満ち満ちているように見える環境の中で大きくなった青年というものももちろん存在する。そんな若者は、それまでの生活から非常に沢山の破壊的なことを体験しなくてはならなかったに相違ない。そんな彼が青年になって破壊的なことと関わりをもつようになると、破壊的なことを自分の環境へ、あるいは少なくとも環境の一部へと投影することによって、その破壊的なことを簡単に片付けてしまうことがあるというのは、もちろん自明のことである。破壊的なことというのは、今や彼にとっては人間の心の中の統合されなくてはならない部分ではなくて、ただその環境とか、ある特定の仲間の人間とか、社会的な構造を特徴づけているものになるのである。破壊的なものはただ環境の中にだけ見出される。この投影は、それから先のどんな心的発達をも阻害してしまい、社会的な統合を極めて困難なものにしてしまう。何か具合の悪いことが起これば、そのつどいつも、環境が悪いせいだと判断されることになるのである。善意のある他者の行為でも、それを悪意ある態度の表現だとみなすようになる。外界に対してや、自分自身に対して彼が行なう破壊的な行動も、環境が悪いということのせいにされる。
＃１２
もしこのような青年がむしろ内向的であって、自分の持っている葛藤を部分的に空想の中で、内的に解決することができるのであれば、たとえば彼が人を不愉快にさせたり、狡猾であったとしても、社会的にはなんとかうまくやっていくことができるかもしれない。しかし、多くの場合このような青年たちは、自分自身の内的生活を非常に刺激してくれて、空想や象徴を使って自分のもつ問題と対決していくというやり方を教えてくれるような環境の中で育つ幸運を有していないのである。それでこのような青年たちは、彼ら自身の内面におこることを、すべて実際に実行してしまうという傾向をしばしば持つようになる。そして私たちの目の前には、人には無視されているし、反社会的で、あるいは犯罪を犯してしまうかもしれないような、そういった典型的な青年が存在するということになる。それで彼の破壊的な行為というのは、ただ外見上、たまたま破壊的なことに関わりを持つだけの青年が示す破壊的な行為と似てはいるのだけれど、内的にはこの青年たちと全く違うように思えるのである。悪魔と関わりを持つこと、即ち破壊的なことと関わりをもつことは、彼にとっては悲劇であり、それ自体が悪魔の化身であると見られている彼の環境に、ドン・キホーテのような闘いを挑むことになるのである。この種の反社会的な人たちは非常にしばしば、若いときもそれ以後の人生でも、専門家たちによって不当にも、精神病質者であるとか、生まれながらにして性格的な欠陥をもった人間であるとかよばれることがある。ちなみに、１人の大人として彼らがどうにかこうにか家庭を築くことができたとしても、そのような若者はその子どもたちに、独特な反社会的な物の見方を教えていくことがあるものであり、その反社会的な見方は子どもたちの投影を活発化していくだろうし、子どもたちが破壊的なことを自分自身の問題としてなんとか処理していくことを難しいものにすることであろう。子どもの時にすでに悪という現象に深い印象を受けた人のみ、大人になった時、そのような致命的な罠にとらわれてしまうのである。彼らは悪に対する闘いを決して放り出しはしない。しかし彼らは破壊的なことというのは結局は内的な問題なのであり、この内的な問題を外界に投影することは、再三再四、新たな苦しみと哀しみをつくりだすだけなのだということをみようとはしないので、この闘いを意味のない闘いとしてしまうのである。
＃１３
慢性的に見捨てられて堕落している状態というのは極めて悲劇的である。というのはある程度心理学的に分化した人でないと、そのような堕落には陥らないものであるからである。無頓着で鈍感な人は、たとえ自分を拒絶していたり、破壊的な環境で育ったとしても、そんな風には反応しないのである。またそんな人にとっては、悪とか破壊的なことという現象は少しも大きな悩みをひきおこしたりはしない。若いときには、彼らは全く表面的に悪に触れるだけであるし、それから先になると、まさしく、鈍感にただ生きているだけという生活を送る。
2005年07月30日(土) 20:53:10 Modified by gedo5