生と死の心理 河野博臣
＃１
個人的な心的内容と関連性が深い影について述べると、その内容はその個人の意識によって生きられなかった心の半面、その個人が意識の中で容認することができなかったものということができる。ユングのいうコンプレックス（複雑に色づけされた感情）と関連性が深い。一方、影の中でも普遍性の強い普遍的影（collective shadow）がある。例えばすべての人々に共通したものとして認められる、内容としての悪、すなわち、古来からの悪魔や鬼、化け物などとして各国の民話や伝説などの中に現れるものである。現代では、森や海や川で活躍する化け物や悪魔や鬼の物語は今や駆逐されてしまった。森はあくまで木や雑草の群生しているところであり、それ以外の何ものでもなくなったのである。自然のすべてを科学的に合理的に理解しようとする思考の結果である。
＃２
癌ノイローゼという病態がある。癌そのものは実在することが科学的に証明されている。が、癌に対する恐怖の方は極めて非科学的なものが多い。非合理的な恐れを、科学的対象、特に癌という現代において決して治癒することのない、死と直結する普遍的な影と結びつける人の心性は、悪魔を怖れて訴えた昔の人の心性とあまり差がないというべきである。
＃３
個人的な影と思えるものは心身のストレスによって引き起こされる場合が多く、意識化しやすい傾向にある。しかし、意識することによって影が消失しても、影はさらに他の影と複雑に交錯していて普遍的なものと関連しているのである。そして決して消えることのない死の影と結びつくのである。それゆえ普遍的な影は除去できるものではない。このユングのいう普遍的な影は、フロイドのいう「死の本能」と関係が深い。
＃４
死に対する恐怖や不安は、自我を揺るがせる。
＃５
自我の形成の段階において、不安は人間にとって不可欠なものであり、この一つ一つの不安を克服することによって、じがは少しずつ成長していくのである。そして、この不安は危機状態に対する生体の心理、生理的反応である。
＃６
私事になるが、筆者は次女をふとしたことで電車事故にあわせて死亡させてしまった。外科医として、意識的レベルで患者を処理することをたてまえとし、感情をシャットアウトしてきた自分にとって、子どもを死なせるという悲しみは、外科医的な論理性を破壊させることになり、“何故自分の子が死ななければならなかったのか”という死についての根源的な問いを、その悲しいの中で問わなければならないかった。それと同時に、しばらくは子どもの死を肯定できず、他者の死をすぐ自分の死と結びつけるようになった。更に死者に対する怖れをもつと共に、子どもを亡くしたということが、わたし全体の存在そのものをおびやかし、死と生の限りない闘争へと拡大させ、論理性と非論理性の闘いが自分の中で長い間続いたのである。そして、子どもの死後五年にして、ようやく、子どもの死を自分の中に受容することができるようになった。このような体験を通じて、無意識という原初的な暗い広い原野をのぞかなければならなくなり、肉の弱さ、心身相関の問題などを含めて、心の暗い部分を徐々に照らすことができ始めたといってもよいと思っている。考えてみると、子どもの死という、この世的には最も悲惨な苦しみの中で、初めて論理的な外的世界から、自分の内的世界の非論理的で非情な感情を、いやでものぞかなければならなくなったわけで、“何故自分の子どもが死ななければならなかったか”という、暗い心の中の罪の意識にさいなまれる問いこそが、絶えず自我と無意識の間をつなぐ水路となったように思える。つまり、子どもの死がなければ、醜く非情な自分をみつめることも、子どもと共感することもできない自分をそこで知ることになったのである。ひとりの子どもの死によって初めて、自己の心をみつめることが出来始めたという、苦しみに満ちた体験を経て、新たに生まれ変わった自分を始めて発見したように思った。
＃７
フロイドは合理的な自我に思考停止をもたらすような宗教的幻想を拒否しただけでなく、無神論者にさえも一般的にみられる人間的な一種の宗教的感情をも、厳しく否定した。そして、彼がよって立つところの科学的世界観からみると、死を恐れるあまり死を否定し、永生を信仰する心理は、科学的な知性によって越えられるべき原始・未開の心性に他ならない。死に対して、救済と慰めを与え続けてきた宗教は、幻想（illusion）の所産であって、われわれの本能的願望興奮に迎合することからその力を得ている。これに対して彼は、宗教にとって代わるべき科学的な知性、経験的認識と論理のみに依拠し、それに期待しようとしたのである。宗教的幻想とそれによる思考の停止は、知性による個の自立を妨げ、人々を、死に対して宗教なしではいられぬような小児的無力と不安の状態のままにおいておく結果になっていると述べ、死を現実として直視し、耐える力と勇気をもつことが大切であると言っている。
個人的な心的内容と関連性が深い影について述べると、その内容はその個人の意識によって生きられなかった心の半面、その個人が意識の中で容認することができなかったものということができる。ユングのいうコンプレックス（複雑に色づけされた感情）と関連性が深い。一方、影の中でも普遍性の強い普遍的影（collective shadow）がある。例えばすべての人々に共通したものとして認められる、内容としての悪、すなわち、古来からの悪魔や鬼、化け物などとして各国の民話や伝説などの中に現れるものである。現代では、森や海や川で活躍する化け物や悪魔や鬼の物語は今や駆逐されてしまった。森はあくまで木や雑草の群生しているところであり、それ以外の何ものでもなくなったのである。自然のすべてを科学的に合理的に理解しようとする思考の結果である。
＃２
癌ノイローゼという病態がある。癌そのものは実在することが科学的に証明されている。が、癌に対する恐怖の方は極めて非科学的なものが多い。非合理的な恐れを、科学的対象、特に癌という現代において決して治癒することのない、死と直結する普遍的な影と結びつける人の心性は、悪魔を怖れて訴えた昔の人の心性とあまり差がないというべきである。
＃３
個人的な影と思えるものは心身のストレスによって引き起こされる場合が多く、意識化しやすい傾向にある。しかし、意識することによって影が消失しても、影はさらに他の影と複雑に交錯していて普遍的なものと関連しているのである。そして決して消えることのない死の影と結びつくのである。それゆえ普遍的な影は除去できるものではない。このユングのいう普遍的な影は、フロイドのいう「死の本能」と関係が深い。
＃４
死に対する恐怖や不安は、自我を揺るがせる。
＃５
自我の形成の段階において、不安は人間にとって不可欠なものであり、この一つ一つの不安を克服することによって、じがは少しずつ成長していくのである。そして、この不安は危機状態に対する生体の心理、生理的反応である。
＃６
私事になるが、筆者は次女をふとしたことで電車事故にあわせて死亡させてしまった。外科医として、意識的レベルで患者を処理することをたてまえとし、感情をシャットアウトしてきた自分にとって、子どもを死なせるという悲しみは、外科医的な論理性を破壊させることになり、“何故自分の子が死ななければならなかったのか”という死についての根源的な問いを、その悲しいの中で問わなければならないかった。それと同時に、しばらくは子どもの死を肯定できず、他者の死をすぐ自分の死と結びつけるようになった。更に死者に対する怖れをもつと共に、子どもを亡くしたということが、わたし全体の存在そのものをおびやかし、死と生の限りない闘争へと拡大させ、論理性と非論理性の闘いが自分の中で長い間続いたのである。そして、子どもの死後五年にして、ようやく、子どもの死を自分の中に受容することができるようになった。このような体験を通じて、無意識という原初的な暗い広い原野をのぞかなければならなくなり、肉の弱さ、心身相関の問題などを含めて、心の暗い部分を徐々に照らすことができ始めたといってもよいと思っている。考えてみると、子どもの死という、この世的には最も悲惨な苦しみの中で、初めて論理的な外的世界から、自分の内的世界の非論理的で非情な感情を、いやでものぞかなければならなくなったわけで、“何故自分の子どもが死ななければならなかったか”という、暗い心の中の罪の意識にさいなまれる問いこそが、絶えず自我と無意識の間をつなぐ水路となったように思える。つまり、子どもの死がなければ、醜く非情な自分をみつめることも、子どもと共感することもできない自分をそこで知ることになったのである。ひとりの子どもの死によって初めて、自己の心をみつめることが出来始めたという、苦しみに満ちた体験を経て、新たに生まれ変わった自分を始めて発見したように思った。
＃７
フロイドは合理的な自我に思考停止をもたらすような宗教的幻想を拒否しただけでなく、無神論者にさえも一般的にみられる人間的な一種の宗教的感情をも、厳しく否定した。そして、彼がよって立つところの科学的世界観からみると、死を恐れるあまり死を否定し、永生を信仰する心理は、科学的な知性によって越えられるべき原始・未開の心性に他ならない。死に対して、救済と慰めを与え続けてきた宗教は、幻想（illusion）の所産であって、われわれの本能的願望興奮に迎合することからその力を得ている。これに対して彼は、宗教にとって代わるべき科学的な知性、経験的認識と論理のみに依拠し、それに期待しようとしたのである。宗教的幻想とそれによる思考の停止は、知性による個の自立を妨げ、人々を、死に対して宗教なしではいられぬような小児的無力と不安の状態のままにおいておく結果になっていると述べ、死を現実として直視し、耐える力と勇気をもつことが大切であると言っている。
2005年08月02日(火) 11:43:30 Modified by gedo5