精神分析のおはなし １９９９
＃１ 親イメージの変化
一般的にいえば、子どもたちは思春期に入っていくまでは、親から受け継いだ価値観とか人間像がいちばんいいと思ってやってきています。しかし、最近の子どもたちは早いですから小学校の上級生くらいになると、親というものをちょっと別の目でみたり、外から眺めたりするようになってきて、だんだん親とは違ったものの見方や価値観を身につけていくようになってきます。それが少しずつ進んでいく過程が親離れのプロセスといえます。その過程は、高校を出るくらいまでずっと続いていくんですが、そのとき子どもたちの中にいろんな気持ちが起ってきます。子どもにしても、できれば子どもの時からのお父さん、お母さんのままのイメージを抱き続けていたいという気持ちが一方にあります。ずっといいお父さん、お母さんとして尊敬していたい、お父さんがいちばんい、お母さんがいちばんいいと思っていたい。ところがもう一方で、だんだんとものを見る目が発達してきますし、知識も増えてきます。そうすると、親を客観的に眺めるようなものの見方も出てくるわけです。（略）親離れというのは物理的に離れるということではないんですね。だんだん親のイメージが変わってくるということです。（略）お母さんがおあわりからみてどんな人か、だんだんわかってくる。（略）そのときに彼女、彼の心に「お母さんいやだ」とか、「恥ずかしい」とかいう気持ちが起ってくると、そこで彼らはひじょうに傷つくわけです。実はこういうのが親離れということなんです。もちろん、彼らは思春期、そうですね、高校生くらいまではそんなことを表立って親に話さないですよね。心のどこかにそういうことを思っていても、そういうことは口に出さない。でも、もうちょっと理解があると、お母さんはこうこうこうでこういうふうなんだなあとか、あっちのお母さんはお金持ちだから立派なかっこうをしているけど、うちはお金がないからこんなかっこうなんだとか、だんだんわかるようになっていきます。それが親離れということなんですよね。
＃２ 依存
ともすると私たちは、甘えの構造の中で暮らすという批判を人からも受け、自分たち自身にも向ける。そのために学校では、自立、自立ばかり説いて、人とのかかわりの中でもっとも大切な依存のしかたを学ぶ機会を失ってしまった。しかし、フロイトも言っている。「ヒトの心の最大の特質は、他の動物に比べて親に依存する期間がいちばん長いことに由来する」と。社会をつくって暮らすということ自体、この依存し合う心があってはじめて可能だ。とりわけ、ボランティアや高齢者介護の問題一つを取り上げても、いま私たちには、依存したり、されたりする心のあり方をみんなが学び、身につけることが求められている。本章では、親子の一体感を代表する「川の字文化」から始まる私たちの人生外が、どんなに甘えを許容し合う社会をつくっているかをふり返るとともに、いまの若者たちの心の病理が、実際には依存しているのに自分が依存していることに気づかないで、相手が自分を依存させるのが当たり前という思い込みに発していることをお話しする。彼らは依存しているにもかかわらず、ほんとうの意味での依存、そして甘え方を知らない。逆に自立ばかり求めるところに心の狂いがある。しかし、いまもう一度、お互いに助け合い、依存し合うことなしには生きられないことに目を向けて欲しい。
＃３ ウィニコットと精神分析
ウィニコットは、多数の論文を著し、それらは多数の単行本になっているが、彼の持ち味は、その優れた臨床的洞察とその洞察を表現するユニークな概念づけにある。ところが、彼はその独創的な直観と表現方法の背景にある精神分析理論体系をいちいち説明しないために、しばしば精神分析理論にとらわれない自由な精神分析家のように誤解されやすい。しかし、もしウィニコットのこの面だけに眼を向け、その反面においてフロイト以来の精神分析理論をどんなに巧みに取り込んでいるかを知らないと、彼の本質を学ぶことができなくなってしまうおそれがある。むしろ筆者からみると、彼の理論展開の面白さは、その論文の中にあえて表現しないフロイト、フェレンティ、クラインをはじめ幾多の理論を十二分に咀嚼した精神分析理論上の思考の展開にあるとさえ言うことができる。ここでは、このような特徴を明らかにしながら、ウィニコットの理論的認識を精神分析の中に位置づけるとともに、現代の精神分析、特に乳幼児研究の新たな動向とのかかわりを述べる。なおビオン、例えば彼のcontained-containerモデルなどはウィニコットのそれととても共通の理論モデルをもっているが、この論文の転載されたエスプリ特注号では「ウィニコットとビオン」というテーマの論文も掲載されるとのことなので、ここではときどき関連部分に言及するにとどめたい。また、明らかにウィニコットと共通の理論を提示しながら、ウィニコットがあえて言及しなかった先覚者フェレンツィについて、それからコフートについては、ウィニコットと表裏をなす共通点があるので、いちいち取り上げることをせず、むしろ後半部分で一括して述べることにしたいと思う。そもそもウィニコットは、自己の乳幼児の母子関係の理論を、フロイトのエディプス・コンプレックス、つまり父、母、子の三者関係の世界（生後2年以上）、クラインにおける抑圧ポジション（生後6ヶ月から２年）、つまり母と子の二者関係の世界に対して、一者関係および一者関係から二者関係への移行の世界を解明するものとして位置づけている。彼は抑うつポジションに関するクラインの研究を最重要視し、それとともに一者関係、および一者関係から二者関係への移行については、フロイトのリビドー発達論やクラインの内的対象関係論の観点だけでは不十分であると…。そして母子関係の基本を依存としてとらえている点において、クラインから共に独立したフェアバーンと共通した認識を持っている。ただし、両者とも移行（transition）という言葉を使用するが、ウィニコットは一者関係から二者関係への移行という意味で以降と言う概念を、フェアバーンは乳児的依存段階から成熟依存段階への移行という意味で用いている。
＃４ 孤立
やっぱり思春期の親離れで、ひじょうに大切なことは、親から離れることそのものではなくて、親から離れるのと同時に、同世代の友だちや仲間というもんをちゃんと獲得することです。登校拒否とかいろいろ問題のある方をみていますと、親離れはしても、親にかわる依存対象が見つからない、という場合が多いようです。親離れをしても、同じ世代のグループや親しい友達ができないと、誰も頼りになる人がいなくなってしまう。これでは、「自立」ではなくて「孤立」になってしまいます。メンタルヘルスでは、「自立」と「孤立」の違いを、きちんと見極めて区別しておくことがとても大切です。孤立すればするほど、本人にはひがみとかひねくれとかが起ってくるものですから、ますます、そのことに耐えられなくなっていく。「俺は自立しているんだ、自立しているんだ」と頭の中ではすごく頑張るわけです。ところが見ていると、それは何にも頼らない孤立した姿になってくる。まわりからはどんどん距離が置かれてしまう。こういうふうに、孤立して家の中に閉じこもってしまって、自分の部屋の中にばかりいて、やがては、夜と昼も逆転して、テレビゲームやビデオの世界だけになってしまう、という人がいます。大切なことは、親離れすることではなくて、親離れした後、その分、ちゃんと友だちとか先生とかに出会うということです。そういう親離れ、自立のしかたが、とてもとても大切なことだと思います。
＃５ 過剰な自立心
最近は、親への依存はずっと続いているのに、自立心ばかりが強いという子どもが多くなりました。依存しているのに、自分一人で何でも思うとおりにやりたいという子どもです。これは、どういうわけか自立ということがひじょうにいいことだという観念があるからでしょう。戦後の民主主義教育では、自立ということが盛んに言われました。（略）ところが、人間が他の動物と違うのは、母親に対する愛着、依存関係なしには育つことができないことなんです。人間は、社会とか他の人間との関係に依存しなければ暮らせない、という宿命があるんですから、あまり自立ばかりを言い過ぎると、結局、連合赤軍のように、世の中の依存関係をすべて断ち切って、山の中に引きこもって殺しあう、というようなことになってしまうおそれがある。今の青少年には、ややそういう傾向があるのです。自立願望ばかりが早熟に発達している。性的なものが早熟になれば、自立願望は高まります。なぜかというと、性的な欲望が高まれば、親は邪魔になりますから。だから早く一人で暮らしたいとか、そういうことが出てくるわけです。しかし、ほんとうの意味では親離れしていない。依存しているのに、その現実を棚上げして、自立をするためにいろいろ親に要求して、親を思うとおりに動かして自立しようという、ちょっと矛盾した現象が、今の子どもの特徴です。とても自立心が強いのに、実をいうと親にくっついたところで、親を道具にして自立しようという格好になっている。親から自立するつもりで結婚を考えて、その披露のお金は親に平気で出してもらうみたいなことですね。
＃６ 全知全能感
相対的な依存を自覚できることがほんとうの自立のはじまりなのですが、依存しっぱなしで、どうしてもこの局面を抜け出すことができない。しかし、いつもいつも未然にお母さんが補ってあげられるというのは、せいぜい中学へ入る前くらいまでですね。そこど、お母さんの応援が役に立たなくなってきたお子さんはどうなるかというと、無気力状態になったり、学校へ行けなくなったり、引きこもったりすることになってしまいます。というのは、こういう子どもは、自分に力がなくてもじょうずに頼るということができないからです。頼るという方法が身についていないし、自分の無力感を実感できないわけですから。こういう人格構造をもった子どもや若者が、編めるかでも英国でも日本でも、いまひじょうに増えています。自分にあまりにも全能感が強くて、依存ができない。全能感はひじょうに観念的なもので、しまいには空想的なものになってしまっているのに、しかも人に頼れないのです。こういう傾向が、どうも最近の子どもには、大なり小なり生じているように思います。それはどういうことかといいますと、いまの時代、社会の風潮そのものがひじょうに全知全能的なのです。何でもコンピューターとかテクノロジーによって思うとおりになりますね。寒くなればボタン一つで暖房は入るし、暑くなればまたボタン一つで冷房が入る。それが当たり前になって、すべてが自分の思うとおりに、人に頼らなくてもできるような時代になってきていますから、全知全能感をもったまま生きていこうという、そういうメンタリティが発達してきているのです。ですから、登校拒否とかいう問題に子どもが悩まないですむようにするためには、まず絶対的な依存の状態を十分に満足する、つまり「僕は強いんだ」「一人でやれるんだ」という自信をつけてあげる。それから今度は次に「お母さんがいないと心細いなぁ」という不安をだんだんと体験する。さらに、幼稚園から小学校のころに、それを乗り越えてなんとか一人でやっていける、独り立ちができるようになる。そういった心の発達と親離れと自立のプロセスが順調に進んでいくことが、とても大切だと思います。
＃７ 絶対的依存と相対的依存
精神分析では、「依存」というテーマはひじょうに大きなテーマですが、人間における依存というものが語られるときには必ずウィニコットという英国の精神分析学者の名前が登場します。ウィニコットは小児科医でもありまして、精神分析の中で母子関係、つまり、母親の子どもに対するかかわりというのを最も系統的にあきらかにした人です。彼はまず、依存を二種類に分けて、「絶対的な依存」と「相対的な依存」を区別しました。「絶対的依存」というのはどういうことかといいますと、客観的にみると人に依存していなければやっていけないにもかかわらず、自分は相手に依存しているという自覚がない状態をいいます。依存されている人が、「おまえは俺に依存しているんだぞ」「私がいなくなったら、おまえは困るんだぞ」「私が見捨てたら、あなたはおしまいだ」などと言わないで、最後まで依存させてあげる。依存している本人も、依存しているという自覚もない。だから見捨てられる不安もない。相手に気づかいもしないし、感謝もない。（略）このように絶対的依存の状態にいる人というのは、救いがたい人たちです。つまり、全部自分の力でやっていると思っていますから、逆にほんとうの意味で甘えるということがうまくできない。人に助けを求めるということができないわけです。（略）ところがこれに対して、相対的依存の関係というのはどういうことかと申しますと、これは、本人も相手に頼っていることに気づいている関係です。誰かに頼らなくては一人ではやっていけない、そういう自分のある種の無力さ、ヘルプレスな気持ちというものにどこかで気づいていて、そして誰かに頼ることでなんとかやっていこうとする。これを相対的な依存といいます。ですからこの場合、依存する相手がいなくなったりするとひじょうに心細くなります。「もしもお母さんがいなくなったら、僕一人でどうしたらいいだろう」と不安になるわけです。これを、「分離不安」といいます。分離不安が起ってくるのは、だいたい生後一歳半〜三歳くらいですが、これは、だんだんと自分はお母さんに依存している、頼っているということがわかってくるために起ります。そしてこの分離不安の段階を通って、幼稚園、小学校くらいになると、お母さんがそばにいなくても、自分一人でやっていけるという、いわば子どもなりの自立ができるようになっていくのです。ウィニコットはこのような相対的な依存の意識をもつことができるようになることが、人間の心の発達ではとても重要なテーマであると言っています。この意識があって分離不安があるから、頼れることのありがたみもわかり、感謝の気持ちも抱けるようになるのです。
＃８ 自己対象
少し理屈っぽいお話になりますが、コフートという人が、「セルフ−オブジェクト」ということを言いました。「セルフ」とは＜じぶん＞のこと。「オブジェクト」とは＜相手＞のこと、＜対象＞のことです。セルフ−オブジェクトあるいは、「自己対象」といいますが、これはどういう意味かといいますと、お互いに、一体感を抱き合えるような相手のことをいいます。絶えず私の身になってものを感じたり考えたりしてくれる人、私が嬉しいと、一緒に喜んでくれる。自分が失敗してみんなに非難を受けていても、あくまでもこちら側に立って「みんなが非難している気持ちもわからないでもないけれど、あなたもこういう言い分があったのだから、あなたもかわいそうね」とか、「あなたの思っていることも、もっともだわ」とか言ってくれる人、そんな人が「自己対象」といわれている人です。人間にはそういう人が絶対必要なんだとコフートは言っています。（略）ストレス解消にとっていちばん大切なことは、こうした親身になっておしゃべりしあえる仲間、パートナー、配偶者、親子関係をもてるということだと思います。それは、一種の甘えの対象で、「まぁ、きょうはちょっと甘えさせてもらおうか」と言って、「そうだ、そうだ」と言い合えるような人を、みなさんもご自分の心の健康のために、おもちになってください。おそらく、カウンセリングとかメンタルヘルスの領域でお世話をする時にも、大切なのはわれわれがこういうよい共感の相手になってあげる、そういう役目をとってあげることだと思います。人間と言うのは、少なくとも健康な心を保っていくためには、独りぼっちでは、なかなか生きていけないということです。（略）精神障害を考える上で一番大切なことは、精神障害にかかるということだけではなくて、それが原因で孤立するために、依存関係をもてなくなるということです。
＃９ 支配的依存
最近の親の中には、子どもを絶対君主ではないけれど、絶対的依存の状態のまま、それ以上おとなにさせないような親がいます。つまり、みんなお母さんがやってあげてしまって、あげくのはてに「あなたね、私がいなかったら何もできないんじゃないの」ということになる。けれどもほんとうは、天照の大神ではないけれどもお母さんが天の岩戸に入ってしまって、子どもが一人でウロウロして「ママァ、助けてちょうだい」というところもまで困って、「お母さん、ごめんなさい」「私はお母さんの言うことは何でも聞きます。だから見捨てないでちょうだい」と、こういう不安をある程度子どもに与えてこそ、はじめて子どもは現実というものを知るし、自分というものに目覚めるのです。そしてそこから、ほんとうの意味での自立と依存というテーマが出てくるわけです。ところが、そういうふうにさせては「かわいそう、かわいそう」と、母親がいつも一歩先、一歩先を面倒みてやって、子どもが「ウー」と言うと、「アー」、「ツー」と言うと「カー」とやってしまう。こういうふうに子どもを傷つけまい傷つけまいとして、面倒をみたり世話をしてあげてしまうお母さんが、けっこういますよね。これでは、子どもはいつになっても「自分がやれているのだ」という絶対依存の段階から、相対依存の段階に入れない。そして、もしもそこで挫折したりうまくいかないことがあると、「ちゃんとやってくれないお母さんが悪い」となる。絶対君主ですから、「お母さん、何をやっているんだ。グズグズして」と威張ってしまうという依存が発生します。こういう依存のあり方を、私は「支配的依存」と呼んでいます。つまり、王様が家来を脅かしながら使って、ほんとうは依存しているのだけれども威張っている、というような依存ですね。このような子どもがけっこう多いのです。自分の思うとおりにならないのはまわりが悪いからだ。お母さんがこうだったから、お父さんがこうだったから自分はいけなかったのだ、と。こういうメンタリティにずっと入り込んでいくと、やはりこれは登校拒否予備軍になりますし、いろんな問題がそこから発生します。
＃１０ 分離個体化説
最私たち精神医学者や心理学者が、親離れとか、自立を考えるときに使っているいくつかの基本的なコンセプトといいますか、そういうことを考えるキーワードみたいなものを、説明させていただきます。ニューヨークにマーラーという精神分析学者がいました。そのマーラー女史の学説で、「分離−個体化説」というのがあります。これは、日本でもアメリカでもかつて大はやりした考え方の一つですが、マーラーさんは、親離れとか自立を考える時に、この二つ「分離(Separation)」と「個体化(Individuation)」をまず区別しなければいけないと言っています。Individuationというのは、今日のテーマである“自立を求める”という意味での“自立”ということと、ほとんど同じ意味です。つまり、人間が自分で自分のことをきちんとできる。自分で自分の欲望をコントロールしたり、身だしなみをきちんとしたり、親に言われなくても自分の勉強は自分でちゃんと決まったようにやるとか、もっとさかのぼれば、一定の時と場所でちゃんとおしっこをしたり、トイレに行くというような、トイレット・トレーニングもそうです。一定の時と場所でご飯をちゃんと食べるのもそうですし、一人でちゃんと歩く、というようなこともそうだし、いろいろな運動機能も言語機能もそうです。すべてそういった、人間が一人で生きていかなければならない基本的ないろんな心身の能力がありますね。そういう能力をきちんと学習し、発達させ、身につけていくのがIndividuation、個体化の能力です。それがきとんと確立してくれることが、親子関係においては望ましいことだと思います。これに対して、Separationの方はちょっとむずかしいのです。これはいろんな定義のしかたがあります。たとえばこの分離というのは、当然親から離れるということなんですが、では親から離れるというのは、いったい何を意味しているのか。“離れる”ということは、“その段階の関係が残る”ということです。（略）ですからSeparationという問題は、ただ単に空間的に離れたりするっことじゃありません。そんなことをいったらい、家出した人がいちばん親離れがいいということになるでしょう。ところが、家でなんかした人は、“瞼の母”じゃないけれど、母を実際以上に理想化して慕う、一生親に対する負い目をもったり、親ともう一度めぐる会いたいという気持ちが残って、心の中ではちっとも親離れしないというようなことがあるのです。ですから、Separaitonというのは、その本人の心の中で、親と自分が本当の意味で親の実像がありのままに見えるようになる、ということです。これがマーラーの定義です。こうなると、親も一人の人間で、良い面も困った面もある。自分本位の感情も欲望もある、ということが納得できるようになります。（略）本当にSeparateした子どもというのは、お母さんはお母さんとしての都合があって、たとえばお母さんはお腹がすいたり、自分だけでご飯を食べたいときもあるだろうし、感情というものがあって、機嫌の悪い時もいいときもあるだろうし、自分と同じように欲望とかいろんな事情とかをもっている人間なんだということが、ノーマルに発達すれば、だいたい三歳くらいまでにはわかる、というのがこの「分離」なんです。それと並行して、子どもは自分の感情とか欲望とかを、ある程度はコントロールできるようになる。それがおよそ二歳半から三歳くらいまでの子どもの発達課題だ、というのです。ですから、分離、親離れというものを考えるときに大切なことは、ただ何時間そばにいるかというようなことではなくて、その子どもがどのくらい親との情緒関係で、自分と親の欲望、感情、都合の不一致というものに耐えることができるか。あるいは逆に、お母さんについてそれを思いやることができるかというような、情緒的な成熟の度合いが、大きな指標になるのです。
＃１１ 秘密
思春期の子どもにとってとても重要なテーマは、親に秘密をもつことだ、ということです。親に秘密をもてるようになるということは、子どもが親とは異なった自我をもち、親と自分のあいだに心の壁をつくるということです。（略）子どもも小さいときは、自分が悪いことをして親に隠しても、みんな親にばれてしまう。おとなにはわかってしまうんだと思って、嘘がつけない段階があります。ところが、正常な心の発達を遂げて中学、高校のころになると、子どもはみんな親に内緒ごとをもつようになる。だから、嘘をつくようになります。ここで大切なことは、健康な嘘や秘密と、ちょっと逸脱した嘘とか秘密のもち方を区別することです。非行だとか万引きだとか、場合によるといかがわしい集団に入ったりとか、子どもたちがそういうことをするときには、むしろ親に知られない世界をうまくもてないために、そういうところに行ってしまうという場合が、しばしばあります。健全な嘘とか秘密というのは、そういうむずかしいことではなくて、自分が感じたり、思ったり、昼間学校であったりしたことを全部、右から左に親に話さないですむようになるということです。（略）こうやって秘密をもつことを、英語ではバウンダリィ（boundary）といいます。“境界線”というんです。このバウンダリィを一つひとつつくっていくときに、秘密というのはひじょうに重要な機能を果たしているのです。そしてこれを身につけていくところで、その子の“自己”というものが育っていくわけです。まず、中学生くらいに第二次性徴期といいますが肉体的な変化が起り、その結果、男の子、女の子という自己ができていって、そのあいだに親とのあいだの境界線がだんだんできあがっていくのです。ここをまずしっかりともつことで、男、女としての慎みとか、恥、距離、遠慮とかが身についていきます。第二段階は、そうですね、中学三年くらいから高校一、二年くらいですね。このころには、親に言えないいろんな心の秘密をもつようになります。みなさんは『アンネの日記』という本を読んでいる方が多いと思いますが、今の若い人は『あんねの日記』を知らない人がけっこういますね。あの本には、まさにこれくらいの年齢、十三〜十五、六歳の思春期の少女が、どんなふうに親とのあいだに秘密をもって、自我に目覚めていくかという素晴らしい記載があります。（略）ただし、この自我の成熟というのはひじょうにきをつけなければいけない、心のもっともむずかしいデリケートなストレスをつくりだします。これはある意味では、その少女の“自我の危機”といったらいいでしょうか。とても微妙なものです。（略）親には内緒で秘密な同世代の友だちや仲間をもつということは、それ自体はとても健全な心の発達です。ただし、親にかわる同世代の親密な相手が健全であればです。これがテククラのおじさんであったりすると、困ったことにもなるわけです。（略）ここで大切なことは、親に秘密をもったら、その分だけ同性の、できれば同年齢の仲間とのあいだに秘密な関係をもつことです。できれば最初は同性がいいですね。同性を通りこしていきなり異性の親密な人のところへ行くのは、ちょっと危ないですね。（略）親離れをするということは、つまり親がわりを見つけるということなんですが、親がわりのない親離れはとても危険です。というのは、親にだけ秘密をもっても、秘密を共有する親しい人が誰もいないという状態があまり続くと、ひじょうに孤独で、孤立した状態になって、あまりよくないのです。登校拒否なんかになると、この親密な友だちが学校でできない。あるいは仲間ができない。しかし、一方では親離れをしなきゃならないといったような空白のときに、ひじょうに無気力になったり、憂うつになったり、場合によると生きていたくなったりするんですね。こういうふうに親密さということが、このころの子どもにとってはとても大切です。秘密は親密さということにつながるわけです。銅製の仲間や友だちをもてるようになり、その次に高校三年生から大学一年、二年くらいで異性のこういう親密な、気持ちを通い合わせるようなお友だちができると、ほんとうは心の発達としてはちょうどいいんじゃないでしょうか。専門的にはちゃんと心の発達には順序がありましてね、順序どおりに発達していると、その人の心は健康に発達していくことができるのです。ところが、順序を踏まないでいきなり異性関係をもってしまったりすると、心の発達の世界にとってはあとあとひじょうに不幸なことが起ってきます。やはりちゃんとした男性と女性の親密な愛情というものを体験できる能力ができて、その次にはじめて愛情関係とか肉体関係がもてるようになるのがもっとも望ましいことでしょうね。
一般的にいえば、子どもたちは思春期に入っていくまでは、親から受け継いだ価値観とか人間像がいちばんいいと思ってやってきています。しかし、最近の子どもたちは早いですから小学校の上級生くらいになると、親というものをちょっと別の目でみたり、外から眺めたりするようになってきて、だんだん親とは違ったものの見方や価値観を身につけていくようになってきます。それが少しずつ進んでいく過程が親離れのプロセスといえます。その過程は、高校を出るくらいまでずっと続いていくんですが、そのとき子どもたちの中にいろんな気持ちが起ってきます。子どもにしても、できれば子どもの時からのお父さん、お母さんのままのイメージを抱き続けていたいという気持ちが一方にあります。ずっといいお父さん、お母さんとして尊敬していたい、お父さんがいちばんい、お母さんがいちばんいいと思っていたい。ところがもう一方で、だんだんとものを見る目が発達してきますし、知識も増えてきます。そうすると、親を客観的に眺めるようなものの見方も出てくるわけです。（略）親離れというのは物理的に離れるということではないんですね。だんだん親のイメージが変わってくるということです。（略）お母さんがおあわりからみてどんな人か、だんだんわかってくる。（略）そのときに彼女、彼の心に「お母さんいやだ」とか、「恥ずかしい」とかいう気持ちが起ってくると、そこで彼らはひじょうに傷つくわけです。実はこういうのが親離れということなんです。もちろん、彼らは思春期、そうですね、高校生くらいまではそんなことを表立って親に話さないですよね。心のどこかにそういうことを思っていても、そういうことは口に出さない。でも、もうちょっと理解があると、お母さんはこうこうこうでこういうふうなんだなあとか、あっちのお母さんはお金持ちだから立派なかっこうをしているけど、うちはお金がないからこんなかっこうなんだとか、だんだんわかるようになっていきます。それが親離れということなんですよね。
＃２ 依存
ともすると私たちは、甘えの構造の中で暮らすという批判を人からも受け、自分たち自身にも向ける。そのために学校では、自立、自立ばかり説いて、人とのかかわりの中でもっとも大切な依存のしかたを学ぶ機会を失ってしまった。しかし、フロイトも言っている。「ヒトの心の最大の特質は、他の動物に比べて親に依存する期間がいちばん長いことに由来する」と。社会をつくって暮らすということ自体、この依存し合う心があってはじめて可能だ。とりわけ、ボランティアや高齢者介護の問題一つを取り上げても、いま私たちには、依存したり、されたりする心のあり方をみんなが学び、身につけることが求められている。本章では、親子の一体感を代表する「川の字文化」から始まる私たちの人生外が、どんなに甘えを許容し合う社会をつくっているかをふり返るとともに、いまの若者たちの心の病理が、実際には依存しているのに自分が依存していることに気づかないで、相手が自分を依存させるのが当たり前という思い込みに発していることをお話しする。彼らは依存しているにもかかわらず、ほんとうの意味での依存、そして甘え方を知らない。逆に自立ばかり求めるところに心の狂いがある。しかし、いまもう一度、お互いに助け合い、依存し合うことなしには生きられないことに目を向けて欲しい。
＃３ ウィニコットと精神分析
ウィニコットは、多数の論文を著し、それらは多数の単行本になっているが、彼の持ち味は、その優れた臨床的洞察とその洞察を表現するユニークな概念づけにある。ところが、彼はその独創的な直観と表現方法の背景にある精神分析理論体系をいちいち説明しないために、しばしば精神分析理論にとらわれない自由な精神分析家のように誤解されやすい。しかし、もしウィニコットのこの面だけに眼を向け、その反面においてフロイト以来の精神分析理論をどんなに巧みに取り込んでいるかを知らないと、彼の本質を学ぶことができなくなってしまうおそれがある。むしろ筆者からみると、彼の理論展開の面白さは、その論文の中にあえて表現しないフロイト、フェレンティ、クラインをはじめ幾多の理論を十二分に咀嚼した精神分析理論上の思考の展開にあるとさえ言うことができる。ここでは、このような特徴を明らかにしながら、ウィニコットの理論的認識を精神分析の中に位置づけるとともに、現代の精神分析、特に乳幼児研究の新たな動向とのかかわりを述べる。なおビオン、例えば彼のcontained-containerモデルなどはウィニコットのそれととても共通の理論モデルをもっているが、この論文の転載されたエスプリ特注号では「ウィニコットとビオン」というテーマの論文も掲載されるとのことなので、ここではときどき関連部分に言及するにとどめたい。また、明らかにウィニコットと共通の理論を提示しながら、ウィニコットがあえて言及しなかった先覚者フェレンツィについて、それからコフートについては、ウィニコットと表裏をなす共通点があるので、いちいち取り上げることをせず、むしろ後半部分で一括して述べることにしたいと思う。そもそもウィニコットは、自己の乳幼児の母子関係の理論を、フロイトのエディプス・コンプレックス、つまり父、母、子の三者関係の世界（生後2年以上）、クラインにおける抑圧ポジション（生後6ヶ月から２年）、つまり母と子の二者関係の世界に対して、一者関係および一者関係から二者関係への移行の世界を解明するものとして位置づけている。彼は抑うつポジションに関するクラインの研究を最重要視し、それとともに一者関係、および一者関係から二者関係への移行については、フロイトのリビドー発達論やクラインの内的対象関係論の観点だけでは不十分であると…。そして母子関係の基本を依存としてとらえている点において、クラインから共に独立したフェアバーンと共通した認識を持っている。ただし、両者とも移行（transition）という言葉を使用するが、ウィニコットは一者関係から二者関係への移行という意味で以降と言う概念を、フェアバーンは乳児的依存段階から成熟依存段階への移行という意味で用いている。
＃４ 孤立
やっぱり思春期の親離れで、ひじょうに大切なことは、親から離れることそのものではなくて、親から離れるのと同時に、同世代の友だちや仲間というもんをちゃんと獲得することです。登校拒否とかいろいろ問題のある方をみていますと、親離れはしても、親にかわる依存対象が見つからない、という場合が多いようです。親離れをしても、同じ世代のグループや親しい友達ができないと、誰も頼りになる人がいなくなってしまう。これでは、「自立」ではなくて「孤立」になってしまいます。メンタルヘルスでは、「自立」と「孤立」の違いを、きちんと見極めて区別しておくことがとても大切です。孤立すればするほど、本人にはひがみとかひねくれとかが起ってくるものですから、ますます、そのことに耐えられなくなっていく。「俺は自立しているんだ、自立しているんだ」と頭の中ではすごく頑張るわけです。ところが見ていると、それは何にも頼らない孤立した姿になってくる。まわりからはどんどん距離が置かれてしまう。こういうふうに、孤立して家の中に閉じこもってしまって、自分の部屋の中にばかりいて、やがては、夜と昼も逆転して、テレビゲームやビデオの世界だけになってしまう、という人がいます。大切なことは、親離れすることではなくて、親離れした後、その分、ちゃんと友だちとか先生とかに出会うということです。そういう親離れ、自立のしかたが、とてもとても大切なことだと思います。
＃５ 過剰な自立心
最近は、親への依存はずっと続いているのに、自立心ばかりが強いという子どもが多くなりました。依存しているのに、自分一人で何でも思うとおりにやりたいという子どもです。これは、どういうわけか自立ということがひじょうにいいことだという観念があるからでしょう。戦後の民主主義教育では、自立ということが盛んに言われました。（略）ところが、人間が他の動物と違うのは、母親に対する愛着、依存関係なしには育つことができないことなんです。人間は、社会とか他の人間との関係に依存しなければ暮らせない、という宿命があるんですから、あまり自立ばかりを言い過ぎると、結局、連合赤軍のように、世の中の依存関係をすべて断ち切って、山の中に引きこもって殺しあう、というようなことになってしまうおそれがある。今の青少年には、ややそういう傾向があるのです。自立願望ばかりが早熟に発達している。性的なものが早熟になれば、自立願望は高まります。なぜかというと、性的な欲望が高まれば、親は邪魔になりますから。だから早く一人で暮らしたいとか、そういうことが出てくるわけです。しかし、ほんとうの意味では親離れしていない。依存しているのに、その現実を棚上げして、自立をするためにいろいろ親に要求して、親を思うとおりに動かして自立しようという、ちょっと矛盾した現象が、今の子どもの特徴です。とても自立心が強いのに、実をいうと親にくっついたところで、親を道具にして自立しようという格好になっている。親から自立するつもりで結婚を考えて、その披露のお金は親に平気で出してもらうみたいなことですね。
＃６ 全知全能感
相対的な依存を自覚できることがほんとうの自立のはじまりなのですが、依存しっぱなしで、どうしてもこの局面を抜け出すことができない。しかし、いつもいつも未然にお母さんが補ってあげられるというのは、せいぜい中学へ入る前くらいまでですね。そこど、お母さんの応援が役に立たなくなってきたお子さんはどうなるかというと、無気力状態になったり、学校へ行けなくなったり、引きこもったりすることになってしまいます。というのは、こういう子どもは、自分に力がなくてもじょうずに頼るということができないからです。頼るという方法が身についていないし、自分の無力感を実感できないわけですから。こういう人格構造をもった子どもや若者が、編めるかでも英国でも日本でも、いまひじょうに増えています。自分にあまりにも全能感が強くて、依存ができない。全能感はひじょうに観念的なもので、しまいには空想的なものになってしまっているのに、しかも人に頼れないのです。こういう傾向が、どうも最近の子どもには、大なり小なり生じているように思います。それはどういうことかといいますと、いまの時代、社会の風潮そのものがひじょうに全知全能的なのです。何でもコンピューターとかテクノロジーによって思うとおりになりますね。寒くなればボタン一つで暖房は入るし、暑くなればまたボタン一つで冷房が入る。それが当たり前になって、すべてが自分の思うとおりに、人に頼らなくてもできるような時代になってきていますから、全知全能感をもったまま生きていこうという、そういうメンタリティが発達してきているのです。ですから、登校拒否とかいう問題に子どもが悩まないですむようにするためには、まず絶対的な依存の状態を十分に満足する、つまり「僕は強いんだ」「一人でやれるんだ」という自信をつけてあげる。それから今度は次に「お母さんがいないと心細いなぁ」という不安をだんだんと体験する。さらに、幼稚園から小学校のころに、それを乗り越えてなんとか一人でやっていける、独り立ちができるようになる。そういった心の発達と親離れと自立のプロセスが順調に進んでいくことが、とても大切だと思います。
＃７ 絶対的依存と相対的依存
精神分析では、「依存」というテーマはひじょうに大きなテーマですが、人間における依存というものが語られるときには必ずウィニコットという英国の精神分析学者の名前が登場します。ウィニコットは小児科医でもありまして、精神分析の中で母子関係、つまり、母親の子どもに対するかかわりというのを最も系統的にあきらかにした人です。彼はまず、依存を二種類に分けて、「絶対的な依存」と「相対的な依存」を区別しました。「絶対的依存」というのはどういうことかといいますと、客観的にみると人に依存していなければやっていけないにもかかわらず、自分は相手に依存しているという自覚がない状態をいいます。依存されている人が、「おまえは俺に依存しているんだぞ」「私がいなくなったら、おまえは困るんだぞ」「私が見捨てたら、あなたはおしまいだ」などと言わないで、最後まで依存させてあげる。依存している本人も、依存しているという自覚もない。だから見捨てられる不安もない。相手に気づかいもしないし、感謝もない。（略）このように絶対的依存の状態にいる人というのは、救いがたい人たちです。つまり、全部自分の力でやっていると思っていますから、逆にほんとうの意味で甘えるということがうまくできない。人に助けを求めるということができないわけです。（略）ところがこれに対して、相対的依存の関係というのはどういうことかと申しますと、これは、本人も相手に頼っていることに気づいている関係です。誰かに頼らなくては一人ではやっていけない、そういう自分のある種の無力さ、ヘルプレスな気持ちというものにどこかで気づいていて、そして誰かに頼ることでなんとかやっていこうとする。これを相対的な依存といいます。ですからこの場合、依存する相手がいなくなったりするとひじょうに心細くなります。「もしもお母さんがいなくなったら、僕一人でどうしたらいいだろう」と不安になるわけです。これを、「分離不安」といいます。分離不安が起ってくるのは、だいたい生後一歳半〜三歳くらいですが、これは、だんだんと自分はお母さんに依存している、頼っているということがわかってくるために起ります。そしてこの分離不安の段階を通って、幼稚園、小学校くらいになると、お母さんがそばにいなくても、自分一人でやっていけるという、いわば子どもなりの自立ができるようになっていくのです。ウィニコットはこのような相対的な依存の意識をもつことができるようになることが、人間の心の発達ではとても重要なテーマであると言っています。この意識があって分離不安があるから、頼れることのありがたみもわかり、感謝の気持ちも抱けるようになるのです。
＃８ 自己対象
少し理屈っぽいお話になりますが、コフートという人が、「セルフ−オブジェクト」ということを言いました。「セルフ」とは＜じぶん＞のこと。「オブジェクト」とは＜相手＞のこと、＜対象＞のことです。セルフ−オブジェクトあるいは、「自己対象」といいますが、これはどういう意味かといいますと、お互いに、一体感を抱き合えるような相手のことをいいます。絶えず私の身になってものを感じたり考えたりしてくれる人、私が嬉しいと、一緒に喜んでくれる。自分が失敗してみんなに非難を受けていても、あくまでもこちら側に立って「みんなが非難している気持ちもわからないでもないけれど、あなたもこういう言い分があったのだから、あなたもかわいそうね」とか、「あなたの思っていることも、もっともだわ」とか言ってくれる人、そんな人が「自己対象」といわれている人です。人間にはそういう人が絶対必要なんだとコフートは言っています。（略）ストレス解消にとっていちばん大切なことは、こうした親身になっておしゃべりしあえる仲間、パートナー、配偶者、親子関係をもてるということだと思います。それは、一種の甘えの対象で、「まぁ、きょうはちょっと甘えさせてもらおうか」と言って、「そうだ、そうだ」と言い合えるような人を、みなさんもご自分の心の健康のために、おもちになってください。おそらく、カウンセリングとかメンタルヘルスの領域でお世話をする時にも、大切なのはわれわれがこういうよい共感の相手になってあげる、そういう役目をとってあげることだと思います。人間と言うのは、少なくとも健康な心を保っていくためには、独りぼっちでは、なかなか生きていけないということです。（略）精神障害を考える上で一番大切なことは、精神障害にかかるということだけではなくて、それが原因で孤立するために、依存関係をもてなくなるということです。
＃９ 支配的依存
最近の親の中には、子どもを絶対君主ではないけれど、絶対的依存の状態のまま、それ以上おとなにさせないような親がいます。つまり、みんなお母さんがやってあげてしまって、あげくのはてに「あなたね、私がいなかったら何もできないんじゃないの」ということになる。けれどもほんとうは、天照の大神ではないけれどもお母さんが天の岩戸に入ってしまって、子どもが一人でウロウロして「ママァ、助けてちょうだい」というところもまで困って、「お母さん、ごめんなさい」「私はお母さんの言うことは何でも聞きます。だから見捨てないでちょうだい」と、こういう不安をある程度子どもに与えてこそ、はじめて子どもは現実というものを知るし、自分というものに目覚めるのです。そしてそこから、ほんとうの意味での自立と依存というテーマが出てくるわけです。ところが、そういうふうにさせては「かわいそう、かわいそう」と、母親がいつも一歩先、一歩先を面倒みてやって、子どもが「ウー」と言うと、「アー」、「ツー」と言うと「カー」とやってしまう。こういうふうに子どもを傷つけまい傷つけまいとして、面倒をみたり世話をしてあげてしまうお母さんが、けっこういますよね。これでは、子どもはいつになっても「自分がやれているのだ」という絶対依存の段階から、相対依存の段階に入れない。そして、もしもそこで挫折したりうまくいかないことがあると、「ちゃんとやってくれないお母さんが悪い」となる。絶対君主ですから、「お母さん、何をやっているんだ。グズグズして」と威張ってしまうという依存が発生します。こういう依存のあり方を、私は「支配的依存」と呼んでいます。つまり、王様が家来を脅かしながら使って、ほんとうは依存しているのだけれども威張っている、というような依存ですね。このような子どもがけっこう多いのです。自分の思うとおりにならないのはまわりが悪いからだ。お母さんがこうだったから、お父さんがこうだったから自分はいけなかったのだ、と。こういうメンタリティにずっと入り込んでいくと、やはりこれは登校拒否予備軍になりますし、いろんな問題がそこから発生します。
＃１０ 分離個体化説
最私たち精神医学者や心理学者が、親離れとか、自立を考えるときに使っているいくつかの基本的なコンセプトといいますか、そういうことを考えるキーワードみたいなものを、説明させていただきます。ニューヨークにマーラーという精神分析学者がいました。そのマーラー女史の学説で、「分離−個体化説」というのがあります。これは、日本でもアメリカでもかつて大はやりした考え方の一つですが、マーラーさんは、親離れとか自立を考える時に、この二つ「分離(Separation)」と「個体化(Individuation)」をまず区別しなければいけないと言っています。Individuationというのは、今日のテーマである“自立を求める”という意味での“自立”ということと、ほとんど同じ意味です。つまり、人間が自分で自分のことをきちんとできる。自分で自分の欲望をコントロールしたり、身だしなみをきちんとしたり、親に言われなくても自分の勉強は自分でちゃんと決まったようにやるとか、もっとさかのぼれば、一定の時と場所でちゃんとおしっこをしたり、トイレに行くというような、トイレット・トレーニングもそうです。一定の時と場所でご飯をちゃんと食べるのもそうですし、一人でちゃんと歩く、というようなこともそうだし、いろいろな運動機能も言語機能もそうです。すべてそういった、人間が一人で生きていかなければならない基本的ないろんな心身の能力がありますね。そういう能力をきちんと学習し、発達させ、身につけていくのがIndividuation、個体化の能力です。それがきとんと確立してくれることが、親子関係においては望ましいことだと思います。これに対して、Separationの方はちょっとむずかしいのです。これはいろんな定義のしかたがあります。たとえばこの分離というのは、当然親から離れるということなんですが、では親から離れるというのは、いったい何を意味しているのか。“離れる”ということは、“その段階の関係が残る”ということです。（略）ですからSeparationという問題は、ただ単に空間的に離れたりするっことじゃありません。そんなことをいったらい、家出した人がいちばん親離れがいいということになるでしょう。ところが、家でなんかした人は、“瞼の母”じゃないけれど、母を実際以上に理想化して慕う、一生親に対する負い目をもったり、親ともう一度めぐる会いたいという気持ちが残って、心の中ではちっとも親離れしないというようなことがあるのです。ですから、Separaitonというのは、その本人の心の中で、親と自分が本当の意味で親の実像がありのままに見えるようになる、ということです。これがマーラーの定義です。こうなると、親も一人の人間で、良い面も困った面もある。自分本位の感情も欲望もある、ということが納得できるようになります。（略）本当にSeparateした子どもというのは、お母さんはお母さんとしての都合があって、たとえばお母さんはお腹がすいたり、自分だけでご飯を食べたいときもあるだろうし、感情というものがあって、機嫌の悪い時もいいときもあるだろうし、自分と同じように欲望とかいろんな事情とかをもっている人間なんだということが、ノーマルに発達すれば、だいたい三歳くらいまでにはわかる、というのがこの「分離」なんです。それと並行して、子どもは自分の感情とか欲望とかを、ある程度はコントロールできるようになる。それがおよそ二歳半から三歳くらいまでの子どもの発達課題だ、というのです。ですから、分離、親離れというものを考えるときに大切なことは、ただ何時間そばにいるかというようなことではなくて、その子どもがどのくらい親との情緒関係で、自分と親の欲望、感情、都合の不一致というものに耐えることができるか。あるいは逆に、お母さんについてそれを思いやることができるかというような、情緒的な成熟の度合いが、大きな指標になるのです。
＃１１ 秘密
思春期の子どもにとってとても重要なテーマは、親に秘密をもつことだ、ということです。親に秘密をもてるようになるということは、子どもが親とは異なった自我をもち、親と自分のあいだに心の壁をつくるということです。（略）子どもも小さいときは、自分が悪いことをして親に隠しても、みんな親にばれてしまう。おとなにはわかってしまうんだと思って、嘘がつけない段階があります。ところが、正常な心の発達を遂げて中学、高校のころになると、子どもはみんな親に内緒ごとをもつようになる。だから、嘘をつくようになります。ここで大切なことは、健康な嘘や秘密と、ちょっと逸脱した嘘とか秘密のもち方を区別することです。非行だとか万引きだとか、場合によるといかがわしい集団に入ったりとか、子どもたちがそういうことをするときには、むしろ親に知られない世界をうまくもてないために、そういうところに行ってしまうという場合が、しばしばあります。健全な嘘とか秘密というのは、そういうむずかしいことではなくて、自分が感じたり、思ったり、昼間学校であったりしたことを全部、右から左に親に話さないですむようになるということです。（略）こうやって秘密をもつことを、英語ではバウンダリィ（boundary）といいます。“境界線”というんです。このバウンダリィを一つひとつつくっていくときに、秘密というのはひじょうに重要な機能を果たしているのです。そしてこれを身につけていくところで、その子の“自己”というものが育っていくわけです。まず、中学生くらいに第二次性徴期といいますが肉体的な変化が起り、その結果、男の子、女の子という自己ができていって、そのあいだに親とのあいだの境界線がだんだんできあがっていくのです。ここをまずしっかりともつことで、男、女としての慎みとか、恥、距離、遠慮とかが身についていきます。第二段階は、そうですね、中学三年くらいから高校一、二年くらいですね。このころには、親に言えないいろんな心の秘密をもつようになります。みなさんは『アンネの日記』という本を読んでいる方が多いと思いますが、今の若い人は『あんねの日記』を知らない人がけっこういますね。あの本には、まさにこれくらいの年齢、十三〜十五、六歳の思春期の少女が、どんなふうに親とのあいだに秘密をもって、自我に目覚めていくかという素晴らしい記載があります。（略）ただし、この自我の成熟というのはひじょうにきをつけなければいけない、心のもっともむずかしいデリケートなストレスをつくりだします。これはある意味では、その少女の“自我の危機”といったらいいでしょうか。とても微妙なものです。（略）親には内緒で秘密な同世代の友だちや仲間をもつということは、それ自体はとても健全な心の発達です。ただし、親にかわる同世代の親密な相手が健全であればです。これがテククラのおじさんであったりすると、困ったことにもなるわけです。（略）ここで大切なことは、親に秘密をもったら、その分だけ同性の、できれば同年齢の仲間とのあいだに秘密な関係をもつことです。できれば最初は同性がいいですね。同性を通りこしていきなり異性の親密な人のところへ行くのは、ちょっと危ないですね。（略）親離れをするということは、つまり親がわりを見つけるということなんですが、親がわりのない親離れはとても危険です。というのは、親にだけ秘密をもっても、秘密を共有する親しい人が誰もいないという状態があまり続くと、ひじょうに孤独で、孤立した状態になって、あまりよくないのです。登校拒否なんかになると、この親密な友だちが学校でできない。あるいは仲間ができない。しかし、一方では親離れをしなきゃならないといったような空白のときに、ひじょうに無気力になったり、憂うつになったり、場合によると生きていたくなったりするんですね。こういうふうに親密さということが、このころの子どもにとってはとても大切です。秘密は親密さということにつながるわけです。銅製の仲間や友だちをもてるようになり、その次に高校三年生から大学一年、二年くらいで異性のこういう親密な、気持ちを通い合わせるようなお友だちができると、ほんとうは心の発達としてはちょうどいいんじゃないでしょうか。専門的にはちゃんと心の発達には順序がありましてね、順序どおりに発達していると、その人の心は健康に発達していくことができるのです。ところが、順序を踏まないでいきなり異性関係をもってしまったりすると、心の発達の世界にとってはあとあとひじょうに不幸なことが起ってきます。やはりちゃんとした男性と女性の親密な愛情というものを体験できる能力ができて、その次にはじめて愛情関係とか肉体関係がもてるようになるのがもっとも望ましいことでしょうね。
2005年07月29日(金) 23:08:19 Modified by gedo5