青年期の心 福島章
＃１
子どもからおとなへの過渡期…友達に囲まれて明るく過ごすこともあれば、自己を見失い、深刻悩みの淵に落ち込むケースもある。
＃２
心理学や医学でいう青年期（adolescence）とは、思春期の発来にはじまり、彼らが心理社会的な自立をとげておとなの仲間入りするまでの期間であると定義する。思春期は、青年期の一部であるが、青年期の前半の部分に位置することになる。この思春期では、身体的な変化がおきな役割を演じる。一方、青年期も後半に達し、身体的には男らしい体系や女らしい体系が完成し、骨端線も閉鎖して生長も停止すると、身体的変化はほぼ終了する。しかし、心理＝社会的にはまだまだ変化と成長を続けていて、心理的には不安定な状態にある。完全にはおとなとはいえないこのような青年期後期の人々を、とくに若者、ユース（youth）、ヤング（young）などと呼ぶ。このユースの存在は、とくに先進工業諸国の産業社会が生み出したものである。そういう意味で、サモワには、青春はあってもユースはない。
＃３
産業社会は、工業化と社会的分業の発達、それに適合する労働力の育成の必要から、しだいに学校という教育制度を整備し、青年たちをもっぱら学生・生徒という形にまとめあげてきたわけである。
＃４
制度化されたこのモラトリアムの間に、青年は自由な遊びと役割実験の中で、本来の自分のあるべき姿、すなわち自我同一性（アイデンティティ）を模索するのである。
＃５
ところで、社会に一般的に公認されたモラトリアムは学生の身分であるが…中には、グレて、非行を繰り返したり、暴走族の仲間を作ったりして世間を困らせる若者もいる。しかし、そのほとんどは、青年に達することには「足をあらって」まともな生活にもどるのである。これらは、社会的には必ずしも公認されていない私的なモラトリアムであり、逸脱したもらとりあむといえよう。
＃６
さて、モラトリアムの期間、若者はまだ「何者」でもない。自分が「何者」であり、「何者」でありうるかということを模索しなければならない時代である。そこで、ある種の若者は自分がなんであるかを見失って、危機的な精神状況におちいることがある。これを「アイデンティティ拡散症候群」とか、サリンジャーの小説にちなんで「ライ麦畑でつかまえて症候群」などと呼んでいる。これも青年期に特有の病であるといえよう。
＃７
青年期が延長したということは、全人口の中で青年が占める比率がきわめて大きくなったということである。そこで、現代社会では、青年が文化の担い手としても、消費社会の主役としても、大きな役割を演じることになる。また、社会全体としては、直接には生産にかかわらないおおぜいの青年を養ってゆかなければならないことになるから、それだけ高い生産性を持っていなければならないことになる。つまり、青年期の延長は、それをささえる社会の技術革新、工業化、情報化などの変化を前提としている。
＃８
（宮沢賢治について）結局、これといって永続した仕事にはつかずに三十九年の生涯を終わったわけで、実生活ではほとんど両親の経済力のおかげで暮らしていた。その意味では彼の生涯は、死ぬまでモラトリアムのままであったということもできる。しかし、このモラトリアムのおかげで、賢治はたくさんの童話や詩を書き残し、また真剣な求道者としての一生をまっとうしたのである。
＃９
歴史的にみると、長い独立した青年期というものは、それ自体がすぐれて現代的な現象であるということができる。それは「青春」という言葉が示すように、輝かしく希望とエネルギーにあふれた時代である。しかしまた、子どもにもおとなにも所属しない過渡期というところからくる不安定さや、転換期につきものの危険や不適応とも深くかかわらざるをえない年代でもある。…そこで、この特徴を示す言葉として、彼らを社会の周辺にある者という意味で、周辺人（marginal man）と呼ぶことがある。また、子どもでもなくおとなでもない、その移行期にある者という意味で、教会人（borderline man）と呼んだりすることがある。
＃１０
思春期が人のライフサイクルの中でもとくに危機的な時代であるという意味で思春期危機という言葉が使われることもある。しかし、臨床家のこうした心配とはうらはらに、ふつうの青年たちは、なんら危機や困難や悩みを感じることなく、彼らの青春を謳歌し、何ごともなく青年期を通り抜けてゆく。…学問的にいっても、前述の意味の青年期危機説に対して、オウファーという学者は青年期平穏説というものを提唱している。…心理学者ワイナーも、「青年期がほかの年代にくらべて精神障害の徴候を示しやすいという根拠はまったくない。ふつうの青年が、不適応や精神障害をおこしやすいことはない」と述べている。
＃１１
思春期の問題の特徴は、内面的な精神症状ばかりでなく、行動上（＊非行、薬物乱用など）の問題が多いことに注目すべきである。
＃１２
統計的にいうと、自殺率の高い年代は、かつては二十代前半であった。すなわち青年期の終わり頃に多く、ここに一つのピークがあった。しかし、この傾向はしだいに変化して、現在ではこの年代の青年はあまり自殺をしなくなった。その代わりに、もう少し若い世代である思春期の自殺が社会の注目を集めるようになった。とはいえ、１９９０年の警察統計によると、この年の総自殺者２万一千人中、小学生の自殺者はわずか７名、中学生では５２名、高校生では１６６名、大学生などで２８４名にすぎない。青年層の自殺は、全自殺者と比較するときわめて少ない。…しかし、この年齢では病気による死亡が少ないので、死因統計を見ると、「自殺」は「不慮の事故」についで、死因の第二位を占めている。さらに、前途有為な青年の自殺には、心痛むものがある。
＃１３
大人の自殺には、病苦や絶望にもとづく"あきらめの自殺"が多いが、青年の自殺では死にたい気持ちと生きたい気持ちがアンビバレントになった、"もとめの自殺"が多いといわれている。また、理由や考えが熟す前に行動に走ってしまう"衝動的な自殺"も多いのだろう。そこで、青年期の自殺は、自殺予防の最も重要な対象のひとつになる。
＃１４
青年の自殺というと、昔からよく引用されたのは、一高生・藤村操である。彼は１９９３年に１８歳で日光・華厳の滝から投身自殺した。これは、「人生論的な自殺」とか「純粋自殺」などといわれた。大学紛争がさかんだった時代、列車に飛び込み自殺した女子学生・高野悦子の年齢は２０歳で、その手記は『２０歳の原点』として出版され、当時かなり読まれた。彼女の悩みは、単なる個人的な悩みというよりも、個人と社会的な問題のかかわりの中で動機が形成されている。この点で、１９６０年代という時代を反映しているともいえる。同じ２０歳の自殺ととしては、文学を志した原口統三の『二十歳のエチュード』が有名で、これは終戦後間もない時期の文学的な自殺であった。一方、１９７５年に岡真史という中学生が自殺しているが、その生前の詩と手記が、作家である父親の高史明氏と母親の岡百合子氏の手によって出版された（『ぼくは１２歳』）。この本は、思春期前期の少年の純粋な意識と思想を知るより手がかりとなる。…大衆社会現象をまきおこした自殺としては、１９８６年４月、１９歳のアイドル歌手・岡田有希子さんの飛び降り自殺である。この自殺は動機はよくわからないが、これが新聞、テレビ、週刊誌んどに大きく報道されると、同世代の十代の少年少女の後追い自殺が急に増加し、その年の自殺統計を大きく膨らませた。ただし、翌年になるとこの年代の自殺はまた減少した。この現象は、自殺願望をもつ自殺予備軍が思春期の年代にいかに多いかを示すものであった。
＃１５
さて、非行、自殺、暴力、登校拒否というように病理を並べてみたが、これらはいずれも問題行動であって、精神症状ではない。思春期の入り口では、危機に出会っても、それを心理的に加工したり、精神的に処理したりできるほど、まだ自我が成熟していないのである。そこで彼らは、それを心理的葛藤や精神症状として意識化するよりも、問題行動として行動化して表現するほかないのである。これが、思春期の病理のひとつの特徴である。
子どもからおとなへの過渡期…友達に囲まれて明るく過ごすこともあれば、自己を見失い、深刻悩みの淵に落ち込むケースもある。
＃２
心理学や医学でいう青年期（adolescence）とは、思春期の発来にはじまり、彼らが心理社会的な自立をとげておとなの仲間入りするまでの期間であると定義する。思春期は、青年期の一部であるが、青年期の前半の部分に位置することになる。この思春期では、身体的な変化がおきな役割を演じる。一方、青年期も後半に達し、身体的には男らしい体系や女らしい体系が完成し、骨端線も閉鎖して生長も停止すると、身体的変化はほぼ終了する。しかし、心理＝社会的にはまだまだ変化と成長を続けていて、心理的には不安定な状態にある。完全にはおとなとはいえないこのような青年期後期の人々を、とくに若者、ユース（youth）、ヤング（young）などと呼ぶ。このユースの存在は、とくに先進工業諸国の産業社会が生み出したものである。そういう意味で、サモワには、青春はあってもユースはない。
＃３
産業社会は、工業化と社会的分業の発達、それに適合する労働力の育成の必要から、しだいに学校という教育制度を整備し、青年たちをもっぱら学生・生徒という形にまとめあげてきたわけである。
＃４
制度化されたこのモラトリアムの間に、青年は自由な遊びと役割実験の中で、本来の自分のあるべき姿、すなわち自我同一性（アイデンティティ）を模索するのである。
＃５
ところで、社会に一般的に公認されたモラトリアムは学生の身分であるが…中には、グレて、非行を繰り返したり、暴走族の仲間を作ったりして世間を困らせる若者もいる。しかし、そのほとんどは、青年に達することには「足をあらって」まともな生活にもどるのである。これらは、社会的には必ずしも公認されていない私的なモラトリアムであり、逸脱したもらとりあむといえよう。
＃６
さて、モラトリアムの期間、若者はまだ「何者」でもない。自分が「何者」であり、「何者」でありうるかということを模索しなければならない時代である。そこで、ある種の若者は自分がなんであるかを見失って、危機的な精神状況におちいることがある。これを「アイデンティティ拡散症候群」とか、サリンジャーの小説にちなんで「ライ麦畑でつかまえて症候群」などと呼んでいる。これも青年期に特有の病であるといえよう。
＃７
青年期が延長したということは、全人口の中で青年が占める比率がきわめて大きくなったということである。そこで、現代社会では、青年が文化の担い手としても、消費社会の主役としても、大きな役割を演じることになる。また、社会全体としては、直接には生産にかかわらないおおぜいの青年を養ってゆかなければならないことになるから、それだけ高い生産性を持っていなければならないことになる。つまり、青年期の延長は、それをささえる社会の技術革新、工業化、情報化などの変化を前提としている。
＃８
（宮沢賢治について）結局、これといって永続した仕事にはつかずに三十九年の生涯を終わったわけで、実生活ではほとんど両親の経済力のおかげで暮らしていた。その意味では彼の生涯は、死ぬまでモラトリアムのままであったということもできる。しかし、このモラトリアムのおかげで、賢治はたくさんの童話や詩を書き残し、また真剣な求道者としての一生をまっとうしたのである。
＃９
歴史的にみると、長い独立した青年期というものは、それ自体がすぐれて現代的な現象であるということができる。それは「青春」という言葉が示すように、輝かしく希望とエネルギーにあふれた時代である。しかしまた、子どもにもおとなにも所属しない過渡期というところからくる不安定さや、転換期につきものの危険や不適応とも深くかかわらざるをえない年代でもある。…そこで、この特徴を示す言葉として、彼らを社会の周辺にある者という意味で、周辺人（marginal man）と呼ぶことがある。また、子どもでもなくおとなでもない、その移行期にある者という意味で、教会人（borderline man）と呼んだりすることがある。
＃１０
思春期が人のライフサイクルの中でもとくに危機的な時代であるという意味で思春期危機という言葉が使われることもある。しかし、臨床家のこうした心配とはうらはらに、ふつうの青年たちは、なんら危機や困難や悩みを感じることなく、彼らの青春を謳歌し、何ごともなく青年期を通り抜けてゆく。…学問的にいっても、前述の意味の青年期危機説に対して、オウファーという学者は青年期平穏説というものを提唱している。…心理学者ワイナーも、「青年期がほかの年代にくらべて精神障害の徴候を示しやすいという根拠はまったくない。ふつうの青年が、不適応や精神障害をおこしやすいことはない」と述べている。
＃１１
思春期の問題の特徴は、内面的な精神症状ばかりでなく、行動上（＊非行、薬物乱用など）の問題が多いことに注目すべきである。
＃１２
統計的にいうと、自殺率の高い年代は、かつては二十代前半であった。すなわち青年期の終わり頃に多く、ここに一つのピークがあった。しかし、この傾向はしだいに変化して、現在ではこの年代の青年はあまり自殺をしなくなった。その代わりに、もう少し若い世代である思春期の自殺が社会の注目を集めるようになった。とはいえ、１９９０年の警察統計によると、この年の総自殺者２万一千人中、小学生の自殺者はわずか７名、中学生では５２名、高校生では１６６名、大学生などで２８４名にすぎない。青年層の自殺は、全自殺者と比較するときわめて少ない。…しかし、この年齢では病気による死亡が少ないので、死因統計を見ると、「自殺」は「不慮の事故」についで、死因の第二位を占めている。さらに、前途有為な青年の自殺には、心痛むものがある。
＃１３
大人の自殺には、病苦や絶望にもとづく"あきらめの自殺"が多いが、青年の自殺では死にたい気持ちと生きたい気持ちがアンビバレントになった、"もとめの自殺"が多いといわれている。また、理由や考えが熟す前に行動に走ってしまう"衝動的な自殺"も多いのだろう。そこで、青年期の自殺は、自殺予防の最も重要な対象のひとつになる。
＃１４
青年の自殺というと、昔からよく引用されたのは、一高生・藤村操である。彼は１９９３年に１８歳で日光・華厳の滝から投身自殺した。これは、「人生論的な自殺」とか「純粋自殺」などといわれた。大学紛争がさかんだった時代、列車に飛び込み自殺した女子学生・高野悦子の年齢は２０歳で、その手記は『２０歳の原点』として出版され、当時かなり読まれた。彼女の悩みは、単なる個人的な悩みというよりも、個人と社会的な問題のかかわりの中で動機が形成されている。この点で、１９６０年代という時代を反映しているともいえる。同じ２０歳の自殺ととしては、文学を志した原口統三の『二十歳のエチュード』が有名で、これは終戦後間もない時期の文学的な自殺であった。一方、１９７５年に岡真史という中学生が自殺しているが、その生前の詩と手記が、作家である父親の高史明氏と母親の岡百合子氏の手によって出版された（『ぼくは１２歳』）。この本は、思春期前期の少年の純粋な意識と思想を知るより手がかりとなる。…大衆社会現象をまきおこした自殺としては、１９８６年４月、１９歳のアイドル歌手・岡田有希子さんの飛び降り自殺である。この自殺は動機はよくわからないが、これが新聞、テレビ、週刊誌んどに大きく報道されると、同世代の十代の少年少女の後追い自殺が急に増加し、その年の自殺統計を大きく膨らませた。ただし、翌年になるとこの年代の自殺はまた減少した。この現象は、自殺願望をもつ自殺予備軍が思春期の年代にいかに多いかを示すものであった。
＃１５
さて、非行、自殺、暴力、登校拒否というように病理を並べてみたが、これらはいずれも問題行動であって、精神症状ではない。思春期の入り口では、危機に出会っても、それを心理的に加工したり、精神的に処理したりできるほど、まだ自我が成熟していないのである。そこで彼らは、それを心理的葛藤や精神症状として意識化するよりも、問題行動として行動化して表現するほかないのである。これが、思春期の病理のひとつの特徴である。
2005年08月06日(土) 02:34:25 Modified by gedo5