大阪市阿倍野区は、人口20万人の大阪でも有数の区です。このwikiでは、そんな阿倍野区にある地名の由来や駅名の由来、伝説などを取り上げます。

丸山通
昔、この地に上町台地古墳群の一つである丸山古墳という古墳があったので、地名はそれに由来する。小さな墳丘で老松が茂り宝冠型石塔が丘上にあった。1923年に発掘されたが、今古墳は碑を残し消滅している。理由は、この古墳の土が鋳物型に適していたのでイギリス海軍工廠(こうしょう)が購入し持ち帰ってしまったからである。その際、石棺や香炉などの副葬品がたくさん発見されたが、当時、考古学はマイナーで残念ながらどこかに消え去った。

帝塚山
帝塚山古墳にちなむ。帝塚山1丁目しかなく、2丁目以降が無いという不思議な地名である。(住吉区にもあるが中、東、西にわかれている。)帝塚山古墳は、もと大手塚と子手塚の2古墳あった。現存するのは、大手塚のほうである。小手塚と大手塚前方部は、切り崩されてしまい今はない。手塚山が帝塚山に変わった時の話として、明治31年(1898)11月に、明治天皇が、陸軍大演習を望見したのがこの場所でそれに記念して改称したとあるが、それは、間違いで江戸時代に書かれた「摂津名所図会」にその名が載っている。なお、帝塚山古墳は、6世紀頃の前方後円墳(後円部のみ現存)で、全長100m,後円部径50m,前方部幅56m。ふきいしと円筒埴輪の存在が知られている。埋葬者は、不明。

万代
万代池が名称由来。万代1丁目が阿倍野区、2−6丁目が住吉区という珍しい割り振りになっている。伝説によると、昔、この池に不思議な魔物が住み着いていて熊野街道を、行き交う人を恐れ悩ましていた。その話を聞いた聖徳太子が、使者を遣わして曼荼羅経(まんだらきょう)を投げ入れたところ、魔物が雲散霧消した。それ以降、村人は、この池を曼荼羅池と呼び、それがなまって万代池となった。帝塚山古墳の周濠(しゅうごう=濠)と言う説もある。池の名前は、「まんだい」だが、町名の読みは「ばんだい」である。

共立通
元天王寺村字奥経立、字中経立、字経立。阿倍寺経立坊という一坊があった。区の町名になる際、経立を共立に改称。読みは、天王寺村時代は「きょうだつ」。現在は「きょうりつ」

相生通
天神ノ森方面(西成区)から東に伸びる町並みと、阿倍野筋から西へ伸びる町並みが、出会ったので相生通と命名。

播磨町
播磨塚が町名の由来。播磨塚の名の由来は詳しいところは不明。
一説によると、南北朝時代、住吉合戦で楠木正成軍(南朝)と赤松円心(北朝)が戦った際に敗れた北朝側の赤松円心の子貞範(さだのり)が、500騎の味方の供養のために作ったともいわれている。

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