大阪市阿倍野区は、人口20万人の大阪でも有数の区です。このwikiでは、そんな阿倍野区にある地名の由来や駅名の由来、伝説などを取り上げます。

阿倍野地名録ーその3−
長池町
長池が町名の由来。長池は、上町台地と我孫子丘陵の間にあり猫間川とつながっていた。明治初期までは、長池と桃が池はつながっていた。長池公園は、昭和3年(1929)に竣工した。長池のほとりにある舗装歩道は、日本初のものである。ほとりに、大正13年(1924年)シャープの基となる早川電機が早川徳次によって開業した。一説によると、大昔に、長居池と呼ばれる住吉大社から阿倍野まで広がる巨大な池があった。長池や桃が池や長居公園の中池は、その痕跡だといわれている。

桃ヶ池町
桃ヶ池、股ヶ池、百池、脛池など当て字が多いが、全て同じ場所を指している。明治、大正年間までは、股ヶ池と称されており、南海平野線(廃線)の駅名も「股ヶ池」だった。桃が池の名称由来として、摂陽群談に次のような話が載っている。昔、推古天皇の御世に大蛇がこの地に住み着き大勢の人を苦しめていた。そこで、村民代表が、聖徳太子に「大蛇をなんとかしてください。」と、嘆願しに行った。太子は、早速使者を、大蛇退治に向かわせた。使者は、池に到着したが、濁っているので深さがわからない。心無い村民が、「この池は、とても深いから池中に入ることは出来ない。」といったが、入ってみるととても浅くて股までしか水深がなかった。使者は、太子に授けられた呪文を唱えながら、宝弓を引き絞り、御神矢を放った。神矢は、狙いたがわず大蛇の眉間のど真ん中に命中した。大蛇は、ひとしきり咆哮を上げたが、やがて静かになり息絶えた。それ以降、この池を股が池と呼ぶようになった。明治の頃は、北と南に分かれていた。貸しボートもあり、月見の名所だった。昭和8年(1934)に、現在の形に池を整理し公園化された。そして、地名も「股ヶ池」から「桃ヶ池」に改称された。

西田辺町
江戸時代から大正時代までは、猿山と言われていた。田辺村の西方にあるので、西田辺と改称した。明治末期まで、典系的な田園地帯であった。田辺大根や天王寺蕪などを栽培していた。また、牧場もあり牛乳工場があった。天王寺かぶらは、野沢菜の元になった品種で、干しかぶらが美味だった。
「わしの母さん 天王寺蕪青(てんおうじかぶら) 色が白うて 背が低い(古代の里謡)」

美章園(びしょうえん)
大阪の財界人で有名だった山岡順太郎の父,山岡美章が、大正時代に美章土地株式会社を設立し宅地開発を行い、美章園と名付けて売り出した。その後、地名として採用された。
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