射手座の日 宣戦布告編 作者：十一
秋の青空は見上げてもきりがないほど高い。
ＳＯＳ団こと文芸部部室の窓から差し込む陽光は柔らかい。執事姿の朝比奈先輩が入れてくださった緑茶に天上の光の彩りがそえられて、飲むのがもったいないくらい。
まったく、目にも舌にもやさしい季節だ。
されど馬も肥える季節。お風呂の前に乗る体重計もちょっと憂鬱な方向に回りだしていて、あたしの頭から生えたポニーのしっぽも心なしかしょんぼりとした垂れ方になっている。
窓からすきま風が入り込んできた。
あたしはカーディガンを羽織り直し、オセロ盤に石を打った。
盤面を自分色に染めながらも、あたしはため息をひとつ吐いてしまう。防寒の役にも立たないむだに蓄えられたお腹のお肉、これがあと１０センチ上に移動してくれればプラスマイナス０なんだけど……。
現実とはかくも厳しいものだということだろう、やれやれ。
「いえいえ、あなたの体重は同年代の平均からまったく逸脱のない理想的なものですよ。じつに健康的で、ルネサンス的自然美にあふれた体と言ってもいいでしょう」
……あたしの心を読むな。いつのまにか新しい超能力でも身につけんじゃなかろうな。
白と黒の比率がいちじるしく間違っているオセロの盤をはさんで、あたしの目の前でどこまでも爽やかな微笑を唇にためてほざくはＳＯＳ団副団長、古泉一姫。朝比奈先輩と双璧をなすＳＯＳ団のマスコット的存在である彼女は、贅肉一つないお腹の上に女子高生の平均を軽く凌駕したふたつのふくらみという、理想も理想なプロポーションを食欲の秋のなかでも維持しつづけている。
ああ妬ましい。素直に心の底からうらやましい。
「身体測定の時にくらべっこした覚えはないが……『機関』とやらはあたしの個人情報も握っているのか？」
もしそうなら、ハルヒコの椅子に噛みかけのガムを毎日設置してやる。
閉鎖空間千本ノックでも経験すれば、そのつねっても変わらない笑顔もちょっとはひきつるかもねぇ？
あたしが半眼でにらむと、一姫は腕をばっと横にひろげて“降参です”というポーズをとった。
「とんでもない。私はもとより、機関もあなたを敵に回すなんて事態はこれっぽっちも想定していません。
ええ、その証拠に……あなたの幸福の糧になるならいつでもこの身を捧げると、この場で誓ってみせましょうか？」
女のあたしにも色気を感じさせるウインクを一つして、一姫はかき抱くように腕をひろげた。カップサイズが想像できない異次元なバストが、あたしの目の前で強調される。
「こんなつまらない体でよければ、お好きなようにしてもらっても構いませんよ？」
やかましい。
あたしは盤上にとどめの一撃を加えてから、極上のお茶をやわらかい秋の光ごと口にふくむ。
先輩心づくしの味が舌から身体中にしみわたって、くさくさした気持ちが晴れていく。清爽際涯を知らずとはこのことか。
「もう一杯いかがですか？」
ぱりっとした燕尾服に身を包んだ朝比奈先輩が天使のような微笑みをお浮かべになっている。うん、じつに癒される。一姫の裏がありそうな０円スマイルとはえらい違いである。
「ありがとうございます」
執事姿の朝比奈先輩から手ずからお茶を淹れて頂く。
ああ、こんな幸福が他にあるだろうか？
あたしほど恵まれた女子高生は、日本中を鐘や太鼓で探しても見つかるはずは……。
「古泉さんもおかわりいかがですか」
「ああ、どうもありがとうございます。このような美味しいお茶が頂けるなんて、私は三界一の果報者ですね」
「ははは。味わって飲んでくださいね」
向かいの席で同じようにご奉仕を受ける一姫。なんか納得がいかない。
あたしが目を細めて無言でにらんでいると、一姫はお茶に口をつけながらこちらに意味ありげな流し眼をくれた。……こいつ、やっぱり読心術の心得でもあるんだろうか。
それでも朝比奈先輩のお茶のすばらしさが薄れることはない。宇宙規模の厄介事や未来的事件や超能力気味な災害に見舞われたとしても、この一瞬があるだけでＳＯＳ団なる胡乱な活動に参加してきた甲斐がある。
どこからか入り込んできた透明な風がカーテンを揺らしている。
朝比奈先輩がわかしたお茶のポットがカタカタと小さく音を立てて、しゅんしゅんと湯気をたてている。
紙と紙がすれる幽かな音もする。長門が規則正しくリズミカルに本をめくっている。
一姫はもはや勝敗の決したオセロ盤をじっと眺めて長考に入っている。黙ってさえいれば、彼女は確かに一幅の絵画にでも収められるべき美少女で、女のあたしでもはっとさせられてしまう。
そして、あたしはまた熱いお茶を口に含む。
ハルヒコなくしてＳＯＳ団はありえないかもしれないが、ハルヒコ抜きの文芸部部室はかくも落ち着く空間になりうるのかと、ほうと一つ小さなため息などついてみた。
「ところで涼宮君はどちらに？」
ようやく、日が暮れるまで考えても逆転の目はないとさとったらしい。オセロ盤から顔をあげて、湯呑を行儀よく両手で持ちながら一姫がたずねてきた。
「掃除当番だ。あいつがいないと平」
ドンドン！
やおら、ドアがやや乱暴にノックされた。
誰だろう。
まったりとした時間をとつぜん中断され、あたしは眉をひそめた。
さきほどから部屋の片隅で物音一つ立てず読書に耽っている『文芸部員』長門には悪いが、こんな場末の部室にやってくる人間など団員以外には皆無だ。
可能性のひとつとして考えられるのは『依頼者』であるが……どうだろう。
我がＳＯＳ団はミステリーな事象を校内外問わず募集している。学校の掲示板にポスターを貼ったこともあるし、更新もろくにしないちゃちなホームページを見ていただければその旨きちんと書かれている。
だがこれまで、そんな物好きな人間が訪れたことはない。夏休み前に起こった失踪事件の捜索依頼が最初で最後のことだった。それに、あれも結局マッチポンプ的な事件だったし。
さらに言えば、ドンドンと乱暴に扉を揺らす激しいノック。とても『依頼』なんておだやかな単語にはつながらない。あえて表現するなら『取り立て』とかいった類の言葉だろうか。もしかしたら文芸部部室に居座る不審者集団に対し、ついに生徒会が強権を発動しに来たのかもしれない。
「は、はーい。いま開けまぁす」
強い調子のノックに、朝比奈先輩もおびえた顔をして小走りにドアの方へと向かっていった。
「あ……」
扉を開けた朝比奈先輩が、何か不可視のオーラに圧されるように後ずさる。
「コンピュータ研の部長さん……」
そう。
扉の向こうで四人の男子部員をしたがえ、不機嫌そうな顔で腕組みをしていたのはお隣さんのコンピュータ研の部長であった。
「団長さんは不在？」
ふん、とコンピ研部長は不機嫌そうに鼻を鳴らし、部屋のなかを見回す。
いきなりやってきて、この険悪な雰囲気。いったいなんだろうね。……と、言いたいところだけどこの人に関してはあたしたちもいろいろと後ろめたいことがあるので、どうも強くは出にくいというのが正直なところだ。
「何か用ですか？」
この半年で磨かれたセンサーがさきほどから強い調子で警告音を発している。あたしはとりあえず最大限にフレンドリーな笑みを浮かべて対応した。
「……用がなければ、ボクだってこんなところに来たくはない」
無言でぬぼーっと立つ男子部員たちに加え、敵意を隠そうとしないコンピ研部長のツンとした吊り目に射抜かれて朝比奈先輩が委縮してしまっている。不本意ではあるが、宇宙や超能力、未来的トラブルでないかぎり、ＳＯＳ団絡みの苦情受付けはなぜかあたしにお鉢が回ってくる仕組みになっているのだ。
相手が男ならばここで一姫の満点スマイルをぶつけてやるのだが、残念ながらコンピ研部長に対して効果は望めないだろう。
コンピ研部長は……彼女は、ツインテールがよく似合うかわいらしい少女だからな。
＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊
これまで行ってきたＳＯＳ団の悪行を数え上げたら両手両足の指を使っても足りないだろうという事実を思うと、いつもデリケートなあたしの胸はズキズキと痛みだす。
結成宣言がなされて“まず手始めに”とばかりに文芸部部室を占拠して。
間を置かずに、上級生の拉致と監禁。
次いで、コンピュータ研からの備品の強奪だ。
そろそろＳＯＳ団への恨みの定期貯金も満期を迎え、どこぞから払い戻しが来るころだろうとは思っていたけど、
「ボクたちとそのゲームで勝負しなさい！」
こんな展開は予想してなかった。
「勝負、ですか」
手渡されたコンピ研謹製の『THE DAY OF SAGITTARIUS �掘戮班修暴颪�れたゲームソフトを片手に、あたしは素直に疑問を口にした。
「……なぜ？」
むぅ、とコンピ研部長は頬をふくらます。
「つべこべ言わずに勝負よっ！
それともなに？ いくらボクらに勝てる気がしないからって戦う前から逃げだすなんて、ＳＯＳ団は腰ぬけぞろいなのっ？！」
まあねえ、たしかに、同人ゲームで製作者に勝てるとは思えないけど。
自分の事情を棚にあげまくるこの強引さは、うちの団長さまと通じるところがあるな。後ろでひかえるコンピ研部員もさぞかし苦労していることだろう。大いに同情する。
しかし、キャンキャン騒ぐ部長を見つめる他の男子部員たちは厄介者を持て余すというよりは、なにか微笑ましいものを見ているかのような温かい目をしていた。
そう。例えるなら、保護者が手のかかる妹や飼い犬を見つめるような“まったくしようがないな〜、この子は”といった慈愛のこもった目だ。
あたしも小柄なほうだが、コンピ研部長はさらにちっちゃくて１５０センチあるかないかだろう。中学生といっても通るかもしれない。ちなみに弟の親友にミヨキチという小学生の男の子がいるが、早めの成長期がきたのか、彼はすでにあたしと同じくらいの背丈である。
小学生男子以下の身長の上に他の部員たちに囲まれているので、コンピ研部長はさらに小柄に見えてしまう。
「なにのほほんと目を細めているんだよ？！ ボクは勝負を申し込みにきたんだぞぉ！」
彼女はちょっとサイズの合っていない制服の裾をぶんぶかさせながら騒いでいる。たしかに男ならずとも保護欲をかきたてられるな。一つ年上のはずだけど、あたしまで頭をなでなでしてあげたくなる。もしも妹がいたらこんな感じなのだろうか。
後輩からそんな目で見られているとは知らずにコンピ研部長は、
「ボクと勝負だよっ！ 勝負しょうぶっ、しょ・う・ぶぅぅーっ！！」
ぶんぶんと腕を振り回している。本当に子供か。
それにしてもだ。『勝負』だなんて物騒な言葉を、部室の前であまり連呼しないでほしい。
もしも、あいつの地獄耳が聞きつけたりしたら……
「うりゃっ」
「ひあああっ？！！」
廊下にコンピ研部長の叫び声が響いた。
ああ……手遅れだったようだ。
いつのまに湧いたのか、彼女の後ろに男が一人。男の形の良い手には部長のツインテールがしっかりと握られていた。
脚はバレエダンサーのようにすらりと長くて、髪を引っ張られて“うにゃ〜っ”と奇声をあげて抵抗する部長との体格の差はまるで大人と子供だ。
そして暴れる犠牲者を頭ひとつ高いところから見下ろす嫌みなほど整った顔が、まるでお菓子の家を見つけた子供みたいに輝いている。
「だっ誰だ、だれだだれだぁぁ〜っ？！」
男の腕をつかみ、幼児がいやいやするような格好で部長が叫んだ。
言わずもがな、悪名高きＳＯＳ団団長・涼宮ハルヒコだ。
あくびをしたらとつぜんウサギが口の中に飛び込んできたライオンのような笑みを浮かべたハルヒコは、
「おまえらこそ何者だよ。どこの秘密組織の差し金だ？
俺のＳＯＳ団を相手にしようっていうんだ。さぞかし有名どころなんだろうな。
フリーメーソンか？ ＭＩＢか？ イルミナティ、フリィスティ、トゥーレ協会？ それともすこしマニアックなところで地獄の火クラブとかか？！」
ずいぶんと楽しそうだった。
しかし尻尾をつかまれ宙づりになった仔猫のように暴れる部長の情けない姿に、すこしボルテージが下がったようだ。
「だけど……ずいぶんへたれな刺客だな。
もしかして新興組織なのか？ 世界暗黒ツインテール普及協会とか、そんないかがわしい類の」
なんだそれは。
それに、どんな秘密組織もＳＯＳ団ほどいかがわしくはないと思うぞ。
「あっ、にゃっ、放せぇ〜っ！ ぼ、ボクの体にさわっていいのは一人だけなんだっ！」
「ぶ、部長〜っ」
コンピ研部長の取り巻きが情けない声をあげる。虜になっている部長の心配はしているようだが、ハルヒコに向かっていく者はひとりもない。全員腰が引けている。
無理もない。
北高一の名物男。歩く大迷惑。周囲に混沌と騒乱をまき散らす予測不可能な台風のごとき存在。
涼宮ハルヒコに好んで近づきたいと思う物好きなど、クラインフェルターの三毛猫ほどレアな存在だろう。
「うぅ、おのれっＳＯＳ団っ！ 不意打ちとは卑怯なっ、って、やめろっ！ いやぁっ、そ…そんなところぉぉ、んぅぅぅっ、ひわわわわっ？！」
……誤解のないように一応断っておく。ハルヒコは子供が猫のしっぽをいじるみたいな手つきで彼女のツインテールをひっぱっているだけだ。
ハルヒコの性格なら問答無用でドロップキックでもかますかと思ったが、一応は性差に応じて対応を変えるくらいの分別は存在していたらしい。
だが、多少やりすぎの感も否めないな。どうひいき目に見ても婦女暴行現場だ。
「なにを言っているんだキョン。勝負事は常に先手必勝だぞ。
初手を取ってしまえば、先に売られたケンカでもたいていは勝つ」
「物騒なことをぬかすな。あたしは、いくら売られた喧嘩でもやりすぎだって言ってるんだ。
髪は女の命だぞ、放してやれ」
「ひぅぅっ、そっ、そうだそうだぁっ！ はなせよ、バカバカバカぁ〜っ！！」
「まだまだ元気そうだな。もう少し弱らせておこう」
「うあ？！」
「……いや、ハルヒコ。あまり手荒なことをされても困るが、ヒトは髪をつかまれたくらいではどうにもならんと思うぞ」
「ふふん、教養のない女め。こういうキャラはツインテールが本体にして弱点だと相場が決まっている」
なんだ、その幼稚園児も恥ずかしくて口に出せないような怪獣映画みたいな設定は。
そんな馬鹿なことあるわけないだろう。コンピ研部長の方を見てみると、
「んひゃぁっ？！ ひゃん、あっ、ふゃぁぁぁ〜！ だっだめぇ、力が抜ける〜、きゅぅぅぅ……」
頬を紅潮させ奇声をあげていた。もだえるコンピ研部長のちんまい身体からみるみる力が抜けていく。
って、おいおい。
「おまえ、本気でツインテールが弱点なのか？」
かくいうハルヒコにも予想外だったらしい。呆れたような顔をしながら、ぴこぴことツインテールをひっぱり続ける。
「にゃっ、にぁぁぁぁぁ〜！」
人体の限界寸前まで内股になってぴくぴくと痙攣するコンピ研部長。もはや自力で立っているというより、ツインテールをつかむハルヒコの手に支えられているような格好だ。吊り上がった目尻に涙がたまって、赤く染まった頬へとこぼれていく。だらしなく開いた口から、はぁはぁ、と熱い吐息がもれている。
「……」
「……」
「……」
目の前で展開される上級生の痴態に、あたし、ハルヒコほかコンピ研一同みんな長門よろしく三点リーダを安売りしてしまう。
ふと視線を感じて顔をあげると、両手で哀れな犠牲者の髪を玩びつつもハルヒコがなにかメッセージ性のこもった瞳であたしを見ていた。
……なんだよ。人前でそんなじっとりじっくり見つめるな。って、べつに二人きりで見つめ合いたいとか、そんな願望は決してないぞっ。だっ、だからそんな真剣な瞳でみつめるなぁっ！
無言でコンピ研部長のツインテールをもてあそびつつも、ハルヒコはあたしの顔に穴をあけんばかりに凝視してくる。熱視線がハルヒコビームとなってあたしの顔を貫通したのか、後頭部がむずむずしてきた。とくにポニーテールのあたりが……ん？ おい、まさか？
「……言っておくけどあたしのポニーテールは弱点でもくす玉のひもでもないぞ。引っ張ってもなにも起こらないからな」
「なんだ、つまらん」
ハルヒコはいいかげん飽きたのかようやくツインテールを解放した。へたりとコンピ研部長の身体から力が抜け、廊下に力なく手を突いた。
「ハァハァ……よくも、栄光あるコンピュータ研を率いるボクに対してこんな目にあわしてくれたわねっ！？
やはり許すまじ、ＳＯＳ団っ！」
ばっ、とツインテールをなびかせて立ち上がるコンピ研部長、うるんだ瞳にめらめらと炎が浮かんでいた。
するとハルヒコは怪訝そうな顔をして、
「コンピ研？ なんだ、誰かと思えばお隣さんかよ。
キョン、どうしてこんなへたれツインテールがうちにケンカ売りにきたんだ？」
“誰かと思えば”って、おまえろくに確認もせずにへたれツインにつかみかかったのかよ。
「……そそそっ揃いもそろって、へたれツインとはなんだぁっ？！ この場で天誅を下してやるぅっ！！」
「ぶっ部長〜」「落ち着いてくださいっ」「正面からじゃあ勝ち目はありませんって！」「へたれもツインテールも、ついでにつるぺたな胸も部長の萌えどころですからっ！」
逆上してハルヒコにつかみかかろうとするコンピ研部長と、それをどうどうとおさえる部員一同。
「で？ 本当になんなんだよ、おまえら」
宣戦布告してきたのが秘密組織ではなく学内の一団体だったことに、ハルヒコの顔から興味や期待と言った感情が急速になくなっていく。本当にわかりやすい性格をしたやつだ。
四方から両腕、両ツインテールをつかまれ、再びくねくねともだえていたコンピ研部長だったが、ハルヒコの言葉に正気に戻ったらしい。
鼻の下をのばし恍惚とした表情で身体を押さえつけている部員たちを跳ねのけ、彼女は面倒くさそうな表情をしたハルヒコに指を突き付ける。
「そっそうだ！ 今日はねっ、キミらに不当に鹵獲されたボクらコンピュータ研の備品を取り戻すため、勝負を申し込みに来たんだよっ！」
なるほど。やはり、そういったわけだったか。
……しかし“鹵獲”ってのは戦勝者が負けた相手から物をぶんどることであって、勝負する前からそんなゲンの悪い言葉を使うこともなかろうに。どうもこの部長さん、根っからのへたれ体質の持ち主のようだ。
「ロカクも八角も、あれはちゃんとした手続きを踏んで譲り受けたもんだしなあ。
覚えてるよな、キョン？」
いや、そこであたしに振られても。コンピ研のみなさんに大変申し訳のない気持ちがわいてくるんだが。
罪の意識など欠片もないことをほざきつつ、ハルヒコは同意を求めるようにこちらに振り向いて、
「あ？」
きっちり整った眉を、怪訝そうに八の字にした。
……うら若き女子高生の顔を見て失礼な反応をする奴だな。なんだよ。
三十三間堂に居並ぶ千手観音像のなかにひとつだけキャベツ畑人形が混じっているのを発見してしまったかのような顔をしたハルヒコの視線は、あたしの肩のあたりに固定されていた。
なにか、あたしに背後霊でも憑いているのだろうか。うちのシャミセンが見せたことのない動物的霊感とやらも、ハルヒコなら持ち合わせていても不思議じゃないが……。
と、
くいっ
何者かがいきなり、修辞表現抜きであたしの後ろ髪を引いた。
「ぁぁんっ？！」
不意のことに思わず大きな声をあげてしまい、あわてて口をおさえる。
なっ、なんて声を出しているんだ、あたしは……。
まるでウォッシュレットをはじめて使ったチンパンジーのような表情で、男どもがあたしを見ていた。口をおさえた手にみるみると熱が伝わってくる。どんどん頬に血が集まっている。
そそそそっ、そんな目で見るなっ、とくにハルヒコぉ！
真っ赤な顔したあたしがにらむと、全員さっと視線をそらした。
「――ボクの寛容な精神でもって過去の卑劣な窃盗行為に関してはなかったことにしてあげる。だから今度はこちらの出した条件下でもって正々堂々と――」
辺りに広がる微妙な空気にコンピ研部長だけは気付かず、ひとり熱を吹き続けている。
そして、謎の狼藉者はといえば今もなお、あたしのポニーテールをぎゅっとつかんだままだった。
ちくしょう、女の子にあんな声をあげさせやがって。いったい誰だこのやろう！
きっ、と振り向くと液体ヘリウムのような瞳がお出迎え。
無表情であたしのポニーテールの端を握っていたのは、部室の片隅で本を読んでいたはずの長門だった。足音ひとつ立てずにあたしの後ろを取ったのはさすが万能宇宙人といったところだけど……だけど、でも、なんで、そんなことをする必要があったのかなぁ？
って、こら！ 無表情でポニーをにぎにぎするなぁ、しごくなっ……はぁんっ♪
「ユニーク」
「ゆっ有紀だけ、ずるいぞ！ 俺にもやらせろっ」
おっおまえまでなに言ってんだばかものっ、手をわきわきさせるなっ！ 長門もいい加減に放せっ、いや、そんな不思議そうに首をかしげてないでね？！
「……というわけでっ、ボクらコンピュータ研は歴史的正当性をもってＳＯＳ団に対し宣戦ふこ……ねぇ、ちょっとキミたち？」
「団長命令だ！ そのポニーテールを俺に渡すんだっ」
「副団長の私もぜひ参加させていただきたいですね」
ふんふん鼻息荒いハルヒコに加えて、さっきまで我関せずとばかりに遠くでニコニコとお茶を啜っていた一姫までもが超能力的すばやさでもってあたしの横に立っていた。
「キミたちっ！ ボクの言うこと聴いてんのっ？！」
「あわわ……いつもはダルそうなキョンちゃんが乱れて、ああああんなえっちな声を……。
！ ごめんなさい、僕なにも聞いてませんからっ」
朝比奈先輩はその愛らしいお顔を真っ赤にして耳をふさいでいる。なぜかちょっと前かがみになっていた。
「ああっ？！ キョンのさらさらしたポニーテールをあんな大胆に梳きやがってぇっ！
有紀っ、そんなのおまえのキャラじゃないだろうっ？！ そういう役はおれがやるから、こっちによこせ！！」
ああもうっ、あたしの味方はいないのかっ？！ ああっ、でもっ束ねた髪の房のなかを長門のピアニストのような細長い指がもぞもぞと動く感じが、んん……ッ！
「だめ。宇宙に偏在する有機生命体に毛髪が生じるのはありふれた現象だったが、ここまで高次形態にまで発達したポニーテールを持つに至った例は希少。可能性を内包する実例とのＣＥ−３は僕に課せられた任務。そしてなにより、この接触に僕という個体も満足している。以上の理由によりポニーテールを放すことは不可能」
「いつにない長台詞で何ワケのわからないこと言ってんだ、さっさと俺に渡せっ！」
ああ、長門っだめっ！ やさしく髪をなでないで！ 力がぬけちゃうからぁぁぁぁ……。
「ああああーーー、もーーーっ！！ あんたらっ、ちょっとはひとの話を聴きなさいっ！！
それとそこのポニー女っ！ 自分ばっかりずっこいわよっ、ボクと代わりなさいよぉっ！！」
ついにキレたコンピ研部長の一喝にみんなの動きがぴたりと止まった。彼女の吊り目の端からぽろぽろと大粒の涙がこぼれている。
ぐしゅぐしゅと鼻水まで垂らした彼女の姿に、なんかもう、思わずごめんなさいって言いたくなってしまった。
＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊
それから。
団長と部長のあいだで一通り不毛なやり取りがあった後、ＳＯＳ団とコンピュータ研との関係は交戦状態というこれ以上悪くなり様のないものへと変化した。
トントン拍子で、強奪したコンピュータと新型コンピュータ四台を賭けての勝負の日取りとレギュレーションが決まっていく。
戦争の始まりなんていつもこんなものなのかもしれないと、あたしはどんよりとした気持ちで腐った首脳対談を見つめていた。
「ほう、へたれツインのくせに結構な自信だな。
あとで“やっぱ嘘、それなし”って泣きついても一度もらったパソコンは返さんからな」
「ふっ。きみこそ負けたらパソコンを全部返却したうえに、ボクの前で土下座してもらうからねっ。
……あと、へたれツイン言うなぁっ！！
ボクにはね「……部長、そこ立ってるとケーブル引けないんですけど……」ってちゃんとした名前があるんだからっ！」
途中で部員のセリフがはさまったせいでよく聞き取れなかったが、今後も彼女が本名で呼ばれることはないのだろう。ハルヒコの頭には『へたれツイン』でインプットされていることだろうし。
さて、部長ことへたれツイン率いるコンピ研部員はといえば、一週間後のゲーム対戦のためにＳＯＳ団の部室に着々とネット環境を整えている。ケーブルをセットしている様子はさすがに手慣れているが、なんか敗残兵に強制労働を強いているようにも見えて心が痛む。ハルヒコの横暴がめぐりめぐって、この方たちに押し付けられたようなものだからな。あたしは心の中で頭を下げる。
「しっかし、新型パソコン四台と旧モデル一台とじゃあ割に合わんかもな。
よし！ もしそっちが勝ったら、有紀をコンピュータ研に進呈してやろう」
ハルヒコは、びしっ、とマイペースに読書する長門を指さした。
なにを言っているんだこのバカは。
「おいハルヒコ、なんで長門を賭ける必要があるんだよ」
「わからないのか、キョン。こういうへたれキャラはどんな時も感情を表に出さないようなクールな男に弱いんだ。
条件をフェアにして、かつ相手の動揺を誘う。まさしく一石二鳥だ」
ふふん、と自慢げな表情でハルヒコ。
……なにがフェアだ。最初からいやしい魂胆が丸見えじゃないか。
それに団員を勝手に賭けの対象にするんじゃない。
そもそも、こんなんで相手の動揺が誘えるわけな……
「ななななな、なにをいってんのよぉっ？！ ボクが、そそそそんな言葉でどうにかなると思っ、ひゃっ？！ はぶしぃぃぃぃっ！！！」
とたんに耳まで真っ赤になったコンピ研部長。その場でびたびたと激しいステップを踏んでいたかと思うと、パソコンから伸びたコードに足をひっかけ、長門専用の本棚の角に側頭部を、がいんっ、と強打した。
「なぁぁぁぁぁぁっ？！ 頭が割れるように痛いぃぃぃぃっ！！」
「部長、しっかりしてくださいーーーっ！」
ツインテールの付け根をおさえて、文芸部部室の床を転げまわっていた彼女に、わあっ、と残りのコンピ研部員がかけよる。
なんか、もうこの人……本当にへたれキャラだな。
「……さっさと帰れよ、おまえら」
ハルヒコも呆れたような声を上げ、団長特等席に腰掛けパソコンに向かう。
やれやれ、とあたしもため息をついた。
それにしてもだ。長門を試合の賞品にするのは論外だが、こういうとき争いの対象になるのは女の子というのがセオリーなのではないだろうか？ いや、あたしはまっぴらごめんだけど。
などと、益体もないことを考えていると、
「……いくら涼宮さんでも、万が一にもあなたを失うような真似は避けたいのでしょうね」
耳元で目下テレパス疑惑急速浮上中の副団長の声がした。驚いて横を向くと、花が咲いたような微笑が視界いっぱいに広がった。
おい、近寄りすぎだ。女同士で唇がふれあったらどうする。あたしのファーストキスはまだ見ぬ白馬の王子様のためにとっておいてあるんだ。
「おや、おかしなことを。だって、あなたの王子様はすでに」
「だまれ」
「あ……あははっ、いやですね。ちょっとした冗談じゃないですか。そんな険悪な目、あなたには似あいませんよっ？
とにかくですね。あなたは気付いていますか、あの方たちのこと」
一姫のすらりとのびた白魚のような指の先には、頭をかかえて“う〜っ”とうなっている部長を介助して立たせているコンピ研のみなさんがいた。
じつに御苦労さまな光景だが、これがいったいどうした。
「ふふふ。よーく、耳をすましてみてください」
やめろ。耳に息をふきかけてくるな。
不必要に接近してくる一姫を片手でけん制していると、まだふらふらしている部長から離れ、ひとかたまりになっているコンピ研部員たちがひそひそ密談している。ときおり、こちらをちらちらと窺っている。
何だろう。
ちょっと聞き耳をたててみると、
「あんな顔と顔を近づけて……やっぱ生ガチレズはイイ……」「……おれもキョン子ちゃんのポニーのにおい嗅ぎたい……」「はぁはぁ……あのけだるい雰囲気に部長のつるぺたに劣るとも勝らないロリぼでぃ……最高だよぉ」「『ダルペタ』……か？ 新ジャンルの予感だな……」
ぷつぷつぷつぷつぷつっ！
あたしの首筋に鳥肌が立っていく。こめかみには血管が浮かぶ。
脳に虫の湧いたような変態どもの妄言をこそぎ落そうと、わしわしと頭をひっかき回す！
〜〜っ！！ 色々と言いたいことはあるが、まずはコンピ研部長との胸の比較を行ったそこのメガネ！ 今殺すっ！
「すんすん……やっぱり、あなたのうなじの匂いは犯罪的ですね」
「……おまえも顔近づけるなっ、においを嗅ぐなぁっ！！」
耳打ちするふりをして鼻をクンクンさせていた手近の変態に裏拳を叩き込む。そして“次は”とコンピ研の変態どもの方を向くと、
「だれがつるぺただっ！ ボクはスレンダーなだけだぁっ！！」
彼女にも聞こえていたようだ。げしげしと部員を蹴り飛ばしているコンピ研部長の姿があった。
変態どもはなんか嬉しそうな顔して蹴られている。
ああ……へたれツインなんて言って、本当にごめんなさい。あなたはこんな変態どもを束ねている苦労人だったんですね。
あたしが心の底からの同情のまなざしを向けていると、彼女は部員を部屋から蹴りだしながら叫んだ。
「……あんな“虚しい”と書いて虚乳と読ませる洗濯板と比べるなぁぁぁっ！！」
ちょっと待て。洗濯板とはだれのことだ、へたれツイン。
キョンのキョは“虚乳”の“虚”とか言うなぁっ！！
「そこまでは言ってないと思いますが……」
裏拳で赤くなった鼻をさすりながら、ちょっと困ったような笑みを浮かべている巨乳娘。とりあえずだまれ。
あたしは“コロス”目をしてコンピ研部長の方を睨みつけるが、彼女は最後に残ったコンピ研部員にドロップキックをかましていたところだった。
変態を部屋から蹴りだしたのはいいが、着地にミスり、べちーんと後頭部をぶつけた。
「のぉぉぉぉぉぉぉぉっ？！ 頭が割れちゃぅぅぅっ！！！」
火にかけられた海老みたいに、床の上でびたびたとのたうちまわり始める。
……。
文芸部部室の床を全身で掃除している彼女を見ていると、抗議をするのも馬鹿らしくなってきた。
「うぅ〜……」
「……だいじょうぶですか？」
頭を抱えてのろのろと立ちあがるコンピ研部長に、あたしは手を差し出す。
さっきからつむりを二度も強打しているのだ。いくら宣戦布告をしてきた“敵将”とはいえ、さすがに心配するというのが人情だろう。
部長はぐしゅぐしゅと鼻を鳴らしながら、
「ありがとう……名前は知らないけどキミ、案外いい人なのね……」
あたしと朝比奈先輩はＳＯＳ団の良心だからな。
すると、なぜか頬を薄紅色に染めた部長が、肩を貸しているあたしにそっと耳打ちしてきた。
「ちょっと聞きたいんだけど、あそこの彼……何て言うの？」
え？
彼女の熱視線をたどっていくと、部室の片隅で風景の一部のようになって読書している男。ついさっきポニーをつかまれたときのことを思い出し、あたしの頬までかぁぁっと熱くなってくる。くそう、あんなことしたにも関わらず腹が立つほどいつもどおりの無表情だ。
それにしても、長門の名前なんて聞いてどうするつもりだろう。
「そう……長門さん、っていうんだ。シンプルかつクールで知的な名前ね、はぅ……」
そうだろうか。
頭に疑問符をうかべるあたしから夢うつつの表情で離れて、部長さんは一歩前に踏み出した。
乱れたツインテールを手櫛で整えながら、
「にゃっ、ななななっ長門クンっ？！ そういえばぁ、そこの彼女のポニーテールにかなり興味を抱いていたわねっ」
耳まで真っ赤にして長門に話しかける。完全に声が裏返っていた。
指でくるくるといじっているツインテールが、こじりすぎて“ツインドリル”みたいな髪型に変わりつつあった。
彼女は意を決したように息を深く吸ってから、
「これもぉ、なにかの縁っ、だしねっ？！
特別にボクのツインテー」
「なんだ、まだいたのか。用が済んだらさっさと帰れよ」
おもむろにパソコンから顔をあげたハルヒコから容赦ない言葉を浴びせかけられた。
「う」
ツインテールに手をかけたまま固まるコンピ研部長。ぎぎ、と首を動かして救いを求めるように長門の方を見るが、宇宙人謹製のインターフェイスにはアイコンタクトは通じないらしい。長門はまったく反応を示さず、本のページをリズミカルにぺらぺらと繰っていた。
朝比奈先輩はというと、たどたどしい手つきでパソコンの電源を探っていた。あの人にとって今秋最新モデルのパソコンなんてライプニッツの歯車式計算機のごとき骨董品なのだろうから仕方がない。
一姫はソフトのなかに入っていたマニュアルを開いて目を通し始めていた。副団長の責任感かゲームマニアの習性か、さっそくルールを頭に叩き込んでいるようだ。
あたしを除くＳＯＳ団一同、戸口で固まる“敵将”にまったくすっぱり髪の毛一本ほどの関心も払っていない。
ちらりと視線をやると、“敵将”さんは髪をかきあげるような仕草で固まったまま目をうるうるさせていた。
「……うぅぅぅぅぅぅ」
なんか可哀そうになってきた。
「おっ……」
お？
「おまえら絶対こてんぱんにしてやるからなっ！
ばーか、ばぁぁぁーーーーーかっ！！」
うわぁぁぁぁんっ！
踵を返しコンピ研部長が走り去ったあとには、夕陽をあびた涙の粒がキラリと光の軌跡を残していく。
どこまでもかませ犬みたいなキャラクターだなあ、あの部長さん……。
走り去る彼女の姿を戸口で見送りながら失礼な感想を抱いていると、
……ダダダダダっ！
廊下を曲がって消えたコンピ研部長がふたたびあらわれ、ツインテールを揺らしながらこちらに向かって猛烈な勢いで駆けてくる。
なんだろう。まだなにか言い足りなかったのか？
コンピ研部長は遠近法に従って大きくなり、ききっ、とあたしの直前でブレーキをかけたかと思うと、コンピ研の部室に飛び込んだ。
……どうやら、勢いで飛び出したのはいいけど、忘れ物をしたらしい。
ばんっ！
お隣さんの扉が荒々しく開かれ、鞄を肩から背負ったコンピ研部長が腕組みをして現れた。全力疾走したせいなのか、はたまたべつの原因か。顔じゅう真っ赤になっている。
「ぜ、ぜったいっ吠え面かかしてやるからね！ 首を洗って待ってなさいよＳＯＳ団っ！？」
びしぃ！
ぼーっ、と一連の流れを見ていたあたしに指を突き付けてから、コンピ研部長は今度こそ本当に廊下の向こうへと走り去っていく。あ、こけた。
……初めの印象よりもなかなかユカイな人のようだ。
案外、ハルヒコとも馬が合うかもしれない。
ＳＯＳ団こと文芸部部室の窓から差し込む陽光は柔らかい。執事姿の朝比奈先輩が入れてくださった緑茶に天上の光の彩りがそえられて、飲むのがもったいないくらい。
まったく、目にも舌にもやさしい季節だ。
されど馬も肥える季節。お風呂の前に乗る体重計もちょっと憂鬱な方向に回りだしていて、あたしの頭から生えたポニーのしっぽも心なしかしょんぼりとした垂れ方になっている。
窓からすきま風が入り込んできた。
あたしはカーディガンを羽織り直し、オセロ盤に石を打った。
盤面を自分色に染めながらも、あたしはため息をひとつ吐いてしまう。防寒の役にも立たないむだに蓄えられたお腹のお肉、これがあと１０センチ上に移動してくれればプラスマイナス０なんだけど……。
現実とはかくも厳しいものだということだろう、やれやれ。
「いえいえ、あなたの体重は同年代の平均からまったく逸脱のない理想的なものですよ。じつに健康的で、ルネサンス的自然美にあふれた体と言ってもいいでしょう」
……あたしの心を読むな。いつのまにか新しい超能力でも身につけんじゃなかろうな。
白と黒の比率がいちじるしく間違っているオセロの盤をはさんで、あたしの目の前でどこまでも爽やかな微笑を唇にためてほざくはＳＯＳ団副団長、古泉一姫。朝比奈先輩と双璧をなすＳＯＳ団のマスコット的存在である彼女は、贅肉一つないお腹の上に女子高生の平均を軽く凌駕したふたつのふくらみという、理想も理想なプロポーションを食欲の秋のなかでも維持しつづけている。
ああ妬ましい。素直に心の底からうらやましい。
「身体測定の時にくらべっこした覚えはないが……『機関』とやらはあたしの個人情報も握っているのか？」
もしそうなら、ハルヒコの椅子に噛みかけのガムを毎日設置してやる。
閉鎖空間千本ノックでも経験すれば、そのつねっても変わらない笑顔もちょっとはひきつるかもねぇ？
あたしが半眼でにらむと、一姫は腕をばっと横にひろげて“降参です”というポーズをとった。
「とんでもない。私はもとより、機関もあなたを敵に回すなんて事態はこれっぽっちも想定していません。
ええ、その証拠に……あなたの幸福の糧になるならいつでもこの身を捧げると、この場で誓ってみせましょうか？」
女のあたしにも色気を感じさせるウインクを一つして、一姫はかき抱くように腕をひろげた。カップサイズが想像できない異次元なバストが、あたしの目の前で強調される。
「こんなつまらない体でよければ、お好きなようにしてもらっても構いませんよ？」
やかましい。
あたしは盤上にとどめの一撃を加えてから、極上のお茶をやわらかい秋の光ごと口にふくむ。
先輩心づくしの味が舌から身体中にしみわたって、くさくさした気持ちが晴れていく。清爽際涯を知らずとはこのことか。
「もう一杯いかがですか？」
ぱりっとした燕尾服に身を包んだ朝比奈先輩が天使のような微笑みをお浮かべになっている。うん、じつに癒される。一姫の裏がありそうな０円スマイルとはえらい違いである。
「ありがとうございます」
執事姿の朝比奈先輩から手ずからお茶を淹れて頂く。
ああ、こんな幸福が他にあるだろうか？
あたしほど恵まれた女子高生は、日本中を鐘や太鼓で探しても見つかるはずは……。
「古泉さんもおかわりいかがですか」
「ああ、どうもありがとうございます。このような美味しいお茶が頂けるなんて、私は三界一の果報者ですね」
「ははは。味わって飲んでくださいね」
向かいの席で同じようにご奉仕を受ける一姫。なんか納得がいかない。
あたしが目を細めて無言でにらんでいると、一姫はお茶に口をつけながらこちらに意味ありげな流し眼をくれた。……こいつ、やっぱり読心術の心得でもあるんだろうか。
それでも朝比奈先輩のお茶のすばらしさが薄れることはない。宇宙規模の厄介事や未来的事件や超能力気味な災害に見舞われたとしても、この一瞬があるだけでＳＯＳ団なる胡乱な活動に参加してきた甲斐がある。
どこからか入り込んできた透明な風がカーテンを揺らしている。
朝比奈先輩がわかしたお茶のポットがカタカタと小さく音を立てて、しゅんしゅんと湯気をたてている。
紙と紙がすれる幽かな音もする。長門が規則正しくリズミカルに本をめくっている。
一姫はもはや勝敗の決したオセロ盤をじっと眺めて長考に入っている。黙ってさえいれば、彼女は確かに一幅の絵画にでも収められるべき美少女で、女のあたしでもはっとさせられてしまう。
そして、あたしはまた熱いお茶を口に含む。
ハルヒコなくしてＳＯＳ団はありえないかもしれないが、ハルヒコ抜きの文芸部部室はかくも落ち着く空間になりうるのかと、ほうと一つ小さなため息などついてみた。
「ところで涼宮君はどちらに？」
ようやく、日が暮れるまで考えても逆転の目はないとさとったらしい。オセロ盤から顔をあげて、湯呑を行儀よく両手で持ちながら一姫がたずねてきた。
「掃除当番だ。あいつがいないと平」
ドンドン！
やおら、ドアがやや乱暴にノックされた。
誰だろう。
まったりとした時間をとつぜん中断され、あたしは眉をひそめた。
さきほどから部屋の片隅で物音一つ立てず読書に耽っている『文芸部員』長門には悪いが、こんな場末の部室にやってくる人間など団員以外には皆無だ。
可能性のひとつとして考えられるのは『依頼者』であるが……どうだろう。
我がＳＯＳ団はミステリーな事象を校内外問わず募集している。学校の掲示板にポスターを貼ったこともあるし、更新もろくにしないちゃちなホームページを見ていただければその旨きちんと書かれている。
だがこれまで、そんな物好きな人間が訪れたことはない。夏休み前に起こった失踪事件の捜索依頼が最初で最後のことだった。それに、あれも結局マッチポンプ的な事件だったし。
さらに言えば、ドンドンと乱暴に扉を揺らす激しいノック。とても『依頼』なんておだやかな単語にはつながらない。あえて表現するなら『取り立て』とかいった類の言葉だろうか。もしかしたら文芸部部室に居座る不審者集団に対し、ついに生徒会が強権を発動しに来たのかもしれない。
「は、はーい。いま開けまぁす」
強い調子のノックに、朝比奈先輩もおびえた顔をして小走りにドアの方へと向かっていった。
「あ……」
扉を開けた朝比奈先輩が、何か不可視のオーラに圧されるように後ずさる。
「コンピュータ研の部長さん……」
そう。
扉の向こうで四人の男子部員をしたがえ、不機嫌そうな顔で腕組みをしていたのはお隣さんのコンピュータ研の部長であった。
「団長さんは不在？」
ふん、とコンピ研部長は不機嫌そうに鼻を鳴らし、部屋のなかを見回す。
いきなりやってきて、この険悪な雰囲気。いったいなんだろうね。……と、言いたいところだけどこの人に関してはあたしたちもいろいろと後ろめたいことがあるので、どうも強くは出にくいというのが正直なところだ。
「何か用ですか？」
この半年で磨かれたセンサーがさきほどから強い調子で警告音を発している。あたしはとりあえず最大限にフレンドリーな笑みを浮かべて対応した。
「……用がなければ、ボクだってこんなところに来たくはない」
無言でぬぼーっと立つ男子部員たちに加え、敵意を隠そうとしないコンピ研部長のツンとした吊り目に射抜かれて朝比奈先輩が委縮してしまっている。不本意ではあるが、宇宙や超能力、未来的トラブルでないかぎり、ＳＯＳ団絡みの苦情受付けはなぜかあたしにお鉢が回ってくる仕組みになっているのだ。
相手が男ならばここで一姫の満点スマイルをぶつけてやるのだが、残念ながらコンピ研部長に対して効果は望めないだろう。
コンピ研部長は……彼女は、ツインテールがよく似合うかわいらしい少女だからな。
＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊
これまで行ってきたＳＯＳ団の悪行を数え上げたら両手両足の指を使っても足りないだろうという事実を思うと、いつもデリケートなあたしの胸はズキズキと痛みだす。
結成宣言がなされて“まず手始めに”とばかりに文芸部部室を占拠して。
間を置かずに、上級生の拉致と監禁。
次いで、コンピュータ研からの備品の強奪だ。
そろそろＳＯＳ団への恨みの定期貯金も満期を迎え、どこぞから払い戻しが来るころだろうとは思っていたけど、
「ボクたちとそのゲームで勝負しなさい！」
こんな展開は予想してなかった。
「勝負、ですか」
手渡されたコンピ研謹製の『THE DAY OF SAGITTARIUS �掘戮班修暴颪�れたゲームソフトを片手に、あたしは素直に疑問を口にした。
「……なぜ？」
むぅ、とコンピ研部長は頬をふくらます。
「つべこべ言わずに勝負よっ！
それともなに？ いくらボクらに勝てる気がしないからって戦う前から逃げだすなんて、ＳＯＳ団は腰ぬけぞろいなのっ？！」
まあねえ、たしかに、同人ゲームで製作者に勝てるとは思えないけど。
自分の事情を棚にあげまくるこの強引さは、うちの団長さまと通じるところがあるな。後ろでひかえるコンピ研部員もさぞかし苦労していることだろう。大いに同情する。
しかし、キャンキャン騒ぐ部長を見つめる他の男子部員たちは厄介者を持て余すというよりは、なにか微笑ましいものを見ているかのような温かい目をしていた。
そう。例えるなら、保護者が手のかかる妹や飼い犬を見つめるような“まったくしようがないな〜、この子は”といった慈愛のこもった目だ。
あたしも小柄なほうだが、コンピ研部長はさらにちっちゃくて１５０センチあるかないかだろう。中学生といっても通るかもしれない。ちなみに弟の親友にミヨキチという小学生の男の子がいるが、早めの成長期がきたのか、彼はすでにあたしと同じくらいの背丈である。
小学生男子以下の身長の上に他の部員たちに囲まれているので、コンピ研部長はさらに小柄に見えてしまう。
「なにのほほんと目を細めているんだよ？！ ボクは勝負を申し込みにきたんだぞぉ！」
彼女はちょっとサイズの合っていない制服の裾をぶんぶかさせながら騒いでいる。たしかに男ならずとも保護欲をかきたてられるな。一つ年上のはずだけど、あたしまで頭をなでなでしてあげたくなる。もしも妹がいたらこんな感じなのだろうか。
後輩からそんな目で見られているとは知らずにコンピ研部長は、
「ボクと勝負だよっ！ 勝負しょうぶっ、しょ・う・ぶぅぅーっ！！」
ぶんぶんと腕を振り回している。本当に子供か。
それにしてもだ。『勝負』だなんて物騒な言葉を、部室の前であまり連呼しないでほしい。
もしも、あいつの地獄耳が聞きつけたりしたら……
「うりゃっ」
「ひあああっ？！！」
廊下にコンピ研部長の叫び声が響いた。
ああ……手遅れだったようだ。
いつのまに湧いたのか、彼女の後ろに男が一人。男の形の良い手には部長のツインテールがしっかりと握られていた。
脚はバレエダンサーのようにすらりと長くて、髪を引っ張られて“うにゃ〜っ”と奇声をあげて抵抗する部長との体格の差はまるで大人と子供だ。
そして暴れる犠牲者を頭ひとつ高いところから見下ろす嫌みなほど整った顔が、まるでお菓子の家を見つけた子供みたいに輝いている。
「だっ誰だ、だれだだれだぁぁ〜っ？！」
男の腕をつかみ、幼児がいやいやするような格好で部長が叫んだ。
言わずもがな、悪名高きＳＯＳ団団長・涼宮ハルヒコだ。
あくびをしたらとつぜんウサギが口の中に飛び込んできたライオンのような笑みを浮かべたハルヒコは、
「おまえらこそ何者だよ。どこの秘密組織の差し金だ？
俺のＳＯＳ団を相手にしようっていうんだ。さぞかし有名どころなんだろうな。
フリーメーソンか？ ＭＩＢか？ イルミナティ、フリィスティ、トゥーレ協会？ それともすこしマニアックなところで地獄の火クラブとかか？！」
ずいぶんと楽しそうだった。
しかし尻尾をつかまれ宙づりになった仔猫のように暴れる部長の情けない姿に、すこしボルテージが下がったようだ。
「だけど……ずいぶんへたれな刺客だな。
もしかして新興組織なのか？ 世界暗黒ツインテール普及協会とか、そんないかがわしい類の」
なんだそれは。
それに、どんな秘密組織もＳＯＳ団ほどいかがわしくはないと思うぞ。
「あっ、にゃっ、放せぇ〜っ！ ぼ、ボクの体にさわっていいのは一人だけなんだっ！」
「ぶ、部長〜っ」
コンピ研部長の取り巻きが情けない声をあげる。虜になっている部長の心配はしているようだが、ハルヒコに向かっていく者はひとりもない。全員腰が引けている。
無理もない。
北高一の名物男。歩く大迷惑。周囲に混沌と騒乱をまき散らす予測不可能な台風のごとき存在。
涼宮ハルヒコに好んで近づきたいと思う物好きなど、クラインフェルターの三毛猫ほどレアな存在だろう。
「うぅ、おのれっＳＯＳ団っ！ 不意打ちとは卑怯なっ、って、やめろっ！ いやぁっ、そ…そんなところぉぉ、んぅぅぅっ、ひわわわわっ？！」
……誤解のないように一応断っておく。ハルヒコは子供が猫のしっぽをいじるみたいな手つきで彼女のツインテールをひっぱっているだけだ。
ハルヒコの性格なら問答無用でドロップキックでもかますかと思ったが、一応は性差に応じて対応を変えるくらいの分別は存在していたらしい。
だが、多少やりすぎの感も否めないな。どうひいき目に見ても婦女暴行現場だ。
「なにを言っているんだキョン。勝負事は常に先手必勝だぞ。
初手を取ってしまえば、先に売られたケンカでもたいていは勝つ」
「物騒なことをぬかすな。あたしは、いくら売られた喧嘩でもやりすぎだって言ってるんだ。
髪は女の命だぞ、放してやれ」
「ひぅぅっ、そっ、そうだそうだぁっ！ はなせよ、バカバカバカぁ〜っ！！」
「まだまだ元気そうだな。もう少し弱らせておこう」
「うあ？！」
「……いや、ハルヒコ。あまり手荒なことをされても困るが、ヒトは髪をつかまれたくらいではどうにもならんと思うぞ」
「ふふん、教養のない女め。こういうキャラはツインテールが本体にして弱点だと相場が決まっている」
なんだ、その幼稚園児も恥ずかしくて口に出せないような怪獣映画みたいな設定は。
そんな馬鹿なことあるわけないだろう。コンピ研部長の方を見てみると、
「んひゃぁっ？！ ひゃん、あっ、ふゃぁぁぁ〜！ だっだめぇ、力が抜ける〜、きゅぅぅぅ……」
頬を紅潮させ奇声をあげていた。もだえるコンピ研部長のちんまい身体からみるみる力が抜けていく。
って、おいおい。
「おまえ、本気でツインテールが弱点なのか？」
かくいうハルヒコにも予想外だったらしい。呆れたような顔をしながら、ぴこぴことツインテールをひっぱり続ける。
「にゃっ、にぁぁぁぁぁ〜！」
人体の限界寸前まで内股になってぴくぴくと痙攣するコンピ研部長。もはや自力で立っているというより、ツインテールをつかむハルヒコの手に支えられているような格好だ。吊り上がった目尻に涙がたまって、赤く染まった頬へとこぼれていく。だらしなく開いた口から、はぁはぁ、と熱い吐息がもれている。
「……」
「……」
「……」
目の前で展開される上級生の痴態に、あたし、ハルヒコほかコンピ研一同みんな長門よろしく三点リーダを安売りしてしまう。
ふと視線を感じて顔をあげると、両手で哀れな犠牲者の髪を玩びつつもハルヒコがなにかメッセージ性のこもった瞳であたしを見ていた。
……なんだよ。人前でそんなじっとりじっくり見つめるな。って、べつに二人きりで見つめ合いたいとか、そんな願望は決してないぞっ。だっ、だからそんな真剣な瞳でみつめるなぁっ！
無言でコンピ研部長のツインテールをもてあそびつつも、ハルヒコはあたしの顔に穴をあけんばかりに凝視してくる。熱視線がハルヒコビームとなってあたしの顔を貫通したのか、後頭部がむずむずしてきた。とくにポニーテールのあたりが……ん？ おい、まさか？
「……言っておくけどあたしのポニーテールは弱点でもくす玉のひもでもないぞ。引っ張ってもなにも起こらないからな」
「なんだ、つまらん」
ハルヒコはいいかげん飽きたのかようやくツインテールを解放した。へたりとコンピ研部長の身体から力が抜け、廊下に力なく手を突いた。
「ハァハァ……よくも、栄光あるコンピュータ研を率いるボクに対してこんな目にあわしてくれたわねっ！？
やはり許すまじ、ＳＯＳ団っ！」
ばっ、とツインテールをなびかせて立ち上がるコンピ研部長、うるんだ瞳にめらめらと炎が浮かんでいた。
するとハルヒコは怪訝そうな顔をして、
「コンピ研？ なんだ、誰かと思えばお隣さんかよ。
キョン、どうしてこんなへたれツインテールがうちにケンカ売りにきたんだ？」
“誰かと思えば”って、おまえろくに確認もせずにへたれツインにつかみかかったのかよ。
「……そそそっ揃いもそろって、へたれツインとはなんだぁっ？！ この場で天誅を下してやるぅっ！！」
「ぶっ部長〜」「落ち着いてくださいっ」「正面からじゃあ勝ち目はありませんって！」「へたれもツインテールも、ついでにつるぺたな胸も部長の萌えどころですからっ！」
逆上してハルヒコにつかみかかろうとするコンピ研部長と、それをどうどうとおさえる部員一同。
「で？ 本当になんなんだよ、おまえら」
宣戦布告してきたのが秘密組織ではなく学内の一団体だったことに、ハルヒコの顔から興味や期待と言った感情が急速になくなっていく。本当にわかりやすい性格をしたやつだ。
四方から両腕、両ツインテールをつかまれ、再びくねくねともだえていたコンピ研部長だったが、ハルヒコの言葉に正気に戻ったらしい。
鼻の下をのばし恍惚とした表情で身体を押さえつけている部員たちを跳ねのけ、彼女は面倒くさそうな表情をしたハルヒコに指を突き付ける。
「そっそうだ！ 今日はねっ、キミらに不当に鹵獲されたボクらコンピュータ研の備品を取り戻すため、勝負を申し込みに来たんだよっ！」
なるほど。やはり、そういったわけだったか。
……しかし“鹵獲”ってのは戦勝者が負けた相手から物をぶんどることであって、勝負する前からそんなゲンの悪い言葉を使うこともなかろうに。どうもこの部長さん、根っからのへたれ体質の持ち主のようだ。
「ロカクも八角も、あれはちゃんとした手続きを踏んで譲り受けたもんだしなあ。
覚えてるよな、キョン？」
いや、そこであたしに振られても。コンピ研のみなさんに大変申し訳のない気持ちがわいてくるんだが。
罪の意識など欠片もないことをほざきつつ、ハルヒコは同意を求めるようにこちらに振り向いて、
「あ？」
きっちり整った眉を、怪訝そうに八の字にした。
……うら若き女子高生の顔を見て失礼な反応をする奴だな。なんだよ。
三十三間堂に居並ぶ千手観音像のなかにひとつだけキャベツ畑人形が混じっているのを発見してしまったかのような顔をしたハルヒコの視線は、あたしの肩のあたりに固定されていた。
なにか、あたしに背後霊でも憑いているのだろうか。うちのシャミセンが見せたことのない動物的霊感とやらも、ハルヒコなら持ち合わせていても不思議じゃないが……。
と、
くいっ
何者かがいきなり、修辞表現抜きであたしの後ろ髪を引いた。
「ぁぁんっ？！」
不意のことに思わず大きな声をあげてしまい、あわてて口をおさえる。
なっ、なんて声を出しているんだ、あたしは……。
まるでウォッシュレットをはじめて使ったチンパンジーのような表情で、男どもがあたしを見ていた。口をおさえた手にみるみると熱が伝わってくる。どんどん頬に血が集まっている。
そそそそっ、そんな目で見るなっ、とくにハルヒコぉ！
真っ赤な顔したあたしがにらむと、全員さっと視線をそらした。
「――ボクの寛容な精神でもって過去の卑劣な窃盗行為に関してはなかったことにしてあげる。だから今度はこちらの出した条件下でもって正々堂々と――」
辺りに広がる微妙な空気にコンピ研部長だけは気付かず、ひとり熱を吹き続けている。
そして、謎の狼藉者はといえば今もなお、あたしのポニーテールをぎゅっとつかんだままだった。
ちくしょう、女の子にあんな声をあげさせやがって。いったい誰だこのやろう！
きっ、と振り向くと液体ヘリウムのような瞳がお出迎え。
無表情であたしのポニーテールの端を握っていたのは、部室の片隅で本を読んでいたはずの長門だった。足音ひとつ立てずにあたしの後ろを取ったのはさすが万能宇宙人といったところだけど……だけど、でも、なんで、そんなことをする必要があったのかなぁ？
って、こら！ 無表情でポニーをにぎにぎするなぁ、しごくなっ……はぁんっ♪
「ユニーク」
「ゆっ有紀だけ、ずるいぞ！ 俺にもやらせろっ」
おっおまえまでなに言ってんだばかものっ、手をわきわきさせるなっ！ 長門もいい加減に放せっ、いや、そんな不思議そうに首をかしげてないでね？！
「……というわけでっ、ボクらコンピュータ研は歴史的正当性をもってＳＯＳ団に対し宣戦ふこ……ねぇ、ちょっとキミたち？」
「団長命令だ！ そのポニーテールを俺に渡すんだっ」
「副団長の私もぜひ参加させていただきたいですね」
ふんふん鼻息荒いハルヒコに加えて、さっきまで我関せずとばかりに遠くでニコニコとお茶を啜っていた一姫までもが超能力的すばやさでもってあたしの横に立っていた。
「キミたちっ！ ボクの言うこと聴いてんのっ？！」
「あわわ……いつもはダルそうなキョンちゃんが乱れて、ああああんなえっちな声を……。
！ ごめんなさい、僕なにも聞いてませんからっ」
朝比奈先輩はその愛らしいお顔を真っ赤にして耳をふさいでいる。なぜかちょっと前かがみになっていた。
「ああっ？！ キョンのさらさらしたポニーテールをあんな大胆に梳きやがってぇっ！
有紀っ、そんなのおまえのキャラじゃないだろうっ？！ そういう役はおれがやるから、こっちによこせ！！」
ああもうっ、あたしの味方はいないのかっ？！ ああっ、でもっ束ねた髪の房のなかを長門のピアニストのような細長い指がもぞもぞと動く感じが、んん……ッ！
「だめ。宇宙に偏在する有機生命体に毛髪が生じるのはありふれた現象だったが、ここまで高次形態にまで発達したポニーテールを持つに至った例は希少。可能性を内包する実例とのＣＥ−３は僕に課せられた任務。そしてなにより、この接触に僕という個体も満足している。以上の理由によりポニーテールを放すことは不可能」
「いつにない長台詞で何ワケのわからないこと言ってんだ、さっさと俺に渡せっ！」
ああ、長門っだめっ！ やさしく髪をなでないで！ 力がぬけちゃうからぁぁぁぁ……。
「ああああーーー、もーーーっ！！ あんたらっ、ちょっとはひとの話を聴きなさいっ！！
それとそこのポニー女っ！ 自分ばっかりずっこいわよっ、ボクと代わりなさいよぉっ！！」
ついにキレたコンピ研部長の一喝にみんなの動きがぴたりと止まった。彼女の吊り目の端からぽろぽろと大粒の涙がこぼれている。
ぐしゅぐしゅと鼻水まで垂らした彼女の姿に、なんかもう、思わずごめんなさいって言いたくなってしまった。
＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊
それから。
団長と部長のあいだで一通り不毛なやり取りがあった後、ＳＯＳ団とコンピュータ研との関係は交戦状態というこれ以上悪くなり様のないものへと変化した。
トントン拍子で、強奪したコンピュータと新型コンピュータ四台を賭けての勝負の日取りとレギュレーションが決まっていく。
戦争の始まりなんていつもこんなものなのかもしれないと、あたしはどんよりとした気持ちで腐った首脳対談を見つめていた。
「ほう、へたれツインのくせに結構な自信だな。
あとで“やっぱ嘘、それなし”って泣きついても一度もらったパソコンは返さんからな」
「ふっ。きみこそ負けたらパソコンを全部返却したうえに、ボクの前で土下座してもらうからねっ。
……あと、へたれツイン言うなぁっ！！
ボクにはね「……部長、そこ立ってるとケーブル引けないんですけど……」ってちゃんとした名前があるんだからっ！」
途中で部員のセリフがはさまったせいでよく聞き取れなかったが、今後も彼女が本名で呼ばれることはないのだろう。ハルヒコの頭には『へたれツイン』でインプットされていることだろうし。
さて、部長ことへたれツイン率いるコンピ研部員はといえば、一週間後のゲーム対戦のためにＳＯＳ団の部室に着々とネット環境を整えている。ケーブルをセットしている様子はさすがに手慣れているが、なんか敗残兵に強制労働を強いているようにも見えて心が痛む。ハルヒコの横暴がめぐりめぐって、この方たちに押し付けられたようなものだからな。あたしは心の中で頭を下げる。
「しっかし、新型パソコン四台と旧モデル一台とじゃあ割に合わんかもな。
よし！ もしそっちが勝ったら、有紀をコンピュータ研に進呈してやろう」
ハルヒコは、びしっ、とマイペースに読書する長門を指さした。
なにを言っているんだこのバカは。
「おいハルヒコ、なんで長門を賭ける必要があるんだよ」
「わからないのか、キョン。こういうへたれキャラはどんな時も感情を表に出さないようなクールな男に弱いんだ。
条件をフェアにして、かつ相手の動揺を誘う。まさしく一石二鳥だ」
ふふん、と自慢げな表情でハルヒコ。
……なにがフェアだ。最初からいやしい魂胆が丸見えじゃないか。
それに団員を勝手に賭けの対象にするんじゃない。
そもそも、こんなんで相手の動揺が誘えるわけな……
「ななななな、なにをいってんのよぉっ？！ ボクが、そそそそんな言葉でどうにかなると思っ、ひゃっ？！ はぶしぃぃぃぃっ！！！」
とたんに耳まで真っ赤になったコンピ研部長。その場でびたびたと激しいステップを踏んでいたかと思うと、パソコンから伸びたコードに足をひっかけ、長門専用の本棚の角に側頭部を、がいんっ、と強打した。
「なぁぁぁぁぁぁっ？！ 頭が割れるように痛いぃぃぃぃっ！！」
「部長、しっかりしてくださいーーーっ！」
ツインテールの付け根をおさえて、文芸部部室の床を転げまわっていた彼女に、わあっ、と残りのコンピ研部員がかけよる。
なんか、もうこの人……本当にへたれキャラだな。
「……さっさと帰れよ、おまえら」
ハルヒコも呆れたような声を上げ、団長特等席に腰掛けパソコンに向かう。
やれやれ、とあたしもため息をついた。
それにしてもだ。長門を試合の賞品にするのは論外だが、こういうとき争いの対象になるのは女の子というのがセオリーなのではないだろうか？ いや、あたしはまっぴらごめんだけど。
などと、益体もないことを考えていると、
「……いくら涼宮さんでも、万が一にもあなたを失うような真似は避けたいのでしょうね」
耳元で目下テレパス疑惑急速浮上中の副団長の声がした。驚いて横を向くと、花が咲いたような微笑が視界いっぱいに広がった。
おい、近寄りすぎだ。女同士で唇がふれあったらどうする。あたしのファーストキスはまだ見ぬ白馬の王子様のためにとっておいてあるんだ。
「おや、おかしなことを。だって、あなたの王子様はすでに」
「だまれ」
「あ……あははっ、いやですね。ちょっとした冗談じゃないですか。そんな険悪な目、あなたには似あいませんよっ？
とにかくですね。あなたは気付いていますか、あの方たちのこと」
一姫のすらりとのびた白魚のような指の先には、頭をかかえて“う〜っ”とうなっている部長を介助して立たせているコンピ研のみなさんがいた。
じつに御苦労さまな光景だが、これがいったいどうした。
「ふふふ。よーく、耳をすましてみてください」
やめろ。耳に息をふきかけてくるな。
不必要に接近してくる一姫を片手でけん制していると、まだふらふらしている部長から離れ、ひとかたまりになっているコンピ研部員たちがひそひそ密談している。ときおり、こちらをちらちらと窺っている。
何だろう。
ちょっと聞き耳をたててみると、
「あんな顔と顔を近づけて……やっぱ生ガチレズはイイ……」「……おれもキョン子ちゃんのポニーのにおい嗅ぎたい……」「はぁはぁ……あのけだるい雰囲気に部長のつるぺたに劣るとも勝らないロリぼでぃ……最高だよぉ」「『ダルペタ』……か？ 新ジャンルの予感だな……」
ぷつぷつぷつぷつぷつっ！
あたしの首筋に鳥肌が立っていく。こめかみには血管が浮かぶ。
脳に虫の湧いたような変態どもの妄言をこそぎ落そうと、わしわしと頭をひっかき回す！
〜〜っ！！ 色々と言いたいことはあるが、まずはコンピ研部長との胸の比較を行ったそこのメガネ！ 今殺すっ！
「すんすん……やっぱり、あなたのうなじの匂いは犯罪的ですね」
「……おまえも顔近づけるなっ、においを嗅ぐなぁっ！！」
耳打ちするふりをして鼻をクンクンさせていた手近の変態に裏拳を叩き込む。そして“次は”とコンピ研の変態どもの方を向くと、
「だれがつるぺただっ！ ボクはスレンダーなだけだぁっ！！」
彼女にも聞こえていたようだ。げしげしと部員を蹴り飛ばしているコンピ研部長の姿があった。
変態どもはなんか嬉しそうな顔して蹴られている。
ああ……へたれツインなんて言って、本当にごめんなさい。あなたはこんな変態どもを束ねている苦労人だったんですね。
あたしが心の底からの同情のまなざしを向けていると、彼女は部員を部屋から蹴りだしながら叫んだ。
「……あんな“虚しい”と書いて虚乳と読ませる洗濯板と比べるなぁぁぁっ！！」
ちょっと待て。洗濯板とはだれのことだ、へたれツイン。
キョンのキョは“虚乳”の“虚”とか言うなぁっ！！
「そこまでは言ってないと思いますが……」
裏拳で赤くなった鼻をさすりながら、ちょっと困ったような笑みを浮かべている巨乳娘。とりあえずだまれ。
あたしは“コロス”目をしてコンピ研部長の方を睨みつけるが、彼女は最後に残ったコンピ研部員にドロップキックをかましていたところだった。
変態を部屋から蹴りだしたのはいいが、着地にミスり、べちーんと後頭部をぶつけた。
「のぉぉぉぉぉぉぉぉっ？！ 頭が割れちゃぅぅぅっ！！！」
火にかけられた海老みたいに、床の上でびたびたとのたうちまわり始める。
……。
文芸部部室の床を全身で掃除している彼女を見ていると、抗議をするのも馬鹿らしくなってきた。
「うぅ〜……」
「……だいじょうぶですか？」
頭を抱えてのろのろと立ちあがるコンピ研部長に、あたしは手を差し出す。
さっきからつむりを二度も強打しているのだ。いくら宣戦布告をしてきた“敵将”とはいえ、さすがに心配するというのが人情だろう。
部長はぐしゅぐしゅと鼻を鳴らしながら、
「ありがとう……名前は知らないけどキミ、案外いい人なのね……」
あたしと朝比奈先輩はＳＯＳ団の良心だからな。
すると、なぜか頬を薄紅色に染めた部長が、肩を貸しているあたしにそっと耳打ちしてきた。
「ちょっと聞きたいんだけど、あそこの彼……何て言うの？」
え？
彼女の熱視線をたどっていくと、部室の片隅で風景の一部のようになって読書している男。ついさっきポニーをつかまれたときのことを思い出し、あたしの頬までかぁぁっと熱くなってくる。くそう、あんなことしたにも関わらず腹が立つほどいつもどおりの無表情だ。
それにしても、長門の名前なんて聞いてどうするつもりだろう。
「そう……長門さん、っていうんだ。シンプルかつクールで知的な名前ね、はぅ……」
そうだろうか。
頭に疑問符をうかべるあたしから夢うつつの表情で離れて、部長さんは一歩前に踏み出した。
乱れたツインテールを手櫛で整えながら、
「にゃっ、ななななっ長門クンっ？！ そういえばぁ、そこの彼女のポニーテールにかなり興味を抱いていたわねっ」
耳まで真っ赤にして長門に話しかける。完全に声が裏返っていた。
指でくるくるといじっているツインテールが、こじりすぎて“ツインドリル”みたいな髪型に変わりつつあった。
彼女は意を決したように息を深く吸ってから、
「これもぉ、なにかの縁っ、だしねっ？！
特別にボクのツインテー」
「なんだ、まだいたのか。用が済んだらさっさと帰れよ」
おもむろにパソコンから顔をあげたハルヒコから容赦ない言葉を浴びせかけられた。
「う」
ツインテールに手をかけたまま固まるコンピ研部長。ぎぎ、と首を動かして救いを求めるように長門の方を見るが、宇宙人謹製のインターフェイスにはアイコンタクトは通じないらしい。長門はまったく反応を示さず、本のページをリズミカルにぺらぺらと繰っていた。
朝比奈先輩はというと、たどたどしい手つきでパソコンの電源を探っていた。あの人にとって今秋最新モデルのパソコンなんてライプニッツの歯車式計算機のごとき骨董品なのだろうから仕方がない。
一姫はソフトのなかに入っていたマニュアルを開いて目を通し始めていた。副団長の責任感かゲームマニアの習性か、さっそくルールを頭に叩き込んでいるようだ。
あたしを除くＳＯＳ団一同、戸口で固まる“敵将”にまったくすっぱり髪の毛一本ほどの関心も払っていない。
ちらりと視線をやると、“敵将”さんは髪をかきあげるような仕草で固まったまま目をうるうるさせていた。
「……うぅぅぅぅぅぅ」
なんか可哀そうになってきた。
「おっ……」
お？
「おまえら絶対こてんぱんにしてやるからなっ！
ばーか、ばぁぁぁーーーーーかっ！！」
うわぁぁぁぁんっ！
踵を返しコンピ研部長が走り去ったあとには、夕陽をあびた涙の粒がキラリと光の軌跡を残していく。
どこまでもかませ犬みたいなキャラクターだなあ、あの部長さん……。
走り去る彼女の姿を戸口で見送りながら失礼な感想を抱いていると、
……ダダダダダっ！
廊下を曲がって消えたコンピ研部長がふたたびあらわれ、ツインテールを揺らしながらこちらに向かって猛烈な勢いで駆けてくる。
なんだろう。まだなにか言い足りなかったのか？
コンピ研部長は遠近法に従って大きくなり、ききっ、とあたしの直前でブレーキをかけたかと思うと、コンピ研の部室に飛び込んだ。
……どうやら、勢いで飛び出したのはいいけど、忘れ物をしたらしい。
ばんっ！
お隣さんの扉が荒々しく開かれ、鞄を肩から背負ったコンピ研部長が腕組みをして現れた。全力疾走したせいなのか、はたまたべつの原因か。顔じゅう真っ赤になっている。
「ぜ、ぜったいっ吠え面かかしてやるからね！ 首を洗って待ってなさいよＳＯＳ団っ！？」
びしぃ！
ぼーっ、と一連の流れを見ていたあたしに指を突き付けてから、コンピ研部長は今度こそ本当に廊下の向こうへと走り去っていく。あ、こけた。
……初めの印象よりもなかなかユカイな人のようだ。
案外、ハルヒコとも馬が合うかもしれない。
2008年03月22日(土) 00:39:27 Modified by ID:ZLUDVdON5Q