PINKちゃんねる-エロパロ&文章創作板「依存スレッド」まとめページです since2009/05/10

作者:wkz◆5bXzwvtu.E氏

「うっ。……はぁうっ……くぅん……」
 緩いシャワーにあたりながら、声をかみしめる。
 明かり取りの曇りガラスから白い光が浴室を照らしていて、
時刻はお昼。こんな時間にお風呂場でえっち臭い声を上げて
いるわたしは、目下、恩人杜守(ともり)さんの家に転がり
込んでいる家出中の引きこもり。ダメ女子の野村眞埜(のむ
らまの)。

 透明のお湯が弾けて流れる度に、身体の奥をヤスリでしご
かれるような強いスリルと快感が流れる。芯が熱くなって、
ぞわぞわして、勝手にドキドキして、期待しちゃうこの感覚
は最近おなじみになったもの。

 ついこの間まで、わたしは自分がこんなえっち臭い女子だ
とは思っていなかった。むしろ性的には淡泊な人間なのだと
いう自覚があった。
 わたしはダメ女子で、性格は暗くて、体型もセールスポイ
ントが無くて、顔だって目立たない出来に過ぎないので、当
然男の子に騒がれるようなこともなかったわけで。性的に淡
泊なこの身体を、わたしは便利だとさえ思っていた。

 しかしそれはとんだ誤解、と言うか無知ゆえの随分上から
の目線だったようだ。実際体験しちゃってから身にしみる自
分のえっちくささ。

 わたしの身体はわたしよりも遙かに正直者で、毎日二回く
らいは、わたし自身がなんにも……そのぅ、刺激を与えなく
ても、勝手に発情モードに入って、内部からじくじくと刺激
を期待するような、誘惑の囁き声を発するのだ。
 ――もっとも、それはわたし自身のせいかもしれないので、
一方的に身体の責任にするわけにも行かない。先日の……そ
の、杜守(ともり)さんとの一件を迎えるに当たって、わた
しは一週間にわたる発情訓練をやってしまった。

 思い出すと、顔から火が出てしまう。
 何であんな事をやってしまったんだろう。
 おまけにそれを杜守さんに告白するだなんて。変態だ。ま
さに変態の所行だ。

 つまり、ぎりぎり我慢自慰なのである。

 ううう。こんな事他人には絶対云えない。杜守さんからリ
クエストがあった「発情でめろめろ」を実現するために、わ
たしは一週間の間、毎日自慰をしてみた。
 それも、絶頂に達しないように、寸前で自分にお預けを食
わせる寸止め一人えっちなのだ。自慰の経験の薄いわたしは、
これで発情できて、少しは杜守さんにかまってもらえるかな、
なんて思っていた。

 そのもくろみは成功した。見事わたしの身体は発情(いや、
公正を期すならわたしの身体だけじゃなくて、気持ちの方だっ
てめろめろに発情しちゃったのだったけど)。

 大成功。
 成功したわけだけど、わたしは凹んでしまう。

 自分が性的に淡泊なのだ、なんて悠然と構えていたわたし
は、自慰がこんなに習慣性があるものだとは知らなかったの
だ。しかも、習慣という言葉の字義通り、やり方が固定され
てしまうようになるということで。もちろん、杜守さんと身
体を重ねた影響も大きいと思うのだけれど……。
 わたしは、自慰でいけなくなってしまった。
 いや、もしかしたらいけるのかも知れないが。……そのぅ、
自分でしていて、目の前に絶頂が迫ってくると、反射的に手
を離して脱力してしまうのだ。

 つまり、寸止めまで習慣化してしまったのだった。

 思い出して、背筋を強い飢餓が走り抜ける。
 ――布団の中、わたしはぬるぬると湿った性器を丁寧に触
る。自分の唾液を付けた指先で、ちょん、ちょんと軽く触れ
る。それだけで脚の指先が丸まるほどの快感。
 胸の先は、わざと乱暴に触れる。杜守さんのお下がりでも
らった、寝間着代わりのYシャツの布地が、ざらりとわたし
の乳首を舐め上げるのが心地よくて、もうすっかり癖になっ
ている。
 下腹部の突起を、下側から軽く持ち上げるようにしてみた
りすると、もう止まらなくなってゆく。歯が浮くほど甘くて
いやらしい感触が襲いかかる。
 二度、三度、それを繰り返しただけで、理性が蒸発して自
分がどろどろと発情していくのが判る。
 欲しい。欲しくて仕方ないのだ。

 甘くて切ないような寂しい気持ちと、何かにぎゅっとしが
みつきたい欲望に支配されながら、杜守さんの名前を繰り返
し囁く。声なんて出せないわたしは、脳裏で呟いているだけ
なんて思ってたけれど、習慣になっているこの口は、甘く感
じるほど唾液を分泌した舌で、途切れがちに大切な名前を呼
んでしまう。
 「してください」とか「いれてください」なんて言葉さえ
も。云えば頬が灼かれるほど恥ずかしいけれど、云った分だ
け感度が上がって、もらえるご褒美が大きくなることを知っ
てしまったわたしは、うわごとのように口走ってしまう。

 でも、あとひと擦り、敏感なクリトリスをぬるぬるになっ
た指先で甘く摘んで、きゅぅっと潰すだけできらめく天国に
突入できるという状況になると、わたしの両手はわたしの意
志とは関わりなく肩の高さに上がって、シーツをぎゅっと握
りしめてしまう。同時にふとももは誰にも見せられないほど
だらしなく開いて弛緩する。

 他の人のことは判らないけれど、わたしにとって絶頂は全
身の力がぎゅぅっと凝り固まって、そのあとものすごいスピ
ード感で身体からはじけ飛ぶイメージだ。そしてその後にけ
だるい甘い余韻が続くと言うのが基本形。
 だから、達する前に脱力してしまっては、イキたくてもイ
クことは出来ない。「イク寸前で刺激が絶たれる」という感
覚は説明しても多分判ってはもらえないだろうけれど、本当
に筆舌に尽くしがたい。

 あそこは、そのぅ、恥ずかしながら刺激を欲しがっている。
奥から奥からとろりとした粘液をこぼして、擦って欲しくて、
摘んで欲しくて、突き刺して欲しくて、じんじんと我が儘に
欲求を高ぶらせているのだ。
 願いがかなえられない場合は、入り口も、奥も甘ぁく疼い
て、わたし自身に「ここをちょっと刺激されたら、魂が蕩け
ちゃうほど気持ちいいですよ」なんてご丁寧に信号を送って
くれる。
 触りたくて擦りたくてたまらないのに、わたしの両腕はシ
ーツをぎゅっと握って動こうとはしない。

 「身体は正直」なんていうけれど、あれは「身体は凄腕の
強請り屋」という意味だと思う。欲しがってる刺激がもらえ
ない身体は、それこそあの手この手と手段を選ばずわたし自
身にいやらしい事を続行させようとする。
 そうやってわたしがわたし自身を生殺しにして、刺激が加
えられない場合、今度は実力行使だと云わんばかりに尿道が
じんわりと広がってゆく。漏らしてしまいそうな感覚にわた
しはパニックに陥る。なんとしてでも塞がなければ一大事に
なると警告が心を走る。

 ちろちろと内側を舐められるような幻の感覚。クリトリス
の根本が熱を持ってふくれあがり、このさい指でつまんだり
しなくても良いから。太ももに力をぎゅぅっと込めて、脚を
こすりあわせってみたら? なんて誘惑を仕掛けてくる。
 そう、それだけでイけてしまうほど、わたしのあそこは貪
欲になっちゃっている。でも、それなのに、わたしの「習慣」
は頑として聞き入れず、脱力を続けるのだ。おかしい。こん
なの、身体の生理に逆らっているはず。
 発情しきった性器を脱力させたまま、じわじわとした疼き
に耐えているのは、気が狂うほどに辛い。

 ――それなのにでも、同時に頭がおかしくなるほど気持ち
が良いのだ。

 わたしはかすれてしまった声で、杜守さんの名前を呟く。
できるだけ甘えるように、えっちな声で、懇願するように名
前を囁くのがコツだ。名前を呼ぶ度に、絶頂とは違う、けれ
ど同じくらい気持ちの良い波が心を充たす。

 杜守さんの「おねだり」を思い出して、その一つ一つに従
うと、心の底から屈服して、杜守さんの言いなりになるって
約束するのも良い。嘘をついている罪悪感が致死性の甘い毒
のように心に染みこんでいく。
 はしたないおねだりをするのも……杜守さんにはいえない
けれど、気持ちよい。これは絶対に内緒だ。

 そうやって囁き続けていると、身体は生殺しで切なく狂わ
されているのに、わたしの脳みそはどろどろのラズベリージャ
ムになってゆく。杜守さんの名前を告げる度に、その粘液状
になった脳みそに差し込まれた彼の指が、甘やかすようにか
き混ぜてくれる。さざ波のように走る幸福感と、お預けされ
る寂しさが混じり合って、わたしはいやらしい麻痺を止める
ことが出来なくなる。

 ――なんて。
 とてもではないが誰にも云えない性癖だ。

 そんな習慣を持ってしまった。ダメ女子から変態ダメ女子
に変化したわたし。ううう。変化じゃない、堕落だ。いや、
堕落ですらなくて、なんて云うんだろう……発病? とにか
く、身を持ち崩してしまった。
 生活も、情緒不安定気味なわたしの心も、最近ではえっち
な事が発覚してしまったこの身体も、全部杜守さんがいなきゃ
ダメになっている。

 そんな寸止め一人えっちを起き抜けにやっているから(し
かも、快感が引くのを見計らって二回も)。合計で30分近
く生殺し状態で、ゆるゆるに脱力した甘え声で杜守さんの名
を呼んでいたから。
 こうやってシャワーを浴びてるだけで感じやすくなった身
体が発情を始めてしまったりするのだ。多少恥を知りなさい。
わたし。

 今度ばかりは反省します。本当です。
 わたしはひんやりした浴室のタイルにおでこをぺたりとつ
ける。
 すいません。すいません。
 こんな事では杜守さんに合わせる顔がない。

 シャワーを終えたわたしは、髪を拭きながら台所へと戻る。
 杜守さんは仕事だから当たり前だけど、誰もいない。

 寂しいな、と思う。それは、ちょっと珍しい寂しさ。
 杜守さんと本当の意味で身体を重ねてから二週間。わたし
は、この寂しさを味わうようになっていた。
 肌寒いような物足りないような不安感。以前感じてたよう
な、むなしさや諦念の入り交じった空虚な寂しさとは違う、
もっと具体的で特別な寂しさ。

 多分、それは、杜守さんがいない寂しさ。
 わたしがいつも感じていた「ひとりぼっち」の寂しさでは
ないと思う。ずっと他人とふれあえなかった、この先誰とも
ふれあえないかもしれないという、漠然としているけれど、
わたしにとっては何より確信に満ちていた「未来の寂しさ」
ではない。

 だって、この特別な寂しさは、多分、杜守さん以外の誰が
ここにいてくれても、消えはしないから。

 あのえっちをしてから、わたしは少し変わったような気が
する。以前みたいに、ひとりぼっちの時に突然パニックに襲
われるようなことは減った。もし襲われても、身動きも出来
ないで、いきなりしゃがみ込んで動けなくなるほどの症状は
なくなった。
 ひとりでロフトによじ登り、布団の中で丸くなる程度の余
裕はあるようになった。

 いまでも、未来は怖い。
 わたしはまだ17で、どうなるか判らない真っ暗な海は50年
分続いている。その最中、わたしがどうなるか、わたしには
さっぱり判らない。幸福な、安楽な、もしくは穏やかな旅が
待っているとは、到底思えない。学校をやめて家出娘になっ
てしまったわたしは、いわゆる「社会のレール」を踏み外し
てしまったのだ。
 もちろん、そんなレールなんか無視をして、道無き道を進
んで、その冒険の旅が面白いと云えるひともこの世の中には
存在する。もしくは、そんなレールを踏み外したひと同士が
身を寄せ合って、社会のルールと外れた自分たちのルールで、
多少グレーゾーンではあっても独自の仲間を見つけて過ごし
ているのも見てきた。

 けれど、わたしは前者を選ぶには勇気がなさ過ぎて、後者
を選ぶのには社交性がなさ過ぎる。
 大人たちの言うような「未来の不安」なんかではないと思
う。もっと手触りがあって、はっきりとしたもの。わたしが
10人の中に立っていったら、どんな人の視線もわたしの上に
は止まらないだろうという確信。わたしは多分わたしの一生
で、何も価値あるものをつかめないだろうという静かな諦念。
 わたしには、どうにも居場所がないような気がしているの
だ。――自分の場所を持たない50年。そんなのは想像するま
でもなく、地獄でしかない。

 その地獄は、怖い。
 怖くて、泣きそうになる。
 でもその怖さと、杜守さんの居ない寂しさは別なのだ。

 寂しい。ただ寂しい。逢いたいし、話したいし、触れたい
し、役に立ちたい。甘やかして欲しい。意地悪なことを云わ
れても良い。あんまりかまってくれなくても我慢する。たと
えば一緒の部屋にいることを許可してくれるのならば、一日
中だってじっと良い子にしていられる。

 「自分の居る場所を持たない50年」が目の前に現れたら、
そいつはわたしを殺してしまうと思う。この敵は強大で、わ
たしは抵抗の叫び声を上げるまでもなく一瞬で八つ裂きにさ
れ、しかもそのあと蘇生され、殺され、蘇らされて、きざま
れる……それを50年繰り返す羽目になるだろう。その恐怖は
骨を凍らせるほどだ。
 でも「杜守さんに見捨てられた50年」が目の前に現れたら、
そいつが何もしてこなくても、わたしは生きていられない。
生きていたくないのだ。そいつが現れただけで、わたしは、
全てを手放してしまうと判ってしまう。

 好き、なのだと思う。
 云える資格はないけれど。

 杜守さんは、出来る男だからなぁ。……肩を落とすわたし。
 冷蔵庫を開けてみると、アサリのオムレツとジャバイモの
冷製スープ。なんで朝7時に出かける男性が、引きこもり同
居人(性別、一応女)の昼食を用意してゆけるのだろう。
 ほとほと自己嫌悪してしまう。

 これでも、少しだけ料理が好きになった。先週も練習をし
て、青椒牛肉絲なんかを杜守さんに食べてもらった。好評だ
ったので、本当にほっとした。やっぱり、練習は大事だ。
 練習でうまくなれることがあるってなんてすごいんだろう。
だって世の中には、生まれつきとか、才能で決まっちゃうこ
とが多すぎると思う。

 女の子にとって「生まれつき」という現実は、分厚い壁と
して早い時期から看取される。具体的にいうとそれは容姿だ。
女の子は、自分の容姿から逃げることは出来ないし、幼い時
期からそれとつきあう方法を学ぶ。
 可愛い女の子は子供の時から周囲にかわいがられる。愛情
をたっぷりもらって、優しい性格に育つ。あんまり可愛くな
い娘は、タフに育たざるを得ないし、わたしみたいに地味な
娘は注目されないことに慣れる。

 もちろん、学んだからと言って、仲良くつきあっていける
娘ばかりじゃない。美人で傲慢になってしまう子もいるし、
不細工で攻撃的になってしまう娘もいる。でも、うまく学ぶ
にしろ、学べないにしろ、大半の女子にとって「現実」とい
う言葉の最初の意味は「自分の容姿」という事実なのだ。

 シたいな……。

 なんて考えて、わたしの顔が瞬間的に茹で上がるのが判る。
 ごめんなさい、すいません、身の程知らずで申し訳ありま
せん。なんて誰もいないキッチンで手を振って誰とも知れな
い誰かに謝罪してみる。いや、その。言い訳させてもらいま
す。違うのだ。さすがのわたしがいくら変態系ダメ少女に堕
落したと云っても、この上さすがにさらに一人えっちなんて
話じゃなくて。

 杜守さんと。
 杜守さんとくっつきたい。

 それは心がさらわれて、空の中に舞い上がるような誘惑。
杜守さんに強制されて癖を付けられた、甘い言葉を唇でなぞ
るだけで、じわりと痺れるような遠い幸福感が、わたしの細っ
こい起伏に乏しい身体を包む。
 杜守さんとくっつきたいな。抱きしめて、唇を重ねたい。
ううん、手で撫でるだけでも良い。言葉を書けてもらったり
したら、嬉しくてしっぽが千切れるくらい振ってしまう。そ
うでなければ、見ているだけでも良い。一つの部屋の中にい
て、杜守さんの背中を見ているだけで、わたしは杜守さんが
想像もつかないほど嬉しい気持ちになれてしまうのだ。

 頭を二三回振る。杜守さんは仕事中なのだ。わたしだけが
こんな淫らでふしだら……というか脳天気というか、つ、つ
まり妄想に浸っているのは申し訳ない。

 わたしはテーブルに出した一人分の昼食の前に座って、い
ただきますなんて呟く。
 我ながら冴えない声。声くらい可愛く生まれつきたかった。
 でも、アサリのオムレツとジャバイモの冷静スープ、加え
て食パンは美味しかった。どこがどう、とはいえないけれど
「杜守さんっ!」っていう味。単純なのに、見切れていると
いうか。無駄のないシャープな味だ。……こういうのもセン
スというのだろうか。

 もっとも料理ではあんまり落ち込まないで済むようになった。

 やってみて判った。料理は、場数。
 わたしは要領が悪い。それは事実だから、仕方ない。
 けれど、料理は場数でちゃんと上手になる。別にプロの料
理人になる訳じゃないし、杜守さんに「おかえりなさい」と
いう感じの料理が作れる腕があればそれで良い。だったら、
それは無限に遠い、手の届かないブドウじゃなくて、ちょっ
と手を伸ばせば、手が届くブドウ。

 やってみると、楽しいし。
 ちゃんと練習したのは、回鍋肉と、青椒牛肉絲しかない。
次は、何にしよう。わたしはロフトに戻って、中古のノート
パソコン(お下がり)をキッチンのテーブルに持ってくる。
無線LANがあるから、うちの中ならどこでもネットが出来
るのだ。

 次に練習する料理は、和食が良い。
 杜守さんはどんな料理でも(かなり猛烈な勢いで)食べる
けれど、和食が好きだって云っていた。和食はなんだか「作
っている感じ」が薄くて(焼き魚とか、冷や奴とか)避けて
いた。でも中華ばかりじゃ身体に悪そうだし、やってみるの
も悪くないかもしれない。

 やはり煮物かな。
 なんて考える。あるアンケートによれば、男性が望む手料
理の一位が肉じゃがだそうだ。肉じゃがなんて中学の実習で
作ったから作れる、なんて今のわたしは思わない。
 実習の一回切りの場数じゃ、どれほどの経験も積めはしな
い。細かいチェックポイントを洗い出し、一つずつ解決して
いく。それが上達。

 肉じゃがの場合、きっとジャガイモの切るサイズと煮る時
間と火加減に関係があるんだろうな。煮崩れちゃうもんな、
なんてレシピのサイトを見ながら考える。切るサイズやジャ
ガイモの季節による堅さ、煮る時間や火加減まで表記してあ
るサイトは見あたらない。たぶん、それは「場数」で身につ
けるべき事なのだろう。

 やっぱり肉じゃがかな。
 じゃなければ、筑前煮も良いな。

 午後は試作を一回作ろう。食べきれる分量で。上手に出来
たら、杜守さんに夕食もつくってあげたい。わたしは立ち上
がって食器を流しに下げると、ダメ女子ではあるなりに気合
いを入れたのだった。

「えと……すみませんです」
「ほいほい?」
 食後のこの時間。
 わたしは寝間着を着て、杜守さんの部屋のドアをノックし
た。手には、冷凍庫に入っていたカップのアイスをもってい
る。ちなみにこのカップのアイス、杜守さんの買い置きだ。
奇妙な部分で子供らしい人なのだ。

「マッサージの差し入れですっ」
 わたしはなるべく明るくちょこん、と敬礼のポーズを取る。
相変わらず杜守さんの前に出ると、なかなか顔を上げられな
い挙動不審な態度なのだけど。こうやっておどけた態度を取っ
ていれば、杜守さんも戸惑わないで済むわけで。
 ほら、色っぽい風情で夜の寝室を訊ねるなんて、それは美
女のやることだという気もするし。心配そうなそれで居て熱っ
ぽい眼差しなんて美少女の専売特許だ。
 わたしは、こうやっておどけているくらいしか出来ない。
神様、出来れば、裏返りそうな声くらいはどうにかしてくだ
さい。

 杜守さんは、さんきゅーなんて気軽に言って、ベッドに腰
を掛ける。わたしはその杜守さんにアイスを渡して、いそい
そと背後に回る。

「美味いなーアイス」
「ゆ、ゆびを」
「?」
「パソコンで、指、疲れて……しま、す」
 緊張で美味く回らない言葉をせき立てて、それだけを絞り
出す。これは建前というか言い訳。自覚症状はあるのです。
 ほんとうは、マッサージとか云って、杜守さんの身体に触
れていたいだけなのです。甘えたがりのダメ女子なのです。
いや、思うに、これはべたべた触りたいという世間で言うと
ころの痴女なのではなかろうか。ううう、変態だ。正真正銘
の変態だ。

 でも、ここまできたら、引くわけにはいかない。
 引くつもりもない。胸の真ん中が風に吹かれた水面のよう
に波立って、ざわざわして、杜守さんから感じる強い引力に
落下しそうなのだ。幸い肩をもむなんていうことだけ上手っ
て云われるし。別に肩もみが上手いくらいで、何かになれる
なんて思わないけれど、それでも杜守さんの近くにいられる
であれば、どんな薄っぺらな言い訳だって使ってしまいたい。

 ほら。こうして触れているだけで、他愛なく気持ちが浮き
立ってきてしまう。杜守さんの指は長い。骨っぽくて、ごつ
ごつしているけれど、器用そうでわたしは大好きだ。

 指と指の股の部分は特に念入りにぎゅむぎゅむとする。ア
イスを食べ終わった杜守さんは「むぅ〜」なんていいながら、
ゆっくりと目をつむる。そうしていると、余計に大型ほ乳類っ
ぽい。温泉に入ってる熊という所だろうか。

「……眞埜さん、眞埜さん」
「はい?」
「上手〜」
 笑いかけてくれる杜守さん。この人は、微笑むと、突然子
供っぽくなる時がある。ベッドでリラックスしている時なん
て特にだ。もちろんそうでない微笑みもあるんだけれど、そ
の二種類をどう使い分けているかは、わたしには、良く判ら
ない。

 でも、こっちの「子供っぽいにこっ」を向けられたわたし
の身体は、飼い主に呼ばれた犬のように自動的にお尻の位置
をずらして、ほんのちょっぴり杜守さんに寄り添う。
 駅前で配っているポケットティッシュと同じくらいの面積
だけ、杜守さんの脇腹に、わたしの腰の横がくっつく。体温
も伝わらないようなわずかな領地。まるでそれは文庫本を立
てかけただけのようなわずかな感触。

 その取るに足りない、本当にどうでも良いような暖かさの
せいで、わたしの気持ちの中は春の日差しのように浮き立つ。
ベッドに座って、杜守さんにくっついて触れているのは幸せ
だ。杜守さんは「俺ももう歳だしね−」なんてにっこり笑っ
てくれて、マッサージされると幸せーなんて云ってくれてい
るけれど、そんなの全然とんでもない。
 杜守さんの腕の健の固くなっているところを揉みほぐして
いるわたしだけど、作業をしているとか、労働をしていると
いうような実感はまるでなくて。貴重で大事なものを貸して
貰って、遊んでて良いよ、なんて云われたような嬉しさです
よ。触っているだけで幸せな気分になる。嬉しくて飛び上が
りそうなのは、こちらなのです。杜守さん。


「杜守さんは……その、お仕事お疲れ様です」
 指を触っているうちに、何とかそんな台詞をひねり出す。
でも云った途端に軽くへこむ。なんて芸のない台詞なんだろ
う。世間話にしたってもうちょっと気の利いたことが云えな
いのだろうか。冴えないわたしだ。

「いえいえ、最近は眞埜さんも料理なんかしてくれちゃった
りして。張り合い出ますよ」
 そんなことない。まだ「作れる」なんて云う料理は5皿に
満たない。料理は場数を踏めば上手になれるのは判ったけれ
ど、それは膨大な量の研鑽が必要だということでもある。要
領の悪いわたしは、何時になったら「料理できます」なんて
云えるようになるのか、見当がつかない。

 杜守さんはどうなんだろう。
 杜守さんは、少なくともわたしからは何でも器用にそつな
くこなすように見える。あまりにも飄々としているせいで、
生まれたときから何でも出来る様にさえ見えるほどだ。

「杜守さんは、なんで、そんなに何でも出来ますか?」
「ん〜。年寄りだから?」
「……」
 そんなこと云われても途方に暮れてしまう。わたしは返す
言葉も見つからないので、仕方なく、杜守さんの太い腕をぎゅ
むぎゅむとする。だんだん血行が良くなってきて、杜守さん
の腕が暖かくなってくる。自分のそれとは全く違う肌の感じ
は、意識してしまうと急に恥ずかしくなってきてしまうけれ
ど、わたしは俯いたまま、あぅあぅなどと呟いてやり過ごす。
へ、変態は抑制しなければいけない。

「眞埜さんは生真面目だなぁ」
 ごろんと寝返りを打つ杜守さん。あいている腕もこちらに
投げ出して、リラックスの体勢だ。
「……要するに、手の早さだよ。作業が早ければ、同じ時間
で多くの場数をこなせる。あとは年齢が作業速度を経験値に
変換してくれるよ」
「作業速度ですか……」
 あんまり嬉しくない結論。いろいろダメな女子であるわた
しなのだが、作業速度の遅さには自信がある。得意なことが
ないわたしの苦手ジャンルベスト3入りだ。作業速度って集
中力ですよね、なんて聞いてみると、あっさり「うん」と答
えられてしまう。集中力。それは堂々のベスト1。もちろん
苦手分野のだ。
 どんよりと暗雲を頭の上に載っけているわたしに、杜守さ
んは軽く笑いながら続ける。

「集中力ってさ。眞埜さん。なんか筋力とか、直感力みたい
に、何らかの能力があって、それが高いとか低いみたいに考
えてるでしょう?」
「違うのですか?」
「集中力ってのは、要するに要領を時間方向に使ったものだ
よ。……それは何らかの能力じゃなくて、捨てるって事」
「……?」
 杜守さんの話は、時に良く判らなくなる。すいません。頭
の良くない女子なのです。

「例えば、クライアントと交渉しているときは、書類仕事の
能力とか、来週の会議の対策とか、後でクリーニング屋に行
かなきゃとか、必要ないでしょ? 必要のない『部分』を、
自分から外しておくってのが、集中力だよ」
「そんなこと、出来るのですか?」
「そこら辺が要領だね」


 ――自分で出来るとは思わないけれど、その説明はなんだ
かわたしにはとても良く判るように思えた。「集中力に欠け
る」なんて云うけれど、それって別に何が足りない訳じゃな
くて、頭の中で余計なことを沢山考えちゃってるのだ。
 わたしは……杜守さんにはあんなことを言わされてしまっ
たけれど、やっぱり様々なことに自信が持てない。えっちの
時のああいう言葉は嬉しい。とても幸せ。けれど、あれはや
はり睦言なのだと思う。せめてお世辞ではなく、睦言であっ
て欲しいと希うのは、多分わたしの我が儘でしかないけれど。
 わたしの頭の中には、こびりついたように自信のない考え
が住みついてしまっているし、そうでなくても効率も要領も
悪い。
 いつも何かを失敗をしてしまうのじゃないかと考えていて、
料理を作っている時でさえ、材料を切っていては煮ている時
の失敗を考えたり、材料を煮ている時にはお皿の用意であた
ふたしてみたり、そもそも料理をしている最中に杜守さんに
事を考えたり、自分の未来のことを考えてくよくよしてみた
りと、おそらく「必要のない部分」が多すぎるのだろう。

 わたしには人間として無駄な部分が多い。

 その話は、多分そう言う意味で。
 わたしはそれに妙に納得してしまい、そしてすごく悲しく
なってしまった。だって、それはわたしが言葉には出来なか
ったけれど、漠然と思ってきたことだったのだ。ああ、こう
やってめそめそしているのも、きっと本当は無駄なんだろう
な、なんて。
 そんなこと、ダメ女子としては最初から、何とはなーく、
判っていたのです。判っていたけど、やっぱりへこむのです。

「最速ってのは、最軽量ってこと。余計なプログラムがイン
ストールされてなければ、人間はびっくりするほど早くなれ
るよ。それが常に正しいとは限らないけどね」
「……はい」
 頷くけど、少し引っかかった。

「いいんだよ」
「?」
「眞埜さんは、それで良いのだ。何が無駄なんて時間を掛け
なきゃ判らない。時間を掛けたって判らないって云うことも、
時間を掛けなきゃ判らない。だから眞埜さんは、それで良い
んだよ」
 杜守さんの伸ばした指先が、わたしのおでこに触れる。

 いつも俯いて視線を上げることも出来なかったわたし。だ
から、ベッドに横になった杜守さんは、寝転がったままでわ
たしの顔を直接覗きこめてしまう。優しい笑み。「判ってる
から安心しておけ−」なんて云う微笑み。
 それは子供っぽい杜守さんの笑いとは別の、もう一つの微
笑み。その眼差しは優しくて力強くて、安心するのだけれど、
わたしはなんだかとっても申し訳ないような悲しいような気
持ちになってしまう。

 何が「それで良い」のか、わたしには判らないのです。判
らないのに、それで良いなんて、それはただの慰めなのでは
ないのですか?

 蛍光灯の明かりから影になったわたしの、きっと微笑むと
も不安がるとも云えない、微妙で意味のわからない表情をし
たわたしの、その前髪を杜守さんは掻き上げてくれる。

 その夜は、わたしは杜守さんのベッドの端っこを借りて眠っ
た。暖かい布団と杜守さんの鼓動に包まれて。幸せで、嬉し
くて、優しい眠りだったけれど、わたしの中に杜守さんの微
笑みに感じた違和感が引っかかっていた。

 それでは、杜守さんと一つの褥を共にしても、消せない寂
しさはあるんだ。……そんなことを知るのにも、わたしには
まだ時間が必要だった。



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