最終更新: izon_matome 2009年09月19日(土) 08:41:02履歴
作者:◆ou.3Y1vhqc氏
「分かってると思うけど、あまり激しい運動や動きは控えてください。
ゆっくりと物を掴むところから始めれば感覚は戻るので。」
「はい、分かりました。」
前に座っている初老の男性が俺の右手を揉みながら話しかけてくる。
この言葉だけ聞くと男同士で何してんだよ…と気持ち悪く感じるが、向こうも楽しくて男の腕を揉んでいる訳ではない。
仕事だから仕方ないのだ…。
どういう事かと言うと。俺は今、ギブスを外す為に学校帰りにとある病院へと足を運んでいた。
もうギブスは外しているのだが1ヶ月半も腕を動かしていなかったので、担当医に揉んでほぐしてもらっている最中なのだ。
「四日間でいいので朝と夜の二回、家族の方にお願いして二十分ほど揉んでもらってくださいね。」
「はい。」
実際ギブスは外れたのに、まだ自分の腕じゃないような不思議な感覚がする。
「よし…これで、大丈夫。今は動かしづらいと思うけど、すぐに普段の握力が戻るから。
…それとあんまり無茶な事しちゃダメだよ?」
揉んでいた腕を離すと、笑いながら俺の事を少し咎めた。
「はい、分かりました…。それじゃ、今までありがとうございました。」
――医者に軽く頭を下げて、診察室から出ると、急いで中央ホールへと向かった。
「遅かったね、夕凪くん。」
「春樹先輩、大丈夫でしたか?」
中央ホールに着くと、ベンチに座っていた小さな男女が双子のように立ち上がり、此方に走り寄ってきた。
女の子は美幸ちゃん。
もう一人の男は1ヶ月半前にノートを写して貰ったのがきっかけで仲良くなった、鈴村 光(ひかる)。
仲良くなったと言っても、鈴村とは学校の外で会うのは今日が初めてなのだ。
声をかけられた次の日、何故俺の名前を知っているのかと聞くと、「一年前にガラス割って二階から生徒捨てようとしたでしょ?多分知ってるの僕だけじゃないと思うけど…」
その話しを聞いた瞬間頭がクラッときた。
俺の闇歴史を知るものがそんなにいるなんて…。
多分その一部分だけが広まって周りに悪い印象を植え付けてしまったのだろう。
今更ぐちぐち言っても仕方ないのでもう諦めているが、一年経ったのだからもう忘れてほしい。
しかし、何故鈴村はその話を知っていながら俺に話しかけたのだろう…?そんな疑問が頭に浮かび、思い切って鈴村に聞いてみた。
すると「夕凪くんが悪い訳じゃないんでしょ?それに、その怪我も……喧嘩じゃなくて違う理由かな?」
と意味深な発言をされてごまかされた…。
少し疑問が残ったのだがその発言に対してあまり深く詮索せず、1ヶ月半経っても変らず人畜無害な奴なので今まで仲良くやってこれたのだ。
「病院を走るなよ…まぁ、ギブスはとれたよ。ほらっ。」
ギブスがとれた腕を自慢げに二人に見せる。
二人からおぉ〜!と言う歓声が病院内に小さく響いた。
「まぁ、今まで周りの皆には散々迷惑かけたからさ…今日家に来ないか?何かご馳走するよ。」
自分の家に人を呼ぶなんていつ以来だろうか…?
情けないことに(断られないか…?)と少し内心焦ってしまった。
「えっ、いいの!?あの…僕は大丈夫だけど…本当にいいの?」
そんなに嬉しい事なのだろうか…?目がキラキラしている。
「別にいいけど…あんまり期待すんなよ?なにも無いからな…。
美幸ちゃんはどうする?。」
「行きます!」
即答…1ヶ月前とは違い環境に慣れてきたのだろう。
良いことだ。
「それじゃ、行こっか?」
「うん。」
「はい。」
受付でお金を払い、病院から出た俺達三人は、まず食料調達の為にスーパーへと向かった。
――「……ご馳走って…」
「鈴村…それ以上言ったら殴る。」
「で、でも…その…鍋も美味しいですからっ!」
考えて考えて考え抜いた結果。平凡な鍋にすることになった…。
何かをご馳走すると言い切ったのは俺なのだが、恥ずかしいことに料理なんて普段食べる物しか作ったことがなかったのだ。
材料を買い終えてスーパーを後にすると、時刻は夕方の五時をまわっていた。
今から家に帰って料理をして食事をするとなると少し遅くなってしまうかもしれない。
一応二人に門限があるかと聞くと、鈴村は「僕は男の子なんだけど!」と呆れ気味に怒られた。
発言の意味が解らなかったので、こちらも「男の子ってなんだよ…」と軽く流した。
美幸ちゃんは見た目通りやはり親の許可がいるのか、一回家に帰って制服を着替えるので、その時お母さんに許可を貰うらしい。
美幸ちゃんと一時的に別れた後、俺と鈴村で歩いている最中、鈴村が小さな声で不思議な事を口走った。
「懐かしい……この公園…まだ変わってないんだ…」
「なにお前…ここに来たことがあるの…?」
「え…?いや…まぁ、ちょっと昔ね…」
少し前に本人から聞いたが、鈴村の家はここからかなり離れているはず…。
親戚がこの辺に住んでいるのかと聞くと、住んでいないらしい。
懐かしいと言うぐらいだから小学生の時だろうけど、それ以上はごまかすだけで話そうとはしなかった。
――家に着くと、まずリビングに入り、重い材料をテーブルの上に雑に置いた。
鈴村にその事を注意されたが、相手するのがめんどくさいので軽く無視をする。
「夕凪くん…用意しないの…?」
鈴村がソファーに横になった俺の顔を呆れたように覗き込んでくる…。
鈴村の髪が俺の髪を撫で、目と目が合う。
近くで見ると本当に女の子みたいだなぁ…。
「うん……んっ?……ばッ!?お前顔をスレスレに近づけてくんな気持ち悪りーな!!」
恐ろしいことに、鈴村の顔に見とれていて顔を近づけられても違和感をまったく感じなかった。
「き、気持ち悪いって言わないでよ!傷つくだろっ!」
「き、傷つくって…。
まぁ、その…なんだ……も、もう用意しようぜ…」
頭から邪念を振り払い、急いで鍋の用意をする事にした。
―鍋の用意が終わる頃にはもう夕方の6時を過ぎており、窓から差し込む夕日の色でリビングの中が少し赤くなっていた。
もうそろそろ美幸ちゃんも来るはず…。
「あっ、そうだっ!…夏美達呼ぶの忘れてた。」
急いでポケットから携帯を取り出すと、夏美にメールを送った。
多分すぐに来るだろう。
「夏美って……赤部 夏美さん?」
「あぁ、なんだ知ってんのか?」
「まぁ、夕凪くんもそうだけど、良い意味でも悪い意味でも学校では有名人だからね…赤部先生の妹さんでしょ?」
確かに秋音さんと夏美が姉妹だと言うことはほとんどの生徒が知っていることだ。
「良い意味でも悪い意味でもって…悪い意味はなんとなく思い付くけど、良い意味なんてまったく思い当たらないぞ?」
「夕凪くんって女子から普通に人気あるよ?よく夕凪くんがいない教室で話してるとこ見るもん。」
「いや、俺は見たことも聞いたこともないんだけど……それに女子からお前を虐めるなって注意されたしな。」
一度、鈴村が俺に脅されてノートを写してるんじゃないの?っと数人の女子から問い詰められたことがある。
一応弁解したが、終始不満げに話を聞いていたので多分信用してないだろう…。
「な、なにそれっ!?そんなこと言われてたの!?」
驚いたように椅子から立ち上がると、テーブルの上を上半身いっぱいいっぱい乗り上げて顔を近づけてきた。
「だから顔を近づけんなって……まぁ、多分相手もお前が心配で声をかけてきたんだろ?しょうがねーよ。」
鈴村の見た目を考えれば、周りから見ればそう見えてもしかないのかも知れない…。
俺だって同じこと考えるかも…
「はぁ……は――夕凪く――す――気持――なく分かったよ…」
「えっ、なに?」
鈴村が俺の顔を見ながら何かを呟いたが、小さすぎて何を言っているのか途切れ途切れにしか聴こえなかった。
「その女子達がムカつくって言ったの!!」
そう言うと怒ったようにそっぽを向き、体育座りのように椅子の上で両膝を抱え込んだ。
本当に子供みたいな奴だなっと思ったがこれ以上機嫌が悪くなると、夏美と同じように手に終えなくなりそうなので俺も鈴村から目を離した。
――鍋の準備が終了して10分後、美幸ちゃんが到着した。
その30分後に夏美と冬子が家を訪れた。
残念ながら恵さんと秋音さんは仕事で来れないらしい…。
「しょうがないか…まぁ、四人で食べようぜ。」
「そうだな。それじゃ、春兄の隣…?…に……」
「…こ、こんばんわ…」
嬉しそうに此方に駆け寄ってくる夏美が、隣に座っている鈴村を見て眉間にシワを寄せた。
「中坊…春兄の隣は昔から私って決まってんだ…どけ…。」
「ちゅっ、ちゅうぼうっ!?僕は夕凪くんの同級生なんだけど!!」
「嘘つくな……おい、山下……早く弟をこのイスからどかせろ。」
「えっ?あの…私の弟では…」
美幸ちゃんに向かって命令口調で話しかける。
夏美は鈴村の事を美幸ちゃんの弟だと思っているようだ。
見た目は似ているので間違えても仕方がないのだが、もう少し言葉を選べないものだろうか?後で少し説教しなければ…。
「ほらっ、ネクタイ見てみろよ!青いだろっ!?キミより年上だって証拠だ!」
自分のネクタイを夏美に見せるためにイスから立ち上がり、夏美の前で胸を張る。
鈴村の方が頭ひとつ身長が低いので背伸びしているところが残念ながら少し可愛らしい。
「あっそ…それじゃ、先輩その場所をどいてくれますか?」
「ヤダッ!」
ヤダッて…会話だけ聞いていたらどっちが女か分からなくなる。
「なッ!?こっ、このっ、子ザルの癖に人間様のy「夏美っ!やめろって…飯食うんだろ…?早くイスに座れ。」
「…わかったよ。」
夏美の事だから一言二言返ってくると思っていたのだが、俺の言葉に対して素直に従った。いつもこれぐらい素直なら余計な問題もないのだが…。
「よし…冬子も…ってお前はもう座ってたのか…。」
「うん。早い者勝ちだから…。」
いつの間にか俺の隣にある左側のイスに腰を下ろしていた。
早い者勝ちの意味が解らないが、冬子は夏美と違い普段から落ち着いているので(落ち着きすぎ)争い事が無くて楽だ。
「…あ、あの…」
「……隣に座るからな…」
俺の両隣には冬子と鈴村…。自然と美幸ちゃんの隣は夏美が座ることになる。
不機嫌そうに美幸ちゃんに一声かけると、イスを片手で後ろに下げ、男らしくイスにドンッと腰を降ろした。
最近はあまり美幸ちゃんと夏美の仲が悪いように見えなくなってきた。
本人達は気づいていないかも知れないが、どこか無理にいがみ合っている気がする。
基本夏美から絡んでいるのだが、たまに美幸ちゃんから夏美に意見する時がある。
夏美は言われることに慣れていないのだろ……美幸ちゃんになにかキツいことを言われると涙目で俺に助けを求めてくる時がある。
その姿を見る度に俺は安心する…。本当に嫌っていたら話をすることすらしないだろう…。
やはり始めのわだかまりを残しているだけのようだ。
このまま行けばわだかまりも多分無くなるはず。
「おい、山下……その肉は私のだ…放せ。」
「わ、私がいれたんです……だっ、だから、私のですっ。」
この先、案外この二人が親友になりそうな気がする――。
――学生だけの鍋パーティーが終わり、俺と冬子が食器を片付ける事になった。
夏美と美幸ちゃんが手伝うと言ってくれたのだが、美幸ちゃんはお客さんなのでさせるわけには行かない。
夏美は単純に危なっかしい…。
ソファーに座ってテレビでも見てろと言ったら、二人共渋々ソファーへと歩いていった。
「先輩なに見てるの…?なにこれ…旅番組?ぷっ…くくっ……おじいちゃんかよ先輩…くくっ…!。」
「べ、別にいいだろっ!自然が好きなんだから!じゃ、じゃあ夏美ちゃんはなに見るんだよ普段!」
先にソファーに座ってテレビを見ていた鈴村と夏美が口論しだした。
旅番組…楽しいじゃないか。
「わっ、私?わたしは……その…」
「なに?」
「……ぽけ…もん…?」
「ポ、ポケモっ!?…くく……ぶぁはっあっはははははぁっ!ポケモンだってさっ!夕凪くん聞いたっ!?…夏美ちゃん子供だね〜あっははははっ!おなかいたいィっヒははははっぁ!」
「わっ笑うな!子供の時から見てるんだから日課になってんだよ!」
「いや…ポケットモンスター面白いですよ?私も見てました。」
夏美の横にいる美幸ちゃんが珍しく夏美を助けた。
「ほら見ろ!ぽけもんぐらい普通だ!」
「美幸ちゃん見てましたって言ったけど?今は見ていないって事でしょ?」
勝ち誇ったように鈴村を見下ろす夏美を鈴村がどん底に突き落とす。
その事実に気がつき夏美が美幸ちゃんをキッと睨むが美幸ちゃんはすでにソファーに座っており、旅番組を見ている。
夏美はと言うと、怒りの矛先を失ったのか、めんどくさそうに美幸ちゃんの横に腰を降ろすと、二人と同じように旅番組に目を向けた。
「…」
仲が良いのか悪いのか…呆れるがソファーに座る三人を見ていて悪い気はしなかった。
「春くん、早く洗って。」
リビングを眺めていると、食器洗いの手が止まっていたのか冬子に早く洗うように急かされた。
「あ、あぁ、悪い。」
慌てて手に持っていたコップを洗って冬子に渡す。
渡した食器を布巾で綺麗に拭くと、後ろにある食器棚へと運んでいく。
冬子の性格が出ているのかお皿を何枚も溜めずに、わざわざ一枚一枚食器棚へと運んでいく。
無駄な行動を省きたいのだろう…しかし、食器を洗っている俺からすれば急かされている気がしてならない。
――「…ねぇ、春くん…。」
同じ動作を機械的に行っていると、突然冬子から小さな声で話しかけられた。
「なんだ?」
冬子が隣にいるのは分かっていたので、冬子を見ないで皿を洗う事に集中する。
「美幸ちゃん最近よく家にくるよね?」
「あぁ、そうだな。」
「……春くん、美幸ちゃんのこと好きなの?」
冬子の唐突な発言に洗っている皿を落としかけた。
「意味わからん。なんでそうなるんだよ」
俺は一度たりとも冬子に美幸ちゃんを好きだと言ったことは無い。
無論冬子に限らず他の人間にも無い。
「じゃあ、なんでよく家にくるの?彼女でもないのに…」
食器を洗っているので冬子の顔を見ていないが、雰囲気でなんとなく怒っていると言うことは解った。
「まぁ、いもっ……友達みたいなもんだからな。」
危ない…また禁句を言うところだった…。
「……妹みたいな存在でも、他人の女の子が家に出入りすると周りの人は勘違いするよ?」
地獄耳の冬子には聞こえていたみたいだ…冬子の表情を確認したいが少し恐い。
声は相変わらず低めだが、会話を重ねていく度に冬子の声がハッキリと聴こえてくるようになった。
「それ言い出したらお前や夏美もそうだろ………ほらっ、これで最後だ。」
最後の皿を洗い終わり、流し台を綺麗に拭くと、横に立っている冬子に皿を手渡そうとした。
「……」
「冬子?」
が、なぜか冬子は皿を受け取る気配がまったくない。
不自然に思い、なぜ受け取らないのか冬子の方へ目を向けると、俺の手に持たれている皿は冬子の胸の前でピタッと止まっていた。
「…」
皿を眺めているのか、視点が合っていないのか…冬子は両腕をだらしなく下げたまま、まったく皿を掴もうとしない。
「―――じゃない。」
「えっ?」
下を向いたまま何かを呟くと突然ぷるぷると震えだした。
「ふ、冬子?」
冬子の姿を見てただ事では無いと感じ取った俺は、皿を流し台に置き冬子へと近寄った。
「私達は他人じゃない!!」
冬子の肩を掴もうとした瞬間、力一杯拳で冷蔵庫を叩き、先ほどまで小さな声で話していた冬子は俺に向かって大声を張り上げた。
「ちょっ、冬子どうしたんだよ?落ち着けって。」
「さわらないでっ!あの子はたかが1ヶ月でしょ!?一緒にしないでよ!」
冬子を宥めるために肩に手を乗せようとすると、勢いよく振り払らい、冬子が言う「あの子」であろう美幸ちゃんのいるソファーに向かって指をさした。
「やめろって!」
慌てて冬子の腕を掴み指をさす事を止めさせる。
幸いソファーから台所が見えないので三人には此方の姿は見えていないはず。
「どうしたの!?」
夏美がビックリした表情で此方に駆け寄ってきた。
鈴村と美幸ちゃんも困惑したように立ち上がり、此方の様子を伺っている。
「い、いや、なんでもないよ!」
「何でもなくないわよ……春くん…約束破らないでよ?」
数秒俺の顔を睨むと、俺の胸にエプロンを軽く投げつけた。
「それじゃ、私明日テストだから家に帰って勉強するね。」
そう言うと、鈴村と美幸ちゃんに礼儀正しく頭を下げてリビングを出ていった。
追いかけようか迷ったが、今追いかけて冬子と話をしても余計に話が拗れると思い、追いかける事ができなかった…。
「なんだあいつ…?」
夏美が不思議そうに冬子が出ていった扉を眺めている。
「さぁな…」
冬子から投げつけられたエプロンをイスに駆け、ソファーに腰を降ろす。
それを見た鈴村と美幸ちゃんも同じように腰を降ろした。
「約束…か…。」
約束――多分俺が冬子の兄になる事を言っているのだろう。
でも、なぜ冬子はあんなに俺を家族にいれようとするのだろうか?
冬子と約束をしたと言っても俺が中ニの時…第一、姉の命を奪った相手を家族に引き入れようなんて普通は考えないはず…。
それが、冬子なりの復讐なのか――春香と父親がいなくなり、ぽっかりと開いた穴を違う何かで塞ぎたいのか―――
残念ながら冬子が願う、昔にはもう戻れないだろう…。
「あっ、そろそろお母さん帰ってくる頃だ。」
夏美が壁に掛かっている時計を見ながら呟く。
その視線を追うように時間を確認すると、すでに夜の8時を回っていた。
「もう、こんな時間か…それじゃ、美幸ちゃん、そろそろ送っていくよ。」
「あっ、はい。わかりました。」
親に了解を得ているとはいえ、あまり家に引き留めておくのも本人に悪い。
「鈴村、ちょっと行ってくるから二階にある俺の部屋で待っててくれ。」
「わかった。美幸ちゃん、またね。」
鈴村に手を振り三人で家を後にする。
鈴村は家に帰るのが面倒くさいとの事で一日家に泊めることにした。
鈴村は美幸ちゃんと違って男なので電話一本で許可がおりるらしい。
「それじゃ私も家に帰るわ。暗いから気を付けてな春兄。家に帰って来たら電話しろよ。」
「母親かよお前は…まぁ、家に着いたらメールするわ。」
――夏美が家に入るのを確認すると、美幸ちゃんを家まで送るために美幸ちゃんの自宅へと向かう。
家が近いので送ると言うほどでもないだが、この道は夜になると人通りが少なく、街灯も無いので女の子の一人歩きは少し危険なのだ。
現によく痴漢がでるらしく、所々の電信柱に痴漢注意の看板が立て掛けてある。
「美幸ちゃん、この辺夜中になると痴漢とか多いみたいだから気を付けてね?」
隣を歩いている美幸ちゃんに軽く注意を促す。美幸ちゃん程の小さい女の子ならあっという間に連れ去られそうだ。
「ちっ、痴漢ですか?」
「あっ、でも夕方なら別に問題ないよ?人通りも多いから。」
美幸ちゃんを怖がらせたかと思い慌てて言い替える。
「私は夜に一人で歩く事は無いので大丈夫ですよ。春樹先輩こそあまり夜一人で歩かないでくださいね?危ないですから。」
「あ、あぁ…ありがとう。」
心配してくれるのは有り難いが、夏美といい美幸ちゃんといい俺を男だと思っていないのだろうか…。
――「美幸っ!!」
美幸ちゃんと雑談しながら歩いていると、道の暗闇から一人の男性が此方に走ってくるのが声と足音で解った。
――「お、お父さん?」
一瞬変質者かと思ったのだが、美幸ちゃんは声だけで走ってくる男性が美幸ちゃんのお父さんだと判別できたようだ。
「はぁ、はぁ、はぁ…美幸…。」
俺達の前まで走り寄ってくるとやっと顔がハッキリと見えた。美幸ちゃんの言う通り、走ってきた男性は美幸ちゃんのお父さんだった。
一度しか会った事がない俺は、俺達の前に姿を現すまで、美幸ちゃんのお父さんだと確認できなかった。
「お父さんどうしたの?汗なんかかいて…」
美幸ちゃんが息切れしているお父さんの横まで行き、背中を優しく擦ってあげている。
スーツ姿なので仕事帰りなのだろう…しかし何故美幸ちゃんのお父さんがこの道を使っているのだろう?
それに、美幸ちゃんを偶然見つけたと言うより、探し回っていたようだ。
「こんな時間までなにやってるんだ!!」
「ッ!」
息を整え終えた瞬間、美幸ちゃんに向かって怒鳴り声をあげた。
美幸ちゃんもその声にビックリしたのか、目を瞑って肩を強張らせた。
やはり美幸ちゃんが心配で探していたようだ。
「春樹くん…だったかな…?」
「あっ、はい。」
美幸ちゃんから目を離し今度は俺の方へと向き直る。
表情を見ただけで怒られると確信した。
「まだ美幸は16才なんだ…あまり連れ回さないでくれないか…?」
「お父さん、なんで春樹先輩に言うの!?私が仲良くしてもらってるの知ってるでしょ!!」
慌てたように美幸ちゃんが俺とお父さんの間に割り込むと、俺からお父さんを遠ざけるようにお父さんの胸を押し返した。
「美幸も美幸だっ!なぜ一本電話ができないんだ!?心配するだろう?」
「お母さんに、ちゃんと言ったもん!!」
確かに美幸ちゃんはお母さんに許可を貰ったと言っていた…。
お母さんからお父さんに伝わっていなかったのだろうか…。
「ッ……とにかく…今後は気を付けなさい。」
一瞬、美幸ちゃんの発言に対して眉間にシワを寄せたが、すぐに元の表情に戻り、軽く俺に注意を促した。
「はい、次からは気を付けます。すいませんでした……。」
「春樹先輩やめてください!」
二人に向かって深々と頭を下げる。
美幸ちゃんにすぐさま肩を掴まれ頭を上げさせられたが、少し長居させてしまったのは事実なのだから素直に謝っといた方が懸命だろう…。
言い返して説教が長引くのも正直めんどくさい。
「いや、分かってくれれば問題ないんだ…。」
案の定、俺の対応に納得したのか、ばつが悪そうに頭を掻くと、俺の肩に軽くポンッと手を乗せた。
もう、怒ってないという意味だろう…少しだけヒヤヒヤしたが、なにもなくてよかった。
「それじゃ、俺はこれで失礼します。」
「えっ、春樹先輩?」
美幸ちゃんのお父さんがいるのだから美幸ちゃんを家まで送る必要はないだろう…。
一刻も早くこの重い空気を逃れたくて、早々と別れの挨拶をする。
――「…待ちなさい。」
歩き出す俺の背後からハッキリと聞こえた美幸ちゃんのお父さんの声…。
嫌な予感を感じながらも無視することはできないので、仕方なく振り向いた。
「美幸がいつもお世話になってるんだろ?なにかお礼をしたいんだが。」
家に来い…と言う意味だろう…確か一番始めに会った時も同じようなことを言われた。
前は怪我を理由に断ったのだが、完治した今、流石に怪我を理由には出来ない。
「それに、美幸と仲良くなった友達なら話したいこともあるから。」
「えっ?」
どう断ろうか考えていると、お礼と言う言葉の後に意味深げに呟いた。
まるでお礼よりその話しがメインのように。
「春樹先輩よかったら少しだけ家に寄って行きませんか?ケーキあるんで食べていってください。」
「いや、でも悪いし…」
「そんな事は無いよ。美幸もこう言ってるんだ…長居はさせないから少しだけ家に来ないか?」
「はい……それじゃ、ちょっとだけ…」
二対一…流石に断れなかった。
別に美幸ちゃんの家になにか嫌な物があるとかそう言う事では無い。
美幸ちゃんの家に限らず、単純に気を使うのであまり他人の家にお邪魔するのは気が乗らないのだ。
それに話し…とはなんだろう?
家に呼んで両親二人で説教とかなら最悪だが、そんな雰囲気では無かった。
「はぁ…」
今更考えたって仕方ない。
携帯を取り出しメールを送る。
『美幸ちゃんのお父さんに家に招かれたから少し遅くなるかも……眠たかったら勝手にベッド使っていいぞ。』
鈴村にメールを送り、携帯をポケットに入れる。
前を向くと美幸ちゃんとお父さんが立ち止まり俺の方を眺めていた。律儀に二人共俺がメールするのを待っていてくれたようだ。
「それじゃ、行こうか?」
「…はい。」
「春樹先輩が家に来るのなんて初めてですね!パルも喜びますよ!」
横をちまちまと歩いてくる美幸ちゃんの歩幅に合わせて歩く。
テンションが低い俺とは違い、余程嬉しいのか、美幸ちゃんから珍しく俺に会話を持ち掛けてきた。
「パルかぁ…俺のこと覚えてるかな?」
「覚えてますよ!毎日パルに春樹先輩の話をしてますから。」
「ま、毎日?」
毎日話すほど俺の話題なんてあるのだろうか…。
「あッ……い、いや…変な意味ではなくて…あの…」
しまったと言わんばかりに両手で口を押さえると、何故か顔を真っ赤にして美幸ちゃんのお父さんの影に隠れてしまった。
「美幸が家で話す話題は春樹くんの事ばかりだよ。親としては複雑だけどね……ははっ」
「は、ははっ…は…。」
美幸ちゃんのお父さんに苦笑いで返す。
冗談混じりで話しているが後半は本音だろう。年頃の一人娘が男を友達にすると嫉妬するらしい…春香の父親がそうだった。
「お父さんもいい加減子離れしてよ〜。」
「そう言うな。かわいい一人娘を持つと男親は心配なんだよ……なぁ、春樹くん?」
「そ、そうですね、はははっ…はは……はぁ…」
美幸ちゃんに彼氏が出来る日はまだまだ遠そうだ。
◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇ ◇ ◇
「…ふぅ」
携帯を閉じ、ベッドに横になる。
ベッドと言っても自分のベッドでは無い。
この家の持ち主…春樹くんのベッドだ。
「…なにもないな…」
部屋を軽く見渡す…思ったより普通の部屋なので少しだけガッカリした。
まさか夕凪くんと友達になれるとは思っていなかった。
夕凪くんは多分僕の事を一切しらないだろう。
だって一度も話したことが無いのだから。
でも僕は知っている。
小学生の時からずっと…。
「よいしょっと……んっ?」
ベッドから立ち上がり背筋を伸ばす。
ふと夕凪くんの勉強机に目が止まった。
「勉強してないな、これは…」
机に近づき周辺を見渡すが、教科書も筆記道具もノートすら机の周りに無い。多分学校に置きっぱなしなのだろう…。
机の上にあるのは脱ぎっぱなしの制服だけ。
「んっ?……なんだこれ…」
制服を綺麗に畳み、端に寄せると、制服の下に一枚の写真が落ちていた。
手に取り写真を眺める。
写っているのは幼さの残る、満面の笑みをした夕凪くんと…綺麗に笑う女性が一人。
「……春香ちゃん…」
懐かしさが込み上げてくる。
――光、今度ハルに会わせてあげるよ。絶対に友達になれるから――
春香ちゃんの言う通り優しい人だった…。二年も様子をみた僕が馬鹿らしく感じる。
「夕凪くん…こんなに笑えるんだ…」
写真の夕凪くんは本当に楽しそうに笑っている…。
ここ1ヶ月で友達の様に接する事はできた。
だけど会話が途切れたとき、物凄く悲しそうな表情をする時がある。
その表情を見る度に胸が締め付けられ、まだ春香ちゃんの事を強く愛してるんだと確認できた。
春香ちゃんの様に夕凪くんを心から笑顔にさせることが僕には出来るだろうか?
春香ちゃんが普段から見ていた夕凪くんの笑顔を僕も見てみたい…。
それに春香ちゃんとの約束もある。
「本当に……春香ちゃんが夕凪くんのことを好きになる気持ちがわかったよ――」
写真に写る春香ちゃんに話しかける――無論返事など返ってくる訳も無く、向日葵の様な笑顔も絶やす事はなかった…。
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「分かってると思うけど、あまり激しい運動や動きは控えてください。
ゆっくりと物を掴むところから始めれば感覚は戻るので。」
「はい、分かりました。」
前に座っている初老の男性が俺の右手を揉みながら話しかけてくる。
この言葉だけ聞くと男同士で何してんだよ…と気持ち悪く感じるが、向こうも楽しくて男の腕を揉んでいる訳ではない。
仕事だから仕方ないのだ…。
どういう事かと言うと。俺は今、ギブスを外す為に学校帰りにとある病院へと足を運んでいた。
もうギブスは外しているのだが1ヶ月半も腕を動かしていなかったので、担当医に揉んでほぐしてもらっている最中なのだ。
「四日間でいいので朝と夜の二回、家族の方にお願いして二十分ほど揉んでもらってくださいね。」
「はい。」
実際ギブスは外れたのに、まだ自分の腕じゃないような不思議な感覚がする。
「よし…これで、大丈夫。今は動かしづらいと思うけど、すぐに普段の握力が戻るから。
…それとあんまり無茶な事しちゃダメだよ?」
揉んでいた腕を離すと、笑いながら俺の事を少し咎めた。
「はい、分かりました…。それじゃ、今までありがとうございました。」
――医者に軽く頭を下げて、診察室から出ると、急いで中央ホールへと向かった。
「遅かったね、夕凪くん。」
「春樹先輩、大丈夫でしたか?」
中央ホールに着くと、ベンチに座っていた小さな男女が双子のように立ち上がり、此方に走り寄ってきた。
女の子は美幸ちゃん。
もう一人の男は1ヶ月半前にノートを写して貰ったのがきっかけで仲良くなった、鈴村 光(ひかる)。
仲良くなったと言っても、鈴村とは学校の外で会うのは今日が初めてなのだ。
声をかけられた次の日、何故俺の名前を知っているのかと聞くと、「一年前にガラス割って二階から生徒捨てようとしたでしょ?多分知ってるの僕だけじゃないと思うけど…」
その話しを聞いた瞬間頭がクラッときた。
俺の闇歴史を知るものがそんなにいるなんて…。
多分その一部分だけが広まって周りに悪い印象を植え付けてしまったのだろう。
今更ぐちぐち言っても仕方ないのでもう諦めているが、一年経ったのだからもう忘れてほしい。
しかし、何故鈴村はその話を知っていながら俺に話しかけたのだろう…?そんな疑問が頭に浮かび、思い切って鈴村に聞いてみた。
すると「夕凪くんが悪い訳じゃないんでしょ?それに、その怪我も……喧嘩じゃなくて違う理由かな?」
と意味深な発言をされてごまかされた…。
少し疑問が残ったのだがその発言に対してあまり深く詮索せず、1ヶ月半経っても変らず人畜無害な奴なので今まで仲良くやってこれたのだ。
「病院を走るなよ…まぁ、ギブスはとれたよ。ほらっ。」
ギブスがとれた腕を自慢げに二人に見せる。
二人からおぉ〜!と言う歓声が病院内に小さく響いた。
「まぁ、今まで周りの皆には散々迷惑かけたからさ…今日家に来ないか?何かご馳走するよ。」
自分の家に人を呼ぶなんていつ以来だろうか…?
情けないことに(断られないか…?)と少し内心焦ってしまった。
「えっ、いいの!?あの…僕は大丈夫だけど…本当にいいの?」
そんなに嬉しい事なのだろうか…?目がキラキラしている。
「別にいいけど…あんまり期待すんなよ?なにも無いからな…。
美幸ちゃんはどうする?。」
「行きます!」
即答…1ヶ月前とは違い環境に慣れてきたのだろう。
良いことだ。
「それじゃ、行こっか?」
「うん。」
「はい。」
受付でお金を払い、病院から出た俺達三人は、まず食料調達の為にスーパーへと向かった。
――「……ご馳走って…」
「鈴村…それ以上言ったら殴る。」
「で、でも…その…鍋も美味しいですからっ!」
考えて考えて考え抜いた結果。平凡な鍋にすることになった…。
何かをご馳走すると言い切ったのは俺なのだが、恥ずかしいことに料理なんて普段食べる物しか作ったことがなかったのだ。
材料を買い終えてスーパーを後にすると、時刻は夕方の五時をまわっていた。
今から家に帰って料理をして食事をするとなると少し遅くなってしまうかもしれない。
一応二人に門限があるかと聞くと、鈴村は「僕は男の子なんだけど!」と呆れ気味に怒られた。
発言の意味が解らなかったので、こちらも「男の子ってなんだよ…」と軽く流した。
美幸ちゃんは見た目通りやはり親の許可がいるのか、一回家に帰って制服を着替えるので、その時お母さんに許可を貰うらしい。
美幸ちゃんと一時的に別れた後、俺と鈴村で歩いている最中、鈴村が小さな声で不思議な事を口走った。
「懐かしい……この公園…まだ変わってないんだ…」
「なにお前…ここに来たことがあるの…?」
「え…?いや…まぁ、ちょっと昔ね…」
少し前に本人から聞いたが、鈴村の家はここからかなり離れているはず…。
親戚がこの辺に住んでいるのかと聞くと、住んでいないらしい。
懐かしいと言うぐらいだから小学生の時だろうけど、それ以上はごまかすだけで話そうとはしなかった。
――家に着くと、まずリビングに入り、重い材料をテーブルの上に雑に置いた。
鈴村にその事を注意されたが、相手するのがめんどくさいので軽く無視をする。
「夕凪くん…用意しないの…?」
鈴村がソファーに横になった俺の顔を呆れたように覗き込んでくる…。
鈴村の髪が俺の髪を撫で、目と目が合う。
近くで見ると本当に女の子みたいだなぁ…。
「うん……んっ?……ばッ!?お前顔をスレスレに近づけてくんな気持ち悪りーな!!」
恐ろしいことに、鈴村の顔に見とれていて顔を近づけられても違和感をまったく感じなかった。
「き、気持ち悪いって言わないでよ!傷つくだろっ!」
「き、傷つくって…。
まぁ、その…なんだ……も、もう用意しようぜ…」
頭から邪念を振り払い、急いで鍋の用意をする事にした。
―鍋の用意が終わる頃にはもう夕方の6時を過ぎており、窓から差し込む夕日の色でリビングの中が少し赤くなっていた。
もうそろそろ美幸ちゃんも来るはず…。
「あっ、そうだっ!…夏美達呼ぶの忘れてた。」
急いでポケットから携帯を取り出すと、夏美にメールを送った。
多分すぐに来るだろう。
「夏美って……赤部 夏美さん?」
「あぁ、なんだ知ってんのか?」
「まぁ、夕凪くんもそうだけど、良い意味でも悪い意味でも学校では有名人だからね…赤部先生の妹さんでしょ?」
確かに秋音さんと夏美が姉妹だと言うことはほとんどの生徒が知っていることだ。
「良い意味でも悪い意味でもって…悪い意味はなんとなく思い付くけど、良い意味なんてまったく思い当たらないぞ?」
「夕凪くんって女子から普通に人気あるよ?よく夕凪くんがいない教室で話してるとこ見るもん。」
「いや、俺は見たことも聞いたこともないんだけど……それに女子からお前を虐めるなって注意されたしな。」
一度、鈴村が俺に脅されてノートを写してるんじゃないの?っと数人の女子から問い詰められたことがある。
一応弁解したが、終始不満げに話を聞いていたので多分信用してないだろう…。
「な、なにそれっ!?そんなこと言われてたの!?」
驚いたように椅子から立ち上がると、テーブルの上を上半身いっぱいいっぱい乗り上げて顔を近づけてきた。
「だから顔を近づけんなって……まぁ、多分相手もお前が心配で声をかけてきたんだろ?しょうがねーよ。」
鈴村の見た目を考えれば、周りから見ればそう見えてもしかないのかも知れない…。
俺だって同じこと考えるかも…
「はぁ……は――夕凪く――す――気持――なく分かったよ…」
「えっ、なに?」
鈴村が俺の顔を見ながら何かを呟いたが、小さすぎて何を言っているのか途切れ途切れにしか聴こえなかった。
「その女子達がムカつくって言ったの!!」
そう言うと怒ったようにそっぽを向き、体育座りのように椅子の上で両膝を抱え込んだ。
本当に子供みたいな奴だなっと思ったがこれ以上機嫌が悪くなると、夏美と同じように手に終えなくなりそうなので俺も鈴村から目を離した。
――鍋の準備が終了して10分後、美幸ちゃんが到着した。
その30分後に夏美と冬子が家を訪れた。
残念ながら恵さんと秋音さんは仕事で来れないらしい…。
「しょうがないか…まぁ、四人で食べようぜ。」
「そうだな。それじゃ、春兄の隣…?…に……」
「…こ、こんばんわ…」
嬉しそうに此方に駆け寄ってくる夏美が、隣に座っている鈴村を見て眉間にシワを寄せた。
「中坊…春兄の隣は昔から私って決まってんだ…どけ…。」
「ちゅっ、ちゅうぼうっ!?僕は夕凪くんの同級生なんだけど!!」
「嘘つくな……おい、山下……早く弟をこのイスからどかせろ。」
「えっ?あの…私の弟では…」
美幸ちゃんに向かって命令口調で話しかける。
夏美は鈴村の事を美幸ちゃんの弟だと思っているようだ。
見た目は似ているので間違えても仕方がないのだが、もう少し言葉を選べないものだろうか?後で少し説教しなければ…。
「ほらっ、ネクタイ見てみろよ!青いだろっ!?キミより年上だって証拠だ!」
自分のネクタイを夏美に見せるためにイスから立ち上がり、夏美の前で胸を張る。
鈴村の方が頭ひとつ身長が低いので背伸びしているところが残念ながら少し可愛らしい。
「あっそ…それじゃ、先輩その場所をどいてくれますか?」
「ヤダッ!」
ヤダッて…会話だけ聞いていたらどっちが女か分からなくなる。
「なッ!?こっ、このっ、子ザルの癖に人間様のy「夏美っ!やめろって…飯食うんだろ…?早くイスに座れ。」
「…わかったよ。」
夏美の事だから一言二言返ってくると思っていたのだが、俺の言葉に対して素直に従った。いつもこれぐらい素直なら余計な問題もないのだが…。
「よし…冬子も…ってお前はもう座ってたのか…。」
「うん。早い者勝ちだから…。」
いつの間にか俺の隣にある左側のイスに腰を下ろしていた。
早い者勝ちの意味が解らないが、冬子は夏美と違い普段から落ち着いているので(落ち着きすぎ)争い事が無くて楽だ。
「…あ、あの…」
「……隣に座るからな…」
俺の両隣には冬子と鈴村…。自然と美幸ちゃんの隣は夏美が座ることになる。
不機嫌そうに美幸ちゃんに一声かけると、イスを片手で後ろに下げ、男らしくイスにドンッと腰を降ろした。
最近はあまり美幸ちゃんと夏美の仲が悪いように見えなくなってきた。
本人達は気づいていないかも知れないが、どこか無理にいがみ合っている気がする。
基本夏美から絡んでいるのだが、たまに美幸ちゃんから夏美に意見する時がある。
夏美は言われることに慣れていないのだろ……美幸ちゃんになにかキツいことを言われると涙目で俺に助けを求めてくる時がある。
その姿を見る度に俺は安心する…。本当に嫌っていたら話をすることすらしないだろう…。
やはり始めのわだかまりを残しているだけのようだ。
このまま行けばわだかまりも多分無くなるはず。
「おい、山下……その肉は私のだ…放せ。」
「わ、私がいれたんです……だっ、だから、私のですっ。」
この先、案外この二人が親友になりそうな気がする――。
――学生だけの鍋パーティーが終わり、俺と冬子が食器を片付ける事になった。
夏美と美幸ちゃんが手伝うと言ってくれたのだが、美幸ちゃんはお客さんなのでさせるわけには行かない。
夏美は単純に危なっかしい…。
ソファーに座ってテレビでも見てろと言ったら、二人共渋々ソファーへと歩いていった。
「先輩なに見てるの…?なにこれ…旅番組?ぷっ…くくっ……おじいちゃんかよ先輩…くくっ…!。」
「べ、別にいいだろっ!自然が好きなんだから!じゃ、じゃあ夏美ちゃんはなに見るんだよ普段!」
先にソファーに座ってテレビを見ていた鈴村と夏美が口論しだした。
旅番組…楽しいじゃないか。
「わっ、私?わたしは……その…」
「なに?」
「……ぽけ…もん…?」
「ポ、ポケモっ!?…くく……ぶぁはっあっはははははぁっ!ポケモンだってさっ!夕凪くん聞いたっ!?…夏美ちゃん子供だね〜あっははははっ!おなかいたいィっヒははははっぁ!」
「わっ笑うな!子供の時から見てるんだから日課になってんだよ!」
「いや…ポケットモンスター面白いですよ?私も見てました。」
夏美の横にいる美幸ちゃんが珍しく夏美を助けた。
「ほら見ろ!ぽけもんぐらい普通だ!」
「美幸ちゃん見てましたって言ったけど?今は見ていないって事でしょ?」
勝ち誇ったように鈴村を見下ろす夏美を鈴村がどん底に突き落とす。
その事実に気がつき夏美が美幸ちゃんをキッと睨むが美幸ちゃんはすでにソファーに座っており、旅番組を見ている。
夏美はと言うと、怒りの矛先を失ったのか、めんどくさそうに美幸ちゃんの横に腰を降ろすと、二人と同じように旅番組に目を向けた。
「…」
仲が良いのか悪いのか…呆れるがソファーに座る三人を見ていて悪い気はしなかった。
「春くん、早く洗って。」
リビングを眺めていると、食器洗いの手が止まっていたのか冬子に早く洗うように急かされた。
「あ、あぁ、悪い。」
慌てて手に持っていたコップを洗って冬子に渡す。
渡した食器を布巾で綺麗に拭くと、後ろにある食器棚へと運んでいく。
冬子の性格が出ているのかお皿を何枚も溜めずに、わざわざ一枚一枚食器棚へと運んでいく。
無駄な行動を省きたいのだろう…しかし、食器を洗っている俺からすれば急かされている気がしてならない。
――「…ねぇ、春くん…。」
同じ動作を機械的に行っていると、突然冬子から小さな声で話しかけられた。
「なんだ?」
冬子が隣にいるのは分かっていたので、冬子を見ないで皿を洗う事に集中する。
「美幸ちゃん最近よく家にくるよね?」
「あぁ、そうだな。」
「……春くん、美幸ちゃんのこと好きなの?」
冬子の唐突な発言に洗っている皿を落としかけた。
「意味わからん。なんでそうなるんだよ」
俺は一度たりとも冬子に美幸ちゃんを好きだと言ったことは無い。
無論冬子に限らず他の人間にも無い。
「じゃあ、なんでよく家にくるの?彼女でもないのに…」
食器を洗っているので冬子の顔を見ていないが、雰囲気でなんとなく怒っていると言うことは解った。
「まぁ、いもっ……友達みたいなもんだからな。」
危ない…また禁句を言うところだった…。
「……妹みたいな存在でも、他人の女の子が家に出入りすると周りの人は勘違いするよ?」
地獄耳の冬子には聞こえていたみたいだ…冬子の表情を確認したいが少し恐い。
声は相変わらず低めだが、会話を重ねていく度に冬子の声がハッキリと聴こえてくるようになった。
「それ言い出したらお前や夏美もそうだろ………ほらっ、これで最後だ。」
最後の皿を洗い終わり、流し台を綺麗に拭くと、横に立っている冬子に皿を手渡そうとした。
「……」
「冬子?」
が、なぜか冬子は皿を受け取る気配がまったくない。
不自然に思い、なぜ受け取らないのか冬子の方へ目を向けると、俺の手に持たれている皿は冬子の胸の前でピタッと止まっていた。
「…」
皿を眺めているのか、視点が合っていないのか…冬子は両腕をだらしなく下げたまま、まったく皿を掴もうとしない。
「―――じゃない。」
「えっ?」
下を向いたまま何かを呟くと突然ぷるぷると震えだした。
「ふ、冬子?」
冬子の姿を見てただ事では無いと感じ取った俺は、皿を流し台に置き冬子へと近寄った。
「私達は他人じゃない!!」
冬子の肩を掴もうとした瞬間、力一杯拳で冷蔵庫を叩き、先ほどまで小さな声で話していた冬子は俺に向かって大声を張り上げた。
「ちょっ、冬子どうしたんだよ?落ち着けって。」
「さわらないでっ!あの子はたかが1ヶ月でしょ!?一緒にしないでよ!」
冬子を宥めるために肩に手を乗せようとすると、勢いよく振り払らい、冬子が言う「あの子」であろう美幸ちゃんのいるソファーに向かって指をさした。
「やめろって!」
慌てて冬子の腕を掴み指をさす事を止めさせる。
幸いソファーから台所が見えないので三人には此方の姿は見えていないはず。
「どうしたの!?」
夏美がビックリした表情で此方に駆け寄ってきた。
鈴村と美幸ちゃんも困惑したように立ち上がり、此方の様子を伺っている。
「い、いや、なんでもないよ!」
「何でもなくないわよ……春くん…約束破らないでよ?」
数秒俺の顔を睨むと、俺の胸にエプロンを軽く投げつけた。
「それじゃ、私明日テストだから家に帰って勉強するね。」
そう言うと、鈴村と美幸ちゃんに礼儀正しく頭を下げてリビングを出ていった。
追いかけようか迷ったが、今追いかけて冬子と話をしても余計に話が拗れると思い、追いかける事ができなかった…。
「なんだあいつ…?」
夏美が不思議そうに冬子が出ていった扉を眺めている。
「さぁな…」
冬子から投げつけられたエプロンをイスに駆け、ソファーに腰を降ろす。
それを見た鈴村と美幸ちゃんも同じように腰を降ろした。
「約束…か…。」
約束――多分俺が冬子の兄になる事を言っているのだろう。
でも、なぜ冬子はあんなに俺を家族にいれようとするのだろうか?
冬子と約束をしたと言っても俺が中ニの時…第一、姉の命を奪った相手を家族に引き入れようなんて普通は考えないはず…。
それが、冬子なりの復讐なのか――春香と父親がいなくなり、ぽっかりと開いた穴を違う何かで塞ぎたいのか―――
残念ながら冬子が願う、昔にはもう戻れないだろう…。
「あっ、そろそろお母さん帰ってくる頃だ。」
夏美が壁に掛かっている時計を見ながら呟く。
その視線を追うように時間を確認すると、すでに夜の8時を回っていた。
「もう、こんな時間か…それじゃ、美幸ちゃん、そろそろ送っていくよ。」
「あっ、はい。わかりました。」
親に了解を得ているとはいえ、あまり家に引き留めておくのも本人に悪い。
「鈴村、ちょっと行ってくるから二階にある俺の部屋で待っててくれ。」
「わかった。美幸ちゃん、またね。」
鈴村に手を振り三人で家を後にする。
鈴村は家に帰るのが面倒くさいとの事で一日家に泊めることにした。
鈴村は美幸ちゃんと違って男なので電話一本で許可がおりるらしい。
「それじゃ私も家に帰るわ。暗いから気を付けてな春兄。家に帰って来たら電話しろよ。」
「母親かよお前は…まぁ、家に着いたらメールするわ。」
――夏美が家に入るのを確認すると、美幸ちゃんを家まで送るために美幸ちゃんの自宅へと向かう。
家が近いので送ると言うほどでもないだが、この道は夜になると人通りが少なく、街灯も無いので女の子の一人歩きは少し危険なのだ。
現によく痴漢がでるらしく、所々の電信柱に痴漢注意の看板が立て掛けてある。
「美幸ちゃん、この辺夜中になると痴漢とか多いみたいだから気を付けてね?」
隣を歩いている美幸ちゃんに軽く注意を促す。美幸ちゃん程の小さい女の子ならあっという間に連れ去られそうだ。
「ちっ、痴漢ですか?」
「あっ、でも夕方なら別に問題ないよ?人通りも多いから。」
美幸ちゃんを怖がらせたかと思い慌てて言い替える。
「私は夜に一人で歩く事は無いので大丈夫ですよ。春樹先輩こそあまり夜一人で歩かないでくださいね?危ないですから。」
「あ、あぁ…ありがとう。」
心配してくれるのは有り難いが、夏美といい美幸ちゃんといい俺を男だと思っていないのだろうか…。
――「美幸っ!!」
美幸ちゃんと雑談しながら歩いていると、道の暗闇から一人の男性が此方に走ってくるのが声と足音で解った。
――「お、お父さん?」
一瞬変質者かと思ったのだが、美幸ちゃんは声だけで走ってくる男性が美幸ちゃんのお父さんだと判別できたようだ。
「はぁ、はぁ、はぁ…美幸…。」
俺達の前まで走り寄ってくるとやっと顔がハッキリと見えた。美幸ちゃんの言う通り、走ってきた男性は美幸ちゃんのお父さんだった。
一度しか会った事がない俺は、俺達の前に姿を現すまで、美幸ちゃんのお父さんだと確認できなかった。
「お父さんどうしたの?汗なんかかいて…」
美幸ちゃんが息切れしているお父さんの横まで行き、背中を優しく擦ってあげている。
スーツ姿なので仕事帰りなのだろう…しかし何故美幸ちゃんのお父さんがこの道を使っているのだろう?
それに、美幸ちゃんを偶然見つけたと言うより、探し回っていたようだ。
「こんな時間までなにやってるんだ!!」
「ッ!」
息を整え終えた瞬間、美幸ちゃんに向かって怒鳴り声をあげた。
美幸ちゃんもその声にビックリしたのか、目を瞑って肩を強張らせた。
やはり美幸ちゃんが心配で探していたようだ。
「春樹くん…だったかな…?」
「あっ、はい。」
美幸ちゃんから目を離し今度は俺の方へと向き直る。
表情を見ただけで怒られると確信した。
「まだ美幸は16才なんだ…あまり連れ回さないでくれないか…?」
「お父さん、なんで春樹先輩に言うの!?私が仲良くしてもらってるの知ってるでしょ!!」
慌てたように美幸ちゃんが俺とお父さんの間に割り込むと、俺からお父さんを遠ざけるようにお父さんの胸を押し返した。
「美幸も美幸だっ!なぜ一本電話ができないんだ!?心配するだろう?」
「お母さんに、ちゃんと言ったもん!!」
確かに美幸ちゃんはお母さんに許可を貰ったと言っていた…。
お母さんからお父さんに伝わっていなかったのだろうか…。
「ッ……とにかく…今後は気を付けなさい。」
一瞬、美幸ちゃんの発言に対して眉間にシワを寄せたが、すぐに元の表情に戻り、軽く俺に注意を促した。
「はい、次からは気を付けます。すいませんでした……。」
「春樹先輩やめてください!」
二人に向かって深々と頭を下げる。
美幸ちゃんにすぐさま肩を掴まれ頭を上げさせられたが、少し長居させてしまったのは事実なのだから素直に謝っといた方が懸命だろう…。
言い返して説教が長引くのも正直めんどくさい。
「いや、分かってくれれば問題ないんだ…。」
案の定、俺の対応に納得したのか、ばつが悪そうに頭を掻くと、俺の肩に軽くポンッと手を乗せた。
もう、怒ってないという意味だろう…少しだけヒヤヒヤしたが、なにもなくてよかった。
「それじゃ、俺はこれで失礼します。」
「えっ、春樹先輩?」
美幸ちゃんのお父さんがいるのだから美幸ちゃんを家まで送る必要はないだろう…。
一刻も早くこの重い空気を逃れたくて、早々と別れの挨拶をする。
――「…待ちなさい。」
歩き出す俺の背後からハッキリと聞こえた美幸ちゃんのお父さんの声…。
嫌な予感を感じながらも無視することはできないので、仕方なく振り向いた。
「美幸がいつもお世話になってるんだろ?なにかお礼をしたいんだが。」
家に来い…と言う意味だろう…確か一番始めに会った時も同じようなことを言われた。
前は怪我を理由に断ったのだが、完治した今、流石に怪我を理由には出来ない。
「それに、美幸と仲良くなった友達なら話したいこともあるから。」
「えっ?」
どう断ろうか考えていると、お礼と言う言葉の後に意味深げに呟いた。
まるでお礼よりその話しがメインのように。
「春樹先輩よかったら少しだけ家に寄って行きませんか?ケーキあるんで食べていってください。」
「いや、でも悪いし…」
「そんな事は無いよ。美幸もこう言ってるんだ…長居はさせないから少しだけ家に来ないか?」
「はい……それじゃ、ちょっとだけ…」
二対一…流石に断れなかった。
別に美幸ちゃんの家になにか嫌な物があるとかそう言う事では無い。
美幸ちゃんの家に限らず、単純に気を使うのであまり他人の家にお邪魔するのは気が乗らないのだ。
それに話し…とはなんだろう?
家に呼んで両親二人で説教とかなら最悪だが、そんな雰囲気では無かった。
「はぁ…」
今更考えたって仕方ない。
携帯を取り出しメールを送る。
『美幸ちゃんのお父さんに家に招かれたから少し遅くなるかも……眠たかったら勝手にベッド使っていいぞ。』
鈴村にメールを送り、携帯をポケットに入れる。
前を向くと美幸ちゃんとお父さんが立ち止まり俺の方を眺めていた。律儀に二人共俺がメールするのを待っていてくれたようだ。
「それじゃ、行こうか?」
「…はい。」
「春樹先輩が家に来るのなんて初めてですね!パルも喜びますよ!」
横をちまちまと歩いてくる美幸ちゃんの歩幅に合わせて歩く。
テンションが低い俺とは違い、余程嬉しいのか、美幸ちゃんから珍しく俺に会話を持ち掛けてきた。
「パルかぁ…俺のこと覚えてるかな?」
「覚えてますよ!毎日パルに春樹先輩の話をしてますから。」
「ま、毎日?」
毎日話すほど俺の話題なんてあるのだろうか…。
「あッ……い、いや…変な意味ではなくて…あの…」
しまったと言わんばかりに両手で口を押さえると、何故か顔を真っ赤にして美幸ちゃんのお父さんの影に隠れてしまった。
「美幸が家で話す話題は春樹くんの事ばかりだよ。親としては複雑だけどね……ははっ」
「は、ははっ…は…。」
美幸ちゃんのお父さんに苦笑いで返す。
冗談混じりで話しているが後半は本音だろう。年頃の一人娘が男を友達にすると嫉妬するらしい…春香の父親がそうだった。
「お父さんもいい加減子離れしてよ〜。」
「そう言うな。かわいい一人娘を持つと男親は心配なんだよ……なぁ、春樹くん?」
「そ、そうですね、はははっ…はは……はぁ…」
美幸ちゃんに彼氏が出来る日はまだまだ遠そうだ。
◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇ ◇ ◇
「…ふぅ」
携帯を閉じ、ベッドに横になる。
ベッドと言っても自分のベッドでは無い。
この家の持ち主…春樹くんのベッドだ。
「…なにもないな…」
部屋を軽く見渡す…思ったより普通の部屋なので少しだけガッカリした。
まさか夕凪くんと友達になれるとは思っていなかった。
夕凪くんは多分僕の事を一切しらないだろう。
だって一度も話したことが無いのだから。
でも僕は知っている。
小学生の時からずっと…。
「よいしょっと……んっ?」
ベッドから立ち上がり背筋を伸ばす。
ふと夕凪くんの勉強机に目が止まった。
「勉強してないな、これは…」
机に近づき周辺を見渡すが、教科書も筆記道具もノートすら机の周りに無い。多分学校に置きっぱなしなのだろう…。
机の上にあるのは脱ぎっぱなしの制服だけ。
「んっ?……なんだこれ…」
制服を綺麗に畳み、端に寄せると、制服の下に一枚の写真が落ちていた。
手に取り写真を眺める。
写っているのは幼さの残る、満面の笑みをした夕凪くんと…綺麗に笑う女性が一人。
「……春香ちゃん…」
懐かしさが込み上げてくる。
――光、今度ハルに会わせてあげるよ。絶対に友達になれるから――
春香ちゃんの言う通り優しい人だった…。二年も様子をみた僕が馬鹿らしく感じる。
「夕凪くん…こんなに笑えるんだ…」
写真の夕凪くんは本当に楽しそうに笑っている…。
ここ1ヶ月で友達の様に接する事はできた。
だけど会話が途切れたとき、物凄く悲しそうな表情をする時がある。
その表情を見る度に胸が締め付けられ、まだ春香ちゃんの事を強く愛してるんだと確認できた。
春香ちゃんの様に夕凪くんを心から笑顔にさせることが僕には出来るだろうか?
春香ちゃんが普段から見ていた夕凪くんの笑顔を僕も見てみたい…。
それに春香ちゃんとの約束もある。
「本当に……春香ちゃんが夕凪くんのことを好きになる気持ちがわかったよ――」
写真に写る春香ちゃんに話しかける――無論返事など返ってくる訳も無く、向日葵の様な笑顔も絶やす事はなかった…。
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