PINKちゃんねる-エロパロ&文章創作板「依存スレッド」まとめページです since2009/05/10

作者:4-263氏

 「原氏物語」とは最近出版した物語の題である。言わずもがな、源氏物語を模した題だ。
 妻を亡くした原光之進という武士が、妻によく似た紫という少女を拾うという筋だ。最初は題も人名も違うものであったが、左右衛門の勧めでこうなった。
 売れ行きは上々らしい。近頃では評判の絵師の挿し絵入りのものまで出版された。稿料も桁外れに上がったが、あまり浮かれることもなかった。
 それよりも、まるで湧き上がるかのように浮かんでくる自分の文章に酔っていた。
 小萩と肌を重ねる度に文章が浮かび、触れなければ触れないでまた文章が浮かぶ。
 暑さに茹だった脳は呆けてはいたが、文章だけは冴え冴えと途切れをみせない。

 控えめに開けられた玄関の戸の音。買い出しから帰ってきた小萩だろう。
 空き部屋の一つ――尤も大半の部屋は空き部屋ではあるのだが――を私室として小萩には貸し与えていた。小萩はその部屋を就寝時くらいにしか使わない。家の事をしているとき以外はもっぱら京介の部屋で過ごしている。
 だから、小萩がいつものようにまっすぐに京介の部屋へ来ると思っていた。ところがその足音は一向に近づかない。
 どうしたのだろうか、とも思ったが、別に帰宅したら京介の部屋に来いと強要しているわけでもない。わざわざ小萩の部屋まで出向くこともないだろうと筆を持ち直した。
 ふと小萩がいなくなったら、と考える。今までのように文章が書けるだろうか。書くだけなら書けるのだろう。しかし、京介が自分でも驚嘆するような瑞々しく鮮やかな文章は書けない。
 小萩の面影だけを搾り取り薄めたような、味気ない文章になるだろう。それは文章だけだろうか。小萩のいない生活は、もはや京介の想像の範疇を超えていた。
 はあ、と息をつき天井を仰ぐ。今まで気がつかなかったが、雨漏りで染みと黴が酷い。染みと黴が人の顔に見える部分を探していると、表から京介を呼ぶ声が聞こえた。
 暑さとだるさに居留守を使おうかと思ったが、その声が左右衛門のものだと気付いて跳ね起きる。だるい体を引きずるようにばたばたと表へ走った。

「よう、先生。進み具合はどうだい」
 左右衛門は上機嫌にそう言った。
 最近左右衛門の身なりは派手になった。羽織りも袴も一目で上等と分かるし、装飾品も技巧を凝らしたものだ。吐き出す紫煙すら薫りから高価なものと分かる。
「ぼちぼち、ですよ」
 笑って返す京介の肩を左右衛門は大仰な仕草で叩く。
「またまた、そんなこと言って」
 ところで、と左右衛門は京介にずいと詰め寄った。
「あんたの草紙が欲しいって注文が来てね。どこからって聞いて驚くな、大奥よ」
「は、大奥」
 大奥といえば将軍家の女の園。自分のような一般庶民には一生関係の無い場所と思っていたが、分からないものである。
 左右衛門は皺を引き伸ばすようにしてにいと笑う。
「高嶺の花とは言え、やっぱり女なんだ。ああいう娯楽も欲しいわな」
 主題が主題であるからあまり上品な草紙とはいえない。露骨な性描写もある。 口を挟む隙も与えぬ左右衛門の喋りに京介は押し黙った。
「しっかし、あれを書いているのがこんな冴えない朴念仁と知ったら世の乙女達は涙にくれるだろうよ。知ってるかい、あんた、光源氏ばりの色男だと噂になってんだ」
 は、と京介は目を剥いた。色男?誰が?
 京介はほんの少しの嫌悪感を抱く。皆、こうして勝手に他人の像を作り上げる。山本京介は滅多に声を荒げない穏やかで地味な男だという認識。そして、無意識的か意識的かそれに沿おうとする自分。
 たとえ物語の中で光之進が紫に強気に迫っても、京介にはそれが出来ない。せいぜいが妄想しているだけだ。
 それは小萩が見ている“山本京介”という人物像を壊したくないからなのだろう。
 “大人で優しい京介さん”という人物像に向けられる、小萩の憧憬や思慕を失うのが怖いのだ。

「そんな話をしに来たわけではないでしょう」
 鬱々とした気分になりついつい口調も刺々しいものになってしまう。左右衛門はそれにも気付かずにそうだったそうだったと風呂敷を掲げた。皺首を伸ばして家の中を窺う。
「ほれ、あの娘さんがいただろう」
 小萩のことだ。左右衛門が小萩のことを気に入っているのは知っていた。特に羽振りがよくなってからは差し入れと称して様々な菓子など置いていく。
(いい年をしてみっともない)
 思い、そして自らを顧み自嘲する。三十半ばの寡男にそれを言う権利があるか。周囲からしてみればどちらも同じだけ滑稽に違いない。
「今は外出していますよ」
 平気な顔をして嘘をつく。小萩に出会ってから、自分がどんどん俗っぽくなっていくのは感じていた。生きているか死んでいるかも分からないような以前に比べればましなのやもしれぬが、自身の感情の起伏に怯えているのも事実である。
 本当は小萩を外に出したくない。小萩は自分しか知らないから、自分に懐いているのではないかという危惧。痩せぎすであった体も最近は女性らしいしなやかさを帯びた。
 若くて綺麗な小萩は、京介でなくても若くて良い男を選ぶ余地がいくらでもあるのだ。
「そうかい。ああ、これ差し入れだよ。暑いからな」
 手渡されたずしりと重い風呂敷の中身はよく熟れた瓜だった。ありがとうございますと言う京介に左右衛門はそっと小さな包みを握らせる。中から赤い飾りのついた簪がのぞいた。
「若い娘にしちゃ身なりが質素すぎるだろう」
 京介は機械的にありがとうございますと頭を下げ、顔面に笑顔を貼り付けた。
 左右衛門の小さい背中が揺れながら遠ざかるのを見送り家の中へ戻ると、部屋から出てきた小萩と出くわす。
「左右衛門さんですか?」
 風呂敷包みに目をやり、小萩は問うた。京介は中身をのぞかせる。
「瓜を貰ったんだよ。冷やして食べようか」
 小萩は何故か瓜を見てきゅうと眉を寄せた。そのまま俯きがちに首をふる。
「いえ……あまり食欲がないので」
 ごめんなさいと俯く小萩の頭を撫でると華奢な肩がふるえた。やや上目遣いに京介を見上げた小萩の視線が、京介の持つ小さな包みにとまる。
 小萩に渡さずにいようと思っていたのはおくびにも出さず、京介は包みを差し出した。
 おずおずと開けられた包みの中の簪を見て小萩は目を丸くする。
「あの……これ」
「左右衛門さんが、君に」
 そう告げると小萩はそうですか、と簪を握りしめた。浅いため息が形良い唇から漏れる。
「ありがとうございますとお伝えください」

 その日から小萩はあまり笑わなくなった。



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