Wiki内検索
最近更新したページ
最新コメント
FrontPage by 名無し(ID:RU91bAeIZA)
Fate/XXI:17 by 名無し(ID:bRwkT0GI/w)
空の境界 ―殺人依頼― by 電子の海から名無し
【Fate/Grand Heaven】 by 名無しのマスター
【Fate/Grand Heaven】 by あんこ物質
≪Fate/DIO≫ by パラッパラッパー
Menu
ここは自由に編集できるエリアです。
タグ

Fate/XXI 25


   Fate/XXI



   ACT25 『杯』の内には



 まだ太陽の輝く空の下で、古い4階建てのビルの前にタクシーが停まる。運転手の目は虚ろで、自分の意識らしい意識が無いことが感じ取れた。助手席に座る赤髪の女魔術師、ソラウの仕業だ。

「はい御苦労さま。あとはこれまでの記憶を全部忘れて、適当に帰っていいわ」

 ソラウと、後ろの座席に座っていた者たちが降りると、タクシーは命令に従い発進していった。それを見送ると、ソラウは先にビル内に入っていった者たちの後を追い、中に入る。

 入ったところでまず出迎えたのは、言峰綺礼であった。

「帰ったか。どうやら上手くやったようだな」

 綺礼は、ンドゥールの腕に抱えられた白い髪の女性を見て、満足そうに頷いた。

「いや……エンヤ婆の『霧』の固有結界の中に逃がしてくれなかったら危なかったし、運ぶためのタクシーを用意したのはソラウだ。私は大したことはしていない」

 ンドゥールは謙虚な態度をとる。
 億泰からアイリスフィールを奪い去った後、出現してンドゥールを覆い尽くした『霧』は、エンヤ婆の宝具【妖霧嘲笑・幽街結界(ジャスティス)】であった。霧によって覆った人間を、自らの世界の連れ込む固有結界。それによってンドゥールとアイリスフィールを、億泰たちの手の届かないところへ連れ込んだのだ。

「いや、おぬしが襲撃をかけていなければ、聖杯の宿主の位置を把握しきれず、敵もまとめて結界に取り込んでしまっていたことじゃろう。宿主の立て篭もる土蔵に穴を開け、敵の勢力と切り離したのはおぬしの功績じゃ、ンドゥール」
「ありがとうございます」

 かつてDIOのもとでスタンド使いを束ねていた老婆に、ンドゥールは恭しい態度を崩さなかった。

「立ち話はそこまでにしろ。アサシンが待っている」

 綺礼はンドゥールからアイリスフィールを受け取って担ぐと、きびすを返して歩き出す。階段を下り、アサシン陣営の拠点となっている地下2階のバーへと向かう。

「……ところで、現状で【妖霧嘲笑・幽街結界(ジャスティス)】は使用可能ですか?」

 ンドゥールは綺礼の後について歩きながら、横を歩くエンヤ婆に問いかける。

「そうさの……今日はあと1回というところか。それ以上は臓硯の魔力が持たぬ。あやつが死ぬまで魔力を絞っても無理じゃろう」

 固有結界の展開には相当の魔力を使う。大魔術師である臓硯でも、アーチャーとの戦いと、アイリスフィールの誘拐とで、連続して2回も使ったのだ。当然無理が来る。

「臓硯……彼は裏切ることはないのでしょうか? 彼も聖杯を必要としているのでしょう?」
「心配は無用じゃ。奴は計算高い。DIO様と争うような分の悪い……いや、分の無い賭けはすまいよ。それに、6体の英霊を吸収した聖杯であれば、ジョースターの抹殺、臓硯の不死化、ディルムッドの蘇生と洗脳………そして、DIO様の復活。すべてを叶えるには……ギリギリ可能な計算じゃ」

 根源への到達や、世界の全てをいじくるのに比べれば、どれもそこまで大規模な願いではない。

「無論、計算は計算。小規模とはいえ、蘇生や不死化も奇跡であるのは間違いないからの。容量が足りなくなる可能性もあるが、その場合……」

 エンヤ婆がソラウをちらりと見る。赤毛の美女は、貴人らしい上品な頬笑みを浮かべ、

「ええ、もちろん無理は言いませんわ。私の願い事はついでで構いません」
「ヒヒヒヒ………同じ女であるわしに、そんな戯言が通じるものかい。どうやってでも出し抜いてやろうという信念が見え見えじゃ。じゃが、安心するといい。DIO様は部下には報いてくださる。今回は無理だとしても、おぬしの願いは叶えてくださるさ。DIO様が世界を支配した後にのぉ」

 ソラウは素直にその言葉を受け取る。彼女はアサシンたちを信頼していた。
 彼らは間違いなく邪悪だが、取引は通じるし、無意味に約束を破ることはない。

(意味があれば、また別でしょうけどね。まったく恐ろしい……けれど何より恐ろしいのは)

 ソラウがそう思考しているところで、綺礼が目的の部屋の前で立ち止まり、扉を開く。

「……待っていたよ。どうやら上手くいったようで、何よりだ」

 そこにはカウンターの椅子に腰かけ、書物を手にするアサシンの姿があった。この男がいるというだけで、安いバーの空気が変わってしまう。
 その姿にソラウは背筋を振るわせる。ディルムッド・オディナに対する恋心とは別に、感情を揺さぶるものが、この目の前の男にはあるのだ。最初に、自分のもとへ彼がやってきた時から、アサシンはソラウを見透かしていた。ソラウがアサシンと波長が合う人間であることを。目的の為なら手段を選ばない『悪』であることを。
 自分が見透かされている恐怖と、自分を理解してくれているという安心感が、ソラウの中で同時に存在していた。

(あるいは殺されるかもしれないという恐怖が、この巨大な存在感の前に掻き消されていく。もう何も怖くないと思える。けれど、怖くないと思えてしまう自分が、以前と変わってしまったことが、これからも変わっていくであろうことが、本当に恐ろしい)

 けれど、結局はそれでも構わない。どんなに恐ろしくても、それに耐えるだけの価値が、ソラウの恋にはあるのだから。
 どんなに自分が変わっても、この恋だけは、決して変わりはしないのだ。

   ◆

 ただひたすら眠りにつき、ランサーの魔力回復を行っていたウェイバーが目を覚ましたのは、西の空が赤く染まった夕刻になった頃だった。

「どうだ? 少しはマシになったか?」
「はい、主よ。この調子であれば相手がセイバーであっても……! 何者かが向かってきます!」

 ランサーが顔つきを変え、紅い魔槍を構えて周囲を警戒しはじめる。ウェイバーもまた、身を引き締め、ナイフを握る。
 やがて木の葉を踏み締める足音が聞こえはじめ、だんだんと近づいてくる。そして、木陰から姿を現したのは、以前も森の中で見た顔だった。

「ブ、ブチャラティ……」

 数日前には味方として現れ、キャスターの妖魔たちを殲滅してくれた相手が立っていた。だが、彼もまた聖杯戦争における別陣営の人間。慣れ合いはできないと、ウェイバーは素人なりにナイフを構える。
 が、ブチャラティはウェイバーの覚悟をいなすように、柔らかい声で話し始めた。

「そう警戒しないでくれ。戦いに来たわけじゃない……実は今回は、あんたに……君に、同盟を持ちかけにきたんだ」
「同盟……だって?」

 同盟を組むというのはわかる。手強過ぎる敵がいる場合、別のチームと同盟を組み、強敵を協力して倒すというのは、よくある戦法だ。だが、戦争も終盤にさしかかる今になって、今更同盟を組もうというのは疑問であった。

「そう……俺たちは、バーサーカーを擁する魔術師、間桐雁夜と手を結んでいる。俺たちの持っている全情報を渡そう。サーヴァントの真名や宝具も明かそう。その代わり、どうか俺たちと組んでほしい」

 ブチャラティの申し出に、ウェイバーは目を丸くする。全ての秘密をさらしてまで同盟を組む理由が、本気で思い付かなかった。自分たちは勝ち残っているが、戦闘に関してはセイバー陣営、アーチャー陣営の方がずっと上だ。そこまでして手を組む価値は低い。
 あまりに都合の良すぎる話に、ウェイバーは戸惑う。

「いきなりこんなことを言われても困るだろうが、どうか組んでほしい。そうしなければ……いや、そうしたとしても、勝てるかどうか。そういう敵なんだ。あの、アサシンは」

 ブチャラティはそう言い、手にしていた物をウェイバーたちに見せる。
 それは、翡翠で造られた精巧な鳥の模型だった。いや、僅かに感じられる魔力からして、ただの模型ではない。

「これは、遠坂の家の者が好んで使う傀儡だ。こいつが間桐の屋敷に届いた。アーチャーの敗北、遠坂時臣の死、そしてアサシンの勝利という情報を知らせるために」

 セイバー陣営と戦った後、間桐の屋敷に戻った雁夜を待っていたのが、この翡翠の鳥だった。この鳥は、足に鳥自身よりも大きな革袋を掴んで、ぶら下げていた。袋の中に入っていたのは、色とりどりの美しい大粒の宝石が十個ほどと、精緻な細工を施された短剣が一本、そして、白い布が一枚であった。
 宝石は全て、遠坂に伝わる宝石魔術のために、魔力を貯蔵したものであり、雁夜にも使えるように調整されていた。宝石魔術など欠片もしらない雁夜であるが、込められた魔力を解放して自分のものとして使うくらいはできる。バーサーカーへの魔力供給の足しとしては、かなり役立つものだ。
 短剣は、柄頭などに宝石を埋め込んだ美しいものだった。ルネサンス期の錬金術師、パラケルススが持っていたというアゾット剣を模したと思われた。
 そして布は、どうやらワイシャツを切り取ったものらしく、赤黒い液体を使って字が書かれていた。おそらくは傷を負い、死が迫る中、必死で自分の血を指につけて書いたのだろう。
 乱れた字で乱暴に書かれ、仮名や漢字が入り乱れた文章で、読み取るのに苦労したが、整理するとこのように書かれていた。

『アーチャーがアサシンに負けた』
『アサシンのマスター、言峰綺礼』
『アサシンは時を止められる』
『桜を救って』
『凛に剣を渡してほしい』
『すまない』
『後を頼む』

 敵に対する情報は少なく、半分以上はこれからの戦いに役立たない、無意味な内容だった。だが、雁夜にとっては別だった。雁夜にとっては極めて重要な意味を持っていた。
 あの時臣が、冷酷な魔術師だとしか考えていなかった男が、最後の最後に考えたのが、根源に行くという魔術師の悲願などではなく、ただ純粋に我が子のことを、家族のことを案じたのだ。冷静に敵を分析し、情報を伝えることよりも、ただ娘たちのことだけを優先した。
 そして自分に望みを託した。瀕死の状態で、最後の力を振り絞って魔力を振るい、装備していた宝石や短剣をまとめて飛ばした。かつては心から蔑んでいた自分を頼った。魔術師としてではなく、父親として。
 ならば雁夜は奮起せねばならない。時臣がするべきだったことを、無念のうちに散った願いを、自分が応えて果たさなければならない。

 そのために、雁夜は何としても勝たねばならない。だが今の戦力では足りない。だからウェイバーに同盟を申し込むことにした。場所については、以前ウェイバーがいた場所から、アバッキオのムーディー・ブルースを再生・早送りをして突き止められた。

「アサシンは時を止める能力を持っている……どのくらいの間隔を止められるのかはわからないが、それなら最初にアーチャーの宝具によって死んだように見えて、実は生きていたことについても説明がつく。つまりは、誰もその動きに反応できず、何もすることができない状況を造り出し、自分だけは一方的に行動し、攻撃することもできる」
「アーチャー……あいつがやられただって? それに、時を止められる……ほとんど魔法じゃないか」

 ウェイバーはアサシンの宝具の凶悪さに目まいさえ起こした。頭を押さえ、絶望しそうになるのを堪える。
 そしてどうにか、これからどうするかを考える。

「………実を言うと、ライダーも昨夜、アサシンに倒された。残っているのは、僕とお前の他は、アサシンとセイバーの陣営の4つだ。なぜ、セイバーを選ばなかった? なんだかんだで最優のサーヴァントを擁し、マスターの能力も高いだろう?」
「セイバーの陣営には、昼に襲撃をかけたばかりだ。流石に同盟を申し込める空気じゃない。互いのサーヴァントの問題もある」

 そこでブチャラティは、バーサーカーの真名がサー・ランスロットであり、セイバーであるアーサー王と確執があることを話した。

「けれど、そうでなくても俺たちは君との同盟を選んだだろう。セイバー陣営のマスターは、とても背中を預けられるタイプじゃない。対して、君は俺を助けてくれた。キャスターがアインツベルンを襲撃した夜も少女を助けていた……これは雁夜の弁だが、君は、『魔術師らしくない』魔術師だ。目的の為にはどんな非道な手段もとる、人外どもとは違う。信頼できると、思えた」

 そう言われ、ウェイバーの表情がやや引きつり、髪の毛がざわめく。
 魔術師としての大成を志すウェイバーにとって、蔑んでいるわけではないとわかっていても、『魔術師らしくない』と言われていい気分はしない。魔術師に酷い嫌悪感を抱いている雁夜からすれば、かなり純粋に称賛しているのだが。しかし今はそんなことで怒っている場合ではないと、癇癪を我慢する。

「まあ……いいや。わかった。そうだな。確かにアサシンは強力だ。同盟を組むというのはいい話だと思う。間桐の魔術師の人間性はわからないが、お前が組んでいるところを見ると、悪人じゃないんだろう」

 だがまだ、信頼しきることはできない。

「ただ一つ、答えてくれ。間桐雁夜が聖杯に託す願いはなんだ? それを教えてほしい」

 善人だから裏切らないわけじゃない。相手が何を欲しているか。その望みは、信頼する相手を裏切ることさえ、しなければならないものであるかどうか。それを確かめねばならなかった。
 その問いに、ブチャラティは答える。

「それは………俺には言えない」

 その願いは雁夜のもの。ブチャラティでも勝手に話すわけにはいかない。

「なら、雁夜と会わせてくれ。そもそもこういうのは本人が出向くべきだろう?」

 用心深いのかもしれないが、ことは信頼の問題だ。

「確かにその通りだが………雁夜に会わせるとデメリットが発生する可能性がある。雁夜にではなく、君の方にだ」
「どういうことだよ」
「………まず、雁夜は今回の戦いの為に、相当に体に無理をしている。ある魔術的な蟲を体に寄生させ、生命力を喰わせてバーサーカーに与える魔力を生成しているらしい。もはや余命はほとんどなく、動くのもやっとの状態だ。簡単には外に出てこれない」

 ウェイバーは息をのむ。いくら魔術師とはいえ、そこまで体に鞭打つのは流石にそうは聞かない。

「そこまでなら彼は無理して君に会っていただろうが、本当に問題なのは、寄生している蟲は、雁夜が見聞きした情報を間桐臓硯……間桐の真の当主であり、ドス黒い悪意を持った老魔術師に送っているということだ。このところ、奴の姿は見えない。どこで何をしているかわからないが、奴が君に危害を加えないという保証は無い」
「………悪党だって言っても、お前たちにとっては味方なんじゃないか?」
「いや、家族だからと言って、情けをかけるような奴じゃない。雁夜を苦しめ、悦に浸っているような奴だ。雁夜に君の情報を教えると、それをどう悪用するかわからない。同盟を組む以上、雁夜は君のことを何も知るわけにはいかない」
「そして、僕とのことはお前が全て一任すると………信頼されているんだな」

 そう言いながら、ウェイバーはさもありなんと思う。このブローノ・ブチャラティの根底にあるものは優しさだ。冷酷な厳しさに包んでいるが、人間としての芯となっているのは善性であると感じられる。

「………しかし、蟲か。蟲………そいつがいないと、まずいことになるのか?」
「魔力を造り出しているのはその蟲だから、蟲がいなくなるとバーサーカーを維持できるほどの魔力が造れなくなる。だが、遠坂からの使い魔が、魔力を籠めた宝石を持ってきてくれたから、1、2戦分くらいは何とかなりそうだ」
「なら、その蟲を駆除してしまっても構わないのか?」
「………できると言うのか?」
「情報が欲しい。蟲について、知っている限り教えてくれ」

   ◆

 ブチャラティとの戦いから逃れた後、切嗣は屋敷に急ぎ戻り、アイリスフィールが誘拐されたことを聞かされる。
 襲撃は予想されたことであったので驚きはしなかったし、契約が消えていないセイバーはともかく、それ以外の者たちは死んでいることも覚悟していたので、むしろ衝撃は軽かった。
 問題は、アイリスフィールを攫い、聖杯の器を手にしたのが、バーサーカーを従える間桐ではない別の勢力であるらしいことだ。
 アイリスフィールを直接攫って行ったのは、アインツベルンの森にやってきたキャスターが最後に召喚したサーヴァントだという話だが、イレギュラーなサーヴァントにもマスターはいるはずだ。キャスターは消滅した。キャスターのマスターの生死を切嗣は知らなかったが、聖杯戦争の勝利そっちのけで快楽殺人に酔っていた人物が、今更聖杯を求めるとは考えにくい。では誰がマスターとなっているのか。
 現状では掴みえない謎は棚上げにして、切嗣は行動に移ることに決めた。

 聖杯を手に入れた敵が次に狙うのは場所だ。この冬木で聖杯を降臨させるのに相応しい霊地は4か所。

 円蔵山。
 遠坂邸。
 冬木教会。
 冬木市民会館。

 切嗣はまず遠坂邸に潜入し、たった3時間弱で遠坂邸の魔術的防御を破り内部の調査に成功した。堅牢な結界と罠を、これほど短時間で破ったのは驚異的な速度であったが、遠坂邸は既に無人であり、無論アイリスフィールもいなかった。ただ、遠坂時臣の死体が無造作に転がっているのが見つかった。
 これで遠坂時臣とアーチャーの脱落を知る。死体の傷が剣や槍、魔術によるものではなく、鈍器で殴られたようなものであることから、時臣を殺したのはアサシンであると予想できた。
 ここで、既存の陣営の中ではアサシンと言峰綺礼が、アイリスフィールをさらった最有力候補となった。ケイネスであればイレギュラーサーヴァントを誘拐に使うよりは、高速で空を飛べるライダーを使うだろう。ランサーのマスターに切嗣が用意した拠点を探し出すまでの諜報手段があるとは思えない。

 一方、傷が動ける程度にまで癒えた舞弥は、セイバー、虹村兄弟と共に冬木教会を訪れたが、そこもまた無人であった。ざっと調査したものの、状況を良くするような手掛かりは無い。切嗣と舞弥は連絡を取り合い、遠坂邸と冬木教会に爆弾を仕掛け、敵にその場所を奪われても爆破できるようにした後、冬木最大の霊地であり、聖杯を降ろす最高の場所である柳洞寺で合流した。
 しかし、結局そこにも敵はいなかった。

 残りは、優先順位最下位である冬木市民会館。もともと最近になって偶然生まれたこの霊地は、魔術的な処置が施されておらず、魔術師としては最も立て篭もるのに不向きな場所だ。戦闘を有利に進めたければ、まず選択しない。
 だが可能性はゼロではない。そこで切嗣は一人、柳洞寺で待ち伏せ、市民会館には舞弥と虹村兄弟を行かせ、監視を行わせた。いまだ建設工事を行っている現状で中に入ることはできないだろうが、異変や侵入者があればすぐわかるように。
 つまりはこの時点でアイリフィールは見捨てられることとなったのだ。切嗣はアイリスフィールを救うために探すのをやめ、敵に勝利するために待ち構えることを選んだのだ。対してセイバーは、待ち伏せている間にアイリスフィールが死んでしまうことを危惧し、町をバイクで走り回って探している。
 切嗣からすれば、情はあっても無為な愚策であったが。

 そして今、太陽が完全に沈んだ。アサシンの時間が、吸血鬼の時間が、またやってきたのだ。
 切嗣は敵の動きは近いと感じた。

   ◆

 昨夜の戦いで肉体を痛めつけられた雁夜は、ブチャラティたちが所有する車の中で眠っていた。肉体は限界と言う言葉では生ぬるいほどに擦り切れていたが、その精神は新たな活力で燃えていた。
 強く嫌い、妬んでいた相手であったが、同時に羨望の対象でもあった男から、後を託されたのだ。死んではいられない。
 できるだけ長く戦うために、必死で体を休める雁夜だったが、それを揺り動かす者があった。

「な、なん……だ?」
「初めまして………だな。僕はウェイバー・ベルベットだ」
「え、あ、ああ初めまして、俺は間桐雁夜……って、え、なんでここに。あ、ブチャラティ、同盟はどうなって」

 いきなり親しくもない相手の顔を寝起きに見て、混乱する雁夜だったが、ウェイバーの後ろにブチャラティが立っているのを確認し、危険は無いことは悟る。事情を詳しく聞こうとする雁夜に、ウェイバーは言った。

「単刀直入に言う。かなり苦しいと思うし、上手くいくか分からないが、その身に巣食っている蟲を殺せるかもしれない。試してみるか?」

 その問いかけに、雁夜は目を見開く。そして頭の中でウェイバーの言葉を反芻し、よく理解し終えてから、強く頷いた。

「ああ………俺は蟲から解放されたい。時臣から魔力を贈られた今、もう、こいつらも必要無い」
「よし………頼むぞランサー」
「はい」

 そしてランサーは雁夜へ近付き、『指輪』を嵌めた右手を、雁夜の胸に押し当てた。
 そして、指輪を中心に、ランサーの右手が光を放つ。

「ぐっ………がっ、がああああああああっ!!」

 雁夜の体の中で、蟲が荒れ狂う。皮膚の下で蟲が悶え苦しみ、自分たちの苦しみを宿主の雁夜にも与え、道連れにせんとばかりに暴れていた。
 バーサーカーを戦わせているときに勝るとも劣らぬ激痛に、意識が消し飛びそうになる。だが、ランサーが放つ光は、同時に雁夜の体に心地よい温かさを与え、その身の治癒を同時に進めていた。
 ウェイバーはそれを見て、ある老人が使っていた、呼吸によって行う特殊な技術を思い出していた。

「あっあっ……がっ、あぁぁぁ……ぁ……っ……」

 数分か、数十分か、だが一時間にはならないだろう時間が経った。もはや苦痛と疲労によって、雁夜が叫ぶことさえできなくなった頃、『治療』は完了した。

「………主よ。どうにか終わったようです」
「ああ、成功した、と見ていいだろうな」

 ウェイバーは雁夜の体から蟲らしい魔力が消えていることを確認する。魔術師としては才能の無いウェイバーだが感覚は鋭敏である。蟲が生き残っていたら、魔力を感じるはずだが、直接雁夜の身に触れて調べても、何も無い。

「ひとまずそのまま治癒を続けてくれ。微々たるものかもしれないが、何もないよりはずっといいだろう」
「わかりました」

 ランサーは頷いて、雁夜に光を与え続ける。
 ランサーが放つ光は、ライダーから託された宝具【太陽神の指輪(アポロン・リング)】から放たれる、太陽の光。
 医術の神であるアポロンの光は雁夜の肉体を治癒し、同時に光を嫌う間桐の蟲を殺していったのだ。本来の持ち主でないランサーではそこまで劇的な効果は無いが、蟲を殺しただけでなく、多少は体も楽になったはずだ。

「う………うう………」
「よく頑張ったな、雁夜。蟲は全滅したとのことだ」

 ブチャラティに言われ、雁夜は弱々しくではあるが微笑む。

「ああ……ありがとう、ウェイバー・ベルベット、だったな。おかげで解放された」
「別に……礼を言われるようなことじゃないさ。僕にもそうする理由があったんだ」

 そしてウェイバーは、雁夜の蟲を滅ぼした理由である言葉を紡ぐ。

「あんたと同盟を組む上で、ただ一つ、答えてくれ。あんたが聖杯に託す願いはなんだ? それを教えてほしい」

 その問いに、雁夜は答える。

「それは………言えない」

 それが答え。雁夜の願いは、聖杯を間桐臓硯に渡すのと引き換えに得られる、桜の救い。
 だがそれを説明するには、雁夜の慕情と後悔、桜の悲痛と絶望、時臣の過失と無念、臓硯の邪悪と欲望、全てのことを話さなければならない。

(そうなすれば、この少年はきっと、手を貸してくれるだろう)

 桜を助け出すことに、協力してくれるだろう。臓硯に目を付けられ、生命を危うくすることを承知で、戦ってくれるだろう。
 けれどそれは認められない。以前の自分であれば、桜のためならどんな悪行でもするし、他人を利用し、殺すこともできただろう。
 だがブチャラティと出会い、彼に助けられることで、雁夜は変わってしまった。

 手段を選ぶ余裕を、人間性を取り戻してしまった雁夜に、他者を、『桜を助けるための道具』として見ることは不可能になっている。

 ブチャラティに『尊敬している』と言われてしまい、ブチャラティに軽蔑されるような手段を取ることを、恐ろしく感じている。

 これからのことを考えず、余生を犠牲にし、寿命を削り落としてきた身であったモノが、英雄王から渡された薬で、助かる可能性を得てしまった今、これからの人生について考えてしまっている。人生に悔いを残したくないと思ってしまっている。

 ゆえに、ウェイバーを自分の事情に巻き込むことが、もう雁夜にはできない。自分を見つめ直し、桜を助けたいと言う善意に隠れた、葵を自分のものにしたいという嫉妬と邪恋を認めた雁夜は、それでも桜を助けることを決意していた。この汚れた自分を尊敬してくれたブチャラティのため、嘘を真実にしようと思った。

 だから、ウェイバーを犠牲にする自分を雁夜は認められない。
 だから、言えないと言うしかなかった。

「そうか………」

 雁夜は、ウェイバーとの同盟をほぼ諦めていた。ウェイバーが次に言う言葉は、決裂の言葉であると覚悟した。ウェイバーを恨みはしないが、ただ自分の甘さが情けなく、桜やブチャラティへの申し訳なさが身を焼いた。それでもブチャラティが自分を責めることはないとわかっていたが、それでもブチャラティたちに更に無理をさせてしまうだろう我が身が、悔しかった。
 けれど、

「それなら仕方ない。何も聞かずに、同盟の話を受けることにするよ」
「………え?」

 ウェイバーは承諾した。

「え? なんで? 俺は言えないって……」
「ああ、気にはなるよ。けど、『言えない』という答えも、適当に信用できそうな願いをでっちあげて嘘をつくほど、器用でも不誠実でもないって証明にはなる。完全じゃないけど、とりあえず同盟を受け入れるくらいの信頼はすることにするさ」

 ウェイバーの心境を一言で言えば『仕方ない』ということに尽きた。
 自身を蟲の生贄にするほどに酷使したうえ、あんな情けなくも苦しそうな表情で『言えない』というのでは、よっぽどのわけがあるのだろうと理解せざるを得ない。そして理解した以上、相手の手を振り払うほど、彼は非情にはなれなかった。

 結局なんのことはない。どちらも甘く、お人よしな、『魔術師らしくない』人間であったということだ。

「すまない……ありがとう」

 泣きそうな表情で、心から絞り出すように雁夜が言い、ブチャラティも厳粛と表現するべき硬い空気をまとい、感謝の意を込めて頭を下げる。ランサーは礼によって誇らしげにウェイバーを見つめていた。
 そんな三人の真っただ中にいて、ウェイバーは酷く居心地が悪くなり、さっさとこの場から立ち去ってしまいたかったが、まだまだ話すことはあるからそうもいかなかった。

「ああもう、そういうのはしなくてもいい! それより同盟は組んだんだ。約束通り、情報は渡してもらうぞ!」

 感謝や尊敬の眼差しを向けられる経験のほとんどない見習い魔術師は、照れ臭さでいっぱいの心を隠すように怒鳴るのだった。

   ◆
 
 冬木市民会館。
 敷地面積6600平方メートル。建設面積4700平方メートル。地上4階、地下1階の建造物。2階層式のコンサートホールは1300人余りを収容できる。
 そして、聖杯を降臨させられる規模の霊地である。 

 今日の建設工事が終了し、人が出て行き、明かりが消える。完全に人が出払ったのを見定めると、それまでずっと周囲を回りながら市民会館を監視していた舞弥たちは動いた。中に入り、トラップなどの仕掛けを施そうとする。
 そういったことの知識の無い形兆と億泰はせいぜい、アサシンたちが現れるのを警戒するくらいしかできることはない。

「………周囲に展開した【バッド・カンパニー】によると、敵はいないようだ」
「わかりました。慎重に行動してください」

 爆薬などのトラップの材料や工具を詰めたトランクを手に、舞弥は動き出す。
 だが、市民会館の正面出入り口の前へと足を運んだとき、舞弥の足元にある排水溝から、プクリと水が立ち上がった。

「!! やべえ舞弥! 【ザ・ハンド】!!」

 後ろを歩いていた億泰は、空間を削り取り、舞弥を自分の傍に引き寄せた。直後、さっきまで舞矢がいた空間を、水の爪が引き裂いていた。

「またこいつか……!」

 形兆は【バッド・カンパニー】の戦車から砲弾を発射する。砲弾は水のスタンドを貫き散らすが、所詮ダメージは与えられない。

(やはり駄目か……だがヘリからのミサイルや火炎放射器による高熱であれば、この水を蒸発させられるかもしれない。【ザ・ハンド】で削り取るのは効くだろうが、あいつにそこまで接近させるのも危険だしな………本体を叩くのが一番いいんだが)

 排水溝の中に引っ込み、姿を隠した【大地と通じる戦慄の水(ゲブ)】を警戒しながら、対策を練る形兆の横で、舞弥は冷静に携帯電話を取り出す。

「切嗣。はい、現れました。イレギュラーのサーヴァント、水のスタンド使いです」

   ◆

 舞弥から連絡を受け取った切嗣は、自分の手の甲に刻まれた令呪を見つめ、

「令呪を以て我が傀儡に命ず。冬木市民会館へ飛べ。今すぐに」

 礼呪の魔力が覚醒し、光を放つ。そして、切嗣が唱えた通りのことをセイバーに実行させた。

   ◆

 それまでの間、アイリスフィールを探しまわっていたセイバーは、令呪の力によって無理矢理に冬木市民会館前に瞬間移動させられた。突如のことであったが、彼女も名高い剣の英雄。動揺を瞬時に静め、事態を把握し、剣を抜き放った。

「はぁっ!」

 聖剣の斬撃が、水のスタンドを数百の飛沫にして吹き散らす。しかし、散った水は地に落ちると、まだ蠢いて集まり、元に戻る。
 その様子を見て、舞弥が口を開く。

「セイバー、打撃や斬撃はそいつには無意味です。宝具を解放すれば話は別でしょうが、たとえ聖剣の光で消し飛ばしたとしても、スタンドはスタンドでしか倒せない。本体は無傷で、また攻撃を開始することができます」
「ではどうすれば!」
「まずは状況の説明を。あの建物の中に敵がいます。アイリスフィールと聖杯を握って」
「………あの中に」

 セイバーは冬木市民会館を見て、その内部にいる――おそらくアサシン――の姿を思い浮かべ、表情を険しくする。そんな彼女に、今度は形兆が声をかける。

「この水のスタンドは遠距離操作型……キロ単位の距離を隔てて攻撃している可能性もある。本体を探し出す方法は、我々には無い。奴への的確な殲滅手段も無い。しかし、舗装された地面は奴も隠れ潜めず、不意打ちできない。ここでなら【バッド・カンパニー】の防衛陣を持ってすれば、奴の攻撃を撃墜できる。倒すことはできんが、倒されることもない」

 形兆の【バッド・カンパニー】は、形兆たち3人を囲み、地表を蠢く【大地と通じる戦慄の水(ゲブ)】に銃口を向けている。

「奴は、ここが自分にとって不利な地勢であることを、わかっていて仕掛けてきている。つまり、これは俺たちを殺すための攻撃じゃない。足止めのための攻撃だ」
「足止め………」
「そう、あそこで聖杯を降臨させる準備をするためのな。おそらく、既に別のところからアサシンたちは市民会館に侵入し、準備を行っているだろう」

 その邪魔をさせないため、舞弥たちを足止めしている。簡単な図式だ。

「このくらいは予想の内だ。手は考えてある。まずは、この水のスタンドは吹き飛ばして市民会館へ向かう。セイバーが先頭だ。追ってくる水のスタンドは俺たちが防ぐ」
「………わかりました」

 セイバーは頷き、走る。市民会館に向かうセイバーの音に反応し、【大地と通じる戦慄の水(ゲブ)】が攻撃を仕掛けるが、【バッド・カンパニー】の軍用ヘリからミサイルが飛び、水のスタンドを吹き飛ばす。
 水はミサイルの炎で若干ではあるが蒸発する。一瞬ではあるが、【大地と通じる戦慄の水(ゲブ)】の動きが鈍った隙に、舞弥たち3人はセイバーの後について、【大地と通じる戦慄の水(ゲブ)】の妨害を突破し、走り抜ける。
 その後を追ってくる【大地と通じる戦慄の水(ゲブ)】を【バッド・カンパニー】の一斉射撃で牽制しながら、セイバー陣営は市民会館正面口に近づいていった。

「! 来ます! この気配は」

 ゴウッ!

 市民会館のガラス扉が砕かれ、その向こうから硬い拳が襲いかかる。セイバーは音の速度さえ上回る一撃を、見えざる剣で受け止めるが、衝撃は殺せず、五歩分ほどザザザと音を立てて地を滑り、後退させられる。

「やはり貴様か。アサシン!」
「よく来たセイバー……歓迎しよう」

 見下ろすようにセイバーに視線を向け、嘲笑う吸血鬼のサーヴァント。
 ついに騎士王と世界王の決戦が開始された。

   ◆

 冬木市民会館の、1階から3階までを占めるコンサートホール。
 その舞台の上に、アイリスフィールの体が据えられていた。一応生命活動は止まっていないが、彼女が目覚めることは2度と無い。
 キャスター、ライダー、アーチャー……既に3体のサーヴァントの魂がアイリスフィールの中に吸収されている。特に規格外のサーヴァントであるアーチャーは、2、3体分の容量の魂を持っている。アイリスフィールには5体分の魂が汲み上げられ、その分、彼女の肉体は聖杯へと変えられている。
 もはやアイリスフィールの体からは人間としての機能はほぼ失われ、内臓の大半は動きを止め、脳の活動も行われていない。
 本当に、ただ生きているだけの状態だ。そして、そのか細い命も、じきに消えるだろう。

「準備はできた。あとは生贄を捧げ終えるだけ」

 舞台の上でアイリスフィールを見下ろし、エンヤ婆が満足そうに笑う。

「長くはかからないでしょう。DIO様が直々に出向いたのですから」

 コンサートホールの観客席、その最前列に座るンドゥールが言う。杖を手に、音を鋭く読み取り、【大地と通じる戦慄の水(ゲブ)】を操りながら。右隣の席には予備の水を湛えたポリタンクが置かれ、左隣にはソラウが座っている。
 その左手には、先ほど【大地と通じる戦慄の水(ゲブ)】が【バッド・カンパニー】のミサイルを受け、蒸発したことによって受けた火傷(ダメージ)が残っていた。

 先ほどンドゥールは、残念ながら、不意打ちのできない状況では、複数の敵を相手にすることは難しいと認め、アサシンに謝罪と共に伝えた。
 自らの無能さを嘆くンドゥールを、アサシンは鷹揚に許し、自らセイバーを葬るため、コンサートホールを出たのだった。

「後の懸念事項は、切嗣なる輩が、綺礼を暗殺しにやってくることだけじゃが……動きはあるか?」
「いえ、この市民会館の周囲3キロ四方には、それらしい人間の音はありません」

 4キロ先からスタンドを操れるンドゥールが、敢えて市民会館にいるのは、敵を感知するレーダーの役割を果たすためである。
 今のところ近くに通行人はいるが、ソラウがケイネスから頂戴した魔道具の力も借りて簡易の結界が張られた今、一般人はこの市民会館に入ってこない。入ってくるとすれば敵だけだが、そのような行動をしている者はいない。
 もっとも、侵入してきたとしても、それが衛宮切嗣ならば、それはむしろ歓迎すべきことだ。その場合、切嗣への殺意を燃やしている綺礼が相手をすることになっている。切嗣を殺すことが、アサシンについていくと決めた綺礼の数少ない我儘であり、アサシンからの綺礼への褒美であった。
 その綺礼は、舞台の隅に腰をおろし、戦いの時を待っていた。
 また、ンドゥールのマスターである、ソラウ・ソフィアリ・ヌァザレは、ンドゥールの左隣で退屈そうにしながらも、ンドゥールの受けた傷を魔術で癒している。彼女は基本的な補助魔術しか使えず、ケイネスから与えられた魔術礼装も幾つか持っているとはいえ結界や回復のためのもので、攻撃には使えない。戦闘になったらすぐに隠れ、補助に務めることになるだろう。

「……む?」

 ンドゥールは、不自然な音を捕らえた。人間の足音ではない。自動車のエンジン音が、近くで唸りだしたのだ。

   ◆

 雄叫びと共に剣を振るい、一呼吸の間に3回は斬りかかってくる高速のセイバーに対し、アサシンは変わらぬ薄笑いのまま、現れた位置から一歩も動くことなく、スタンドさえ現さず、剣の腹を手で弾いて、猛攻をいなしていた。

「くっ!」
「どうしたセイバー。最優の名が泣くではないか」

 嘲笑を向けられて屈辱に歯ぎしりしながらも、セイバーは己の不可視の剣が見切られていることを実感していた。パワーやスピードもさることながら、アサシンの眼力や精密な動きは桁外れのものがある。
 剣の長さ、幅、形状、全て把握されている。

(こちらも完全に全力を出し尽くしている、というわけではないが、それでもこの底知れない力は……!)

 舞弥たちは追いついた【大地と通じる戦慄の水(ゲブ)】を相手にしており、援護ができる状態ではない。市民会館に入るのに、あと僅か10メートルというところだが、その距離が酷く遠い。
 もはや魔力、体力の温存は考えていられない。ある程度の力を込めた連撃ではなく、渾身の一撃をもってかかるべきだと、セイバーが一度下がって間合いを開いた時、ソレが動いた。

「……この音は?」

 大地を走る音だけで、巨大であるとわかるソレが、セイバーたちが戦う位置へ向けて突っ込んできていた。流石のアサシンも、ソレに対しては目を見張る。
 ソレを見た形兆は、【バッド・カンパニー】の人数の半分を、アサシンへの攻撃に割いた。【大地と通じる戦慄の水(ゲブ)】への対応が厳しくなるが、仕方が無い。アサシンも【大地と通じる戦慄の水(ゲブ)】も、両方抑えておかねばならない。ソレを止められたら、策が失敗する。

「む!」

 予想外の物体に対して、少々驚いているところに射撃を受け、ほんの少し動くのが遅れた。そのアサシンの隙が、ソレが市民会館へ突入するのを許した。
 策がひとまず成功したことに気を良くした形兆は、ソレの余波に巻き込まれぬように、走って少しでもその場から離れながら、ソレの名を唇に乗せる。

 ソレは、衛宮切嗣が、拠点に籠城した参加者への切り札として用意した代物。遠隔操作仕様に改造した、安価な巡航ミサイルもどき。すなわち、

「タンクローリーだッ!」

 直後、鼓膜を破るほどの爆音が、夜の空気を揺るがした。
 

   ◆

 市民会館から100メートルほど離れた位置で、車道脇に停止した自動車に乗った切嗣は、凄まじい爆音を耳にし、行動に移った。
 自動車を走らせ、普通の来場者なら向かうはずの地下駐車場へは進まず、自動車のまま敷地内に乗り上げる。先ほどタンクローリーが突っ込んだ正面口の反対側、すなわちアサシンたちからは見えない位置に自動車を進め、ガラス窓へと激突し、粉砕。そのまま館内へ侵入した。

   ◆

「なるほど………炎で聖杯の降臨場所を破壊するということか。火災警報など、外部へ連絡するような配線は切っているとはいえ、こうまで派手に火の手が上がれば、人払いの結界も効果を発揮しきれないかもしれん。人が集まる中での聖杯降臨を中止させることも計算しているのだろうな」

 アサシンは、タンクローリーが衝突した正面入り口を中心に燃え盛る、周囲一帯を見回して判断する。
 見れば舞弥たち3人は少し離れた位置に伏せている。【大地と通じる戦慄の水(ゲブ)】は動きを見せない。おそらくあまりに大きな音を至近距離で受けたショックで痺れ、周囲の音の位置を見失ってしまっているのだろう。
 だが、舞弥が立ち上がり一歩を踏み出すと、すぐに反応し、鋭い爪を唸らせて飛びかかる。その勢いは鉄を切り裂くほどの速度だったが、それは既に読まれていた。

「【ザ・ハンド】!」

 億泰のスタンドが空間を抉り取る。抉られた空間へ瞬間移動させられた【大地と通じる戦慄の水(ゲブ)】は、しかし勢いそのものは止まることなく跳び続け、燃え盛る炎の中へ飛び込んでいった。

 ジュオオオオオオオオッ!!

 炎と水が互いを消し合う強い音が起こり、水蒸気が立ち昇る。大火の中、水のスタンドは完全に蒸発してしまった。

「よしっ! やったぜ兄貴!」

 スタンド使いではない舞弥にも、水として明確に認識できることから、物体と一体化するタイプのスタンドであることはわかっていた。このタイプのスタンドは、スタンド以外からの物理的干渉を受けると言う弱点がある。炎を大量に発生させる作戦を立てた時、機会があればそれを利用することも視野にいれていたが、それが上手く実行できたのだ。
 スタンドによる攻撃ではなかったため、本体はダメージを負ってはいないだろうが、またスタンドを用意して繰り出されない間は、邪魔者はいない。

「セイバー! 俺たちは中に入る! そのクソ野郎の足止めを頼む!」

 形兆が走りながら叫ぶ。彼ら3人は、燃える正面入り口を避け、別の場所から入り込むために移動していく。
 その言葉を受け、セイバーは今まで以上に重く速い斬撃を、アサシンに叩き込む。先ほどまでの、スタミナを計算し、余裕を残したものではない。全力を込めた、おそらく数分くらいしか持たず、力尽きれば一気に倒れ伏すしかなくなることを覚悟した、本気の攻撃だった。

「ちっ!」
「ハァァァアアアアアアアアッ!!」

 さしものアサシンも、このままではアーサー王の全力を防ぎきることはできないと認め、スタンドを出現させて拳を放つ。

「無駄無駄無駄無駄無駄ァッ!!」

【ザ・ワールド】のラッシュがセイバーの剣をはじき、更に頬をかすめただけで出血を強い、骨にまで響かせる。だがセイバーの方とて、振るわれた剣が起こす真空の刃だけで、アサシンの皮を薄く裂いていた。

 総合された力量は、いまや互角。

 今度こそ、互いに全力の戦闘が開始された。

   ◆

「………正面口で巨大な爆発……それにおそらく反対側にも自動車が衝突………それに足音が……既に1人、館内に入っています。【大地と通じる戦慄の水(ゲブ)】が消滅。足止めをしていた3人は取り逃がしました。DIO様は、セイバーと戦闘中です」
「足止めをしていたつもりで、されていたということか。DIO様とおぬしの【大地と通じる戦慄の水(ゲブ)】を抑え、手薄になった館に爆発物を突っ込ませる。DIO様でも綺礼でも聖杯でもなく、陣地を狙ってきたか」

 爆音に僅かながら痛めつけられた耳を抑え、苦しげなンドゥールからの報告から、エンヤ婆は忌々しそうに状況を分析する。

「移動した方がいいということかしら?」

 眉をひそめたソラウが言うが、綺礼は首を振る。

「いや、奴らの狙いは聖杯降臨の邪魔と同時に、我々の精神的動揺だ。陣地を制した我々の優位を崩し、状況を奴らの優位にあると錯覚させること……ここで混乱して動いては、奴らの思うつぼだ。状況は何も変わっていない。聖杯を準備し、攻めてきたセイバーをアサシンが殺し、衛宮切嗣は私が殺す。完成に近づいた聖杯が起こす事象に感づき、やってきた残りのサーヴァントも殺し尽くして、我々が完全な勝利を得る。その単純な作戦に何の変更点も必要無い」

 そして言峰綺礼は代行者の武器である黒鍵を手に取り、闘志を漲らせる。

「どうなろうと奴は、衛宮切嗣はここにやってくる。私はそれを殺す。他の有象無象は、ソラウ嬢、ンドゥール、エンヤ婆、諸君に任せる」
「仕切るでないわ若造め。だがまあ、おぬしの言うとおりじゃな」

 エンヤ婆がつまらなそうながらも頷いた時、ンドゥールが口を開いた。

「来ました。2階、右側ボックス席です」

 ンドゥールの言葉通りに、コートをまとった魔術師殺しが姿を見せた。そして誰もが反応を起こす前に、

「令呪を以て我が傀儡に命ず。この場へ来たれ」

 2画目の令呪を消費した。

 命令は即座に実行され、アサシンと打ち合っていたセイバーは空間を超え、コンサートホールに躍り出る。

「っ!!」

 強敵の姿が消えたことに意表を突かれるも、すぐに令呪の結果であることを悟り、周囲を見回し、現状を把握する。
 コンサートホールの舞台の上に安置されたアイリスフィールを見つけたが、それが生きているのかどうかセイバーには判別できなかった。

「令呪を以て請う。アサシンよ、今ここに来たれ」

 セイバーがその剣を振るうよりも早く、綺礼もまたアサシンをこの場に移動させる。幾つもの令呪を手に入れている綺礼にとって、惜しむようなものではない。
 虚空から弾け出るように綺礼の前に現れたアサシンは、余裕を崩さず、本陣にまで切り込んだセイバーと切嗣を見つめる。舞台の上から下に降り立ち、観客席の中央に立つセイバーへと歩みよる。

「少々遊びすぎたか。よかろう、我が宝具によって決着をつけてやる」

 アサシンの視線に混じる殺意が、強いものになったのを感じ取り、切嗣は最後の令呪を切った。

「全ての力を使い、アイリスフィールに被害を与えず、アサシンを倒せ!」

 セイバーに、令呪の魔力が注ぎ込まれる。全身の隅々に行きわたり、先ほどまでの戦闘の疲労・消耗を回復させ、その上で能力を一時的に向上させる。
 今、セイバーの力はこの聖杯戦争を通した中で、最大に活性化していた。その力でアサシンを倒し、アイリスフィールを取り戻す。

「アサシン……覚悟ッ!」

 踏み込みだけで床板を踏み砕き、観客席を高く跳び越えて、真っ直ぐにアサシンに迫るセイバー。

「無駄無駄無駄………時よ止まれ!」

 アサシンの背に浮かぶ【世界(ザ・ワールド)】が両腕を広げるポーズをとり、そして、時の流れを静止させる。
 全てが止まる。風の流れも、炎の揺らぎも、生命の鼓動も、星の回転も、原子の一つ一つにいたるまで、全てが停止する。この圧倒的な沈黙の中、動けるのはアサシンただ一人。

 まさに、『世界を支配する能力』。

「【王の世界(ザ・ワールド)】!!」

 だが、その畏怖すべき言葉が放たれる前に、セイバーもまた栄光の真名を唱えていた。

「【全て遠き理想郷(アヴァロン)】!!」

 言葉と共に、彼女は至高の聖剣を、半日前までは下げていなかった、腰の『鞘』に納めた。
 そして鞘は、先日セイバーがキャスターへと放った閃光よりも、なお眩く輝き、伝説の力を展開する。軍を切り裂き、城を崩す最強の聖剣よりも、遥かに偉大と称された『鞘』の力は、アルトリア・ペンドラゴンを、『世界から切り離した』。

「な………これは一体!?」

 止まらない。DIO以外の全てが止まった『DIOの世界』で、セイバーだけが止まらない。迫るセイバーに対し、アサシンは驚愕するが、そのまま立っているだけと言う訳にはいかず、行動を起こす。

「【世界(ザ・ワールド)】!!」

 スタンドが大型ハンマーを思わせる剛腕を振り下ろす。セイバーの美しい顔にスタンドの拳が直撃するが、彼女はこゆるぎもせず、傷の一つも負わない。

「馬鹿な……!?」

 帝王を自負する男の表情が引きつり、ついに一歩退いた。

「どうしました。世界王の名が泣きますよ、アサシン!!」
「くっ、おのれぇっ!」

 セイバーから受ける屈辱に歯を噛み締めて憤り、アサシンは再びスタンドによる攻撃に出る。

「URYYYYYYYYYYYYYYY!!」

 スタンドによる『突きの連打(ラッシュ)』に対しても、セイバーは微動だにしない。

 これこそはセイバーの切り札。かつて失われ、アインツベルンが発掘し、切嗣の手から渡されて、アーサー王の手に戻った究極の結界宝具。

【全て遠き理想郷(アヴァロン)】

 聖剣の鞘を展開し、所有者を理想郷に置くことであらゆる物理干渉をシャットアウトする、評価規格外のEX宝具。
 現在、セイバーの姿を見えてはいても、実際はこの世界には存在せず、理想郷に身を置いている。ゆえに、DIOが時を止めたとしても、この世界の時間に左右されないセイバーは止まることなく、この世界にいないために攻撃も届かない。

 そして、時は動き出す。

「感覚にして5秒………それが限界というところですか」

 セイバーは【全て遠き理想郷(アヴァロン)】を一度解除し、再び剣を抜く。その時には、既に彼女の代名詞とも言うべき一撃を放つ準備は整っていた。セイバーから迸る魔力は、逆巻く風となって吹き荒れる。これから放つ一撃は、アサシンのみを消し飛ばす。令呪の命令どおり、アイリスフィールには当てることの無い、精妙な命中率をもって。

「DIO様!」

 時が動き出し、アサシンがセイバーに押されているのを見たエンヤ婆が叫ぶ。しかし、【屍人舞踏・暗黒正義(ジャスティス)】では無傷の相手には意味を成さないし、【妖霧嘲笑・幽街結界(ジャスティス)】は展開のスピードが遅く、間に合わない。

「く!」

 ンドゥールが観客席に置かれたポリタンクの栓を開け、【大地と通じる戦慄の水(ゲブ)】を使おうとする。綺礼やソラウではセイバーは止められない。高い対魔力を持つセイバーに魔術は通用しないし、綺礼の八極拳も、英霊級の魔術で強化しない限り、セイバーには意味が無い。多少なりとも対抗できるのは、同じサーヴァントであり、スタンド使いであるンドゥールのみ。
 ゆえに、切嗣は銃を構えて言い放った。

「止まれ、水のスタンド使い。動けば君のマスターを撃つ」

 切嗣は、ソラウに狙いをつけていた。魔術師が2人に、サーヴァントが3体。サーヴァント1体があぶれるため、1人が複数のサーヴァントと契約を結んでいるか、マスターが1人この場にいないかのどちらかだろう。綺礼はアサシンと契約しており、強力なアサシンと契約を結んでおいて、更にもう1体のサーヴァントと契約を結ぶ余裕は無いだろう。ならばソラウがンドゥールのマスターという可能性が高い。たとえンドゥールのマスターではなくエンヤ婆のマスターであったとしても、自分のマスターが撃たれそうになればエンヤ婆がンドゥールを止めるだろう。
 そう考えての牽制だ。だが、切嗣の予想に反し、ンドゥールは躊躇せず【大地と通じる戦慄の水(ゲブ)】を動かし、セイバーへと仕掛けた。

 それを見た切嗣は、こちらもまた躊躇なくソラウを撃つ。ソラウは礼装によって防御したようだが、切嗣の弾丸は特別製。相手の魔術防御に触れるだけで、魔力の流れを狂わせ、魔術回路を破壊する起源弾。その破壊力は相手が使っている魔術回路の強さに比例する。そこまで高度な魔術ではなかったため、魔術回路の完全破壊にまでは至らなかったが、衝撃を受けて魔術が解除されたところに弾丸をくらい、ソラウは血を噴いて床に倒れ込む。演技ではない。ソラウは完全に意識を失くした。
 かくて、生まれて初めての恋に目覚め、愛の為に過去の全てを裏切ったソラウ・ヌァザレ・ソフィアリの第4次聖杯戦争はここで終焉を迎えた。恋焦がれるランサー、ディルムッド・オディナに、その顔と名を、存在そのものを知られることさえなく。

 だがしかし、言峰綺礼も、ンドゥールもエンヤ婆も、ソラウのことなど、全く気にもかけなかった。
 それは切嗣の誤算。ンドゥールやエンヤ婆は、イレギュラー的にキャスター、ジル・ド・レエが召喚したサーヴァントであり、彼らも聖杯を求めて同盟を組んでいるのだと考えていた。聖杯など関係無く、ただアサシンに壮絶な忠誠を誓っていることなど、思いもよらなかったのである。

 そして、水のスタンドがセイバーに到達し攻撃するが、セイバーの生み出す風に阻まれ、彼女を斬り倒すだけの威力を生み出せない。セイバーに当たっても鎧に阻まれるだけで、セイバーはンドゥールの方を見もしない。
 綺礼は礼呪を使い、DIOを逃がそうとしたが、それを切嗣は許さず、サブマシンガンを抜き、綺礼を攻撃する。綺礼は咄嗟に腕を上げて防御し、防弾繊維の編み込まれた神父服で弾丸の雨を防いだが、令呪の発動はできなかった。そしてもう、令呪を使う前に、聖剣は放たれる。
 DIOであっても【約束された勝利の剣(エクスカリバー)】を正面から受けて、無事ではいられない。時を止めるにはまだ少し間が必要である。もうほんの1秒ほどだが、それももはや間に合わない。

「【約束された(エクス――」

 そして、セイバーの必勝の一撃が放たれる。

「【大地と通じる戦慄の水(ゲブ)】よ!」

 それより前に、

「!!」

 ンドゥールが飛んだ。ただ跳躍したのではない。【大地と通じる戦慄の水(ゲブ)】で自分自身を打ち、バットに打たれたボールのように飛ばされ、セイバーのいる場所まで飛ばされてきたのだ。自らのスタンドで受けた衝撃のダメージをこらえながら、ンドゥールはセイバーの前に立つ。

「――勝利の剣(カリバー)】!!」

 放たれた烈光。山をも切り開く高貴な幻想。だが、ンドゥールという名の盾が、ほんの少し、その狙いをずらした。
 剣より放たれた光は、まずンドゥールの胴体に当たり、彼の上半身と下半身を切断して貫き、威力を減じることなく、アサシンへと向かう。だが、僅かながらずれた光は、アサシンに直撃せず、右腕を掠めて通り過ぎて行き、舞台の向こう側に大穴を開け、市民会館の外側まで貫いていった。
 その威力は確かなものだった。掠めただけで、アサシンの右腕が焼き消されるほどに。だが、

「だが、このDIOを滅ぼすことはできなかったなぁ!! 【王の世界(ザ・ワールド)】!!」

 そして、時は止まる。
 右腕を失ったスタンドは、代わりに左腕を振りかぶり、

 ドッゴオァアァァァァッ!!

 セイバーの胸板を、霊核と共に貫いた。

「………時は動き出す」

 時の流れが正常に戻った途端、セイバーの体は観客席に吹き飛ばされ、叩き込まれた。
 砕け散る客席の破片を目にしながら、セイバーは己の敗北を悟り、次に上下に肉体を分かたれたンドゥールへの疑問を抱いた。

「………なぜ、貴方は身をていして………その男を、かばったのですか………?」

 理解できなかった。アサシンは邪悪そのもの。己だけが満足できればそれでよく、他人のことなど気にもしない。芸をした犬に餌をやる程度の度量はあるだろうが、他者を愛することはない。そんな王に、なぜ自身を犠牲にするようなことをしたのか。
 ンドゥールの返答は決まっていた。かつて、過去にも問いかけられたことだ。

「この身を犠牲にすることも、死ぬことも、これっぽっちも怖くないね………。私は、生まれついてスタンド能力を持っていたから、死の恐怖なんて全くない性格だった。どんな奴にだって勝てたし、犯罪や殺人も平気だった……警官だって全く怖くなかったね」

 だがそれは、何も怖くないということは、裏返せば、失うことを恐れるような価値のあるものを何も持っていないということ。命や愛、友人や家族、人としての尊厳といった、他者が大切に思うものに、価値を見いだせない空虚な心の持ち主だということ。

「そんな俺が、初めてこの人だけには殺されたくないと、心から願う気持ちになった。DIO様は、この俺の力を、この世で初めて認めてくれた。この人に出会うのを、俺はずっと待っていたのだ。死ぬのは怖くない。かつても今も。しかし、DIO様に見捨てられ、殺されるのだけは嫌だ。悪には、悪の救世主が必要なんだよ」

 その言葉に嘘偽りは無い。心からのものだった。満足そうに笑うンドゥールに、DIOは歩み寄る。

「見事だった。お前は本当に役に立ってくれた。褒めてやるぞンドゥール」
「ありがたき………幸せ………」
「最後に消える前に……もう一つ役にたってもらおう。先ほどのセイバーの攻撃、直撃は避けられたとはいえ、右腕を奪われた。代わりが必要だ」
「………おお、わかりました」

 ンドゥールはアサシンの言葉の意味を理解し、【大地と通じる戦慄の水(ゲブ)】を動かす。水のスタンドは、ンドゥールの右腕を難なく切り落とした。

「お受け取りください………DIO様」
「うむ」

 アサシンは切り落とされたンドゥールの右腕を拾うと、【世界(ザ・ワールド)】の手刀で長過ぎる部分を切り落として、丁度いい長さに調節してから、自分の右腕の切断面にくっつけた。左手を離すと、右腕は癒着し、DIOのものとして動くようになっていた。

「よし。最後まで、お前は役立つ部下であった。安心して消えるがいい、ンドゥール」
「は………」

 アサシンの褒め言葉を至上の誉れとして受け取り、ンドゥールは消滅した。全てをアサシンの為に捧げつくして。
 その光景は、その凄絶なまでの忠誠は、死を超えてなお変わらない信仰は、セイバーが決して手に入れられなかったものだった。それを、まだ見事と称賛できるライダーならまだしも、セイバーが決して認められぬ邪悪の化身が手に入れている。その事実が、彼女を打ちのめしていた。

「何が………私には何が……王として………足りなかったのだ? わからない………」

 光となって消えていくセイバーが漏らした、その呟きに、アサシンはふと考えを巡らせる。

 セイバー。真名はアーサー王。
 ブリテンの伝説に残る、名高き騎士王。

 伝説はともかくとして、この聖杯戦争で見せた彼女の性格であれば、確かに彼女は公正明大であり、間違いを起こすことの無かった無謬の王だったのだろう。
 私利私欲無く、奪うことなく、侵すことなく、贅沢に溺れず、私情に流されなかった。
 弱者の訴えに耳を傾け、侵略者から国土を護った。
 戦場においては、常勝不敗。その策に誤りは無く、敵対者にさえ騎士の礼を忘れず、約定を裏切ることは決して無かった。正々堂々と戦い、卑怯卑劣と罵られるような真似はしなかった。
 同時に味方に対しても贔屓することはなかった。新参の者であれ、異国の者であれ、人格と能力が優れていれば迎え入れた。古参の者であれ、血族の者であれ、騎士の誇りを違える者は公平に裁き、罰した。
 何も、咎める様なことはない、まさに完璧な王であっただろう。

(それでいて、冷酷であることも心得ていたのだろう。騎士としてしてはならぬことでも、王として、国のためになるなら、九を救うために一を切り捨て、犠牲にすることもあっただろう。そういう合理性がなければ、あの切嗣のような男と、ここまで組んでこられたはずがない)

 見て感じた印象、過去の履歴、聖杯にかける願いから、衛宮切嗣が、正義をなすために、おぞましい邪悪をやってのける男であることは自明の理。
 もしも、セイバーの立場に、あのジョナサン・ジョースターがいたのなら、序盤の時点で切嗣は殴り倒されていたに違いない。たとえ令呪で自害させられるようなことになろうとも、ジョナサンは己の紳士としての誇りを貫いただろう。だが、アルトリアは不承不承ながらも、切嗣をマスターとして戦い続けた。
 切嗣の行動を邪悪としながらも、その目的は正義であると認めた。ジョナサンであれば、どんな立派な目的があろうと、犠牲を出す言い訳にはならないと、否定したであろう所業を、セイバーは理があると認めたのだ。
 どんなに感情が納得いかなくても、理性では切嗣を正しいと判断する程度には、セイバーは騎士道に『凝り固まってはいない』のだ。心や感情、誇りや倫理よりも、理性と効率を優先する、冷徹な判断力が、彼女にはある。

(常に正しく、時に残酷な判断を下しながらも、それらも全て国のため………まさに完璧と言えよう。素直に称賛しても構わない。私には関係の無い、過去のことであるしな。だが、それでもなお国が滅びてしまったのは………)

 それはきっと、やはりどうしようもなかったのだろう。王の完璧さに、人々が次第に反感を抱いていったとしても。王と騎士が理解し合えず、国を割ったとしても。そもそも完璧な王でなければ、ブリテンを統一し、栄えさせることはできなかったのだから。

(どうすれば国は滅びなかったか。それは願いそのものが間違っているのだろうな。どんな国でもいつかは滅ぶものだ。この世に永遠などないのだから)

 このDIO以外は、と心の中でうそぶきながら、アサシンはアーサー王の過去を、その伝説を想い浮かべ、ふと、アーサー王に似ている人物を連想し、眉をしかめた。

(公正明大。慈悲深く潔癖。咎人さえも許し、愛しさえする甘さ。そして、我が子に裏切られ、殺される最期………思い出してしまった。あの、ジョージ・ジョースターを)

 ジョージ・ジョースター。ジョナサン・ジョースターの父親であり、アサシンを養子として引き取り、血を分けた我が子同様に、愛をそそいだ人物。アサシンの父親であるダリオ・ブランドーが、妻や自分の持ち物を盗んだ罪人であると知ってなお、その罪を許し、アサシンが長年の恩を裏切り、ナイフを突き立てて死に至らしめてなお、アサシンを愛した。
 そんな、聖人もかくやというような、慈愛の人。ジョージ・ジョースター。

(このDIOには理解できない、忌わしい男であったが、奴ならば『やり直し』を望んだだろうか?)

 否、望まなかっただろう。たとえ非業の死を迎えるとあっても、ジョースター家とDIOの1世紀を越える因縁を知ったとしても、ジョージ・ジョースターはやり直しを望まなかったであろう。
 やり直すということは、ジョナサンとDIOの人生を変えてしまうということだ。あの『父親』が、息子の人生を変えるような身勝手をするとは思えない。

(ああ、そうか)

 DIOは、セイバーの願いの歪みを悟ったと思った。

(こいつは、つまり『子離れのできていない親』なのか)

 王として国に責任を負うのは当然だが、彼女は背負い過ぎている。王国の民も、騎士も、彼らの人生の責任の全てを、セイバーは背負おうとしている。自分がしっかりしていれば、彼らは幸福だったのだと。
 それは違う。彼らはそれぞれが生きて、それぞれが己の人生に責任を負っていたのだ。彼らの人生は彼らが背負うものであり、王であってもそれを肩代わりできないし、してはならない。その責任を代わりに背負うのは、人生を奪うことに等しい。大人になった子供に対し、親が何かにつけ口を出し、仕事や結婚相手を勝手に決めてしまうようなものだ。
 子供はいずれ親を離れる。子供には子供の人生がある。それは勝手に否定し、やり直して変えていいような物ではない。セイバーは責任感が強過ぎて、そのことを見失っている親のようなものだ。

(それを言ってやるか……いや、そこまでする必要もないか)

 助言となるようなことを言ってやるほど、アサシンは優しくはなかった。ゆえに、

「くだらん。人にはそれぞれ適材適所がある。王には王の、料理人には料理人の生き方がある。王としての生き方がわからないと言うのなら………もともと貴様は、王になる器ではなかったのだ」

 アサシンの言葉に対し、もはや何かを言い返す気力もないセイバーは、悲嘆に暮れて、涙を流して消えて行く。アサシンはそれを、嘲笑で見送った。

「さて………」

 セイバーが消えた後、そこに残された聖剣の鞘を見つけ、アサシンはそれを取ろうとする。切嗣はそれを見ていながらも、殺気を向けてこちらを威嚇する綺礼の存在があるために、手を出せない。
 アサシンの手が、鞘に触れようとした時、

「【ザ・ハンド】!!」

 鞘が突如として消える。観客席の上の方で、たった今、この場に到着した億泰が、鞘を瞬間移動で引き寄せたのだ。舞弥が引き寄せられた鞘を持ち上げ、形兆が周囲に【バッド・カンパニー】を展開する。
 綺礼たちの注意が逸れたと見て、切嗣は2階ボックス席から、1階に飛び下り、魔術強化した足で、難無く着地する。

「まだやるのかな? 君らのサーヴァントは消えてしまったが?」
「他にも残っているサーヴァントはいる。ランサーやバーサーカーのマスターを排除するか、人質に取るかをして、契約を僕へと結び直させる手もある」
「なるほど。まあ好きにやってみるがいい。衛宮切嗣………君の相手は綺礼がしたいそうだから、私は手を出さない。綺礼を倒せば、チャンスはまだある」

 己のマスターが敗北する可能性がありながら、アサシンはその可能性を恐れてはいない。たとえ綺礼が本当に殺されてしまったとしても、サーヴァントでなければ完成した聖杯を手にすることができない。今ここで切嗣が聖杯を横取りする方法は無く、マスターが死んだとしても、そこいらの人間から『魂喰い』をすれば、現界し続ける魔力を補充することは可能だ。

「む?」

 そこで、アサシンは舞台の上に目を向ける。舞台の上では、アイリスフィールの体が突如して発火し、燃え出していた。もともと限界であったアイリスフィールの肉体が、ついに形を保っていられなくなり、完全に聖杯と成り変わったのだ。
 アイリスフィールは死に、肉体は炎の中に滅び、後に生み出されたのは、美しく黄金に輝く『杯』一つ。

「ほう……あれが『聖杯』か。……おや?」

 アサシンは、金色の聖杯から、何か黒いモノが湧きあがっているのを見た。黒い、泥のようなモノ。それは急速に聖杯の内を満たし、溢れ出す。
 黒い泥は聖杯の外に零れ落ち、舞台の上を侵食していく。

「なんだ。何が起こっている」

 切嗣にも、それが異常事態であるとわかった。聖杯から湧き出る黒い泥は、見ただけでおぞましさに背筋が震えるような、不気味さがあった。
 黒い泥は見る見る内に舞台上に溜まり、舞台を侵し、崩し、破壊した。床が抜け、舞台の下の階にある大道具倉庫まで貫く大穴が、音を立てて開く。

「ははあ……あれが【この世全ての悪】とやらか」

 アサシンが訳知り顔で頷く。困惑した切嗣の顔を見たアサシンは、面白そうに説明した。

「何も知らないようだから教えてやろう。あの聖杯は、既に狂っているということだ。第3次聖杯戦争において、アインツベルンが召喚したサーヴァント・アヴェンジャーによってな」

 第3次聖杯戦争で、神霊を召喚するというルール違反を犯そうとしたアインツベルンは、最も殺人に長けた神霊として、ゾロアスター教における絶対悪、邪神アンリマユを召喚しようした。だが、それは叶わず、【この世全ての悪】を押し付けられて、生贄となって死んだ、並みの人間の霊が召喚された。ただの人間であったアヴェンジャーに戦う力などあるはずはなく、この最弱の英霊は一番先に聖杯戦争から脱落した。

「だが、その悪の概念は、聖杯に吸収された結果、聖杯を侵食してしまった。結果、もはや聖杯はまともに願いを叶える機能を失った。おそらく、歪んだ形でしか願いを叶えることはできない。このDIOや、キャスターのような英雄とは言えぬ邪悪を召喚したのが、聖杯が狂っている証拠と言えよう。あの黒い泥は、【この世全ての悪】の欠片のようなものだろう」

 それが、アサシンが臓硯から聞いた情報だった。切嗣にとっては、初耳の事ばかりだが、その見るだけで吐き気を催すドス黒い泥の存在は、アサシンの言葉を信じさせるに足るモノだった。

「では………もしこの聖杯に、人類が闘争を起こさないことを願うとすれば」
「そうだな。人類を殺し尽くせば、もう人類が闘争を起こすことは無い。そのように願いを叶えるのではないかな?」

 切嗣は、目の前が真っ暗になるような感覚を覚えた。自分が妻を犠牲にすることを前提にして挑んだ聖杯戦争。今までに愛する人たちを殺し続けてきた自分が、ようやく報われると希望を抱いて掴もうとしていた聖杯。それが、このような物だとは。

「『二人の囚人が鉄格子の窓から外を眺めたとさ……一人は泥を見た。一人は星を見た』。私は王として泥を見下ろすが、お前は希望の星を見ようとしながら、敗者として泥を見つめるはめになった。哀れなものだな」
「これでは、これではどうしようも………僕の、やってきたことは」

 絶望に崩れ落ちそうになる切嗣だったが、

「だがこれなら申し分あるまい。我が願い、これならば叶うだろう」

 続いて耳に入ってきたアサシンの言葉に、顔を上げた。蒼白の顔で、切嗣は問いかける。

「何を、言っている……? こんな、こんなものに、一体何を願うというんだ?」
「ん? セイバーにはアーチャーやライダーも交えた問答で、明かしたはずだが、聞いていないのか。まあいい。もう一度言ってやろう」

 なおも黒い泥を吐き続ける聖杯を指差し、アサシンは答える。

「私の聖杯への願いは、『ジョースターの抹殺』。この聖杯であれば、この願いを確かに叶えるだろう」

 確かに、もとより他者を殺すと言う『悪しき願い』ならば、この聖杯は容易く叶えるだろう。しかし、溢れるほどの魔力と悪意の奔流が、暴走しないという保証は無い。

「こんなものを使えば、ただお前の敵を殺すだけでは済まない! 下手をすれば全人類を滅ぼしてしまうかもしれないんだぞ!?」
「ああ、そうかもしれないな」

 曇り空の日に外出しようとして、『雨が降るかもしれない』と言われた時に答えるような、軽い口調でアサシンは言葉を返した。切嗣に語りかけながら、その足はコンサートホールの出口――外への出口に向かっている。

「だが人類が滅んだとして、その人類の中にジョースター一族が含まれているのなら、私はそれで問題無い」

 切嗣は、更なる絶望感を味わった。この男は本気で言っている。本気で、人類を滅ぼすことに、何の抵抗も感じていない。罪悪感など欠片も抱いていない。仇敵を殺すついでに人類を滅ぼすという無茶苦茶に、何の疑問も持ってはいない。

「後に人手が必要になるようなら、屍生人(ゾンビ)として黄泉還らせるまでのことだ。さて………綺礼よ。待たせてしまったが、そろそろその男を殺してもいいぞ。私は外に出よう。そろそろ、残りの生贄たちが集まってくる頃だ」

 アサシンはコンサートホールの扉を開き、最後の戦場へと出て行った。
 奇跡と未来、運命と世界、真なる勝利をその手にするために。

『あと一度だけ、奇跡は起こるだろう。優しい声で描く、歪んだ未来』

    ◆

 少し前まで切嗣が待ち伏せをしていた柳洞寺に、矮躯の老人が一人、じっと動くことなくたたずんでいた。
 その老人、間桐臓硯の口元は、喜悦の笑みが張り付いていた。

「さてさて………雁夜めはどうやったのか、蟲どもの排除に成功したらしい。思いのほかしぶといではないか」

 そう呟きながら、雁夜が勝ち残るとは欠片も期待していなかった。最初から、雁夜が聖杯を手に入れるなど思ってもいない。ただ雁夜が戦いの中で擦り切れ、苦しみ、最後には何も手に入れられずに惨めに死んでいくのを眺めて、愉しみたいだけだった。

「まあ、わしの目を逃れたからと言って、あの屑めに何ができようものか。もはや見物する価値もない。放っておくか」

 しかし、臓硯は既に雁夜の不幸を味わう気が失せていた。それよりも、今はエンヤ婆への魔力の供給が重要だ。既に今日は、一度固有結界を使ったことで、魔力の消耗が著しい。
 冬木最大の霊地であるここで、魔力を大地から吸い上げて、少しでも魔力を補充できるようにしているのだ。

「市民会館にも蟲を放ってはいるが、これでは覗き見る余裕も無いのぉ。最後の戦いを見れぬのは残念ではあるが、仕方ないか」

 たとえ余裕があったとしても、最も興味深いアサシンの戦いに関しては、使い魔では見ることはできない。アサシンのスキル、【探索妨害:A】は、使い魔の目をも使いものにならなくする。

「まったく惜しいのぉ……」

 少し本気で悔しがりながら、臓硯は空を見る。特にいつもと変わらない、星の輝きの鈍い、都会の空だ。だが、今夜の空は、腐った血の臭いがするような気がした。地獄の釜の蓋でも開いたような、おぞましい空気の流れ。
 それが、臓硯をどうしようもなく、ウキウキと心躍らせ、血を沸き立たせるのだった。

『もう誰も泣かない世界の為に、紅く汚された空の、何処にも届かず消える、叫びと祈り。慰めは捨てて行ける』

    ◆

「何だアレ………」

 ウェイバーが呆然と呟く。隣に立つランサーも、自動車から降りようとしていた雁夜やブチャラティたちも、言葉も出ずにそれを見つめていた。

 彼らの視線の先に在るのは、天に開いた、『孔』。月も星も、それから放たれる過剰な魔力に隠され、光を失っている。夜の闇よりもなお、暗く、深い、さながら黒い太陽。
 それは、この場と、円蔵山の地下にある『大聖杯』とを結ぶ、空間のトンネルであった。その奥には、地脈から魔力を取り込み、英霊の魂を吸収し、想像も及ばぬ膨大な魔力の塊がある。
 空もとてつもない異常だが、ウェイバーは地上の方を見て、そちらの惨状にもまた呆然とする。

「とんでもないことになっているじゃないか。何か燃えてるし」

 雁夜の体の内部に巣食う蟲たちを根絶やしにした後、ウェイバーたちはこれからの行動や、残るサーヴァントへの対策を練り、話しこんでいた。そして、夜も深くなった頃、ウェイバーが要所に放っていた鼠の使い魔の情報で、冬木市民会館で戦闘が起こっていることを知り、ここに駆けつけたのだ。

「タンクローリーを突っ込ませたみたいだな。参加者でこんな真似をするのは、アインツベルンの衛宮切嗣しかいないだろう。アサシンが先にこの霊地を手に入れ、そこにセイバー陣営が乗り込んだようだ」

 ブチャラティが状況を分析する。ウェイバーが、もうセイバーとアサシンの勝負は決着したのかと考えていると、正面口で燃え盛る炎の奥より、人影が現れた。

「来たか………ランサーにバーサーカー、手を組んだのか」

 呟きが耳に届き、ウェイバーは勝利者がどちらかを知る。炎を割り裂くように歩むその姿は、最優のサーヴァントの戦いを経ても、消耗は見られない。

「だが、何をしようと無駄なこと………最後に勝つのは、このDIOだ」

『奇麗な月の光が始まりへと沈み行く。その彼方へ』

   ◆

 衛宮切嗣。ありえないモノを欲し続けて、多くの幸せを捨てて、戦い、殺し続けてきた男。

 言峰綺礼。欲するモノを求め続けて、幸せを理解することができず、喘ぎ、彷徨い続けてきた男。

 そして二人は対峙する。結局のところ、彼らにとってこの戦争の今までは、劇の本番が始まる前の前奏曲にすぎなかった。全てはこれから始まる、相反する二人の、不倶戴天の仇敵同士の、決着の為にあったのである。

「もはや聖杯は意味が無い。だが、その聖杯を誰かに使わせるわけにはいかない。アサシンには特にだ。僕はどうしてでも、アサシンを止める」
「ならば、アサシンのマスターである私を殺さねばならないな。いいぞ。存分に殺し合おうとしよう」

 切嗣は、先ほど絶望を味わった人間であるとは思えぬほどに、強い視線と声で、綺礼に挑みかかる。
 これからアサシンが行おうとしていることを想えば、絶望などしてはいられない。絶望を超えられるほど、切嗣は強い人間ではない。切嗣は弱い。それでも今まで戦って来た。今回も同じようにするだけ。絶望を超えるのではなく、絶望を切り捨てる。排除する。削除する。
 かつて、魔術の実験を暴走させて、多くの被害を出してしまった父を殺したように。
 かつて、被害を最小に抑えるため、生き残ろうとあがく、師であり、家族であった女性を殺したように。
 今日、己の願望を叶えるために、愛しい妻を見殺しにしたように。
 心を捨て、機械のようになる。機械は絶望したりしない。ただ動き、役割を果たすだけ。
 いつものことだ。

(ああ、ブチャラティ。結局、お前の言うとおりだった。僕は生きながらにして死んでいる。戦う勇気も無く、ただ動いているだけ。それでも、為すべきことを為そうとしたが、やはり間違いは間違いだった。全て、お前の言うとおりだ、ブチャラティ。だが……だがせめて……こいつは僕が止めよう。お前が、僕を止めようとしたように、せめて、間違っている者同士だけの、決着にしてやる)

 対して、綺礼は常とは違っていた。今までも戦ったことはある。殺したことはある。
 だが望んでのことではなかった。何も感じなかった。空虚だった。戦闘の高揚も、罪悪感も、使命感も、何も無く、ただ行動しただけだった。
 だが、今は違う。
 切嗣という、自分が感じられなかった幸せを得られる権利を、全てドブに捨てるように生きてきた男を、綺礼はどうしようもなく許せなかった。どうしようもなく憎く、その存在を消してしまいたかった。そして、そんな想いが、どうしようもなく、愉しかった。

(抱いてはならない感情。嫉妬、憎悪、憤怒、殺意、その全てがこんなにも私の心を弾ませる。浮き立たせる。初めてだ。こんなにも満たされているのは。DIOよ。感謝する。切嗣と戦わせてくれたことに感謝するぞ! 私は、今、確かに、幸福を感じている!)

 相反する二人。

 彼らの周囲には、互いに味方となる者はいる。彼ら以外にも戦う者はいる。それでも、やはりこれは、彼ら二人の戦いなのだ。

『閉ざされてく瞳で、まだ遠くへ手を伸ばす、君の嘆きを』

   ◆

 その日、冬木は異常な熱気に包まれていた。風の途絶えた重い空気は、苛烈なまでの太陽によって熱され、その熱は夜になっても冷めなかった。
 そんな眠るに不向きな夜の中、一人の少女が不安を抱えていた。
 彼女はつい先日に発生した、幼児行方不明事件の中で、帰ってきた数少ない子供の一人であった。行方不明になった日の翌日、警察に保護された。だが、彼女自身はいつどのように姿を消し、いつどのように戻ったか、まったく憶えていない。
 けれど、夢で見たようなおぼろげな記憶ながら、胸に焼き付いている情景がある。

 暗く狭い空間に押し込められ、激痛と共に解放された後に、薄眼を開けることができた一瞬、すぐにまた意識を失ってしまったけれど、見えた光景。

 黄色い槍を折り砕く、悲痛な覚悟の面持ちさえも、美しい青年。
 泣くのを我慢するような、みっともない顔つきで、それを見守る少年。

 女性として見惚れるべきは、逞しくも麗しい青年の方だろう。けれど、少女がより強く憶えているのは、少年の方だった。
 彼は決して何かに優れているわけではない。同じように、至らないことばかりで、頼れる友人に助けてもらってばかりの自分だから、それを感じ取れた。
 けれど、少年は頑張っている。苦しいのを耐え、みっともなく見えながらも、なけなしの意地を張って、涙をこぼさずに頑張っている。それがわかった。
 頑張って、そして自分を助けてくれた。記憶は無いけれど、それが理屈ではなく、心で理解できた。

「なんて名前の人なんだろう……」

 名前がわからないのが、なんだかとても悲しい。けれど、それ以上に、彼のことを想うと勇気が湧いてくる。

 彼女の親は、この冬木で連日起こる事件にすっかり参ってしまっていて、この異常気象も、更なる何かの前触れではないかと怯えている。
 彼女も怖い。それでも、絶望はしない。

 きっと彼が、戦っている。自分を助けてくれたように、耐えて、意地を張って、頑張って、戦っている。
 だからきっと大丈夫だ。

 彼女はベッドに入り、目を閉じる。

 今日という日が終わり、そして明日がちゃんとやってくることを――

『信じて』




 ……To Be Continued
2014年01月19日(日) 22:03:52 Modified by ID:i1ccmlFUOQ




スマートフォン版で見る