人外だらけの聖杯戦争16
人外だらけの聖杯戦争16 別離
イリヤは自分の居場所が大海に浮かぶ巨船の上ではなく、月明かりが煌々と照らす寺の境内であることを理解し、しかしその意味を掴みかねておろおろと周囲を見回した。しかし数十秒もしたところで、手の甲に刻まれた令呪の紋様が、掠れて消えていこうとしている気付き、意味もまた理解してしまった。
「バーサーカー………」
その声は迷子の子供が親を呼ぶようで、実際同じようなものだった。
「バーサーカー!!」
令呪が消えきった後、イリヤの体に重圧が感じられた。物理的なものではなく、厳密にいえば重みともまた違った感覚だが、重荷であることは確かだ。
それはバーサーカーそのもの。聖杯戦争から脱落したサーヴァントは、聖杯の依代であるイリヤに注がれる。そしてため込まれた魔力によって、聖杯は完成し、あらゆる願いを叶える願望機となって降臨する。
そして、これはバーサーカーも知らないことであり、知っていたらまた違った行動を取っていただろうが、聖杯が完成すれば十中八九、イリヤは死ぬ。完成した聖杯に、イリヤの肉体は耐えきれないからだ。
だが己の死よりも、イリヤはただバーサーカーとの別離が決定的となったことを嘆いた。今、自分の中に入ってきたものが、バーサーカーであると彼女は確信していた。間違うはずはない。彼はイリヤにとって特別なのだから。
バーサーカーとの出会いは最低の部類であったし、その性格は下品で助兵衛であったが、それでもバーサーカーが自分を純粋に好いていてくれることは伝わってきていた。アインツベルンの使用人であるホムンクルスの中には仲のいい相手もいるが、彼らとも違った意味がバーサーカーにはあった。
アインツベルンとは関係のない、イリヤだけの騎士。イリヤのためだけの守護者。そんなこの上なく贅沢な存在であった。最後まで。最期まで。まったく、頭にくるほどに、頼もしく強く、優しい狂戦士であった。
「ううう………うう………」
嗚咽を漏らすイリヤであったが、悲しみにふける猶予を与えてくれるほど、この世界も、彼女自身の運命も、慈悲あるものではなかった。
ジャリッ
玉砂利を踏む音が、イリヤの背後から響いた。
(ああ………そうだ。私の中に入ってきたのはバーサーカーだけ)
つまり、あの場にいたサーヴァントは全員生きているということ。
『断っておくが……今の私は、さっきまでお前と戦っていた私とは、また違う私だ』
背後からかけられた声は、忘れもしない、あの異様なるサーヴァント、『フー・ファイターズ』のものだった。
イリヤがゆっくりと振り向くと、黒い針金のような細い体つきの怪人が、右手に焼け焦げた慎二の頭部を掲げて立っていた。
『さっきまでの私は、バーサーカーの自爆のエネルギーに焼き尽くされてしまった。それでもこのバオーを護りきったから、どうにか目的は達成できたがね』
「………そっか、バーサーカーの固有結界の中で見せた増殖………それね。たくさんいるわけだ。あなた」
『まあな。一つの意志を共有する、無数の肉体こそが我が能力。私はかつてのアーチャーのように無敵でもないし、セイバーのように最強でもないし、ライダーのように究極でもないが、無限である』
「かつて……? あなた、まさか前回の聖杯戦争のサーヴァント………?」
『惜しい。私はサーヴァントではない』
おどけたように肩をすくめ、首を振るフー・ファイターズ。意外と彼はお喋りが好きなのかもしれない。
『私は【宝具】だ』
第4次聖杯戦争のライダー。当時の聖杯戦争で、最も未熟な魔術師に召喚された彼の宝具は、中々に特殊であった。
ライダーは複数の強力な宝具を持つことを特性とするのサーヴァントであるが、彼の場合、一つの宝具しか持っていない。ただその宝具の機能を変化させる。そして、一度変化した宝具はもう二度と以前の宝具の機能を発揮することはできない。その代わりか、3段階ある宝具の機能のどれもが非常に強力であった。
宝具の変化前、最初から所有している宝具は、スタンド【魂奪いし呪われの蛇(ホワイト・スネイク)】―――生物の肉体を溶かし、身体能力や才能、記憶などをDISCとして取り出せる。その副産物として幻影を生み出すこともできる、多様な応用を利かせられる能力。
2段階目は、【宇宙の支え外す新月(C・MOON)】―――重力をコントロールする能力。周囲の重力を操作し、物体が横に向かって落ちるようにしたり、殴ったものの重力を反転させることで、その物体を裏返して破壊したりできる。人間だったら、皮膚が剥がれ、内臓が噴出して死を迎える。より殺傷力が高く、攻撃的な能力へと変化した。
そして3段階目にして究極の能力は、【世界の果てに座す天国(メイド・イン・ヘブン)】―――重力操作により、天体の重力さえ利用し、複合効果によって宇宙全体の時を加速させることが本来の能力であったようだが、もはやそれは魔術用語でいう、『根源の渦』にまで到達する。
万物の始まりにして終焉。この世の全てを記録し、この世の全てを作れる神の座。あらゆる出来事の発端とされる座標。魔術師たちにとっての最終目標である『根源の渦』。ライダーやアーチャーは、それを『天国』と呼んでいたが、そこに到達するための能力。
とはいえ、その力までは再現しきれなかったらしく、ライダー自身の時間を加速させ、光速に近い速度で移動する程度の能力になっていたようだ。
ライダーは生前の親友であったアーチャーと接触して同盟を組み、部下となるサーヴァントを召喚する能力を持ったキャスターに対抗し、スタンドDISCを埋め込んだ部下を増やしていった。
セイバーとの戦闘の際、ライダーは3段階目にスタンドを進化させた。【宇宙の支え外す新月(C・MOON)】は一撃必殺の能力だが、セイバーの再生能力には通用しなかったためだ。結局のところ、ライダーはセイバーに敗北したのだが。
フー・ファイターズは、キャスターへの対抗策の一つとして、【魂奪いし呪われの蛇(ホワイト・スネイク)】の所有していたDISCから生み出された。準サーヴァント、疑似サーヴァントとでもいえる存在だ。アーチャーがライダーから貸し与えられ、言峰綺礼が部下として使っていた。
ライダーの消滅と共に、フー・ファイターズも消えていたはずだったが、綺礼の小細工によりその後も現界し続け、更なる偶然によって聖杯戦争が終わってなおも存在し続け、今に至る。
『第4次聖杯戦争のライダーが使った宝具を核として、プランクトンがスタンド能力と知性を得ることで生まれた疑似サーヴァント。そして更なる改造、変異が加えられた結果、生物でもサーヴァントでもスタンドでもなく、その全てである私がいる』
慎二の頭を右手で食らい、フー・ファイターズはイリヤに手を伸ばす。
『私は何者なのか? 道具として生まれ、使われ、存在し続ける私は、一体何のために生きているのか。生きるとはなんだ? お前にはわかるか? 私と同じ存在よ』
フー・ファイターズの声の質が変わった。哀しみとは少し違う。しいて言うなら虚しさか。
イリヤは問いに答えられなかった。同じといえば、確かにイリヤとフー・ファイターズは同じなのだろう。だが決定的に違う何かがある。それを感覚で悟ったからこそ、イリヤには何も言えなかった。
『いや………問う必要もないな。聖杯に願えば、わかることだ』
このままイリヤを気絶させて連れていく。そう考えたところで、フー・ファイターズは疑問を抱いた。
(バーサーカーの自爆によって、すべてのサーヴァントは聖杯に注がれたはず。なのになぜこいつは、まだ生きていられる? なぜ聖杯は現れていない?)
答えはすぐに出た。
「Fixierung(狙え),EileSalve(一斉射撃)!」
黒い腕が砕け飛び、フー・ファイターズが飛び退いた。
『ちぃっ!!』
魔弾によって砕かれた腕を再生させながら、フー・ファイターズは更に距離を取る。その目には3人の人間と、4体のサーヴァントが映っていた。少しばかり汚れ、髪や服がチリチリと焦げているが、命にはなんら別状はなさそうだ。
「さて……どうする? まだやる?」
凛が指をフー・ファイターズに向けたまま言う。その顔には相も変わらず挑戦的な笑みが浮かんでいた。
『いや……ここでやる理由は無いな。私が勝つのは、次の戦いの時だ』
思いのほかあっさりと諦めると、フー・ファイターズは闇に溶け込むようにその場から離れ、姿を消した。
「とりあえず……今夜は終わりかしら」
凛が構えを解いて、息をつく。
「いや……」
葛木が首を横に振った。
「まだ残っている」
葛木の肩に乗っていたキャスターが、体から淡い光を放っていた。
「……消えるのか」
『そうみたいだな』
他人事のように言うキャスター。その体が分解されていく。光となり、大気へ散り、消滅へと向かう。
「何が起きてるんだ………?」
士郎だけが、キャスターの状況がわからずに疑問符を浮かべる。
「魔力の使い過ぎよ。元々、マスターから魔力供給を受けてもいないのに、あれだけのことをすれば、自分自身を保つための魔力も失い、こうなることはわかっていたでしょうに」
凛は悔しさを交えて説明した。
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魔術師にもサーヴァントにも、誰にもどうすることもできなかった、あの大爆発の瞬間、瞬時に対応したのはキャスターであった。それは考えての行動ではなく、本能によって導き出された解決方法。
『【大気操る彷徨える本能(ストレイ・キャット)】!!!』
前足が変化した二枚の葉。それを中心に爆音にも負けずに轟く、二対の空気の大渦が発生した。
右の葉から発生した左向きに回転する大渦。
左の葉から発生した右向きに回転する大渦。
二つの大渦によって空気が歪み、正面からキャスターを見る者がいれば、キャスターの姿がまるで山のように巨大に見えたことだろう。
一つだけでも家一つは楽に吹き砕けるほどの威力を持った大渦が二つ、巨大な爆発が迫りくる前方に向けて発射される。二つの大渦の隙間の空間は、もはやいかなる存在も立ち入れぬ圧倒的破壊空間となり、英霊の命を賭した爆発さえも薙ぎ払った。
それは、かつて無数の勇者たちを屠り去ってきた、最強の超生物の必殺奥儀とまったく同様のものであった。1万年以上を戦いに明け暮れてきた天才戦士は、この技をこう名付けた。
『神砂嵐』と。
風を操る者としての最強の攻撃によって、バーサーカーの爆発は迎え撃たれた。竜巻は炎を薙ぎ飛ばし、士郎たちを護りきったのだ。
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だが、命を賭した行為は、やはり命を賭けなければ止められないということか。キャスターはどんどんその姿を薄れさせていく。
「……キャスター。すまなかった」
『まったく世話の焼けるマスターだったぜ。けどまあ、一緒の生活は、結構悪くなかったぜ』
キャスターに続いて、葛木の腕に抱えられたライダーからも、光が立ち上る。マスターであるキャスターの消滅に呼応し、ライダーも消えようとしているのだ。
『悪いなライダー』
『しかたぁぁぁないぃぃ。マスタァァァァのぉマスタァァァァのためぇぇならぁぁ』
間延びした声を出し、亀は大人しく消滅に身を任せた。
「私も……お前たちとの生活は、悪くは無かったと、そう思う」
『当たり前だ。この俺と一緒にいて、悪いなんて言ったらぶっとばすぞ?』
最後まで軽快な口を叩き、キャスターとライダーはついにその最後のひとかけらまで光となって、この世から消え去った。
こうして、第5次聖杯戦争における正式なサーヴァントは、セイバーとアサシンの2体だけとなった。
……To Be Continued
2010年07月18日(日) 00:11:33 Modified by ID:P58hRsZsNg