「'89-'94 The Second Summer of Love in Japan ?」

2006/12/23放送「'89-'94 The Second Summer of Love in Japan ?」



出演:鈴木謙介、佐々木敦、津田大介(ゲスト)

※以下の発言まとめは、正確な番組での発言とは異なる場合があります。

MP3その1


鈴木:初回ではバブル、あと95年以降もテーマにしたけど、今日は時代シリーズの第三弾「89年から94年」がテーマ。今日は黒幕長谷川プロデューサーも参加。

今日からハガキ読まれた人は特製バッジをプレゼント。

〜曲 Northside “Take5”

鈴木:サブパーソナリティ紹介。佐々木敦さん。89年って何歳でした?

佐々木:89年は25歳。89から94だと、ちょうどフリーランスになって自分の事務所を作るまでくらいの、一番忙しかった時期。

鈴木:ゲストはジャーナリストの津田大介さん。89年は何歳?

津田:89年は高校に入った年、一浪して93年大学入学、94年初めてネットに触った。

鈴木:青春の多感な時期で、ネット以前という。

メール、89年に大物が相次いでなくなった。昭和天皇、手塚治虫、美空ひばり。追悼番組ばかりだった。一方でベルリンの壁が崩れて新しい時代が始まる予感がした。調べてみたら、ベストテンが終わったのもこの年。

メール、89年昭和天皇崩御、秋篠宮ご成婚などあって祝福ムードに。元号が「平成」に変わったのが新鮮だった。平成を冠したものがたくさん出てきた。

89年、平成元年、冷戦終結。象徴的な年だった。自粛ムードとか覚えてるけど津田さんは?

津田:ベストテンの話があったけど、歌謡曲の時代からイカ天とかバンドブームとかの流れになったのが印象的。

鈴木:佐々木さん、歌謡曲がJ-POPになっていくのがこの時代?

佐々木:そうですね。まだこの時期だと歌謡曲だったと思うけど、90年代に入ってからJ-POPって言い方が普及していく。80年代を通じてインディーものみたいなのが普通の人にとっても受け入れられやすいものになっていったって言う下地があって、90年代になって渋谷系とかになっていくんじゃないか。

鈴木:基礎的なことなんですけど、インディーズって何ですか?

佐々木:定義上は流通の仕方がメジャーの流通じゃないものは全部インディー。今はほとんどメジャーと同じ流通に最後は乗ってしまう。NRCってとこ。だからインディーとメジャーの違いってほとんどイメージだけ。

津田:メジャー資本のインディーとかありますからね。

鈴木:一時期、モンゴル800が売れたときに、インディーズなんでTSUTAYAにはおけませんって話になりましたけど。

佐々木:その頃から、もっとインディーズでもバカ売れするものは無視できなくなったよねっていうことで、メジャーとインディーの差がなし崩しになっていった。

津田:流通の違いは大きくて、あの頃ホントにインディーズのCDは買えなかった。

佐々木:インディー専門ショップとかあったよね。下北とか。

津田:池袋サンシャインの地下にあった新星堂とか。情報がない時代だから、そこにコミュニケーションノートがあって、それで交流してた。

鈴木:コミュニケーションノートって、あのゲーセンに置いてあるような?

津田:そう。そこで90年から91年くらいに、ルナシーのCDを入れろっていう要望が30ページくらい続いてたことがあって、それからしばらくしてメジャーに出てきたとき、ああこれがあのバンドだったのかっていう。

鈴木:いまだと2ちゃんねるで盛り上がってるみたいな。

メール、高校生から大学生の時期だったが、いわゆるサブカルチャーにはまりまくってた。セーラームーンやスト2。洋楽レンタルの騒動、著作権の関係で、洋楽のレンタルができなくなった。ただレンタル落ちの中古CDが大量に流れて、洋楽一辺倒になっていくきっかけにもなった。

洋楽レンタル騒動って何ですか津田さん。

津田:向こうのメジャーレコード会社が、日本だけでやってたCDレンタルの仕組みを目の敵にして、外圧でそうなったっていう。レンタルは定着してたんだけど日本のレコード業界と手打ちでやってたんだけどね。そういう風にはならないよって文化庁は言ってたんだけど、蓋を開けてみたら強行されてしまったっていう。一時期の輸入盤騒動に通じるところ。

佐々木:10年くらいたってCCCDになって返ってきた。

鈴木:それが92年くらいですか。僕は洋楽が聴けなくなった時期。

津田:僕もこのころ洋楽が聴けなくなって、中古CD漁り、レンタル卒業のきっかけになった。

鈴木:メール、セカンド・サマー・オブ・ラブ、マンチェスターブームを思い出します。日本のセカンド・サマー・オブ・ラブ系ってアニメ系と繋がりがあるよね。洋楽が大きい位置を占めていた最後の時代。

メール、舶来が輝いていた最後の時代。その後の国産万歳は、渋谷系が準備したもの。元ネタの洋楽への言及を引くと、気恥ずかしくない邦楽でしかないから。

セカンド・サマー・オブ・ラブって何ですか長谷川プロデューサー?

長谷川:80年代の終わり頃、イギリスとかイビザ島とかから始まったダンスミュージックのムーブメント。ハッピーな雰囲気、ドラッグとも関係してたけど、そういう明るい雰囲気があって、それが発展して、ロックの方では今日もずっと僕がセレクトした曲を掛けてるんだけど、ストーンローゼズとか、ハッピーマンデーズみたいな、踊れるロックのムーブメント、マッドチェスターっていうのが80年代の終わりから90年代の初めにかけて、ハッピーな雰囲気があった。
それを日本で受けて、一部の雑誌が日本で紹介したのを真に受けた世代が、90年代っていうのは何か新しいことが始まるんじゃないかっていう期待があった、というやや妄想じみた思いがあってタイトルを付けたんだけど。

鈴木:津田さんはマッドチェスタートかレイブってどうですか。

津田:ちょうど洋楽レンタルを卒業してCDを買い始めた時期がドンピシャで。実家が帰宅だったので地元が池袋なんだけど、池袋にあったWAVEに、学校帰り、浪人中は毎日そこに行ってCDを漁ってた。ちょうどそんとき重要だったのが「ビートUK」っていう深夜番組。そこでかっこいいバンドがあったらWAVE行く。そこになかったら新宿行って、渋谷行って、みたいな。

長谷川:WAVEとかビートUKはメールにも書いてる人が。

鈴木:その頃の思い入れを一曲。

津田:マイブラッディーバレンタインでYou Made Me Realize。高校生の頃バンドやってたんだけど、オリジナルをやり始めるときに、色々聞きたくなってWAVE行くと、こういうテクノとロックがクロスオーバーしたようなバンドが出てきてた。マイブラは最初聞いたときすごい衝撃を受けた。

MP3その2


鈴木:メール、90年代前半、ドラマと主題歌のメガヒット。
メール、若貴ブームの頃
メール、チーマーの存在を知ったのが90年頃、音楽だと「インディーズ最後の大物!」って安易な一儲けを狙ってたレコード会社

今で言うとIT社長みたいな感じで力士がもてた。あとJリーグ。いろいろ流行もので言うとここから始まって定着したものってありましたね。チーマーもその後ギャングになるし。

佐々木さん、思い出に残ってるこんなエピソード。

佐々木:うーん。90年代前半、20代後半だったけど、バブル繋がりみたいなポピュラーな部分と、アンダーグラウンドな、インディー、オルタナ、ローファイ。ハイもローも新しいものがすごく出てきた。自分も映画から音楽に仕事をシフトしていく。色んな次元で新しいものが出てきていた。なんか、いよいよ新しい時代が始まるよっていう雰囲気。

鈴木:僕はこの時期世の中に出回ってる物以外は世の中の流行とずれたものしか聴いてない。88年にボウイが解散してから、田舎のヤンキーがボウイに。文化祭でみんなやるみたいな。松井さんに憧れてベース買う、みたいなのが微妙にヤンキー的ですけど。

津田:僕の実家の目の前の工業高校、ずっと10年くらい、文化祭だとボウイが聞こえてたw

長谷川:地域格差もあるよね。佐々木さんが言ってたようなアンダーグラウンドなものは、東京とか都市圏にはあったと思うけど。ネットでの通販とかもないから地方だと辛かった。

佐々木:クラブミュージックが世界的なレベルで台頭してくるのが90年代。ディスコがクラブになって、DJがスターになる時代がこの辺に用意されてる。

鈴木:93〜4年あたりで、高校生がイベント主催してパー券売るみたいなのが出てきましたよね。

津田:日本語ヒップホップもこの辺?

鈴木:94年がDA.YO.NE。裏でかけてもらいたいくらいだけど、売れちゃったから日本語ラップの中ではなかったことにされてて、ECDが「アンチJラップここに宣言」とか言ってその後Disられていくけど、あの曲トラックはすごくいいんですよ。ファンキーグラマーってクルーの中でもこだわりのあるトラックを作ってた。それ以前のものが蓄積されてて、世の中に出てくるタイミング。

津田:スチャダラパーのファーストとか、電気グルーブのインディーズも、高校生の頃に買って、新しいのが出てきたって記憶がある。

鈴木:それで訊きたかったんですけど、バンドブームってイカ天とかあったけど実際は80年代のものじゃないですか。それがあったからテレビでバンドの番組ができた。日本語ヒップホップもそう。この時期って、本当にアングラだったものが流通に乗り始めたから高校生でも手に入る時期だったのかなって。

津田:カルチャーのクロスオーバーも始まってた。電気グルーブを知ったきっかけって、ゲーム雑誌だったんですよ。『Beep メガドライブ』って雑誌があって、そこでピエール瀧がこのゲーム貸してとか言ってて、それでどんなバンドなんだろうと思ってCD買ったら面白かった。ゲームとかサブカルチャーが有機的に繋がっていく始まりだった。

鈴木:このころゲームはものすごいハードが出てますよね。スーファミ、メガドラ、PCエンジン、、、

津田:コアグラフィックスとか

鈴木:アーケードゲーム並みのグラフィックなんつって。最後がプレステか。まだパソコンが普及する前だから、ハード買うしかなくて。三台くらい繋がってる人いましたよね。

津田:今以上に当時はあえてメガドライブ持ってる俺かっこいいみたいなアイデンティティの人、セガマニアみたいな人いましたよね。

鈴木:スチャダラパーが「ぼくちゃんのメガドラどうすんの?」ってw
ある意味、95年以降に揃うものが揃ってなかったがゆえに拡散してた。
メール、89〜94。湾岸戦争が印象に残っています。地球儀で世界を確認してた。ナディアが湾岸戦争の特番ですごい中止になってた。
世界情勢が大分かわり初めてた時期。
高校生で世の中が変わっていくのを見てて津田さんどうでした?

津田:やっぱり衝撃でしたよ。僕の高校はものすごい左翼的だったので、多感な時期だし、世の中の矛盾に初めてぶち当たる高二病ちっくな時期で、それに対する怒りがあって、テレビで有無を言わせぬ迫力の映像があったのはすごい衝撃だった。

鈴木:その年の紅白のとんねるず「情けねえ」へ繋がっていく。世界は変わっていくのに日本はある種繁栄したまんまっていうか。

長谷川:あの時期じつは戦争は多かった。

鈴木:民族紛争も多いし、ドイツも統一して幸せになってないらしいとか。

長谷川:なるって言ってたはずなのに戦争が起きていく。

鈴木:世の中変わっていくっていうのは早すぎて分からなかった。湾が戦争の時は、体育の授業中で、先生が、いま戦争が始まりましたなんって言って、それに対して後ろの方にいたヤンキーが、今この瞬間死んでる人がいるってなんか嫌だねって言ってたのをすごい覚えてる。でも世の中への怒りってなかったなあ。
僕より三こ上の津田さんは?

津田:当時は高校三年なので受験生。これからどうなるんだみたいな自分の問題とリンクしてた。東欧が崩壊して、ベルリンの壁も崩れて、チャウシェスク政権が非道いことをしてたらしいとか、価値観が変わっていく。今からするとわかんないけど、なんらかの影響はあるんだろうなって。

鈴木:アフター95のとき、僕の世代だとそれがオウムと震災だったって話が出たんだけど、それが津田さんの世代だと、希望と絶望が一緒にやってきたみたいな。

津田:あと、自分の人生とか、大学はいる時点である程度決めないとだめじゃないですか。大学に入るか入らないかだって大きいし。

鈴木:いまでこそフリーターとかあるけど。

津田:で、僕は文章書くのが好きだったんで、高校3年生くらいからライターになりたいと思ってて。そういうのがあったときに、これから世の中どうなっていくんだろうって。

鈴木:その時にライターになることを決意した津田少年の思いは、いまの著作権とかそういう問題に関わっていく社会運動やろうみたいなのに繋がってたりします?

津田:リアルで何かやりたい。ムーブメントみたいなものに関わっていたいっていうのはある。

佐々木:それセカンド・サマー・オブ・ラブそのものじゃない。

津田:そういうことに魅力を感じる最後の世代かな。

長谷川:自分でやるって言うのが大事なんだよね。

鈴木:自分でムーブメントを起こすっていうのを諦めたところからスタートしてるからなあ、俺。震災でボランティアに行っても、作り直すことはあっても興すものはない。社会運動なんてダサイっていうのはデフォルト。でもこの三年の違いで、社会運動ができるかできないかっていうのが別れてくるのかなあって。

津田:僕、湾岸戦争反対のデモに行ってシュプレヒコールとかあげてましたよ。

鈴木:マジですか。

長谷川:文学者の署名とかもあったしね、当時。

佐々木:第一次湾岸戦争の方がそういうのは盛り上がってたよね。

津田:市民運動だけじゃなくて、いろんなところでやってた。

鈴木:「お金だけでいいのか」っていうのを初めて日本が突きつけられて。「国際貢献」っていうキーワードがあって、お金を出すだけじゃだめってことは血を流せってことか、でも血を流してていいのかそもそも、みたいなのがあって。初めて日本人が外の世界とのぶつかりで突きつけられた問題。だから愛国心ってその頃がピークなんですよね。その時代の変わり目っていうのが現在に影響を与えていると。貴重な話を聞けました。

MP3その3


鈴木:メール、82年生まれなので小学生。平凡な生活。深夜放送が楽しみだった。CDTVとか。
CDTV覚えてる。渋谷系が全盛の頃で、初期のCDTVは、渋谷系の総本山だった渋谷HMVのチャートを利用してたから、オリコンとのズレがすごかった。
あっ、いま津田さんの前でオリコンとか言うとw
まあいいや、言っちゃったから津田さん、オリコン問題について説明してください。

津田:ライターのウガヤさんがサイゾーにコメントした記事で、オリコンのチャートっていうのは信憑性がないんじゃないかみたいな風にも取れるコメントをしてて、それにオリコン側が5000万円の名誉毀損の訴訟を、ウガヤさん個人に起こした。編集部とか、編集部と著者っていうのでもない。

鈴木:5000万円っていうのも、個人を相手にするときにはあまり聞かない額ですよね。で、それを津田さんがネットに書いたら大変なことになっているという。そのうちメディアに出てくることがあるかもしれないけど、どういう風に転がるか分からないので、事実関係だけここでは説明させていただきます。

メール、個人的な思い出、「誤解」。サブカルっていうのは好きなものを持ち寄るんだと思ってた。でもいちおうメディア的な流行があるんだと分かってた。夫はインディーズ=ふざけてると思ってた。

佐々木:インディーズとビジュアルをイコールだと思ってる人も多いよね。

鈴木:それは90年代のビジュアルブームの影響かな。でもサブカルが好きなものを持ち寄るっていうのは間違いなのかどうかw

佐々木:間違いじゃないのか、最終的に間違ってたのかどうなんだっていうw

鈴木:メール、ネットがまだなかった時期。パソコンではDTP。ミニコミ作りに夢中になってた。コンビニコピーをホチキスで留めただけのものだったけど、楽しかった。
ミニコミって全盛期がこの時期?

佐々木:これもやっぱネット以前だから起きたこと。

津田:ブログブームの原型かもしれない。

長谷川:後にネットに行った人も多いしね。

鈴木:へー。ミニコミって何をするんですか?

津田:カルチャー批評みたいなのが多かったかな。

佐々木:自分の好きな対象について、雑誌の特集を自分だけで作っちゃうみたいな感じ。けっこうそういうの売ってたよ。

長谷川:レコード屋さんとか、古着屋とかね。

津田:大学の頃、早稲田のすぐそばにタコシェができて、その後移転した中野のブロードウェイもどんどんサブカル化して。最初まんだらけがあってね。

長谷川:そういう中から、バァフアウト!みたいなメジャーなインディー雑誌が出てくる。

鈴木:雑誌もインディーズの時代だったんですね。インディーの音楽をインディーズで支える紙媒体。

佐々木:オルタナの時にDIYって言葉が出てきて。自分で何かできるんだって。

津田:何かやんなきゃって突き動かされてた。

鈴木:今でこそDTPソフトも値下がりしたし、パソコンで版下作ってPDFで納入すると業者が製本してくれる。で、文学フリマで売るみたいな。そういう意味でホチキス止めが売り物になった時代って、と。

津田:ものを作る機器が安くなっていった時代なんですよね。DTMとかも。

鈴木:プロダクトものでいうと、ダウンサイジングが進んで、自分の好きなものを作れるようになったから文化は衰退したんだみたいなことを言いたがってるオジサンとかいるんだけど、それが正しいかどうかは基準の問題だけど、少なくともメジャーな雑誌に書かせてもらうために向けていた努力を、自作の方に向け出したのは確か。

佐々木:そのベクトルの向く先がブログになってるわけで。

鈴木:ライターはそうかな。日記で書いてる人もいますよね。
メール、深夜のテレビが面白かった。カノッサとか、ビートUKみたいな音楽とか。

津田:カノッサの屈辱とか見てましたよね。月曜から金曜まで毎日番組が面白かった。古舘伊知郎の話芸で解説するニュースが面白くて、報道ステーションのときはびっくりしたw

鈴木:カルトQだとね、まりんがYMOの回で優勝したとか、カノッサ、僕も番組で出した本とか持ってますけど、なんていうか、80年代のカルチャーを歴史になぞらえて説明したり。何が面白かったのか全然分からないよねw

佐々木:流れ的にはホイチョイですよね。

鈴木:そうですよね。
今日は普通の時代論とは違う視点とか、津田さんの本音が聞けてよかったと思います。
今後も、著作権のシンポジウムとかやるんですよね?

津田:定期的にやってきます。

鈴木:じゃあリンクしておきますね。

MP3その4


鈴木:なんか、長谷川氏、メールが来てるって?

長谷川:仲俣さんは今まで皆勤賞だったんですけど、今日ついに欠席なんですけど、それは家族会議も開かれて、新年のスペシャルに出るために、今日は家族サービスで休みだそうです。

鈴木:なんでそんなメールがw

長谷川:いやそれは事前に聞いてたんですけど、番組中にメールが来て。爆音で音楽が聴けるのはいいですね。次に番組に来るときの気持ちが変わってきますという。家族サービスしてくださいよ!

佐々木:聴いてんじゃん!

鈴木:きっと家族と聞いてるんですよ。

長谷川:そのあともう一通メールいただきまして。

鈴木:何やってんだよ!

長谷川:マイブラ!津田さんサイコーっていうw

佐々木:先週の放送から仲俣くんはドンピシャですからね。

鈴木:予言あててますよね。

長谷川:かけた甲斐がありました。

鈴木:まあ普通マッドチェスターなんて名前は出てこないと思うんですけど。
メール、90年代の主役はオーディエンスなんだ、のセカンド・サマー・オブ・ラブ。何かが変わろうとしていることを体感していた。自分が本当に音楽に夢中になれた時代。
こういうタイトル付けちゃうと、こういうメールが来ますよね。

長谷川:他人とは思えない。

津田:この時代に、ジャンルに囚われることなく音楽を楽しむことを教わった気がするっていうのはものすごく分かる気がする。その頃、ロックファンとかが、エイトステートのライブに行ったり、テクノを聞き出したりしてるんだよね。ジーザス・ジョーンズが出てきたり。ロックとテクノの融合がはっきり見えてきて、メディアもこれが90年代型ロックだ!って言ってた。

長谷川:このころ割と共通のものが、音楽ファンの間にはあったよね。お互いに異ジャンルをちゃんと聞いてた。

鈴木:いまだとレゲエとヒップホップの間にすら微妙な距離があったりね。細分化されてるね。
メール、フリッパーズの登場が大きかった。色白な自分でももてるかも、と思わせてもらえた。アニエスでボーダーのシャツを買ったり。渋谷系の前だったからカマっぽいとか言われてたけど。勘違いもあったけどプライドを持たせてくれた。
津田さんはファッションはどうですか。

津田:いやー普通にジーンズメイトとかだったかも。

鈴木:このメールで思い出したんだけど、ちょっと時代は下がって94年、学ランの高校だったけど、初めて太いズボンのなかにサブカルメガネでストレートパンツの奴が出てきた。あれは中2の時に、制服のスカートの短い女の子が出てきたとき以来の衝撃。

津田:音楽とファッションの関係が深くなった時代。シューゲイザーとか。

鈴木:なんすかそれ?

長谷川:靴(シュー)を見つめる(ゲイズ)ようにして、うつむいて音楽をやるスタイルですね。

津田:そういう人たちって、パーカーとか普通の格好でギターとか弾いて。80年代のボウイはすごい格好してた。そうじゃなくて、ロックスターが普通の格好して出てくるっていう。

長谷川:自分でもできるっていう格好をね。

鈴木:ファッションがストリートに近づいていく。下手をすると若い子で渋谷系と渋カジの違いすら分からないんじゃないか。

長谷川:まず渋谷系じたいが色んな使われ方されてますよね。

鈴木:韓国ではJポップのことを渋谷系って呼んでたらしい。

津田:中島美嘉とか。

鈴木:それはなんでかっていうと、韓国で一番売れてたソテジってバンドが、東京に来たとき渋谷に滞在してたっていうのがあって、それで日本=渋谷系って。最近はソウルのCD屋にいくと、渋谷系に括られるのはユカリフレッシュみたいなネオ渋谷系とか、パリスマッチみたいな音楽になったみたい。渋谷系って海外ではそういう認知。

長谷川:チーマーっぽいストリート系のことだとか言われてたりもしたね。

鈴木:じゃあ正しい定義を誰か。渋カジっていうと佐々木さんの世代かもう少し下ですか。

佐々木:チャーリーと僕らの間くらいだよね。30後半かな。

長谷川:紺ブレとジーパンみたいな。

鈴木:ドラマで言うとあすなろ白書に出てきた筒井道隆みたいな?

佐々木:筒井くんは渋カジ似合いますよね、キーワード的に。

鈴木:渋谷系って、いまだとフリッパーズギターを中心とする音楽ムーブメントってみなされがちですけど?

長谷川:中心とするってホントはちょっと違うんだよね。渋谷系はフリッパーズ解散後の話で93年かな。

鈴木:当時から二人は渋谷系とか言われるの大嫌いだったっていう。

長谷川:ふたりがソロデビューしたときに盛り上がり始めたんだよね。

鈴木:教養だなあ。

長谷川:なんかさっきのメールでも、まだ渋谷系って言葉がなかったからこじゃれた格好はいじめられたみたいなのあったじゃないですか。

鈴木:これあなたが書いたんじゃないですよねw

長谷川:いやいやw
これまた他人とは思えないけど、そういう時代ではあった。

鈴木:メール、この時代はワールドミュージックの時代。当時の東京は世界中の音楽が聴けた。ロックを聴く前にワールドミュージックを聴いた世代だったはず。
メール、バブリーな時代だったけど、ある種コスモポリタンな気分があった。J-WAVEでハウスとワールドミュージックだったりとか。
他局の話題もOKってことで話を進めますか。

津田:コスモポリタンな気分って、セゾン文化なんですよね。あれでフリッパーズとかもあったり。リブロとかの店員やってた人も多いし。

佐々木:僕が働いてたシネセゾン六本木の上のWAVEでずっとバイヤーやってたのがcharichariの井上薫ですからね。セゾン文化って意味では80年代の連続でもあるんだけど、ワールドミュージックの盛り上がりについては、輸入盤ショップが巨大化してなんでも入ってくるようになったのが大きいよね。ファーストチョイスの国が広がっちゃった。世界的には、メジャーじゃない国の音楽が、イギリスとかフランスを経由して出てくるというインターフェイス、文化的なグローバリゼーションが出てきていた時代だったんじゃないか。ロンドン経由の音楽だったりね。

長谷川:コスモポリタンな気分で言うと、プロデューサーが言うのもあれだけど、J-WAVEのTOKYO HOT 100っていうのが大きかった。あれもね、オリコンとは全然違うチャートで。

鈴木:あの番組で日本人初の一位をとったのが椎名林檎「ここでキスして」。あそこで邦楽洋楽のヒエラルキーがついえる。

長谷川:90年代前半は、ピチカートとかオリジナルラブが洋楽に混じってチャートインしてくる時代だった。

津田:その辺のことを解説してるのがウガヤさんの「Jポップとは何か」。

鈴木:それもリンクしましょう。このパートでセカンド・サマー・オブ・ラブの空気はつかめたんじゃないか。後半は90年代前半の全体についてやっていこう。

MP3その5


鈴木:番組からプレゼントの告知。1/16(火)。神田駿河台で行われる『叫』の試写会に、10組20名をご招待。住所・氏名・年齢・番組の感想をお書きの上、番組宛てにメールをください。〆切は1/3いっぱい。当選者には番組からメールを送ります。

佐々木:告知と関係なく見に行ったら帰りに長谷川氏に会いまして。今映画界で注目の黒沢清さんの最新作。今年は「LOFT」もあったけど、今回はますます怖い。葉月里緒奈が怖い。

長谷川:異常に怖いですよね。

鈴木:演技力ですよね。

佐々木:いやあ、素材とか経歴とか。

鈴木:Podcastingだからって何でも言っていいわけじゃないんだからw

長谷川:テーマ的にもLifeと絡むんですよ。

佐々木:そうそう。ウォーターフロントの開発と、そこから見捨てられた地域みたいなところで連続殺人が起きるという。

長谷川:バブルとも絡むし、あとひきこもり問題とかも。

鈴木:じゃあLifeリスナー必見ですね。

長谷川:舞台挨拶もあるんで。

鈴木:おお、これは行かねば。
さて、番組。90年代前半のキーワード。セカンド・サマー・オブ・ラブを調べるとレイブカルチャーっていうのが出てくる。のちのち、『完全自殺マニュアル』の鶴見済がレイブカルチャーにすごい入っていって、90年代後半にテクノとかレイブの思い出はあるんですけど、前半にはあったの?

佐々木:あったはあったんじゃないですか。そんなに注目される機会がなかったし、巨大化はしてなかったから。レイブのフェスティバル化みたいなのが、フジロックがメジャーになって、地方の村おこしとも絡んで巨大化しちゃった。
セカンド・サマー・オブ・ラブって聞くと思い出すのは、レイブとか地方のフェスとかに繋がっていくときに、もともとそれを仕切ってた人たちっていうのが、ファースト・サマー・オブ・ラブ世代の人が多いんだよね。

鈴木:ファースト・サマー・オブ・ラブっていつですか。

佐々木:いわゆる68年のヒッピーカルチャーですね。そういう人たちは、日本だけじゃないんだけどいて、時期を得てもう一度巻き返しを、みたいなところで動員されていったみたいなのがあるんじゃないかな。

長谷川:それを真に受けちゃったのが僕ら世代。ホントにそういうのが起きてるんだ!って。規模も小さかったはずなんだけど、REMIXとかに告知が出てて、中学生で行けるわけもなくて、幻想を抱いちゃった。

津田:91〜2年あたりでテクノとかレイブに関する情報が飛躍的に増えた。いまでこそテクノとかハウスってCDショップでも専門的に分けられてるけど、その頃ってR&Bの中にちょっとあるかなくらいだったから。バージンとかだったら分けられてるけどタワーにはないとか。

鈴木:今の渋谷東急ハンズのトイメンにタワーがあった時代ですね。

津田:その頃にREMIXとか、ミニコミでいうとデリックとかエレキングが出てきて、ミニコミとか書籍とか、色んな情報が飛躍的に増えていった。

佐々木:石野卓球がエレキングの野田努といっしょに『テクノボン』とかを出してね。で、テクノが一挙に若い人たちにおしゃれで新しくて、サブカル化してったっていう。

長谷川:オールナイトニッポンとかでも・・・

佐々木:他局好きだなこの番組w

長谷川:ずっとテクノかけたりしてたんですよ。

津田:ずっとマイナーなテクノばかりかけてましたね。

鈴木:TOKYO-FMの方でしたっけ、卓球がかけた曲のリストとかってネットに上がってますよね。かけた翌日はシスコから全部なくなってたって友人に聞いた。

佐々木:卓球とか小山田とか、ジャンルはばらばらなんだけど、マイナーなものとおしゃれなものを繋げられるメディウムになる人間が何人かスターとして登場した。マイナーでアンダーグラウンドなものが、資本に収奪されていくきっかけだったのかもしれない。

鈴木:僕なんかそういう印象なんですよ。さっきの三年違い問題じゃないけど、僕の中ではフェスティバルっていうと、ウッドストック94なんで。それが唯一今日の話に近い体験。当時衛星放送で生放送で見てました。それを見ながら、これはもう政治じゃなくて商業であることが大前提。フリーでハッピーでラブでピースな感じっていうのは商業になってる。どろんこになって踊ってるのはチケット買った人だけっていう。
しかも、そのウッドストックで出てくる人っていうのがいる。グリーンデイのインパクトが強かった。日本ではメロコアって音楽はまったく理解されてなくって、すごい泥を投げられながら演奏してた。それが弟とかには直撃してメロコアにいっちゃう。ブルーハーツからモンゴル800っていうのが先週あったけど、商業化されたウッドストックをぶちこわして出てきた「その後」の人たちのはじまりだったんだよね、僕の中で。
僕、今日の話をやるときに考えてたんだけど、90年代を評価するってまたはやってるじゃないですか。それを、80年代とか、それ以前の延長で捉える考え方は「ビフォー」だと思っていて、90年代に始まったものの感覚で生きている人を「アフター」って呼んでるんですよ。で、僕くらいの年を境にビフォーとアフターってきれいに別れるよね、って同い年くらいの子に話をするとみんなうんうんって分かってくれるんですけど、その話が今日のポイントなのかなって。90年代の初めに、ビフォーの最後があった。でもそれ、俺は体験できなかったから。

佐々木:セカンド・サマー・オブ・ラブって言ったときに、それがセカンドであるということを、よくも悪くも意識できた世代と、そういうのが関係なかった世代、数年間の違いなんだけど、その違いが大きいって話ですよね。

長谷川:その時は、それが分かってなかった。当日は新しいものが始まるって思ってた。ところがマンチェなんかも、『24Hour Party People』って映画があって、あれなんか見ると、80年代のインディーズがあそこで花開くって話で、今みるとああそうだったのかって思うけど、当時はストーンローゼズも、80年代に音楽なんてあったっけ、なんて言ってて。実際にはばりばり聞いてたにも関わらず。でもプロデューサーはニューオーダーのピーター・フックだし。でも当時は真に受けちゃって、新しいのが始まるんだって思ってた。

津田:そんときは今から思うと、最新の音楽だけ聴いておけばよかった。ルーツを辿っていきたくなるっていうんじゃなくて、新しいのばかり消費してた。

長谷川:新譜をすごい買ってたよね。

佐々木:いっぱいバンドは出てきたよね。僕はマッドチェスタートかは距離感を持って聞いてた。新しいものはアメリカの田舎から出てくると思ってたから。音楽の存在としてまったく新しかったのはテクノじゃないかなあ。

津田:プライマル・スクリームの『スクリーム・アメリカ』の衝撃がすごい強くて、同世代のミュージシャンでも、あれで方向性を変えた人とかいる。

鈴木:ああ先輩でそういう人いたなあテクノの衝撃受けた人。YMOと電気グルーブを部活に持ってきたとか。んで聞かされて、なんかよく分からないみたいな。
何の話をしたかったかっていうと、フェスティバルの話がさっきあって、一方で地方で夏休みを過ごすものになってお客さんも食い合いになってるんだけど、ある種、フジロック的なものに関する輝きをずっと追い求めてるひともいるじゃないですか。僕、簡単に言っちゃうと、テクノとロックが好きでフジロック皆勤賞みたいな人が90年代にはすごい嫌いで。最近は大人になったけど、一番90年代に話が合わなかった。いまだにそういう人がいるんだよね。

佐々木:えーっと、この話はどういう話かなー?(笑)
まあでも僕も、フジロック一度も行ったことがない。はっきり言えるのは、こっち側はマイノリティだってことですよw
それを抑えつつ、セカンド・サマー・オブ・ラブにやられちゃった人が、結構もう年なのに、フジロックに行ったりしてるでしょ。

長谷川:プライマル・スクリームとかハッピーマンデーズとか出てたりしますから。

津田:去年大トリがニューオーダーですからね。よかったですよ、最高だった。

長谷川:僕とか津田さんとか、フジロックのファースト・サマー・オブ・ラブ的なヒッピーっぽさにはすごい違和感を感じる。

津田:フジに行ったのは去年が最初。やっぱ違和感があって行かなかったんだけど、行くと楽しいんですよ。

佐々木:いったら楽しいんですよ。

鈴木:そう、僕も行ったら楽しいんだろうなとは思うんですけどね。いっこ思ったのは、社会学の隣接分野にイギリス発祥のカルチュラル・スタディーズ(文化研究)っていうのがあって、日本で文化研究っていうと、イギリスのカウンターカルチャーの影響を受けてて、めちゃめちゃセカンド・サマー・オブ・ラブなんですよ。毛利芳孝さんとか上野俊哉さんとか、ヒッピーでどろんこでみたいな感じなんですよね。学生でも文化研究やりたいってなると、マルクスとカルチュラル・スタディーズの本を手がかりに、自分の好きな音楽で卒論を書きたいんですって人が出てくるんですよ。そういう学生に僕はどう向き合えばいいんだろうって思ってて。その子が好きな音楽だし、評価すべきものがあるとは思うんですけど。

津田:最初にビフォー・アフターの話をしてあげればいいんじゃないですか。

長谷川:僕が不思議なのは、セカンド・サマー・オブ・ラブの人たちって左翼的なんだけど、その頃ってまさに社会主義が崩壊して負けていく時代だったんだよね。解放っていうのも社会主義からの解放でもあったはず。なのにどうしてセカンド・サマー・オブ・ラブとベタなサヨクが一致するのか不思議。

鈴木:僕もそうなんだけど、社会学でクラブカルチャーっていうときに、それしか道具立てがないのはいかがなものかと思うから。
この問題っていうのが、のちのちのセイブ・ザ・下北沢とか、社会運動の話とかに繋がっていくんだけど、この辺でタイムアップ。
この問題はどっかで引き取ろう。この番組が求められているものってそこなので。いままたサウンドデモとかピースウォークとか盛り上がってて、それに対して、バブル時代、セカンド・サマー・オブ・ラブ?とか、アフター95の世代、それぞれが忸怩たる思いを抱えていて、それを色んな立ち位置で考えていく、ぶつけていくってのがこの番組の真のテーマなんだと思います。

津田:冷戦ってテーマでやってもいいかもね。

鈴木:いまやベルリンの壁もCMの素材だからね。

津田:冷戦終わって逃げる場所がなくなっちゃった人もいるから。社会主義の国だったら幸せだったかもしれない人もいたのに。

鈴木:一時期ゲバラTシャツとか、キューバとかありましたけどね。

佐々木:「アカルイミライ」みたいな。

鈴木:というわけで今日は真面目な話。レーティングとかあってテーマにも波がございますけれども、ゆるいテーマからカタイテーマまで今後も扱っていくのでよろしく。
2007年01月09日(火) 16:35:23 Modified by ID:pYp5FHWYpg




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