「運動」Part2

2007/6/3「運動」Part2


出演:鈴木謙介、津田大介、森山弘之、外山恒一(ゲスト)、松本哉(ゲスト)

※以下の発言まとめは、正確な番組での発言とは異なる場合があります。

MP3その3


鈴木:メール、家賃をタダにしろデモ、高円寺一揆にも参加。ECDのライブとか、最終日に感動した。素人の乱の目標に、参加者がすべて賛同しているわけではない。なんとなく楽しそうだから、地域の延長。従来の政治運動の延長。でも実際には批評性がある。メール、ホテル・ルワンダの上映運動をやってた。メディアの取材もあったけど、「以前の運動」「これからの運動」について聞かれることが多くて以外。社会運動をやっているという意識はなかった。当事者にはそういう意識がなく、結果でなったもの。音楽・映画・街が好きという気持ちを、外野が運動と定義しているだけ。メール、下北沢の再開発反対運動をやっている。運動に関わったときの感情は「大事なものを守りたい」という気持ち。運動をやりたいと思って参加する人は少ないのでは。
色んな具体的運動ってのが出てきましたけど、松本さん、高円寺素人の乱、一揆を社会運動と呼ぶかどうかはともかく、それが手段として、何を変えていくのか、何をどうしたいと思ってるんでしょう。

松本:のびのびとした生活がしたいってのが一番大きいんすよ。日本の国力を低下させて、江戸時代みたいな間抜けな連中がうろうろしている方がよっぽど楽しい。そういうのを実践するから「一揆」。高円寺で有象無象がうろうろしてて死なないという。

鈴木:津田さんは見ててどうでした?

津田:後ろの方で見てましたけど、ホントレイブみたいですごかったですよ。音楽流している横で、他の候補者が名前を連呼するしかできなくて、阿鼻叫喚としか言いようがなかった。

松本:軽トラックの後ろにライブ用のアンプシステムを組んで、ライブやDJをやって大パニックになってましたね。

鈴木:大パニック感があがるってのは分かるんですが、それが政治的なものになっていく、政治運動だってみなされることについてはどうですか。

津田:僕はもうシンプルに、選挙期間、区議選って候補も多くてうるさいじゃないですか。選挙カーの名前連呼は気に障るわけで、ネットで主張とかをゆっくり読みたいし、音楽が流れている方がいいじゃん、と。

松本:俺は、運動だと見なされるかどうかよりも、あの駅前がパニックになっている状況、あれがやりたいんだという。それが認識されてなかったとしても、あるいはそういうのを意識してない人が集まってたとしても。今回、自治を公約に掲げて、自分たちの街を自分たちで作るんだって言ってたんですけど、そこに参加してる時点で、しがらみから解放された自分たちの街を作ってると思う。

津田:あれで熱気があって、興味を持ってビラをもらう。そこで素人の乱って何だろうって検索して、面白いっておもってくれる人もいるかもしれないし。それで「おっ?」って思わせれば第一段階はは成功かなと。

鈴木:今の話のポイントのひとつがネットの問題で。これまでと何が一番違うかっていうと、ネットを使って、盛り上がった後の事後フォローができる。みなさん、その辺はどうでしょう。ホテル・ルワンダの上映運動も、下北沢に関しても、ネットで横に広がっていったわけですが。

森山:単純に、公職選挙法的に、選挙カーで名前を連呼するのはOKなのに、マニフェストが読めないなんてのはナンセンスだよね(注:マニフェストの提示はOK。公示後にウェブサイトを更新するのは禁止されている)

鈴木:宮台さんなんかが、公選法的にはOKだなんて解釈を示したりしてましたけどね。公式にはダメだと。自民党はネット選挙を段階的に解禁しようという風にはなってますけどね。

外山:方向はそっちなんだけど、対応がすごく遅れてるんでしょ。

鈴木:ですね。それと、選挙ってのは、ひとつの制度。で、その制度を利用してうかった人が制度を決めるわけだから、自分たちに不利な制度を作るわけがないっていう問題があって。ネットをやるといままでは不利だった。お隣の韓国はネット選挙を広めていこうという方向ですが、盧武鉉政権が誕生したときに、ネットがすごい力を持ったわけで。ネット選挙のシステムを作ってる人なんかに話を聞くと、それでも(ウリ党以外の)他の党でも、ネットがないと選挙にならない、って考えるようになった。世の中が先に変わったので、制度も先に変えましょうと。今の日本は、世の中がどのくらい変わっているか、為政者から見えていない状態。一部の人は見えてるけど。この国の制度全般がそうなってる。変えなきゃって思ってる人がいることが、制度を作ってる人から見えない。だったら制度にわざわざ乗っかる必要ないじゃん、って人が出てくるのは普通の流れ。ネットはその象徴かな。

森山:あとずれますけど、さっき下北沢の話が出てきて、今度のQJで松本君と、フラワーカンパニーズの鈴木圭介さんに対談していただいてるんですけど、ちょっと、高円寺対下北沢みたいな感じで。で、僕、下北沢の運動を見てて気になったのが、「負けてもいいんだよ」みたいな感じだったんですよね。負けることは分かってて、負けの美学みたいなものを感じちゃって。それ、従来の運動と変わらないというか。でも松本君はもうちょっと違うんじゃないかと思って。

松本:絶対勝つと確信してますからね。

外山:さっき言った、今回の松本君の選挙運動をきっかけとして、第一段階でってのがあったけど、松本君の中では、あれをやりたかったんでしょ。

松本:そうそう。やりたいことをやってるだけ。

外山:何かのステップではないと。僕もそれはよく分かる。

鈴木:外山さん的にはどうなんですか、今の状態と、理想との距離って。

外山:僕は松本君とその辺で立場が違っては来ているんだけど、なかなか多数派の側、奴らの側がほっといてくれなくなっている。少数派が何をやろうと、大勢には影響ないんだから、少々のことには目をつぶろうというのが、十数年くらい前まではあったとおもうんだけど、今はあらゆることを規制してくる。僕や松本君の選挙みたいに、突破口はちょこちょこあるんだけど、全体としてはつぶされてる。

津田:それはまさにネットの発達と無関係じゃなくて、為政者からしたときに、ネットで知恵を付けてもらっちゃ困るというのがある。最近の象徴的な話題で、グーグルの検索語の上位に「高部真規子」って名前があがってきた。この人は、著作権の裁判で、自分の持ってるCDをサーバに預けて、自分で聞くというサービスが違法だという判断が出たんですけど、その判断を下したのがこの高部裁判官。これが色んなところで注目された。そうすると、彼女がいままでどういう判決を下してきたのか、検索すれば分かるようになる。彼女は地裁だけど、最高裁判所裁判官の国民審査、あれで落ちた人は今までいなかったし、どんな判断を下してきたのか分からなかった。これからはネットがあればすぐに調べることができる。そこで有権者が賢くなってくるわけじゃないですか。グーグルのランキングに出るくらい、ネットとリアルの関係が密接になっていく。ネットをどううまくやっていくか、いい時期なのかもしれない。

鈴木:逆に言えば、少数派であるはずなのに、ネットですごい影響力をもってしまって、それ故に少数派なのにつぶされるということも起きうる。

津田:ターニングポイントですよね。規制する側は規制したいし、運動する側はうまく使えるようになるし。

鈴木:今日のひとつの対立点としてあるのは、ある種の制度を作っている人が、少数派というか、勝手にやってる奴らを認めないということころが出てきている。そこにネットというものが入ってきて、影響力の大きさと、人数の多さってのが関係なくなってきたから、規制しなきゃという流れが強くなる。一方で、そんなんだったら多数派の制度に乗っかったってしょうがねーよといって、はみ出してくる、秩序から飛び出すものを創るような「運動」が出てくる。じゃあ、旧来の派閥なり党派なりを作って、いわゆる「議会主義」、議会で筋を通して、民主的に今の世の中を作り替えていくんだっていう議会主義的漸進主義みたいなのはダメなのかどうか。
これを津田さんに聞きたいのは、考えてるのは革命家的なことを考えてるんだと思うんですよ。でも本人は、政府の委員会とかに行って、おとなしく話を聞いてるわけじゃないですか。その辺のギャップをどう考えているのかなと。

津田:僕は自分の意識の中ではっきりしてて、(自分が)言うだけ言ってガス抜きになってもしょうがない。具体的に状況変わらないと意味ないだろうなって思ってるから。変えるのは何をすべきかと考えて、実際にやっていて。いきなり状況をばんと変えていくことは難しいので、できることをやっているという、それだけですよ。

鈴木:それで何か変わりそうですか。

津田:多分さっき言った、選挙にうかるかうからないかみたいな話に近くて、文化庁の審議会に入りましたと。でもそこで著作権なんて自由でいいじゃんとかいってる人は僕一人しかいないわけですよ、なんなら。でもそういうことを言い続けていると、それをサポートしてくれる人とか出てくるわけですよね。そうすると具体的な策も見えてくるし、どのくらい実効力があるかわからないけれども、少なくとも一緒に考える人ができてきて、僕がインターフェイスとしていることが重要。切れたら終わりだからね。だからちょっとずつやってくしかないかなと。

鈴木:外山さんの演説は、制度の外側っていう方法論だと思うんですけど、制度の内側っていう津田さんの方法論は。

外山:少なくとも僕はそのやり方はとらない。けれども、そういうことは必要だとも一方で思ってる。けれど、それで変えられるかどうかというのには僕は悲観的なんですよね。民主的な制度の枠内で、少数意見が通らない。

津田:僕は、こういうこと言うとまた問題発言になるかもしれないけど、僕はトロイの木馬になれればいいんですよ。中に入っていって、外山さんとかが外で騒いでるのを、中から城門の鍵を開けるような。そういう仕事ができればいいなと。

鈴木:目指すところは同じなんだけど、方法論が違うと。あと、ネットでサポーターがって話ありましたけど、外山さんも私塾「我々団」を運営している。そこでサポーターの人たちがどのくらい理解してくれるかという問題がありますよね。サポーターの中でも、単にJASRACムカツク、政府ムカツクという人もいるし、どうやったらよりよい形でコンテンツが流通するかということを考えている人もいる。あとは国際競争力とか。サポーターの人にどう理解・参加してもらうか。

津田:「誰が「音楽」を殺すのか」の後書きで書いたんですけど、主張したり、相手に聞いてもらうためには、勉強しないとだめ。いい面も悪い面も分かった上で、聞く耳を持ってもらうように話すところからスタートしないとだめ。そのためには「カスラック氏ねよ」とか書いても、JASRACの方も、そういう人とは話をしたくないじゃないですか。だからね、JASRACにはいい面も悪い面もあるけど、自分で勉強できることを勉強した上で、どう変えていくのかを考えるべきだと思う。外山さんの「政治活動入門」にも似たことが書かれてて、すごく共感したんですけど。

松本:俺、勉強がだめなんですよね。こりゃー悪い奴だなあと思ったら。

津田:大抵そういう直感って正しいですけどねw

外山:直感を、後付で理屈つけるんですけどね。

津田:バランスなんですよね。リスナーのメールを読んでても、すごい考えてるし、すごいなと思う。でも考えすぎてる感じもする。

外山:考えすぎると動けないんだよね。

松本:色んな人がいないといけないから。みんなが俺みたいに、このやろふざけんな、とかやってたら大変なことになりますからね。

津田:役割分担をどう意識するかですよね。

鈴木:じゃあその役割分担の話を一曲挟んだあとでやりましょう。選んだのは津田さんですね。

津田:19とかの頃に、運動とか興味があったときに聞いて衝撃を受けた、ポップグループってバンドがいて、非常に政治的なメッセージをやってたバンド。今日はこれを地上波でかけられることがうれしくてしょうがない。

〜曲〜

MP3その4


鈴木:メール、運動に一度だけ参加したことがある。アメリカのアフガン空爆への抗議。半分は物見遊山。最初はただじっと見ているだけだったのが、「NO WAR」。なんとも恥ずかしくこそばゆい。4時頃、デモ行進の人たちが合流。NO WARの大合唱。集団の力を思い知ったと同時に、個人ではできないことが可能になるという怖さを知った。一人で活動している人には敬意を表するばかり。
メール、運動の印象は、インテリが後ろ盾になった非インテリの活動。教育再生会議も文化大革命的、ポルポト的アンチインテリ。
どっちのメールも深くて、集団になったときに運動ができてしまうことに怖さはないのか。インテリが後ろ盾になったアンチインテリと。

外山:シュプレヒコールってのは、標語を一緒に叫ぶ行為だけど、松本君のデモが面白いのは、シュプレヒコールやらないんだよね。

松本:やらないですね。

外山:松本君のデモは人気があるから何百人いるんだけど、10台くらい勝手にメガホンを持ってきている奴がいるだけで、誰も統一的なスローガンを掲げていない。勝手に遠藤の人に色んなことを言ってる。

松本:勝手に文句を言うってのがやりやすいかなっていう。

外山:それが新鮮でね。僕も異端な運動ばかりやってきたから、楽しい運動に経験がない訳じゃないんだけど、松本君の運動ははるかに面白い。しかも台車とか持ってきて、ビール売ったりしてるんだよね。出発したときも飲んでるんだけど、進むにつれて泥酔してきて、警官も、酔っぱらいがやってることみたいな。

松本:統一感があると、外から見たときに入りにくいし、なんか違和感がある。参加してても気持ち悪いんですよね。

外山:僕もシュプレヒコールには声を合わせたりできなくて。

松本:俺もこの911後のアメリカ大使館にいったんだけど、すごいさわやかな人たちの運動じゃないですか、俺からすると。

一同爆笑

松本:なんか普通に正義感で目が輝いている人が、戦争反対とか叫んでるんですよ。俺はそういうの気分的に悪いんだけど、一応戦争反対とか叫んだりして。人が多くなってくるとNO WARとかやってるんですよね。でも俺は「こらーブッシュ出てこーい」とか。いるわけないんだけどw
で、右翼団体とかも全然違うところにいて、左翼はどうこう言ってるから「こら右翼かかってこい」とか言うと、NO WARっつってる人たちから怒られたり。

外山:僕が何でシュプレヒコールに気が進まないかというと、僕も反戦デモに参加することもあるけど、僕は戦争反対じゃなかったりするわけです。アメリカのアフガン攻撃にけしからんと言っているのであって、戦争一般には反対じゃない人も来ているかもしれない。そこで戦争反対ってシュプレヒコールをみんなに強制するのはおかしいと思う。僕はアメリカがおかしいと思って参加してるから一緒には叫べない。

鈴木:いま外山さんが言ってることが面白いのは、昔は、みんなで同じことをやった方が盛り上がったはずなんですよね。安保の時の話はいっぱい本が出てますけど、ジグザグ行進とか、隊列を組むのが嬉しかったっていう。

外山:当時も違和感を持っていた人はいて、ある回想記で、赤とんぼの大合唱になったっていう名場面があるんだけど、その中で一人、こういうノリだからダメなんだ、っていうのを叫んで回っていた人がいたっていう。

鈴木:はみ出しものってのはいるわけで、橋本治なんか「止めてくれるなおっかさん」って絵を描いてたわけで。何が変わったのかっていうと、運動しようっていうところの動機より、スタイルとしてみんなで同じことを言うことで集団の力が加わるというものが、個人が自由にそれぞれの主張でばらばらに集まってくるようになった。

外山:本来はそう言うもので、60年安保も全共闘もそういうものとして始まったんだけれども、一定人数が増えてくると、だんだん形式が出てくるんですよね。

鈴木:自発的な形式の話と言うより、僕が問題にしたかったのは、かつては「動員」だったってことなんですよ。上の理論派だか党だかってのがいて、この通りに動けって動員をしてくると。

外山:それはいつの時代にもあって、60年安保や全共闘の時にそういうのが盛り上がっているかっていうと実はそうではなくて。全共闘って言うのは60年代末の運動ですよね。60年安保って言うのはその前の運動。それは、いわゆる政治指導者に対していやだいやだって思ってた連中が勝手に始めたのが全共闘。既成の組織をはみ出してやり始める奴らが出てきたときに、ホントの力のある運動になる。

鈴木:一応、もう少し歴史的なところをかみ砕いた方が良いかな。

津田:ポイントは、60年安保の時も70年安保の時も、あのときの学生にとっては、学生運動やってるのがマジョリティだったんですよね。

鈴木:あとは六全教ってのがあって全学連ってのがあって、って話ね。共産党が指導してやってたんだけど、ある時突然、革命はやめましょうって話になって、学生たちがふざけるな!となった。

外山:洗い場に石けんをつけましょうみたいな運動になっていくんですよね。そこで暴れ始めたのが60年安保。

鈴木:それは当時の世界的な学生反乱ってだいたいそうで、自分たちで好き勝手にやるぞみたいな感じだった。最近起こっていることを、その文脈で理解しようという動き、多いと思うんですよ。60年代の学生運動の復活だみたいな。一方で、あのお祭りノリっていうのに意味があるんだってのがある。日本だと、911とか、イラク戦争反対のピースウォークあたりから、コスプレして参加する人が出てきて、カーニヴァル的なノリが出てくる。ヨーロッパではこれは90年代から。反グローバリゼーション運動ってのもそういう感じ。

外山:運動が沈滞してたのは日本だけのような気がするんですよね。イタリアでもドイツでも60年代に運動が盛り上がって、70年代に失速するんだけど、70年代に盛り返す。アウトノミアとか、それぞれの時期に盛り上がってるんですよね。日本だけが、まあ、80年代前半くらいまではあった気がするんですけどね。

津田:それは日本の場合は労働組合との兼ね合いが切っても切れないって言うのがあるんじゃないですか。

外山:僕は70年代の悲惨な連合赤軍、内ゲバっていうので、命がけじゃないと運動に参加できないような雰囲気が70年代にできちゃって。

鈴木:なんでそれを歴史的にやっとこうかっていうと、さっきの勉強しよう話で、2ちゃんねるレベルの話をしてもしょうがないんだけど、そういうのが終わった後しか知らない人は、今やってる運動も、昔ながらの市民運動も共産党も一緒くたに「左」になる。さっき言ったように共産党に反発して全学連が出てくるとか、それをベースにして、「新しい市民運動」と言われる、環境問題やマイノリティの問題をやるってのが忘れられてるから。

外山:ちゃんとリニューアルしてやってきてるんですよね。

鈴木:その流れの中に「新しい「新しい社会運動」」っていうような、松本さん・外山さんがやられているようなもの、哲学者のネグリとハートだったら「マルチチュード」って呼ぶような有象無象の政治運動が出てくる。それを押さえた上で、学生運動の時は、それが学生にとってはマジョリティだった。だから自分も腕くんでやってると盛り上がれた。

外山:でも、参加してた人間だって一割くらいだっていう。

鈴木:数字ではね。あと一番石投げてたのは日大・中央で、東大の理論派は後ろで腕組んでただけとかよく言うじゃないですか。でも、今から見ると、熱気があるものとして見られている。

外山:一割っても何十万人いるし。

鈴木:議論をする空気もあったし。とはいえ大学進学率なんて3割くらいで、みたいな。

外山:なんか今の状況を息苦しいと思っている人は1割くらいはいるでしょ。そういう人たちの回路って言うのが、長いこと閉ざされてたんですね。それは不自然なことだった。60年代ほどじゃないけど、70年代も80年代も、ヨーロッパにはそういうものがあった。日本だけがその回路を閉ざしたまま来てしまって。

鈴木:それは労組ってのがあって、メーデーがそうであるように、運動っていうのが労組の動員でっていうのはあるわけじゃないですか。なんでこの話をずっとしているのかっていうと、僕外山さんに今日一番聞きたかったのは、新しい社会運動って、命令されるのが大っ嫌いなんですよ。だから自分たちで自分たちの興味のあるものに参加するんだ、松本さんみたいに、これは気にくわないとかで参加していく。そのとき、インテリが後ろ盾になるって問題。でも、勉強しなきゃって話があって、外山さんはウェブサイトで、やっぱり勉強しなきゃっていうわけじゃないですか。

外山:頑固な教養主義者としてね。

鈴木:そう言う意味では指導的な立場にいるわけで、そのことの矛盾をどう考えているんでしょう。要するに、有象無象が勝手にわーってやりゃあいいとは思ってらっしゃらないじゃないですか。

外山:初期衝動としてはそれでいいんだけど、それでばーっと参加して。でも運動って盛り上がる時期と退潮期とあるんで。で、退潮期には多くの人は運動を離れていく。それはそれでいい、だけれども、こだわりつづけて持続するためには勉強しないと持たない気がする。

鈴木:その辺、みんなが好き勝手やりゃーいいじゃんってのが松本さんだと思うんですけれど、違和感とかどうでしょう。

松本:いや、なんかね、勉強したい人はそりゃ、すればいいんだけど、世の中を変えていく原動力っていうのは、なんだこのやろう、ふざけるなってことだけじゃないですか。だから俺、ロシア革命とか酒の勢いだけでいったんだと思うんですよね。

一同爆笑

津田:ウォッカがあったから。

松本:みんなウォッカ飲んでるじゃないですか。その勢いで、あいつが悪い奴だ、ぶちのめせってうわーってやってたっていうのもあると思う。勉強してる人が指導するってのはあると思うんだけど、結局はそこだと思う。

津田:日本で革命が起きないのは、日本酒がダウナーな酒だからだという。

一同笑い

津田:新しい理論がw

外山:一升瓶じゃねえw

松本:変にまじめなところがあって、なんか勉強しなきゃって押さえられている部分あると思うんだよね。いまってやってる側が、なんだこんなことも勉強してないのかって偉そうな奴が多くて、おれはそういうのイヤなんだよね。

外山:なかなか僕から見ると松本君って珍しいタイプなんですよ。僕が付き合ってきた連中がそうだったのかもしれないけど。

松本:いっぱいいるよ、頭の悪い連中は。

外山:そう言う人もいるんだけど、僕が二十歳くらいの頃に一緒にやってた、楽しげなことを思いつく連中って、ものすごい教養があったのね。僕は最近、ものを知らないといけないとか偉そうにいってるけど、僕なんか全然、「外山君は教養がなくて」なんていわれてたくらいで。その人たちが次々に面白いことを提案してきた。なんでそれができるかっていうと、過去にどういう面白い運動が行われてきたのかを知っていて、こういう問題意識でシフトチェンジしてきてっていうのを知っている人は、アイディアが出やすいわけですよ。それを踏まえずに面白いことができる人は、松本君のようにたまにいるんだけど。

鈴木:普通は勉強してないと、型からはずれることもできない。僕も同じようなことを考えていて、僕もやっぱり勉強しなきゃ派なんですね。学者とか一応名乗ってるからそうなんだけど。ひとつは、歴史って失敗も含めて繰り返すわけですよ。それをどう考えるのか。いや今日これだけ喋りたかった話があって、今の60年代の学生運動の再現みたいなものとして出てきているものって、同じような意図せざる結果を繰り返すと思っていて、それは何かっていうと、当時の学生反乱で一番敵にされていたのは「管理」だったと。党も福祉国家も、管理だ、敵だと。俺たちは全部自由にやるよっていって、ヒッピーのコミュニティを作ると。そうするとそれが、これからは福祉国家はダメだ、ネオリベラリズムでいくんだっていう国を用意したわけですよ。そういうネオリベみたいなものを広げていくきっかけを作った60年代の学生反乱を反復しているなって思うのは、今の日本って、さっき労組の話が出てたけど、まさに年長世代の既得権をぶっ壊して、そのネオリベ改革に若者が参加するみたいな話になってると思うんですね。本人たちはそこまで考えてないと思うんですけど。
なんかずーっと話をうかがってて、外山さんも松本さんも、アナーキズムっていうのを目指していて、アナーキズムって「無政府主義」って訳されてるけど、そうじゃなくて、自分たちのことは好き勝手やりたいんだ、ほっといてくれよってのを利用してネオリベが出てくるって歴史があった以上、それを無批判にね・・・

外山:いや、僕は実はネオコンなんですよ。

鈴木:新保守主義って奴ですね。

外山:ネオコンってね、最近のアメリカのやり方を見ていると評判悪いけども、アナーキズム的なところから出てきた人たちと、宗教原理主義の人たちとは別の流れじゃないですか。それが手を結んでああなったわけで。

鈴木:宮台真司さんなんかが言っている、真のネオコンとダメなネオコンを分けろって話ね。

外山:僕は真のネオコンに近い立場でものを言ってきたんですよね。大きい政府に対する反感、福祉も含めて個人に口を出すなと。そこからも今は立場が少し変わってきて、知ってる人は知ってるけど、「ファシスト」を名乗ってますが。ファシストって大きな政府なんで、立場は違うんだけど、アナーキズムを突き詰めたらネオコンになると思ってます。

鈴木:僕もそこは、アナーキズムの研究をずっとやってきた中で一番考えているとこで。先に補足しないといけないのは、外山さんが普通にファシストとか言ってられるのは、ここが日本だからで。これヨーロッパだったらファシストとか名乗った瞬間にメディアとか出れないでしょ。

外山:イタリアは大丈夫でしょ。

鈴木:イタリアは大丈夫かもしれませんねw それはそれはイタリア語で「ファッショ」が団結を意味する言葉だから。ナチスってのはドイツ国家社会主義労働党。つまり社会主義をすごく広げていくと、国からそれ以外の奴らを排除するというのがファシズムの考えていたこと。必ずしも全体主義とか民族主義的なものとは違う。

外山:全体主義にもいろいろあって、ファシズムもあるし、スターリニズムもある。今の北朝鮮とか。単なる独裁者が好き勝手にやってる全体主義もある。それを、みんなが同じ方向に行こうとしている、っていう状況は確かにあるとはいえ、ファシズムにいこうとしているというのは、ちょっと違和感がある。いまいこうとしている全体主義が、ファシズムなのかスターリニズムなのか、単なる独裁なのか、それは見分けた上で反対する運動をやらないと、ってのが勉強しないとってことなんだけど。

鈴木:非常にインテリ的というか。若者の右傾化論みたいなものも今ちょっと出てきてますけど、歴史で言うと、メール、日本近代史を研究しています。戦前の普通選挙運動があって、一定の成果として男子普通選挙が成立した。しかし既存の二大政党の優位は変わらず、選挙では何も変わらないとの空気が充満し、軍部の台頭を許した。自分は動かない、歴史を通じて考えるのが僕の仕事。外山さんって結構インテリなんですね。

外山:僕は単なる脆弱なインテリゲンチャですから。色々芸があるからあういうことができるってだけで。

鈴木:マジョリティって言葉が分かりません。携帯の和英で調べましたが出ていません。なるべく横文字なしでお願いします。

外山:マジョリティは多数派、マイノリティが少数派ですね。

鈴木:今日はなんで難しい話を解禁してるかっていうと、そうしないといけない事情があるからで。なんかすげー考えているという人も、なんかやりたいんだよという人もいて、そう言うのが集まっていま運動っていうのがあるというのを伝えたい。僕だって全部のことは分からないし、もしかしたら誤解もあるかもしんないから。

外山:僕が10代の時に運動に参加したときには、回りの大人たちはよく分からない言葉で議論していて、で、それをなんとなくノリで理解したつもりになったりしながら本を読んで、なるほどこういうことかと。それは動いていく中で実感するしかないことですからね。

津田:本を読むことで分かることもあれば、実際に動いてみることでしかわからないこともありますからね。

外山:バランス、大事。

鈴木:今日はすごくリミッター解除して熱くなってるんですけど、クールダウンするために一曲挟みましょうか。

外山:私のオリジナル曲を流すという話になっていて。私は普段はストリートミュージシャンで食ってるわけでが、オリジナルというのも10何年やってると何曲かあるわけで、その中で一番の自信作、勝手に作ったゴルゴ13のテーマという。

津田:ラジオでのオンエアでは初めてですか?

外山:ネットラジオとかではありますけどね。尊敬する革命家ですよ、ゴルゴ13。あのように生きられたら一人でいいわけじゃないですか、アナーキストの理想ですよ。というわけでそのゴルゴ13をたたえる唄ということで「賛美歌13番」。


「運動」Part3
2007年07月26日(木) 09:48:26 Modified by life_wiki




スマートフォン版で見る