「不良・ツッパリ・ヤンキー」Part2

2007/1/20放送「不良・ツッパリ・ヤンキー」


出演:鈴木謙介、仲俣暁生、森山弘之、永江朗、柳瀬博一

※以下の発言まとめは、正確な番組での発言とは異なる場合があります。

MP3その4


鈴木:外伝です、呼んでもないのに遊びに来てCM中ずっと口を挟んでた柳瀬さんも参加です。

柳瀬:竹槍出っ歯の車で駆けつけましたwターニングポイントが80年代後半っていうのが面白かったですね。当時、流通系の取材を渋谷でしてて、ベンチャーのトップ、いま30前半の世代がチーマーだったんですね。彼らははっきりと金持ち。東京の、大学附属の高校に通うお金持ちの師弟で、パーティーを開いたりしてた。テイク&ギブ・ニーズの野尻社長なんかは、揃いのジャケットで1000万稼いだんだけど、それは買える連中がいたからなんだよね。
ツッパリっていうのは、貧乏の証拠なんだよね。だから学生服。それしか遊べるところがないし、学校のスキームの中で反抗する、体制内反抗の従順な奴で、組織にはいると機能しちゃって、店長とか街のいい親父になっちゃうんですよ。

永江:50年代の不良も、ジャズをやってパーティー券売ってた人たち。日本の芸能シーンの戦後のほとんどはこういうジャズメン達がルーツなんですよ。

柳瀬:いまのチーマーに繋がるのは、六本木族とか太陽族で、金持ちなんですよ。彼らがまさにヤンキーというか、洋物の文化を世に広めていく。それに対して、絵としての不良、制服を着て、コブシひとつで世にのし上がっていくっていうツッパリ・ヤンキーがいる。この二重構造は昔からあったんじゃないか。

森山:高校に入って、80年代後半くらい、やっと上京できるようになった頃、渋谷センター街がホントに怖くって。ウエスタンブーツとかインディアンジュエリーで、お金かかるんですよね。

仲俣:イギリスの不良はかっこいいって話もあったけど、僕、今日来る前に「さらば青春の光」を見てきたんですよ。あれを見てると、要するにワーキングクラスなんだよね。明るい未来なんかなくて。でもそれが日本に入ってくると、中産階級の文化になっちゃう。

柳瀬:日本に入ってきた洋物文化を買えるのは、中産階級だけっていう。それは日本に相対的に貧乏な人が少なくなったから。学ランの形で自分たちを誇示する必要がなくなったのがバブルの頃っていうのは、よく分かる。

鈴木:事実として学ランしか子どもに着せられない人が減っていったというのはありますね。文化系不良と階層的不良っていうのがいたっていうのは面白いですね。でも、文化系不良で、タモリさんみたいな、ジャズ・アウトロー・サブカルな人も今は減ってるんじゃないかというメールも来てます。メール、30代女性、バンドをやってた90年頃、ギターケースをしょってセンター街を歩くとバンドマン狩りにあうという噂があった。バンドマンと屈託のない不良であるチーマーとは相性が合わなかったのでは。
バンド系は、昔不良とか言われてたけど、今はそれこそ良家の子女なんじゃないか。

仲俣:楽器買えますもんね。

鈴木:仲俣さんみたいな世代の親が、子どもに高いギターとか買ってあげるんですよね。

仲俣:既に持ってたりするからね。

鈴木:いきなり最初からいい音で始めるもんだから、すごいうまくなっちゃったりね。

永江:雨宮処凛の「バンギャル・ア・ゴーゴー」って小説がありましたけど、あれはビジュアル系のバンドの追っかけをする地方の女の子ですけど、彼女が描くのは貧しい子ですよね。ライブハウスにも入れないし。インディーズがインディーズたり得てた頃には、まだ貧しさに繋がってた気がします。

鈴木:それがね、映画にもなった「アイデン&ティティ」になるわけじゃないですか。バンドマンも貧乏だし、支えてる女の子も別に裕福なわけではないっていう。不良的なもの、反抗、階層的なもの、こういうのが70〜80年代の不良ブームみたいなのでいっかいミックスされたんだと思うんですよ。で、それが分化して、チーマーに狩られるのがバンドマンになっちゃった。今でも文化系はメガネのほっそい兄ちゃんってイメージですよね。そこでツッパリとも離れていくし、受けても少なくなっていくし。森山さんがいつも言ってる、綾小路翔なんかは、そういう感じなのかなと思うんですが。

森山:彼はどう考えてもヤンキーになるような家庭じゃないところに生まれて、モテたいっていう動機で、それがヤンキーだった。20代になってそれを戯画化してアウトプットして成功したんじゃないかな。

鈴木:あとバンド業界でもあるけれど、上下関係があって組織に入ると強いじゃんって話でいうとメール、吉本の芸人、落語家とかはすごい細かい上下関係を生きてる。不良文化の先輩後輩絶対主義に通じるのでは。
いまだに業界と呼ばれるところは上下関係主義だけど、最近そういうのができない奴が増えてて困ったなって話は複数の人から聞きますよね。

柳瀬:今のメールの方、鋭いと思うんですけど、むかし、不良のアイコンってあったじゃないですか、矢沢永吉とかBOOWYとか。いまはそれがお笑いになってるんですよね。

永江:ツッパリ系の不良って保守主義で地域主義。祭りとか伝統行事大事にするから、先輩後輩も大事。それは幕末の頃の任侠系の人たちっていうのがルーツにあるんでしょうね。

鈴木:コブシでのし上がっていくって話、アタマ、天下とってやる、っていうのは、幕末の志士というか、自分のスタイルでひっくり返してやるんだっていう、社会大の反抗、俺のやり方でひっくり返してやるんだっていうのは70〜80年代の定番だったんですよね。

永江:男組ってのがその頃ですけれど、最終回っていうのが、主人公が、国家を操っている親玉を殺しに行くシーンなんだけど、最後のバックに流れてるのは、ワルシャワの労働歌の歌詞ですからね。だから革命と不良は結びついていたし、柳町光男が「ゴッド・スピード・ユー」を撮った後で、「19歳の地図」を撮るわけですから。これは、19歳の不良少年が、右翼になって街宣車に乗るって話ですよね。

鈴木:今の話すごい面白いなと思ったのが、さっき雨宮処凛の話出てきましたけど、彼女が世に出てくるきっかけっていうのが、「ミニスカ右翼」としてでしたよね。「新しい神様」って映画にもなったんですけど、彼女なんかは、今の話と逆ですよね。反抗から入って、いつか世の中ひっくり返してやるんだっていうのが70年代だとすると、90年代の雨宮は、いじめられてて、追っかけやってもみたされなくて、そこからバンドもやりつつ崇拝できる対象にもコミットできるところにいく。社会がすっぽり抜けて、自意識をどう満たすかっていうのがポイントになってくるんだというのは、大きいなあと思いました。

森山:最近、そういう大きな反抗だけじゃなくて、木村カエラの髪型とかを見てても、あれヤンキーだと思うんですよ。

鈴木:新しいなw

森山:綾瀬出身っていうのもあるかもしれないけど、ああやってモデルで出てきた子が、すごい髪型したりする、そのヤンキー性が僕はかわいいなあって。

鈴木:単にあなたがヤンキー好きだって話でしょ!

森山:(笑)反体制っていう話だけじゃなくて、そういうちょっとしたところにもヤンキー性って現れるんじゃないかなって話なんですよ。

鈴木:うーん。カエラもそうだけど、あの流れは不思議ちゃんの流れですよね。で、それは社会学者の岩間夏樹さんとかが言ってますけど、友達をスクリーニングするためのツールだったんですよ。要するに、友達になってくれなそうな人を排除するために、こんな奇抜な格好の私でも受け容れてくれるっていうのを図るために、アイコンとして機能していたところから始まってる。だから自意識の問題だったと思うんですよね。それが社会を変えたりすれば結果的に反抗なのかもしれないけど。カエラちゃんに関しては、ああかわいいなって感じなんだと思いますよ。

森山:そのヤンキー的な自意識なんですよ、僕が言ってるのは。そういうのって文化の基本だと思うんですよ。人と違うことをしたいみたいな。

永江:「喧嘩上等」って刺繍入れたりとか。

鈴木:それは個性的なのかw難しいですよね。「人と違うことをしたい」っていう月並みな動機付けって問題がありますから。文化とは、みたいな感じになりましたけど、この次は固有名詞の話をしましょう。

MP3その5


鈴木:外伝パート2、固有名詞のメール、40歳なので、中学くらいがなめ猫とか銀蠅。クールスとかキャロル、ブラックキャッツみたいな50年代のロックンロールが好きだったんですが、ローラーとツッパリは混同されてた。当時はリーゼントで街を歩くのは度胸がいった。その後みんなサーファーになった。
メール、「スクールウォーズ」の大木こそが不良の象徴。単純だけど繊細な愛すべき存在というのが自分の不良像。
仲俣さん、なめ猫とかど真ん中なんじゃないですか。

仲俣:なめ猫とか銀蠅がターニングポイントだったところもあって、ちょっと上の世代のキャロルとかをかっこいいって思ってたところ、なめ猫とか出てきて、不良っていうのが社会的なアイコンになって流布していくんだけど。だからやっぱり入れなかったというか、不良に興味を失っていくんですよね。なめ猫とか嫌いだったし。

森山:なめ猫って何だったんですかね。僕、こないだ実家帰ったら、弟と共同で使ってたタンスの僕の引き出しは、なめ猫のシール貼ってありましたね。全然覚えてないんですけど。

仲俣:記憶から消されてますよね。

鈴木:確か去年復活したんじゃなかったでしたっけ。(注:復活したのは2005年)

永江:私が社会人になったのが81〜82年で、最初に勤務したのはセントラルアパートの1F、いまの原宿のGAPがあるところですね。で、その向かい側に、会田我路先生の直営店っていうのがあって、なめ猫グッズが飛ぶように売れてましたね。なんでこんなに売れるのかっていう。その少し前に竹の子族ブームがあって、竹の子族、ローラー族、なめ猫っていうのは、クリームソーダから始まって、同じものなんだなっていう。

鈴木:竹下通り的なものですよね。ああいう原宿文化としての不良のファッションが広まっていくタイミングだったのか。

永江:ホコ天の方ではバンドが演奏してましたね。

柳瀬:不良っていうのがマジで怖い連中から、愛すべきアイコン変わった瞬間が80年代だったんでしょうね。80年代頭がなめ猫、銀蠅。銀蠅はコミカルでしたよね。あとビーバップ・ハイスクールが始まるんですけど、彼らはモテたいだけで、アタマでもなんでもない、フリーの不良なんですよね。80年代っていうのが、貧乏がなくなっていく時期なんですよね。

鈴木:ヤンキーの描かれ方も変わってきましたよね。メール、最近の暴走族の家に必ずあるといわれているのが「番長連合」。マンガで言えば「ホットロード」。内容はハード。女子中高生には気づかれてなかったんでは。
ホットロードのハルヤマなんかは、最初からアタマで、憧れの存在なのにあたしなんかに振り向いてくれる、とくんとくん、みたいな世界じゃないですか。ああいう、私の方に近づいてきてくれる不良像っていうのが、80年代に出てくる。
90年代に入ると、ろくでなしBLUESと湘南純愛組ですよね。この二つに共通するのは、どっちも主人公がヤンキー先生になって学校に帰ってくるんですよね。今ヤンキー先生とかど真ん中ですけど、実は90年代にマンガの世界では学校に帰ってきてたんですよね。それが、ヤンキー的なものがなくなっていったことの象徴なんですよね。

仲俣:学校しか帰っていくところがないっていう。

鈴木:っていうのと、不良がいなくなって、筋を通す俺がヤンキーとして先生として帰ってくる。

柳瀬:先生だけがヤンキーなんだ(笑)番長って、どこでいなくなったんですかね。森山さんのとき、番長っていました?

森山:いなかったですねー。学年で一番偉いみたいな先輩はいましたけど。

鈴木:僕の時ですら、アタマっていうのは一番優しい奴でしたよね。扱いに困るようなのはその上で、さらに上になると学帽被ってて草くわえてる、そんな奴いねーよ!っていう。ああいうのはいたんですか昔は?

柳瀬:いや僕らの時ですらいなかったよね。

仲俣:あと今日でなかったけど、学生運動とかヒッピー風のユースカルチャーっていうのもあって、それは中産階級だったかもしれないけど、僕が高校に入った頃は、校庭で弁当を食べているフラワーな人とかいましたからね。さっき、「族」、「トライブ」の話があったけど、「おたく族」までが「族」で、その後トライブとしての括りがなくなったのかなと。

鈴木:「族」から「系」へ、って言いますよね。渋谷系とか。80年代にヤンキーが安全になっていく中で、僕らのヤンキー像ってできていると思うんですけど、80年代にもパロディって結構ありましたよね。アラジンとか、あとアラレちゃんにもテンプレート的な感じで出てくる。80年代は、大映ドラマでは、反抗する松村裕基みたいなのがいて、あれもなんかヤンキー先生的な構図ですけど、そういう伝統に繋がるのがあって、他方、パロディっていうのがあって、後者が残った。じゃあ残りの人たちはどこに行ったんだろう。

永江:取材したわけじゃないんで分からないんですけど、若い母親が公園デビューして、ヤンキーの集会みたいになってるって話はよく聞きますよね。徒党を組みたい的な気分はあるんじゃないか。

鈴木:ヤンママの場合、最初から集団なので、デビューの必要がないですよね。どっちかっていうと、女性のコミュニティの作り方の問題が、ある種、作法として残っている部分なのかなと。それもヤンキー文化の裏面なのかなあ。ああでもホットロードだって、そういう女の子コミュニティに入れない子の話だったからなあ。こんな私でも、来週も来いよって言ってくれるんだー、みたいな。今、承認ツールはいっぱいあるけど、むかしはぐれるしかなかったわけじゃないですか。だから同時に「お前の気持ちは分かるよ」って手を差しのべてあげることに、まだ意味が見いだせた。
それが崩壊していったプロセスが90年代で、と同時にガス抜きツールもすごく増えて、バンドやったり、ネットで画像をダウンロードしたり。いくらでもがすが抜けるようになって反抗しなくなったのかなと。

森山:一言だけね、あだち充原理主義者としてですね、

鈴木:キタコレ!

森山:ヤンキーのオルタナティブとしてあだち充が出てきたって話があったんですけど、僕はやっぱりあだち充のメンタリティは、梶原一騎に共通するものがあると思う。基礎にあるのは仁義だったり、マイノリティとしての反抗、サブカルチャーなんですよ。梶原一騎はそれを大げさに書いたけど、あだち充はそれを内面化したんじゃないか。そしてそれは時代の変化だと思うんですよ。

鈴木:あだち充からそこまで読み取らないよ普通!たしかに彼の描く主人公にそういうところがあるといわれれば分かるし、時代の変化が梶原一騎から移っていったのもそうだし、そもそもあだち充は石井いさみのアシスタントもやってましたからね。

森山:あだち充の話っていうのは、ヤンキーに対する憧れなんですよ。

鈴木:かならず任侠系の不良の友達も出てきますからね。

森山:そこは一応訂正しておきたい。

仲俣:梶原一騎も、本人がというより、不良に憧れてた感じがしますよね。そういう点は繋がってるのかなと。

鈴木:反抗って、反抗に憧れる人を吸引しがちだし、80年代のバンドブームもそうだったと思う。一方で88年デビューのプリンセス・プリンセスが、当時のキャッチコピーが「親公認バンド」でしたよね。それじゃ反抗も何もあったもんじゃないという。

仲俣:不良が一時期の通過儀礼で、その後大人になるっていうならいいんだけど、階層として固定化されているところもあるし、その二つが見えにくくなってるからね。

永江:内申書重視っていうのも大きかったんじゃないか。無茶やっても勉強さえできればよかったのが、普段の生活の方を重視されるようになった。

森山:いつ頃からでしたっけ。

永江:80年代から内申書重視の傾向が始まりますよね。

仲俣:キャリアパスっていうか、人生設計で言うと、不良の高齢化問題っていうのも興味あってね。武道館でクールスだか矢沢永吉だかのコンサート行くと、駅にものすごい数の、革ジャン来たオジサンがいるんですよね。あと江ノ島に行くと、手が震えてる状態で焼きそば焼いてるじいちゃんがいて。後継者が育たないまま高齢化していく不良と、80年代的な消費の果てのチョイ不良っていうのは違うから。リアル不良の高齢化問題ですよね。

柳瀬:話ちょっと違うんですけど、いま期間限定でそういう人たちが登場する日あるじゃないですか。成人式とか。

鈴木:メール、毎年のように荒れる成人式、ヤンキー魂残ってるなあと。

柳瀬:普段、あの人達、ああいう感じで練り歩いてるわけじゃないですよね。

森山:あの日が晴れの舞台ですからねえ。

鈴木:ただ、成人式で暴れる若者に対する目線は、若者の中でもバッシングの嵐ですよね。そう、ひとつ言い忘れたんですけど、暴走族の高齢化問題っていうのも大きいんだけど、規制でいうと、ヤンキーからDQNへの流れの中で、不良へのバッシングはむしろ若者の中でこそ大きいですよね。内申書重視やAO入試みたいな流れの中で、表面上いい子にしてれば抜け道はあるのに、何ダセーことしてんだよ、みたいな。あとメディアの表現も規制されてて、「NANA」の喫煙シーン、未成年が喫煙するシーンを写すとは何事か、みたいな話になる。そうやって規制されて、周りを囲まれて、そういう中で不良をやんなきゃいけないって話になると、これからすごい衰退思想だなあと思う。

永江:ただサイレントマジョリティとしてね、不良に嫌な思いをした人はいると思うんですよ。それが、成人式で暴れる若者へのバッシングに繋がってる。こういう話をするとどうしても不良を肯定するような話になっちゃうけど、実は社会のマジョリティは不良に嫌な思いをさせられた人なんじゃないか。

鈴木:憧れ的なヤンキーっていうのが気の優しいアタマとして、仕返しにいってくれるっていうのがなくなったら、単にバッシングの対象になりますよね。

柳瀬:何が価値なのかっていうのが昔はよく見えてなかったから、不良がかっこよかったけど、いまはお金がかっこいいから、不良が社長になったんですよね。おねーちゃん侍らせて天下とったるっていうのは、いまのITベンチャーなんですよね。お金・かっこいい・モテたい・カウンターカルチャー。最後の三つが実を取れる形で出てきてるんじゃないかなと。

鈴木:ヤクザがインテリヤクザになったのと同じ理屈ですかね。

柳瀬:構造は同じだと思いますよ。

鈴木:筋を通すことよりも、ある種のずるがしこさが求められてくるという。

柳瀬:メンタリティとして似てますよね。

仲俣:松本大洋の「鉄コン筋クリート」が映画になりましたけど、あそこに出てくるネズミ、ああいうタイプのインテリヤクザっていうのもいますよね。自分の後継が育っていけば死ねるみたいなの。企業舎弟とインテリヤクザはやっぱり違うんですよね。ビーバップだって高齢化していく訳じゃないですか。

柳瀬:インテリヤクザは、昔の仁義の世界こそが一番世知辛くなった話だと思うんですよ。企業舎弟には仁義も何もないですよね。ファイナンス屋さんに近くて、お金と暴力をセットにしたとき、どこが一番儲かるかっていうので合理的に動いてるんだと思う。

永江:下町系の暴走族のOBを取材したとき、ホントにみんなの犠牲になって自分だけ罪を被りましたみたいな人は、組織に入ってそれなりに任侠を貫いてる人はいましたね。必ずしも陽はあたってないけど。

柳瀬:TOKYO TRIBEみたいな、普通の子たちが都市のトライブであるようなもの、あれはファンタジーなんですかね。

鈴木:僕の感じでいうとTOKYO TRIBEみたいなものって、一瞬は起こったのかも知れないけど、普通の子たちがトライブを作るっていうのが広がったのはカラーギャングくらいで。たとえばHIPHOP聞いて、車高の低い車に乗って、っていうのは地方ではホントに不良だったりするけれど、都心に出てくるとサブカルっ子が増えますよね。彼らが不良に憧れて徒党を組んでみたりする。でもみたりしてるだけだから、切れてっちゃうんですよね。
前も話したけど、日本のHIPHOPの原点っていうのが、東京B-BOYSってのが代々木で踊ってて。でも彼らの出身って、北千住・南千住・三ノ輪あたりの、あの辺なんですよね。彼らがアメリカの文化をやりたくて出てくるんだけど、今だとそういうのも拡散して、ダンススクールを除けば、なかなかそういう地元繋がりみたいにならないですよね。
不良っていうよりは、お金とかダンスとか歌とか、自己実現の手段がたくさんあるから、ぐれなくてもいいんですよね。

森山:一方で、不良アイコンが喪失したことで、勉強できなくて、お金もなくて、でもそういう人たちは学ランの改造で目立つことができたのがなくなったのはどうなんだろうって。あそこで発散できてたものがあったはずなんですよね。それがもっとうちに籠もって、事件になっちゃうとか。

鈴木:なんか、淡々と生きてますよね。それを幸せと呼ぶべきか。反抗できなくなったから牙を抜かれたんだって言い方もあるし、反抗しなくても済むようになったんだからいいじゃんって言い方もあるし。
ただ、この番組でずっとやってきた話に繋げると、やっぱり80年代にひとつの転換点があって、それがいままた戻ってきてるって話ですよね。Lifeって、ずっとそんなことばかり話している気がします。
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2007年01月26日(金) 15:49:07 Modified by life_wiki




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