「文化とお金」Part3

2007/5/19公開録音「文化とお金」Part3(Podcasting限定版)


出演:鈴木謙介、柳瀬博一、仲俣暁生、佐々木敦、斎藤哲也、津田大介、森山弘之

※以下の発言まとめは、正確な番組での発言とは異なる場合があります。

MP3その4


鈴木:ここまでの話を踏まえて質疑応答に行こうと思うんですが、自己紹介がてら、好きなマンガとか、アーティスト紹介してください。で、質問のある人挙手!

鮭缶:好きなアーティストはスピードワゴンだったんですが。柳瀬さんがアクセスできることが大事だっておっしゃってたんですけど、父は中卒で祖父は炭鉱労働者。文化系リソースにアクセスできるようになったばっかりに、お先真っ暗な大学院生になってしまったと。国家経営として考えても、アクセスなんかできないで、ちゃんとした国民・労働者になって、勤勉に働くようにした方がいいのではないかと思えてきたんですが、どうなんでしょう。アクセスして、文化系に搾取されて。浅羽通明さんが昔、「論壇は搾取している(僕もだけどね)」というようなことを書いてたんですが、どうなんでしょう。

柳瀬:私が王様だったらもちろんそうしたいところですけど。かつて王様がいたとき、権力の差っていうのは何だったかっていうと、情報の差だったんですよ。一番、お金を持っている人が情報を持っている。一番下の人は持っていない。逆になる場合もあるけど、情報を持っている人がお金を持っているのが近代の文明。先ほど紹介した「ウィキノミクス」や、チャーリーの「ウェブ社会の思想」もそうだけど、ベースになるのはまさにその話。現代ってのはウェブ環境がととのっていて、アクセスしうるっていう意味で言うと、フラットになっちゃった。株の話なんか考えれば分かるわけで、昔はホントにインサイドもどきで儲けてた時代、ものすごい昔にはあったわけです。お金(の情報)に近いところほど儲けられる。一番も受けてるのは外資系の金融マン。なんでかっていうと、お金に近いところで仕事をしているから。社会的な意味とかは関係なく、お金に近いところほどお金が手に入るという。
結論から言うと、もう無理。炭坑労働夫、農家の方でも、その気になれば情報にアクセスできる。昔と比べて、ってどのくらいかっていうと1996〜7年と今でもう違う。2001〜2年とも違う。この2、3年。いま、古い映画を見ようと思えば、Amazonとかで500円で買える。昔はたまたまかかっている名画座に行くしかなかった。そのためには名画座の情報をゲットしないといけなかった。僕は昔、クリント・イーストウッドの「センチメンタル・アドベンチャー」って映画が、東京で単館上映もされなかったので、栃木の名画座まで見に行ったことがあります。84年だったかな。いまはワンクリック。こういう状況で、国民を情報から囲い込んで見せないようにするってのは無理。でも日本の官僚ってのは、囲い込んで善導しようという発想がいまでもある。

津田:まだコントロールできると思ってるんですよ。

柳瀬:ところが、日本の役所と政治家がホントに頭悪くて、そういう情報を一番持っていなかったりする。

鈴木:僕や津田さんが、政府の出先機関みたいなところに行って、ネットのことはどうなってるのかブリーフィングさせられたりしますよね。

津田:官僚の人でも、すごいブログ読んでますよ。

鈴木:情報吸収しなきゃって。でもそういう人が100人に一人とかだったりすると、孤軍奮闘せざるを得ずみたいな。その中で、質問の答えになるかわかんないけど、アクセスを遮断するのは無理だけど、不幸にならないためにどうするかってことだと思うんですね。

柳瀬:そこで「とりあえず働け」と。日本においては文化資本の蓄積と、経済資本の蓄積はリンクしない。文化系だからってお金にはならない。だから本を読むことと、仕事をすることは両方同時にできるのは、いいことだと思う。昔はお金がなかったらアクセスできなかった。今はアクセスできるんだから、どういう形であれ仕事をすればいいんじゃないのっていうのが私のプラグマティックな解答です。

佐々木:僕も補足なんですけど、今のって、割にLifeで話してきたことと繋がると思うんですけど、日本だけじゃないにせよ、日本は特に、情報を秘匿した人が勝つって部分が強かった。それがオープンになることで困る人も出てきた。今の質問の人みたいに、アクセシビリティが高まったことで不幸になった人もいるかもしれないけど、オープンになってなかったら、その可能性とリンクすることもできなかったので。今は文化的な活動をしてるけど、それがなければ、情報が秘匿されていることさえも気づけなかった人たちがいた。それは受け取る側の問題で。アクセスできるようになった。そうなったら、それを掘っていくだけのツールはありますよ、ってのが今だとすると、それに対して、能動的に歩んでいく人もいるし、逆に思いが強すぎるのか、歩いていく前の部分で立ち止まっちゃう人がいる。それはパーソナリティの問題。僕はアクセスできるようになった今の方がいいと思う。それ以前は、ホントに自分のノウハウで、その有限性の中で獲得するしかなかったんだから。

鈴木:今の質問の話を広げていくと、そんなこと言ったって、いまやディグする回路はないんだよとかって「ロストジェネレーション(笑)」問題とかになっていくので、ここでいっかい止めますけど、確かにおっしゃってたように、ある種の見え方の違い、世代差とかはあるのかもしれないですね。で、色々回したいので次に行きましょう。

安藤:安藤三です。古屋実について色々書いてます。メンタリティの違いを痛感したと言うことで。メールを送らなかったんですけど、今回は食いつかない話題だった。お金に対して無頓着なところがあって、これを読まなきゃみたいな圧迫感からCDを買う、本を買うってのがない。自分のライブラリにしまわずに、レンタルや図書館で済ませる。なぜかというと「分かるときに分かるようになる」と思ってるから。今分からないものは、いつ読んでも分からない。だから好きなことを純粋に消費できるというか、興味のあることから深めていくことができる。だからLifeとかも聞いてるんですが。
チャーリーさんがお金とか、2世問題とか、お金を持ってる方が知識を得られるみたいなことを強調するのは、自分がそうでありたいという無理した圧迫感みたいなものではないんですかということをお聞きしたいんですが。

鈴木:これが聞きたい、でもお金ない、みたいな圧迫感から自由になればいいじゃん、みたいな話かな。それはすごく分かる気がする。なんだろ。お金がなくて手に入らなかったっていうのって、この1、2年で、って話があったけど、僕くらいまで、お金がなくて手に入らないっていうのが多かったんですよ。もう少し下までかな。この数年で、ネットも出てきたし、ツタヤの品揃えとかがものすごくよくなってきて、どこそこのツタヤは新譜が手に入りやすいとか、今日かけたTwo Punksも実はツタヤですけど、旧作が充実しているとかあるわけです。どうしてだろうって思うと、昔はお金なくて手に入らないなあって気持ちがあったんだろうと思う。もう一つは、相対的に自分の興味が広がってきたってことなんだろうと思うんですよね。あれ欲しいなあって思ってたときのものなんて、それ自体はたいしたものでもなくって、むしろ、そうやって、色々アクセスできるようになって、あ、これも欲しい、ってなって、ツタヤの半額セールでいつも30枚くらい借りてくるんですけど、あれもこれもってなっちゃうのって、チャンスが増えて、知識が広がって、安藤三さんがおっしゃってたように、今自分に欲しいもの、のアンテナが広がってきたからだと思う。自由になるということ自体が、プラトンじゃないけど、洞窟の中で映った自分の影を見ながら一喜一憂してるだけのような気がする。そこから外に出て行くということ、それによって、飢餓感が増していくということも、多分起こる。けれども、それと一緒に、自分が成長できてたら、絶対楽しいことだと思うんですよ。自分が成長してきたときに、うまいこと社会人とかになってて、多少、自由になるお金が増えてたら、それだけアクセスもできる。君らが「あの人いっぱい知ってるなあ」って思いながら見ている前にいる人たちだって、絶対に最初こんなことなくって、最近になって身につけた知識とかで、「俺は昔から知ってたぜ」的に行ってる部分もあるわけで。なので、自由になるってことより、その欲望をドライブしながら、それを満たす手段をゲットすることも忘れないってことじゃないかな。今言われて気づいたけど。

安藤:そこでお金がツールとしてってのをおっしゃってたんですね。

鈴木:最終的にはね。欲しいと思ったときに手に入れたいじゃん、と。僕らの社会は、前近代と違って、パトロンが付いてないとクラシック音楽に触れられないということはない。お金を出せば誰でも入れる。そしたら入ればいいじゃん、と。むろん、お金がないって苦労する部分は、日本はまだあるよ。欧米では、オペラでもクラシックでも、ものすごい安い学生料金が設定されてる。日本だとS席12000円とかじゃん、一律。それは何とかして欲しいけど、お金出せば何とかなることについては、何とかすればいいんじゃないかなって思うんですよ。
ほんで、次。

まるくす:ラジオネームは、じゃあ、まるくすでお願いします。今大学生で、デプレシャンの映画とか割に好きです。僕、話を聞いてて、さっきの方と逆で、強迫観念に駆られて色んなものを知りたいっていう感じでやってきたんですよ。で、さっきチャーリーさんが「アンテナが広がった」っておっしゃっていうのは、僕は分からなくて、僕は、レベルが上がったっていうか、ある種の体系的な正解に近づいていくってことがあったんじゃないかって。っていうのは、今日、文化資本の話があったりして、パーソナリティの問題にならない部分があったり、努力でなんとかするのか環境か、って話も出てきた。それって、あるひとつの価値観を前提にしてるんじゃないかって思ったんですよ。サブカル的な知識の上下関係みたいのがあって、それを得られるかどうかって話になるから、パーソナリティだとか、環境じゃないんだとかって話になる。
森山さんも、いいものを150円で買えるのはスキルがあるからだってちょっとおっしゃってて、やっぱりサブカルっていうのもジャンルであって、体系化しちゃって。それでお金で悩むのかなと。それはなんでかっていうと、サブカルな人がつるんで人を見下して、新しく参入した人が、自分こんな知識ないのに、どうしようってなって、それを得るために、正解に到達するためのアクセスっていうのに、お金が必要になるんじゃないかって思ったので、その辺を聞いてみたいんですよ。

森山:・・・・質問が難しすぎる!

鈴木:端的に言うと、オタク序列問題みたいなので。「ガンダム好きです」ってゆってたら、「なんだお前、ファーストガンダムも見てないのか」とかって出てくるオヤジがいると。で、「ああ、ウイングとかディスティニーとか見てちゃダメなんだ」ってなって、強迫観念に駆られるってのはどうなんだっつう。そのピラミッドを前提にして文化系ってどうよみたいな。

まるくす:あ、その通りです、ありがとうございます。

森山:僕もやっぱり強迫観念に駆られて、大学生の頃とか、あらゆるものにアクセスしたけど、僕なんかは玉石混淆というか。結局、この人の本と決めたら全部読む、このバンドと決めたら全部聞く、みたいに変えました。その方がよっぽど得るものがある。

津田:僕が思ったのは、メールで、投資なんじゃないかってのがいい視点だと思ってて。安藤さんは文化を「消費」って言って、まるくすさんは文化を「投資」だと捉えている。ライブラリでためておくっていうスタイル、試聴して、あんまりよくないかなと思っても一応買って持っておく。売るのはやめておこうってのがある。なんかのきっかけで数年後に、心にしみることがあり得るから、ライブラリとして置いておきたいのが僕。今の二つの質問が、消費型と、自分の中にため込みたい投資型ってのがあるのかなと。
流れで、僕が質問するのもあれなんだけど、今の文化系の人って、昔よりぜったい屈託がなくなってる気がするんですよ。その辺ってどうなのかなと。昔の方が、友達も作りたかったし、鬱屈してたけど、今はそういうのがなくなってるんじゃないかって。

鈴木:それはね、津田さん、森山さん、僕あたりってのがビフォー・アフターの分かれ目なんですよ。アフターから生きている人は、屈託ないとか言われても比較できないじゃないですか。両方を比較できる人がある程度の年れの幅の中にいて、そこから下になると、アフターの世界しか知らない人になるんじゃないか。

佐々木:ビフォー・アフター問題になってくるのかなと思ってたんですけど、今の質問を聞いて、「これは聞いておかなきゃ・読んでおかなきゃ」って強迫観念、僕は一度も感じたことがない。僕は聞きたいものを聞いてきたから。まるくすさんは僕の半分くらいの歳だと思うけど、僕なんかどこまでいってもビフォーだから、僕が二十歳だったら彼と同じ土俵で考えることができるかもしれないけど、そうじゃないから、どうやっても非対称の関係になっちゃう。

鈴木:いまの佐々木さんのお話が本質で、ピラミッドって言うじゃない。ピラミッドって誰の中にあるかっていうと、ピラミッドうらやましいと思ってる側の方にあるという。

佐々木:そうそう、それでもうちょっと言いたいのは、逆に、僕が彼の歳だったときにも、ビフォーはいたし、抑圧もあった。ビフォー・アフター問題ってのは、僕からすると昔からあった特別な問題じゃないと思いたいわけ。けど、思いたいってこと自体も、僕はもうビフォーだから、「そんなことないですよ、今のビフォーってのは、あなたがアフターだった時とは全然違うんですよ」って言われても、そうかなあとしか答えられないよね。それはホントに分からない。大学生の文化系の扉の前にいるときには、抑圧もあったし。

中俣:あったあった。お金で買えないものがあるとすれば、それは過去の経験なんだと思うんですよね。だからデータベース化されてどんなにアクセスしやすくても、お前リアルタイムでジミヘン聞いてないじゃん、って言われるとぐうの音もでないってのが、僕らの時もありました。で、そのときは、アクセスもできないから、あきらめることも、関係ないっていうこともできた。でも同時に幻想も残るわけ。リアルタイムで聞いてればこうだったんじゃないかって。今はアクセスはできるよね。というか今の人の方が聞いてるんですよ、未発表音源とか。60年代、70年代にロック聞いてる人なんて、日本でほんのちょっとだから、すごく小さい情報を深読みして間違った理解をしている人、いっぱいいたけど、いまは過去の体験とか歴史性にこだわらなければ、色々楽しめる。でも文化って、過去の文脈の、この時代のってのが大事だったりする。そうなるとやっぱり、しょぼいけどロック喫茶で聞いてたストーンズの良さ、とかになってきて、老人のストーンズになってくる。

佐々木:老人は昔の話しかしないからね(笑)

中俣:で、僕らは老人でもないし若くもないからすごく居心地が悪くなってる。過去の経験を特権化することがどのくらい抑圧になるか分からないから、それは言わないようにしてるけど、そうするとYouTubeで見てわーみたいな感じで終わっちゃう。

森山:情報の量なんてどうでもいいと思うんですよ。僕は渋谷系に本質的にはまれなかったのは、その知識がある表現の形になってるものは、感情移入できなかった。色々アクセスしたけど、最後はそこにひとつの哲学があったり、人生が見えたりすることが重要。たくさんのことを知って、それを職業にするとかじゃなくて、実学として、生き方、美しさを判断するスキルだったり、そういうものを情報から得ることの方が大事。

鈴木:「俺ピラミッド」って話ですよね。僕がさっきアンテナって言ったのも、権威にアクセスできるということではなく、俺ピラミッドができたって話ですよ。なので、20年後みんなは、この公開録音に来ていたことを自慢しないようにと(笑)
ごめんなさい、あと一人だけ。じゃあそっちの女性の方。

ゆい:ゆいです、無職25歳で、属性はウェブ日記です。簡単に質問するんですけど、金のない弱者や病人は、文化系になることは可能なんですか?

鈴木:じゃあひとりずつ最後まとめも含めて向こうから。

柳瀬:具体的なシチュエーションが分からないので一般論で話すと、読みたい、聞きたいと思えば、文化系はできる。何にアクセスしたいのか、何をしたいのかってほうがむしろ重要。そう思ったらそれを手助けしてくれる手段はたくさんあるので、そこから始めればいいんじゃないでしょうか。

森山:僕はお金がなくても、ない中で、っていうか、前の仕事を辞めてフリーターしてた、一番お金のなかったとき、その中で本屋の棚だったりCD屋だったり、そこで買ったもの、買えなかったものって、すごく覚えてるんですよ。その棚の前で悩んだこと、結果としてよかったことも悪かったこともあるけど、そういうところで得られたものはすごく大きいから、お金ないくらいの方が、逆にいいんじゃないかって思ってます。

津田:普通に考えれば、図書館とか、友人同士の貸し借りって多いんで、環境があったらやればいいと思うんですよね。僕がこういう子というと大問題になるかもしれないけど、やっぱりWinMXとかWinnyって便利なソフトがあるんで、、、

鈴木:津田さーん!

津田:全然、僕使っていいと思ってるんですよ、ああいうのって。興味を失って、文化系みたいな人がいなかったら、産業自体がそもそも成立しないんだから。そこから、色々知って、余裕ができたときに正規購入すればいいと思うんで、文化系はどんどんWinnyを使えばいいと思います。

中俣:今日の話、文化系が消費者、ユーザーの話になってたので、今度は送り手の話もしたいなと。で、今、消費をしない人の方がクリエイティブなんですよね。小説の新人賞の下読みとかするんですけど、心を病んでたり、お年寄りの方とか、クリエイティブな魂を持っている人たちがいる。そういう人たちはもっと小説を読んで欲しいとか思うけど、今はすごく賢いけど生産はしない消費者が膨大に増えてきている。で、他方でクリエイティブな人は、歴史や情報に興味がない。文化系というのは賢い消費者であることだけを意味するものではないので、とりあえず公共的な資源にアクセスして、刺激を受けたら何かを作ってみようと思うのが次のステップになるのかなと。

佐々木:貧乏って言葉も曖昧で、どっから貧乏なのかようわからんと。必要なだけあればいいと思うけど、必要なものが得られないから貧乏なわけじゃない。逆かもしれないけど。一概にお金があればいいって問題じゃないなと。で、お金がなかったら、パクればいいんですよ。

鈴木:わお。

佐々木:それでいいと思いますよ。いや別に犯罪を助長するのではなく。

津田:そうそう。リスクも当然あるけど、それを分かった上で、最終的には卒業すべきだと思いますよ。

佐々木:というのが分かった人の意見だけど、お金なくても手段は広がってるんだから、自分の欲望の強さの問題で、それさえあればなんとかするじゃん。その自分の動機付けを邪魔する要素っていっぱいあるけど、それをいっこいっこつぶしていけばいいと思う。それをつぶせば、貧乏であっても文化系になれるってのは、今前に座ってる人たちが証明してるよ。

斉藤:貧乏と貧困って違っていて、ホントに貧困で、パソコンも買えなくてって状態では文化にアクセスはできないですよ。最近、茂木さんと梅田さんの「フューチャリスト宣言」で、茂木さんかな、ネットへのアクセスを基本的人権にしろって提案もあるくらいだから。ホントにぎりぎりになっちゃうとアクセスできないけど、文化系ニートくらいならアクセスのやりようはあるんじゃないかと。

鈴木:最後もうまとめになっちゃうけど。最後の斉藤さんの話が大事で、アマルティア・センっていうノーベル経済学賞を取った経済学者がいますけど、センが言ってるのは、貧困や飢餓がなぜ起きるかというと、モノが足りないから起きるんじゃない、情報にアクセスできないから起きるんだって言うわけですよ。同じことだと思っていて、情報アクセスを人権にするべきだってのはそこから出てくるん話なんだけど、正しい知識を得られなかったが故に貧困や飢餓が生じるのと同じで、あるものにアクセスできないことで人が豊かになることができないことになる。これを社会学の言葉では「相対的剥奪」ってゆって、世の中が恵まれているから、ある程度のところまでのモノを持っていても、その先にアクセスできないと豊かな暮らしができない。一日1ドル以下で生活している人たちと、僕らの貧困、貧しさってのは比較できない。だからいい悪いじゃなくて。っていう前提の上で、文化にはアクセスできた方がいいと思う。
っつうか、Lifeとか、俺こんな風に前に出るのとか超苦手なんだよ。そう見えないと思うけど。でもなんでこんなことやってるかっつうと、自分がそういうことをしてもらったおかげで今の自分があるから、後から来た人、乗り損ねた人に向けて、こういう場を作っていきたいと思ってるから。また公開録音もやるし、その中で、豊かさっつうんじゃないけど、そういうのが増えてったらいいなってのが、今日の感想です。
最後、告知、次回の放送は6/3の深夜。テーマは「社会運動」。是非生で聞いてください。というのも、ゲストに、いま話題の人を予定しているので。今日は予算も地位もない番組でこういうことをするのは、みんなの協力が不可欠。楽しくやりましょう。
2007年05月25日(金) 09:54:07 Modified by life_wiki




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