第13話

僕も最近の憂鬱を吹き飛ばすという名目でこの老婆に応戦することにした。
「くそばばあ。おまえみたいなもんに何がわかる。そんな汚い恰好してるやつなんぞに話し掛けられたくないのだ。明日の燃えるゴミにだしたろか」
「わしゃ燃えへんのじゃ。そんなことも知らんのか。このニートが」
なんでこの老婆はニートなんて言葉を知っているのだろうか。
「じゃあ、不燃ゴミにだす。それまでだ」
僕がこの台詞を言い放つと老婆は急に顔をくしゃくしゃにして泣き出した。
「わしだって、わしだって援交の一度や二度したかっただけなんや」
こいつは僕とやるつもりだったのか。想像しただけで地獄におちたような気分だった。この気分は本当に衝撃的で映画を見ようという決心さえも挫き、僕はそのミニシアターから引き換えすことになった。井の頭線のガード下をくぐり抜けるときに気持ち悪くなって嘔吐した。
 家に帰ってしばらく布団で横になっていると、不意にさっきの老婆の顔が脳裏に過ぎった。どこかで見たことある、そんな気がした。僕は一度見た顔は絶対に忘れないという自信があった。それなのに今まで何も思わなかったのはなぜだろう。
「あ。」
僕は思わず声をあげた。老婆はたまにテレビに出演している占い師だったのだ。あまりにも身なりが汚かったので気付かなかったが、あの独特な笑い方は間違いなくそうだった。僕は布団から飛び起きると、急いで下北沢のミニシアターへと向かった。別に手相が見てもらいたかったわけではない。ただ、なぜあそこにいたのかが不思議でならなかったのだ。走りながら空を見上げると、どんよりとした灰色が広がっていた。僕はなんとなく自分がこんな色にしたのではないだろうかと思った。
老婆どころかダンボールすらも無くなっていた。
何故老婆はいなくなったのだろう。何かそこには理由があったのだろうか。それとも理由などなかったのだろうか。人はどこから来てどこに向かうのか。そしてそれには理由があるのか。老婆の蒸発は僕にそんなことを考えさせてくれた。たとえ誰かが僕のこの思考に脈絡がないと言おうが、それはその誰かの脈絡というものが、僕の脈絡というものと違ったものであるだけで、彼がそういったところで僕自身の中で脈絡のない思考が行われていることが証明できるわけではないのだ。
そういえば喉が渇いた。読者には分からなかったであろうが、実はさっきからずっと「15の夜」を熱唱していたのだ。そう、僕は今、盗んだバイクで走りだすべきなのだ。
とは言えども、やはり喉の渇きは死活問題なので、道を歩く女子高生に「アラル海の枯渇は大問題であるぞよ」と年長者目線で啓蒙していたところ、警官にはじかれた。警官にはじかれた。そう、まだバイクさえ盗んでないのに。
2005年10月12日(水) 23:17:54 Modified by miduki2ishi




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