英文法の袋小路(EAC)4

英文法の袋小路(EAC)
英文法の袋小路(EAC)3



[40] Mon Sep 27 14:59:52 JST 2004
ヨシカワ

>raintreeさん

リンク先の内容読みました。情報ありがとうございました。

読んでみた印象は、論者の話の進め方が「なんだか、FAIRじゃないなぁ〜」という感じですね。
両方のサイトで同じように感じたのですが、そもそも「英語の受身は“機械的”操作によって生み出されるもの」で、「日本語の受身にはより“豊かなニュアンス”がある」という前提から出発しているように思えてなりません。日本語の表現に関しては、話者の「気持ち」にそって微に入り細をうがちながら検証しているのに、英語の表現に関しては、「受身」「使役」のような概念にあてはめて語るだけですしね。
たとえば、〈http: //people.uleth.ca/~uzawa/essay5.htm〉の方の論者は、英語話者が作りがちだという日本語の受身文『ジャンが私の足を踏みました』の不自然さを検証しながら“『(私は)足をジャンに踏まれました』とするとずっと自然になる”というような添削をされていましたが、その論の進め方がどうもしっくりきません。
日本語の受身は確かに“「話者が困っている状況」の話をする”ことがシンプルに表現できるスタイルだとは思いますが、たとえば、『I had my foot stepped on.』みたいな文章にすれば、「踏まれたのは私の足だけど、困っているのは私」といったニュアンスを表現できますよね。
“対人関係に特に重きをおく日本文化”ということにあまり強くとらわれすぎると、ことの本質を見失ってしまう。英語話者だって、「対人関係」にちゃんと(自らの文化にふさわしいあり方で)「重きを置いている」と私は思います。


[41] Mon Sep 27 19:07:40 JST 2004
raintree
>れむさん
センター試験の問題は、今展開しているこの問題がある程度めどがついたら
改めて話題に再登場させるつもりでした。なぜならこの問題の解決が鍵にな
っているように思えるからです。ご指摘のとうり当然センター試験は『一般常識』
をテストしますから、レムさんの主張は正解だと思いますよ。この問題を間違いだ
とする人は皆無でしたから。多数派です。ただそれと別解答が可能かどうかというのは
違うのではないでしょうか。この設問にはやはり問題点があると思いますし、も少し
議論の余地はあるのかも知れません。



[42] Mon Sep 27 19:08:07 JST 2004
raintree
さて、せんせいの >どうしたって「完了」から「受動」を引き出すことになる。
というのに強く関心を持ちましたので、いつものように英語史をひもといてみますた。
OEでは、完了形としてhabban(have)、wesan(be)やgetもあったそうです。
そのうちwesan(be)は今のcome, go, depart, growといった動詞とともに使われました。
MEでhave+p.pという現代の完了形が確立しました。come, arrive, run, go, growなどはhave+p.pという形をとらないで、be+p.pという形をとりました。今の受動態の形です。
この2つの構文はしばらく共存していたが、18世紀頃にbe+p.p(come, go, arriveといった動詞)では行為の結果の状態(今話題にあがっている完了の意味です。)
have+p.pは行為そのものを表現するという区別があった。
ただbe+p.pをとって完了の意味を持つ動詞が一部に限られていたり(ココの考察が今話題にあがってますね。)be+p.pが完了にプラスして受動という2つの機能を果たさなければならないのに対し、have+p.pは完了の意味しかなかったのでbe+p.pの完了形が衰退していったようです。(もちろん今でも使ってますが。)
 言葉の歴史をひもとくのは非常に面白い。単語の意味の歴史的変化をたどるのも面白いけれど、ある構文がどのような経緯で今の形・意味を持つようになったのかというのは、特に興味を引く。受動態の場合、現代に比べてOEの方が制限がいろいろあったり、前置詞のbyが使われるようになったのもここ300年くらいのことで、それまではof、throughやfromが使われていた。このように歴史的背景からも完了から受動態が引き出されてきたことが検証されるようです。

>ヨシカワさん
ふぇーあーじゃないですか。まあそれを差し引いても充分参考になる意見だと思いますが。(やまさんがコピペしているサイトの方も癖ありますよね。)もっとも英語の豊かな表現についてはせんせいの今後の著作待ちですが。また面白いサイトがあればリンク貼ります。

http://www.kansaigaidai.ac.jp/www/jf/jfea0021.htm
むずい論文でしょうがこの第4章って興味そそるんですが・・・・


[43] Mon Sep 27 20:03:09 JST 2004
ヨシカワ

>raintreeさん

「FAIRじゃない」というのは、かなりきつい書き方でしたね。まぁ、まだ、全体をあまり深く読み込んでいないので、「違和感がある」という感じなのですが。何というか、参考になる、ならない以前の問題として、なんとなく妙な違和感を感じる。たとえば、冒頭で“英文の受身文は、能動文と同じ事実を単に視点を変えて言ったという性格が強い”と断定的に語っておられますが、受動表現をとる場合、英語話者には「視点を変えて言いたい」という「気持ち」があるはずで、「単に視点を変えて」というのは語弊があるような気がするんですね。
どうも、日本語話者の「気持ち」への踏み込み方と、英語話者の「気持ち」への踏み込み方のバランスがとれていないなぁという印象がぬぐえないんです。よく読み込めば、また印象も変わるのかもしれませんが。

あ、それから、〈Mon Sep 27 14:59:52 JST 2004〉に誤植がありました。訂正しておきます。

×日本語の受身文『ジャンが私の足を踏みました』の不自然さを検証しながら
→○日本語の受身文『私の足がジャンに踏まれました』の不自然さを検証しながら



[44] Mon Sep 27 20:13:51 JST 2004
raintree
>ヨシカワさん

>日本語話者の「気持ち」への踏み込み方と、英語話者の「気持ち」への踏み込み方のバランスがとれていない。

たしかに仰るとおりですね。もっとも各サイトの意図することを考えればしょうがないかも?
さて、では
翻訳者の実践から英語と日本語の受身を考えるのはどうですか?

http://www.sunflare.com/izumi/Class/Class_002.htm


[45] Mon Sep 27 21:22:01 JST 2004
ヨシカワ

>raintreeさん

>もっとも各サイトの意図することを考えればしょうがないかも?

ま、そうなんですけどね。こちらが、今、「受身を使うときの気持ち」というところにグーッとフォーカスを絞り込んでいるので、よけいムズムズと違和感を感じてしまうのかもしれません。

それから、「実践」的サイト、ちらりと見ました。私も、ちょっと「言葉を使う職人」みたいな仕事をしているので、なにやらマニア心がそそられました。あとで、ゆっくり読みこんでみます。それでは、本日はこのへんで。



[46] Tue Sep 28 00:12:41 JST 2004
あいねぇ

やっぱり幅広いというのはすばらしいですね。皆様のご意見とても興味深く、勉強になります。こういう感じを皆さん「うろこが…」って呼んでおられるのでしょうか。
やっとお話しの基本ラインが理解できた、と思うレベルに達しましたので、分からない点を質問させてください。
ものっ凄い基本的なことで申し訳ないんですけど、

過去分詞って完了の状態を表しますよね?

つまり、今話題にのぼっているのが、過去分詞は「完了した状態」を表すって事を一般的なレベルで検証してるのか、あるいは過去分詞が出てきたらそれはとにもかくにもどんな場合でも「完了した状態」を表すのだということを立証しようとしているのか。
あるいは別のなにかか。
すいません、なんかずっこけさせる(死語?)ようで。



[47] Tue Sep 28 07:28:55 JST 2004
raintree
>あいねえさん
>Sat Sep 25 10:54:14 JST 2004のせんせいのレスが今の話題の一つ。
あとは日本語の受け身と英語の受け身の差異。

>過去分詞が出てきたらそれはとにもかくにもどんな場合でも「完了した状態」を表すのだ
はやまさんの意見。


[48] Tue Sep 28 08:39:44 JST 2004
れむ-1
おはようございます。

>サイトの意図すること

[Mon Sep 27 21:22:01]を拝見して、 この点について朝からあれこれ考えてしまいました。

1.ここは大西先生のサイトですので、”「せんせいの英語学習法」に魅力を感じ、その極意を真剣に学びたい”という方々が(先生のご厚意により開かれた場であるココで)自由に語り合い、それぞれがみな自分なりに「何か」を学び取ること

2. その基本姿勢は「英文法をこわす」の著書で述べられているように、「機械的規則の集積によって英語を語りえる(P11)」とする既存の英文法から各自が自己の発想を解放し、「機械仕掛けの限界を知り、別経路を断念し、ネイティブのもつ感覚を調査し、その生きた感覚を基に組み上げる体系(P14)」である「感覚の文法(P14)」の構築を目的として互いに協力し合いながら「作業仮説(P192)」を行う議論のための場であるということ

3. また、作業仮説の基本姿勢として「最大限の用例を最小のイメージで説明・記述することの困難はもちろんのこと、それを学習者が最も消化・吸収しやすい形で提示することも難しい(P193)」ということをふまえたうえで、「乗り越えられるべきあるもの。それが作業仮説である。(P193)」であること

以上のように、私としては理解・認識しているようです。


[49] Tue Sep 28 08:40:48 JST 2004
れむ-2
ですので、私自身も”英語に関する「作業仮説」を行うことを目的とするスレッドにおいては、今後上記の点によりいっそう気をつけよう”と思った上で、できましたら、外部のサイトや(大西先生の著書以外の)書物からの引用においては、上記の点を鑑みたうえでなおココのみなさまに有益であると判断されるものを、ご紹介者のフィルターにしっかりととおしてからかみくだいた表現により、”学習者が最も消化・吸収しやすい形で提示”していただけるとありがたいとも思います。

また、そーいう固いお話の息抜きのために「突然すいません。。。」や「台風一過」など雑談系スレッドが、英語にきちんとむかいあうには母国語である日本語に対してもきちんとむかいあい深く理解している事が前提条件である事から「言葉の豊かさ・言葉と体験の関係?」のスレッドが、英文読解実践の場としてきわむさん(およびタロイモさん)のご厚意により開設された「いけす」と連携するための「ブッククラブ」スレッドが存在するのだろうなぁ…とも思っています。


[50] Tue Sep 28 09:29:04 JST 2004
れむ
>ヨシカワさん

"The toy was broken and I threw it out."
"The toy was broken(by me) and I threw it out."

を見ていて、受動態の説明ではないのですが「ネイティブスピーカーの英文法/第7章見えない語の見方を学ぼう」においてせんせいが語られている「日本語では、非常に頻繁に主語が脱落します。このため私たちは、その都度適当な主語を補って意味を解釈するのです。しかし、英語では主語が欠けたりするようなことはありません。ところが、英語でも意味の上では当然あるべき要素が欠けているということが頻繁にあるのです。この「見えない要素」を深く理解することによって、私たちはより深く英語を理解することができるようになります。(P143)」という文章が、なんとなく気になってしかたがないんですが…。

"The toy was broken"において、本来あるべき主語が欠けている。
”そのおもちゃが壊されている”という性質(やまさんのことばでは「状態」)に完了させたはずの(本来あるべき)主語がない。
でも、(自分で勝手にこわれるはずのない)おもちゃが現在「壊れた状態」として存在する。

したがって、たとえばジョージ君がお母さんに困った顔をしてそう言ってきているとしたら、彼の様子と心理状態からお母さんは「適当な主語を補って意味を解釈する」しかない。

  • ジョージ君が後ろめたそうな表情で言っている→自分でこわしたんだけど、そんな事を言ったら新しいおもちゃを買ってもらえないので言いたくない
  • ジョージ君がリビングでTVを見ているお兄ちゃんを横目で見ながら言っている→兄弟げんかしてこわされたんだけど、ママに言いつけたらまたお兄ちゃんにいぢめられるからはっきり言えない
  • ジョージ君と仲良しのポール君がさっきまで遊びに来ていた→ポール君がこわしちゃったんだけれど、仲良しのポール君をかばいたい

そーいった「行為を行った人物をあいまいにして、とにかくおもちゃが壊れている状態のみを強調したい気持ち」があえて、この場合の"The toy was broken"という受動態にこめられているのかな?って。


[51] Tue Sep 28 10:29:25 JST 2004
あいねぇ
おはようございます。

>れむさん
最近ここのスレッドが活発になってきましたね。これがきっと他のところにも波及したり、他の人にも波及するに違いない、間違いない。(流行語大賞っていつごろ決まるんでしたっけ?)

[Tue Sep 28 08:40:48 JST 2004]のポイントはやまさんの引用ってばほとんど全文じゃーんってことですか?(いやいや全文は適切じゃないか。7割引用ってとこですかね。(*^_^*))

現在の話題の発端となった試験問題でAs soon as the star player came in, the game (became=came to be) excited.でもいいんじゃないかと考えるraintreeさんのお考えをもう一度確認したいのですが、時既に遅し、消えちゃってる…どなたかお持ちではないですか?すみません。


[52] Tue Sep 28 10:52:13 JST 2004
れむ
>あいねぇさん

「引用」については”どなた”とか”どこ”とか具体的なものではなく、「最大限の用例を最小のイメージで説明・記述することの困難はもちろんのこと、それを学習者が最も消化・吸収しやすい形で提示することも難しい」という難しいお仕事に、あえて挑戦しつづけておられる大西先生に対して敬意をはらう意味で、私たちもココに書き込みをするうえで、できる限りの努力をする事が礼儀ではないか…と、思ったからです。

子供に何かを教えようとする際、本に書いてあることをそのまま読んで聞かせて、子供がわからなかったら「わからないあなたが悪い!」と怒ってはダメですよね。
「お母さんのいう事を黙って聞いて、いーからとにかく覚えなさい!」っていうのも、いわゆる古い教育法ですよね。
そういったアプローチの方法は、大西先生の目指しておられるところと違うような気がする。

そーいうことを、なんとなく考えていました。


[53] Tue Sep 28 11:14:40 JST 2004
れむ
>あいねぇさんへの、補足です。

たとえば[Mon Sep 27 19:08:07]の英語史に関するお話を拝見して、その内容に興味をもった方がもっと詳しく知りたいと思った場合のために、少なくても参考文献の本のタイトル、著者名(できれば引用した該当ページなど)をきちんとご紹介いただく事や、議論の参考になる他サイトをご紹介いただく際にもご紹介いただいた理由のポイントをたとえ簡単にでも自分の言葉でわかりやすくまとめてご紹介いただく事が、きちんと学ぶ姿勢でココを見ておられる方々や管理者であられる先生への礼儀ではないかと思ったからです。


[54] Tue Sep 28 12:21:51 JST 2004
あいねぇ

>れむさん
あ、すみません。れむさんが”どなた”とか”どこ”とか具体的なものを指しておられると勘繰ったいうわけでなく、(れむさんに言われるまで各サイトに行かなかったので)たまたまやまさんの引用割合が思いのほか多いことを知ったので、それが印象に残って、その自分が得た新しい情報を題材にさっきの文章を書いてしまったわけです。軽率で申し訳ない。

れむさんのカキコを読んで、自分はやまさんの引用に注目したわけですが、そこからあぁやまさんはこの意見を面白いと思ったんだろうなぁという情報を得た(推測した)ので、もしやまさんの伝えたいもののなかに、引用した意見への共感があるとすれば、一表現方法として、れむさんのおっしゃる努力から逸しないとは思います。引用の割合が大きいということ自体は。(って別にれむさんは、引用の割合を問題にして無いんですよね…。)

引き合いの意図として好意的だし、と思った愚か、そもそも自分のものではないどなたかのカキコを引き合いに持ってくる軽率さが何より愚かでした。れむさん、やまさん、ごめんなさい。はーだっせーっす。自分。あーやだやだ。むーずーかーしーですねぇ。コミュニケーションって♪(この♪に葛藤があることを読んでいただければ至福。言葉にするのをタルがってんのは日本的傾向?)


[55] Tue Sep 28 12:29:41 JST 2004
あいねぇ

Tue Sep 28 12:21:51 のカキコ、何度も読み返したつもりだったのに…。ぜんぜん満足できません。
せんせにゃ倣いたし、でも正直それ、つまり倣いたいという思い、にさえ値得る文書は自分にはちょっとやそっとでは書けないみたいです。やれやれ。
どーしましょ。しゃーねーなぁって言っていただけます?


[56] Tue Sep 28 12:39:05 JST 2004
あいねぇ

↑こーゆー話をするのがうまくないので、ここで終わらせるのが心地よくなく、故に(笑)本題のAs soon as the star player came in, the game (became=came to be) excited.で考えてるところをちょっといますと、
excitedは完了なので、the gameは主語としてその文の表現したいactionを十分に引き出せないのではないかと思います。いかがでしょう。


[57] Tue Sep 28 12:40:41 JST 2004
あいねぇ
Tue Sep 28 12:29:41 >自分
文書じゃないや、文章ですね。訂正。


[58] Tue Sep 28 12:54:48 JST 2004
ヨシカワ

>れむさん、みなさん

えーと、ちょっと話題が「受動態」から逸れてきているようなので、れむさんの書き込み[Tue Sep 28 08:39:44 JST 2004][Tue Sep 28 08:40:48 JST 2004][Tue Sep 28 10:52:13 JST 2004]へのレスを、「言葉の豊かさ・言葉と体験の関係II」の方へ書き込みました。よかったら、そちらの方へお越しください。



[59] Tue Sep 28 14:38:12 JST 2004
大西泰斗
>raintreeさん
 うん。英語史は僕にとっても last resort です。普段は現在の(共時的な)ネイティブの意識の流れを追っていますが、たとえばA->B /B<-A どちらも同様に説得力があると思ったときには「ちらっと」語源や発生の系譜を眺めたりもします。ただロンドンのおばちゃんとかそんな歴史知っているわけはないし、知っていなくても英語は話せるんだし、あまり大きくこだわるということはありません。「説明の流れを整えるためのヒント」ということにしています。
 ご紹介いただいた HP はちらっと眺めたりしていますよ。んで、もう少しことばの血肉を感じさせる記述がほしいなぁと思ったりもしました。学習者が「ストン」と納得するのはそうした部分だったりしますから。そーした部分を raintreeさんにも少し書き加えていただけるといいなぁと思っています。よろしく。


[60] Tue Sep 28 18:34:16 JST 2004
ヨシカワ-1

>れむさん

>「行為を行った人物をあいまいにして、とにかくおもちゃが壊れている状態のみを強調したい気持ち」があえて、この場合の"The toy was broken"という受動態にこめられているのかな?

うーん。[Fri Sep 24 13:09:26 JST 2004]で、私は、受動態を使うのは“英語の「受動態」には、「by+作用を与えるもの」を語らないことで、「因果関係をあいまいにする」効果すらあったりしますよね”と書きましたが、もしかしたら、そのへんのことを受けての問い掛けのなのでしょうか?
「因果関係をあいまいにする」というのは、話者が「因果関係をあいまいにしたいという意図をもって使う表現だ」と言いたかったのではありません。「あいまいにする」ではなくて「あいまいになる」と書いた方が適切だったように思います。

能動態を使うと、たとえば、I broke the toy.のように、「誰かがおもちゃを壊した」こと(行為の因果関係)があからさまになってしまいますよね。でも、英語話者だって、「誰が壊したか(行為)」を話題にしたいのではなくて、「何が壊れているか(状態)」を話題にしたいことが普通にあるだろうし、そういうときは、ひっくりかえして、「行為者」を切り離してしまって、The toy was broken.と言う。それだけのことだと思うのです。
「by 〜」を「省略」したのではなくて、「by〜」を言う必要がないスタイルを選んで話しているだけ。
というわけで、The toy was broken.という文章だけをどう解析しても、ジョージ君がなんで「行為者を言う必要のない言い方をしたのか」を読み取ることはできないと私は思います。文脈や、ジョージ君の態度から察して、れむさんがいろいろと想像したようなことが導き出されるかもしれませんが。



[61] Tue Sep 28 18:34:41 JST 2004
ヨシカワ-2

あ、それから、ひっくりかえして語りたいと思う「モチベーション」については、もちろん「行為を話題にするつもりじゃないから」だけではなくて、いろいろありますよね。みなさん、大西先生の『ネイティブスピーカーの英文法』のP.53〜P.73を復習しましょう。持っておられない方は、立ち読みないしは購入しましょう(先生のおこずかい増量のために、購入を強くおすすめします)。
それから、『ここがおかしい日本人の英文法2』(T.D.ミントン著・研究社刊)のp.1〜p.32にも興味深い説明がのっています。あと、『ネイティブの例文でわかる英文法』(ジオス出版刊)のp.187〜 p.208、『無痛英文法』(レベッカ・エリオット著、マクミラン・ランゲージハウス刊)のp.27〜29、『英語のゴールデンルール』(ラブ・オーシュリ著・新日本教育図書刊)のp.115-117なども参考になるかも。このあたりのネイティブの息のかかった文法入門書をクルージングして、大西先生の本という母港に帰ってくるというのが私の基本的な「検証」スタイルだったりします。もっと学習が進んだら、リアルな英語の大海原に出てみたいんですけどね。


[62] Tue Sep 28 20:06:43 JST 2004
raintree
>あいねえさん
過去ログはきわむさんのところにありますよ。
http://he4.phys.tohoku.ac.jp/~kiwamu/eAcademyBBSbk...
>れむさん
      • ・・・・・
>大西先生
了解すますた! 微力ながらがんばります。
別にこの板せんせいマンセーじゃない人もカキコオーケですよね。



[63] Tue Sep 28 20:12:07 JST 2004
raintree
As soon as the webmaster came in, the thread became (1 exciting 2 excited).

the webmaster= Oh!nishisensei



[64] Wed Sep 29 00:20:54 JST 2004
あいねぇ

>きわむさん
って凄いですね!その継続力!悔しいぐらいに尊敬します。いつも思いますが私にもその能力があればヒトカドの人にだってなれたかもしれないのになー。ふふふ…ふっ
>raintreeさん
ありがとうございます。Thu Sep 23 22:44:18 JST 2004でやまさんが冒頭で言ってたことに私も一票。raintreeさんぐらいならぺ・ヨ○ジュの変装セットを手に入れられる場所を見つけられるんでしょうねえ。(林家ペーも探したけど両方とも見つけられませんでした。やれやれ。)他にもあの人もこの人も、あんな人の事まで色々いい事言いたくなるんですけど、タルくなりそーだから止めとく。

と言うわけで過去ログをパラパラっと見ました。(じっくり読むには時間が…。お肌に悪いし。)やまさん登場前後で見事に話題の対象が移行してるんですね。面白い。
で、過去ログ読んでいてよくわからないことがあったんですけど、そもそもなんでexcitedのほうの文が受身ってことになったんですか?



[65] Wed Sep 29 00:55:48 JST 2004
やま
ヨシカワさんの書き込みがだんだん読めてきました。説明ありがとうございました。

私が英語についてあれこれ考えているポイントは、「ノンネイティブが英語を理解するためには、どのような方法論を持っているべきなのか」、この一点です。だから、言い過ぎてしまうなら、「事実」がどうであろうと、それはあまり問題ではない、というか。とりあえず、どう考えればいいのかの「方法」を知りたいという感じです。

日本人が英語を理解する時の「ガイダンス」。それはあった方がいいですよね。今の「古典的英文法」は、ガイダンスになるどころか、学習者にとって「無意味な障害」、「邪魔」にしかなっていない。それでみんな、憤りを隠せないわけです。

言葉の教育は「機能」から始めるとダメだと思います。ルールによる管理が横行していた日本で、大西先生が「内容」を語り出したからこそ、私たちは心を震わせてきたのでしょう。先生のおかげで、私たちは「言葉を使う自由」を知りました。自由を知った私たちは、もう2度と「文法書が支配する世界」には戻れないのです。(何かの開会宣言。みたい。)


[66] Wed Sep 29 00:57:20 JST 2004
やま
いつかの続き。

? 目的語がなければ自動(詞)である。
? 過去分詞は完了した状態である。

これは、いつでも成り立つ「法」だと思いますが、どうでしょうか。それで、

  • 自動+完了+状態=受身

など、ある行為が「自動で、完了で、状態」だったら、受身を表す要素がそろったことになる、とは考えられないでしょうか。

(? be動詞 の後ろは状態である。を含めて考えるとしたら、be動詞は受身を表す時のサポートではあると思います。「次は状態表現がくるよ」という合図にはなっているでしょうから。)

たとえば、This shirt washes easily. は目的語がないから「自動」で、現在形だから「一定した事実」、2つを足すと「洗える」になる、とか。

Mary was killed. (メアリーは殺し終わった。)
The letter was written.(その手紙は書き終わった。)

うーん、これじゃダメですかね。もちろん、どうしても「〜れる」を使わなければおかしすぎる場合は多くありますが、「受身」が「派生」の「解釈」なら、私は十分に納得できるのですが。


[67] Wed Sep 29 06:48:41 JST 2004
raintree
>あいねぇさん
>ぺ・ヨ○ジュの変装セット
これって通販○活で扱ってますよ。(マジレスでスマソ)

>そもそもなんでexcitedのほうの文が受身ってことになったんですか?
キターって感じですね。この文の えきさいと は自動詞なのか他動詞なのか
おっと。目的語があるのか(あるとすれば何?)って点ですよね。
このスレの流れからどう考えますか。もっともあいねぇさんは先に完了って
おっしゃってました。てことは目的語のない自動詞。もう一つの考え方は
えきさいと (分詞のえきさいてぃっどじゃなく)の目的語は the game と考える。
本来ならばThe star player excited the game.と表現してもいいんだけども、

As soon as the star pleyer came in, he excited the game.

主題がスターの参入ではなく、ゲームの出来具合とするならば、主節の主語は
the game にしたほうがいいす。

As soon as the star player came in, the game was excited.

参入でゲームが活・性・化した 見たいな。

お粗末でした。

まあ ゲームを見ている客が オモシー と感じるなら The game was exciting.
でしょうが、冷静に分析的に見る客が The game was excited (by him).と言っても
いいんじゃないすかね。



[68] Wed Sep 29 07:07:25 JST 2004
raintree
閑話休題
つまり、能動と受動とを分けることがライプニッツの場合にはまだ伝統的な仮説(精神が能動的であるとき身体は受動的である、その逆も真である)のうちにあったままであるが、これに対してスピノザは、精神の受動と身体の受動とが同格であること、そして身体の能動が精神の能動と同格であることを主張しつつ、実際的な分類をすべてくつがえしてしまうのである

スピノザと表現の問題  G・ドゥルーズ   工藤/小柴/小谷 訳

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/458800321...



[69] Wed Sep 29 11:14:30 JST 2004
ヨシカワ

>大西先生、raintreeさん、みなさん

raintreeさんの[Tue Sep 28 20:06:43 JST 2004]の書き込みの中の以下の文章について、少しお話しておきたいことがあります。

>別にこの板せんせいマンセーじゃない人もカキコオーケですよね。

また、このスレッドの流れから逸れてしまいますので、「言葉の豊かさ・言葉と体験の関係II」スレッドへ書き込みますので、そちらの方をご覧ください。



[70] Wed Sep 29 12:42:15 JST 2004
あいねえ

>raintreeさんっ
あぁさすが、期待通り。そうこなくっちゃ。ふふふ早速これであちしの株を上げてきます。八方美人も色々大変なんすよ♪
にしてもカタログハウス、さいこぉ。マグノリアのかえるにも惹かれる…でも林家ペーは扱ってないのね。片手間じゃん。

>この文の えきさいと は自動詞なのか他動詞なのか
おっと。目的語があるのか(あるとすれば何?)って点ですよね。

ふむむむむ。現在進行中の話題を読む中で、よ〜わからんことなんですけど、そもそも自動と他動詞の区別は何に使ってるんですか?
加えてもうひとつ。受動態→be動詞+P.P.ってのは習った記憶はありますが、be動詞+P.P.→受動態って法則は頭に入ってなくて。受動態=be動詞+P.P.がぎょーかいの通説になってるんですか?一般人レベルとして文法がかなりいい加減な私としては受動態=be動詞+P.P.だとしたら「52 へぇ」ぐらいあげちゃう勢いなんで…
もしそうならやまさんが過去分詞=完了状態にこだわってんのが納得できます。
過去分詞がbe動詞と一緒に使われてて、あぁ受動態だ、とは前提にしない気がします。むしろ言われてそっかー受動態って可能性があったんだーぐらいで。(←いい加減すぎ?)で、あんまりちゃんと検証してるわけじゃないので、漠然としかいえませんが、私にとっては受身か完了かってノリだと思うんですよね。もう少しお利口さんに言えば文脈。それはそれが表現されている文章の、であり読む人の、でもある。
以上、コ難しい議論をしているぎょーかいの常識なんてこれっぽっちも知らんが故のInnocentな発言ってことで。(一般の常識も疑われるinnocenceだったらどうしよう。)



[71] Wed Sep 29 12:42:41 JST 2004
あいねぇ

本当に受動態=be動詞+P.P.ってことになってるのかもわからないのでただの的外れな話題展開かもしれませんが、本当に受動態=be動詞+ P.P.って常識になってて、それに対して過去分詞=完了状態ってことを立証しようとしているとするならば、どっちもどっちになりかねないかと。
その動詞の性質や、文脈で受身にも完了にももしかするとそれ以外の何かにもなるよね、程度じゃなかったんでしょうか、過去分詞って。(過去分詞って結構売れっ子だったんだ。)

というわけで話題の試験問題について私は、the gameがスターや観客やその他諸々の感情も含めたものとして捕らえられるのか、という話をしているのだと思ってました。自動詞やら他動詞のかかわる話とは知らなかった。


[72] Wed Sep 29 18:49:44 JST 2004
raintree
be+p.p は受動態ですよ。p.pの意味上の目的語がこの文の主語です。意味上の主語この文の主語と一致しなければ完了ってことです。



[73] Thu Sep 30 17:20:04 JST 2004
ヨシカワ-1

>あいねぇさん、やまさん、raintreeさん

話が重層的になっているので、適当にブリーフィングしておきます。変なところがあったら、ご指摘ください。

えーと。raintreeさんがおっしゃってるとおりで、「be+(他動詞の)過去分詞=受動態」って、中学の時に習ういわゆる「文法規則」ですよね。で、「have+(自動詞/他動詞の)過去分詞=現在完了」という「文法規則」も習ったと思います。
私の記憶では、「他動詞」「自動詞」という説明は中学校のときには受けていないのですが。

で、やまさんの問題定義は(“”内は、[Sun Sep 19 11:30:26 JST 2004]からの引用です)

●過去分詞の「意味」が「受身」だったり「完了」だったりするのはおかしい。
●それは“「意味」という本質ではなくて、「使い方」という現象に、名前を付けているに過ぎない”。
●“「be動詞+過去分詞=受身」なんて「法」は、絶対に、ない。”

ということで、やまさんは、過去分詞の「意味」という本質を、「完了(状態)」というところに絞り込んでいこうという論証をされてきたのだと思います。
さらに、話の流れの中で、「自動詞/他動詞」といった区別も本質的ではなく、混乱を招くだけだといった主張([Mon Sep 20 02:59:02 JST 2004])があって、話が大きなうねりを持ち始めた。そんな感じだったのではないでしょうか?

で、大西先生のサジェスチョンは、「その方向で“煎じ詰める”ことができると思うが、“煎じ詰める”ことを学習効率を高めることに結びつけるのが難しい」といったようなことだったかと。



[74] Thu Sep 30 17:20:31 JST 2004
ヨシカワ-2

まぁ、そういうことで、私が書いていた「受動態ということに関わる、日本語話者と英語話者との意識構造の違い」は、やまさんの問題定義とは、やはり少しスジが違うわけです。

raintreeさんの「excited/exciting」に関する問題定義は、話の中で出てきた「自動詞と他動詞の区別は本質的なものなのか」ということに(直接的にはないにしろ)絡む話なのではないでしょうか?

そういう風に、話が少し重層的になっているわけですね。なお、raintreeさんの「excited/exciting」に関する問題定義については、大西先生が「言葉の豊かさ・言葉と体験の関係II」スレッドの[Thu Sep 30 08:19:36 JST 2004]にレスをつけておられます。ご参照ください。




英文法の袋小路(EAC)5

2007年05月01日(火) 20:00:02 Modified by onishi_eah1




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