英文法の袋小路(EAC)6

英文法の袋小路(EAC)
英文法の袋小路(EAC)5



[34] Mon Oct 11 15:07:57 JST 2004
ヨシカワ-1

>やまさん

>(意味決定に関わるほど)必要不可欠ならば、省略できないのです。

ここのところ、ちょっと納得できないので、書き込みますね。
ほんとうに、「(意味決定に関わるほど)必要不可欠」な言葉は「省略」できないのか?ということなんですが。

まず、“10 people killed in the accident”についてですが、確か、こういった「be動詞をとばす」書き方って新聞の見出しとかで多いんですよね(違うのかな?)。それって、日本語でもよくある書き方だと思うんです。たとえば…

“10人 殺害 大惨事”

まぁ、こういった「大見出し」が新聞にバーンと出たとします。それを見た人は、まず、普通は(A)の意味に受け取り、(B)とは思わないですよね。

(A) 10人(が)殺害(された)大惨事
(B) 10人(が)殺害(した)大惨事


で、ですね。先の見出しのことを忘れて、まず、最初に(A)と(B)の文章を下の形で見せられたと仮定してください。(《パロールとして》聞かされた、でもいいですよ、raintreeさん)。


(A) 10人が殺害された大惨事
(B) 10人が殺害した大惨事


さて、この二つの文章の「意味」の違いを決定してる言葉は、どれですか?また、この二つの文章の「意味」は、「ほとんど同じ」ですか?



[35] Mon Oct 11 15:10:48 JST 2004
ヨシカワ-2

私は、“言葉を省略する(語らない)”という行為は、けして「一義的」なものではないと思うのです。たとえば、こういうふうに分けて考えることもできると思います。

●あってもなくても、たいして「意味が変わらない」から「省略」する(弱い前置詞“of”)
●あってもなくても、「文脈上、意味が確定できる」から「省略」する(受動態の“be動詞”)
●あったりなかったりすることで「意味が変わる」から「省略」する(受動態の“by〜”の部分)

また、ここでは分析的に語る便宜上、あたかも“意識的に「省略」が行われている”ような表現を使っていますが、“言われてみれば「省略」していることになるなぁ”という感じのことも含んでいるとご理解ください。

というわけで…

☆“10 people killed in the accident”→“10 people (who are) killed in the accident”
★“10人殺害大惨事”→“10人(が)殺害(された)大惨事”

☆は★と同じように、( )内を補えば「“文脈”に関わらず、意味決定が明確になる」というだけのことではないでしょうか。
そして、このことを実例としてあげながら、「(意味決定に関わるほど)必要不可欠ならば、省略できないはずだ」と主張するのは、あまり「論理的」とは言えない(胸の内にストンと落ちない)と、私は思います。



[36] Mon Oct 11 15:30:08 JST 2004
ヨシカワ-3

それから、次の文章が「ほとんど同じ意味」だと言えるならば…。

(A-1) The door is closed.
(B-1) The door has closed.


次の文章も、「ほとんど同じ意味」だと言えることになると思います。(上の文章の「訳」として持ち出しているわけではありませんので。念のため)

(A-2) ドアを閉じた。
(B-2) ドアが閉じた。


(A -2)(B-2)も、結果として「今、ドアが閉じているという状態に至った」ことには違いがありませんよね。しかし、「私=ヨシカワ」という日本語話者の感覚として、(A-2)(B-2)の「意味」(語りたいこと)は明らかに違います。その「意味」の違いを意識しながら、たとえば、こんなふうに《話す》こともできるわけです。


“私が「ドアを閉じた」んじゃなくて、勝手に「ドアが閉じた」んだよ!”


(A-1)も(A-2)も、「The door/ドア」は動作の《対象》である。(B-1)も(B-2)も、「The door/ドア」は動作の《主体》である。
そう考えるのは、やはり今までの文法にとらわれている「呪縛」なんでしょうか?やまさん、raintreeさん、いかがですか?



[37] Mon Oct 11 19:47:06 JST 2004
raintree
そこだけ切り取ればどっちにもとれますよ。前後関係から人は意味をとるから問題ないんですね。受身の呪縛についてはまだ気が付いたていどなので人に説明できる段階ではありません。しばらくお待ちください。be+p.p=受身っていうのはどうかというやまさんの問いかけは大変面白いと思います。


[38] Mon Oct 11 20:29:35 JST 2004
raintree
the door is closed.
the door has closed.
の意味は勿論違いますよ。エクリチュールとして考えれば。
パロールで考えると、the door's closed.と声に出していっているその瞬間にis/hasの差を意識していないんじゃないのかってことですよ。それだけパロールの分析は難しいんでしょうね。パロールで規範文法に従ってそれこそ「正しく(嫌な言葉だねしかし)」会話できるネイティブはどれだけいるのでしょうか。適切でない表現をしたって相手には伝わるし。もっとも正しく言葉を使ったって通じない(小生かそいつは)人だっているでしょう。

それにしても先生の

>of がなくともほとんど意味が通じるほど「弱い」前置詞

ほんとストンって理解できました。上手いなぁ。

ストンって言葉も先生ですよね。使い始めたの。
言葉って論理性じゃないっすね。


[39] Mon Oct 11 20:33:55 JST 2004
raintree
>ヨシカワさん
10 people killed in the accident. 新聞の見出しで使われる表現を経験しているからこそ、10人が殺害した大惨事とは決してとりませんよ。無論、なぞなぞとか論理学とやらなら別ですよ。


[40] Mon Oct 11 21:03:57 JST 2004
raintree
>受動態なんて大げさなものではない気がします。
ってところが肝心。ヨシカワさんの例は に・ほ・ん・ご
10人が殺害された大惨事
10人が殺害した大惨事
されたは 尊敬でもなく推量でもなくう・け・みです。したとの意味の違いは当然。このう・け・みの感覚をそのまま英語にもってってしまうのが問題ではってのがやまさんの仮説と小生の解釈。



[41] Mon Oct 11 21:09:42 JST 2004
raintree
>勝手に「ドアが閉じた」んだよ!”
The door closed itself.
×The door was closed itself.
The door has closed itself.
"The door's closed (itself).


[42] Mon Oct 11 21:10:56 JST 2004
raintree
△The door was closed by itself.


[43] Tue Oct 12 13:26:53 JST 2004
ヨシカワ-1

>raintreeさん

あー。ちょっと、論点がかみあっていませんね。ややこしい書き方しちゃったかな。すいません。

[Mon Oct 11 15:07:57 JST 2004]の書き込みは、「be+p.p.は う・け・み や否や?」という話は度外視しています。
単に、“「(意味決定に関わるほど)必要不可欠」な言葉が省略されることなんて、フツーにあるんじゃないですか?”という疑問を述べているだけなんですけど。
で、そういったことに関しては、「え・い・ご」も「に・ほ・ん・ご」も同じレベルで話せるかなと思って、日本語話者同士として実感のつかみやすい「に・ほ・ん・ご」の例をあげたまでのことです。それじゃ、だめですか?


10人が殺害された大惨事
10人が殺害した大惨事

この2つの文章の「意味の違い」を決定しているのは、「された」と「した」ですよね?でも、「文脈」によっては、そこの「要素」をはずして「10人殺害 大惨事」としても、「10人が殺害された大惨事」という方の文意を、ほぼ間違いなく伝えることができる。
だから、同じように、“10 people killed in the accident ”で「be動詞」が発現しないからといって、「(意味決定に関わるほど)必要不可欠な言葉が省略されることはない」とは言えないんじゃないですか?と質問してるんですけど。かみ合わないのは、私が、執拗に“意味決定に関わるほど”というところにこだわっているからかな。



[44] Tue Oct 12 13:27:32 JST 2004
ヨシカワ-2

それから、“The door is closed. も、The door has closed. も、縮めて言ったら、The door's closed.”というのも、文脈上、何の言葉が短縮されている(飲み込まれている)か、ネイティブには明らかなだけではないですか?まぁ、ネイティブに聞いたことなんてないし、あまり自信はありませんが。

ほら、日本語だって、会話においては、「ドア、閉じたよ」って、意味決定において大切な「格助詞」がバンバン落ちたり、飲み込まれたりするじゃないですか。でも、文脈上「ドアを閉じたよ」(「ドアが閉じたよ」ではなくて)と理解されると(無意識に)期待して、発話するわけでしょう?そういったことを、英語話者もフツーにやってるだけのことだと思うんですけど。ちなみに、“The door's closed.”の場合、“ドアは、閉まってる(状態だ)よ”って言いたい時に使うことの方が多そう。ドアが開いたり閉まったりする「動作」のことを話題にすることって、少なそうだし。


いや、それは、話し言葉を、書き言葉(《エクリチュール》)と同じレベルで考えるからで…ということなんでしょうか?うーん。なにやら、釈然とせんなぁ。



[45] Tue Oct 12 13:54:28 JST 2004
ヨシカワ

>やまさん

釈然としないので、いろいろ思いつくままに書きますね。

たとえば、これなんですけど。

(A)Mary is killed.
(B)Mary has killed.


(A)のMaryは死んでる人だし、(B)のMaryは殺しちゃった人でしょ?これって、明らかに「is+killed」と「has+killed」という組み合わせの違いによって、異なる「意味」が生み出されていると思うんですけど。ほとんど同じ意味、ではないですよね。

まぁ、しかし、このところ頭が活性化しているようで、ちょっと、私ばかり書きすぎですね。仕事もなにやら滞ってきたし、ちょっと、ペースを落とさねば。ではまた。



[46] Wed Oct 13 00:30:26 JST 2004
blue poppy
>The door is closed は、「そのドアは閉まっている」という、状態(closed)、
The door has closed は「そのドアは閉まった」という、状態(closed)に至るまでの動作、ではないでしょうか。

 とんちんかんな割り込みになってしまったらスミマセン。私の場合はやまさんのこの意見とほぼ同じです。2つの文の違いを「動静」の状態として捉えるとすると、 is の方が「静」で、 has の方が「状態(closed)に至るまでの動作」ということから「動」という感じを受けます。そこに差があるような。やはり zoom up 感がポイントです。
 is と has が省略される場合は、その前後の文章、あるいは会話(これをパロールと言えばいいのですか?)ではその場の状況によって聞き分ける事が出来る、使い分ける事が出来るような...とここまで書いて、あれ?皆さんと同じ事を言ってるだけかなぁ。
あやしいので止めておきます...。

 ヨシカワさんとraintreeさんの解説で、『言葉と体験...』も含めて話がわかるようになって来ました。アイちゃんなど馴染みのあるものを絡めていただけたのも助けになて。面白いです!ゆっくりめの(お時間のある時で良いので)連載を希望します☆


[47] Fri Oct 15 21:51:24 JST 2004
やま

>ヨシカワさん
ヨシカワさんの問題意識は、be+過去分詞が受身という前提で考えているから、生み出されているように思います。私はすでにその前提は捨てていますから、ヨシカワさんが何を問題にしているのか、なかなか理解できませんでした。

10 people in the accident
10 people who are in the accident

どちらも意味は通じませんよね。killed は必要不可欠だから、絶対に省略できません。be動詞はサポートでしょう。be動詞でなければならない理由は、それほどないですよ。beでなくとも、 get でもbecome でも、他の動詞でもいいんですから。問題にすべきなのは、そうした、動詞の直後に置かれるという位置、ポジションだと思います。

Mary has killed. という文はありえないでしょうから、ちょっとコメントできません。

目的語の有無によって意味が決定するんだと思います。
意味の決定因子が前ではなくて後ろにある、ということです。


[48] Fri Oct 15 21:51:43 JST 2004
やま

be+過去分詞が、どう考えても受身じゃない例なんて、いくらでもあるじゃないですか。be +過去分詞は受動態だよって習った直後に、普通に「We're closed」なんていう文に出会うわけです。たいていの人は「私たちは閉められます、、、なんじゃそりゃ??」とハテナマークがいっぱいだったと思うんです。でも、自分だけがわからないのかと恥ずかしくて質問できなかったり、「ま、そう言うんだろうな、しょうがない覚えよ」って諦めたり、辞書で closed を調べて「あ、このclosed は形容詞なんだ」なんて妙に納得したり、、、してきてはいませんか。(raintree さん、「なんでclosedなんじゃい!ワレ!」とは私も思いましたよ。疑問に思えるのは頭が働いている証拠ですよ、きっと。)

be+過去分詞=受身という法則が成り立たなくなると、「このclosed は形容詞だから」とか、「be が省略されてるから」とか、(私、見たことあるんですが)「新聞の見出しでの過去分詞は受身である」なんてルールを付け足していく、、、という姿勢、これって例のアレではないですか、あの憎むべき、パッチワーク、というものでは。私は、この問題は、呪縛というよりは、悲劇ではないかと思ってるんです。

他動詞の過去分詞の closed 。自動詞の過去分詞の closed 。形容詞の closed 。
3つのclosed が英語の世界には存在していて、その3つをネイティブは上手に使い分けている。だから、我々もその違いを常に意識しながらclosed を使いわけなければならない。。
本当にそうですか?


[49] Fri Oct 15 22:17:11 JST 2004
ヨシカワ

>やまさん

お、ほとんど同時の書き込みでしたね。ちょっとびっくりしました。

えーと、ですね。私は、“be+過去分詞”が、「(日本語的な意味での)受身」という感覚からは抜け出さなければ、という認識を持っています。ただ、やはり、英語話者が「active voice」「passive voice」というふうに分けている以上、“違うvoice”と感じる本質的な理由が何かあるんじゃないかと。「文の構造が違うと、“意味”も違うはずだ」という考えから、どーも抜け出せないのです。

それから、Mary has killed.って、あり得ないですか?killには「人殺しをする」という自動詞としての使い方がある、と思っていたのですが…。違うのかな?
“I have killed!”というタイトルの、こんなサイトもあったりしたのですが…↓。
http://www.naatanet.org/Exhibition/html/sfiaaff97/...

また、時間ができたら書き込みます。今日のところは、このへんで。それでは。



[50] Sun Oct 17 01:13:39 JST 2004
やま

>英語話者が「active voice」「passive voice」というふうに分けている以上
分けているのは、英語話者ではなくて英文法書ですよ。それに、区別する言葉があるからと言って、その実態があるとは限らないですし。今まで私たちは、さんざん煮え湯を飲まされ続けてきたじゃないですか。中身のない文法用語たちに。

例えば、「Meaning and the English Verb」には、現在完了の用法が4つに分けられているんですね。state-up-to-the-present / indefinite past / habit-in-a-period / resultative past の4つにです。それで、みんな(!)、こういった権威ある欧米の文法書に逆らえずに、今でも、現在完了には4つの用法があるという固定観念から抜けきれないわけです。ちなみに、この本の中には、passive voice についての説明はありません。多分、他動/自動の変化と同じくらいに、英語話者にとってあまりにあたりまえの話たったからではないでしょうか。

>文の構造が違うと、“意味”も違うはずだ
それを言うなら、過去分詞closed は、過去形のclosed と発音もスペルも「同じ」なんですよ。同じ発音とスペルなら、同じ(ような)意味なはずだ、というのが、(生活の場で言葉を使っている)私たちの自然な感覚ではないですか。単語レベルでの感覚の方が、より根源的なものだと思います。

では、Mary has killed. はありで、話を進めましょうか。次は私に、こう質問すればいいのかとも思います。「やまさんは目的語の有無によって意味が決定する、と説明していますが、ならば、Mary has killed. はどうして受身を表せないのですか?メアリーは殺した側の人間ですよね?」、とか。


[51] Sun Oct 17 12:14:43 JST 2004
ヨシカワ-1

おはようございます。今日は、日曜日を返上して仕事場に出てきたんですが、
アタマの景気づけに、ちょっと書き込んでみます。

>やまさん

今までの話の流れでは、誤解されても仕方がないと思いますが。
私は、やまさんが言うように、「過去分詞」(例えば:closed)としての「語の“意味”」を《closeすることが“完了した状態”》というところに煎じ詰めていくことに、さしたる異論はありません。というか、今のところ、たぶんそれが正解なんだろうな、という感じがしています。

ただ、その「過去分詞」closedを使って、次のような“並び”で「文」を組み立てた場合、「●」には「closeの対象」が、「○」には「closeの主体」が来るということになっている。そういったことを「法」として認めてもいいのではないかと思っているのです。

A.[● is closed.]
  →The door is closed.(“ドアを”closeすることが完了した状態)
B.[○ has closed.]
  →The door has closed.(“ドアが”closeすることが完了した状態)
C.[○ has closed ●.]
  →I has closed the door.(“私が”“ドアを”closeすることが完了した状態)

A もBもCも、文中の過去分詞「closed」の意味は、「closeすることが完了した状態」と捉えられる。でも、closedの「●:対象」を主題として話す場合(A)と、closedの「○:主体」を主題として話す場合(B、C)の「文の“意味”」(言いたいこと)は、異なるのではないでしょうか。



[52] Sun Oct 17 12:15:08 JST 2004
ヨシカワ-2

日本語話者が「てにをは」によって文意をコントロールしているように、英語話者は「語の並び」によって文意をコントロールしている。そういった意味で、「be+過去分詞」を「文の“意味”をコントロールする“並び”の最小ユニット」のひとつと考えてもいいのではないか。その最小ユニットの便宜上の “名前”として、passive voiceや受動態を今のところ受け入れています。

というわけで、私は、「be+過去分詞は、受身!→だから、とりあえず「〜される」と訳しておけ!」というような、学校ですり込まれた「法」に固執しているわけではありません。
《過去分詞の意味は:“完了した状態”》ということをいったん認めた上で、「その“単純明快な語の意味”を活用して、“言いたいことが多様に表現できること”をどうやったら説明できるのだろう」ということを考えているつもりなんです。


うーん。やっぱり、なんだか、ややこしい書き方かなぁ?
やまさん、大西先生、みなさん、私が「言いたいこと」が伝わってますか?



[53] Sun Oct 17 12:50:05 JST 2004
ヨシカワ

すいません、読み返してみると、Sun Oct 17 12:14:43 JST 2004に変なミスがありました。


A.[● is closed.]
  →The door is closed.(“ドアを”closeすることが完了した状態)
B.[○ has closed.]
  →The door has closed.(“ドアが”closeすることが完了した状態)
C.[○ has closed ●.]
  →I has closed the door.(“私が”“ドアを”closeすることが完了した状態)

↓訂正


A.[● is closed.]
  →The door is closed.(“ドアを”closeすることが完了した状態)
B.[○ has closed.]
  →The door has closed.(“ドアが”closeすることが完了した状態)
C.[○ has closed ●.]
  →He has closed the door.(“彼が”“ドアを”closeすることが完了した状態)




[26] Wed Oct 27 01:18:55 JST 2004
やま
レスが遅れています。ごめんなさい。とりあえず、ヨシカワさんの話に部分的にレスします。

>過去分詞は「完了した状態」を表す、というところに煎じ詰めていくことに、さしたる異論はありません。(やま改)

細かい話ですが、私は「煎じ詰める」という表現が気になってしまうんですね。煎じ詰めるというのは、完了と受身を合体させて考えたらそういう意味になる、というニュアンスですよね。そーではなくて、過去分詞は、存在を始めた瞬間から完了なんだと主張したいわけです。

>そういった意味で、「be+過去分詞」を「文の“意味”をコントロールする“並び”の最小ユニット」のひとつと考えてもいいのではないか。

ユニットなら、どうして beがないケースが存在できるんですか。数字はわかりませんが、beとセットで使われない場合なんて、数多く(半分以上)ありませんか。それほど多くの場合で beを必要としないのは、beがなくとも意味を解釈できるからではないですか。

>be動詞でなければならない理由は、それほどないですよ。beでなくとも、get でもbecome でも、他の動詞でもいいんですから。問題にすべきなのは、そうした、動詞の直後に置かれるという位置、ポジションだと思います。

これは、どう考えますか。

>closedの「●:対象」を主題として話す場合(A)と、closedの「○:主体」を主題として話す場合(B、C)の「文の“意味”」(言いたいこと)は、異なるのではないでしょうか。

主語が違いますからね。言いたいことも違うでしょう。

>、「その“単純明快な語の意味”を活用して、“言いたいことが多様に表現できること”をどうやったら説明できるのだろう」ということを考えているつもりなんです。

そうなんです、早くそこを考えましょうよ。

どうして過去分詞は、日本語に対応させると受身、となる場合があるんだろうか。

についてです。


[27] Wed Oct 27 19:09:30 JST 2004
れむ
今日、ふといろいろな先生の本やEBFのテキストを参考にしながら、ここの今までの話題を読み直していました。(きわむさんのところの過去ログにも戻って、流れをふりかえってみました。)
そして、文章のいわゆる「品詞分解」ならぬ「イメージ分解」をしてみました。

ヨシカワさんが[Thu Oct 7 19:26:58 JST 2004]で説明されているように、「ネイティブスピーカーの単語力1.基本動詞」p99〜参照しながら、イメージ分解(?)をすると

(A) The door is closed. 
  「ドア」(=)「閉まっている完了状態」→(“ドアを”closeすることが完了した状態)

(B) The door has closed. 
  「ドア」(次の状況をhaveしている)「閉まっている完了状態」→(“ドアが”closeすることが完了した状態)

(C) He has closed the door. 
  「彼」(次の状況をhaveしている)「閉まっている完了状態」「ドア」→(“彼が”“ドアを”closeすることが完了した状態)


めちゃくちゃ大胆な発想として、品詞とか受動態とか現在完了とかそーいったことを全く考えなくても、上記(A)(B)(C)のイメージを想像することも可能なのではないか?と。

そして、”haveもbeも基本的には、動作をあらわす動詞ではありません。「何かが身近にある」「何かが何かとイコール」という静的状態をあらわす動詞なんですよ。(「ネイティブスピーカーの単語力1.基本動詞」P100より)”とあるように、haveもbeも「主語がhaveの次に続く動詞の状態にある位置関係」であったり、「主語が動詞の状態とイコール」だったりして落ち着いている(静的状態にある)わけですよね。


[28] Wed Oct 27 19:11:12 JST 2004
れむ-2
だから、A be B → A = (B:完了した状態) という発想をもとに考えると、やまさんの問題定義は次のような疑問になると思うんです。

『どうして“完了した状態”(過去分詞)は、日本語に対応させると受身となる場合があるんだろうか。』

受身って「文法で、他者からの動作・作用を受けるものを主語として述べるもの」ですよね。

上記のAで考えると、「ドア」は普通自分の意志で「閉まっている完了状態」とイコールにならないと思われ、「他者からの動作・作用を受けた」結果「閉まっている完了状態」になることが多い、つまり受身をあらわすとされる事が多い・・・っていう考え方ではダメでしょうか?


[29] Wed Oct 27 19:48:49 JST 2004
れむ-3
上記のような発想をすると、

(A)I'm finished. 
   「私」(=)「(何かを)終えた完了状態」→(“私”は「何かを終えることが完了した状態」とイコールとなり、この場合は「受身」ではない)

(B)I've finished.
   「私」(次の状況をhaveしている)「(何かを)終えた完了状態」
  →何かをやり終えて落ち着いて今までの作業を頭の中に思い起こしている→ズームアップの感覚

そして「またまたつづき」スレの[Wed Oct 27 02:11:10 JST 2004]でSnoopyさんがおっしゃっている点についても同様に、その微妙な感覚の違いをあらわすことができるような気がするんですが・・・。

1. Are you finished? → You are finished.
「あなた」(=)「(食事を)終えた完了状態」

2. Have you finished it? → You have finished it.
                「あなた」(次の状況をhaveしている)「それ(食事)を終えた完了状態」→食事を終えて落ち着いて今までの時間を思い起こしている(ズームアップの感覚)


[30] Wed Oct 27 20:35:38 JST 2004
れむ-4
あと“10 people killed in the accident”という「be動詞をとばす」表現については、なんとなく、EBFのPART ? CHAPTER1 UNIT3「並置」における”?並置するということ 「=」の底にあるもの”の部分が関係しているような気がするんですが・・・。


[31] Thu Oct 28 00:19:48 JST 2004
やま
>れむさん
はい。私は、その方向で問題ないと思うのです。

ひとつ。私たちは、英語を聞く時、読む時に、beの次に来るのは「形容詞(的な状態表現)」だろうという予測をしながら、次の語を「待って」いますよね。では、haveの場合、次に来るのは「何(どんな表現)」だろうという予測をしながら、私たちは「待って」いるでしょうか。


[32] Thu Oct 28 06:41:31 JST 2004
れむ
おはようございます。

>やまさん

ごめんなさい。どうやら私は、あなたのおっしゃる「私たち」に含まれないようです。

だって、コミュニケーションにおいては(英語であろうと日本語であろうと)最後まできちんと聞いたり読んだりした後ですら、”ひとそれぞれに解釈やイメージが違う言葉等による会話の中のちょっとした「違和感」からお互いの「差異」が見つかってすれ違いが生じる”事が多いですよね。
ですので、次に来る表現を予測して待つ・・・という事が、私にはできないのだろうと思います。
(あくまでギャグとして、「こーいう返事(表現)が返ってくる展開を期待してたのにぃ〜!」というような流れはありますけれど・・・。(^^ゞ)
たぶん「いかにも教科書的な教材の文章」や「アドリブを許さないきちんとした学習のための英語劇の中でのセリフのやりとり」でない限り、必ずそういう予測できる規則にのっとった反応が返ってくるわけではないだろう・・・と思っているのかもしれません。

だから、おっしゃっている”予測をしながら相手の言葉を待つ”という事がよくわからないのだろうと思います。

また、ある意味で文法的な法則とかをいったんすっかり忘れてしまわないと、昨日私が語った[Wed Oct 27 19:09:30 JST 2004]から[Wed Oct 27 19:48:49]までのような発想はできないのかもしれません。


[33] Thu Oct 28 09:51:30 JST 2004
Snoopy
やまさんの言う「次の言葉を期待しながら聞く」とはこんな事ではないでしょうか?
誰かが話し始めます。

I will 〜. 
(この段階では何か「動作」をしようとしているのかな?何か「状態」になろうとしているのかな?と想像するしかないですね)

I will be 〜.
(こうなれば、ああ何かの状態になろうとしているんだなと判断がつきます)

ところが、

I have 〜. の場合
ここまででは次は「名詞」なのか、「to-不定詞」なのか、話の展開が想像できないですよね。

I have an apple.
I have to eat an apple.

そういう意味で、人は最後まで話が終わらなくても常に次の言葉の予測をたてながら
聞いていると思うんです(読むときも同じですが)
そうでなければ普通、情報処理が遅くなり
通常の速度での会話は成り立たないと思います。
日本語でも同じ事が起こっていると思います。


[16] Wed Nov 3 06:24:25 JST 2004
やま

>Snoopyさん
そうですよね、私もそう思います。いつでも文法的に、システマティックに予測しているとは思いませんが、たとえば、「過去に聞いたことのある文」を照会しながら相手の話を聞き、話を聞き終わる前に相手の言いたいことがわかる、なんてことはありますよね。

「動作/状態」という点で考えると、たとえば「We」という言葉は、主語ですが、「次が動作であることを予測して下さい」ということを表している、と読むこともできると思うんです。だから、多くの場合に名詞で使われるcard という言葉が、「We card」と表された時に、そのcard は動作である、と理解できると思うのです。

同じように、be やget という動詞の後ろには、「動作」表現は来ませんよね。だからこそ、その位置にくるclosed、killed、surprised などが、動作ではなくて「状態」を表していると、誤解なく理解することができる、とういわけです。

have の後ろは、「こと」的な名詞表現が来ると思います。動詞、形容詞は続きません。(自分で問いかけておいて、この後がちょっとわからないんですが、完了表現(have+p.p.)の p.p.以下は名詞表現(動名詞)である、と言ってみた所で意味はないですよね。。)


[17] Wed Nov 3 13:56:49 JST 2004
Snoopy
>やまさん

>たとえば「We」という言葉は、主語ですが、「次が動作であることを予測して下さい」ということを表している、と読むこともできると思うんです。

「We」だけではその次が動作か状態かはわからないのではないでしょうか?
be動詞は名前は動詞ですが、動作ではなく状態を表す単語ですよね。
ですから「We」の次に動詞(be動詞、一般動詞)が来ることは予想できますが
それがやまさんが言うように「動作」とは限らないと思います。

Ex. We are students. (動詞ですが動作ではありませんよね)

自分でも前の例文で
>I will be 〜.
(こうなれば、ああ何かの状態になろうとしているんだなと判断がつきます)

と書いてしまいましたが、進行形を考えれば動作かもしれませんね。
間違いでした。状態もまれには進行形にできますが、ほとんどの場合は動作
ですからね。

1. I will be doing it.
2. She is being beautiful.

2.の文は彼女が整形手術中!とかなら使えるかも知れませんが。

それで、論点はちょっとずれてくるかも知れませんが。。。
「have」も動詞と呼ばれていますが、やはり先生が本にも書かれているように
とても静的で動作を表す動詞ではないですよね。
ですから完了形は私は「〜された状態をもっている=完了」と理解しています。
「〜された」の行為者はもちろん自分でもいいわけです。
ですから「have」の後には名詞、過去分詞、to-不定詞しか(あ、冠詞という
のがありますね、冠詞はある意味、名詞を修飾するという点においては
形容詞だと思いますが。)来れないとおもいます。
「have」の後に現在分詞がすぐ来る文をあまり見たことがないので
可能かどうかわかりません。「have」+「人,物」+「現在分詞(動名詞)」なら
あり得ると思いますが。

私の考えでは完了形のp.p.の後は名詞か動名詞しか無いと思います。
でも「have」の後に動名詞はあり得ないように思います。

やっぱりなんか、論点からずれましたね。すみません。
よく噛み砕いてから書き込みするべきでした。(^-^;


[18] Wed Nov 3 13:57:12 JST 2004
Snoopy
>やません

>「過去に聞いたことのある文」を照会しながら相手の話を聞き、話を聞き終わる前に相手の言いたいことがわかる、なんてことはありますよね。
やまさんのこの意見には大いに賛成です。特に洋画など見ている時には
いかに多くのフレーズを知っているか否かが聞き取りの鍵ですよね。
人間は耳だけに頼って会話をしているのではないと言うことがよくわかります。
点線が実線として聞こえるのは、「次を予測する」能力だと思います。




英文法の袋小路(EAC)7

2007年05月01日(火) 20:02:39 Modified by onishi_eah1




スマートフォン版で見る