出羽仙北の清原氏参戦

 源頼義は出羽仙北の豪族清原光頼、舎弟武則を参戦させるべく、珍しい贈り物をしては言葉巧みに清原氏を口説いた。清原氏ははじめ承諾しなかったが、ついに応じることとなった。
 後の、後三年の役の時に頼義がどういう策で口説いたかが露呈する。金沢城篭城の時、家衡の乳兄弟千任が櫓の上から源氏軍を罵倒する言葉に、源氏が清原氏に名簿を差し出したことをいう。このことは、頼義が清原氏の家来になることを意味する。
 話の真偽はともかく、清原氏は要請に応え一万余の兵を挙げた。頼義は大いに喜び三千余人の兵を引き連れ栗原郡営岡に集結した。営岡は蝦夷征討の折り、坂上田村麻呂が兵を集結させた場所である。
 編成は以下に示す。

 第一陣 清原 武貞
        武則の子
 第二陣 橘  貞頼
        武則の甥
 第三陣 吉彦 秀武
        武則の甥、そして婿
 第四陣 橘  頼貞
        貞頼の弟
 第五  一陣  源  頼義
     二陣  清原 武則
           清原氏宗家
     三陣  国内の官人
 第六陣 吉美候武忠
 第七陣 清原 武道

 みての通り、軍のほとんどは清原氏姻戚関係のものである。
2007年02月10日(土) 09:34:10 Modified by otomisan_




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