「ストライク!バッターアウト!チェンジ!」

今日の俺は絶好調だ。誰にも打たれる気がしない。
それ位で無くちゃあ、千羽矢には敵わない。
今迄で最高のピッチング、ヘタすると人生最高のピッチングかもしれないと
手ごたえを感じながらマウンドを降りて、ベンチへ向かうと浮かない顔のマネージャーが
スコアブックと睨めっこしていた。

「強い…事は知ってたけど、ここまでとは予想外ね」

冴花がスコアブックに並んだゼロを眺めながら嘆息する。

「雨崎君の実力は、そりゃ私だって良く知ってたけど、それ以外の選手もデータの3割増位の力を発揮してるわよ。校内戦の比じゃないわね。
 …私の見立てでは今の開拓なら5回までに2,3点位は堅いと思ってたんだけど」

まぁ冴花がぼやくのも分かる。
開拓史上最強と謳われた俺達が、いままでの5イニングで取った点数はゼロ。
どころか―

「いくらなんでもヒット0は酷いわよねぇ」

冴花がジト目でこっちを見ながら呟く。
それに関しては面目次第もございませんって感じだ。
試合開始以来、まだ俺達は一人もランナーが塁上に居る姿を見ていない。
この回先頭打者の詰井が冷や汗をかきながら打席に向かったが、どうなる事やらな。

「まぁでもこれ位はやってくれなくちゃ面白くないよな」

「随分な自信ねぇ。まぁ裏付けがあるから文句は無いけどさ」

スッと冴花の持ってるスコアブックに目を落すと、混黒高校のスコアが目に入る。
混黒高校の得点も、今さっきの6回の表を終えてゼロ。
そしてヒットも――――0。
さっき言った『一人もランナーが塁上に居る姿を見ていない』ってのはそのままの意味で、だ。

「これホント凄いことなんじゃないの?どちらか片方ならまだしも、両投手がしかも決勝で6回まで完全試合って」

「まぁ例を見ないと思うぜ。って、6回はまだ終わって―

ストラーイク!バッターアウト!チェンジ!!!

「何?」

打席ではいつの間にか杉田が空振り三振を喫していた。
ちょっと横を見れば、いつの間にか詰井とプル畑が正座の上に重石をのっけられている。

「いや、何でも。この回もしっかり抑えてきますってね」

「頼むわよ、エースさん。あ、そうえば聞きそびれていたんだけど」

「ん、何?」

「試合の前に、向こうのベンチで雨崎君の妹さんと何話してたの?随分楽しそうだったけど」

何故か笑顔でそんな事を聞く冴花。な、なんだこの威圧感は。
まぁ試合前に敵と談笑するなんてのは確かに良くないよな、うん。

俺は千羽矢の病状は伏せ、かいつまんで説明した。

「そう。勝負…ねぇ。まぁあの子らしいと言えばあの子らしいけど。
 …ねぇ小波君、私もその話一枚噛ませて貰っていいかしら?」

「?別に良いけど、どうしたんだ?」

「一応、私はあの子の永遠のライバルらしいからね。ずっと拒んでたけどさ。
 ここらで決着をつけるのも悪く無いかなって思っただけよ」

「ハハッそりゃあ良いな。アイツも喜びそうだ。じゃあ頼むぜ、司令?」

「状況を開始!ってね♪」





軽口を言いながら、小波達を送り出した冴花は、さっきの小波の言葉を反芻した。

「勝負…ね」

その言葉がとても重い意味がある事を冴花は直感で理解していた。
以前にも小波が千羽矢と、本校に戻る事を賭けて勝負したというのを聞いた事があるが
今度の勝負はそれとは比較にならない程、大事な物なのだろうと。

そして思い返す、今日の試合前に球場のトイレで偶然会った彼女、雨崎千羽矢が
―――この世の者とは思えない顔色をしていた事を。

化粧直し中の彼女はバツの悪い顔をして

「あら、弱小高のマネージャーさんお久しゅうございます。化粧しても試合後には悔し涙でボロボロになっちゃうから意味無いですよ?
 恐怖!黒い涙!」

なんておどけていたが、そんな事で冷や汗と顔色が誤魔化せるハズも無い。

「ちょっとあな…

そんな体調で何をしてるの、さっさと病院に行きなさいと言うつもりだった。
しかし


「何か?」


それは千羽矢の気迫でかきけされ、何も言う事が出来なかった。
結局そのまま千羽矢は「ではごきげんよう」などと言って、すぐに出て行ってしまった。

冴花は観察眼の鋭い少女である。
だから、千羽矢の今の状態。…そして、覚悟を感じ取っていた。

(小波君はただの挑発のし合いみたいな事を言ってたけど…違う。
 あの子は多分…もう取りかえしの効かない状態になっている。
 あの時のお母さんよりも青白い肌…なんて)

病院に行けとかそんな段階はもうとっくに通り過ぎている。
彼女は今、命を燃やしてこの場所に立っているのだという事を、冴花は直感と小波の言葉から推測し、理解した。
そしてそれは悲しい程に的を得ていた。

だったら、自分に出来る事は何かと冴花は考える。
あの小生意気な娘、のっけから悪態をつかれ、出会いは最悪と言って良かったけど
キャッチボールをしてから何故か懐かれて、勝手に永遠のライバルなんて称号を押しつけて来た、お転婆でわがままな子。
冴花自身、鬱陶しがってはいたものの、妹が居たらこんな感じなのかな、なんて事を考えた事もあった。

正直な所、彼女と居ると事ある毎に圧倒的な能力差を感じる事があり、対等なライバルだなんて自分では役不足だと思っていた。
だから――拒んでいたのかもしれない。

しかし、小波の言葉を聞いてからは、その言葉に特別な意味を感じて仕方が無い。
あの時彼女は言った「人生の中で欠けている物を遂に見つけた」と。
それは、彼女にとって、本当に恋焦がれていた、大事な物だったのでは?
対等な勝負が出来る関係――「ライバル」とは。


――「私のライバルとしてあなたほどふさわしい人はいないわ」

――「あたしの幸せ、先輩が横取りしちゃったんですよ」

――「呼びたくないですから。」



…恐らくは、考え過ぎだろう。と冴花は思う。
彼女の言葉の裏に、そこまで深い真意が隠れていた―なんていうのは流石に小説の読み過ぎだ。
中二の時の自分なら信じたかもしれないが、今の自分はそこまで思い込みは激しく無い。

もし、仮にそういう願望があったとしても、無意識のものだろうし。
未練を残したくないから、これが自分の唯一の心残りだと思いこもうとしているだけなのかもしれない。

けれど、そう思い込む事こそが彼女の幸せに繋がるのなら
そしてそう思い込める、その道を作ったのが他ならぬあの男というのなら
自分もそれに乗らない理由は無いだろう。

最初に宣言されてから、随分と時間は経ってしまった。
でも…まだ、遅くは無い。
最後の最後、彼女の引退試合は…まだ残っている。

「…別に、やる事は変わらないけど、良いわ。受けてあげる…千羽矢」

ここにもまた一人、この試合に特別な闘志を燃やす人間が産まれた。

(でもね千羽矢。貴方は気付いてないでしょうけど…いや、気付いてるか。絶対あの子なら気付いてた。
 私達はとっくにライバルだったのよ…少なくとも私にとっては。
 あの子は私に幸せを横取りされたとか言ってたけど、私だって………ぐぬぬ。
 …そうか、これは私のリベンジマッチでもあるって事になるのね。フフッ燃えて来たわ)

微妙に火が付きすぎた感もある、一人の女。
物言わずとも発するオーラで、村田と控え選手はベンチの隅に追いやられる事となった。
彼女達が…何のライバルだったかは、ここでは彼女の名誉にかけて伏せておこう。


ブルッ「あ」スポッ

!? ゴンッ

「「杉田ぁーっ!!!」」


一つ言える事はその勝負において、勝利投手であり敗戦投手でもあった男が
謎の寒気を感じ、投球練習の球を後ろにすっぽ抜けさせていた。



第五章につづく

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