――幸せにならなきゃいけない。絶対に。何が何でも。
――結局、アイツを救う事が出来なかった。
――だから、だからせめて・・・・・・・・・





20××年8月23日
雨崎千羽矢の墓の前には、二人の男の姿があった。
小波と雨崎優輝。
元々丁寧に手入れされているそれを、更に磨きあげながらどちらともなく二人は話し始める。
1年前の、熱かった夏の話を。



「丁度今日で一年になるのか…千羽矢が亡くなってから」

「何を今更、だから今ここに居るんだろ?」

「いや、俺は暇さえあればしょっちゅう来てるし」

「プロの選手が何やってんだよ…千羽矢に怒られるぞ?時間を無駄にするなって
 ここに転がってるボールお前のウイニングボールだろ?勝つ度、全部置いてく事は無いだろ」

「半分は俺のボールじゃねえよ。その数が誰かさんのホームランの数と一致するのは偶然か?」

「う………」

去年の秋、小波はドラフト1位でナマーズに指名され、プロ野球選手となっていた。
同じく雨崎も、ドラフト1位で同じリーグの球団に指名されていたが、それを蹴り
この春から餅田と共に名門Y大学に入学し、創部初の一年生四番として名を馳せていた。


「…なぁ、どうしてプロに行かなかったんだ?」

「前にも言ったじゃないか、自分を鍛え直す為だって」

「そんな必要ないだろ?ユウキなら充分通用するって」

「アハハ、何人もベンチに入れる投手と違って、スタメンマスクを被れるのはたった一人だよ?」

「それでも、だよ」

小波が再度聞くと、雨崎は昔を懐かしむ様に数秒遠くを見て、語り始める。

「…なぁ小波、あの試合の時の事覚えてるか?」

「あの試合…って、県予選決勝の事か?」

「うん、あの試合はね、オレにとって小波を越えたかどうかの試験みたいなものでもあったんだよね」

「越えたかどうか?別に俺とユウキにそんな実力差は無かっただろ、むしろ…いや、何でもない」

俺もお前に負けない様に必死だったんだぜ?とは口に出さない。
誤魔化す様に墓の周りの木の葉を集めだした小波を気にせず、雨崎は話を続ける。

「あの試合でオレの打席結果は…四打数一安打」

「一本塁打二打点な。俺が言うのもなんだけど、立派な成績じゃないか。展開次第じゃ全然ヒーローインタビューも有り得るぜ?」

「試合に勝ってればだけどね。…まぁ確かにそれだけ見れば、オレは小波を越えた、それでなくても並んだ、と思えて
 今頃は小波とプロで鎬を削っていたのかもしれない」

「だろ?だったら何で…?」

「でも。でも違ったんだよ、あのホームランは千羽矢のお陰だったんだ」

悔しさと嬉しさと懐かしさが入り混じった様な複雑な表情を浮かべる雨崎。
その心中で再生されるのは、第三打席二死二塁カウント2-1からの5球目。

「?千羽矢の為を想ってたからいつも以上の力が出たって話か?
 それなら俺だって同じ、てかむしろ俺の方が―

「違う」

今度は小波の台詞の続きを雨崎が止める。
同時に、長い付き合いの小波でも見た事の無い鋭い眼光で睨まれ、流石の小波も少し怯んだ。というかビビった。

「小波、千羽矢の事を想っていつも以上の力が出てたのはオレも同じ。だからそこで差は無い。五分だ。
 そして千羽矢への想いだけはオレは小波に負けているつもりは無い」

「そ、そうか。悪い」

もの凄い威圧感を出しながらにじり寄って来る雨崎に、小波は数歩後ずさりながら謝る。
小波も千羽矢への想いは誰にも負けないと思ってはいるが、流石にそれを今の雨崎と張り合う気は色々な意味で無かった。

(ま、オレだけはそれについて何も言っちゃ駄目だよな)

雨崎の背中は、見る者に涙を禁じ得ない、フラれた者特有の哀愁を帯びていた。



軽く浸っていたのを邪魔されのにも気分を害したのか、ゴホンと咳払いをして怒りを鎮めて
雨崎は再度話を始める。

「本当はね、オレの結果は四打数無安打。良いトコ無しの完全敗北だったんだよ」

「どういう事だ?本当はって。三打席目の勝ち越しツーランはどうしたんだよ」

雨崎の意図が分からず、小波は怪訝な顔で聞き返す。
雨崎は一瞬微笑んだ後、一年前の真相を口にする。


「だから、アレが千羽矢の打たせてくれた…いや、千羽矢の打ったホームランなんだよ」


その言葉は、小波の思考に一瞬の空白を産み、そしてすぐに理解した。
あの時に見えた、嬉しそうに自分の最高の一球をカッ飛ばす千羽矢の姿。
あれは幻では無かったという事を。

その時の感覚を事細かに説明する雨崎の言葉は、小波には届いていない。
本当の意味で千羽矢と勝負が出来ていたという驚きと、それに負けた悔しさと、何とも言えない満足感が合わさって
何故か目頭に熱くこみあげて来るものを堪えるのに、必死だからだ。


―それでも、その事実は小波の中の闇を晴らすには至らなかった。





「――――だからオレは、今度は自分一人で小波に勝つ為に自分を鍛え直す事に決めたんだ。
 堂々と小波を倒す所を天国の千羽矢に見せる為にね。追試は満点で抜けてみせるよ」

「そう…か」

良い顔をして雨崎が語り終える頃には、小波は何とかメンタルをコントロールして
ほぼ聞いてなかった事を感じさせない頷きで返した。
そして、雨崎にお返しに語り始める。

「なぁ、覚えてるか?ユウキ。俺達の一度目の真剣勝負」

「ん?あぁ忘れるわけないだろ。なんたってオレが初めて小波からホームランを打っ「一度目の真剣勝負」

「いやあれも真剣勝「一度目」

「い「一」

「…分かったよ。あの市大会の決勝がどうしたって?」

「あの時な、オレもそれと同じ様な感覚だったんだよ」

「え?」

「最後の一球を投げる時、まるで勝手に体が動いたみたいだった。投げる直前に声が聞こえたと思ったら…

今でも昨日の事の様に思いだせる、8年前の真相を。



「―だったんだよ。…ユウキ?」

小波が当時の真相を語り終え、横を向くと隣に座っていた雨崎は俯いていた。

「ク、クク、アッハッハッハハハ!」

そして急に大笑いを始める。

「ど、どうしたんだユウキ?」

「アハハハハ…いや、オレ達は本当にアイツに振り回されてばかりだな、って思っただけだよ」

「ハハ、違いないな。一度目も二度目も勝ったのは俺でもユウキでも無く、千羽矢だったって訳だ。」

「ま、あの天才に勝負したいって思わせたんだから、オレ達も大したモノじゃない?」

そう言って笑い合う二人の脳裏には、得意気な顔をして千羽矢が笑っていた。
一年経った今でも、二人のそれは色褪せる事は無い。
きっと、二人が千羽矢と同じ場所に行くまで、鮮明に残り続けるだろうと、二人は何も言わずとも確信していた。



「そうえばさ、小波。俺、千羽矢からお前に伝える様に頼まれてる事があったんだよね」

手入れも終わり、線香も上げ終わって、そろそろ帰ろうかと小波が思っていると
雨崎が思い出した様にポツリと言った。

「頼まれてる事、何だよ?というか今迄忘れてたのか?」

他ならぬ千羽矢の事だったので、珍しく語気を強くする小波。

「あぁ、いや。全然大した事じゃないんだよ。ただの最期の言葉だから」

「いやそれあらゆる言葉の中でトップレベルに大事な事じゃないか!?……て、最期?」

「そうそう。厳密には違うんだけどね。言うなら最期の言葉未遂って感じかな?
 小波がお供えしたリンゴ見てたら思い出しちゃったよ」


ただの思いつきの何でもない事の様に振舞う雨崎だったが、内心では大きく心が揺れ動いていた。
今、雨崎の頭の中で高速再生されている映像は、一年前のこの日。
雨崎千羽矢が亡くなってすぐのものだ。



一度息を引き取った千羽矢。雨崎が悲しみに咽び泣いていると、そこに小波が駆けこんで来た。
それに呼応する様に千羽矢は目を覚ました。
最後の時間は二人きりで過ごさせてやりたいと思い、医者を追いだして、誰も邪魔されないようにドアの前で座り込んで見張っていた。

そして無限にも一瞬にも思える時間が過ぎ、ドアが開いた。
ドアを開けたのは小波。
帽子を目深に被った小波に、何も言わず手だけで中へ招き入れられた。
入って見えた光景は、ざっと見ただけではさっきと殆ど変っていない。

変わっている点は、たった二つ。
台の上に皿が置かれており、その上には切り分けられたリンゴが数個。
その中に、出来そこないのウサギが一つあった。そしてそのウサギには一口食べられた跡がある。
そしてもう一つは…千羽矢の顔にあった。
表情はさっきと同じ、とても穏やかで安らかな笑顔。
違いは、目の下に涙の跡がある事。

たった二つ。そのたった二つの違い。
その手抜き過ぎる間違い探しは、既に枯れていたハズの雨崎の涙腺から新たな涙を生んだ。
それは、それまでに流した涙とは別質。対極のものだった。

本来叶わなかった願いは、小波の手によって叶えられた。
その事によって産まれたのは、多少の嫉妬。そしてそれを圧倒的に上回る小波への感謝。
それを小波に伝えようと思って振り返った時には、既に小波はそこに居なかった。

その後、雨崎も手続き諸々で忙しく、その事に気にかける暇もなく時間は過ぎてしまったが
今は思う。
あの時の小波は、どんな顔をしていたんだろうと。



「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「お、おい、ユウキ?」

「・・・・・・あぁ、ゴメン、ちょっと耽っちゃってた」

リンゴを眺める事で、雨崎は当時の記憶がフラッシュバックしていた。
その時に抱いていた感情も、同時に。

「小波、何度も言ったけど、改めて言わせてもらう。
 本当にありがとう。千羽矢の願いを叶えてくれて。心から感謝する」

雨崎はその時の想いを、一年越しで小波に伝えた。
真剣な表情で真っ直ぐ目を見て、嘘偽りなど一滴も混ざらない純粋な感謝を。

「何だよ、今更改まって」

小波が照れくさそうな笑みを浮かべる。
そんな小波に、雨崎は自分の感じた感謝を少しでも返そうと、一つの話を始める。

「アハハ、何だか無性に言いたくなったんだ。
 でも、本当に感謝してるんだよ?もし千羽矢があのまま亡くなってたら、多分オレはまだ
 それを引き摺っていたと思うんだ。その意味でも、な」

「引き摺る・・・か」

「勿論忘れた訳じゃないよ。でも、吹っ切る事が出来たんだ。千羽矢はもう居ない、アイツは満足して逝ったんだって。
 ねえ小波、小波は自分の周りの人々は永遠に生きてるもんだって思った事ない?」

「ん、そうだな・・・死っていうものが理屈ではあるのは分かってるんだけど
 なんか遠いっていうかピンと来ないっていうのは、あるかもしれないな」

「そう、そういう感覚。オレは小さい時に母さんを亡くしてるけど、それでもピンと来て無かったんだ。
 知ってても、理解はしていなかった。
 でも、今は分かる。永遠なんてものは、無いんだよ。人はいつか必ず死ぬ」

「・・・何か身も蓋も無い話だな。そりゃそうだけどさ・・・何かやるせなくないか?」

「ううん、そうじゃないんだよ。だからこそ人は、残ってる時間を一生懸命悔いなく生きるべきなんだよ。
 有限だからこそ尊いんだ。そして、その時間の長さは問題じゃない。
 大事なのはその『濃さ』なんだ。
 ・・・そんな良く聞く文句、だけどとても大事なこの事を、オレは千羽矢のお陰で『理解』することが出来た」


「!!!!!!」


「千羽矢の人生はさ、人より短かったかもしれないけど、でも濃度は誰にも負けてないとオレは思う。
 千羽矢は、一生懸命生きてたからな。だからアイツはあんな顔で逝けたんだ」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「なぁ、小波。多分、この事は千羽矢がオレ達に残してくれた、最後の贈り物なんだよ。
 この事を分からせてくれただけでも、千羽矢の人生は十二分意味があったとオレは思う。それを証明する様に、オレは生きる。
 お前は・・・いつまでそうしているつもりだ?」


雨崎は見抜いていた。
線香を上げる際、小波が一瞬覗かせた、形容しようのない暗い表情を。
無念、傷心、悔恨、寂寥、慟哭、悲痛。
ありとあらゆる悲哀を詰め込んだかの様な、小波に残る重い枷を。

この一年の間、小波は一生懸命生きた。そこに疑いは存在する余地が無いだろう。
千羽矢との約束を、全力で履行する様に。
しかしやはり小波は、縛られていたのかもしれない。
小波にあるのは『義務』を果たさなければならないという気持ちのみ。
その『権利』を行使したいとは、毛ほども思っていないのだから。

病院での千羽矢との最期のひととき。
小波はついに泣く事は無かった。意地でも、堪えた。
千羽矢が感じる死への恐怖を少しでも和らげる為に。
・・・しかしそれは名目だ。
本当は、怖かっただけかもしれない。涙と一緒に、生きる気力を流してしまう事を。


(千羽矢………)

小波の脳裏に思い出される、千羽矢との最後の会話。

あの時千羽矢は言った、自分の事なんか忘れて幸せになってくれと。
それに自分は、そんな嘘は要らない本心を聞かせてくれと返した。
そして千羽矢は――





(…やっぱりまだ早過ぎたのかな。小波の傷はまだ癒えて無いのか…?)

自分の台詞の後、俯いて長い沈黙をしている小波を見て、雨崎は焦る。

千羽矢の死に一番ショックを受けているのは小波である事は間違い無い。
それを受けていながら、プロで快刀乱麻の活躍を見せる小波には、改めて尊敬の念を感じていて
てっきりもうふっ切ったものと思っていたが、違った。
小波は必死に隠していただけなのだ。
今思えば、野球に集中する事でその事から目を背けようとしていたのかもしれない。
聞けば、そんな事は無いと言うだろうし、実際そのつもりでいるのかもしれないが
千羽矢の死が、小波の心に影を落としているのは間違い無い。

(それを少しでも楽にしてやりたいから話したけど…逆効果だったか?いや、でも…)

汗を浮かべながらも、雨崎は小波を慰める言葉は掛けない。
自分の知る小波なら、これで立ち直ってくれると信じているからだ。
試合の中継での表情で感じた、微細な違和感。
さっきの表情で確信に変わった、小波の『闇』
それは小さなものでは無いだろう。でも、それでも、千羽矢の惚れた男なら…。!!


「クククッ」


雨崎の目と耳は捉えた。
小波の笑みと、笑い声を。
千羽矢の死から今迄に聞いたものとは違う、今迄のが嘘という事では無いだろうが
どこか足りないものを感じさせるそれとは違う、本物の感情を。

「ククククッ、やっぱ兄弟だな。千羽矢と似た様な事言ってやがる」

小波は顔を上げ、ニカっと真っすぐな笑顔を雨崎に向けた。

(小波…お前は本当に凄い奴だ)

それを見て、雨崎の心に安堵と歓喜が生まれた。
少しは千羽矢の役に立てたかな、と小波に笑顔で返しながらそんな事を思う。

「そうだよなぁ…千羽矢は幸せだったんだよな。それを俺が信じれなくなってどうすんだよ」

独り言の様に、自問自答する様に小波が空を見上げながら言う。
千羽矢を失った事の衝撃と、長く経った時間が、小波に悪夢を見せていた。
その夢で自分に向かって囁かれる悪魔の言葉


ホントは千羽矢を救う手段はあったんじゃないか?
それを自分は見落としていただけなのでは?
今も千羽矢が笑って自分の側に居てくれる未来は―――本当は、有り得たのでは?


その言葉が小波を苦しめていた。
それが千羽矢の言葉に靄をかけ、いつしかきちんと思い出せなくなっていた。
一つの疑問から産まれた闇は、じわじわと小波の心を蝕んでいた。

「今日の墓参りで、ユウキの話でちゃんと思い出せたよ。千羽矢の言葉を。
 アイツを俺の重りにする訳には絶対いけないよな」

しかしその靄は晴れた。闇も消し飛んだ。
小波は思い出す、雨崎千羽矢という女は、自分が小波の負担になるなんて事は、絶対に許さない。

(だから…決勝まで生きていてくれたんだもんな)

後になって小波が思った、しかし決して結果論では無い、真実。

小波が甲子園に旅立った日から、いつ消えてもおかしくなかった千羽矢の命の灯が
決勝の日まで、小波が日本一になるまで灯を灯し続けさせたのは、千羽矢の気力。意地だ。
恐らくは、小波がどこかで負けていればそれは即座に消えていただろう。
逆に、小波が決勝に勝利する前に千羽矢の灯が消えていれば、小波は負けていただろう。

(連絡が無くても気付いていただろうな、第六感でも虫の知らせでも何でも良いけど…分かったハズだ。
 ホントはそういう時ほど強くいなきゃいけないんだろうけど…それは無理だっただろうな。そこまで俺は強くない)

でもだから、千羽矢は生き続けてくれたんだと小波は思う。
自分の死を小波の負担にさせない!と、死ぬ気で頑張ってくれたんだと。

(安い悲劇は千羽矢は嫌いだったしな。アイツらしいよ。
 ま、正直千羽矢へのラブパワーが無ければ、素で実力負けしてた気もするけど)

内心で苦笑しながら、小波は甲子園での戦いを思い出す。

ここ数年、何度も甲子園に出場していて、佐藤兄弟のバッテリーは歴代最強と謳われた鉄砂高校。
全員が野球エリート。それが結集したハイレベルな野球を行うサンダー学園。
ドーピングでまさに人を越えた力を使い、勝利に掛ける執念は尋常じゃなかった十三番高校。

どの試合も大事な所で千羽矢が力を貸してくれていた様に、小波は感じていた。

千羽矢の葬式の日、小波は雨崎の父親から、小波が勝ち続けてくれたから千羽矢が生きる事が出来た、と礼を受けていたが
それは逆だ、と小波は思う。
千羽矢が生きていてくれたから、自分は勝つ事が出来たのだと。


「それだけ頑張った人間の望みが叶えられない訳ないよな。俺が間に合ったのは、ただの必然さ」

「へ?」

「ん?あぁ口に出てた?いや、なんでもないよ。千羽矢はスゲーなぁって話さ」

「ハハハ、それは同感だね」

何の事か分からないが、とりあえず小波が過去と向き合う事が出来たのだと感じ
雨崎は自然に笑みを浮かべていた。
小波も同様に自然な笑みを浮かべて、また数秒空を眺めた後にさらりと言った。

「そうえばさ、ユウキ。俺も千羽矢の最期の言葉、聞いてるんだよな」

「へ?あ、あぁそりゃそうだろうね。え、それまさかオレへの伝言!?」

「いや、別にそういう訳じゃないけど」

ズコッ!と雨崎がまるでコントの様にその場でコケた。
恨みがましい目を向ける雨崎に小波は笑みで返して、言葉を続ける。

「でも、ユウキには言っておきたくなった」

「…良いのか?オレが聞いても」

「お前以外に聞かせる気は無いよ。墓まで持ってく宝物にしようと思ってたんだから心して聞け」

真剣な目で言われ、ぐっと身構える雨崎。
その直後に、ま、そんな大した台詞じゃないんだけどな、と軽い調子で前置きされて
どっちだよと雨崎がツッコんだ後、気取る事無くさらっと小波は言った。


「先に死んじゃってゴメンね。愛してくれてありがとう。次の人生も、アタシがいいな」



「…くっ………」

しかしその言葉は、雨崎の心にこれ以上無く重く、深く響いた。
たった三言。文にすれば一行で収まる、そんな短い言葉に雨崎は涙を堪える事が出来なかった。
千羽矢が万感の想いを込めて放った言葉は一年の時を経て
小波の口を借りて、雨崎の元へ届くこととなった。




「……落ち着いたか?」

「あぁ、ありがとう小波」

雨崎が泣き崩れている間、小波は何も言わずじっとそこに立っていた。
その心中ではまだ色々な想いが暴れている様だが、顔つきは晴れやかなものになっていると雨崎は感じた。

「なぁ小波、一つ提案があるんだけどさ」

今の小波なら大丈夫だろうと、雨崎は泣いている間に思い付いていた『出し物』を小波に提案する。
世界中で、自分と小波にしか行う事の出来ない、出し物を。

「ん、何だ?」

「多分さ、千羽矢の事だから次の人生なんて言わずに、いつかあの世からこっちに遊びに来ると思うんだよね」

「あぁやりそうだな、門番とか騙くらかして勝手に侵入してきそうだ」

「でしょ?だからさ、その時の為に千羽矢の一番喜ぶ出し物をやろうと思うんだよね」

「出し物?全裸でユウキが裸踊りでもするってのか?」

「違う違う…てかオレだけ!?そうじゃなくて、千羽矢の一番見たいものは…

「野球、か。それも俺とユウキの真剣勝負」

「…何だ、分かってるじゃないか。そう、千羽矢はオレが小波からホームランを打って勝つ姿を見たいと思うんだよね」ニヤリ

「俺がユウキから三振を奪って勝つ姿の間違いだろ?」ニヤリ

「フフフ…でもさ、どうせならそれは、最強の四番となったオレと「最高のエースとなった俺でやった方が盛り上がるよな?」

千羽矢の墓前で、双方、目を爛爛と輝かせギラギラとしたものを秘めながら、言い合っていた。
小波も雨崎の意図を完全に理解し、先に言葉を続ける。

「待ってるぜユウキ、俺はまだまだ強くなる。だからお前も…」

「あぁ、オレも自分を鍛え上げて、小波の待つバッターボックスへ行くよ」

「ユウキ…」「小波…」


「「勝負だ!!!!!」」 バンッ!!!


1年前、千羽矢とした様に、小波は雨崎と宣戦布告を果たした。
そして、二人でバンッ!!!とハイタッチを交わし、それからは何も言わずお互い逆方向に背中を向けて去っていく。
どちらも少年の様に目を輝かせ、エネルギーを押さえられないかの様に全力疾走。

走りながら雨崎は思う。

(あの試合の後、千羽矢は言ってくれた。「小波君との対決なら、ここで終わりじゃないよ。…次はきっと勝てる」って。
 次はきっと勝てる。それを嘘にする訳にはいかない。だからオレは最強の四番になって、最強のエースとなった小波に勝つ!
 見ててくれよ千羽矢っ!!)

走りながら小波は思う。

(色々心配かけちまって済まなかったな、千羽矢。
 あの時は偉そうな事言ったけど、やっぱり俺はお前が居なきゃ駄目な男だったのかもしれない。
 でも、もう迷わない。幸せになる事を重石に感じたりなんかしない。
 俺は自分の意思で、千羽矢に負けないくらい幸せな人生を送ってやる!
 …その手始めに、今は大好きな野球に思いっきり打ちこんで、ユウキを抑え込んでやるから
 見ててくれよ千羽矢っ!!)


練習場へと急ぐ、二人の野球バカ。
去っていく二人を、墓の上に座って眺める一人の女の子は
とても嬉しそうに笑っていた。








「さぁ次の対決は注目の一戦です!
 今や球界のエースと言われるまでになった小波!対するは新人でありながら開幕スタメン四番に入った期待のルーキー雨崎!
 かつての幼馴染のプロでの初対決、日本中がその行方を見守っています。
 さぁ小波、足が上がって第一球―――投げましたっ!!」                                        



fin

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