234 名前:紫炎剣客奇憚 ACT.01 1/4 [sage] 投稿日:2009/08/18(火) 19:40:10 ID:OHssh1Zc
232 名前:紫炎剣客奇憚 ACT.01 2/4 [sage] 投稿日:2009/08/18(火) 19:37:58 ID:OHssh1Zc
235 名前:紫炎剣客奇憚 ACT.01 3/4 [sage] 投稿日:2009/08/18(火) 19:41:00 ID:OHssh1Zc
233 名前:紫炎剣客奇憚 ACT.01 4/4 [sage] 投稿日:2009/08/18(火) 19:38:44 ID:OHssh1Zc

 JS事件収束より時はうつろい季節はめぐり……冬。
 ジェイル=スカリエッティが軌道拘置所にて自殺した。
 ヴォルケンリッターが一人、剣の騎士シグナム。彼女が主はやてに、脱走したナンバーズを追うよう懇願されたのは、事件が発覚してより少し後だった。
 当局側は気付けなかった。JS事件の捜査に関して非協力的だった、三人のナンバーズ……一騎当千の戦闘機人達が、スカリエッティの死を契機に一致団結して脱走していたなどと。
 そう、脱走して"いた"のだ……今や過去形なのだと、シグナムは奥歯を噛み締める。
 ナンバーズ長姉、ウーノのIS(インヒューレントスキル)である《フローレス・セクレタリー》がもたらすロジックトラップが、事件に対する初動を鈍らせていた。己の全てを振り絞って妹達を逃がし、ウーノはスカリエッティの後を追い命を絶った。
 時空管理局は後手に回らざるを得ず、その対応は遅かった。だが……
 ――遅過ぎはしない。
 そう心に結んで、シグナムは雨天の闇夜を引き裂き空を馳せた。
 不思議と、圧倒的な時間的アドバンテージ――高レベルの魔導士や戦闘機人にとって、半日という時間は永遠にも等しい――があるにも関わらず、トーレとクアットロの逃げ足は遅く鈍かった。
 慌てて後を追うシグナムが、容易にその痕跡を発見し、隠れる場所を突き止められる程に。
 軌道拘置所の眼下に広がる大地の、深い森の海に脱走者は潜んでいた。シグナムはすぐに目標の潜伏する山小屋を見つけて中空に停止する。
「妙だ……何故逃げない? 半日あればもう、察知不能な距離に逃げ切れる筈だが」
 独りごちてシグナムは、足元の小さな建物を見下ろす。丸太で組んだ簡素な山小屋が、雨の夜に温かな明かりを灯している。それはおおよそ、人ならざる逃走者には似つかわしくない光景にも思えた。
 だが、その温もりは誰にでも許されるのだと、シグナムは己の分身を構える。そう、誰にでも安住の地が、安らげる場所が許される……例えば、自分のような守護騎士システムの産物でも。そしてそれは、戦闘機人でも同じだった。
 ただし、罪を償い贖って生きる意志があれば。
 シグナムは構えたレヴァンティンから剣気を解放し、自らの存在を周囲に発散した。追っ手として放たれた自分が、敵である二人の戦闘機人を捉えたことを夜空に静かに宣誓する。それは騎士としての彼女の流儀だった。
 雨音を時折雷鳴が遮る中、シグナムの闘気に応える様に山小屋の扉が開け放たれた。
 シグナムは油断無くレヴァンティンを構えながら、静かに大地へと降り立った。
「クアットロ、私が追っ手の足を止める。その隙に逃げろ……いいな?」
「トーレ姉様、でもそれでは……」
 歩み出た長身をシグナムは見上げた。見上げる距離まで無造作に近付いていた。
 脱走者が一人、ナンバーズのトーレがシグナムの前にそびえていた。そのしなやかな体躯が今は、シグナムには難攻不落の城砦にも感じる。彼女は相手に不退転の決意を読み取った。
 その背後で、よろよろと姉の背へ手を伸べるのが、同じくナンバーズのクワットロ。特徴的な丸眼鏡が形良い鼻からずり落ち、憔悴しきった顔で不安げに視線を彷徨わせいている。
 トーレは収監時の拘束具を着ていたが、魔法処理された拘束ベルトが無残にも引き千切られている。その背後で地面にへたりこむクアットロは、全身を毛布にくるんでいた。
「いいから逃げろ。逃げるんだ、クアットロ! ……ほう、強いな」
 腰に手を当て嘆息を零して、トーレがシグナムを前に目を細めた。
 はからずもシグナムは、全く同じ感想をトーレに対して抱いていた。報告にあったスペックよりも、眼前に佇む戦闘機人は強い……肌を粟立たせるプレッシャーが、無言でそう告げていた。
 シグナムは半ば無駄と知りつつ、警告を与えた。
「主はやての命により、お前達二人を保護する。悪いようにはしない、一緒に戻ろう」
 主を第一と奉じるシグナムには解る。解るつもりだった。ジェイル=スカリエッティの死が、目の前の二人にとってどれだけショックだったかを。悪いようにはしない……その言葉に偽りなく、持てる権限の全てを駆使して善処するつもりだった。
 だが、トーレは悟ったような寂しい笑みに唇を歪めた。
 シグナムは対峙するトーレの瞳を真っ直ぐ見詰めた。交差する視線が互いの念を相手へと伝える。激突は必定であると、悲痛なまでに清冽なトーレの目が訴えていた。
「二人? では駄目だ。やるしかない……走れっ、クアットロ!」
 言い終わらぬうちにトーレが光の羽根を纏う。それは明日へと舞い飛ぶ翼ではなく、眼前の敵を切り裂く刃。
 シグナムは意を決してレヴァンティンを構え直すと、胸の疼痛を心の手で押さえて言い放った。
「抵抗するのであれば、容赦はしない……剣の騎士シグナム、参る」
 凛として、清々と。静謐に燃え滾るシグナムの血潮に呼応して、レヴァンティンが刀身に注ぐ雨を蒸発させて水煙をあげる。
 ひとたび対すると決めれば、シグナムに迷いはなかった。ただ、しんしんと身を切り心を刻む……それは切なさ。眼前の敵は、トーレは覚悟を決めている。姉にならって命を賭し、捨石となって妹を逃がすつもりだ。
 そのことを悟らせぬよう、トーレが吼える。その気勢に気圧されることなくシグナムは地を蹴った。
 自在に天を駆け、自由に宙を舞う二人が大地を踏み締める。まるで、互いに望まぬ戦いで空を汚さぬように。
 遠雷の音を聞きながらシグナムは、まるで輪舞を踊るようにトーレと斬り結んだ。
 斬り、払い、突く。その合間に無手の体術を捌き、いなし、避けてかわす。トーレは向けられる切っ先を紙一重で回避し、その何割かに身を引き裂かれながらも……蹴りを繰り出し、拳を突き出してくる。気迫に満ちたそれは何度もシグナムを掠め、ゆらめく光の羽根が剃刀のように騎士甲冑を溶断して肌を切った。
「これほどの腕を持ちながら……惜しい。何故に?」
 シグナムは問うた。その間もせわしく、繰り出される連撃をよけながらステップを踏む。
「既に我が身、我が命……惜しいとは思わない。言葉は不用っ」
 トーレの攻勢が加速する。二人は雨の闇夜に稲光で陰影を刻んで、常軌を逸したスピードでぶつかり合った。その身体を光が包み、接触の度に激しく火花を散らして血と汗を噴き上げる。
 トーレのIS、《ライドインパルス》が限界を超えて発動し、その負荷に全身から悲鳴を叫ばせて……それでもトーレは、静かに微笑んでいた。その顔にシグナムは、鏡写しの自分を見る。
 シグナムもまた、命を懸けた死合に言い知れぬ興奮と高揚感を自覚していた。
 直近に落雷が轟いた。その眩い光に互いの姿を見て、シグナムとトーレは全力で削り合い潰し合う。既に言葉を必要としない両者は、たった一つの単純で明快な理に支配されていた。
 ――すなわち、どちらがより強いか。とちらがより、強い想いを秘めているか。
「フッ、できるな……できれば空で会いたかった」
「同感だ。今なら間に合う、と言っても無駄か」
 トーレの全身に散りばめられた光の翼が、一瞬消失した。否、一箇所に集まった。爆光の十二翼を煌かせて、トーレが全身全霊で拳を繰り出す。その一撃をレヴァンティンで受け止める、シグナムの足が大地を大きく抉った。
 押されている。相手が切り札を切ってきた。そう察するや、シグナムは瞳を見開き勝負に出る。
「レヴァンティン! カートリッジ、リロードッ!」
「Jawohl Nachladen!」
 レヴァンティンが魔力を凝縮したカートリッジを立て続けに飲み込んだ。
 シグナムは両手で支える相棒から離した左手を翳す。魔力光が紫炎を漲らせて集束し、その手に剣の鞘を現出させた。
 驚愕に瞳孔を縮めるトーレを気迫で圧して押し返すと、シグナムは鞘をレヴァンティンの柄に接続する。次々と排莢されたカートリッジが宙を舞い、その最初の一つが地に転がるより速く……ボーゲンフォルムへと変形したレヴァンティンの零距離射撃がトーレを穿った。
 シグナムの思惟が、意思が、闘志が――哀しみがトーレを貫いた。
 身体の中心を貫き天へと昇る光に引っ張られて、トーレの長身が一瞬だけ空へと還った。闇夜で豪雨で、それでも空で……確かに空で命を散らして、やがて重力につかまる。シグナムはレヴァンティンを鞘から分離させるや納剣して、落下するトーレへ両手を広げた。
「……いい、勝負だった、な。シグナム」
 ああ、と短く応えてシグナムは好敵手を抱きしめる。その冷たい身体から、無情にも雨と死が体温を奪っていった。
「クアットロは……ちゃんと逃げたか? 腹黒ぶってても、あいつは臆病で弱虫だからな」
 ちらりとシグナムは視線を、トーレの背後へと放る。
 毛布をはだけさせた下着姿のクアットロは、地面にへたりこんで竦んでいた。
「まんまと逃げられたようだ。私一人での追跡は、これ以上は無理だな」
「そうか……そうか。では、私の、勝ちだ……ありがとう、シグナム」
 トーレが突然重くなった。その身を横に抱き上げ、シグナムは無言でクアットロへと歩み寄った。
 降りしきる雨が、闘争の余熱をシグナムから奪ってゆく。闘いの愉悦も興奮も、全てが虚しさへと転じてゆく。それでも己の義務を果すため、シグナムは最後の一人へと歩を進める。強敵と書いて友と呼べる、トーレの身体を両手に抱きながら。
「もう逃げられんぞ。せめてお前だけでも無事に……むっ」
 半裸で尻を大地に擦りながら後ずさる、クアットロの身体の異変にシグナムは気付いた。
 下腹部が大きく膨らんでいる。
 シグナムの注視する目に気付くや、まるで己の命より大事な物を庇うようにクアットロが身を翻した。シグナムに背を向け両手で下腹部を覆い、肩越しに射るような視線を投じてくる。
 二人? では駄目だ。やるしかない……トーレの言葉をシグナムは理解した。
 二人ではなく、逃亡者は三人だったのだ。
 同時に、嘗て機動六課で轡を並べた仲間達の言葉が脳裏を過ぎる。今ではJS事件として語られる災厄の元凶、ジェイル=スカリエッティが戦闘機人達に残した悪夢の芽を。それは全て、母体に悪影響がないように処理された筈だった。
「……いつからだ?」
「ひっ! あ、あのお方が、ドクターが亡くなってからすぐお腹が急激に……」
「違う、いつからだと……私達の目を、いつからすり抜けていたのかと聞いている」
 怯えるクアットロが身を硬くして縮こまった。弱まる雨に混じる雷光が、シグナムの痩身を映し出す。姉を倒し我が子を脅かす、その姿はさぞかし恐ろしかろうとシグナムは思った。
 だが、それが手心を加える理由にはならない。
「ナンバーズが全員、堕胎処置を受けるときに……ウーノ姉様が管理局のデータを書き換えて」
 油断だったとシグナムは溜息を一つ。身重の体を考えれば、逃げ足の遅さにも説明がつく。
 JS事件はその規模故に誰もが解決に必死となり、その反動で事後処理が僅かに綻んだのだろう。僅かに、確かに。だが、ナンバーズの長姉にとって、その僅かな隙で充分だったのだ。針に糸を通すような緻密さで、ウーノは囚われの身で能力を制限されながら、情報操作をやってのけたのだった。
「それが……いや、その子がスカリエッティの」
「違うっ! 違うわ、違うの……最初はそうだった、ドクターそのものだった」
 襲い来る脱力感と戦いながら言葉を紡ぐ、シグナムの手にトーレが重かった。死して尚、最後の好敵手に訴えてくる思念を確かに感じる。
 震えながらクアットロは、切々と途切れ途切れに呟いた。
「最初は、あの方だった、けど……だんだん私の中で違うモノに、新しいモノに育っていったの」
 眼鏡の奥に大粒の涙を溜めながら、クアットロが身を切るような声を搾り出す。
「時々動くの……ここから出して、って。私、どうしていいか解らなくて、姉様に相談したら……」
 そこにもう、ナンバーズの四番体の姿はなかった。冷血で残忍なクアットロはいなかった。
「……思わぬ強敵に手こずり、逃がしてしまうとはな」
 シグナムはトーレを抱いたまま、踵を返してクアットロに背を向けた。
 何が起こったのか解らず、呆けたままボロボロと泣き出すクアットロ。
「恐らく辺境に逃げたか? 取り逃がした責は私が負うとしよう」
 雨が止んで、夜風が雲に切れ間を作った。差し込む月明かりが、剣の騎士の背中を照らす。
「どこかの片田舎で、新しい命が生まれる……我が主はやてが、それを許さぬ筈がない」
 それだけ言い残すと、シグナムは地を蹴った。颯爽と華奢な身が月夜へと舞い上がる。
 その手に抱かれたもの言わぬ好敵手が、空の夜気と妹の無事に安堵するように軽くなった。

 ――シグナムと《宿業の子》が再会するのは、これより三年後の初夏だった。


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目次:紫炎剣客奇憚
著者:100スレ236

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