273 名前:小さな町の小さな診療所 クリニック・F[sage] 投稿日:2008/06/22(日) 20:20:41 ID:VSnj59Ac
274 名前:小さな町の小さな診療所 クリニック・F[sage] 投稿日:2008/06/22(日) 20:21:22 ID:VSnj59Ac
275 名前:小さな町の小さな診療所 クリニック・F[sage] 投稿日:2008/06/22(日) 20:22:07 ID:VSnj59Ac
276 名前:小さな町の小さな診療所 クリニック・F[sage] 投稿日:2008/06/22(日) 20:22:50 ID:VSnj59Ac
277 名前:小さな町の小さな診療所 クリニック・F[sage] 投稿日:2008/06/22(日) 20:23:28 ID:VSnj59Ac
278 名前:小さな町の小さな診療所 クリニック・F[sage] 投稿日:2008/06/22(日) 20:23:53 ID:VSnj59Ac

 ウーノに牛に通じるかさえも分からない薬や注射器などが入った皮のバッグを持たせ、自分はジュラルミン製の重々しいケースを小脇に抱え、先程やってきた白髪交じりの男性の横を歩く。
 どうも状況は切迫しているらしく、その男性はひどく慌てた様子だった。
 ジェイルが聞くところによるとどうやら逆子らしく、本来なら子牛の足をロープでくくりつけて引っ張ってやるのが一般的だが、逆子ということで足が見えず、首に縄を掛けるわけにも行かずに困っているのだという。
 なんでも草食動物というのは肉食動物から身を守るため、すぐに立てるように胎内で他の動物よりも体を大きくしてから出産するのだそうだ。
 そんな話を歩きながら聞いているジェイルだったが、今の彼の脳内に展開されている事象は、そもそも人間の医学が牛に通用するのか、というただ一点だけであった。
 牛は体も大きい上におそらく薬の回りも遅いだろう。それなのに自分を連れてきて一体何になるのだろうか。
 ジェイルは自分が必要とされることに喜びを感じながらも、この田舎町は本当に大丈夫なのだろうか。と、最近愛着の湧いてきたこの小さくても綺麗な町の行く末を案じていた。
 そうこうしているうちに、牛小屋独特の匂いが辺りに漂い始め、そしてモーという鳴き声も聞こえてきた。



○ 小さな町の小さな診療所 クリニック・F ○



「あれが牛舎ですか?」
「そうです。あん中に問題の牛がいるんです」

 ガサッ、ガサッ、という藁を踏みしめる音を足下から鳴らし、三人は入って一番奥にある牛舎の中へと足を進める。
 そこは他の牛舎の牛よりも幾分か広いスペースが与えられ、ジェイルの素人目にもストレスを減らす工夫が為されていることが一目で分かった。
 その中の一頭、他の牛は立ち上がってモー、と元気よく鳴いているものの、その一頭だけが元気が無く、敷かれている藁の上に座り込んでしまっている。どうやら問題の牛はあれらしい。


「あの牛ですか?」
「ああ、あいつです。大丈夫でしょうか、先生?」
「それはやってみないと分からない。何せ私は獣医ではないからね。専門外もいいところです」
「お願いします! どうにかしてあいつを助けてやってください!!」
「私だって最大限の努力はします。だが、もしものことがあるということを理解しておいてください」
「わ、分かりました」
「それじゃあ、始めようか」

 そう言うと、ジェイルはウーノを呼び寄せおもむろに指示を出す。
 ウーノがそれに頷き自分のバッグからまずメジャーと頭に付ける医師用のライトを取り出しジェイルに渡す。
 そしてウーノがメジャーで大きさを測り、ジェイルはライトを牛の目に当てて何やら観察をしている。
 そこまでの時間は僅かに三十秒。見る者を黙らせることが出来るほどの神業的早さだった。
 ウーノがメジャーでの測定結果をジェイルに伝えると、彼は渋ったような顔をし、いつものクセである顎に手を当てて考え込む姿勢に入った。
 要するに、難しい仕事になる、ということである。

「ど、どうしたんです?」
「一応人間用の麻酔や薬剤を持ってきてはいたんだけれどね、体が大きすぎて効き目があまり期待できないのですよ」
「じゃ、じゃあこいつは……」
「そう慌てないで。そんなこともあろうかと調合用の薬品類を持ってきてあります。若干危険だけれど、それしか方法はないでしょう」

 ちょっと刺激臭が強いのでご主人は外に出ていてください、と付け加えるジェイルに従って初老の男性は渋々ながら外に出て行く。
 よほどこの牛が心配なのだろう。ジェイルとウーノは心配そうに去っていくその背中を微笑みで見送っていた。牛も、不安からか先程座っていたのが今では立ち上がっている。
 やがてガチャ、と向こうで扉が閉まる音がした。ここからが彼らの真骨頂である。


「彼を追い出したということは、やはり……アレを?」
「そうするしかないだろう。この状態の私では薬の調剤は出来ても麻酔薬そのものを作るなどと言う人の能力を超越するようなマネができるはずがない」

 この状態。この状態とは瞳が蒼一色に染まっている人間で居る状態のことを言う。
 ならば異常な状態というのはすなわち、”無限の欲望”の発動。
 彼は自らが作りだした薬でこれを抑えているが、逆に抑えている状態を覚醒させる薬も開発が完了していた。
 ジェイルは胸のポケットから赤と白に色分けされたカプセルを二つほど出して口に含み、ウーノのバッグの中に常備してあるペットボトルに入った水をぐいっと飲むと、彼は電池が切れたように下を向き、体を怪しげに震わせている。
 そしてゆっくりと前を向き、閉じられていた瞼をカッ、と見開くと、そこには金色かつ抑揚のない、かつて時空管理局を震撼させたあのジェイル・スカリエッティそのものの顔がそこにあった。
 なおも体を小刻みに震わせながら、ジェイルはウーノのバッグとは別に自分が小脇に抱えて持ってきた重々しいジュラルミンケースの蓋を乱暴に開ける。
 ケースの中は、何に使うのかも分からないような薬品の数々や、手術に使うのであろうメスやハサミなどといった専門的用具のオンパレードだった。
 その中からジェイルは何個か薬品を選び出し、サジで計りながら試験管へ流し込み調合していく。
 そしてその液体を、これも常備してある注射針に投入し、牛の足下を躊躇無くブスッと刺す。
 数秒した後、ジェイルを警戒していたために立ち上がっていた牛はヨロヨロと倒れ込み、ついには気を失ってしまった。

「まずは麻酔は完了だ。ウーノ、準備は?」
「できています、ドクター」

 ジェイルの言葉に頷くウーノの手には既に物々しい注射針が握られており、その中には先程の麻酔薬と同時に調合を終えていた透明な液体が並々に入っていた。
 ジェイルはそれを引ったくるようにウーノから取ると、今度は牛の足の付け根付近にまたも躊躇無く注射針を打ち込んで溶液を体へ文字通り入れていく。
 全身麻酔を使用したということは体の機能全てを人為的に仮死状態へと導いたということである。
 つまり、体の全機能が一時的とはいえ停止したということは、少しでも子牛の出産が遅れれば、母子共に何らかの後遺症、場合によっては死も考えられる。
 よって、ジェイルは少しでも出産を急がなくてはならなかった。ここで重要なのはまず母子の安全である。
 そこで、先程注射した液体が役に立ってくる。あの注射器の中に入っていたのは人間の物と比べると遙かに強い筋弛緩剤であった。


 筋弛緩剤はその名の通り筋肉の機能を弱める薬で、人間への使用は危険という見方が強いが、体が大きく抵抗力も強い牛となれば話は別である。
 要するに、親牛の膣内部の筋肉を一時的に弱めて子牛が出てきやすいようにしようという目論見である。
 これならば、牛の帝王切開などと言う前例も確実性もない方法を使う必要もなく、上手くいきさえすれば最良の方法であると断言できるだろう。
 もっとも、ジェイルが覚醒状態でなければ、牛用の麻酔薬や筋弛緩剤などが世間に存在したとしても、この町には絶対に存在し得ない物であり、彼がいわゆる戦闘機人モードでなければ実現不可能な話ではある。
 しかし、何の問題もないように見えて、ジェイル自身にもただ事では済まないとある懸念があった。
 それは、”無限の欲望”として生まれた自分自身の本能である。
 無限の欲望は、管理局の最高評議会によって作られた、いわば開発マシーンである。
 より大きい物、より過激な物を生み出すように創られた当初から埋め込まれており、こんな乳牛用の薬を作ったくらいでその衝動が抑えられるとは到底思えなかった。
 ミッドチルダの時のような強行に走るのではないか。ジェイルとしてもそんな状態になるのは未だに最高評議会の手の中で踊らされているような気がして、その薬を開発してからも使用は躊躇っていた。
 それが今回使うことになったのはウーノの協力に寄るところが多いのだが、それは今話すべきことではない。
 筋弛緩剤の効果が効いてきたのか、親牛の陰部から白い物がだんだんと覗き始めており、消毒したゴム手袋をはめたジェイルが少し手伝ってやると、子牛はいとも簡単に出てきてしまった。

「ウーノ」
「はい」

 人間のように生まれた瞬間からモーという鳴き声は、牛という動物の本能として為されていない。
 まず生まれたばかりの赤ちゃんがすること。それは自分の身に纏っている母親の羊水を自分で、もしくは母親の助けを借りて取り除くことである。
 当然のように、親牛が倒れてしまっているこの状況ではそんなことは出来るはずもない。
 ウーノは生まれてきたばかりの子牛を抱き上げ、用意してあったタオルケットで優しく優しく羊水を拭き取っていく。
 それはまるで初めて自分の子どもを抱いているようなぎこちない動作ではあったが、子牛の方はそれを気持ちがよいものとして認識しているらしく、目を細めてウーノのされるがままにされている。
 金色でありながらもどこか優しそうな目でそれを見つめるジェイルと相まって、それは正に実の親子のようであった。





   □   □   □   □   □



「例の件、どうなったんだい?」

 息も絶え絶えにウーノの肩にもたれかかり、帰路を行きながらウーノに問うジェイル。
 重そうにしながらも、どこか幸せそうな口調でウーノがそれに答える。

「代金の件なら自由で良いと言っておきました。宇都宮家の方々はそれを聞いてかなり驚いているご様子でしたが……」
「……そうかい。うっぷ……ご苦労」

 牛の出産を依頼してきた初老の男性―――宇都宮牧場の主人はかなりの出費を覚悟していたのだが、ウーノから告げられたその一言に文字通り腰を抜かしていた。
 ジェイルの側からすれば当然の判断なのだ。
 何せ彼は今までの医学常識の範囲からかなり逸脱した、この世界の医学技術に置いては到底不可能なことをやってのけていたのである。
 当然のように文化の進んだ世界と文化の進んでいない世界というのは金銭感覚に差があるのは当然のことであるし、今回の件も自分が普通の人間ではなかったからこそ成しえた処置である。
 過去に発見例がなく、いつの時代に作られた物かも分からないような骨董品に値段を付けてくれ、と鑑定士に頼み込むことの方が土台無茶な話なのである。
 既に”無限の欲望”の覚醒で我慢の限界であったジェイルは事後処理などをウーノに済まさせ、先に帰路へと就いていた。
 しかし、極めて健康状態の不安定な今のジェイルでは、自分の家である診療所にたどり着くことはほぼ不可能であり、ヨロヨロと力無く歩いていたところを後から追いかけてきたウーノに助けられ今の状態に至っているのである。
 ”無限の欲望”の能力は最低でもあと三時間は続く。それまでに欲望の捌け口を何とかして探さなければならない―――――というのが、この薬を使ったときの難題なのだが、今日の使用に当たっては、その捌け口の先が既に決まっていた。


「さて、ウーノ」
「な、なんでしょう」
「この仕事を引き受ける際に言ったこと、忘れてはあるまいな?」
「え、ええ、も、もちろんです、ドクター」

 動物を診ることは完全な素人だったジェイル。彼は完璧主義者であり、自分が失敗しそうなことは絶対に手を出さない。
 それを何故分が悪い掛けをしたのか。答えは引き受ける直前のウーノの発言に寄るものである。

「『私の躰を使ってください』だぞ? どういうことだか理解しているのかい?」
「…………」

 改めて他人から自分の恥ずかしい科白を言われれば、誰だって恥ずかしくもなる。
 ウーノは顔から湯気が出るのではないかというほど真っ赤にしながら、顔を俯かせて小さく頷く。
 自分を大切に想ってくれて、あるいは昼間の仕事で疲れてしまって、それでいつも何もない夜を過ごしているのだと思うが、ウーノは初めて抱かれた時の感覚が忘れられなくなっていた。
 愛しく想っている男性と肌と肌で触れあい、愛を育む。その課程のなんと素晴らしいことか。
 あの時のジェイルの私を自分の物として扱ってくれる激しさと、そしてそんな中でも手をベッドに着けて私に必要以上の体重が掛からないようにしてくれているその優しさが、ウーノにとってたまらなく有意義な時間であった。

「分かった。この体もそろそろ我慢の限界だから、今日は特別激しくさせてもらうぞ」
「……はい」

 そこには顔を赤く染めながらも、心からの微笑で頷くウーノの姿があった。



 その夜は女のわめき声とも取れる奇声が町はずれで聞こえたらしいが、真相を知る者は誰一人としていなかった。





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目次:小さな町の小さな診療所 クリニック・F
著者:554

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