652 名前:聖女と騎士の二重奏 [sage] 投稿日:2011/10/29(土) 14:09:03 ID:I1DjenAE [2/24]
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「やれやれ……」
聖王教会のシスター、シャンテ・アピニオンはため息をついた。
聖王教会の広大な敷地の一角の雑木林、その中でもひときわ大きな木の上がシャンテのお気に入りであった。その理由は座り心地や日当たりがいいということもあるが、何よりも他人に見つかりにくいからである。大きな枝に隠れて下からは足しか見えず、その足すらも他も枝に隠れて見えにくい。
彼女がここに来るのはもっぱら修練をサボる時、またはそのサボりが露見した時である。そして今は後者であった。
「そもそも毎日修行ってのもおかしいと思うんだよね。効率を考えるなら数日間隔空けた方がいいっていうのに」
にもかかわらず彼女の師、知る人ぞ知る聖王教会最強との呼び声も高いシスター・シャッハは来る日も来る日も修行三昧。今日びウサギ跳びを本気でやらせようとするような原始人なのだ。
「そんなだからいい歳して彼氏の一人もいないんだよ。暴力シスター」
中空に悪態を吐く。本人に聞かれれば顔の形が変えられてもおかしくない言いようだが、この場においてはその心配はない、はずだった。
「呼びましたか?」
 返ってくるはずのない返事が聞こえた。
 シャンテが恐る恐る声がした方へ振り返ると、声の主はすぐに見つかった。シャンテのいる木の隣の木の枝にシスター・シャッハは聖女のような朗らかな微笑を浮かべながら立っていた。ただしその姿はバリアジャケット装備、つまりヤル気満々である。
「あっれ……?」
よりによってこのタイミングで――いや、もしかしたらずっと前からそこにいて出てくるタイミングを見計らっていただけかもしれない。
「毎日修行するのは肉体だけではなく、精神鍛練も含まれているからです」
 どうやらそうらしい。
 だが果たして何故自分の居場所ばれたのか、シャンテは考えようとしたがすぐにやめた。
 考えるならばどうしてこの状況に陥ったかではなく、この状況をどう打開するのかだ。
「そして私に恋人がいないのは……」
「ね、ねえシスター・シャッハ!どうして私の居場所がわかったの?」
「それはですね。オットーに探知を……って待ちなさい!また逃げるのですか!!」
 シャッハが言い終わる前にシャンテは木から飛び降りた。
 質問の答えなどどうでもよかった。必要だったのはタイミングであり、まさにそのタイミングを外されたシャッハはシャンテに致命的な遅れをとってしまった。

 こと足に関してはシャンテに敵う者などそうそういない。彼女は若輩ながら修道騎士の中でもトップクラスの実力を持つ天才である。高速型の騎士で、なおかつ遮蔽物を無視して跳躍するスキルを持つシスター・シャッハといえど機動力と相手の不意を突く能力に長けたシャンテを捉えるのは困難を極める。
「なんで今日に限ってこんなにしつこいのさっ!?」
 いつもならシャンテがサボっていたところでいずれ修練に顔を出すので、その時に折檻をすれば済む話のはずである。ただしそんな時に限ってシャンテは友人とともに熱心に修練に励んでいるためシャンテはともかくその友人の修練の邪魔をするのは忍びないのでシャッハは結局、二言三言注意するだけで終わってしまうのだが。
 それにたとえ追いかけるにしてもシャッハにはシャッハの仕事がある、たかがサボり魔にわざわざ貴重な時間と体力を割く余裕などそれほどないはずである。だが今回に限ってシャッハはやたらしつこい。もうかれこれ十五分は逃げ回っているであろう。
「今日は騎士シグナムとの修練の日なのです!それにあなたも同伴してもらいます!」
 なるほど、とシャンテは合点がいった。
 騎士シグナムとはシャッハの剣友、良き好敵手である。
彼女が『剣友会』と称して知り合いの騎士を集めて行う合同演習にシャンテも何度か参加し、手合わせをしたことがあるが――あまり思い出したくない体験だ。
 その華麗にして苛烈な剣戟はベルカの騎士として一つの完成系の域にあった。シグナムとシャッハとの決闘は「実力だけは一流」と称されるシャンテですら感動で打ち震えたほどだ。
だがその感動は傍目で見ているからこそのものであった。いざ自分が手合わせの栄に与った時は彼女のトラウマの一つ――初めてシャッハと決闘した時のことを想起させた。
いや、シャンテの実力を把握していない分、手加減のなかったシグナムの方が恐ろしかった気がする。あんなにも楽しそうに殺意を向けてくる人間をそれまでシャンテは知らなかった。
「バケモノ同士のじゃれ合いに、か弱いあたしを巻き込まないでほしいね」
 シャンテはぶるっと身震いをする。
 類は友を呼ぶとの言葉通り、シグナムやシャッハのような決闘趣味の人種の周りに集まる人間はやはり同じように決闘趣味の人間なのだ。あんな鬼の宴に嬉々として興じる奴の気が知れない。同期のシスター・ディードや同い年のあの少年も。
「…………」
依然として追うシャッハと追われるシャンテの距離は縮まらないものの、修行が恋人のシャッハとサボり常習犯のシャンテではどうしても体力に差が生じる。
 このままではジリ貧だ。なんとかして次の策を弄する必要がある。シャンテは速度を維持したまま周囲を見渡す――何か使えるものはないか、一瞬でもシャッハの気を逸らすことができればそれは高速型の騎士であるシャンテにとって何よりのアドバンテージになる。
 その時、ちょうど教会の建物の曲がり角から人影が現れた。

“しめた!”
 シャンテは瞬時に閃いた。
 今しがた都合よく登場してくれた――顔を確認する余裕はないが体格的に少年であろう彼に死角となってもらい、曲がり角を進む――ふりをして隣の雑木林に隠れる。
 シャッハ相手ではものの数秒で見破られるであろうが、シャンテならばその数秒で十分に撒けるのである。
 シャンテはさらに加速し、少年の横をすり抜ける。そうして首尾よくシャッハを撒けば、あとはいつものように少し時間を置いてから何食わぬ顔で友人の一人二人拾って一緒に修練に加わればいい。
 そんなシャンテの平和な未来予想は出鼻から挫かれることとなった。
「あら?」
何故ならシャンテの体はすっぽりと死角に使うはずの少年の腕の中に収まっていたのだから。
そんな馬鹿な、とシャンテの驚愕は声にならなかった。
シャンテは高速型の騎士である――それも特別優秀な。それは断じて自惚れなどではない。
聖王教会の修道騎士の中でも模擬戦で彼女の相手をできるのは数えるほどしかおらず、教会最強の一人に数えられるシスター・シャッハが直々に指導に当たるほどの素養の持ち主である。礼節、性格面に問題を抱えながらもしばしば催される教会主催の武道大会で常に本部代表を任され、その悉くで優勝をさらっていけるのは単にその並々ならぬ才能が所以である。
その自他ともに認める天才騎士が今や自分の身に起きたことが理解できずに混乱している。
急に迫ってきたシャンテに驚いて思わず手を突き出してしまった、ならわかる。並の魔導師はおろか騎士ですら反応ができない速度のはずだったが、偶然にも少年に魔導の心得があったのならば納得はいかないものの不可能ではないはずだ。
しかし、疾走するシャンテを抱き止め、あろうことかその推力までも完全に殺す、などという離れ業をやってのける者など――彼女と同じ高速型の騎士でしかありえない。
「またサボったの、シャンテ?」
 見上げると目の前に答えはあった。
 苦笑混じりにシャンテに話しかけるのはシャッハの好敵手である騎士シグナムの愛弟子。つまりシャッハの愛弟子であるシャンテの好敵手でもある少年、エリオ・モンディアルであった。
「……降ろしてくれないかなエリっち」
 八つ当たりだと自覚していながらも、シャンテは憮然と睨みつける。

 エリオに抱えられたシャンテの恰好は俗に言うお姫様だっこの形であり、騎士にお姫様だっこされる、というちょっとした乙女の夢を期せずして叶えてしまったシャンテの心境は、残念ながらそれどころではなかった。
ゴメンゴメン、とまるで壊れ物を扱うように丁重にシャンテを降ろすエリオの笑顔も今のシャンテには悪魔に自分を売り渡す憎き仇敵にしか見えない。
「感謝します。騎士エリオ」
「お役に立てて光栄です」
 ついに追いついてしまったシャッハがエリオに礼を言ってから、シャンテに視線を移す。一応賓客の前ということもあり、体裁を整えているつもりらしいが体の至るところから怒りの魔力が漏れ出している。
 身内の恥をよりによって客人に雪がせてしまったともなれば無理からぬことだ。せめてその客人が顔なじみであったことが不幸中の幸いといったところか。
「さてシャンテ」
「ひぃっ!」
 聖女の顔をした鬼が、いつもと変わらないはずなのにやけに透る声色で語りかける。
「このままあなたを連行し教会の地下室で丸一日折檻することがどれほど容易いか……」
 ここにきてはさしものシャンテも逃げようとする気は毛ほども起きなかった。
「しかしこれ以上、私たちを待つ賓客に迷惑をかけるわけにもいきません。
 まあ、あなたがどうしても折檻してほしいと言うのならば考えないこともないですが――どうしますか?」
 もはや選択の余地など微塵もなかった。



聖王教会本部――管理世界に数多くの支部を持つ一大勢力の総本山である。そこに集う人員の質、量ともに他の追随を許さない。それらを抱える敷地面積も広大である。当然、多くの修道騎士や騎士見習いの鍛錬に必要不可欠である修練場もまた広々としたものである。
 その一角を四人の騎士が領有していた。文句など誰がつけようか、その四騎士はいずれも劣らぬ勇士ばかり、見習いだけならまだしも熟練の騎士ですらその剣戟を一目見ようと参集するほどの顔ぶれである。

「ふむ、今日はいつもに増して見手が多いですね」
 言葉とは裏腹にその表情は気負いを感じさせないほど涼しい、かといって弛緩しているわけでもない。戦いを生活の一部としている者のみが得られる極致の精神である。
 この流麗たる女剣士こそシスター・シャッハの好敵手、“烈火の将”シグナムである。八神はやての守護騎士“ヴォルケンリッター”のリーダー格にして、かのエース・オブ・エースと互角に渡り合うとされる剣の騎士である。
「申し訳ありません。何しろ安息日と重なってしまいましたので」
 応じるのはシャッハ・ヌエラ、修道騎士たちには説明不要のシスターである。
 聖王教会の頭目であるカリム・グラシアの側近であり、新米騎士の教育係でもある。修道騎士であるならば誰もが一度は手合わせした経験を持つが、彼女相手に白星を挙げた者は皆無だ。
「落ち着かない、というかなんだか気恥ずかしいですね」
 その二人に随伴するは場違いなまでに温厚そうな少年である。
 だがその風貌に騙されてはいけない。彼、エリオ・モンディアルは騎士シグナムの愛弟子であり齢十歳にして時空管理局に入局するや否や、すぐさま『奇跡の部隊』古代遺失物管理部機動六課に配属され、未曾有の大規模都市型テロ『JS事件』によってもたらされるであろう大被害を未然に食い止めた英雄の一人である。
「………………」
 三人に大きく遅れて一人、シャンテ・アピニオンの姿もそこにあった。
 どう見ても一人だけ明らかに覇気のない、それどころか荷馬車に乗せられる子牛のようですらある。しかし、それを疑問に思う観客はここにいない。シャンテの性格も実力も修道騎士の間にはとうの昔に知れ渡っている。ゆえに彼女がどうしてあのような有り様に至ったのか、誰も想像に難くないからである。
「観客のみなさんのためにも、やはりまずはウォーミングアップがてら戦技披露でしょうか?」
「うむ、今日はテスタロッサもシスター・ディードも不在でちょうど師と師、弟子と弟子の数も合う。シスター・シャッハ、初戦は2on2で構いませんか? 」
「異存ありません。シスター・シャンテ、あなたも構いませんね?」
「どうぞ煮るなり焼くなり……」
 すでに高揚状態にある三人を目の当たりにし、やっぱり教会地下室折檻コースの方がマシだったかもしれない、と思い始めたシャンテである。
 されどシャンテは黙って煮られるつもりも焼かれるつもりもない。何事も全力でやり遂げるのが彼女の信条である。サボる際も逃げる際も断じて手を抜くことなどない。
 三人の騎士の魔力に触発されたということもあり、果たしてシャンテも臨戦態勢に入っていた。この切り替えの早さも彼女を天才たらしめる一因である。

 それぞれ異なる組み合わせで三連戦、みんな割と早い段階で戦技披露のことなど忘れてガチンコバトルになっていた気もするが内容は実りあるものであったし、反省すべき点もいくつか見つかった。観衆にとっても見ごたえのあるものであったと自信を持って言える。
あれだけいた観客も今となってはまばらである。2on2の模擬戦をやり終えて、休憩を挟んだからであろう。
「もったいないな……もう少し待っていればいいものが見れたのに」
 そのため息は、果たしてどのような意味を持つのだろう。
剣と槍が打ち合う音とはここまで心地よいものだっただろうか。音色自体は無骨な、鉄と鉄がぶつかり合う金属音でしかない。しかしその旋律が、律動が、苛烈な剣戟を至高の二重奏に変えてみせた。
 奇策や陽動に頼らない、お互い手の内を知り尽くした師弟だからこそ奏でられる調べであろう。現在、修練場で切り結んでいるのはシグナムとエリオの二人だけである。二人のシスターは休憩中であるが、すぐに出番が訪れるため気を緩めすぎることはない。
 2on2の模擬戦をやり尽くした四人がたった今行っているのは変則的な勝ち抜き戦である。
 まず二人が戦い、残りの二人は休憩、どちらか勝った方が残り負けた方は休憩中のどちらかと変わる。勝てば勝つほど過酷さを増すデスマーチである。この場においてわざと負けて楽になろう、と考える腑抜けは一人しかいないが、そんなことをしたらシャッハに後でどんなペナルティが課せられるかわかったものではないのでシャンテも全力で応じざるを得ない。
“また、強くなってる……”
 好敵手である少年をぼんやりと眺めながら、シャンテはどこか他人事のように胸中で呟いた。
 現段階でシグナムは二連勝中である。さすがは烈火の将といったところであるが――それならばそのシグナムを終始圧倒している少年は一体どれほどの使い手なのか。無論、都合三連戦となるシグナムとそれまで休憩していたエリオとでは体力に差が出ることは明白である。
 だがシャンテの記憶の中のエリオの実力では、多少体力に差がある程度でシグナムを防戦一方に追い込むことなどできなかったはずだ。つまりはそれだけ両者の実力が拮抗しているということであり、技量も、そして外見も以前より大きく成長していた。
出会った当初は自分とそう変わらなかったエリオの身長も今では見上げるほどであり、まだあどけなさが残る顔立ちも日々、男性的なそれに変わりつつある。己が師に敢然と槍を繰り出すその横顔には、別段彼に恋心を抱いているわけでもない自分ですら思わず見惚れてしまうほどだ。
 聞くところによると、近頃の行われた模擬戦でエリオはついに、彼の憧れの人であるフェイト・T・ハラオウンを撃墜するに至ったらしい。彼曰く『いろいろと好条件が重なったから』らしいが、それが謙遜である可能性を差し引いても、条件次第であの執務官を倒せる人間などシャンテは数えるほどしか知らない。そして、エリオはもうその領域にいるのだ。

 加えてエリオは自分と同じ十四歳、男子としては今がまさに成長期である。これからなおいっそう身長は伸びるだろうし、それに伴い筋力も魔力も向上するだろう。
 彼のライバルとされている自分であるが、本当の実力差は一体どれほどのものか――推し量るのももはや虚しい。
「そろそろ休んだ方がいいですよ、師匠」
「ふ……業腹ながらお言葉に甘えるとしよう」
 そうしてエリオの槍の穂先は、ついにシグナムの喉元をとらえた。彼の師は悔しげに、誇らしげに弟子の頭をくしゃくしゃと撫でた。エリオは照れながらも喜びを隠しきれない様子で、彼には珍しくくるくると槍を弄んでいる。
「次は……シャンテだね」
「うぇっ!?」
「シスター・シャンテ、なんですかその反応は?まさかこの期に及んで気が緩んで……」
「いやいやいやいや!ちゃんと見てたよ!ホントに!!」
 シャンテは慌てて師のとんでもない言いがかりを否定する。いくら彼女でもあれだけの戦闘を無視できるほどの唐変木ではない。戦闘中の二人に負けず劣らず集中していたのだが、瞬間に熱中し過ぎて次の展開をすっかり失念していただけである。
「時間的も体力的にもこれで終わりだろうな。エリオ、私を倒してそこにいるのだ――わかっているな?」
 シグナムが意地の悪い笑みでエリオにプレッシャーをかける。こうやって、この剣士は普段は厳格な態度を滅多に崩さないくせに、何とも絶妙なタイミングで他人をからかう癖がある。
 エリオはそんな彼女の威圧を、慣れているのか、それとも言われることを予測していたのか、軽く鼻を鳴らし『わかっていますよ』と受け流す。
「余裕だねエリっち、油断して足元すくわれても言い訳は聞いてあげないよ」
 言葉をなぞるように先の、ややナーバスであった自分を振り払う。
たとえ実力差があろうとなかろうと勝った者が強者なのだ。決闘においては、運や偶然というものが存外度外視できない重要な要素であり、奇怪なことに重大な局面であればあるほどそれらはよく顔を出す。
 自分が彼に到底及ばなくても構わない。最後の試合、相手は好敵手、おまけに二人の師が見守っているこれは間違いなく今日の大一番。ならば運命はきっと自分の味方であるはずだ。
 シャンテは旋棍を構え、赤い髪を微風になびかせる槍騎士を見据える。普段の真正直な表情とはまた種別の異なる真摯な眼差しは、揺らぐことなくシャンテに向けられていた。

「…………ッ」
 全身が脈動する。槍の切っ先が既に首筋に押し当てられている錯覚さえする。
 あの、虫も殺せないような顔をした少年が、槍を構えた途端に万夫不当の戦士へと変貌する。総身を穿つその殺気は並の騎士ならば矛を交える前に戦意を失わせるだろう。
 しかし、聖王教会が誇る天才騎士はその重圧をまるでそよ風のように軽々と受け入れる。
「は……本気だねエリっち」
「君を相手に手加減できるほど僕は強くないよ」
 渇いた笑みを受けべながら、シャンテは足場を踏み慣らす。開始の合図は不要、何故ならもう既に始まっているからだ。
勝負は一瞬――そんな予感がシャンテにはあった。自分も相手もともに高速型、ならば決着は刹那につくだろう。残りの体力を鑑みても戦いが長引けば長引くほど自分が劣勢に追い込まれていくのは目に見えてる。だから、一撃で決める。
 両者の間合いは二十メートルほど――俊足を誇る彼女らの前ではこの程度の距離はあってないようなものだ。
 シャンテは相対する槍騎士を足元から粒さに観察する。その姿には確かめるまでもなく油断はない。白銀の槍は水平に構えられ、重心も低く備えられ踏み込みを待つ。呼吸に乱れはなく表情に迷いはない。逡巡するまでもない、隠すこともなく彼もまた一撃狙いであった。
 ――そして両者の視線は交わった。
 瞬間、二人の足場が炸裂し、姿がかき消えた。――未だ残る観客にはそうとしか見えなかった。二人の師たちですら、把握しきれない速度であった。
 音速をはるかに超える加速の中で、シャンテの思考は時間の流れから切り離された。
“出遅れた――!”
 余人の目には寸分の狂いもなく同時としか感じ取れなかった踏み込みだが、シャンテは僅かな、そして確実な遅れを知覚した。
 既に眼前には銀槍の穂先が迫っている。超音速の中ではかわすことも防ぐことも叶わない。
「こんのぉ!!」
 その敗北の運命を、シャンテは己が実力でねじ曲げた。
 エリオの槍がシャンテの胸をとらえるまさにその時、彼女が右手に持つ旋棍は槍の切っ先を弾き軌道を逸らすこと成功した。人間の持つ反射速度を超えるその挙動は直感か、あるいは奇跡だろう。
 交錯した両者は即座にトップスピードからゼロへ制動する。

「ぐっ……」
 その身にかかる重圧は、制動魔法によって軽減してもなお骨を軋ませ内臓をしぼる。ダメージはないが鈍い痛みが体中を駆け巡る。叫び声でも上げて気を紛らわしたかったがそんな情けない真似はできない――同じ痛みを感じているはずの彼が呻き声一つ上げないのだから、ライバルである自分も根性を見せなければいけない。そして何より、今、そんなことに時間を使っている猶予などあるはずもない。
 今のシャンテとエリオの位置関係は五メートルほど、西部劇の一場面のように互いの背中を向け合っている状態だ。
 スピードが同等なら勝敗を分けるのは得物の差だ。槍と旋棍とでは言うまでもなくリーチは槍に利があるものの、長柄武器である以上どうしても小回りは旋棍に譲らざるを得ない。
 そしてシャンテが振り返った時、果たしてエリオは未だ背を向けたままの状態であった。
“――勝った!!”
 シャンテは確信し、戦慄する。
 瞬時に距離を詰め、その無防備な背中に旋棍を振り下ろさんと肉薄する。
 ――しかし、その腕が振り下ろされることはなかった。
「言い勝負でしたね。互いに長所を活かしきった。シャンテ、結果は残念でしたがあなたの判断は正しかったですよ」
 ごく稀にしか聞くことのできない彼女の師の称賛も、今のシャンテの耳には入らない。
 シャッハの言う通り決着はついた。勝利を確信したはずのシャンテだが、結果は彼女の敗北であった。
しかしながらエリオがシャンテに先んじたわけではない。そもそも槍の間合いでは速さで旋棍に敵う道理はない。
「…………」
 シャンテは呆然と自身に突きつけられた切っ先からその持ち手に視線を移す。
 エリオは依然としてシャンテに背を向けていた。
 そう、シャンテは正しかった。スピードが同等なら勝敗を分けるのは得物の差だ。両者が制止した際、シャンテが体ごと翻す必要があったのに対し、エリオは手元を反転させるだけで事足りた。単に槍のリーチがあってこそのものだ。
 ただしその咄嗟の状況判断、そして音速で迫るシャンテに目を使わずにタイミングを合わすことがどれほどの絶技であるのかは言うまでもない。
“遠いな……”
 デバイスを待機状態に戻し、シャンテは虚ろに手を伸ばす。あと数歩、歩み寄るだけで届きそうなその背中も――槍に阻まれて距離は縮まらない。
「遠いよ……」
 彼に聞こえないように、シャンテは呟いた。

「うあー……もうダメ……死ぬー……」
 聖王教会の食堂、その一角で一人の修道女がテーブルにへばりついて唸っていた。シャンテである。清く正しいシスターにあるまじきぐうたらぶりだが、残念ながらこの場に今さら彼女を更生させよう、などという根気と体力を持ち合わす者はいない。
 テーブルを囲っているのはシャンテとエリオ、そしてシャンテと同期のシスター、セインである。今はなんとか夕食を胃袋の中にかき込んで、和やかなティータイムの真っ最中である。
 例の勝ち抜き戦を終えた時にはすっかり空は黄昏に染まり、一旦シャワーを浴びてから食堂に集合した頃には陽は落ちていた。ちなみにシグナムは明日も朝早くから仕事があるらしく、シャワー室で軽く挨拶をして帰ってしまった。そんなに忙しいのにを仕事の合間に模擬戦をするとは――バトルマニアというより戦闘中毒といった方がしっくりくる、シャンテはわりと真剣に思っている。
「お疲れ様、シャンテ」
「……エリっちもね」
 涼しい顔して労をねぎらってくれるエリオだが、彼も自分と同じかそれ以上体力を消耗しているはずである。それをおくびにも出さないのは、やせ我慢か、それともエース・オブ・エースの教導の賜物か。
 エリオも夕食を済ませたら帰るつもりだったのだが、シャッハの頼みで一泊することになったらしい。彼女曰く『騎士見習いや新米シスターへのいい刺激になる』とのことだ。なるほど確かに先ほどシャンテより早くシャワーを済ませた彼は、シャンテが食堂に着いた頃には見習いたちに囲まれて質問責めにあっていた。
 彼らにしてみれば、自分たちと同年代の子供が騎士シグナムやシスター・シャッハと互角に渡り合えるという証明――期待の星なのであろう。その質問の中に『恋人の有無』や『好きな異性タイプ』とかいう質問も紛れ込んでいた気がするが、おそらく他意はないだろう――というかそう思いたい。
「ああ――そう言えばエリっち、今日は嫁さんどうしたの?」
「…………キャロは論文の執筆中だよ」
 あら、とシャンテは首をかしげる。
 キャロ・ル・ルシエはエリオと同じくフェイトの保護下で育ったパートナーであり、恋仲という色っぽい関係ではなくむしろ兄妹と言った方が正しい。シャンテももちろんそのことは承知しているが、思春期の生真面目な少年の慌てる顔が見たくてあえてこのような言い方をする。するとその度に彼は律儀にも否定してくるのだが、どうやらさすがに耐性をつけてきたらしい。そろそろ新しいネタを考えなければ。

「論文ねぇ……キャロはあれでなかなか優秀な学者なんだよね、ちっこいのに」
「生物学や歴史学を語らせると、ちょっとすごいからね」
「あー、この間はキャロっちノリノリだったもんね」
この場にいない小動物のような少女が話題に上る。
キャロは強力な竜召喚士であると同時に優秀な学士でもある。普段は少しおっとりした、エリオやルーテシア以外にはあまり強気になれない柔和な女の子なのだが、自分の専門分野の話題となると途端に饒舌になる。先日、同い年の四人で集まった際はひょんなことからシャンテが地雷を踏んで延々と蘊蓄を聞かされる羽目になった。エリオは仕事上、ルーテシアは趣味として話の内容を理解し、所々ツッコミを入れながらそれなりに楽しんでいたが、シャンテにしてみればまるで別の世界の言語のようにしか聞こえず独りさびしい思いをした記憶が蘇る。
「ごちそうさま。――それじゃあそろそろ……」
 エリオはカップに僅かに残っていた紅茶を飲みほして席を立つ。
 どうやら顔には出さないが、さしものエリオも今日の模擬戦は堪えたらしい。まだ就寝時間には早いがあれだけ暴れまわったのだ。シャンテもすぐにでもベッドに飛び込みたかったところだ。
「はいよー……おやすみなさーい」
「あれ、もう寝るの?おやすみシャンテ」
「は?」
「え?」
 話が噛み合わない。セインもどうやらシャンテと同じく話の流れがつかめていないらしい。シャワーを浴び、夕食を済ませたのだ。シャンテのスケジュールではあとはゆっくりお風呂に入って疲れを癒してベッドにダイブするだけのはずだが――エリオのスケジュールとはどこかが食い違うらしい。
「ちょっと待ってエリっち……これから、何するつもり?」
「自主練」
「「はあっ!?」」
 シャンテとセインの驚愕が重なる。とりわけシャンテの驚愕の度合いは大きい。完全に埒外の返答であった。
「疲れて――ないの?」
 恐る恐るシャンテが尋ねる。彼と同じくらい動いたはずの自分を襲う疲労感は自重が倍になったのではないかと錯覚させるほどだ。まさか、この少年は日中にあれだけ動いたのにもかかわらずまるで堪えていないのだろうか。
「まさか、僕だってくたくただよ。でもせっかく時間があるんだからトレーニングしないと」
 今度こそ、二人は絶句した。

 『時間があるなら鍛える』――シャンテやセインにしてみれば全くもって理解できない行動原理だ。時間があるなら休むか遊ぶ、それが日々激務に追われる彼女らの常識でありその他多くの人間の共通見解であろう。確かに暇を持て余すなら鍛錬に時間を費やすのも“あり”だ。しかし日中にあれだけ過度な戦闘を繰り広げ、間を置かずにすぐさま疲れを押して鍛錬に勤しむ――それはどう考えても異常だ。
 未だ言葉を失っているシャンテとセインを尻目に、エリオはてきぱきと三人分の食器を片づけて返却口へと持って行く。
 それじゃあ、とそのまま食堂を後にするエリオをぼんやりと目で追ってから、とうとうシャンテは声を出すことができた。
「どう思う、セイン?」
「んー……真面目だね、としか」
「真面目……うん。でもさ、本当にそれだけかな?」
 明朗なシャンテにしては珍しい、低くどこか沈んだ声色にセインは思わず彼女の顔を覗き込む。シャンテは未だ食堂の扉を見つめたままで、その瞳には羨望と憐憫の色がない交ぜになっていた。
「あたしね、実はエリっちのこと……苦手なんだ」
「えっ?」
 突然の告白にセインは瞠目する。
「エリオは、とても人に嫌われるようなコじゃないと思うけど……」
「あたしだって嫌いってわけじゃないよ――苦手って言ったの」
「??――どゆこと?」
 いまいち要領を得ない言葉にセインは少なからず混乱する。
「エリっちは性格も能力も……ん、そりゃまあ顔も、人に嫌われる要素はないと思うよ。
 でもね、人に嫌われない生き方なんて、自分を殺して生きてるようなものなんだよ。人は自分のためだけに生きていればいい。誰かを愛すのも助けるのも、全部自分に回帰する欲望じゃなくてはいけない。誰かのために生きていたら、結局自分は一生幸せを掴めない」
 存外に、彼女らしからぬとも言える深奥な人生観に、セインは返すべき言葉を見つけられなかった。
 人はわがままでなくてはいけない――なるほど彼女の自由奔放な性格はその信条に裏付けされているのだろう。そしてその信条とはまるでかけ離れている、およそわがままという言葉とは無縁の性格であるエリオに、シャンテは何を見たのだろうか。それを知る術を、セインは持たない。

「前々から思ってた――エリっちには我欲がなさすぎる。
 そもそも十歳の子供が命の危険すらある、管理局に入局するってこと自体異常だと思わない?」
「そんなこと言えば……なのはさんとかキャロにだってそうじゃない?」
「……なのはさんは巻き込まれたって感じでしょ。キャロっちだってフェイトさんに保護された時にはもう色んな部隊を渡り歩いてきた。
 でもエリオは誰に強制されたわけでもなく、自分の意思で平穏な生活に背を向けて管理局員としての道を選んだ。十歳――いや、たぶんそれよりもずっと前から」
 そう、おそらくフェイトに救われた時から彼は騎士になることを心に決めていたはずだ。
「でもほら、その家の教育方針とかで子供の頃から異様にしっかりしてるコだっているし」
 セインの意見を、またしてもシャンテは否定する。
「それこそおかしい。エリっちとキャロっち、あと陛下の話を聞く限りフェイトさんの教育方針は子供に甘過ぎる、過保護とも言っていいくらいだよ」
「んー、でもそれって生来の性格だって言われれば終わっちゃう話じゃない?」
「だね。でも、エリっちの場合はその生い立ちからしてすでにおかしい」
「あ……」
 ハッと、シャンテの言葉にセインが反応する。ここに至って、彼女もシャンテの言わんとしていることを察する。
 “プロジェクトF”――エリオの原点とも言える言葉。
 それは偽りの死者蘇生術。
 クローニング技術自体は管理世界の中で最も科学技術が進んでいる世界の一つであるミッドチルダではそう珍しい話ではなく、特定医療行為の際には昔から使われている手法である。そして「プロジェクトF」という名で呼ばれるそのクローニング技術はオリジナルの特徴や記憶を鮮明に受け継ぐクローンの作成を可能とする。
 それでもクローンはクローンである。オリジナルと全く同じ容姿、記憶を持っているとしても、それは『全く同じ別人』でしかない。それを認められない人間たちが起こした悲劇は、数知れない。
 エリオ・モンディアルのクローンの案件はその中でもとりわけ悲惨なものであった。
「三歳相当の時に自分がクローンだと知らされ、同時に両親にも見限られる。そしてよりによって違法研究機関に連れていかれた。そこで一年、拷問と言ってもいい人体実験のモルモットにされた。――三歳の子供が体感する一年だ、それは永遠にも感じられただろうね。
 たぶんそれが原因だ」
「原因って?」
「エリっちは自分を殺しているんじゃない。自分が死んでいるんだ。だから我欲なんて持ち合わせていない」

 自分がエリオ・モンディアルではないと知らされ、親に見捨てられた際に彼は自分のアイデンティティを見失った。そして永遠に等しい人体実験によって人ですらないと思い知らされた。フェイトの献身的な努力のおかげでなんとか彼は生きる気力を取り戻したが、それでも死んでしまったものは蘇らなかった。――皮肉なことに、これが死者の蘇生を目指したはずのプロジェクトFのクローンの話である。
「暗い話になっちゃったね、ゴメン」
 自分らしくない、とシャンテも自覚している。沈んだ空気を吹き飛ばすために冗談の一つでも言ってみようかと思ったが、白けるのは目に見えているのでやめた。紅茶でも飲むふりをして間を持たせようとして――カップは律儀にも件の少年に片づけられてしまっていたことに気づいた。
「エリオも大変だねー……生まれつき戦闘機人の私にはわからない機微だね」
 そのことを察してくれたのか、いつものようにただ何となくなのか、セインが何でもないことのように茶化してみせた。この親友はいつもおちゃらけているようでいて、たまに驚くような洞察力を発揮する。
「でもさシャンテ、その考察が正しいかどうかを確かめる術はないでしょ。言っちゃ悪いけどただのシャンテの妄想だって可能性もあるんだから、あまり深く考えない方がいいよ」
 そしてその親友の鋭い指摘に、それでもシャンテは回答を用意していた。
「あるよ――それもお手軽なのが」



 目当ての人物はすぐに見つかった。修練場の一角、日中に決闘を繰り広げたところと全く同じ場所にエリオ・モンディアルはいた。
 その生真面目さにシャンテは苦笑する。聖王教会の修練場は広く、夜間ということもあり修練場を使用しているのはエリオだけだ。にもかかわらずわざわざこんな遠い一角を選ぶとは――まさかとは思うが他に人が来た時のためなのだろうか?
 シャンテは早速、声をかけようとして――思いとどまった。怖気づいたわけではなく、ただあと少しだけこの騎士の舞踏を見入っていたかっただけだ。
 闇夜を裂く銀の槍は、黒いキャンパスに幾何学的な線を描いているようにも見える。
 愚直に、真っ直ぐに槍を振るうその姿は、まさに子供の頃に読んでもらった絵本の中の騎士そのものだ。オートスフィアを使った回避トレーニングではなくただ一途に、だが精微に型を反復する。剣と槍の違いはあるものの、体捌きや間合いの置き方、呼吸のリズムはなるほど確かに彼の師とよく似ている。
 誰に見咎められているわけでも、命じられてわけでもなく彼はこうして自身を鍛えている。それはおそらく――少しでも憧れの執務官の力になれるように、それとも小さな召喚士を守れるように、だろうか。

 断言できるのは、間違っても自身の欲望のために力を求めているわけではない。どこまでも他人のために――局員になると決めた時も彼の中には何の葛藤もなかったのだろう。
当然だろう――何故なら彼には“我欲”というものがないのだから。
「……」
 シャンテの胸中に羨望と憐憫――そして僅かな苛立ちさえも芽生えた。
だからだろうか、何となく彼に気づかれないように迫って驚かせてやろう、なんてイタズラ心が沸いたのは。
 足音を殺し、エリオの死角に回る。シャンテだって伊達にあのシスター・シャッハから逃げ続けているわけではない。足だけではない、身を隠し気配を殺す技術にも自信がある。
 あの真剣な顔を崩して、指をさして笑ってやろう。その光景を想像し、思わず口元がニヤつく。
「何してるのシャンテ?」
「のわぁ!」
 今まさに飛びかかろうとしたその瞬間に、エリオが振り返る。シャンテは情けない声を上げてしまう。驚かそうと忍び寄ったはずが、逆に驚かされてしまった。
「な、なんで気づいたの……?」
「ん?ああ、もしかして驚かすつもりだったの?気づくも何も……足音でバレバレだったけど」
「なっ……」
 すっかり失念していた。この少年は信じがたいほどに感覚が鋭敏なのだ。持って生まれた資質か、日頃の鍛錬の成果なのかは定かではないが、どれだけ足音を殺して近づいても、まるで後頭部に目がついているかのように耳ざとく感ずかれてしまう。
「それで、わざわざどうしたの?まさか僕を驚かすためだけってわけじゃないよね?
 もしかして一緒にれんしゅ……」
「いや違うから」
「だろうね」
 エリオはくるりと槍を回して穂先を地面に刺し、杖代わりに寄りかかる。シャンテが話を切り出すのを待つようだ。
 シャンテがここに来たのはエリオに自身の歪みを教えるためだ。まずはその歪みの存在
を証明するために一芝居うつ必要があるのだが――それのための一歩がどうしても踏み切れない。演技とはいえ、なかなか勇気がいるのだ。

シャンテは改めてエリオに目を向ける。今の今まで体を動かし続けていたのだ、呼吸に乱れはないが、汗はまるで雨に打たれたかのように彼を濡らし、前髪や訓練着は彼の体に吸いついていた。
不覚にもドキリとしてしまう。別段シャンテはエリオに対して恋慕の情を抱いているわけではないが、これでも思春期の少女である。濡れた衣服の下から浮かび上がる、細身だが豹のようにしなやかな筋肉のラインに思わず赤面してしまうのは不可抗力と言えよう。
――『星空が好きだ』といつか彼が言っていたことを思い出す。それが幼少の頃、狭く暗い研究室で過ごした経験に由来するのかどうかは知らない。だが言われてみれば、炎というよりも薔薇を思わせる赤い髪、月の光に煌めく銀の槍、どこか憂いを帯びたその立ち姿――なるほど、この騎士に星空はよく映える。
 貴い――だからこそ気づかせなければならない。自分が干渉しなくともいずれ彼は自分の歪みと向き合うことになるだろう。だが、それがもし取り返しのつかない局面であったら?
 フェイトに助けられた自分が、実はとうの昔に死んでいた。
 そのとき彼は致命的な傷を負うだろう――身体ではなく精神に。
「あのさエリっっち……あたしエリっちに伝えたいことがあるんだ」
 意を決して声をのどから絞り出す。緊張で声が震える。思わず赤面してしまうのは――この際むしろ都合がいい。
「……なに?」
 声音からただごとではないと感じ取ったのか、エリオは姿勢を正してシャンテに向き合う。
「…………」
 ここにきてシャンテの中に、彼とそこまで親密でもない自分が軽々しく彼の闇に触れるような真似をしていいのか、もっとふさわしい相手に任せればいいのではないかという迷いがよぎった。
関係ない――ここにいないヒロインよりも、ここにいる脇役の方がまだ役に立つはずだ。
 シャンテはエリオの顔を真っ向から見据える。
「あなたが好きです。あたしと、付き合ってください」
 声は思いの外すんなりと出た。だが残された体の方がまずい。足が震え、これ以上熱くなることのないと思っていた顔がさらに熱くなる。
 エリオの方は完全に埒外の告白だったためか呆然自失の有り様だ。無理もない、告白した本人ですら信じられないのだから。
 重ねて言うが、シャンテはエリオに恋慕の情は抱いていない。そして当然ながら本気で交際を申し込んだわけではない。
 これが、セインの問いの答え『歪みの確認方法』である。
 エリオが真に我欲をなくしているのならば、別段恋慕っているわけでもない女性の告白でも応えてしまうだろう――自分の感情よりも他人を優先させて。

 同情で女性の想いに応えるなどこの上ない侮辱だ。だが彼は応えてしまう、自分が死んでいるのだから他人のことしか考えられない。
 それが彼の人生の縮図だ。他人のために生きて、自分は一生幸せを掴まずに死ぬ。
だから正してやらなくてはならない。
シャンテは次の展開を予測する。エリオがシャンテの告白に応えた時、間髪入れずにまずはその顔を引っぱたく、そして――。
「ごめん」
 そして呆気にとられる彼の足を払い、マウントをとり説教を――。
「――――――え?」
「ごめんシャンテ……君の想いには応えられない」
 そのときシャンテの頭の中は、混乱を通り越して空白となった。
 彼が何を言っているのかがわからない。彼の歪みを正し、導こうとする未来図まで予想していたはずなのに――こともあろうに、その前提条件である“歪み”の所在すら見失ってしまった。
「ちょっと……待って、何が――どういう、こと?」
 全くの予想外の展開にうろたえるシャンテの姿を、エリオは履き違えてとらえたらしく、ばつが悪そうに眼を伏せる。
 その様子を見て、はっとシャンテは我を取り戻し、見当違いな罪悪感を抱いている少年にことの真相を、正直に白状することにした。
「ちがうちがうちがう!違うから!エリっち!聞いて!」
「……?」



「つまり、自分の不真面目さを正当化するために僕の性格の粗探しをしていた、と」
 今回の話の顛末を、エリオはわかりやすく端的に表現してくれた。
 あからさまなため息と眉間に指を当て眉をひそめているあたり、彼には珍しく呆れと僅かな怒りを訴えているようだ。
「いや……まあ……はい」
 何故思い至らなかったのだろう。自分のように格別に不真面目な人間がいるのならば、彼のように度が過ぎるほどの真面目くんがいたところで何の不思議もないではないか。
 なまじ彼の過去を知っているだけに、深読みして彼の性格に理由を求めようとしてしまった。言ってしまえば、シャンテの早とちり、ただそれだけの話であった。
「確かに、僕の過去の経験は人格形成にそれなりの影響を与えたと思う。
 でもそんなのは誰だってそうさ。何も、特別なことなんてない」
 何でもないことのように言ってのける。

 誰もが同情する悲劇のヒーローを気取ったっていいはずなのに、今の自分は幸せだから変な気を遣わないでほしい、と彼は言っているのだ。
 特別な過去を持つからといって特別扱いすることは、その人にとっての何よりの侮辱でしかない。小学生でも知っている、道徳以前の常識だ。
 とうの昔に彼は過去を克服していた。
 忘れたわけではない。目を背けたわけでもない。
 悲痛な過去を今の幸福の糧にしている。そんなことができる人間なのだ。
「そりゃあ……敵わないわけだ」
「……?」
 もはやシャンテの瞳に憐憫の色はない。あるのは純粋な羨望のみだ。
「…………」
「…………」
 心地よい沈黙が流れる。
 シスターとしてはお世辞にも淑やかとは言えないシャンテであるが、今この瞬間、この生真面目すぎる少年騎士の隣にいる間だけは自分も清淑なシスターでいられる気がした。心なしか頬が熱い。心臓の鼓動が早まる。胸の奥の、さらに深いところにある何かがしめつけられる。だがそれは決して不快なものではなく、むしろ気持ちよくさえある。
 これではそう、まるで――。
「うわあっ!」
「わっ」
 シャンテは奇声を上げて跳びあがる。
 ――今、自分は何を考えていた?
 ふられた直後に惚れるなど、救いようがないにも程がある。それに、親友の召喚士二人を敵に回すのも御免だ。
 「……どうしたの?」
 シャンテの突然の奇行に、エリオは戸惑いながらも心配する。
 あの心地よい空間はどこへいったのか。夜風はシャンテの頭を冷やしきり、先ほどとはうってかわって気まずい空気が流れている。
 そこではたと、シャンテは肝心なことをエリオに言いそびれていたことに気づいた。
「エリっち……ごめん!」
 勢いよくシャンテは両手を合わせた。
 だが当のエリオはきょとんと、なせ自分が謝られたのかわからない様子である。
 案の定、とも言える反応にシャンテは苦笑を浮かべる。そうなのだ――この少年は強がりや虚勢ではなく、本当にあの過去を乗り越えているのだ。
 だからシャンテに過去を無遠慮に詮索されたとしても、彼にとってのそれは、『恥ずかしい過去を掘り返された』程度の認識でしかないのだろう。

 しかしシャンテの心境としては、そのやさしさに甘んじるわけにはいかない。これでも道理を重んじる聖王教会のシスターなのである。
「だってあたしはエリっちの古傷をひっかき回したんだよ?それも、ただの興味本位で!」
「ああ、そういうことか。
 僕は気にしないけど、うーん……シャンテがどうしても謝りたいって言うのなら、二人とも得をするいい解決法があるけど――どうする?」
 シャンテの思いの外殊勝な申し出に、エリオは一瞬呆気にとられるが、すぐに破顔し、彼にしては実に珍しい、何やら含みのある笑みを浮かべた。



「やっぱりね……」
 予想通りの展開に、だがシャンテは苦笑いを禁じ得なかった。
 今、シャンテとエリオは二十メートルほど距離を空けて向かい合っている。これから何が行われようとしているのかは、もはや言うまでもない。
「女の子への誘い文句が『よし、決闘しよう』ってのはどうかと思うよ?」
「そうかな?知り合いの女性には決闘趣味の人、結構多いよ?」
「六課のアマゾネスを一般女性と考えてはいけません」
 先の件ではシャンテに非があるため、エリオの申し出を飲まざるを得なかったが、飲んでしまえば立場は対等――いや、男女の違いからエリオに責めに帰すべき事由があるすらいえる。くたくたに疲れている乙女を捕まえて決闘につき合わせるとは、シャンテに不平不満に浴びせられても文句は言えないだろう。
「それじゃあいくよ」
 エリオは愛槍を正眼に構え、シャンテもまたデバイスを起動させ旋棍を構える。
 構えも間合いも先の決闘と同じではあるが、異なる点が一つ――使用する魔法は身体強化のみ、という取り決めである。夜間ということもあり、派手な攻撃魔法による爆音は他の修道士たちの迷惑になる、という配慮からである。
 その取り決めははシャンテにとっては願ったり叶ったりのものであった。もとよりそんなことに割けるほど魔力に余裕はないし、そもそも彼女は射撃魔法や砲撃魔法の適性は高くない。
反面、エリオにとっては自ら足枷を一つ増やしたようなものであった。エリオの高速機動とは異なるもう一つの特性『変換資質:電気』――これは魔力を電気に変換させる工程をノータイムで行える稀有な資質であり、彼の最大の武器の一つである。この資質によりエリオは攻撃力の強化、範囲攻撃等を得意とするが、その特性も自ら提示した取り決めにより使用不可となった。

“まあ、これでやっと対等ってところなんだけどね”
 彼がもたらしてくれた利点も、シャンテを手放しで喜ばせるものではなかった。
 エリオは自らの武器を捨て、自分は魔力と集中力を無駄なく運用できる。それだけのハンデがありながら、今日一日目の当たりにしてきたこの騎士を相手に勝機を見出すのは難しい。
 自分と彼には、それだけの差があるのだ。
先の決闘の結果を、あの遠い背中を思い出す。
 “好敵手”――初めてそう言ったのは誰だったか。その時は鬱陶しくも誇らしかったことを覚えている。あの機動六課の天才児と並び立つ存在だと認められた。当時、同年代はおろか並の修道騎士すら相手として不足だったシャンテにとって、初めて全力を出しても勝てるかどうかの相手と出会ったのだ。――それも相手は自分と同い年の少年だ。
 だが年々――いや日に日に開く好敵手との実力差に、拭われたはずの孤独感が再び鎌首をもたげていた。
「それでも……勝つよ」
 そんな身を焦がす焦燥感も、シャンテは振り払いエリオと――敵と向き合う。
 そう、だからこそ勝つ。この戦いで彼を超え、あの背中を追い越し今度は彼に自分の背を見せつけてやる。
シャンテの気迫を受け、エリオは半ば条件反射で地を蹴った。
 狙いは――推し量るまでもない。策も小細工もない、単純な刺突だ。
 エリオが先手をとった場合、必ずといっていいほど彼は真正面から突撃してくる。せっかくの速さも狙いがあらかじめ知られてしまえば脅威は半減するというのに、彼の初手は愚直なまでに真っ直ぐなのである。そんな彼の馬鹿正直さを、シャンテは決して嫌いではない。
 音速で繰り出される槍を、シャンテは左手に持つ旋棍だけで難なくいなした。驚くことでもない。シャンテも高速型の騎士なのだ、どんなに速い攻撃であろうと狙いさえわかっていれば防ぐことは容易い。
 左の旋棍で槍を抑えたまま、残った右の旋棍を半回転させエリオの首を刈り取りにいく。――が、それも当然のごとく軽く上体を逸らすだけでかわされる。
 刹那、両者の視線が交差し獰猛なほどの笑みを投げ合う。
 知ってしまえばどうということはない。シャンテは自嘲する。
 彼には我欲がない?何を馬鹿な――こんなにも、自分との戦いを愉しんでいるではないか。
 ――響く剣戟はまさに最上の交響曲だった。
シャンテは目の前の戦いに全神経を集中させているにもかかわらず、否だからこそその音を一瞬たりとも聞き逃すことなどなかった。

 もどかしい、この素晴しい二重奏をもっと多くの人に聴かせたい。演奏者はたった二人、聴き手もたった二人、あまりに惜しい。だがそれでもいい――いやそれがいい。この心地よい時間は、誰にも邪魔はさせない。
 今、この瞬間エリオはシャンテだけを見て、シャンテのことだけを考え、シャンテのためだけに動く。シャンテもまた、彼だけを見て、彼のことだけを考え、彼のためだけに動く。まるで世界に二人しか存在していないかのような錯覚さえ覚える。
 ああ、これでいい。
 永遠を誓い合う――そんな少女趣味はあの召喚士のどちらかに任せていればいい。
 自分と彼の関係はこれで十分だ。刹那の間にお互いの全てをぶつけ合い、共有する。
 彼女らは彼の隣で、彼を支えることができるかもしれない。
 だが彼と真っ向から打ち合うことができるのは自分だけだ。彼と速さを、技を、力を競い合うことなど彼女らには一生できまい。
 えも言われぬ優越感が、シャンテの総身を震わせる。
 だがこの幸福な時間も、終わるのは唐突であった。
 予感はあった。両者ともに高速型、刹那の差を競い合う者だ。ならば終わりも刹那の内に訪れるであろう。
 槍と旋棍が衝突する。ともに必殺を確信し繰り出した一撃であり、それ故反動も大きい。
「きゃ……」
「……ッ!」
 得物を弾かれ、二人は大きく体勢を崩す。この局面に至って、やはり勝負を分けるのは得物の差であった。
 シャンテもエリオも、己の得物は相手から最も遠い位置に弾き出されている。
 だが、シャンテの得物は単一ではない。右手の旋棍はエリオから遠い、だからこそその対極にある左手に旋棍は何よりも先に彼に届く。
 そのはずなのに――この、愛しくも憎たらしい好敵手はそれでも勝ちを譲ろうとしてくれない。
 勝利をもたらすはずの左の旋棍が弾き飛ばされる。弾き飛ばしたのはエリオの左脚に装着されている甲冑である。
「足癖の悪い……!」
 これで勝負は振り出しに戻った。得物の差はもはやなく、単純に速さを競う戦いに切り替わる。
 煌めく銀槍、疾駆する旋棍。
 両者同時に勝利と敗北を確信する。

「…………」
「…………」
 喉元につきつけられた槍、首筋に押し当てられた旋棍。
 もしこの決闘に審判がいたのならば、迷うことなく引き分けだと宣言するだろう。
 しかし、刹那を競い合った当人たちだけが認識できる極微の差が、確かにあった。
「あっちゃー……また負けちゃった」
「いや、紙一重だったよ。次はどうなるかわからない」
「勘弁してよ……そんな体力は残ってないって」
 ぺたん、とシャンテはその場に座り込む。
 死力を尽くした戦いの結果は、またしてもシャンテの敗北であった。
 悔しさはあるが屈辱はない。何故ならそう、紙一重だったのだ。
 決して届かないと思っていたあの背中に、六課の隊長陣に比肩する騎士を相手に紙一重だった。ならばきっといつの日か、自分も胸を張って彼に並び立つことができるはずだ
 今はそれがたまらなく、嬉しい。
 ふと、シャンテの体が宙に浮いた。
「ふわっ!?」
「久々に疲れたね、つき合ってくれてありがとう」
何事かと慌てるシャンテだが、自分がエリオに抱き上げられていることに気づき何故か自分でもわけがわからないほどさらに狼狽する。
「ちょ……!待っ……あたし!汗!いっぱい、かいてるからっ!」
「そうだね、僕も汗びっしょりだ。早くお風呂入りたいよ」
 エリオはそんなシャンテにお構いなしに歩みを進める。シャンテも間近で笑顔を向けられたことによって、言葉に窮し赤面した顔を逸らすという些細な反抗をすることでその場を凌いだ、つもりである。
「…………」
 自分らしくない、とシャンテはふてくされる。普段ならば自分がエリオをからかい、慌てふためかせる役どころのはずだ。こちらは勝負に負けたのだ、せめて他のところで彼に一泡吹かせてやらねば気が済まない。
 そうして瞬時に逆転の言葉を探し当てる。その閃きは間違いなく彼女の才能の一つであろう。
「どうせなら……一緒に入る?」
「なっ!?」
 あれだけ凛々しかった顔が面白いように取り乱す。危うくつんのめり転倒しそうになるが、なんとか踏みとどまる。
それでも両腕に抱えたシャンテを落としてしまわないあたりはさすがである。
期待通りの反応にシャンテは声を上げて笑う。
 そんな彼女をエリオは恨めしそうに半目で睨むが彼女の笑い声に毒気を抜かれ、観念したように微笑みを浮かべる。
 まあ、今日のところはこれで勘弁してやろう。シャンテは瞼を閉じ、自分を包む両腕の感触を堪能する。
 今日は自分でも驚くほど頑張ったつもりだ。だから、これくらいのご褒美をもらっても文句は言われまい。
 そうしてシャンテは、まどろみに落ちていく。夜道を歩く二人を包む空気は優しく、夜風はどこまでも涼しい。
 これにて、今宵の聖女と騎士の二重奏は終幕である。


著者:えんは

このページへのコメント

 エリオとシャンテ……そうか、そういうのもあるのか。
 凄くときめきましたよ、心。

1
Posted by 霜ーヌ。氷室 2012年02月09日(木) 21:19:30 返信

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