685 名前:魔法集団リリカルやがみけInsecterSその8-1[sage] 投稿日:2008/07/29(火) 20:51:22 ID:jlnylW3F
686 名前:魔法集団リリカルやがみけInsecterSその8-1[sage] 投稿日:2008/07/29(火) 20:51:56 ID:jlnylW3F
687 名前:魔法集団リリカルやがみけInsecterSその8-1[sage] 投稿日:2008/07/29(火) 20:52:33 ID:jlnylW3F
688 名前:魔法集団リリカルやがみけInsecterSその8-1[sage] 投稿日:2008/07/29(火) 20:53:15 ID:jlnylW3F
689 名前:魔法集団リリカルやがみけInsecterSその8-1[sage] 投稿日:2008/07/29(火) 20:53:45 ID:jlnylW3F
690 名前:魔法集団リリカルやがみけInsecterSその8-1[sage] 投稿日:2008/07/29(火) 20:54:49 ID:jlnylW3F
691 名前:魔法集団リリカルやがみけInsecterSその8-1[sage] 投稿日:2008/07/29(火) 20:55:35 ID:jlnylW3F
692 名前:魔法集団リリカルやがみけInsecterSその8-1[sage] 投稿日:2008/07/29(火) 20:56:28 ID:jlnylW3F
693 名前:魔法集団リリカルやがみけInsecterSその8-1[sage] 投稿日:2008/07/29(火) 20:57:09 ID:jlnylW3F
694 名前:魔法集団リリカルやがみけInsecterSその8-1[sage] 投稿日:2008/07/29(火) 20:58:14 ID:jlnylW3F
695 名前:魔法集団リリカルやがみけInsecterSその8-1[sage] 投稿日:2008/07/29(火) 20:58:50 ID:jlnylW3F
696 名前:魔法集団リリカルやがみけInsecterSその8-1[sage] 投稿日:2008/07/29(火) 20:59:30 ID:jlnylW3F

 ……正直に言うと、この時の事はほとんど覚えてねえんだ。

 お前は『怒りで目の前が真っ白になる』って経験はあるか? 後先考えずに頭より体が先に動いちまった事。

 ある? ならわかると思うが、まさにあの時俺はそんな感じだった。
 アイツが言った『殺した』っていう言葉だけが頭の中をグルグル回って、気がついた時にゃあ体が勝手に
動いてたんだ。



 
新暦70年 ミッドチルダ某所


 静謐な夜の森に、一陣の風が吹いた。


 風には色彩があった。
 暗夜の中にあってなお、一層深く濃い漆黒が。

 風には力があった。
 触れた物を微塵に砕き、或いは彼方へと弾き飛ばす撃力が。

 風には感情があった。
 生けるその風は、明確な指向性を持って眼前の男を飲み込もうと吹き荒んでいた。


「ぐ、う、おおぉっ!」

 短い叫びと共に男の体が宙空を舞う。

 意図された跳躍ではない。
 その証拠に男は減速も回避もしないまま、背中から勢いよく岩壁に激突する。
 男が身につけている衣服はただの布ではない、魔力で構成された防護服である。
 かつて戦闘魔導師だった彼が敵から己を護る為に編み上げたこの魔法の服は、正しく騎士の甲冑と評するに
相応しい堅牢さを備えた代物で、並の衝撃であれば完全に吸収・遮断してしまう。

 その防護服が今、激突の衝撃を殺し切れなかった。


「が、っ……!!」


 凄まじい速度で叩きつけられた体が、轟音と共に巨大な岩にめり込む。
 男の口から鮮血が舞った。
 衝撃は激痛に変換されて彼の視界を明滅させ、僅かな繋がりを残して肉体から意識を引き剥がす。


 また風が吹いた。


 先ほどの風を瞬間的な疾風と例えるならば、今度の風は突風。
 大幅に鈍った男の感覚器官が更なる危機の襲来を感じ取り、残された蜘蛛の糸ほどの伝達経路を最高速度で
駆け登る。報告が神経から脳へと到達するまでの所要時間はコンマ以下の刹那。しかしその時にはもう、風は
男のすぐ側まで迫っていた。
 岩壁に磔にされた肉体は万全の状態であっても容易に動かす事は出来ない、まして意識との統制が
取れていない状態ではなおさらである。恵まれた体躯も矢の当て易い的にしかならない。
 それでも風は全く減速する事なく、男を捕らえている岩の十字架ごと砕こうかという勢いでひたすら前方へと
突き進んでゆく。不可視の突撃槍となって、目の前の標的を穿とうとする。

 不意に、風の往く手を阻むように魔力の壁が現れた。

 こんな物が自然に発生する訳は無い。
 発生源となり得る可能性はただ一つ。気づけば岩壁の中に埋まっていたはずの左手が風に向かって
真っ直ぐに伸びている。
 元より不可能ではあるが、当然減速はしない。そもそもする必要も無い。
 そう結論付けるより早く、風は魔力壁に激突する。
 勿論風はこの程度で吹き止んだりはしない。
 風の勢いに押されて歪曲する壁は瞬く間に受容出来る衝撃の限界を迎え、表面に出来た小さな罅割れが
加速度的に広がりを見せてゆく。
 傍目から見ても崩壊は時間の問題だった。
 風は己の勝利を確信し、勝鬨の唸りを上げる。



 壁が成し得た事といえば、せいぜい数秒の時間稼ぎ程度だろう。 
 では、この薄い壁は窮鼠の一撃を導くには至らなかったのか。

 答は否。 

 実は魔力壁が出現した時点において、男の意識は未だ此岸と彼岸の間隙を彷徨っていた。
 つまり伸ばされた左手は本能の所作。形式通りの返答を待っていては間に合わないと判断した男の肉体が、
これまで幾度と無く組み上げ実行してきた術式を咄嗟に行使したのが壁の正体である。
 それは高い練度が生み出す普段の彼の"鉄壁"と比べれば、児戯にも等しい代物。
 だがその児戯は壁の奥に立つ男に意識の糸を繋ぎ直し、霞んでいた双眸に再び光を宿らせるに十分な
時間を齎す。
 そして意識が戻れば当然――男は反撃に転じる。


「ぬ、ううぅっ……ぐおあぁああぁっ!!」

 風を切り裂いて、獣染みた咆哮が響く。同時に大音響と共に魔力壁が爆ぜた。
 衝撃に耐え切れなくなったからではない。
 崩壊に先んじて、男が自ら爆散させたのだ。
 発生した爆風は突風を相殺し、周囲に土煙が舞い上がる。数秒後に煙が晴れた時、そこにあったのは一匹の
召喚虫の姿だけだった。

『……』

 漆黒の虫は何も言わない。
 ただ二対の瞳を鮮紅色に輝かせ、周囲を見回して消えた男の姿を探す。
 叩きつける、切り裂く、引き千切る……男を探しながら、幾つもの言葉が虫の中で浮かんでは消えた。
しかしそれらは皆単なる残滓であり、渦を巻く思考がただ一つのシンプルな解答へと収斂していく過程で
削ぎ落とされた不要物に過ぎない。

 
 捜索はすぐに終わった。


 探し人は少し離れた場所で片膝をつき、両肩を激しく上下させながらこちらを睨んでいた。

 その様子からかなりのダメージを負っているという事は容易に推測出来た。だがまだ足りない。
男の目から、そして姿からは未だ消えぬ彼の戦意を明確に感じる。


 ならば、もっと速く。


 虫の背から生えた濃紫の翅が細かく振動を始める。
 あの戦意を完全に消すまで。
 主人を"殺した"仇を完全に"殺し切る"まで。
 どこまでも速く、どこまでも荒々しく吹き抜けろ。

 一匹の虫から風へ。
 翅の動きが更に加速を増し、その姿がぼやけて闇に交じり始める。


 殺せ。

 殺せ。

 ころせ。

 コロセ。
 
 コロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセ
コロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコ
ロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロ
セコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロ――


 羽ばたきが最高速度に到達した瞬間、召喚虫の姿が消えた。
 替わって三度生まれた風は、暴風。
 男が立ち上がり手にした槍を構える。
 その中で燃え上がる炎を吹き消さんと風は猛った。

 目の無い風には男が唇を動かした事に気付く術は無く。
 耳の無い風には唇が洩らした言葉を聞き取る術は無かった。
  

          ◆



「……許せなかった」

 濃紫の翅を震わせる召喚虫から瞳を逸らさずに、低く小さな声で男は呟いた。


「遺されたお前の怒りや悔しさ、無念……その感情の数十分の一でもこの身で受け止めなければ、自分自身を
許す事が出来なかった」

 何故なら、"彼"の主人を死に追いやったのは他ならぬ自分だから。
 あの日、自分があの拠点への捜査を強行しなければ彼女が命を落とす事は無かった。
 友の真意を知ろうと焦るあまり与えられた情報が罠だと看破出来なかったせいで、自分は彼女を、そして他の
全ての部下を死地へと追いやってしまったのだ。
 彼女達の死の責任は全て自分にある。
 だからこそ彼にもそう告げた。メガーヌ・アルピーノを殺したのは、自分だと。

 愛槍のアームドデバイスを杖代わりに使い男は立ち上がる。

「だが、そうだな」

 責められても仕方が無いと思っていた。
 むしろそうなる事を望んでいる自分がいた。
 部下を失ってなお一人生きている自分を、それでいて彼らの後を追う事すら出来ない自分を誰かに裁いて
もらいたかった。
 けれど、所詮自分の行動などただの自己満足に過ぎない。
 こんな事をしても彼に許されるはずは無いのだ。
 大切な者の命を失った者に対して、己の命すら差し出せない者の謝罪など受け入れられる道理はない。
 彼の剥き出しの感情に直面するまで、そんな事にすら気付かなかった自分の愚かさに嫌気が差す。

 
 瞬間、漆黒の闘虫が消える。
 彼には自らの身体を魔力のヴェールで覆い隠し闇と同化させる能力があるが、今はその能力を行使してはいない。
 今目の前で起こった現象は、もっと単純な理由で説明がつく。
 速度。
 彼の動きが文字通り『目にも止まらぬ速さ』に達した事で、常人の視認出来るレベルを超越したのだ。
 その姿はまさに、風。
 自然そのものへと姿を変えた今の彼の前では、ただの人間は余りにも無力だ。


「すまない。ガリュー」


 しかし。

 男もまた常の者ではない。
 男の名はゼスト・グランガイツ。
 古代ベルカ式魔法の使い手、魔導師ランクはS+。かつてストライカー級と称された歴戦の騎士。
 例えその尊称を拝する資格を失うような過去があったとしても、その身が万全な状態でなくとも、刻み込まれた
力と技は変わらず彼の中に息づいている。
 未だ震える自身の膝に、腕に、体全体に魔力を流し込み、ゼストは強引に身体の運動機能を回復させる。
 回復といっても本当に負傷が消える訳ではない。低下した筋力を魔力で強引に強化する、或いは一時的に痛みを
感じなくさせる等の方法で回復しているように見せかけているだけだ。
 こんなものはあくまで付け焼刃の処置であり、戦闘後に訪れるであろう反動を考えても割に合わない。だが
そもそも、今を生き延びなければその未来も訪れない。


 ゼストは両の眼を見開いて闇を見据える。
 先ほど彼が全身に行き渡らせた魔力の機能回復効果は、当然目にも表れている。
 とはいえそれは長時間の作業等で一時的に低下した視力が回復するといった程度のもので、不可視の相手を
捉えられる魔法のような眼力を得られる訳ではない。

 彼が見ているのは、空間そのもの。
 暴風と化したガリューが自分に向かって突進してくる際に巻き上げる土や小石。その動きからゼストはガリュー本人の
動きを予測する。
 視覚だけではない。
 頬や手に当たる風の感触から。
 耳に入る音から。
 自分に向けられる殺気の射線から。
 五感で得られた情報に直感も加えて組み合わせる事で闇の中に守護虫の姿を映し出す。

 そして完成した像(ヴィジョン)は――ゼストの眼前、右手甲から伸ばした刃を彼の心臓に突き立てんとする姿!!

「ぬうぅっ!」

 同瞬、ゼストの脳が竜巻の中に入ったかのような錯覚に襲われる。
 100キロ近い彼の巨体さえも浮き上がらせようかという強烈な風。平衡感覚は失われ、目を開けていられず、
耳には轟音だけが渦巻き、創り上げたガリューの像は千々に乱れて吹き飛ばされていく。
 だがそんな状況下においても、ゼストには一片の迷いも無かった。
 像を掻き消したこの暴風こそが、本物のガリューが眼前に存在する確かな証。
 己の作り上げた像と実物の動きに差異が無いのならば、次に来る攻撃は読む事が出来る。


 不可視ではあるが――不可避では無い。


 ゼストは鍛え上げた全身の筋肉を総動員し体を反らす。
 直後に彼の上半身があった場所を鋭利な影が通り過ぎる。

 バリアジャケットの一部が影によって切り離され宙を舞った。

 ひら、と揺れるその切れ端を見て、ゼストはガリューの爪だと確信する。
 彼の体に内包されている無数の武装は、平時ですらその一つ一つが業物の刀剣に匹敵する切れ味を誇る。
 その武装が今、速度という強化を受けて更なる威力を備えていた。
 例えるなら差し詰め死神の鎌。
 もし僅かでも回避が遅れれば、即座にゼストの体は上下に切り分けられるだろう。


 ならば――


 回避と同時に動いていたゼストの腕、その手に携えたもう一つの刃が中空を跳ね上がる。
 死神の鎌と無銘の槍。
 交錯の瞬間、白い火花が闇に煌めいた。
 暴風がゼストの体を吹き抜け、十数メートルを過ぎた所で再度形ある虫の姿が現れる。
 虫に戻ったガリューは両脚と左腕、尾を使って大地を削りながら減速し急停止するが、そのまま動きを止め
さらなる追撃を見せようとはしない。
 一方のゼストもまた槍を振り上げた体勢のまま虚空を見据えていた。
 両者は互いに背を向けあったまま微動だにせず、夜の森に束の間の静寂が戻る。



 

 ……リ




 小さな音に先に気づいたのは、人間よりも優れた聴覚を持つガリューだった。
 真紅の瞳が驚愕に見開かれ、右腕を胸元に引き寄せる。
 その時、この夜初めて途切れた雲間からミッドの巨大な月達が顔を覗かせた。
 空から降り注ぐ月光を反射し、黒刃が鈍く輝く。
 その輝きが、歪んでいた。
 ガリューの見つめる前で歪みはますます巨大に広がり、やがて刃全体に亀裂を走らせ、
 

 
 パキイィィ……ン



 ――その刃が己が身を捉えるより前に、破る。


 乾いた音と共に、爪は根元から断ち切られた。
 ガリューが振り向く。
 無数の光の粒となって霧散していくバリアジャケットの欠片、その先に立つゼストは既に構えをとっていた。
 白光に照らし出された刃には些かの歪みも無く、まるで死神に対する勇者の剣のように超然と主の手の中で次に
使われる瞬間を待っている。
 

 物言わぬ召喚虫が、吠えた。



 両腕から無数の刃が固い外皮を突き破って飛び出し、ガリューの手を中世の拷問器具の様な禍々しい姿に変えてゆく。
 鮮血が舞い散るだけに留まらず、切り裂かれた無数の肉片が地面に落ちてぺちゃぺちゃと音を立てた。
 それは気の弱い人間ならば目にするだけで失神しそうな光景。
 しかしゼストはけして視線を逸らさず、むしろその変化の一部始終を片時も見逃すまいと注視する。


「……っ」

 不意に、ゼストの視界が赤く滲んだ。
 眼の前にいるガリューはまだ攻撃体制を整えていない。
 思考を巡らせたゼストは、すぐに赤の正体が寸断された自分の血だと気付く。眼球を極度に酷使した事によって
周辺の毛細血管が破裂し、血の涙となって流れ出したのだ。


(この調子では、長くは保たんな)

 血涙を拭いながらゼストは自身の体について思いを巡らす。

 もっとも、彼の体の事は他ならぬ彼自身がよく理解していた。
 あのプラント戦の後、目覚めたゼストの肉体は以前とは全く違ってしまっていた。
 長い眠りの間に衰え、二回りも小さくなっていた筋肉の鎧。
 それどころか、首一つ、指の一本さえ満足に動かせなかった。
 世話係の戦闘機人の制止を振り切って与えられた量を遥かに超えるリハビリをこなしても、遅々として回復の
兆しが見えない悪夢のような日々。
 それでも執念だけで復活への階段を一歩一歩這い登り、何とか日常生活に支障がない程度のレベルに回復したのが
三ヵ月前。
 そこからさらにピッチを上げ何とか戦闘の真似事が出来るようになったのが、僅か一ヵ月前の出来事。
 如何に肉体に染み着いた技術があるとはいえ、ガリューという召喚虫を相手に手加減無しの戦闘を行うには、
余りにも何もかもが足りなかった。

(十一、十四、十八……まだ増えるか)

 目の前では相変わらずガリューが自身の腕の"改造"を続けていた。
 口には出さず、出現した刃の数を頭の中に刻みつける。
 それは最悪、先ほどのような刹那の攻防を刃の本数分だけ行わなければならないという事。
 もっとも全ての打ち合いが終了する前に決着が着く可能性もあるが――

 ゼストは視線の中心を腕に固定したまま、視界の端に映るガリューの両脚を観察する。
 漆黒の脚からは幾本もの紅い筋が流れ出して、コントラストを形成していた。
 そう。
 踏みしめる大地を赤黒く染める血液は両腕から流れ落ちているものだけではない。
 先ほどからガリューが見せる幾度もの突撃(チャージ)は、かつて多くの戦場を共にして来たゼストが知る彼の
スピードを遥かに上回っている。
 この数年の間に鍛錬によって成長した、という理由ではおよそ説明できないその差の理由が、あの血染めの両脚にある。


 おそらく、ガリューは自らの限界も超えて加速している。

 ガリューにも人間同様、肉体にかけられたリミッターというものが存在する。
 そのリミッターが激しい感情の爆発によって解除され、元々人間より遥かに速い彼にさらなる加速――自身の
力だけでは停止できないほどの――を与えているのが異常な高速移動の秘密だとゼストは推測していた。
 先程のように自身の体を削ってでも強引に減速しなければ彼を待つ運命はそのまま岩壁や木々に激突するか、または
数百メートルの距離を滑空しながらゆっくりとスピードが落ちるのを待つかのどちらかだろう。勿論この瞬間にも
ゼストの息の根を止めようと猛っているガリューがそんなタイムロスを許容出来るはずがない。それに、もし後者を
選んだとしても加速の際にガリューが肉体にかける負荷は防げない。


 このままかわし続ければ、ガリューは何度でもゼストへの無謀な突撃を繰り返すはずだ。
 己の肉体を傷つけ、最高速度を少しずつ低下させながら。

 そこに、今のゼストに残された唯一の勝機がある。


 フルドライブ。


 確実に動きを見極められる速度に落ちるまで彼の猛攻を耐え抜き、全身全霊を込めた一撃を撃ち込む。

  
「これではまるで見世物だな」

 ゼストは自嘲気味に呟く。
 同時に動きが停止していたガリューの羽が、再び顫動を始めた。


「だが今の俺はまだ、死ぬ訳にはいかない」


 槍を握る手を強く握り締め、ゼストはガリューに対峙する。

 この身に為さねばならぬ事があるから。
 この戦いの後に、彼に伝えねばならぬ事があるから。
 

          ◆


 ――その数分前。
 

 ゼスト・グランガイツを探していたナンバーズ5番・チンクは、夜の森に人影を見つけた。
 機械の瞳に映る人影は小柄で、近づくまでも無くそれが目的の人物でない事はすぐにわかった。
 ただ、だからと言って放っておく訳にもいかない。

「ルーテシアお嬢様」

 チンクは森の中に分け入って人影に近づくと、驚かせないよう優しく声をかける。
 チンクの配慮が功を奏したのか、それとも元々感情の起伏が少ないからかはわからないが、名前を呼ばれた
ルーテシア・アルピーノは悲鳴を上げる事も無くチンクの方を振り向いた。

「……チンク」
「夜の散歩ですか? そろそろ部屋に戻らないと、クアットロが心配しますよ」

 自分で言ってから『あの姉が本当に心配するだろうか』とチンクに一寸疑問が浮かぶが、ルーテシアの世話を
任されている以上、居るべき時間、居るべき場所に姿がなければ探しはするだろう。

「よければ私が部屋までお連れしますが」

 ルーテシアを送ればゼストの事は一旦放置する形になるが致し方ない。
 片や就学年齢にも達していない幼子、片や立派な大人の男。どちらを優先するかは明白である。
 それにルーテシアがここにいる事で、ゼストが最低でもこの基地の近くに居る事はわかった。彼にとってルーテシアは
部下の忘れ形見である(正確にはまだ死んでいないらしいが)。責任感の塊のようなあの男が、彼女を残したまま
この場所を去って何処かへ行く事など考えられなかった。
 
「……いい」

 その一言を肯定か否定か判りかねていると、ルーテシアがさらに言葉を繋いだ。

「ガリューと……一緒に帰るから」
「ガリュー?」

 チンクはルーテシアの口から出た耳慣れぬ言葉に首を捻る。
 この基地にガリューという名前の人間は居ないし、そのような名前をした物品も無い。
 クアットロに聞けば何かわかるだろうか。

「今……向こうでゼストとお話してる」
「ゼストと……?」

 ルーテシアが暗闇を指差す。
 チンクの眉間に寄せられた皺が、一層濃くなった。
 自分達以外に知り合いなど居ないはずのルーテシアが言う『ガリュー』は、チンクの探し人であるゼストと話し中だという。
 まさかゼストの仲間か? しかし彼は記録上は死亡した人間だし、外部との連絡手段も持っていない。仲間だとしても、一体
どうやって連絡を取ったというのか。
 

(……全く、あの男はどれだけ面倒事を起こせば気が済むのだ……!)


 チンクは思わず悪態を吐きそうになるが、ルーテシアの手前喉まで出かかったそれを飲み込む。
 
 敵として対峙した最初の邂逅はともかく、この施設であの男が目を覚ましてからこれまで、チンクは散々あの男絡みの
問題で頭を悩ませて来た。

 食事を介助しようとすれば『自分でやる』と言い張って、結局器の中身をぶちまける。
 保管していたデバイスを返せば『余計な機能をつけるな』と文句を言う(まあ勝手に拡張機能を設定したのが"あの"創造主と
くれば、少しだけその気持ちも分からないではないが)。
 挙句の果てにはやっと少しばかり動けるようになり、リハビリを開始した時だ。 
 こちらが組んだプランなど毛頭守るつもりはないとばかり、幾ら静止してもすぐに無茶を繰り返す。
 仮にもドクター(医師)・スカリエッティが組んだプランなのだ、与えられたメニューが最適・最優なものに
決まっている。
 なのに結局あの男は自分のやり方を最後まで変える事無く、結果的に"主治医"の見立てよりも早く全てのメニューを
終えてしまった。
 彼の無茶を止めていた筈の自分は、気づくと何故か彼のリハビリを邪魔をしたかのようになっていた。


 そして極めつけが今日の"これ"だ。
 命令でなければ、流石の彼女も世話係の交代を訴えていただろう。
 チンクは自分にゼストの世話係になるよう命じた時のスカリエッティの顔を思い出す。記憶の中の彼は笑っていた。

 ゼスト・グランガイツは何か自分に怨みでもあるのか。
 あるに決まっている。
 自分は彼の部下を手に掛けたばかりか、一度は彼自身の命まで奪ったのだ。怨みも怨み、末代まで祟ってやると
言われてもおかしくはない。もっとも自分が子を成す事はないだろうが。
 一方のチンク自身もまた、彼に右目を奪われている。それから、人より優れた存在――戦闘機人としてのプライドも。
表立って口には出さないがあの時の記憶は、未だ屈辱と共にチンクの中に残っている。失った右目をわざわざそのままに
しているのも、いつか完全回復した彼と再戦して勝利してから直すという秘かな目標があるからだ。
 そんな自分達が上手くやっていける理由など、次元世界の何処にも存在する筈がない。
 なのに、どうして彼はわざわざ自分達の接点を増やすような真似をしたのか。きっとあの創造主の事だから何か思惑が
あるのだろうが……

 止めよう。考えても答えが出るものではない。
 チンクは溜息をつくと、膝を折ってルーテシアの高さまで目線を落とし彼女に語りかけた。

「そうですか……しかしルーテシアお嬢様、今日はもうお休みになられる時間です。騎士ゼストとそのガリュー……さんには
私から事情をお話ししておきますので、部屋に戻りましょう」
「……」

 ルーテシアは答えない。
 彼女は基本的に無口だが、話しかければハッキリと受け答えする。
 その彼女が返事をしない時は嫌がっているか怒っているか、とにかくこちらの言葉に対して何らかの拒否を示している時だ。

「お嬢様がそのような我儘を言われては、クアットロもきっと困ってしまいますよ」
「……」


 切り札もあっさりと破られ、チンクは頭を抱えた。
 どうも最近ルーテシアは自分達の言う事を聞いてくれない事が多くなったような気がする。
 勘違いかもしれないがゼストと行動を共にする時間が増えてからだ。
 このままだといずれあの男のようになる、というのは自分の思い込みだろうか。
 親子というわけでもあるまいに、出来れば見る人間の背中はよく選んでほしい。

「わかりました。それでは二人に話して、お話の続きは明日してもらうようにしましょう。それでいいですか?」
「……わかった」

 なんとか譲歩案を引き出せた事に安堵しながらチンクはルーテシアに手を差し出す。
 ルーテシアが自分の手を握るのを確認すると、彼女はルーテシアを伴ってゆっくりと森の奥へ歩を進めた。

(……とはいえ、『ガリュー』の正体如何によっては戦闘も避けられん。一応ドクターに報告を入れて)



 轟音が夜の森に響いたのはその時だった。



「なっ!?」
「!!」

 地面が振動し、木々の葉が一斉にざわめく。
 繋いだ手に力を込めるルーテシアを咄嗟に抱き寄せながらチンクは混乱しつつも状況を把握しようとする。

 襲撃?
 それならばこの位置であれば基地のセキュリティに引っかかる筈だ。
 セキュリティが反応すればウーノから自分に連絡が来る。よって外部から何者かが襲来した可能性は限りなく
ゼロに近い。
 だとすればゼストの仕業か? 万全ではないとはいえ、十分に戦闘可能な状態までは回復している。
 それに、ゼストには伝えていないが実は今日は"ナンバーズ"もう一人の実戦型であるトーレが別任務で基地を
離れていた。つまり自分達に反旗を翻すタイミングとしてはこれ以上の機会はないのである。
 だがルーテシアを放ってあの男がそんな行動に出る事が有り得るのか?
 或いは謎の存在『ガリュー』が事態に関わっている?。

 とにかく音の発生した方向へ向かおうとして、チンクは胸の中の少女について逡巡する。
 
(お嬢様を危険に晒す訳にはいかない……だが、何が起こっているのか分からない以上此処に一人残しておくのも
危険か……クッ!)

「お嬢様、舌を噛まぬようしばらく口を閉じておいてください!」

 チンクはルーテシアを抱き上げると、地面を蹴って走り出す。
 目の届く範囲であればいざとなれば自分の身を盾にする事が出来る。それにもしゼストが本当に自分達を攻撃する
つもりなら、彼女を人質に使うという選択肢もある。

 そのような事態が起こっていない事を祈りつつ、木々の間を駆けるチンクはルーテシアに聞こえぬよう小さな声で呟いた。


「全く……ゼスト、貴様という奴はっ!!」



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目次:魔法集団リリカルやがみけInsecterS
著者:ておあー

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