最終更新: nano69_264 2008年08月10日(日) 14:08:24履歴
534 名前:魔法集団リリカルやがみけInsecterSその8-2[sage] 投稿日:2008/08/05(火) 20:30:24 ID:0cxgUGtg
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545 名前:魔法集団リリカルやがみけInsecterSその8-2[sage] 投稿日:2008/08/05(火) 20:41:00 ID:0cxgUGtg
546 名前:魔法集団リリカルやがみけInsecterSその8-2[sage] 投稿日:2008/08/05(火) 20:41:57 ID:0cxgUGtg
槍の穂先が煌めき、血飛沫が宙を舞う。
八本目の刃がガリューの腕から切り離され、同時にゼストの右肩から鮮血が噴き出した。
地面との摩擦がガリューの両脚を磨り潰し下草に覆われた大地を緑から土の黒、そして赤へ変えていく。
『見世物』とゼストが自嘲した両者の闘いは、今や完全な『死合い』に変わっていた。
左腕から三本、右腕から五本の武装を失い、さらに両脚と尾を負傷しているガリュー。
対するゼストは今の右肩で負傷個所は三つめ。
しかし、追い詰められているのはゼストの方だった。
ガリューの速度が落ちない。
それどころか逆にさらに速さが増してさえきている。
何故か。答えは単純にして明快。
より速くガリューが動こうと願い、彼の肉体がただその意志に従っているだけ。
勿論、そんな無茶な加速が永遠に続く事は無い。
幾ら肉体のリミッターを外しても出せる速度の限界は厳然として存在し、それを超えれば肉体は崩壊する。
問題はその限界が、いつ訪れるか。
ガリューが先かゼストが先か。もはや攻撃を当てるなどという次元ではなくなっていた。
ガリューの咆哮がゼストの耳を突く。
聞こえぬ叫びが、形の無い殺意の視線が確かにゼストの体に浴びせかけられる。
また、召喚虫の姿が消えた。
「ぬおおおおぉっ!!」
まるで嵐のような暴風がゼストを包み、衝撃波が防護服に叩きつけられた。
世界そのものが意志を持っているかのような壮絶な力の奔流に、呼吸すらままならなくなる。
反撃に転じている余裕は、当然無い。
タイミングを読む事だけに集中し、交錯した瞬間槍で方向をずらして突撃をいなす。
「ぐううっ……!!」
凄まじい震動がゼストの手から握力を奪っていく。槍どころか掴んだ腕ごと吹き飛ばされそうになるのを、両腕に全霊を
込めて耐える。槍が弾き飛ばされる寸前、無限とも思える攻防は終わり風が吹き止んだ。
「はあっ、はっ」
呼吸が再開され、ゼストの体に酸素が取り込まれる。
一方ついに停止しきれなくなったガリューは地面に幾筋もの溝を刻みながら木々の密集している場所に突っ込む。
激突の衝撃で、電柱ほどの太さを持つ幹が数本まとめて小枝のように折れ砕けた。
その様を見ながら、ゼストはガリューの、そして自身の限界が近い事を明確に感じ取る。
(どうする。フルドライブで一気に仕掛けるか?)
この闘いが始まってから、ゼストは自分からガリューに攻撃を仕掛ける事は一切無かった。
理由はたとえ目に見えないほどの超スピードであってもガリューの攻撃はあくまで直線的なものであり、回避だけに
集中していればけして捌ききれないものではなかったからだ。
ガリューの格闘能力の高さはゼストも熟知している。ベルカ式術者の魔力付与打撃に匹敵する破壊力を、己の肉体のみで
叩き出すパワー。人間には殆ど失われた野生の感覚から変幻自在の攻撃を放つテクニック。大柄な体躯に蓄えられた少々の
ダメージでは倒れないスタミナ。勿論スピードは言わずもがなである。
下手に自分から攻めたり逃亡を試みたりすれば、向こうの動きも当然対応して変化する。そうなった時に繰り出される
ガリューの"次の一手"に、実戦勘が鈍っている今の自分が対応できるか分からない。
リスクを覚悟して攻めに転じるか、ガリューの限界に期待してジリ貧の防御に徹するか。
勇気と無謀、慎重と臆病の間でゼストの心が揺れ動く。
一歩判断を誤れば即命を落としかねないこの状況で結論を出せずにいる事もまた、彼が万全で無い故の"鈍さ"が
齎す優柔不断だった。
――だが。その思考の輪廻は、思わぬ形で断ち切られる事になる。
「ゼスト!!」
聞き覚えのある声にゼストは振り向く。
瞳に映ったのは、小柄な銀髪の少女と、その少女よりもっと幼い紫の髪の少女。
森の奥から自分の姿を見つけ、こちらに走り寄る姿。
「来るなっ!」
ゼストは咄嗟に手と声で二人を制するが、銀髪の少女はそれを無視して大声を上げながら彼に近づいてくる。
「さっきの轟音はなんだ!? 一体何が起こっている! 返答の次第によっては……」
「説明している時間は無い! とにかく今はこの場所から離れ……」
再度の轟音。
森がガリューの突っ込んだ場所を中心に爆ぜ、黒い風が飛び出してくる。
狙いは、二人の少女。
「……だめっ!」
「お嬢様!?」
銀髪の少女の手から離れた紫髪の少女が両手を広げ銀髪の少女を庇うようにして射線に立つが、すぐに弾かれるように
上体を仰け反らせそのまま地面に倒れ込む。
「……っ!?」
突然の事に驚きながらも、攻撃を受けたと判断した銀髪の少女が戦闘態勢に入ろうとする。
しかし――その動きは対峙する敵に対して余りにも遅すぎる。
少女が得物を取り出す為コートの中に突っ込んだ右手。その手が引き出される前に風は二人の少女の元に到達する
だろう。そして彼女達の小さな体は風に飲み込まれ千の肉片に引き裂かれる――
『Grenzpunkt freilassen!(フルドライブ・スタート)』
もはや選択の余地は無かった。
ゼストの意志に呼応し、彼の一部と化した愛槍が禁断の力の使用を宣言する。
肉体の拒否反応を無視して引き出した膨大な魔力を糧に巨体が躍動した。
ガリューと自分の速度。
少女達との距離。
全てを数値化し脳内でシミュレーションを行う。
導き出した結論は"いける"。
このまま射線に割り込む形で突っ込めば、ちょうどガリューの斜め後ろを掠める形でニアミスする事になる。
だがそれは却って好都合だ。
背後、死角になる位置から攻撃を叩き込んで、戦闘を終了させる。
弓を引き絞るようにして槍を持つ腕に力を込めた。
両者は加速したまま、射線が交差するポイントに近づいていく。
「ぬおおおぉっ!!」
ゼストの眼前を黒い風が横切る。
その瞬間、限界まで収縮した力を一気に爆発させた突きが、ガリューに向けて放たれた――
――はずだった。
◆
その光景を見た時、チンクは何故か『彼の驚いた表情を見たのはこれが初めてだ』と思った。
ゼスト・グランガイツという男は、寡黙で沈着な人間だった。
たとえどんな状況に置かれても顔色一つ変えず、何があっても冷静な態度をけして崩さない。
傍で彼に付き従うようになってから、チンクは『この男には表情や感情というものが一切存在しないのではないか』と
時々思う事があった。
例えば。
彼が少し動けるようになり、リハビリを開始して間もない時の事だ。
一日のメニューを消化した彼とチンクが部屋に戻ると、何の悪戯か全裸のクアットロが彼のベッドの中に潜んで
いた事があった。
驚きの余り硬直するチンクを尻目に、彼はただ淡々とベッドの脇まで歩み寄り静かな声で「部屋が違うぞ」と言った。
ちなみにそれ以来、クアットロは彼への興味を無くしたらしく悪戯どころか話しかける事すらしていない。
チンクの視界は、まるでスローモーションの映像を見ているかのようにゆっくりと動いていた。
槍を突き出した体勢のまま未だ空中で固まっているゼスト。
その穂先から迸った魔力は大地を穿ち、砂粒から握り拳ほどのものまで大小様々な土石――割られた大地の破片が
周囲に巻き上げられている。
しかし、槍の刃が貫いたのはあくまで虚空。
ゼストの表情から察するに、彼の一撃が地面に向かって放たれたものではない事は明らかだった。では、彼が狙った
的は一体何処へ消えたのか。
その時――チンクはゼストの背後に光る二対の魔眼を見た。
「ゼストーっ!!」
「ぬうっ!!」
チンクの叫びに呼応するかのように、ゼストが振り返る。
大上段から振り下ろされる"異形"の両腕。咄嗟に槍の柄で受け止めた。脇腹ががら空きになる。
剥き出しになったその場所に、半身を捻らせて放った異形の尾がもろに命中した。
二メートル近い巨体が、まるで小石のように軽々と弾き飛ばされチンクの視界から消える。同時に周囲の風景が
速さを取り戻した。
「くそっ!」
チンクは身に纏った固有武装――シェルコートの中に突っ込んだ手を抜き出す。その手には彼女のもう一つの
固有武装である投げナイフ、スティンガーが三本。間髪入れず異形に向けて投擲しようとするが直前でその動きは
止まった。漆黒の異形の全身から、真紅の鮮血が吹き出したからだ。
怪物はそのまま苦痛に悶える事も無く、糸が切れた操り人形のように力なく崩れ落ちる。
「ど、どういう事だ……?」
「……反動だ」
「ゼスト!?」
声に目をやれば、倒れていたゼストが槍の助けを借りて上半身を起こすところだった。
チンクはルーテシアを手近な草むらの上に寝かせ彼の元へと駆け寄る。
「肉眼で捉えきれないほどの高速移動状態からの強引な急停止……そんな事をすれば、当然体にかかる衝撃も尋常ではない」
「そんな事はどうでもいい! 体は? 大丈夫か!?」
問いながら『無事な訳がないだろう』と自分を叱咤する。あれだけ派手に吹き飛ばされたのだ、いくらバリアジャケットを
身に着けていても本体へのダメージは免れない。
「おそらく肋骨に何本か罅が入っているな。だが、動けないほどではない」
「無理をするんじゃない。すぐに助けを呼ぶ、そのまま動かずにジッとしていろ」
「その、必要は無い……」
「動くなと言っただろう!」
立ち上がろうとするゼストを強引に押し留めながら、チンクは矢継ぎ早に質問を投げかける。
「というよりも"アレ"は一体何だ? お前の仲間か? 何故お前や私達を襲う?」
「……あれはガリュー。かつてメガーヌ・アルピーノと召喚契約を結んでいた召喚虫で、今は主をルーテシアに
移している」
「ガリュー……メガーヌ……」
ゼストの口から出た名前にチンクの動きが一瞬硬直する。
(あの怪物がお嬢様の話していた"ガリュー"だと……)
そしてチンクにはもう一方の名前も聞き覚えがあった。
あの時、戦闘機人プラントで交戦した魔導師。ゼスト・グランガイツの部下だった女性。そしてチンク達に撃破された
後にスカリエッティの実験体としてゼストや彼の他の部下と共に回収され、人造魔導師素体の適合性を見出された事で
今もこの基地で"保管"されている女性の名前だ。
「ルーテシアは、大丈夫か」
言われチンクは少し離れた少女を見やる。
月明かりを浴びて眠る少女の表情は穏やかで、小さな胸は規則正しく上下している。見たところ外傷も無い。
「今は眠っているようだ」
「そうか……おそらく、ガリューの感情が一時的に彼女にフィードバックして、そのショックで、意識を、失ったのだろう……
直に、目を覚ます、筈だ……」
ゼストは苦しげに、けれど少し安堵した様子で言葉を繋ぐ。
「しかし……それなら、お前とも仲間のようなものだろう。何故交戦していた? そもそもお嬢様からは"お話中"だと
聞いていたが」
「……」
都合が悪い話題になると沈黙する。
最近ルーテシアにも伝染しつつあるこの男の癖だ。ただ最近かなり付き合いが長くなった事もあって、チンクは彼の
沈黙だけである程度の事情を察した。
「……大方の事情はわかった。お前が原因だな」
「……そうだ」
チンクは大きく溜息をついた。
やれやれ、まったくこの男は本当に面倒ばかりかけてくれる。
「どんな理由があったかまでは分からんが、今後はこのような無茶は禁止だ。それでなくてもお前の体はまだ……
戦闘……な、ど……?」
――場の空気が、変わった。
言いかけた説教の言葉が、喉の奥で凍りつく。
背後から、怨念にも似た強烈な殺気を感じる。
殺気そのものが実体を持って自分の心臓を射抜くような、言い知れぬ恐怖と苦痛が入り混じった感覚。
かつてこれほど強い殺気を感じた事は一度しか無い。
目の前にいる男と初めて対峙した時。その命が尽きる直前、男が全てを捨てて放った最期の一撃が自分の右目を
貫いた時。
「ば……かな……!?」
チンクは振り返る。
その尋常ならざる殺気の発生源は自分の背後にあった。
赤黒い血鎧を纏いながら立つ、"ガリュー"という名の修羅。
眼帯の下で無い筈の右目が疼く。
ゼストが立ち上がり、再び臨戦態勢に入った。
「ゼスト。アイツは……不死身なのか……?」
陳腐な問い掛け。それでも聞かずにはいられなかった。
「ダメージは、確実にある筈だ」
そう話すゼストの口調から偽りは欠片ほども感じられない。
だが同時に彼の声からは、先の戦闘で体に刻まれたダメージの深刻さも明確に感じ取れた。ガリューのレベルには
及ばないが、彼もまた激しく消耗している。
(どうする……)
彼我の状況を分析しながら、チンクの頭脳が激しく回転する。
このまま戦うか。それとも重症のゼストとルーテシアを連れてここから離脱するか。
判断に要した時間は一瞬だった。
チンクは恐怖と右目の鈍痛を彼方へと押しやり、足元に歯車に似た戦闘機人独特のテンプレートを展開させる。
「そうか……」
「チンク?」
チンクの行動に気づいたゼストが彼女の名を呼ぶ。
その声に、チンクは更なる行動で応えた。
「ならば。戦闘不能になるまでさらにダメージを与えるまでだ」
チンクがそう言うと同時に、空中に次々とスティンガーが出現する。
新星の如く現れた刃は月光を浴びて輝き、形成されたのは極小の天象儀。
前後、左右、上方。刃、刃、刃。周到に計算されたその配置に、逃げ場は文字通り虫一匹が這い出る隙間も無い。
其々が悉く必殺の威力を持つ爆刃が創り上げた半球は、まるで牢獄のようにガリューの周囲を完全に封鎖する。
傍らのゼストが息を飲む気配が伝わる。
きっと今彼の方を見れば、今日二度目の驚き顔を見る事が出来るだろう。
そうでなくては困る。
目の前の敵から視線を逸らしはしなかったが、チンクは常に冷静な彼の表情を変えさせた事に少しだけ優越感を
覚えた。
「片目を失った私が何時までも近接中心の戦闘スタイルに拘っていると思ったか? 今の私ならば、触れずに奴と
戦う事が出来る」
そう、これはかつてゼスト・グランガイツに敗れた自分が、創造主スカリエッティの助力を得て身につけた新しい力。
いつか来るであろう完全回復したゼストとの再戦時、彼を打倒する切り札とするべく密かに磨き続けてきた能力。
右目の無い自分が、あえてそのハンデを負ったまま過去の己を超える為に試行錯誤を繰り返し完成させた新たなる
戦闘スタイル。少しぐらい驚いてくれなければ手間と時間をかけた甲斐がないというものだ。
ガリューが紫紺の翅を震わせ始める。
だがその動きが最高速度に達するよりも、チンクが指を鳴らす方が当然速い。
「させると思ったか?」
直後、全てのスティンガーが一斉にガリューに向かって射出される。
オーバーデトネイション。
チンクの戦技の中で最大の攻撃力を誇る、集中射撃から爆撃への連続攻撃。
爆音と閃光が連続して上がり、周囲の空間が炎に包まれた。
チンクは勝利を確信し、ゼストに向けて得意げに話しかけようとする。しかし次の瞬間、振り向いた彼女の眼前に
あったのは伸ばされた彼の腕だった。
「なっ!?」
抱き寄せられた、と気づいた時にはチンクの体は宙を舞っていた。
空中を浮遊する感覚を味わいながら、彼女はゼストの肩越しに燃え盛る炎の矢を見た。
熱風が頬を焼く。矢は一瞬前までチンクが居た場所を凄まじい速度で通過し、視界の遥か先へと消える。
「ぐうっ!」
「あつっ!」
二人はそのまま倒れ込むように着地し地面を転がる。
ゼストが庇ってくれたおかげでチンクの体に怪我は無かったが、その心にはまだ今見た光景の衝撃が焼き付いており、
彼女はゼストの体から離れようともせずしばらく自失していた。
「……チンク」
「……」
「チンク!」
「あ、ああ! すまん!」
ゼストの声に漸く我に返り、チンクは彼の体から離れる。スティンガーを数本手元に発生させながら彼女は今目の前で
起こった事を冷静に反芻する。
ガリューへの包囲は完璧だった。
如何に超高速での移動が可能といえど、何処かに隙間が無ければ駆ける事は出来ない。
だからガリューの移動ルートを塞いだ最初の時点で、自分の勝利は半ば確定していた筈だった。
……だが、ガリューが取った行動は、自分の予想の範疇を完全に上回っていた。
回避が不可能と判断するや、即座に強行突破へ移行。
前面を包囲する刃の壁を自ら飛び込んで突き抜ける事で、他の全ての方向から放たれた刃が到達する前に包囲を
突破する。
刃が爆発する事を知らないだろうとはいえ、自分を狙う無数の兇器に敢えて身を差し出すとは。
(道がなければ作る。私が甘かった、という事か……)
「来るぞ」
思考を切り裂くゼストの一言で、チンクは意識を集中し直した。
(そうだ、まだ奴は生きている。生きている限り何度でもこちらに向かって来る)
暗闇の中に、紫の魔力光を纏った召喚虫の姿を確認する。
全身から噴き出していた血は炎で傷口を焼かれた事で既に止まっていた。
肉が焼け焦げる臭いが、強化された嗅覚を刺激しチンクの眉を顰めさせる。
(だが、何故だ……何故そこまで奴は闘える……?)
その時、不意にガリューの膝が崩れた。
「あ……」
バランスを失ったガリューは、そのまま姿勢を維持する事が出来ずに倒れ込む。
ブレーキ代わりに酷使し続けた脚が、ついに完全にイカれたのだ。
ガリューは翅の力も使って何とか立ち上がろうともがくが、彼に速度という力を与えてきた翅も今はある物は破れ、
ある物は穴が開きボロボロになっている。今の彼の状態は、正に満身創痍という言葉がぴったりだった。
やはり限界だったのだ。
一瞬、そんな思いがチンクの中に過ぎった。「これでもうアレと戦わずに済む」とも。
しかしその考えがどれほど甘いものだったのか、直後にチンクは嫌というほど思い知らされる。
不格好な姿で何とか直立したガリューの右腕が、左腕の武装へと伸びる。
右腕が閃き、左腕から一本刃が斬り落とされた。
ガリューはゆっくりとした動きで体を曲げると、地面に落ちた刃を拾い上げ――
そのまま躊躇無く、死んだ脚へと刃を突き立てた。
「なっ……!」
一本では不十分と判断したのか、もう一本刃を斬り落とし、同じように脚へと突き刺した。
新たに生まれた傷口から鮮血が噴き出るが、ガリューは歯牙にもかけぬ様子で手についた血を払うと、二本の脚で
しっかりと大地を踏みしめる。すると今度はもう片方の脚にも同様の処置が必要と感じたのか、三度腕から刃を切り落とす。
「自分の、脚に……」
添え木などという生易しいものではない。
あんな事をすれば、戦闘が終わっても最悪二度と自分の脚で歩く事は出来なくなるだろう。
あまりにも常軌を逸したガリューの行動にチンクの全身は震え、手にしたスティンガーを握る手から力が抜けそうになる。
押し殺していた右目の痛みが、一層酷くなったように感じられた。
「あいつは、一体何なのだ……?」
「チンク」
呆然と呟くチンクに、ゼストが声をかける。
「ゼスト……」
「ここでこれ以上の戦闘はルーテシアに危険が及ぶ。さっき見せた技、もう一度使えるか?」
「あ、ああ。だがオーバーデトネイションでは大したダメージは……」
「ガリューでは無く周りを狙ってくれ。炎と音に紛れてこの場を離脱する」
「わ、分かった」
チンクは頷くと、ガリューの周囲に再びデトネイターを起動する。
ガリューの翅が蠢くのを視界の端で確認して、チンクはその足元にスティンガーを撃ち込んだ。
爆炎がチンク達とガリューの間に壁を作り、お互いの姿を覆い隠す。
「今だ!」
ルーテシアを担いだゼストが短くチンクに撤退を伝える。
去り際、チンクはもう一度炎の壁を見つめた。
煌々と燃え盛る炎に塞がれ、ガリューの姿を見る事は出来ない。
今にもその壁を突き破って炎より紅い二対の眼が自分を捉えるような気がして、チンクは全力でその場を離れた。
何があっても絶対に振り返らないよう、目の前を走る槍騎士の背中だけを見つめながら。
◆
「ここならば、ガリューも気づく事はないだろう」
落葉や草を敷き詰めた上にルーテシアを寝かせ、ゼストは誰にともなく呟いた。
ガリューからの逃亡中、偶然発見した小さな洞窟。
繁茂した蔓草がうまくカモフラージュになっており、相当注意して探さなければ見つけるのは至難の場所だった。
「お前はこれからどうする?」
「そうだな……正直、予想外の出来事が起こりすぎて、全く考えていなかった」
チンクは弱々しく笑顔を浮かべゼストの問いに答える。多分に自嘲が混じった、彼女の精一杯の虚勢だった。
「ただ……そうだな。ドクターには連絡する。おそらく基地の防衛システムを利用して、奴に総攻撃を加える事に
なるだろう」
「お前達……"ナンバーズ"が出るのか?」
「いや。トーレの高速戦闘技術ならおそらく奴とも互角に渡り合えるだろうが、あいにく今彼女は別任務でこの基地を
離れている。他に交戦が可能なのは辛うじてディエチぐらいだが……」
「五秒と保たんな」
ゼストが冷静に断じる。
妹を悪く言われるのは心外だが、今回はチンクも同意見だった。
「訓練の様子を見た事があるが、あの弾速ならば今のガリューは捉えられん」
「ああ。だが他のメンバーではもっと酷い結果になるだろう」
実はもう一人、最近稼働したばかりの妹――9番・ノーヴェも近接、それも格闘タイプではある。だが武装も戦い方も
確立されていない今の彼女を戦闘に出す訳にはいかない。何より、あんな凄惨な場面を、生まれてきたばかりの彼女に
見せるのは教育係として躊躇われた。実戦型の戦闘機人として生まれた以上、何時かは同じような局面に遭遇するのは
避けられないだろうが……少なくともそれは今ではあってほしくない。
「おそらく"デコイ"で物量作戦に出る事になるだろう。デコイ(囮)といえどそこそこの戦闘力は備えている。AMFは
ほとんど通用しないだろうが……」
そこまで口にしてチンクは自分の失言に気づいた。
通称"デコイ"――スカリエッティ作の機械兵器達は、ゼストの部下達の命を奪った直接の加害者だ。
喪った部下達の事に話題が及ぶ度、感情を表さないゼストの顔は僅かに歪んだ。
内に秘めた物が溢れ出るのを必死に抑えようとするかのような苦悶。その表情を見るのがチンクは嫌だった。
自分達が世界の定めた"法"という物を犯している事は知っている。だがチンクの知らぬ過去の人間が、チンクの
知らぬ所で勝手に作った決め事を破ったと言われても欠片ほども動じない自分の心が、何故か彼のその表情を
見る度にざわつくからだ。
自分は間違っているのではないかと、何か途轍もなく取り返しのつかない事をしてしまったのではないか、と。
だからチンクはゼストの前ではなるべく過去の事について話すのは避けていたのだった。
「すまなかった……ゼスト?」
「……あれを使うとなると、殺さずに捕獲する事は難しいか」
ゼストがいう"アレ"とはデコイの事だろう。デコイはAMF発生能力こそ備えているが、武装は全て質量兵器である。
余り複雑な命令系統も持たない。殺さずに無力化するというのは至難の技だろう。
「無理だろうな」
「……そうか」
ゼストは少し目を閉じて思案する素振りを見せた後ゆっくりと立ち上がる。
「頼みがある。スカリエッティに報告するのを、数分だけ待ってくれ」
「何をする気だ?」
「ガリューを止める。ああなってしまった原因は俺にある。命に代えてでも、止めねばならん」
答えは聞くまでも無く分かっていた。
なにせ、もうかなり付き合いが長い。
「止める術はあるのか?」
「手段はある。ただ一度フルドライブでの攻撃をかわされている以上、確実に当てられる保証は無い。だから、その時は
ルーテシアを頼む」
既に洞窟の入口まで歩き出そうとするゼストの背に、チンクはずっと疑問に思っていた質問を投げかけた。
「ゼスト! ……一つ、聞きたい事がある」
「……何だ」
「奴は……ガリューは何故あそこまで戦える? あれだけボロボロになって、それでも奴を突き動かしている物は一体
何だ?」
ゼストがしばし沈黙する。
彼が答えを口に出すのを逡巡したのは、多少なりともチンクにそれを伝えていいか迷ったからだろうか。
「今のガリューは大切な者を亡くした者の"想い"そのものだ。護れなかった事への怒り、届かなかった事への無念や
後悔、二度と会えない事への悲しみ……"想い"は何よりも強く突き動かす。人も召喚虫も、それは変わらん」
「そうか……」
……お前も、そうなのか?
「何か言ったか?」
「いや、何でもない……」
今度は聞かなかった。
聞かなくても、疼く右目がきっと答えだ。
チンクはシェルコートをルーテシアの体にかけると、ゼストの後を追う。
「分かったゼスト。お前の頼みを引き受けよう……その代わり条件が一つある」
「何だ」
「私も協力させろ」
「……」
「危険は承知の上だ。だが世話係として、このままお前を行かせて死なせるような事があってはドクターに申し開きが
出来ん。かといって力づくで止めようとしてもお前は素直に従わんだろう。だからお前が死なないよう、私が手を貸す」
「……打ち合いは俺に任せ、お前は援護に徹しろ」
「……分かった」
◆
月下の森を二つの人影が駆ける。
一人はかつての敵と共に、かつての友を止める為に。
一人は失った右目に代わる何かを掴み取る為に。
その姿を、漆黒の風が捉えた。
――決戦が、始まる。
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目次:魔法集団リリカルやがみけInsecterS
著者:ておあー
535 名前:魔法集団リリカルやがみけInsecterSその8-2[sage] 投稿日:2008/08/05(火) 20:31:30 ID:0cxgUGtg
536 名前:魔法集団リリカルやがみけInsecterSその8-2[sage] 投稿日:2008/08/05(火) 20:32:04 ID:0cxgUGtg
537 名前:魔法集団リリカルやがみけInsecterSその8-2[sage] 投稿日:2008/08/05(火) 20:32:35 ID:0cxgUGtg
538 名前:魔法集団リリカルやがみけInsecterSその8-2[sage] 投稿日:2008/08/05(火) 20:33:34 ID:0cxgUGtg
539 名前:魔法集団リリカルやがみけInsecterSその8-2[sage] 投稿日:2008/08/05(火) 20:34:15 ID:0cxgUGtg
540 名前:魔法集団リリカルやがみけInsecterSその8-2[sage] 投稿日:2008/08/05(火) 20:35:12 ID:0cxgUGtg
541 名前:魔法集団リリカルやがみけInsecterSその8-2[sage] 投稿日:2008/08/05(火) 20:35:41 ID:0cxgUGtg
542 名前:魔法集団リリカルやがみけInsecterSその8-2[sage] 投稿日:2008/08/05(火) 20:36:28 ID:0cxgUGtg
543 名前:魔法集団リリカルやがみけInsecterSその8-2[sage] 投稿日:2008/08/05(火) 20:38:34 ID:0cxgUGtg
544 名前:魔法集団リリカルやがみけInsecterSその8-2[sage] 投稿日:2008/08/05(火) 20:40:17 ID:0cxgUGtg
545 名前:魔法集団リリカルやがみけInsecterSその8-2[sage] 投稿日:2008/08/05(火) 20:41:00 ID:0cxgUGtg
546 名前:魔法集団リリカルやがみけInsecterSその8-2[sage] 投稿日:2008/08/05(火) 20:41:57 ID:0cxgUGtg
槍の穂先が煌めき、血飛沫が宙を舞う。
八本目の刃がガリューの腕から切り離され、同時にゼストの右肩から鮮血が噴き出した。
地面との摩擦がガリューの両脚を磨り潰し下草に覆われた大地を緑から土の黒、そして赤へ変えていく。
『見世物』とゼストが自嘲した両者の闘いは、今や完全な『死合い』に変わっていた。
左腕から三本、右腕から五本の武装を失い、さらに両脚と尾を負傷しているガリュー。
対するゼストは今の右肩で負傷個所は三つめ。
しかし、追い詰められているのはゼストの方だった。
ガリューの速度が落ちない。
それどころか逆にさらに速さが増してさえきている。
何故か。答えは単純にして明快。
より速くガリューが動こうと願い、彼の肉体がただその意志に従っているだけ。
勿論、そんな無茶な加速が永遠に続く事は無い。
幾ら肉体のリミッターを外しても出せる速度の限界は厳然として存在し、それを超えれば肉体は崩壊する。
問題はその限界が、いつ訪れるか。
ガリューが先かゼストが先か。もはや攻撃を当てるなどという次元ではなくなっていた。
ガリューの咆哮がゼストの耳を突く。
聞こえぬ叫びが、形の無い殺意の視線が確かにゼストの体に浴びせかけられる。
また、召喚虫の姿が消えた。
「ぬおおおおぉっ!!」
まるで嵐のような暴風がゼストを包み、衝撃波が防護服に叩きつけられた。
世界そのものが意志を持っているかのような壮絶な力の奔流に、呼吸すらままならなくなる。
反撃に転じている余裕は、当然無い。
タイミングを読む事だけに集中し、交錯した瞬間槍で方向をずらして突撃をいなす。
「ぐううっ……!!」
凄まじい震動がゼストの手から握力を奪っていく。槍どころか掴んだ腕ごと吹き飛ばされそうになるのを、両腕に全霊を
込めて耐える。槍が弾き飛ばされる寸前、無限とも思える攻防は終わり風が吹き止んだ。
「はあっ、はっ」
呼吸が再開され、ゼストの体に酸素が取り込まれる。
一方ついに停止しきれなくなったガリューは地面に幾筋もの溝を刻みながら木々の密集している場所に突っ込む。
激突の衝撃で、電柱ほどの太さを持つ幹が数本まとめて小枝のように折れ砕けた。
その様を見ながら、ゼストはガリューの、そして自身の限界が近い事を明確に感じ取る。
(どうする。フルドライブで一気に仕掛けるか?)
この闘いが始まってから、ゼストは自分からガリューに攻撃を仕掛ける事は一切無かった。
理由はたとえ目に見えないほどの超スピードであってもガリューの攻撃はあくまで直線的なものであり、回避だけに
集中していればけして捌ききれないものではなかったからだ。
ガリューの格闘能力の高さはゼストも熟知している。ベルカ式術者の魔力付与打撃に匹敵する破壊力を、己の肉体のみで
叩き出すパワー。人間には殆ど失われた野生の感覚から変幻自在の攻撃を放つテクニック。大柄な体躯に蓄えられた少々の
ダメージでは倒れないスタミナ。勿論スピードは言わずもがなである。
下手に自分から攻めたり逃亡を試みたりすれば、向こうの動きも当然対応して変化する。そうなった時に繰り出される
ガリューの"次の一手"に、実戦勘が鈍っている今の自分が対応できるか分からない。
リスクを覚悟して攻めに転じるか、ガリューの限界に期待してジリ貧の防御に徹するか。
勇気と無謀、慎重と臆病の間でゼストの心が揺れ動く。
一歩判断を誤れば即命を落としかねないこの状況で結論を出せずにいる事もまた、彼が万全で無い故の"鈍さ"が
齎す優柔不断だった。
――だが。その思考の輪廻は、思わぬ形で断ち切られる事になる。
「ゼスト!!」
聞き覚えのある声にゼストは振り向く。
瞳に映ったのは、小柄な銀髪の少女と、その少女よりもっと幼い紫の髪の少女。
森の奥から自分の姿を見つけ、こちらに走り寄る姿。
「来るなっ!」
ゼストは咄嗟に手と声で二人を制するが、銀髪の少女はそれを無視して大声を上げながら彼に近づいてくる。
「さっきの轟音はなんだ!? 一体何が起こっている! 返答の次第によっては……」
「説明している時間は無い! とにかく今はこの場所から離れ……」
再度の轟音。
森がガリューの突っ込んだ場所を中心に爆ぜ、黒い風が飛び出してくる。
狙いは、二人の少女。
「……だめっ!」
「お嬢様!?」
銀髪の少女の手から離れた紫髪の少女が両手を広げ銀髪の少女を庇うようにして射線に立つが、すぐに弾かれるように
上体を仰け反らせそのまま地面に倒れ込む。
「……っ!?」
突然の事に驚きながらも、攻撃を受けたと判断した銀髪の少女が戦闘態勢に入ろうとする。
しかし――その動きは対峙する敵に対して余りにも遅すぎる。
少女が得物を取り出す為コートの中に突っ込んだ右手。その手が引き出される前に風は二人の少女の元に到達する
だろう。そして彼女達の小さな体は風に飲み込まれ千の肉片に引き裂かれる――
『Grenzpunkt freilassen!(フルドライブ・スタート)』
もはや選択の余地は無かった。
ゼストの意志に呼応し、彼の一部と化した愛槍が禁断の力の使用を宣言する。
肉体の拒否反応を無視して引き出した膨大な魔力を糧に巨体が躍動した。
ガリューと自分の速度。
少女達との距離。
全てを数値化し脳内でシミュレーションを行う。
導き出した結論は"いける"。
このまま射線に割り込む形で突っ込めば、ちょうどガリューの斜め後ろを掠める形でニアミスする事になる。
だがそれは却って好都合だ。
背後、死角になる位置から攻撃を叩き込んで、戦闘を終了させる。
弓を引き絞るようにして槍を持つ腕に力を込めた。
両者は加速したまま、射線が交差するポイントに近づいていく。
「ぬおおおぉっ!!」
ゼストの眼前を黒い風が横切る。
その瞬間、限界まで収縮した力を一気に爆発させた突きが、ガリューに向けて放たれた――
――はずだった。
◆
その光景を見た時、チンクは何故か『彼の驚いた表情を見たのはこれが初めてだ』と思った。
ゼスト・グランガイツという男は、寡黙で沈着な人間だった。
たとえどんな状況に置かれても顔色一つ変えず、何があっても冷静な態度をけして崩さない。
傍で彼に付き従うようになってから、チンクは『この男には表情や感情というものが一切存在しないのではないか』と
時々思う事があった。
例えば。
彼が少し動けるようになり、リハビリを開始して間もない時の事だ。
一日のメニューを消化した彼とチンクが部屋に戻ると、何の悪戯か全裸のクアットロが彼のベッドの中に潜んで
いた事があった。
驚きの余り硬直するチンクを尻目に、彼はただ淡々とベッドの脇まで歩み寄り静かな声で「部屋が違うぞ」と言った。
ちなみにそれ以来、クアットロは彼への興味を無くしたらしく悪戯どころか話しかける事すらしていない。
チンクの視界は、まるでスローモーションの映像を見ているかのようにゆっくりと動いていた。
槍を突き出した体勢のまま未だ空中で固まっているゼスト。
その穂先から迸った魔力は大地を穿ち、砂粒から握り拳ほどのものまで大小様々な土石――割られた大地の破片が
周囲に巻き上げられている。
しかし、槍の刃が貫いたのはあくまで虚空。
ゼストの表情から察するに、彼の一撃が地面に向かって放たれたものではない事は明らかだった。では、彼が狙った
的は一体何処へ消えたのか。
その時――チンクはゼストの背後に光る二対の魔眼を見た。
「ゼストーっ!!」
「ぬうっ!!」
チンクの叫びに呼応するかのように、ゼストが振り返る。
大上段から振り下ろされる"異形"の両腕。咄嗟に槍の柄で受け止めた。脇腹ががら空きになる。
剥き出しになったその場所に、半身を捻らせて放った異形の尾がもろに命中した。
二メートル近い巨体が、まるで小石のように軽々と弾き飛ばされチンクの視界から消える。同時に周囲の風景が
速さを取り戻した。
「くそっ!」
チンクは身に纏った固有武装――シェルコートの中に突っ込んだ手を抜き出す。その手には彼女のもう一つの
固有武装である投げナイフ、スティンガーが三本。間髪入れず異形に向けて投擲しようとするが直前でその動きは
止まった。漆黒の異形の全身から、真紅の鮮血が吹き出したからだ。
怪物はそのまま苦痛に悶える事も無く、糸が切れた操り人形のように力なく崩れ落ちる。
「ど、どういう事だ……?」
「……反動だ」
「ゼスト!?」
声に目をやれば、倒れていたゼストが槍の助けを借りて上半身を起こすところだった。
チンクはルーテシアを手近な草むらの上に寝かせ彼の元へと駆け寄る。
「肉眼で捉えきれないほどの高速移動状態からの強引な急停止……そんな事をすれば、当然体にかかる衝撃も尋常ではない」
「そんな事はどうでもいい! 体は? 大丈夫か!?」
問いながら『無事な訳がないだろう』と自分を叱咤する。あれだけ派手に吹き飛ばされたのだ、いくらバリアジャケットを
身に着けていても本体へのダメージは免れない。
「おそらく肋骨に何本か罅が入っているな。だが、動けないほどではない」
「無理をするんじゃない。すぐに助けを呼ぶ、そのまま動かずにジッとしていろ」
「その、必要は無い……」
「動くなと言っただろう!」
立ち上がろうとするゼストを強引に押し留めながら、チンクは矢継ぎ早に質問を投げかける。
「というよりも"アレ"は一体何だ? お前の仲間か? 何故お前や私達を襲う?」
「……あれはガリュー。かつてメガーヌ・アルピーノと召喚契約を結んでいた召喚虫で、今は主をルーテシアに
移している」
「ガリュー……メガーヌ……」
ゼストの口から出た名前にチンクの動きが一瞬硬直する。
(あの怪物がお嬢様の話していた"ガリュー"だと……)
そしてチンクにはもう一方の名前も聞き覚えがあった。
あの時、戦闘機人プラントで交戦した魔導師。ゼスト・グランガイツの部下だった女性。そしてチンク達に撃破された
後にスカリエッティの実験体としてゼストや彼の他の部下と共に回収され、人造魔導師素体の適合性を見出された事で
今もこの基地で"保管"されている女性の名前だ。
「ルーテシアは、大丈夫か」
言われチンクは少し離れた少女を見やる。
月明かりを浴びて眠る少女の表情は穏やかで、小さな胸は規則正しく上下している。見たところ外傷も無い。
「今は眠っているようだ」
「そうか……おそらく、ガリューの感情が一時的に彼女にフィードバックして、そのショックで、意識を、失ったのだろう……
直に、目を覚ます、筈だ……」
ゼストは苦しげに、けれど少し安堵した様子で言葉を繋ぐ。
「しかし……それなら、お前とも仲間のようなものだろう。何故交戦していた? そもそもお嬢様からは"お話中"だと
聞いていたが」
「……」
都合が悪い話題になると沈黙する。
最近ルーテシアにも伝染しつつあるこの男の癖だ。ただ最近かなり付き合いが長くなった事もあって、チンクは彼の
沈黙だけである程度の事情を察した。
「……大方の事情はわかった。お前が原因だな」
「……そうだ」
チンクは大きく溜息をついた。
やれやれ、まったくこの男は本当に面倒ばかりかけてくれる。
「どんな理由があったかまでは分からんが、今後はこのような無茶は禁止だ。それでなくてもお前の体はまだ……
戦闘……な、ど……?」
――場の空気が、変わった。
言いかけた説教の言葉が、喉の奥で凍りつく。
背後から、怨念にも似た強烈な殺気を感じる。
殺気そのものが実体を持って自分の心臓を射抜くような、言い知れぬ恐怖と苦痛が入り混じった感覚。
かつてこれほど強い殺気を感じた事は一度しか無い。
目の前にいる男と初めて対峙した時。その命が尽きる直前、男が全てを捨てて放った最期の一撃が自分の右目を
貫いた時。
「ば……かな……!?」
チンクは振り返る。
その尋常ならざる殺気の発生源は自分の背後にあった。
赤黒い血鎧を纏いながら立つ、"ガリュー"という名の修羅。
眼帯の下で無い筈の右目が疼く。
ゼストが立ち上がり、再び臨戦態勢に入った。
「ゼスト。アイツは……不死身なのか……?」
陳腐な問い掛け。それでも聞かずにはいられなかった。
「ダメージは、確実にある筈だ」
そう話すゼストの口調から偽りは欠片ほども感じられない。
だが同時に彼の声からは、先の戦闘で体に刻まれたダメージの深刻さも明確に感じ取れた。ガリューのレベルには
及ばないが、彼もまた激しく消耗している。
(どうする……)
彼我の状況を分析しながら、チンクの頭脳が激しく回転する。
このまま戦うか。それとも重症のゼストとルーテシアを連れてここから離脱するか。
判断に要した時間は一瞬だった。
チンクは恐怖と右目の鈍痛を彼方へと押しやり、足元に歯車に似た戦闘機人独特のテンプレートを展開させる。
「そうか……」
「チンク?」
チンクの行動に気づいたゼストが彼女の名を呼ぶ。
その声に、チンクは更なる行動で応えた。
「ならば。戦闘不能になるまでさらにダメージを与えるまでだ」
チンクがそう言うと同時に、空中に次々とスティンガーが出現する。
新星の如く現れた刃は月光を浴びて輝き、形成されたのは極小の天象儀。
前後、左右、上方。刃、刃、刃。周到に計算されたその配置に、逃げ場は文字通り虫一匹が這い出る隙間も無い。
其々が悉く必殺の威力を持つ爆刃が創り上げた半球は、まるで牢獄のようにガリューの周囲を完全に封鎖する。
傍らのゼストが息を飲む気配が伝わる。
きっと今彼の方を見れば、今日二度目の驚き顔を見る事が出来るだろう。
そうでなくては困る。
目の前の敵から視線を逸らしはしなかったが、チンクは常に冷静な彼の表情を変えさせた事に少しだけ優越感を
覚えた。
「片目を失った私が何時までも近接中心の戦闘スタイルに拘っていると思ったか? 今の私ならば、触れずに奴と
戦う事が出来る」
そう、これはかつてゼスト・グランガイツに敗れた自分が、創造主スカリエッティの助力を得て身につけた新しい力。
いつか来るであろう完全回復したゼストとの再戦時、彼を打倒する切り札とするべく密かに磨き続けてきた能力。
右目の無い自分が、あえてそのハンデを負ったまま過去の己を超える為に試行錯誤を繰り返し完成させた新たなる
戦闘スタイル。少しぐらい驚いてくれなければ手間と時間をかけた甲斐がないというものだ。
ガリューが紫紺の翅を震わせ始める。
だがその動きが最高速度に達するよりも、チンクが指を鳴らす方が当然速い。
「させると思ったか?」
直後、全てのスティンガーが一斉にガリューに向かって射出される。
オーバーデトネイション。
チンクの戦技の中で最大の攻撃力を誇る、集中射撃から爆撃への連続攻撃。
爆音と閃光が連続して上がり、周囲の空間が炎に包まれた。
チンクは勝利を確信し、ゼストに向けて得意げに話しかけようとする。しかし次の瞬間、振り向いた彼女の眼前に
あったのは伸ばされた彼の腕だった。
「なっ!?」
抱き寄せられた、と気づいた時にはチンクの体は宙を舞っていた。
空中を浮遊する感覚を味わいながら、彼女はゼストの肩越しに燃え盛る炎の矢を見た。
熱風が頬を焼く。矢は一瞬前までチンクが居た場所を凄まじい速度で通過し、視界の遥か先へと消える。
「ぐうっ!」
「あつっ!」
二人はそのまま倒れ込むように着地し地面を転がる。
ゼストが庇ってくれたおかげでチンクの体に怪我は無かったが、その心にはまだ今見た光景の衝撃が焼き付いており、
彼女はゼストの体から離れようともせずしばらく自失していた。
「……チンク」
「……」
「チンク!」
「あ、ああ! すまん!」
ゼストの声に漸く我に返り、チンクは彼の体から離れる。スティンガーを数本手元に発生させながら彼女は今目の前で
起こった事を冷静に反芻する。
ガリューへの包囲は完璧だった。
如何に超高速での移動が可能といえど、何処かに隙間が無ければ駆ける事は出来ない。
だからガリューの移動ルートを塞いだ最初の時点で、自分の勝利は半ば確定していた筈だった。
……だが、ガリューが取った行動は、自分の予想の範疇を完全に上回っていた。
回避が不可能と判断するや、即座に強行突破へ移行。
前面を包囲する刃の壁を自ら飛び込んで突き抜ける事で、他の全ての方向から放たれた刃が到達する前に包囲を
突破する。
刃が爆発する事を知らないだろうとはいえ、自分を狙う無数の兇器に敢えて身を差し出すとは。
(道がなければ作る。私が甘かった、という事か……)
「来るぞ」
思考を切り裂くゼストの一言で、チンクは意識を集中し直した。
(そうだ、まだ奴は生きている。生きている限り何度でもこちらに向かって来る)
暗闇の中に、紫の魔力光を纏った召喚虫の姿を確認する。
全身から噴き出していた血は炎で傷口を焼かれた事で既に止まっていた。
肉が焼け焦げる臭いが、強化された嗅覚を刺激しチンクの眉を顰めさせる。
(だが、何故だ……何故そこまで奴は闘える……?)
その時、不意にガリューの膝が崩れた。
「あ……」
バランスを失ったガリューは、そのまま姿勢を維持する事が出来ずに倒れ込む。
ブレーキ代わりに酷使し続けた脚が、ついに完全にイカれたのだ。
ガリューは翅の力も使って何とか立ち上がろうともがくが、彼に速度という力を与えてきた翅も今はある物は破れ、
ある物は穴が開きボロボロになっている。今の彼の状態は、正に満身創痍という言葉がぴったりだった。
やはり限界だったのだ。
一瞬、そんな思いがチンクの中に過ぎった。「これでもうアレと戦わずに済む」とも。
しかしその考えがどれほど甘いものだったのか、直後にチンクは嫌というほど思い知らされる。
不格好な姿で何とか直立したガリューの右腕が、左腕の武装へと伸びる。
右腕が閃き、左腕から一本刃が斬り落とされた。
ガリューはゆっくりとした動きで体を曲げると、地面に落ちた刃を拾い上げ――
そのまま躊躇無く、死んだ脚へと刃を突き立てた。
「なっ……!」
一本では不十分と判断したのか、もう一本刃を斬り落とし、同じように脚へと突き刺した。
新たに生まれた傷口から鮮血が噴き出るが、ガリューは歯牙にもかけぬ様子で手についた血を払うと、二本の脚で
しっかりと大地を踏みしめる。すると今度はもう片方の脚にも同様の処置が必要と感じたのか、三度腕から刃を切り落とす。
「自分の、脚に……」
添え木などという生易しいものではない。
あんな事をすれば、戦闘が終わっても最悪二度と自分の脚で歩く事は出来なくなるだろう。
あまりにも常軌を逸したガリューの行動にチンクの全身は震え、手にしたスティンガーを握る手から力が抜けそうになる。
押し殺していた右目の痛みが、一層酷くなったように感じられた。
「あいつは、一体何なのだ……?」
「チンク」
呆然と呟くチンクに、ゼストが声をかける。
「ゼスト……」
「ここでこれ以上の戦闘はルーテシアに危険が及ぶ。さっき見せた技、もう一度使えるか?」
「あ、ああ。だがオーバーデトネイションでは大したダメージは……」
「ガリューでは無く周りを狙ってくれ。炎と音に紛れてこの場を離脱する」
「わ、分かった」
チンクは頷くと、ガリューの周囲に再びデトネイターを起動する。
ガリューの翅が蠢くのを視界の端で確認して、チンクはその足元にスティンガーを撃ち込んだ。
爆炎がチンク達とガリューの間に壁を作り、お互いの姿を覆い隠す。
「今だ!」
ルーテシアを担いだゼストが短くチンクに撤退を伝える。
去り際、チンクはもう一度炎の壁を見つめた。
煌々と燃え盛る炎に塞がれ、ガリューの姿を見る事は出来ない。
今にもその壁を突き破って炎より紅い二対の眼が自分を捉えるような気がして、チンクは全力でその場を離れた。
何があっても絶対に振り返らないよう、目の前を走る槍騎士の背中だけを見つめながら。
◆
「ここならば、ガリューも気づく事はないだろう」
落葉や草を敷き詰めた上にルーテシアを寝かせ、ゼストは誰にともなく呟いた。
ガリューからの逃亡中、偶然発見した小さな洞窟。
繁茂した蔓草がうまくカモフラージュになっており、相当注意して探さなければ見つけるのは至難の場所だった。
「お前はこれからどうする?」
「そうだな……正直、予想外の出来事が起こりすぎて、全く考えていなかった」
チンクは弱々しく笑顔を浮かべゼストの問いに答える。多分に自嘲が混じった、彼女の精一杯の虚勢だった。
「ただ……そうだな。ドクターには連絡する。おそらく基地の防衛システムを利用して、奴に総攻撃を加える事に
なるだろう」
「お前達……"ナンバーズ"が出るのか?」
「いや。トーレの高速戦闘技術ならおそらく奴とも互角に渡り合えるだろうが、あいにく今彼女は別任務でこの基地を
離れている。他に交戦が可能なのは辛うじてディエチぐらいだが……」
「五秒と保たんな」
ゼストが冷静に断じる。
妹を悪く言われるのは心外だが、今回はチンクも同意見だった。
「訓練の様子を見た事があるが、あの弾速ならば今のガリューは捉えられん」
「ああ。だが他のメンバーではもっと酷い結果になるだろう」
実はもう一人、最近稼働したばかりの妹――9番・ノーヴェも近接、それも格闘タイプではある。だが武装も戦い方も
確立されていない今の彼女を戦闘に出す訳にはいかない。何より、あんな凄惨な場面を、生まれてきたばかりの彼女に
見せるのは教育係として躊躇われた。実戦型の戦闘機人として生まれた以上、何時かは同じような局面に遭遇するのは
避けられないだろうが……少なくともそれは今ではあってほしくない。
「おそらく"デコイ"で物量作戦に出る事になるだろう。デコイ(囮)といえどそこそこの戦闘力は備えている。AMFは
ほとんど通用しないだろうが……」
そこまで口にしてチンクは自分の失言に気づいた。
通称"デコイ"――スカリエッティ作の機械兵器達は、ゼストの部下達の命を奪った直接の加害者だ。
喪った部下達の事に話題が及ぶ度、感情を表さないゼストの顔は僅かに歪んだ。
内に秘めた物が溢れ出るのを必死に抑えようとするかのような苦悶。その表情を見るのがチンクは嫌だった。
自分達が世界の定めた"法"という物を犯している事は知っている。だがチンクの知らぬ過去の人間が、チンクの
知らぬ所で勝手に作った決め事を破ったと言われても欠片ほども動じない自分の心が、何故か彼のその表情を
見る度にざわつくからだ。
自分は間違っているのではないかと、何か途轍もなく取り返しのつかない事をしてしまったのではないか、と。
だからチンクはゼストの前ではなるべく過去の事について話すのは避けていたのだった。
「すまなかった……ゼスト?」
「……あれを使うとなると、殺さずに捕獲する事は難しいか」
ゼストがいう"アレ"とはデコイの事だろう。デコイはAMF発生能力こそ備えているが、武装は全て質量兵器である。
余り複雑な命令系統も持たない。殺さずに無力化するというのは至難の技だろう。
「無理だろうな」
「……そうか」
ゼストは少し目を閉じて思案する素振りを見せた後ゆっくりと立ち上がる。
「頼みがある。スカリエッティに報告するのを、数分だけ待ってくれ」
「何をする気だ?」
「ガリューを止める。ああなってしまった原因は俺にある。命に代えてでも、止めねばならん」
答えは聞くまでも無く分かっていた。
なにせ、もうかなり付き合いが長い。
「止める術はあるのか?」
「手段はある。ただ一度フルドライブでの攻撃をかわされている以上、確実に当てられる保証は無い。だから、その時は
ルーテシアを頼む」
既に洞窟の入口まで歩き出そうとするゼストの背に、チンクはずっと疑問に思っていた質問を投げかけた。
「ゼスト! ……一つ、聞きたい事がある」
「……何だ」
「奴は……ガリューは何故あそこまで戦える? あれだけボロボロになって、それでも奴を突き動かしている物は一体
何だ?」
ゼストがしばし沈黙する。
彼が答えを口に出すのを逡巡したのは、多少なりともチンクにそれを伝えていいか迷ったからだろうか。
「今のガリューは大切な者を亡くした者の"想い"そのものだ。護れなかった事への怒り、届かなかった事への無念や
後悔、二度と会えない事への悲しみ……"想い"は何よりも強く突き動かす。人も召喚虫も、それは変わらん」
「そうか……」
……お前も、そうなのか?
「何か言ったか?」
「いや、何でもない……」
今度は聞かなかった。
聞かなくても、疼く右目がきっと答えだ。
チンクはシェルコートをルーテシアの体にかけると、ゼストの後を追う。
「分かったゼスト。お前の頼みを引き受けよう……その代わり条件が一つある」
「何だ」
「私も協力させろ」
「……」
「危険は承知の上だ。だが世話係として、このままお前を行かせて死なせるような事があってはドクターに申し開きが
出来ん。かといって力づくで止めようとしてもお前は素直に従わんだろう。だからお前が死なないよう、私が手を貸す」
「……打ち合いは俺に任せ、お前は援護に徹しろ」
「……分かった」
◆
月下の森を二つの人影が駆ける。
一人はかつての敵と共に、かつての友を止める為に。
一人は失った右目に代わる何かを掴み取る為に。
その姿を、漆黒の風が捉えた。
――決戦が、始まる。
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目次:魔法集団リリカルやがみけInsecterS
著者:ておあー
- カテゴリ:
- 漫画/アニメ
- 魔法少女リリカルなのは
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