第一話


  今日も今日とて閑古鳥。
 『失せ物探しから心霊被害まで、うちに任せれば万事解決!』
 こんな安っぽい案内文で来てくれるような偏屈な客がそう多いわけもなく…。
 彼―柊 佑太郎―は、淹れたてのコーヒーを一口啜って独りごちた。
 「…代返なんて頼まなきゃよかった」

 ・

 まったく――――今日は、ツイてない。
 “仕事”の約束があったので帰って来たはいいものの、肝心の約束はキャンセル。
 幾らかの違約金を振り込むそうだから、まあそれはそれでいいのかも知れないが……。
 (お陰で今日は一日ヒマ……まったく、やってらんないな)
 そう、この退屈こそが佑太郎を苛つかせている理由だった。
 学生と兼業で探偵業を営む彼が最も嫌うのが『退屈』だ。
 両親と死に別れ、たった一人の肉親である兄とも交流を断った佑太郎が、生きていく為に日銭を稼ごうとした佑太郎が選んだ職業。
 それが、探偵業だった。
 自分の持ち得る“力”を活かし得る場であった事も確かではあるが、その仕事を選んだ最も大きい理由は“退屈せずに済みそう”だったから。
 ある程度の資金を稼げて、それでいて退屈しないで済む。
 それに、佑太郎は困っている誰かを捨て置ける程に冷徹になれる人間ではない。
 平淡な生活を嫌う佑太郎の生活に適度な緊張と潤いを齎し、かつ人助けにもなる。
 まさに転職とも言うべき職業だと、佑太郎は自負していた。
 落ち着きがないと言えば聞こえは悪く、行動力に富むと言えば聞こえがいい。
 それが彼、柊 佑太郎という青年なのだ。
 「さて……今日はどうしたもんかな」
 いかにも退屈だと言わんばかりに、気だるそうに屈伸する佑太郎。
 「ん?」
 来客を告げるベルが鳴っていた。
 予期せぬ事件…退屈を嫌う佑太郎が最も好むパターンのひとつだ。
 不謹慎は重々承知。
 質が悪いと笑いたくば笑え。
 だが、それが彼――――萬探偵・柊 佑太郎なのだ。

 ・

 「どちら様ですか?」
 「……」
 眼前に立つのは少女。
 歳の頃は、外見から察するに十五から十六と言ったところか。
 服装を見る限り、どこかの学生のようだが、この辺ではあまり見かけない制服だ。
 黒い髪……今時の子にしては珍しく、色を抜いたり染めたりしている様子もない。
 顔は抜群に可愛い方に入るだろうし、スタイルも悪くない。
 パッと見は普通の少女だ――――――そう、たった一箇所を除いては。
 (眼が……)
 恐ろしいまでの異物感を感じる瞳。
 直視することが憚られるような、そんな生理的嫌悪感を催す瞳。
 それが、少女が“ただの少女ではない”ことを如実に物語っていた。
 「とりあえず、入ってくれ」
 「……」
 祐太郎の言葉に答えることもなく、その少女はゆっくりと室内に足を踏み入れた。
 ドアを開け佑太郎の傍を、無言で通り過ぎる少女。
 「―――――ッ!?」
 途端に襲う、強烈なまでの嘔吐感。
 年頃の少女から香るようなものではない、むしろ腐臭に近いような体臭。
 否、そうではない。
 ―――年頃の少女の体臭に混じって、それを侵略するように香る腐臭が、たまらなく嫌悪を催すのだ。
 そして、彼の霊核を撫でるように発せられた“力”。
 こちらに攻撃の意志はないであろうにも関わらず、こちらの霊核を砕くような衝撃。
 そよ風のように見える神風。
 (……これはまた、デカいヤマにぶつかったみたいだな)
 居間の中央まで歩を進め、こちらを振り返る少女。
 感情の読み取れない貌をこちらに向けて、少女は佑太郎を待っている。
 流石に、関わり合いになりたくないと思ってしまう。
 だがもう遅いのだと、佑太郎の深い所が認めてしまっていた。
 もう、扉を開けてしまったのだからと。
 「腹を括りますかね」
 誰に言うでもなく、佑太郎も少女の後に続いた。
 
 ・

 「コーヒーで……いいかな?」
 「………」
 相変わらず何も喋らない少女に、佑太郎は先刻から困惑してばかりだった。
 無口な子はそう珍しくないが、ここまで無口なのは珍しい。
 そもそもあの少女……本当に喋れるのかさえ怪しい。
 やっとの思いでソファに腰掛けさせたものの、間が持たずにコーヒーを淹れようと思い立ったのが三分前。
 ちなみに、自分専用の象さんマグカップは既に空だ。
 (……どうしたもんかな)
 流石に、喋ってくれないのはどうにも困る。
 依頼内容すら解からないし、そもそも……真っ当な依頼なわけがないのだ。
 これが、迷子の子猫探しとかだったら壮大にへこむ。
 どうにかして依頼内容を喋ってもらうか、もしくはお帰り願う以外にあるまい。
 ――――無論、簡単なことではなさそうだが。
 「じゃ、いっちょ行きますか」
 愛用の象さんマグカップと来客用の白いマグカップをどす黒いコーヒーで満たして、佑太郎は少女の下へと
 戻った。
 「お待たせ、はい」
 白いマグカップを差し出して、佑太郎も向かいのソファに腰を下ろした。
 彼の手に握られたカップを、そっと受け取る少女。
 「美味しいよ、とりあえず飲んで」
 「……」
 やはり返答もなく、少女はこくりとコーヒーを一口。
 佑太郎も少女に倣って一口、コーヒーを口に含んだ。
 と、そこで佑太郎は、少女の動きが固まっていることに気が付いた。
 カップの中のコーヒーを凝視したまま、それこそ彫刻か何かと言わんばかりに動かない。
 「…どうしたの?」
 コーヒーがまずかったのだろうか?
 いや、それはない――と思いたかったが、挙動ひとつない少女を見て、そうではないかと思ってしまう。
 「……ぃ」
 「ん?」
 ぼそりと、微かな声で少女が喋ったような気がした。
 「……にがい、です……」
 今度はもう少しはっきりと、拙い声で言葉を紡ぐ少女。
 ―――意外だった。
 「あ、ああ……ごめん! 今、ミルクを持って来るよ」
 停止した思考を必死に再起動させながら、佑太郎は立ち上がった。
 佑太郎は動揺を隠そうともせず、ソファの角に軽く小指をぶつけながらキッチンへ向かう。
 迂闊だった。
 いつも自分がブラックだからって、女の子にも同じものを出すなんて……些か不躾だったように思う。
 (あのくらいの女の子なら……もう少し甘い方がいいよな)
 不意に思い出した、佑太郎の兄が作ってくれたカフェオレ。
 甘くて少しだけとろみがあって、それでいて熱くない…飲み易いカフェオレ。
 あれを作ってあげようと思い立ち、佑太郎は冷蔵庫から牛乳、そして戸棚から砂糖を取り出す。
 そして、それらを手に少女の下へ戻った。
 「ちょっと貸して」
 白いマグカップの中に注がれる牛乳、そしてスプーンで一掬いの砂糖。
 そのままスプーンでカップの中身をよくかき混ぜてから少女に渡す。
 「今度はもう少し甘いと思うよ」
 「……」
 再びカップを受け取った少女は、先程と同じ動作で色の薄まったそれを一口。
 こくり、と嚥下して、今度はすぐにカップを口から離す。
 ふぅ、と一息ついてから少女は佑太郎の方を向いて、ゆっくりと言った。
 「…あまくて……おいしい、です」
 「そっか。そいつはよかった」
 佑太郎は微笑を漏らすと、そのまま牛乳と砂糖を置いて向かい側に座り直す。
 そして、自分のコーヒーにも少女のそれと同じように牛乳と砂糖を入れる。
 兄が作ってくれた、子供の頃の自分が大好きなカフェオレ。
 過去の憧憬を呼び覚ます…ある種、佑太郎にとっては禁忌にも等しい味。
 久しく飲まなかったそれを一口飲む。
 「さて……」
 カップをことり、と置いて少女を見据える。
 怠惰な学生の目ではなく、探偵として…そして、霊的事象に携わる者としての目。
 その視線に、少女の目も幾分か細まったような気がした。
 もう、引き返せはすまい。
 彼女の左眼を……異質に蠢くその複眼を見たその時に、覚悟など決まっていたのだ。
 何を恐れることがある。
 自分とて“ただの人間”ではないのだ。
 そう、彼は心霊被害も万事解決に導く探偵――――柊佑太郎なのだから。
 一歩を踏み出す決意と共に、佑太郎は躊躇うことなくその言葉を吐き出した。
 
 「そろそろ聞かせてもらおうかな。何で……僕の所に来たのかを」






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2006年10月13日(金) 02:33:27 Modified by ID:PJPlxrdg+g




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