第七話「一つ分の陽だまり」


 「ここか……」
 瓦礫の世界樹――バベルの麓で、敏明は一人呟いた。
 晋一郎と癒真の二人と別れてから丸二日。
 辿り着いた塔は、見上げるには余りにも高く威圧的だった。
 
 『バベルとは、その名の通り“神”という名の“世界”に挑まんとする者の塔だ。
  世界樹である所以、それは――――』

 晋一郎の言葉を反芻しながら、深く息を吸う。
 この塔が完成した時、世界は閉塞する。
 その言葉の真意は計りかねたが、晋一郎の言葉が冗談であるとは思えなかった。
 (冗談を言うような人間にも見えないしな)
 見上げた先に、頂きは見えない。
 どこまでも高く、それこそ天に届かんと伸びる亡骸の塔。
 「……行くか」
 敏明は、再び晋一郎の言葉を反芻しながら塔の中へと足を踏み入れた。

 ・

 その塔は、大罪が作り出した『神に反逆する者の要塞』。
 一般人が目に見えぬ微細な生き物に興味を示さぬように、神もまた人に興味を示さない。
 だからこそ、その神と戦う為に大罪の王たる存在が生み出したのがこの瓦礫の山。
 晋一郎はそう言っていた。
 「どんな妄想だよそりゃ……って、あ?」
 塔の中に入って最初。
 中世の神殿を思わせる無機的な内部、最初に立ち入ったフロアの中心に光の柱が立っていた。
 淡い緑色の、光を切り取ったような光景。
 敏明は警戒を覚えながらも、ゆっくりとその光の柱に歩み寄った。
 「……何だ、これ」
 恐る恐る、手を伸ばしてみる。
 ゆっくりと伸ばした指先が、やがて光の柱に振れ――――

 「・……ッ!」
 
 その瞬間、光の柱に吸い寄せられるような感覚。
 唐突に、敏明の意識が混濁する。
 「な……んだ、よ……これはッ!?」
 視界が渦を巻いて歪む。
 足に力が入らない。徐々に身体中が弛緩していく。
 崩れ落ちるように、身体が前のめりに光の柱へと飲まれる。
 そして――――

 ・

 ・

 「……」
 先ほどまで、あれほど混濁していた意識は鮮明に。
 気付けば敏明は、殺風景な部屋の中にいた。
 石造りの壁、剥き出しの石床、備えられた簡素なベッド。
 そして、部屋の中央に据えられたテーブル。
 「いらっしゃい」
 椅子に腰掛けて、カップを手にした少年が敏明を見て微笑んでいた。
 色白の肌に銀色の髪と瞳の現実離れした雰囲気を醸し出す少年は、指をパチンと鳴らした。
 「レヴィ。彼にもお茶を」
 「はい」
 背後から聞こえる、たおやかな声。
 カップの中に注がれた紅茶を一口飲みながら、その少年は敏明に相席を促した。
 「座りなよ、双葉敏明クン」
 「……何だよ、お前は」
 「僕? 僕はメッレ=アンソニー。第一の大罪にして、全ての大罪の王さ。
  立ち話も何だろう。君の質問に答えてあげるから、とにかく座りなよ」
 人懐っこい微笑みを浮かべるメッレに、訝しげな視線を向ける敏明。
 だが、それでも悪びれた様子ひとつなくメッレは笑みを崩さない。
 埒があかないと踏んだ敏明は、仕方なく相席に腰掛けた。
 石床を擦る木の感触が、煩わしく思えた。
 「……守谷っておっさんはどこにいる?」
 「直親か。この塔のどこかじゃないかな? 彼に用があるのかい?」
 「呼ばれたんだよ、そのおっさんにな」
 吐き捨てるように言う。
 敏明は、どうにも目の前の少年が気に入らなかった。
 心の内を見透かしたような視線も、余裕を湛えた笑みも。
 そして、自分以外にこの世界で“王”を自称するその傲慢さも。
 (……こんな奴、俺の“嘆きの引鉄”で首をへし折ればすぐにでも殺せる)
 変質した左腕。
 今の敏明が持ち得る最大の物理攻撃を以ってすれば、目の前の少年を殺すことなど容易いだろう。
 一瞬で、苦痛もなくその命を簒奪できる。
 そうすれば、目の前の王を名乗る少年の全てが終わるのだ。
 「……やってみる?」
 「!」
 まるで心の中の声を聞いたかのように、メッレが呟く。
 以前として、余裕の笑みを湛えたままで。
 「な、何をだよ……」
 「僕の首をへし折ってみるんだろ?」
 「……誰が、そんな事を言ったよ」
 「勘違いかい? だったらごめんね、僕の早とちりだったかも」
 くすくすと笑いを漏らすメッレ。
 だが、その無邪気さの中に敏明は底知れぬ恐怖のようなものを感じていた。
 明らかにメッレは、敏明の心の中を読み取った。
 それは、敏明の知る限り、人間という生き物が為せる業ではない。
 (コイツ、本当に人間か……?)
 「どうだろ」
 「!」
 「僕が人間かどうかなんて、実に瑣末な問題だとは思わないかい?
  だって、左腕を世界に食われた君も既に人間とそうでないモノの境界にいるんだから」
 またもや心の中を読み取ったかのように、メッレは呟く。
 世界に食われた左腕。
 そのフレーズが妙に気になりつつも、敏明は話をそこで切り上げることにした。
 これ以上、思わせぶりな言動ばかり繰り返す目の前の少年と話を続ける気にはなれなかったからだ。
 加えて言えば、敏明には目の前で紅茶を啜る少年が不気味に思えてならなかった。
 本能的にとまではいかずとも、全身が総毛立って警戒する。
 「……俺はもう行く」
 「どこに?」
 「守谷って奴を探しにだ。元々、そいつに会うのが俺の目的だったんだからな」
 「別にいいけど、その前に僕の話を聞いてくれないかな? 双葉敏明クン」
 呼び止めるように、メッレがそう切り出した。
 有無を言わせぬ響きに、思わず敏明の動きが留まる。
 「……君は、手にしたいものがあるよね」
 「何が言いたい? はっきり言え」
 「君は欲しているものがある。どうしても手が届かない、でも届かせたいと願うモノが。
  だから欲しい。今よりも、大切なモノに届くだけの力が……」
 少年は淡々と、謳うように高らかに告げた。
 どこまで知っているのだろうか。
 敏明は、目の前の少年が本当に全てを知っているのではないかと思うようになっていた。
 「……」
 「柊 佑太郎に、勝ちたいんだろ?」
 それが、決定打。
 敏明の中で何かが弾けるような感覚と共に、視界が歪むほどの憤怒が身体を突き動かした。

 「嘆きの引鉄!」

 或るべきその名を仮定し、世界を斬り裂く爪をイメージ。
 そして、それを少年の眼前へと突き付ける。
 「アイツを、比較に出すな」
 「君は勝てないことを知っている。だから、彼と戦おうとする自分を拒絶する」
 「……黙れ」
 「君は始めて“恋”という感情を知った。でも、それは既に届かぬ恋」
 「……黙れ」
 「だから君は、彼を――――」
 「黙れェェェェッ!!!!」
 突き出した爪はそのままに、声だけが虚しく空気を裂く。
 後、数センチ。突き出せば少年の命を容易く奪えることだろう。
 しかし、何故か敏明にはそれが出来なかった。
 「……君は、勝てないと思っているのかい?」
 「俺はあいつと戦うつもりなんてない」
 「友達だから? まさか、この期に及んでそんな甘い幻想に身を浸す気はないよねぇ?」
 メッレの言葉が、敏明の胸を抉る。
 まるで鋭利な刃物のように、言葉は突き刺さり心の奥底にあるものを穿っていた。
 「……だったら、どうだって言うんだよ」
 「君は知ったはずだ。この世界は優しくないと」
 「だけど……!」
 「柊 佑太郎は世界そのものだ。君と彼の観測し、望んだ世界は鬩ぎ合う。
  彼の世界は、今ある世界。君の世界は、今ある世界を侵す世界だ」
 佑太郎の望む世界は、この世界。
 それを望まぬ敏明からすれば、佑太郎は敵であるという理屈はあながち間違いではない。
 あくまでも机上で、感情という感情の一切を排斥すればの話だが。
 「そう、それは感情を抜きにした時の話だ。でも――同じ世界に、同じ存在は二人も要らない」
 「同じ……存在?」
 「双葉 敏明と柊 佑太郎は同一存在だって言ってるのさ。
  ならば、世界に選ばれる存在……観測者たる存在はどちらかでしかない」
 メッレは妄言にも似た言葉を、澱みなく口にした。
 レヴィが静かに横に立ち、敏明の目の前に温かな紅茶の注がれたカップとビスケットを置く。
 だが、敏明はそれに口を付ける気になれずに呆然としていた。
 「……俺と、佑太郎が……?」
 「どういう取り方、捉え方をして貰っても構わないよ。
  無論、僕の妄言ということにして無視してくれても構わない」
 嗤う。
 白銀の闇を纏って、少年は嗤う。
 まるで敏明の知らない何かを知っているかのように、少年は彼の前で顔を歪めた。
 「君は力が欲しくはないかい?」
 「……俺が佑太郎に勝てるようにか? 馬鹿馬鹿しい」
 「違う」
 不意にその顔を引き締めて、メッレは静かにそう区切った。
 いつの間に移動したのか、彼の傍でレヴィが瞳を閉じたままで軽く嘆息する。
 「本当の意味で、君が新世界の王になる為の力だよ」
 「その為に、俺に佑太郎を殺せと?」
 「それは避けられない。だが、君には王になる以外の道など存在しないんだよ」
 メッレの言葉が、楔となって打ち込まれる。
 佑太郎を殺すことは、定められた道。
 そして、彼を殺すことで敏明は新世界の王となる資格を得る。
 何故? 決まっている。
 柊 佑太郎もまた、新世界の王となる資質を持った者――敏明の同一存在だから。
 理解などできない。それが妄言でないとは思えない。
 だが、メッレは銀色の闇の中でそう告げている。
 冗談でも何でもない、とその瞳で雄弁に物語りながら。

 「さあ、その爪を収めて……そして、僕たちと共に戦え」
 
 いつから呑まれていたのだろう。
 そもそも彼は、何に呑まれていたのだろう。
 雰囲気? それとも彼の威圧感? それとも――
 「どうする? 双葉 敏明」
 メッレの声が、敏明の思考を断絶する。
 選択肢は二つに一つ。

 敏明は、メッレの言葉に――――ゆっくりと、首を横に振った。

 「俺は、佑太郎と殺し合いなんてやりたくねぇ」
 「……意固地だね」
 「何とでも言え。俺はあいつに借りがあるんだよ」
 「君がそんなに殊勝な人間だとは思ってなかったよ。
  まあ、いいさ――――レヴィ、彼女をここに」
 「はい」
 傍らに控えていたレヴィは、メッレの言葉に一礼すると音もなくその場を後にした。
 静かに立ち去る彼女を見送ったメッレは、その視線を敏明に戻す。
 「で、協力云々とは別に聞いておくよ。
  ここまで来た以上は何かしらあるとは思うけど、君の要求は?」
 「俺がここまで来たのは、情報を欲しているからだ。
  この世界の状況と、俺の力の使い方――この二点に関する情報が俺の目的だ」
 「賢人・守谷の出番だね。
  それは彼に任せるとして――――後は何かあるかい?」
 「俺と佑太郎に干渉するな」
 敏明の言葉に、メッレが少しだけ意外そうな顔をする。
 まるで、その言葉だけは“読めていなかった”かのように。
 「一切の助勢はいらないってこと?」
 「あくまでも、俺は俺のやり方で佑太郎と決着をつける。
  邪魔は入って欲しくない。だから、俺と佑太郎に一切干渉するな」
 「そう。ま、下手さえ踏まなければ文句はないからね。
  こちらの害にならない程度に、柊 佑太郎の件は君に任せるよ」
 呆れたように肩を竦めるメッレ。
 その時、トントンと部屋の扉を叩く音が聞こえた。
 『メッレ、彼女をお連れしました』
 「ありがとう。通してやってくれ、レヴィ」
 『はい』
 言うと、一人の少女を伴ったレヴィが部屋に歩を進めた。
 黒いドレスを着た少女。
 その少女を見て、敏明は思わず言葉を失った。
 「あ……!」
 「名前は言わずとも判るだろう。
  君の補佐として動くよう言い渡してある。好きに使ってくれ」
 どこまでも冷徹な、他者を見下すような揺らぎない瞳。
 敏明の知る彼女のような、暖かな笑みも親しみのある声もなく。
 黒の少女は、ただそこに在って、敏明のことを睥睨するかのように見つめていた。
 
 「アバドン、さん……?」

 その言葉に、黒の少女は不愉快そうに眉を顰めた。
 「私の名前は知っているのね、人間」
 「あ……」
 「不本意だけど、面倒くらいは見てあげる。貴方の名前は?」
 ふてぶてしさが前面に押し出された言葉。
 敏明に対する親愛もない、明らかな拒絶を含んだ言葉。
 「……俺の名前、……何で」
 「興味はないけど、貴方をどう呼んでいいか判らないと不便でしょ?」
 吐き捨てるように黒の少女はそう口にした。
 まるで、敏明の事など知らないとでも言わんばかりの物言いだった。
 実際、彼女は敏明のことを知らないのだろう。
 ドレスの形状も違う、瞳に灯る闇の深さも違う。
 敏明は、何となくこれは『佑太郎に救われなかったアバドン』なんだろうなと思った。
 「……双葉 敏明だよ」
 「そう。じゃあトシアキと呼ばせてもらうわ」
 それもまた、決定的な違い。
 『とっしぃ』ではなく『トシアキ』。
 それは、彼女が敏明の知るアバドンではないと明確に印象付けるには十分だった。
 
 (それでも……)

 どことなく、寂しさを湛える瞳の色だけは変わらない。
 深さは違っても、その色だけはあの朝に別れた彼女と同じ。
 だからだろうか。
 敏明は思ってしまった。

 (このアバドンさんも、俺は守りたい)

 敏明が惹かれた彼女ではない。
 でも、敏明が惹かれた悲しい瞳を持つ同じ黒を纏う彼女。
 敏明には、目の前にいるアバドンが彼の知るアバドンと全くの別物だとは思えなかった。
 「彼女を守るのは、君の役目だよ」
 またも、見透かしたようにメッレは謳う。
 「ここにいるアバドンは、君の為だけに居る存在だ。
  君という存在に寄り添い、付き従う為だけにここにいるアバドンという名の同位体さ。
  このアバドンを守り、救ってやるのは君の仕事だよ。
  柊 佑太郎に出来たことだ。君に出来ない……わけがないよねぇ」
 メッレが嗤う。
 その言葉を額面通りに受け取るならば、黒の少女は敏明の為だけにここにいる存在。
 作り出されたのか、それとも喚び出されたのかはわからない。
 でも、敏明が拒めば文字通りの『用無し』となるのだろう。
 そうなった時に、このアバドンがどういう処遇となるのかは想像に難くない。
 敏明にとって、その話を聞いたことこそが既に退路遮断に等しいことだったのだ。
 「どうする? やるかい?」
 一つしかない選択肢。
 意志の決定を他者に強要する、脅迫と呼ばれる唾棄すべき行為。
 だが、それでも敏明は首を縦に振るしかなかった。
 「……ああ、やってやる」
 「じゃあ、話は成立した。君はそのアバドンを守って、自分の心のままに戦えばいい。
  僕らは君の戦いに干渉はしない。無論、君が求めるのならば助力は惜しまない」
 「わかった。その代わり、必要とあらば俺はお前たちの力になる……でいいんだな」
 「物分りがよくて助かるよ」
 敏明が、苦虫を噛み潰すように歯軋りする。
 言ってしまえば、アバドンという人質を取られたような恰好だ。
 一晩で瓦礫の塔を建て、相手の心の内を読み取る存在が相手なのだ。
 最初からアバドンは敏明の補佐として用意されていて、敏明が協力を拒んだ時に突き付ける
 言わば人質のようなものとして呼ばれたろう事は想像に難くない。
 この話は、完全に出来レースだったということだ。
 「……佑太郎、俺は……」
 一人呟くが、それに応えるものは誰もいない。
 そんな敏明の様子など意にも介さず、メッレは高らかに宣言した。
 「さあ、これで君も僕らの仲間だね。一緒に世界と戦うんだ、仲良くやろうじゃないか。
  ……で、差し当たって何か必要なものはあるかい?」
 「必要なもの、か……」
 メッレの言葉に、既に熱の冷めた紅茶を一口飲みながら敏明が考え込む。
 そして――
 「この顔を覆い隠す仮面と、身体をすっぽりと包むマントを用意してくれ」
 そう言った。
 これには、さすがのメッレも目を丸くして言葉を失った。
 「……着るの?」
 「俺だと判らないようにできればいいんだ。
  そうだな……いっそ、両方とも黒で統一してカッコいい感じにしてくれよ」
 自嘲するような敏明の笑みに、メッレが軽く嘆息した。
 そして、堪えていた笑いを噴き出すように軽く笑みを零す。
 「ははは……君は卑屈だね」
 「何でそうなる」
 「自分が“悪役”になる気だろう? 随分と殊勝なことで」
 「俺は、あいつが下手な加減をしないよう素顔を隠したいだけだ。下手な勘繰りはやめろ」
 「そうかい? まあ、君が自分の卑屈さに気付かないというならそれもまたいいさ。
  すぐに用意させるから、そうだね……一晩くらいは待ってもらおうかな」
 メッレは、諦めたように肩を竦める。
 いかにも小馬鹿にしたような表情が鼻に付いたが、この少年にそれを言及するだけ無駄だろう。
 「じゃあ、この話は終わりだな。俺は失礼させてもらう」
 「アバドン。彼を部屋まで案内してあげて」
 「……ええ」
 卓上のビスケットを齧っていたアバドンが、面倒そうに頷く。
 残りの一欠片を一口で頬張ると、口元についた欠片を指先で掬って舐め取る。
 「行きましょう、トシアキ」
 「ああ」
 黒の少女に促されるままに、敏明も席を立つ。
 そして、ドアの前まで来てから――――メッレの方を、一度だけ振り向く。
 「一つだけ、忘れてた」
 「何?」
 あくまでも余裕の姿勢を崩さないメッレ。
 だが、そんな様子など気にする素振りもなく敏明は一言だけ言い捨てた。

 「今後一切、その声でアバドンさんの名前を呼ぶな」

 それだけを言うと、敏明はアバドンの後に続いて部屋を退室した。

 ・

 「宜しかったのですか?」
 傍らに控えたレヴィが、既に空となった相席に目を向けたメッレに向かって言った。
 メッレは満足そうに、
 「仮面とはまた随分と間の抜けた要求だったけど、まあ良しとしよう」
 「……相対するのに躊躇がある、という事でしょうか」
 「どうかな? まあ、何にせよ柊 佑太郎を殺すのに最も相応しいのは彼なんだ。
  せいぜい居場所を奪い合ってもらおうじゃないか」
 メッレの貌に酷薄な笑みが浮かぶ。
 それは、喜悦という喜悦に歪んだ狂気の笑み。
 「……私は、気に入りません」
 「何がだい?」
 「彼の、貴方に対する態度です」
 本心から立腹したと言わんばかりに、レヴィは彼への不平を口にした。
 メッレに対してふてぶてしい敏明の態度は、レヴィに耐え難い苛立ちを覚えさせていた。
 あらかじめメッレに制止されていなければ、彼女は敏明をその場で惨殺していたかも知れない。
 だが当のメッレは余裕の格好を崩さず、レヴィを諭すように言った。
 「レヴィ、君は歌は聴くかい?」
 「え? はい。頻度は高くありませんが」
 「なら、その歌の歌詞で「馬鹿」という言葉が出たからと言って、君は腹を立てるかい?」
 実際、レヴィが聴く歌にそのようなスラングが含まれるようなものはない。
 自嘲こそあれど、他者に向けられた侮蔑を歌詞に含むようなものはレヴィが好まないからだ。
 だが、想像してもそれで腹を立てたりはしないだろう。
 「いいえ」
 「だろ? それと一緒だよ」
 “それと一緒”。
 敏明の暴言は、歌詞の中にある暴言と大差ないと銀色の闇は嗤う。
 「彼は所詮、人形だからね」
 「人形、ですか」
 「そう、彼は人形だ。そしてそれはアバドンも同じ。
  ならば、人形は人形同士、仲睦まじく踊ればいいのさ。滑稽に、愉快にね。
  ガラクタになる――――巻いたネジの切れる、その時まで」
 面白くて仕方がないのか、メッレから忍び笑いが漏れる。
 それは、やがて嘲笑へ――――そして、高らかな哄笑へと変わる。
 愉快だと。
 舞台の上で踊る出来損ないの役者が滑稽で仕方がないと、銀色の闇は嗤う。
 自分の作った舞台を見やって、自分の演出に酔い痴れる。
 一流の舞台演出家は、自らの組み上げた舞台を眺めて酔い痴れる事のできる人間だと言う。
 そういう意味では、彼もまた一流の演出家だった。
 そして、そんな彼が生み出したのは戦場。
 因果を抱えて咎人たちが踊る、狂った箱庭。
 執着の終着。終演の終焉。
 役者は揃った。舞台も整った。
 観劇をより一層愉しませる不確定因子――ジョーカーも既に場に出ている。
 演出家は、役者が舞台で踊るのを喜々として見守るだけだ。
 舞台を壊す「切り札」の存在に胸を躍らせながら。

 「さて――願わくば、新たな朝日が昇った先も愉悦と狂気に満ちていますように」

 どこまでも歪んだ、喜悦という喜悦に満ちた顔でメッレはそう言った。
 その先も、またその先も。
 
 ――――世界が、悪意で満たされますように。
2006年12月31日(日) 13:40:06 Modified by ID:PJPlxrdg+g




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