●カチューシャの歌の日
1914(大正3)年3月26日。
島村抱月と松井須磨子が起こした芸術座が、トルストイの『復活』の初演を行いました。
松井須磨子は、カチューシャという役を演じ、このとき松井須磨子が歌った劇中歌が、「カチューシャかわいや 別れのつらさ」で始まる「カチューシャの歌」が大流行したことから、カチューシャの歌の日とされました。
ところで、カチューシャといえば、ヘアバンドを連想される方が多いかと思いますが、これは、当時、この歌と、その歌を歌ったときに松井井須磨子が髪につけていた飾りからその名前がついたとされています。
当時、カチューシャが大流行し、一世を風靡したそうです。
ちなみに、カチューシャとは、非常に一般的な女の子の名前のことです。
日本で言えば、花子さんというところでしょうか。
さて、松井須磨子(本名小林正子)は、明治19年信州松代町清野に士族の五女として誕生しました。
その後、一度結婚しましたが、離婚、その後、俳優養成所で教鞭をとる前澤と再婚しました。
夫、前澤の勧めで文藝協会演劇研究所に通い、次第に演劇の稽古にのめりこむようになります。
しかし、演劇に熱中する余り、当時の主婦の当たり前の仕事である炊事や裁縫をしなくなったというありさまに、夫の前澤は愛想をつかされ離婚することになりました。
夫と別れた正子は、以前にも増して熱心に芝居に取り組みます。
そして、“松井須磨子”の芸名をうけ、劇「人形の家」で“ノラ”を演じた須磨子は、敬愛する監督の島村抱月に認められ、意志を同じくする2人は結ばれたそうです。
帝国劇場での「人形の家」の再演 、地方各地での巡演を行い大成功した須磨子は、女優としての階段を上り始めました。
一方、抱月は須磨子との不貞関係を非難され、文藝協会を脱退することになります。
そして、島村抱月と松井須磨子は、新しい劇団「芸術座」を立ち上げ、トルストイ作「復活」の上演し、須磨子が歌った「カチューシャの歌」が大ヒットします。
それがきっかけで、須磨子は大女優へと変身しました。
しかし、その後の須磨子は、幸せとは言いがたいものでした。
抱月は、女優として一人前になった須磨子をみて、他の座員の育成に取り掛かります。
しかし、須磨子は、自分だけを見て欲しいという気持ちから、わがままをいったり他の役者を罵倒し、抱月を困らせます。
須磨子にとって抱月自身と抱月が掲げる演劇が人生のすべてだったのでしょう。
そして須磨子は、演劇の実力をアピールすることで、抱月にとっての自分の存在価値を高めようとしました。
しかし、抱月は病死。役では抱月を独占できた須磨子も、“正子”として“島村瀧太郎(抱月の本名)”を独り占めすることは終に出来ませんでした。
そして、抱月をうしない、からっぽになった須磨子は、抱月の後を追って34歳の若さで人生の幕を自ら下ろしたそうです。
---------- 目次 > 今日は何の日自転
1914(大正3)年3月26日。
島村抱月と松井須磨子が起こした芸術座が、トルストイの『復活』の初演を行いました。
松井須磨子は、カチューシャという役を演じ、このとき松井須磨子が歌った劇中歌が、「カチューシャかわいや 別れのつらさ」で始まる「カチューシャの歌」が大流行したことから、カチューシャの歌の日とされました。
ところで、カチューシャといえば、ヘアバンドを連想される方が多いかと思いますが、これは、当時、この歌と、その歌を歌ったときに松井井須磨子が髪につけていた飾りからその名前がついたとされています。
当時、カチューシャが大流行し、一世を風靡したそうです。
ちなみに、カチューシャとは、非常に一般的な女の子の名前のことです。
日本で言えば、花子さんというところでしょうか。
さて、松井須磨子(本名小林正子)は、明治19年信州松代町清野に士族の五女として誕生しました。
その後、一度結婚しましたが、離婚、その後、俳優養成所で教鞭をとる前澤と再婚しました。
夫、前澤の勧めで文藝協会演劇研究所に通い、次第に演劇の稽古にのめりこむようになります。
しかし、演劇に熱中する余り、当時の主婦の当たり前の仕事である炊事や裁縫をしなくなったというありさまに、夫の前澤は愛想をつかされ離婚することになりました。
夫と別れた正子は、以前にも増して熱心に芝居に取り組みます。
そして、“松井須磨子”の芸名をうけ、劇「人形の家」で“ノラ”を演じた須磨子は、敬愛する監督の島村抱月に認められ、意志を同じくする2人は結ばれたそうです。
帝国劇場での「人形の家」の再演 、地方各地での巡演を行い大成功した須磨子は、女優としての階段を上り始めました。
一方、抱月は須磨子との不貞関係を非難され、文藝協会を脱退することになります。
そして、島村抱月と松井須磨子は、新しい劇団「芸術座」を立ち上げ、トルストイ作「復活」の上演し、須磨子が歌った「カチューシャの歌」が大ヒットします。
それがきっかけで、須磨子は大女優へと変身しました。
しかし、その後の須磨子は、幸せとは言いがたいものでした。
抱月は、女優として一人前になった須磨子をみて、他の座員の育成に取り掛かります。
しかし、須磨子は、自分だけを見て欲しいという気持ちから、わがままをいったり他の役者を罵倒し、抱月を困らせます。
須磨子にとって抱月自身と抱月が掲げる演劇が人生のすべてだったのでしょう。
そして須磨子は、演劇の実力をアピールすることで、抱月にとっての自分の存在価値を高めようとしました。
しかし、抱月は病死。役では抱月を独占できた須磨子も、“正子”として“島村瀧太郎(抱月の本名)”を独り占めすることは終に出来ませんでした。
そして、抱月をうしない、からっぽになった須磨子は、抱月の後を追って34歳の若さで人生の幕を自ら下ろしたそうです。
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