呟き尾形の個人的な資料です。

海外移住の日
1908年(明治41年)6月18日。
 日本の神戸を出発して以来2ヶ月の航海の後、ブラジルへの第1回移民158家族、781人が笠戸丸でサントスに上陸しました。
 このことを、記念して総理府(内閣府)が、1966年(昭和41年)に国際協力事業団を制定しました。

 当時、ブラジルに移住した日本人は、新天地に色々な夢を見ていました。
 しかし、厳しい現実に辛い生活を送りながら、あるものは挫折しあるものは成功して農場主になりました。

 当時の第一回の移住者の中で最後の生存者は中川トミさんだそうです。
 1997年に天皇皇后両陛下がブラジルを訪問の際に、歓迎式典に招かれたそうです。

 さて、日本人の海外渡航は、明治維新(1868年)とともに始まりました。
 明治維新によって、日本は、世界各地を結びつける国際経済、労働市場、交通網の一部となったわけです。
 日本は、このことによって、近代化と急速な社会変化がおこりました。
 特に農業形態や経済構造が変わっていくなかで、農村部を中心に余剰労働力が生まれ、これが、海外移住につながりました。


 この移住する、出稼ぎ労働者の一団は一般に「元年者」として知られていますが、「元年者」は、政府の許可や旅券を受けることなく日本を出国たこともあり、渡航地で奴隷にも等しい取扱を受けたそうです。
 結局、国家の体面保持ということもあり、明治政府が救出に乗り出さなければなったそうです
 日本は、「元年者」の失敗もあり、政府はこののち二十年近く日本人の海外移住を許さず、かわりに北海道開拓を推進しました。

 その後、「榎本殖民地」などの失敗を重ねた後、ペルーへ最初の契約労働者渡航が始まり、やがてラテンアメリカへの日本人渡航が盛んになりました。

 やがて、世界のいろいろな国々や地域が日本人移民を受け入れるようになりました。
 そのなかでも、特にブラジルが日本人移民労働者の主要な渡航先になりました。 こうした背景から、最初のブラジル行移民がペルー行移民とともに日本をたったのでした。

 そして、戦後、サンフランシスコ講和条約(1951年)が日本の独立を許すと、政府はラテンアメリカ諸国と条約を結び、日本人定住農業移民を送るようになりました。
 まず1952年にブラジルへ戦後最初の移民団が渡航すると、その後、ラテンアメリカを中心に、多くの日本人が移住しました。
 しかし、1960年代に日本の経済が復興すると、日本人の組織的海外移住は次第に終結に向かいました。
 やがて1980年代になると、南米の経済恐慌と日本のバブル経済の影響で、多数の日系ブラジル人やペルー人が日本に出稼ぎにやって来る現象が始まりました。

 今日では、日本から人々が組織的に海外へ移住することはありませんが、仕事や結婚、留学や商業などの理由で、世界の様々な国へ日本人が渡航しているそうです。

 
 












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