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【定義】

江戸時代日本曹洞宗が輩出した学僧。号は黄泉、または雖小庵、名は無著?

生没年:安永4年(1774)〜天保9年(1838)
出身地:尾張国(現在の愛知県西部)
俗 姓:大江氏

【略歴】

尾張国に生まれた黄泉は、8歳の時に黄竜寺・俯鑑雄道に参じて童子となり、雄道の転住にしたがって各地に赴いた。そこには、名古屋・法持寺や、金沢・大乗寺なども含まれている。雄道の寂後は、寛政11年(1799)25歳の時、摂津・法華寺の亮天に参じ、さらに、武蔵(埼玉県)静簡院の白淳にも参じ、永平寺玄透禅師にも参じた。

享和2年(1802)のときには、道元禅師550回の大遠忌が営まれたが、黄泉は、それに随喜している。文化元年(1804)には、摂津・五毛山社に赴いて、『大蔵経』を拝読するなどしている。後に、法持寺・大疑覚道に嗣法した。文化8年には、白毫寺に住していたが、各地から住持の請があった。しかし黄泉は赴かなかった。

尾張徳川家は、そのような黄泉の高名を慕い、大光寺に住させ、さらに文政3年(1820)には万松寺に住せしめた。万松寺では9年間住持をしていたが、その間に僧堂を始めとして諸堂を修復した。さらに、文政11年(1828)には幕命によって長崎・皓台寺?の住持として赴き、勅使門や僧堂など、ここでも諸堂を修復し、新造するなどした。

そして、天保9年12月17日に示寂した。世寿64歳。

【著作】

・『正法眼蔵渉典続貂』10巻
・『永平小清規翼
・『永平高祖行状記』
・『雖小庵雑稿』など多数

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