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【定義】

道元禅師が朝廷に上奏したため、道元禅師が京都から追放され、またその寺院が破却される原因となったともされる著作。上奏は仁治4年(1243)頃だったともされ、一説には『弁道話』であるともされるが、その真相は不明である。

【内容】

『渓嵐拾葉集』とは天台宗の光宗(1276〜1350)が、比叡山に於ける天台宗の故事や、その他の口伝を収集記録し、自己の思想やそれまでの諸説を整理した叢書である。本来300巻あったとされているが、現在『大正大蔵経』76巻に収録されているのは113巻分である。そこで、第一部の顕教に関して「禅宗教家同異事」という項目があり、道元禅師に関する記事が存在している。
後嵯峨の法皇の御時、極楽寺の仏法坊、宗門を立て教家を毀る。覚住坊が止観を読み、音これ有り。護国正法義を造って宗門奏聞に及ぶ時、故法印御房是非を判ずべきとの由、仰下せられけり。護国正法義の心は二乗中の縁覚の所解なりと、これを下す。仏教に依らずに自ら開解した分にもっとも相似たり。然るに、ものものしく沙汰に及ぶべからずと云て、彼の極楽寺、却せられて、仏法房は追却し畢んぬ。 『大正蔵』巻76−539c(原漢文)

この「仏法房」とは道元禅師のことであり、「極楽寺」とは後の興聖寺である。そこで、『護国正法義』が出されても、或る法印から一方的に、二乗的な思想の著作であり、自ら考えた思想に過ぎないと断じて、仏教ではないとされた。道元禅師が天台宗や旧仏教側から批判された、具体的な箇所として知られる。

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