子育ての失敗を広く浅く、ゆるやかに追跡。

 シャーロック・ホームズの冒険(子どものための世界文学の森15)のページに戻る

 『子どものための世界文学の森』のページへ戻る
 幼児図書の整理箱へ戻る

シャーロック・ホームズの冒険(子どものための世界文学の森15)


解説 山中知子

シャーロック・ホームズといえば、世界一の名探偵です。どうしてこんなに有名なのでしょうね。それはおそらく、ホームズが姿をあらわしてから100年以上たった今でも、映画やテレビなどで、私たちにも、その活躍ぶりが見られるからかもしれません。
 せい高のっぽのやせすぎで、おしゃれでハンサムなこのおじさんは、ロンドンのベーカー街221番地に住んでいました。名探偵という噂を聞いていろんな人が訪ねてきます。おまけに、新聞に載った記事を読んで、変だなと思うと、本当はどうなのか、調査に乗り出します。仕事とはいっても、朝も夜もない忙しい毎日です。
 ですから、ときどき朝寝坊をします。このようなホームズ自身のことや仕事でのいろいろな冒険話を、几帳面な親友のワトソン博士が記録してくれたので、私たちもホームズのことを詳しく知ることができるのです。ホームズの時代には、電話も飛行機も電灯もありませんでした。そのかわり、ワトソン博士がいつもいっしょです。つまり、すばららしい名コンビの相手がいたわけです。
 探偵が活躍して、謎をとく筋書の物語を推理小説といいます。それは、探偵の仕事が主になぞ解き(推理)の仕事だからです。その謎を分けると、だいたい三種類になります。犯人は「誰?」「どうやって?」「なぜ?」です。
 ホームズの仕事のやり方は、ばらばらのようで、何のために調べるのか見当がつかないこともありますが、実は、複雑な謎をとくためには、どのような細かいものでも手掛かりになります。ですから、虫めがねで調べる時も半端ではありません。それと、なにをやるにもタイミングが大切ですから、よく時計とにらめっこをしています。
 実はこの物語を書いたのは、ワトソン博士ではなくて、イギリスの作家アーサー・コナン・ドイルです。つまり、名コンビの二人は、ドイルがつくり出した登場人物なのです。
 ドイルは、1859年、イギリスのエジンバラで生まれました。そして、1930年にロンドンで亡くなるまで、ホームズ物語を60編も書きました。最初のお話が1887年に出ていますから、100年以上も昔です。けれども、このお話の舞台であるロンドンの風景などと一緒に、今も多くのファンに愛されています。さすがに「推理小説の王さま」と言われるだけのことはありますし、イギリスの王さまからサー(貴族の呼び名)をもらったのも納得できます。
 ドイルの父は画家で、六人の子どもがいました。生活は苦しくても、ドイルは四番目で初めての男の子でしたから、小さいころからお母さんに厳しく育てられました。でも、元気でやんちゃなドイルは、教育ママの厳しさなんてへっちゃら。勉強もして、詩や小説を読むのも好きでした。そして、良い成績でエジンバラ大学に進み、医学を学びました。
 そして、博士号をとって医院を開きますが、患者がちっとも来てくれません。これでは生活ができないので、医者をやめて小説家になりました。すると、少年時代の夢も、つらい経験も全部物語の役に立って、医学博士はワトソンに、主役のホームズには、大学でおそわって好きだったベル先生の姿をおきかえることができました。
 ホームズは何でも知っています。でも、何よりも大事なことは、物語の中にある人間の心の動きです。それが暖かい思いやりとして書かれ、いつも、危険をおそれずに悪人と戦ってくれるので、ホームズは今も変わらず、私たちの正義の味方なのです。

Wiki内検索

管理人/副管理人のみ編集できます