子育ての失敗を広く浅く、ゆるやかに追跡。

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解説 前田美恵子



 みなさん、カナダの地図を見てください。東側、大西洋岸のセント・ローレンス湾に、本土に張り付くように小さい島が見つかるでしょう。これがプリンス・エドワード島で、『赤毛のアン』の舞台であり、作者ルーシー・モード・モンゴメリの故郷なのです。
 ルーシーは、1874年、この島のキャバンディッシュという村で生まれました。生まれて間もなく、お母さんがなくなり、お父さんともはなれて暮らしたので、ひとりぼっち(孤児)になってしまいました。でも、お母さんの実家のおじいさんとおばあさんがルーシーをかわいがり、そのころの女の子としてはめったにない大学教育まで受けさせてくれたのです。
 ノバスコレア州の首都ハリファックスの大学を出て、ルーシーは先生になりましたが、三年後、おじいさんがなくなったので、ふるさとのキャバンディッシュに帰って、郵便局をやっているおばあさんを手伝いました。
 でも、ルーシーは、少女のころから、本を読むのも文章を書くのも大好き、想像することは得意中の得意という女の子でしたから、決まりきった、郵便局の仕事だけでは、退屈でたまりません。
 仕事のかたわら、孤児という自分の生い立ちに、さらに想像の翼を広げて、生み出した物語が『赤毛のアン』でした。
 しかし、書き上げてはみたものの、無名のルーシーのものでは、カナダのどこの出版社も本にしてはくれません。ルーシーは、あきらめて、作品を屋根裏部屋にほうりこんで、それっきり忘れてしまいました。
 三年たったある日のこと、用事ができて、ルーシーは屋根裏部屋へ上がっていきました。「アン」の原稿に気がついて、ちょっと目を通してみたら、なんと、とてもおもしろいのです。自分で書いたものなのですが、こんな傑作を放っておくのはもったいない―そこでルーシーは、今度はアメリカの出版社に送ってみました。
 たまたま送った出版社は500ドルの買い切りという安い条件でした。ところが、出版されたとたん、「アン」は大変な人気者となり、とくに赤毛の少女からのファンレターはひっきりなしでした。
 アンは、生まれてすぐ両親とはなれ、赤毛、そばかすだらけの顔に、目玉ばかりギョロギョロ大きい、痩せこけた子。貧乏人の家をたらい回しにされたうえ、孤児院が仕方なく引き取ったという―子どもながら、とくに女の子なら、本当に気の毒な身の上なのです。
 でも、全ての人に公平な神は、この不運な少女に、人並み外れた想像力と、賢さと、負けず嫌いという、すばらしい才能を授けてくれました。さらに、もう一つ、チャンスというものも与えてくれたのです。マシュウ、マリラという養い親との出会いです。ちょっとした間違いから始まった運命のいたずらが、アンにとって幸運だったと同じだけ、マシュウ、マリラにも幸せをもたらすことを神は見抜いていたという作者ルーシーの考え方は、私たちをほっとさせてくれます。
 アンのとっぴな行動やロマンチックなゆめに笑ったり、冷や冷やしながら、お話はどんどん広がっていきます。マリラ、リンド夫人などの人がらも見事に描かれていますが、なんといってもマシュウの優しさは、読む人の心に染み入るようです。
 ルーシーは、37歳でエワン・マクドナルド牧師と結婚し、トロントに移り住んで、二人の子供にもめぐまれました。最初のアンが大成功だったため、その後も『アンの青春』『アンの婚約』など、アン・シリーズを10冊も書き続けることになりました。
 そして、1942年、67歳でトロントでなくなりました。

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