将棋文化ノート001
将棋文化ノート
「将棋」の表記
表記は時代によって統一されておらず、
「象戯」「象棋」「象棊」「将碁」「将棊」といった具合である。
『二中歴』『新猿楽記』『神護寺旧記』など
… 「将棊」
『新撰遊学往来』
… 「(大・中)将碁」
『言継卿記』
… 大永七年(1527)八月十四日まで 「象戯」
天文二年(1534)十月十五日以後 「(中)将棊」
『嬉遊笑覧』(文政十三年)
… 「象棋」「将棊」「象棊」が混用
参考文献
『ものと人間の文化史 将棋』 増川宏一 法政大学出版局 1977年
インド最古の将棋「チャトランガ」
8×8マスの正方形の盤を用い、4人で行うことができる盤上遊戯である。
チャツルは「4人」の意、アンガは「要素、組、メンバー」といった意味のある遊戯名である。
古代インドの伝承詩は「チャトランガ」を人間の四肢とし、
紀元前7世紀末にイラン地方に興るゾロアスター教が宇宙の根源的要素を火、水、土、空気と
4つに定めていることから、4という数字にも深く関連があるものと思われている。
古代インドのバールフートの塔(スツゥーパ)の彫刻にある盤上遊戯が4人将棋であるとし、
この作成年代から推測して紀元前3世紀頃には多く遊ばれていたものと考えられている。
駒は古代インドの軍制を基礎としているため、王以外の駒には象軍、騎兵隊、戦車隊、歩兵隊が存在する。
― 駒の移動 ―
歩兵隊 … 前方に一つだけ進む。だが相手の駒を取るときは斜めに進む。チェスのポーンと似ている。
戦車隊 … 二つずつ進むことができる。
騎兵隊 … 一つ向こうの斜めへと移動。つまり桂馬と同じ。
象軍 … 斜め方向へいくらでも移動可能。角行やビショップと同じ。
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│>戦│>歩│__│__│▽王│▽象│▽騎|▽戦│
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│>騎│>歩│__│__│▽歩│▽歩│▽歩│▽歩│
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│>象│>歩│__│__│__│__│__│__│
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│>王│>歩│__│__│__│__│__│__│
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│__│__│__│__│__│__│<歩│<王│
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│__│__│__│__│__│__│<歩│<象│
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│△歩│△歩│△歩│△歩│__│__│<歩│<騎│
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│△戦│△騎│△象│△王│__│__│<歩│<戦│
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4組の駒は色分けがされており、指す順番は反時計回りとなる。
ただ、ルールとして各人はさいころを振って動かす駒を決めるという、
非常にギャンブル性の強いものとなっている。
― ルール ―
- 相手の王を「詰ます」か、相手の王以外の駒を全て取ると勝ちとなる。
- 駒の移動は、さいころを振って移動する駒を決める。出た駒が全て取られていた場合はスカであり、振り直しはない。
- 取った駒は使用できない
- 駒には「成り」があり、相手陣地一段目に駒が進入した時、元々その場所にあった駒の動きになることができる。
- 駒には点数が定められており、獲得した点数で掛け金の配当を決めていたとされる。
後に追加されたルール
- 対面が連合を組めるようになり、相対した王のマスに自駒が進入すると、その陣営も自分の指揮下になる。
― その他 ―
戦車の駒は以前は「舟」であったという説がある。根拠は以下である。
1、サンスクリット語で記された伝説『バビシャーマ・プラマ』の、古代インドの将棋を説明したユディシュテイラとヴィサーヤの対話に、
「駒の配置は馬の駒の次の一番端に舟の駒を置く」と述べられている。
2、ダイスの二の目が出たら舟の駒を動かすとある。
3、ガンジス河やパンジャブの河口には雨季があり、1年の三分の一は洪水や増水があり、古代インドでは生活上、
舟が重要な役割を果たしている。
4、舟は戦車よりも古い時代から軍用にも使われ、アレキサンダー大王の軍勢がパンジャブやインダスで大量の舟を使用していた例から、
舟の重要性が先に将棋の駒に反映されていたということ。
参考文献
『ものと人間の文化史 将棋』 増川宏一 法政大学出版局 1977年
「チャトランガ」の二人制への移行
基本は4人制チャトランガのルール不備の延長線上に誕生したものとされている。
- さいころの使用
そのため興が削がれ、さらに賭博であるために途中放棄が難しいところから簡略化を求められた。
- 駒の初期位置
おそらく対面連合ルールもこの欠点の解消を図ろうとしたもの。
→「リツ」とも呼ばれるチャトランガの発展形は、この欠点を解消するために
対角線の3×3の9マスの中に駒を配置し、左右どちらにも攻められるようになった。
さらに連合制を単純化し自分と同じ陣営、つまり対面を攻める「2人制チャトランガ」もこのルール改正の過程で行われる。
初期の2人制チャトランガにもさいころは用いられていた。駒が複数枚あることで、空振りの回数は減少した。
だが2人制将棋となったことでさいころの目に従うことは次第に「智慧を用いる」ゲームとしては不適当と思われてきた。
次第にさいころ使用のルールは廃れてゆき、現在の将棋ルールの原型が固められてきたと思われる。
参考文献
『ものと人間の文化史 将棋』 増川宏一 法政大学出版局 1977年
二つの「王将」
2組が連合するということは、自陣内に「王」が2つ存在するということである。
当然王は2人存在してはならない、それは現実でもゲームとしてのルール上でも自明の理であった。
ここから、王に次ぐ権威を持つ駒が生まれることになった。
古代インドのでは「司令官」とされ、他には「神官」や「大僧正」といった意味の名前が付けられていたとされる。
この王に次ぐ存在の駒が、チェスでいうクイーンの原型であり、日本でいう金将の原型といえる。
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│▽車│▽馬│▽象│▽将│▽王│▽象│▽馬|▽車│
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│▽歩│▽歩│▽歩│▽歩│▽歩│▽歩│▽歩│▽歩│
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│▲歩│▲歩│▲歩│▲歩│▲歩│▲歩│▲歩│▲歩│
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│▲車│▲馬│▲象│▲王│▲将│▲象│▲馬│▲車│
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― ベースは4人?2人? ―
日本の将棋の王将は基本的には一つで、西洋のチェスには王と女王が存在する。
この違いは、4人制将棋が先に伝わったか、それとも2人制将棋が先に伝わったかの違いからきているものとされている。
4人制の将棋が源流かどうかの判断は「司令官」の駒があるかどうかで判別されることが多い。
参考文献
『ものと人間の文化史 将棋』 増川宏一 法政大学出版局 1977年
2007年01月03日(水) 12:22:55 Modified by ID:GD4z93ce4g