なんか怪獣イラスト/怪獣の話などのてきとうwiki

なんかabout-15.8-3からの続き




●2015.9.7 バイクの電力がなくなってきた

なんか急に減ってきたのはここ一週間くらいだろうか。
ただどうも、兆候がだいぶん前からあったような気がして、つまりホント正比例グラフのように正しく減っていった、ということ?
これで頭を悩ませているというか、昨日あたりから猶予がない的な雰囲気に。
具体的に何が困るって、セルスターターの勢いがなくなってきて、つまり始動困難がマヅい。
だがしかし、走りだせばあまり問題ないというわけで、ということは何が原因なんだと考察中。

走りだせば問題ないというか、停まるわけではない、のであればレギュレーターではなくバッテリー?
とりまどちらにせよ節電の必要性を感じて、だいぶん前に買った30ワットくらいの代替えヘッドライト球を取り付けたら、なんか走りが調子いい。
確実な火花が飛んでいる雰囲気で、力強いしノッキングも減った印象。
じゃあレギュレーターなんでないか? とも思えるが、バイクの電気回路はいづれにせよ途中でバッテリーが介入するもの。
レギュレーターと各種ランプの間でコンデンサー的な役割をしているみたいな話があり、一種の衝撃吸収装置の電気版のような感じか。
とゆか調子良くなったけど相変わらずセルの回りはしぶい。


じゃあセルスターターの調子が悪いのかとも思えて、じっさいいちど故障して修理に出しているし。
でも節電ランプで走りの調子は良くなっているんで、あくまでも始動時の電力不足、とも思えるし。

なんにせよバイクの電力不足での対応は決まっていて
1.バッテリー交換
2.レギュレーター交換
3.それでダメならバイク屋へ相談
のスリーステップ。

というわけで、バッテリーを買わなくてはならないようだ。
また余計な出費だなー、というかまだ三年半しか使ってないんだけど今のAZバッテリー。
いくら中国製だからとて、そんなに消耗するかな。
じゃあ次は、台湾YUASAのを買ってみようか。



それでダメならレギュレーターか、懐が痛いな。

とまあそんな話。


最近観た映画


●赤ひげ-後編

前半でいろいろあったけど、後半は「おとよ編」が一貫している感じ。
ここで描かれる様々な逆転展開がもう素晴らしい。
一応おとよ編は、おとよという12歳くらいの少女を女郎小屋から救い出すところからはじまる、つか前編のラストにあたるわけだが。
身も心も病んでいる彼女が、心を開いていき、診療所の皆と打ち解け合うまでを描いた感動エピソード、となっている。
表向きは。

だいたいか弱い少女が、皆に懐いてゆくとか萌え萌え展開と思うじゃん、現代のおtkな連中は特に。
ところが、実は違うんだよねーという逆転展開。
心をこめて看病していたと思っていたらいつの間にか看病されていた、という入れ替わりが何度かある。
あなたが人を看病する時、あなたも同様に看病されているのだ、という謎哲学なのだろうか、とにかく面白い。
そして何よりも重要なのは、前半から引き続き登場の賄いおばさん四人組。
おとよを手に負えないガキだと嫌っているこの賄いおばさん連中が、心を開いておとよに懐いてゆく様を描いた物語、ともとれるわけ。
このへんはもう感動の連続なんだけど、どうもこの、号泣と同時に大爆笑もしていて、この溢れだす感情の嵐をどうしてくれる、みたいな映画になっとる。
女郎小屋の女将みたいなのがおとよを迎えにくる場面での賄いおばさん必殺の大根斬りは、時代劇の歴史に残したい必殺技第一位みたいな会心の一撃であった。
時代劇の大根だから細くて殺傷力などないのだが、とにかくこれで女郎小屋のアイツをボコボコにするという、これまた泣きながら笑ったわ。

とにかくそのへんから、おとよは完全に回復していて、これがまた素晴らしい。
病気だ→治療だ→治った→素晴らしい、というホントに単純な話であり、ややこしい件に単純な道理を交えて、いい映画だなーと率直に感心だ。
自分の心が回復したら、こんどは他人の不幸が気がかりになるもの。
そうして長坊編へと移行してゆくが、最後のまきえ結婚編以外は、やっぱりおとよエピソードとも言える。
この長坊がまた、健気なんだよね、7歳の子どもとは思えない口ぶりで、なんか容姿もおっさん臭いし。
ぶっちゃけ泥棒なんだけど、乞食はペコペコしてカッコ悪い的な思想があってその身に甘んじてるような生意気なところもあり、だからこそ余計に不憫。
コイツは別れに来る台詞が、一語一語重いんだよなー内容が。 言ってることはスゲえ軽いんだけどさ、食うにも困らない楽園に行くとかテキトー発言してから「あるんだ、それが」とか、これから死にゆこうという子供の言葉かと思うとイチイチぐっとくる。

最後のまきえ結婚編は、主人公である加山雄三の成長を確認する儀式みたいなもん。
コイツ、変わったなーと思わせるいっぽうで、そんだけの精神的素養は確かに最初からあったな、とも思える。
ただ人生経験が浅く、ちょっと不幸に酔っていただけで、ホントはいいヤツだったんだよ、みたいな。

なんかマジですごい映画だな、楽しいし、じっさい大爆笑するし、泣けるという。
映画技法としては当時の標準なのかな、むろん十年後、二十年後の作品と比べると古臭いんだけど、今でも見どころがある演出な気がする。
映画には言葉も文字もあまり詰められないのだから、あざといくらいの絵で見せたほうがイイ、とゆう思想なのだろう。
例えばおとよ看護記録が画面に映るが、江戸時代の記録ってもっと小さな台帳に細かい文字でびっしり書くのが普通で、この看護記録はでかいスケッチブックみたいな帳面にぶっとい文字でページの真ん中に堂々と綴っていて、明らかに映画の観客向けに誇張されているわけだが、逆にそれがいい、ということ。

まあ色々凝っていて、そこが黒澤明映画ということなのかな。
でもやっぱり、基本的に昔の映画は面白いよ。
ゆうてもDVDなどで今でも観れる作品は時代に淘汰された後なんで、面白くて当然なのかもだけど。


●UFO-侵略
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いやー久しぶりに底辺B級映画を堪能しました。
HULUに最近来ていた映画で、HULUってほら、SNS的な機能が一切ないからレビューもないんだけど、あったら酷評の嵐でしょうねたぶん。

最初から最後までフラッシュバックの多用で、そこに挿入される場面にたいした意味が無いことは観ているうちに明らかになってゆくスリリングな展開がいい。 途中の場面をランダムな箇所に映しているだけだから。
やたらトリッキーな絵を撮りたがる下手くそなカメラワークも魅力。
カメラが下手で編集もいい加減という、この時点でB級底辺の条件をかなり満たしている。
脚本的にも面白いものはなにもなく、というか最初の三十分で何も起こらないため、ツマンネ言って視聴をやめた人は大正解だったと、最後まで観た自分が判を押す。

俳優陣でいえば特にどーでもいいや的な印象がぬぐえないが、それもそのはず、主役だと思っていたヤツがいきなりポンと撃たれて死んだりするので、キャラクターを追う必要がない親切設計だから。
ヒロイン的立ち位置の女優さんはかなりの美女だが、化粧が雑だよね、これ舞台がイギリスだから、英国映画なのかな、まーアメリカであってもファッションはダサい、というウワサもあるんだけど。
その美女も途中でどっか行くので気にする必要はなし。

英国映画と推察したが、やたらとハリウッド映画の引用が多い。
台詞で言っているだけなんだけど、部分的に場面の引用もあるようで、例えばインディペンデンス・デイで、市民が上空の巨大UFOを見上げるところとか似せているっぽい。
でもってその市民の中に、ジャン・クロード・バンダムのソックリさんが一瞬出てきて笑えたが、後々の展開で、わりと重要な役どころで再登場。
そうしてよっく見ると、ホント似ているんだよね、筋肉をモリモリつけたらマジクリソツ。
と思ってエンドロール観てたらキャストの途中でそれっぽい名前を見かけたような・・・。
マジかよ、とネットで調べると、確かにジャン・クロード・バンダムでした。
なにやってるんだよバンダム。
ちょっと格闘シーンはあるが、すぐにプチッと弾けて死ぬ役なんだが。

謎のフラッシュバック多用だけど、フィルムが完成した後に上映時間を長くするため、テキトーな編集を加えたのでないだろうか、とさえ思える。
つかあまりにもグダグダな内容なため、予定されていた撮影ができず、脚本を削った的なトラブルがあったのではと余計なことを考えてしまう。

有名俳優がヒドい扱い、という昨今流行りの作品群に加えるべきですね。
まあ元々アクションスター止まりのバンダムだから、この程度は小さな事故と考えられる映画であって、ケビン・コスナー主演のネストはいちおう最初から最後まで登場する主役だったが、あんだけの大スターがあんなB級モンスター映画に・・・と思えばバンダムのこの一件、些細なことです。
おっと最後に内容を。
原題がUFOで邦題がUFO-侵略-となってるが、個人的には「UFOパニック☆大暴動」としたほうがいいんでねえの? と思っている。
要はインディペンデンス・デイ的なエイリアン対人類のスーパーバトルではなく、クローバー・フィールド的な市民のドタバタを描いた作品。
ということはつまり低予算映画と考えられる。 だって大予算を使うシーンなんかないもん。
時々遠景で映る巨大UFOとか攻撃シーンとか、家庭用のPCで出来る時代だよ、ぶっちゃけあの絵なら百万円だせば環境が揃うはず。
PCに50万、Photoshopと3DCGソフトなど揃えていけばやはり50万くらいで何とかなりそうな気がする。 あとは映像学生などをひとり雇ってデザインからアニメーション出力までやってもらえば、仮に日給一万円ほどだとしても、かかった日数・・・おそらくは百日つまりあと百万円、合計二百万円あればこのUFO-侵略-という作品の映像くらい出来そうな。
まあ充分な解像度、ダイナミックレンジを確保するにしても、CG製作ショップに委託すれば一千万円もかからないと思われる。

ということは・・・マイケル・ベイやローランド・エメリッヒなど、どんだけ内容が無いよう映画でも映像で楽しめるタイプ、とも違うわけで。
脚本も撮影も編集もダメ、内容はB級すぎ、映像も見るところないとなれば、本物の底辺映画ですよこれ。
逆にスゲえ、と思うな。

あーでも、安心したわ。
何度か言っているが、最近の邦画があまりにも酷くて、憂いていたところだったので。
海外でもこんな酷いのがあるんだ、あんしーん。

って下を見ていたらキリがないんですけどね。



●エラ・エンチャンテッド

実を言うと、昨日観たUFO-侵略-は、けっこう気に入ってるんですわ。
ここまで酷いと逆に楽しい、というB級映画ファンならではの感想だけど、むろん一般人であれば絶対オススメできません。
今日もB級映画探し、みたいな感じでエラ・エンチャンテッドに当たりをつけて視聴したんですが。
いやーB級じゃなかったです残念。

つてもいわゆるキッズムービーに近い感じで、良い意味でのバカ映画には違いない。
ホントに良い意味で、製作者が狙ったとおりのバカ加減になっているので問題ないみたいな。
物語的には生まれた途端に妖精から「なんでも言うことを聞く」という素晴らしい贈り物を・・・・って最初の時点で完全に呪いだとわかるんだけど、とにかく誰にも逆らえないという逆境に生きるエラが、魔法を解く旅に、という感じ。
冷静に考えれば恐ろしくハードな設定なんだけど、そこは楽しく、うまい具合にウェットにならないよう配慮されている。

見どころとしてはまず、エラを演じるアン・ハサウェイが可愛い、エラい可愛い、エラだけに。
もうあざとすぎてアレなんだけどね、完全にやられた、みたいに認めざるをえないみたいな。
製作年が2004年っていうから、この頃から日本じゃ「萌え〜」とか言っていた時代ですよ。
でも海外のほうが実は、萌えを理解しているんじゃないかって思うことが度々ある。
ならず者たちを倒してしまったときのぎこちなさとか、意志に反して歌い踊るとことか、あとは木にしがみつくところとか萌えポイントとして最高。

ストーリー的にはまあ王子と結婚するという、どうしようもなくありがちな話なんだけど。
舞台設定のおとぎの国からして、様々な童話がムリクリ、パロディとして詰め込まれていて、例えばヒロインの父親はなんでいつも変な娘を連れた高慢ちきな女と再婚するんだ、というパターンそのものがギャグになってたり、かなり不真面目な造りになっている。
でもそれでいいんだよね、変に作家のメッセージを童話に乗せようとして倫理的に許せない作品となったマレフィセントの例もあるし、笑いでごまかすというのも逆に誠意があるかと思えてくる。
いろんな政治的、社会的問題も語られるが、深入りせずにさらっと流すみたいな雰囲気で傷口が広がるのをあらかじめ予防しているのかも。
余談ながらタイトルは「魔法にかけられたエラ」みたいな意味になるのだそうだ。 エンチャンテッドって苗字じゃないのかなるほど。
ウィキペディアでは『アン・ハサウェイ 魔法の国のプリンセス』というタイトルで記事が出ており、題名が安定しない作品の模様。

でも、先ほとマレフィセントを引き合いに出したけど、あーゆうマジで造った作品を期待した人は、怒るかもね。
いろいろ茶化して、最後の決戦もコントのようなギャグで〆て終わったし。
なんだけどこの映画、現代的なファッションとか小道具とかは安易に登場させずに、創作ファンタジーとして筋は通していると思う。
まあグリム兄弟のせいでファンタジー種族の評判が悪くなったと愚痴るメタ発言に近いことは何度かやってるけど。
映像も立派で、劇中のセットもショボいところは一見、見当たらない。 たいしたもんだ。
大人が観て楽しむのもいいが、何だかんだで小さな子供に観てもらうのがイチバンいいのかも
毒にも薬にもならないけど。

でも残念だなあ、UFO-侵略-みたいな脚本や撮影からしてガタガタな迷作ってなかなか見つからないな。
次はビーチ・シャークでも観るかな、でもタイトルからしてアホ映画であることが前提だからな。
騙されたあああぁあああ!!と絶叫するのも、たまには楽しいのだが、ほとんどがタイトル、扉絵、ストーリー解説でバレるから。
とにかく、エラ・エンチャンテッドはちゃんとした映画でした。


●ビーチ・シャーク

午後のロードショー、サメ特集で録画し忘れたのをHULUで視聴。
ふーむ、思ったほどたいしたことがないな・・・。
物足りないというか。

例えばシャークトルネードのアサイラムは若干、会社が成長したのか、これまでより大規模な映画を撮って、意図的に徹底した、悪趣味なバカをやっているように見えるが、このビーチ・シャークはどんな立ち位置なんだ? みたいに考えてしまう。
ツッコミどころ満載のアホ映画を意図的に作りたいのかな、とも思えるし。
原題はサンドシャークだっけ、砂浜にサメ、というアイデアはまー昔からジョークという形で存在していて、CMからミュージックビデオ、その他諸々で登場し、砂ザメというクリーチャーでいえばちょっとしたSF小説やマンガ、ゲームのモンスターとしても定番で、それ自体に新鮮味はないのだけど、これを一連のサメ映画に参入みたいな形で、一本撮ろうという者はかつていただろうか、くらいのプロット。
要するに、マンガであれ映画であれ小説であれ、主人公のパーティーが道中、遭遇するくらいなら面白いクリーチャーなんだが、映画としてはどうよ、という。

結論から言うと、これまでのサメ映画と同様にストーリー進めて、ところどころトレマーズのルールを導入すればおk,という発見を、製作者がしたため企画がGOになったのかと。
じっさいトレマーズは面白かったよね、とにかく地面から離れればセーフ、みたいな感じで映画全体がゲームじみていたので。
今回のビーチ・シャークはアホな連中がアホな死に方をするアホ映画という基本路線で撮っているので、トレマーズほどルールが徹底していない。
というか脚本から撮影まで、どうにも「普通」に出来ていて、底辺映画としての魅力もないし、困ったもんだ。

いちおうブラックなジョークも所々あって、最後の決戦はかなりグダグダな風なんだが、それもわざとやってるのでは?と思えてどうにも歯がゆい。
邪推だがどうも製作者が映画オタクかなんかに思えて、B級モンスター映画のセオリーに準じているのではと疑ってしまう。 予算だけはちゃんと低予算で、でも例えばフェスティバルのシーンとか、大学生を無料で呼び込んで撮影に協力してもらう手法とかを使ったかも、とか。
映画オタクであれば「あの映画は低予算でもこんな裏ワザで撮りました系」の知識が豊富なので、それを応用したのではと。
まあいいことなんだけどね、そうであっても。
ただけっきょく知識と映画技術はあるのにムリに底辺映画として振る舞ったのなら、それは正解なのかなと。
こんだけ撮れるなら本気でアイデアを煮詰めて、本当に面白い映画を撮れるんじゃないか、というのは買いかぶりすぎだろうか。

うん、買いかぶりすぎですねきっと。
というわけで、普通にB級なモンスター映画という感じで楽しめます。


●ダークエンジェル

微妙なサービスだとずっと放置していたHULUだが、完全に見直した。
映画でいうとまだまだ足りないが、それもだんだんと拡充しているし、例えば80年代の定番映画などは優先的に仕入れているっぽい。 ドラマも同様で、今は特攻野郎Aチーム、ナイトライダー、エアーウルフがそれぞれ第一シーズン観れる状況。
そいやこの前は未来警察ウラシマン、先日にはゴールドライタンが入ってきていて、ニコニコアニメにありながら高くて観れなかったコンテンツが、月額制のHULUで観れる有り難さ。
つかそもそも、近所に複数のレンタルビデオ店が乱立した80年代半ばからこっち、ひとつで全てのコンテンツが揃う店が物理レンタルであれ配信であれあったであろうか。 いやない。
そう思った時、HULUは利用するに足るショップだと気づいた次第。

で、今回はダークエンジェルの1シーズンがあったので、第一話のスペシャル版を観た次第。
映画じゃないけど、ここに感想など記述。
テレビドラマなどあまり観ないが、コレは懐かしい番組。 エグゼクティブプロデューサーがキャメロンという、それだけで注目度が高いドラマで、しかも内容がアメコミと日本のマンガを複数混ぜたような、実に興味深いストーリー。
ところが放送した時は正しいエピソード順番だったのだろうか、忘れたが、打ち切りがあったのか、そして後の再放送で話順がシャッフルされたのか、わけわからんことになったのでHULUに1stシーズンあるのはいい機会かと。 なんかヒトデ人間の次回予告がある回までは、ちゃんと順序よく観てたとは思うんだけど。

第一話は長めのスペシャルで、面白いんだけど、意外と地味なのを再確認した。
パイロット版、というほどでもないにせよ、あれほど長期に渡って続けるとは想定してなかったのか抑えた造りと思えた。
というのもマックスはじめジェネティック連中にはいろんなDNAが入っていて面白人間みたいになっていて、マックスのばあいは猫の遺伝子、という後半のコミック風な展開とはやや違う、話の導入に徹した第一話といったところか。
時代は例によって2019年なのかな、十年前とか2009年とかいう台詞があるので。
ブレードランナーはじめ近未来は何もかも2019で、原典は何よ、と問い詰めたい。 もうひとつ多い近未来は1999で、こんなんもう15年も通りすぎているのに、未だそれを舞台にした近未来ものが作られかねない雰囲気がある。

現実にちょっと手を加えた近未来の風景で、テレビドラマとしては破格の贅沢さだったと思う当時は。
マンティコアからジェネティックの子供が逃げ出して十年後的な物語だが、電磁波テロでアメリカは、あるいはアメリカだけだろうか、荒廃している雰囲気が良い。 もう数えきれないほどB級映画などで語られてきた「貧しい未来」だが、今回はしっかりしたスタッフと、状況をたっぷり見せられるテレビドラマという形で、うまくいっているみたいな。

※ここから第二話〜第五話まで観た感想
うーむ、猫の遺伝子で苦労する話、もう二話からやってるのかと感心。
マックスは年に何度かサカリがついておかしくなるんだよね、いつもの警戒心がなくて、ちょっといい男がいればふら〜っとついていきそうになってシンディに引っ張り戻されるみたいな。 でも第二話くらいではたいした事故にはならず、なにもかも偶然も手伝って丸く収まっていたが、後に相手の心を傷つけることになったと記憶している、猫人間の弱点。
ノーマルの配達所は重要な舞台で、メインステージとなるから、ここに説得力がなければドラマも面白くない。 扱う荷物はぜんぶ小荷物で、配達手段はぜんぶ自転車、そんな小さな営業所は以前からあるんだろうけど、この世界ではどの程度重要性があるのか。
石油がやや高い的な感じで、パソコンすら高価になっているっぽいので、自動車による宅配便はやっぱり高嶺の花だろうね。
そこにいるスケッチーはもうコミックに登場するセコい小市民代表みたいな感じで良いキャラだし、宗教オタクみたいなハーバルもアメリカに多いキリスト原理主義者はじめ、いろんな宗教キャラを混ぜた感じであり、キャラが立っているのに逆に存在が自然。
つか荒廃して世知辛い舞台設定で、親切キャラにはそれなりの理由(宗教)があったほうがいいみたいな。
気むずかしいノーマルは、あのタンタンの冒険みたいな変な髪型、コダワリがあるのだろうか、うるさ型で邪魔にならない程度にウザいのがいい感じに。
みたいに、懐かしさでいろいろ考察してしまった。

アイズ・オンリーことローガンがまた知的なナイスガイなんだよねこれが。
いい俳優さんが演じているのだろうが、知性が溢れすぎて逆にコミック的(コミカル)で笑えることも。 まあ自分の正体を隠す場合、フツーは目を隠すのだが、逆にそこだけ世界に公開して義賊みたいなことやってて大丈夫かとは思う。
いやバレバレだろ。
頑固者で正義感があって、しかも力(情報力)もあるという、もうひとつの主人公みたいな。
つかかなりの万能感があったが、元ジャーナリストだっけこの人。 現実に姿がない異例のスーパーヒーローみたいなもんで、情報を集めてそれを公開し、人々を扇動して悪を討つ的な活躍をするが、市民が見るのは電波ジャックによる目だけ放送、昔で言えばレジスタンス放送みたいなキャラだが、警察が腐敗した街ではコイツがバットマンなんだよね。 悲しいな。

でもってこのドラマが成功した一因はやっぱりマックスを演じるジェシカ・アルバさんかと。
当時流行りのエキゾチック美女で、かなり完璧に近い感じというか、画面で見るとどうやら身長は高くないらしく、それがあったら現在のワンダーウーマン女優としても通用すると思う。 説明するとワンダーウーマンって以前にもテレビドラマあったけど、コミックの世界ではじゃっかん容姿が変化しつつあり、健康的な褐色エキゾチックキャラの女優さんのほうが、今は向いていると思ったため。
ただし身長は高くない、という点はダークエンジェルにおいて弱点とはならず、というか非常に新しい感じがするドラマだったため、むしろ猫人間マックスは小粒でもピリリと辛いくらいが良い。
いろんな点で日本のマンガっぽさを導入していて、マックスのスーパーヒーローとしての独特さもそうだったと記憶。
むしろコレまでのヒーローがもさっとしすぎなんだよな、今考えると。
ただマックスの髪型ってややパーマがかかってダサかったよね、後半になるにつれストレートに近い感じに均されて、より似合うようになった覚えがあるのだが記憶違いの可能性もあり。

あとはマックスを追う銭形警部みたいなライデッカー大佐、特攻野郎Aチームのデッカー大佐みたいな無能かと思っていたらムッチャ怖い人なんだよね、コイツ。 邪魔者は殺す、脅迫してきた者は即殺す、秘密を握っているヤツは確実に殺す、みたいな暴れん坊で、でもマックスの居場所だけはいつまでも見つけられないお茶目な部分も。 
基本的にライデッカー大佐はマジで追い詰めてくるおっそろしい追撃者。
コイツに捕まったら人体実験か最悪、解剖か。 あるいはフツーに口封じか、どちらにせよ絶望的。
あーそう考えると、特攻野郎Aチームのデッカー大佐ってワザとAチームを逃していたのかな、と思ったりする。 Aチームが悪と戦い、その後始末をすることで多くの功績となっただろうし、街の掃除に便利だからもちっと泳がせようみたいに思ったかも。 いや考え過ぎだな、デッカー大佐は本気で追ってもあの程度、つか相手が百戦錬磨のAチームだし。

とまあひさしぶりに視聴したら、やっぱり面白いダークエンジェル。
さっきHULUみたら2ndシーズンもちゃんと追加されていてこれで揃った。
ここで打ち切りになっていて、3dシーズンはないんだよね、残念だ。
とりましばらくコレ観ていようかと思う次第。



●ダークナイト・ライジング

なんかiTunesStoreで百円の時に借りて、もう期限ギリギリ三時間前というところで観た次第。
ほんとなんでいっつもこーなんだろね。
とにかく有名作品ということ意外、なーんも知識がないので、いくらなんでもそれを観るのはアレなんで、予備知識をうまいことネタバレのないように仕入れるのに苦労というか、最後はやっぱり切り札として町山智浩解説を利用した。
まあノーラン版バットマンはビギンズが最初で、その次のダークナイトが話題となり、数年後に出たのが今作みたいなことは分かった。 それにしてもダークナイトは、やっぱりiTunesStoreだと思うけど借りて何気なく観て、それなりに楽しんだが、世間ではこの映画に驚愕したのだとあとで知ったという。 狂気のジョーカーがまずスゴくて、これが市民の心に挑戦するという内容であり、こんな映画観たことないくらいの物凄い絶賛が、例の町山解説を含めてかなりあって、個人的には意外だった。
え? ジョーカーはいつもそうだったじゃん、みたいな。
またバットマンはあらゆる罪を背負って影に徹する的な終わり方も、アイツ基本的にいつもそうじゃん、くらいに思っていた。
むろん、思い違いがあるのだろう。

なにか世間の激賞と自分の感想にエラい差があるのだが、いろいろ見過ごしているのかと思われる。
スーパーヒーローものにはダークヒーローというジャンルがあって、バットマンはそこ代表と思っていたのだが、よっく考えてみると徹底しないダークヒーローだったかもしれない。 そこにダークナイトという映画で、暗黒道を突っ走ったということなのかな。
まあそれはいいが、今回のダークナイト・ライジングだ。
あ、昨日までのダークナイト・ライジング下調べで、原作はベインという悪役がバットマンの背骨をサバ折りするという話だとは知っていた。 原作の表紙がその場面で、ファンがなんじゃこりゃ〜とぶっとんだのだという。 また原作はもうひとつあって、ゴッサム・シティが分断されて孤立する話も混ぜているとも聞いた。 それでダークナイトとの関連性も知ったわけだから、基本的に映画公開時に観に行った観客と同じくらいの知識で臨むことができたわけ。

で、観たんだけどさ。
これが、かつて無いほど思考を捨て去った視聴が実現していて。
まづ先述したとおり、期限ギリギリというのがあるが、実はあまりにも長い映画なので、途中で切り上げている。 具体的には地下から抜けだした警官隊が突撃して、蘇ったバットマンとベインが再びどつきあいを始めるとこ。
続きは後で観よ、というわけなんだが。
えー、ここでiTunesStoreの映画レンタルについてちょい触れると、ダウンロードするとiTunesに映画が追加されて、そこにはあと何日で期限がきれます的な注意書きが添えられます。 でもってこの映画を再生した後にはそれが、あと何十時間でレンタル終了みたいなものに切り替わる。 つまりレンタルの期限は30日間で、再生したら48時間で消滅するレンタルシステム。
自然に思うじゃん、30日間+48時間って。

でもって今回は残り三時間ちょいのギリギリ視聴なわけで、途中で続きは後回しとしたが。
あと48時間って思うじゃん、そう思うじゃん。
これが違った、映画が削除される48時間はどうやら30日間に含まれるようで。
早い話が、続きが観れなかったわけ。

うーんなんつかね、まあ言いたいこともないでもないが、そーゆーものなら仕方ないね、勉強したと思うことに。
というわけで、途中までの感想でも書いていこうという超長い前置きでした。

まづ俺得なのが、この前エラ・エンチャンテッド主演で知った萌え女優さんアン・ハサウェイが登場していた件。
この方、可愛いだけが売りかと思っていたが、劇中で被害者に化けるとかあんがい演技派な一面もあるんだな、おまけに動ける女優ということでもあるらしい。 素晴らしいな。
ところでキャットウーマンなのかな彼女は。 暗視メガネを上にスライドすると猫耳みたいになるんだけど、劇中キャットウーマンという言葉が出ていなかったような。 まあいいか。
いやーホントに珍しくなーんも考えずに観たんであまり感想とかないんだけど、後で町山解説の復習編みたいなの聞いたら、ツッコミどころありすぎて困る映画なんだってさ。 言われてみると・・・と後になってわかる。
ブルース・ウェイン破産の件も、あの混乱状況だと捜査対象となり、そう簡単には持ち株が動かせないそうな。 要は最低でも本人に確認の電話とか行って、翌朝イキナリ新聞で自分の破産を知る、ということにはならないというわけかなるほど。
また某国の謎刑務所、あれは専門家が見ても素人が見てもザルだってさ。
うーんなるほどね、後で考えてみると確かに、いくらでも脱獄できそうだよね・・・だって監視がいないんだもん。
特攻野郎Aチームであれば確実に何かしら道具作って、または工夫して軽々と壁を登っていくだろうし、あそこに収容されている数百人の人間全ての英知を数十年の規模で集結させれば、Aチームと同じくらいの知恵も出せるだろいくらなんでも。
まあさすがに巨大ハシゴをかけるのは無理か、ずーっと看守が留守ってことはないだろうし、大掛かりな何かを造るのは無理としても、ひとりふたり外に送り出すくらいは容易いかと。
それとも徒手空拳で登っていくゲーム開催中なのか?
でも観ている間はぼーっとして、なんも疑問なかったです、はい。
その他のツッコミどころも多すぎて、たいへんなことになってる作品みたい。

まったく何も感じなかったわけではなく、ベインの意図が二転三転してようわからんかったという事実はあるが、いつもの「映画のアラを探す」モードには入らなかった。 逆に見た目の派手さで感動して、ミーハーに流されるということもなかったが。
たぶん自分のバイクがバッテリー切れっぽいので、その対応を考えながら映画観ていたのかも。

とりまテレビで観たけどあまり記憶の残らないビギンズはじめ、どうもコレ、相性の悪いシリーズみたい。
相性というか、運悪くなーんも思考していないタイミングで観てしまう。
そもそも、どの映画も公開されたのに気づかない時点で「君の名は」と同じくらい、すれ違いが発生している妙な運勢。
論争にも参加できず、ずっと蚊帳の外で、ホントもったいないことをしていると思う。
とりまベインがバットマンの背骨を折る映画、ということが確認できただけでもよし、とするか。
まあ背骨はちょっと痛めただけで、すぐ治る怪我だったみたいだが。



●学校の怪談3

こんどはガメラスタッフだ! みたいな三作目。
観る前は、正直それどうよ、と思ったんだけどね、ほら学校の怪談シリーズって子供が心底楽しめるホラーである必要性があって、金子修介監督じゃうますぎてシリーズとの相性が悪いんじゃないかと。
思って観たが、結果的に及第点ゆうかおkだった。
確かに二作目よりうまく撮れてるけど、それほど怖い味付けじゃなかったし、うまいゆうてもガメラシリーズほど達者でもなくて逆に安心みたいな。
ま、少なくともクロスファイアやさくや妖怪伝みたいな映画ではなかったです。
ちなクロスファイアは超能力みたいので人がバンバン変死する映画で、さくや妖怪伝は昔ながらの妖怪映画を現在(もう15年前だけど)に蘇らせた的な雰囲気の、やっぱり大量のならず者がシューシュー言って変死する映画。
時代的に比較対象になるかと。
やっぱり、学校の怪談シリーズ特有の安心感はキープしたままなんだよね、よかった。

今回は近代校舎が舞台で、やっぱそれが見たかったんだけど、実はあまり盛り上がらなかったです。
どういうことかというと、小学校の校舎などひとつひとつデザインが違うので、自分が通った学校とちょっとでも違いがあると、似ていないという風にとらえてしまうためかと。 木造校舎も実はデザイン多様なんだけど、ひとつのアイコンとしてもうまとまったイメージになってるから問題なくなってしまった。 時代そのものの記憶が、風化している現象だがまあそれはそれでいい。
自分が通った学校はいづれも旧い鉄筋コンクリート造だったからなー、わかるかな、ウルトラマンに登場しそうなイメージ。
鉄筋校舎って基本的な設計思想は同じでも、年代ごとに何かしら特徴があり、我々素人にはそれが何なのか特定して指摘することなど出来ないが現在の校舎で・・・例えば70年代という設定でドラマ撮れば違和感は間違いなく感じる。
いやまあ建物の話はいいや。

学校の怪談ネタは映画を数本撮ったくらいで尽きることはないのだが、今回の話は一般的なのかな。
合わせ鏡にのっぺらぼう、体育の日で謎の視線、人体模型の逆襲、恐竜標本が動く、くらいだったか、まあうまいこと話をつなげているため、映画としては無問題だが、普遍的な話としては・・・。
いやコレは当時の子供が観る映画で、つまり自分が都市伝説の流行についていけなくなっただけなのだろう。
つか自分の世代だと口裂け女にこっくりさんくらいで、テケテケでさえ新しすぎてピンと来ないし。
シリーズ特有の傾向をもうひとつあげると、ちょいムリに感動にもっていこうとしてないかと。
つか演出的にね。
もちっとサラリ流す感じの語り口のほうが、逆に涙腺にくると思うんだけど。

登場人物で目を引いたのはゆかりんで、黙っていればお人形さんのように可愛いのだが、口を開けばバカっぽいのが良かった。
が、後半ではなんか真面目に霊感少女やっていたのが残念。 キャラを崩すなよ、迷える心霊が出たんならお前はおとなしくアッチョンプリケでもやってろと。
兄貴の生意気メガネもそうだが、本気で自分のキャラを売ろうとしていないなと思って、例えるならデレるのが早くて多いツンデレみたいなもんで、自分の(キャラクター)価値が下がるぞと忠告したい。

というわけで、けっこう楽しんだよ三作目。
午後のロードショーで録りこぼしたので物理レンタルに走ったんだけど。 問題は、四作目がどこのレンタル店にも置いていない、つまり旧作百円とかで観れないこと。 さすがにiTunesStoreで定額レンタルする気にはなれないです。
いつかHULUかニコニコアニメ、GyaO!無料に来ればいいなと願う。

●ジュラシック・シャーク

ひさしぶりに素晴らしいものを観てしまった。
UFO-侵略-以来ですな、けっこう最近か。

どれもこれもバカ映画、というサメ映画ジャンルにおいて、コイツは底辺映画気取りじゃない、本物だぜ!という快作。
まずとある研究機関か企業みたいなのが登場し、湖深くを掘削しているらしい話が出るが、舞台はその施設の廊下や階段で、そこでボスや主任を呼び止めてのっぴきならない事態だと会話劇がはじまるのだが、コレはつまりテレビドラマの手法である。
通常、企業や研究機関があるなら映画であれば広大なセットを造り、そこに働く社員などをエキストラで雇うが、低予算映画だと既存の事務所などを借りて、そこにエキストラを入れて撮影するみたいな感じだろうか。 いづれにせよ大事業だが、テレビドラマじゃそんな余裕ないので廊下や階段を使うわけ。 人物Aが人物Bを呼び止めて会話・・・となれば話の緊急性を演出するにもいいし、廊下で移動しながら撮影すると躍動感のある絵になるんで大作映画でもよくやる。
が、今回のジュラシック・シャークでは本気で予算がないのだろう、狭い廊下で会話し、階段で話し合って移動と思ったらまた階段、みたいな徹底した節約ぶりが光る。

車もボートもスタッフの私物かもしれないし、気のせいか悪党が服の内ポケットに手をやるだけ、な場面があったようだが、もしかして脚本には葉巻を吸う、とか書いてあったのでは? 地域によってはマニラ葉巻でも数百円から千円以上する(税金)ので、小道具を用意できなかったのではないかというのは邪推しすぎかな。
後はひたすら野原で撮影、これなら予算かからなくていいよね。
とまあ、絵的にものすごーくショボいんだけど。

さらに素敵なことに演出もショボいんである。
まず冒頭、ふたりの女性がサメの餌食になるが、普通に立泳ぎの後にポチャッと水面下に消え、湖が紅に染まる、ということもなし。
そしてオープニングだが、バックは湖の湖面、波打ち際あたりの映像であり、これがただ上から撮ってるだけの水面でスゴい。
たいてい湖とか写せば、意図せずとも水の酷薄さ、水の運命性、水の重量感、水の迫力などがともなってしまい、鬼気迫る映像になるものだが、この映画の波打ち際はホームビデオ並に何の内容もない水面なのである。
逆にスゴい、ここまでスカッと空虚な絵は普通、撮れない。

どんな底辺映画でも俳優さんは頑張っているのがパターンで、この作品もそうなんだけど、時々演技をしていない瞬間が撮れているのは演出者の腕なんだろうね。 悪い意味で。
吹き替え版だとわりと薄っぺらな感じな声なのと相まってそれがいい味を出している。
またこの作者の不幸は、時代が進みすぎてハイフレームレートのカメラ機材が手軽に手に入る時代になってしまったことで、つまりはスローモーションが誰にでも撮れる。 そうなると、長いスローモーションも当然、入れなくてはならないと思ったのだろう、そのようにしているため、冗長なシーンも盛りだくさんな映画となった。
むろん、スローモーション機材があるから使わねばならぬ法則など、実は存在しないのだが。
ちょこっと水中シーンもあるが、そこはエラいよね、わざわざ撮ったんだから。 もっともスローモーションを大喜びでたくさん導入したのに対して水中映像は非常に少ないため、全天候型コンパクトデジカメで撮って画質は加工で誤魔化した可能性も。

サメのCGがショボいのは、まあ予算の都合だからあまり責められないところか。
面白いのはCGサメが出る合成カットはカメラがピタッと固定されていることで、自分もホビー用の3DCGやってるからわかるが、モデリングからアニメーションまでやるような総合3DCGソフトは当たり前のように背景との合成機能がついているので、それを利用した可能性もあるが、考え過ぎかな。 いやちゃんとコンポジット用のサメCGを出力したけど、合成の段階で手を抜くためにカメラ固定しただけかもしれないけどね。 これも予算節約の工夫か。

工夫といえば、この映画にはスゴい工夫が他にもある。
例えばエンドロールのあたりとか。
約13分という長いエンディングをどう乗り切るのか、いくつもの工夫が凝らされていると見た。
いま約13分と言ったけど、観た後にわざわざスライダー巻き戻して確認したんですよ、フツー底辺映画を観たらそのまま放置で巻き戻したりして何かを確認したりしない主義なんだけどさ。
まず底辺映画であればスタッフ、キャストの数も少ないであろうから、一人ひとりを丁寧に、紹介していく方式を採用、次にスタッフロールであるが、これをゆ〜っくり、マジでゆ〜っくり動かして間をもたせている。
よし、頑張れと応援したくなるほどゆ〜っくり、大雑把に数えてひとつのクレジットが出てきて消えるまで24秒ほど、なんとか時間を稼ぐんだ! と牛歩戦術で頑張っている。 他にも撮影に使った貸しボート屋の人とか、倉庫のオーナーとか、いろんな名前を無節操に集めるなどの工夫もしているに違いない、と確信させるスゴいエンディングだ。
エンドロールでこれほど努力したのは超底辺映画スカイファイター以来ではなかろうかと、自分が見た範囲では。

だが、ここでひとつの心得違いを指摘せねば。
エンディングが長い必要なんて、まったくないんよ。
映画のデザインとしては、無い方がスッキリするくらいで、関係者の明示とか社内規定とか業界規定かなんかで義務付けているだけ、と思われる海外テレビドラマでは、物凄いスピードでエンドロールが流れるやん。
なんでスター・ウォーズみたいな長いエンディングをやらねばイカンのか、ギャグのつもりなら笑えないし。
もしかして映画ってこういうものだと誤解しているのではないかとか、この製作者たちがどんな夢を見て映画に手を染めたのかがなんか分かりそうとか、考えなくていいこと考えてしまう。
エンディングに13分ねえ・・・。
まあよく音楽を調達したなと、そこは感心するが。
いやまあ、ユーモアなんだろね、それ自体は笑えないが、後で話のネタにするために「映画の8分の2以上がオープニングとエンディングだ!」という構造にしただけだろう。
それとも映画のフィルムって、70分以上ないと映画館がしぶるとか、そんな実情があるわけ?
UFO-侵略-でも時間稼ぎ的な編集があったようだが。

まあなんにせよ、B級底辺映画の入門用にはいいのでは。
何より80分という短さは良心的だと思うよ。


●2015.9.11 Appleのココがスゴい

なんか最近になって、やっぱりAppleはスゴいなと思うことがあったので、ちょいとそれらを思い返して記述。

●iPodがスゴい
まずはなんといってもiPodで、コレが何かというと要は音楽プレーヤーなんだけど、MP3などデータを扱うタイプ。
もう15年近く前の話だけど、当時は内蔵メモリ、カードメモリなどを利用したプレーヤーが各社出ていて、それなりに人気だったが、言うてもパソコンが必須となるので、自ずとムーブメントにも限界が生じてくる。
この分野に参入したのがAppleのiPodであり、従来のハードウェアを上回る製品で、しかもシンプルだった。
ま、それでもボタン5つにスクロールホイールという多い操作系だけど、まとまりがよく混乱しにくい的な。
そのシンプルさが勝因だろうか、これが売れたのがスゴい。
最初のうちは、Windowsに対応してなかったんですよiPodは。 それでも、売れた。
つまりは当初のiPodはマッキントッシュが必須だったにも関わらず、ウケた。 まあウォークマンだってCDラジカセなりミニコンポなり揃えないと好きなマイテープを出力できなかったから、それが最安値で8万くらいのMacに置き換わっただけかもだが。(iMac350とか、一時的に8万円割った製品がある。 事実上の在庫処分と思われ、数日で売り切れたようだが)
iPodは5ギガのマイクロドライブ、つまり小型ハードディスクを内蔵していて、そんだけあれば千曲くらい入るわけで、単純にアルバム百枚くらい聴けるという性能は、それまでウォークマンがカセットを入れ替えるように、カードメモリを入れ替えていたのに比べて画期的。
ちな当時は確か16から64メガくらいのスマートメディアが数千円だったっけ? 要はアルバムごとにそんな高価なカードメモリを買ってられるかという話。
Appleもアホだから、大量生産を見込んでマイクロドライブを景気よく発注、単価を抑えたのだろう、5ギガのiPodは無敵だった。
MP3プレーヤーが発展するにはまだまだ時間が・・・という予測をiPodが塗り替えた。
他にも時代の流れとかいろいろあり気だが、ともかくiPodを成功させるってたいしたものだとマジで思う。


●iTunesStoreがスゴい
音楽配信。
いろんな企業が、いろんなサービスを展開してましたね〜。
今と同じで月ごとの定額で聴き放題みたいなのもなかったか?
でも音楽配信は様々な壁があり、ぜんぶ乗り越えた企業は、Appleを含めてなかったかと。
要はいちばんハードルを多く飛び越えたAppleが勝った、みたいなことなのかな。
そもそもiTunesというソフトがスゴくて、90年代からいろんなMP3アプリが出回ったが、iTunesほどシンプルなものはなかったような。
まあ今では観る影もなく無残にガタガタなデザインなんですけどねiTunes。
そろそろ「映画」と「ラジオ」を分離して別なアプリにしたほうがいいんでないか?
iTunesが快進撃してたころの業界は騒がしかったね、乱立する音楽業界各社を踏み荒らし、荒れ狂うブルドーザーみたいな感じで迷惑をかけまくっていたAppleだが、かように強引な手段を続けた結果、我々ユーザーには有り難いサービスとなったので、まあいいか。
利用者にしてみれば裏面で何があったかはあまり重要ではないから。

とにかくより多くの楽曲を取り揃えなければストアとして意味が無いが、Appleはまあまあ納得が出来る程度には実現した。
価格もボッタクリではなく、それなりに手頃な感じで安いわけでは決してないが、この時代だと「着うた」などという高いだけで質もよくないサービスが普及していて、ワタシ個人としてはよく一曲にそんな払えるなあと感心していたくらいなんで、iTunesなど得心のできる範疇。
とにもかくも、音楽配信サービスはうまくいかない、という伝統をAppleが塗り替えたのでたいしたものだとマジで思う。


●iPhoneがスゴい
PalmOS機など、それなりに人気だったPDAだが、携帯電話の急速普及で一気に影が薄れた。
だが不思議なのは、基本的に似ている機械なのに、携帯電話はPDAに比べてインターフェイスがムチャクチャ悪かった。
PDAがササッと出来る作業が、携帯電話のOSだと何故か幾つものメニューを経由して、ようやくひとつづつこなせる的な。
要はモバイルOSという概念が、携帯電話になかったっぽい。
じゃあPDAに通話機能をつければ完璧じゃね?
というわけで登場したスマートフォンだが・・・これがなぜか、売れなかった。
Palmからも出ていたが、輸入もされずに日本語版が出なかったくらい。 まあわりと売れていたのはブラックベリーみたいだけど、それも高価なものとして普及はしてなかった的な。
つまり、スマートフォンは売れない、という謎の構図が出来上がっていたわけ。
これを塗り替えたiPhoneってスゴくね?
性能も良かったが、やっぱりPalmOSを劇的進化させたようなiPhoneOSが勝因ではないのかな。
とにかく、それまで携帯電話ばかりだった日本でさえ瞬く間に普及したというのだからたいしたものだとマジで思う。


●iPadがスゴい
Windows機からキーボードを外したようなタブレットが、いくつも出た。
しかしどれもこれも売れなかった。
それで世間的には「タブレットは売れない」という伝説みたいなものが形成されていって。
でも自分をはじめ、けっこう皆わかっていたと思う。 Windowsをマトモに入れるからかったるいのであって、モバイルOSを入れてもっとライトな馴染み易いタブレットなら、とりま読書という用途はあるはずだと。 余談ながら自分が店頭で見たWindowsタブレットはお値段24万円でした。 光学ドライブは内蔵されていないのにね、逆に疑問だが、売れると思って作ったのかね。
コンビニ店員が使っている端末のように大きかったし、そんな大げさなもの発売されても・・・とゆう感じもするし。
ぶっちゃけPalmOS機を大型化するだけでもよかった。
なんかね、そんな単純なことも試さずにタブレットは売れない、売れるはずがないと、このジャンルから遠ざかっていた業界各社に、たぶん市場の一般人は苛立っていたと思う。
が、そこに、まさかのAppleが、タブレットを出してきた。
それも念願のモバイルOS入りで。
機能などほとんどない、iPhoneを拡大しただけ的な発想で、要はUSBポートもメモリスロットも拡張性もなんもなし。
だが基本的に電源入れっぱで必要なときにすぐ使えるモバイルOS入り。
それでいい、それが欲しかったのだという多くの人達に支持され、ヒット商品となったが、当時は理解できない者も多かった。
まあそれもわかるね、ノートパソコンにあるような機能がなんもないもん。
調理でいえば切るしか能がない680グラムの包丁より、例え2キロぐらいあっても栓抜き、すりこぎ棒、ニンニクおろし、菜箸、皮むきが付属した多徳包丁のほうがいい、という意見もわかる。
ただソイツら、iPad登場に対して「売れるはずがない 売れるはずがない 売れるはずがない」とネット書き込みがスゲえうざかった。
予言のつもりだったのかね、需要のポイントを知らなかっただけ、なのだが。
まーただ、モバイルOS入りタブレットって、例えばSONYじゃ成功しなかったな。
iPadのシンプルさはコストダウンの意味もあって、つまりお手頃価格の実現ということなんで、SONYがUSBポートやメモリスロットつけて十万のタブレットCLIE出しても、またこのジャンルが敬遠されるだけだったかも。
とにかくタブレットは売れない、という常識をiPadが塗り替えた。 たいしたものだとマジで思う。



あとはまあ、何気にiPhotoっていうアプリがスゴかったんだけどね。
つか登場がiMovieよりずっと後で、つまりビデオ編集よりも後にデジカメ写真を自在に楽しむ、という風潮になったっぽい。  それまではただ乱雑にデジカメ記録を読み込んでフォルダに入れて、ビュアーで見ていただけだったようで。
iTunesもiMovieもiPhotoも皆無料で提供されていて、PCの普及に多少、弾みをつけたはず。
他にも簡単楽曲アプリGarageBandも有能らしいが、音楽やらんので良さがわからない。
GarageBandは十年以上前に登場し、当時はかなり敷居が高いアプリだったな、Power Macでないとマトモに動かないくらい。

まあここでのべた全ての製品が、今ではそれほど輝いていないってのが寂しいね。
iOSには競合製品Androidがあるし、iTunesもミョーに重くなって、以前のように気軽に作業BGMを流せなくなったような。
先日、AppleからiPadProが出たけど、どんだけの製品なんだろう。
大型化してスペースが空いたぶんをスピーカーユニットの空洞に使っているっぽいが、基本的にiPadで音楽など楽しむかなと。
ノートパソコンですら音は貧弱だと思う。 いやうちのiMacだって、背後に外付けの小型スピーカーふたつとサブウーファーシステムをつないであって、常時そこから音が出るために映画やアニメをiMacで観ようという気になるわけで、素のままだと映画など堪能できるサウンドではない。
まあそれはいいけど。

とまあアップル社の過去栄光を振り返ってみました。
NHKの番組でもこれらを特集してたけど下手すぎで、まるでスティーブ・ジョブズが音楽プレーヤーをスマートフォンをタブレットを発明したかのような扱いで、それは全然違うんだよね、行き詰っていた音楽プレーヤー業界を推進したこと、まるでウケなかったスマートフォン市場で成功したこと、タブレットというジャンルはもう無理だ的な常識をひっくり返したこと、そういう偉大さなんだけど。

スティーブ・ジョブズは発明家ではなく、再(リ)パッケージの天才だったわけ。
ある種の商才、とも言える。
一方でiPod Hi-Fiなどという箸にも棒にもかからないような愚作もあって、完璧でもなかった。
音楽配信サービスの競争では企業力にものを言わせて無茶ばかりで、大勢に憎まれているはずだし。
そーゆーとこを正しく認識したうえで、やっぱり評価したい。

とゆう話。






とりまページが長くなってきたので次に移動。
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