最終更新:ID:Yg3KQ2CxIg 2010年06月14日(月) 02:09:49履歴
まるでついていない一日だ。
朝から靴紐は切れるし黒猫の親子は横切るし。
社長の身でありながら直々にまわる営業も散々だった。
こんな日には安い呑み屋にでも寄りたい。
なんとなく入った店でまずビールを注文する。
以前はよく呑み屋でも女の子を眺めたものだ。
カウンターの隣の女はどうやら一人で呑んでいるようだ。
どこかで見たような…いや、彼女には行きつけの店があるはずだ。
しかしどう見ても高木のところの音無小鳥だ。
あまりジロジロと見すぎてしまっただろうか。
彼女が私のほうを向き、目が合う。
「音無小鳥か」
「…黒井さん?」
やはりそうだった。
それにしても、相当呑んでいるようだが浮かない目をしている。
「こんなところで会うとはな。いつもの店はどうした」
「それは…」
「話したくないなら話さなくても構わんが」
何か思い悩んでいるようだ。
何らかの理由で顔見知りとは顔を合わせづらいのだろう。
「私、時々思うんです。甘いんじゃないかって」
「まさか、いい歳してまだ、夢の先に何があるのかなんて考えてないだろうな」
「…もし私が黒井さんのもとにいたなら、強くなれたでしょうか?」
そんなことは誰にもわからない。
第一、強さなどというものは本人次第なのだ。
こればかりはどうしようもない。
人間に揉まれながら身に付けていくしかない。
「それなら、来月からうちで働くか?ガンガン使ってやるがな」
「考えておきます」
そう言う彼女はもうフラフラで、時折、皿に顔を突っ込みそうになる。
しばらくして立ち上がり、千鳥足でトイレに向かった。
「吐いちゃいました」
「まったく、自分の限度ぐらい知っておきたまえ。帰るぞ」
二人ぶんの勘定を済ませ、タクシーを拾う。
そういえば彼女の家を知らない。
起こそうとするが熟睡中の彼女はいっこうに起きる気配がない。
目が覚めると、私は知らない部屋にいた。
身体が重い。頭が痛む。
昨夜は少し遠出して呑んでいたはずだが、そのあとが思い出せない。
今日が休みだからと、いつもより多く呑んだのだ。
確か、誰かと一緒だった。
寝室を出て、殺風景なリビングのテーブルの上に書き置きを見つけた。
[酔いつぶれた君をここに運んだ。
私はもう出掛けなければならない。
合鍵を置いておく。施錠を頼む。
次に会ったときに返してくれればいい。 黒井]
私は黒井と呑んでいたのか。
何か妙なことを口走ったりしなかったろうか。
いや、彼は個人の悩みを聞き出すような男ではない。
綺麗に片づいたキッチンに朝食が用意されていた。
大根と梅の粥にしじみの味噌汁。二日酔いメニューではないか。
温めなおして朝食を済ませ、シャワーを勝手に借りる。
黒井はこの酒臭い身体を抱いたのだろうか。
自分でも覚えがないし、あの書き置きからも何もわからない。
髪を乾かし、身だしなみを整える。
玄関の施錠を確認するとエレベーターに乗り込み、彼のマンションをあとにした。
携帯電話のGPSで現在地を確認する。
ほんの少し歩けば大きな通りに出る。そこでタクシーを拾おう。
ご丁寧にも鍵と一緒にタクシー代まで置いてくれていた。
自宅に着いたのは昼過ぎだった。
留守電のランプが光っている。
メッセージを確認したが、すぐに途切れた。昨日の23時47分。
誰からかと思いながら豆を挽いていると今度は携帯電話の着信音が鳴る。
『俺です。昨日は傷つけるようなことを言ってしまって…反省してます』
「いいのよ、本当のことなんだし」
『そうですか、昨日も電話を入れたんですが、遅くになってもまだ帰っていなかったようで…』
昨日のことを私も全く気にしていないわけではない。
彼を困らせてみようかと思った。
「私、昨日は黒井さんのところに泊まったの」
『え』
「彼、とても親切でね」
『…(―ぶつり)』
電話はそのまま切れてしまった。
あれから、彼女とは目を合わせづらい。
機嫌が悪いわけではないようだが、心なしか素っ気ない。
これまで散々酷い扱いをしてきた。
気にしていないわけではないのだろう。
それにしてもなぜ黒井社長がうちの事務員である小鳥さんに手をつけたのか。
765プロへの嫌がらせだろうか。
小鳥さんも小鳥さんだ。少し親切にされたぐらいで簡単に転がって。
それほど軽い女だったなんて。
せめて相手ぐらい選んでもらいたいものだ。
終業後、彼女と二人になった。
「小鳥さん、騙されないでください」
「どういう意味ですか?」
「黒井社長は自分の信念のためだけに動く人です。
何を企んでいるのか知りませんが、小鳥さんを利用しようとしている」
「プロデューサーさんは私が黒井さんに利用されるのが嫌なんですね」
「当然です!俺は誰かが誰かのために利用されるなんて許せないんです」
「それって、誰のためかしら?」
「これから黒井さんと会うの。では。お疲れさまでした」
そう言って彼女は行ってしまった。
利用するだのされるだのと、いささか青臭いことを言っているうちに気がついた。
小鳥さんが俺を試そうと黒井社長を利用しているのではないか。
だとすると随分と侮られたものだ。
中学生じゃあるまいし、俺にヤキモチを妬かせようとしたというのか。
俺はそれほど単純ではない。
憤りつつ事務所をあとにした。
いったいこの女は何を考えているのだ。
鍵を返しに来ると言ってわざわざ私の家まで出向いて来た。
話があるというので彼女をリビングに通す。
「かけたまえ」
棚からジョニー・ウォーカーの黒を取り出す。
「君も飲むかね?」
「すみません、お言葉に甘えて、いただきます」
1:1の水割りを2杯つくり、テーブルに運ぶ。
「で、何だね。話とは」
「この間は大変お世話になりました…でも私、覚えていないんです」
それはそうだろう。泥酔していたのだから。
「何があったか、教えていただきたいのですが」
「そうだな、もし私のもとにいたなら強くなれたかとか言っていたな」
彼女は黙り込む。
たら、れば、などと言ってみたところでどうなるわけでもない。
本人にもわかりきっているだろう。
私はラッキーストライクに火をつける。
「ほかに何か…たとえば如何わしいことなどは」
「安心したまえ。何もしていない」
「そうでしたか。私、魅力ないんですね」
「なにを言っているんだね。君が泥酔していたから介抱したまでだ」
音無小鳥に魅力がないなんてことはない。
かつて、この私が認めたのだ。
「優しいんですね」
「優しい?私が?私は自分のことしか考えない男だ」
「でしたら、私をどう思ってらっしゃるのですか」
「できることなら、やり直したい」
彼女はこれまで私が見てきた中でも最も才能を感じさせる逸材だった。
だが残念なことにその才能も潰されてしまった。
その後私が見出だしたタレントはそれなりに売れていたが私を満足させはしなかった。
いまだに彼女ほどの才能は見つからないのだ。
私は間違っていないと証明できなければ彼女は救われない。
「やり直すといっても、私ももうこの歳ですよ?」
「私はただ、君に幸せになってもらいたいんだ」
「黒井さんが間違っていたわけではなかったと、私は思っています」
「君にそう言ってもらえて嬉しいが、君自身はそれでいいのかね?」
彼女はグラスの残りを飲み干す。
「まだ、これからですよ」
明日の朝は早いからと、彼女は帰って行った。
鍵はまだ彼女の手元にある。
朝から靴紐は切れるし黒猫の親子は横切るし。
社長の身でありながら直々にまわる営業も散々だった。
こんな日には安い呑み屋にでも寄りたい。
なんとなく入った店でまずビールを注文する。
以前はよく呑み屋でも女の子を眺めたものだ。
カウンターの隣の女はどうやら一人で呑んでいるようだ。
どこかで見たような…いや、彼女には行きつけの店があるはずだ。
しかしどう見ても高木のところの音無小鳥だ。
あまりジロジロと見すぎてしまっただろうか。
彼女が私のほうを向き、目が合う。
「音無小鳥か」
「…黒井さん?」
やはりそうだった。
それにしても、相当呑んでいるようだが浮かない目をしている。
「こんなところで会うとはな。いつもの店はどうした」
「それは…」
「話したくないなら話さなくても構わんが」
何か思い悩んでいるようだ。
何らかの理由で顔見知りとは顔を合わせづらいのだろう。
「私、時々思うんです。甘いんじゃないかって」
「まさか、いい歳してまだ、夢の先に何があるのかなんて考えてないだろうな」
「…もし私が黒井さんのもとにいたなら、強くなれたでしょうか?」
そんなことは誰にもわからない。
第一、強さなどというものは本人次第なのだ。
こればかりはどうしようもない。
人間に揉まれながら身に付けていくしかない。
「それなら、来月からうちで働くか?ガンガン使ってやるがな」
「考えておきます」
そう言う彼女はもうフラフラで、時折、皿に顔を突っ込みそうになる。
しばらくして立ち上がり、千鳥足でトイレに向かった。
「吐いちゃいました」
「まったく、自分の限度ぐらい知っておきたまえ。帰るぞ」
二人ぶんの勘定を済ませ、タクシーを拾う。
そういえば彼女の家を知らない。
起こそうとするが熟睡中の彼女はいっこうに起きる気配がない。
目が覚めると、私は知らない部屋にいた。
身体が重い。頭が痛む。
昨夜は少し遠出して呑んでいたはずだが、そのあとが思い出せない。
今日が休みだからと、いつもより多く呑んだのだ。
確か、誰かと一緒だった。
寝室を出て、殺風景なリビングのテーブルの上に書き置きを見つけた。
[酔いつぶれた君をここに運んだ。
私はもう出掛けなければならない。
合鍵を置いておく。施錠を頼む。
次に会ったときに返してくれればいい。 黒井]
私は黒井と呑んでいたのか。
何か妙なことを口走ったりしなかったろうか。
いや、彼は個人の悩みを聞き出すような男ではない。
綺麗に片づいたキッチンに朝食が用意されていた。
大根と梅の粥にしじみの味噌汁。二日酔いメニューではないか。
温めなおして朝食を済ませ、シャワーを勝手に借りる。
黒井はこの酒臭い身体を抱いたのだろうか。
自分でも覚えがないし、あの書き置きからも何もわからない。
髪を乾かし、身だしなみを整える。
玄関の施錠を確認するとエレベーターに乗り込み、彼のマンションをあとにした。
携帯電話のGPSで現在地を確認する。
ほんの少し歩けば大きな通りに出る。そこでタクシーを拾おう。
ご丁寧にも鍵と一緒にタクシー代まで置いてくれていた。
自宅に着いたのは昼過ぎだった。
留守電のランプが光っている。
メッセージを確認したが、すぐに途切れた。昨日の23時47分。
誰からかと思いながら豆を挽いていると今度は携帯電話の着信音が鳴る。
『俺です。昨日は傷つけるようなことを言ってしまって…反省してます』
「いいのよ、本当のことなんだし」
『そうですか、昨日も電話を入れたんですが、遅くになってもまだ帰っていなかったようで…』
昨日のことを私も全く気にしていないわけではない。
彼を困らせてみようかと思った。
「私、昨日は黒井さんのところに泊まったの」
『え』
「彼、とても親切でね」
『…(―ぶつり)』
電話はそのまま切れてしまった。
あれから、彼女とは目を合わせづらい。
機嫌が悪いわけではないようだが、心なしか素っ気ない。
これまで散々酷い扱いをしてきた。
気にしていないわけではないのだろう。
それにしてもなぜ黒井社長がうちの事務員である小鳥さんに手をつけたのか。
765プロへの嫌がらせだろうか。
小鳥さんも小鳥さんだ。少し親切にされたぐらいで簡単に転がって。
それほど軽い女だったなんて。
せめて相手ぐらい選んでもらいたいものだ。
終業後、彼女と二人になった。
「小鳥さん、騙されないでください」
「どういう意味ですか?」
「黒井社長は自分の信念のためだけに動く人です。
何を企んでいるのか知りませんが、小鳥さんを利用しようとしている」
「プロデューサーさんは私が黒井さんに利用されるのが嫌なんですね」
「当然です!俺は誰かが誰かのために利用されるなんて許せないんです」
「それって、誰のためかしら?」
「これから黒井さんと会うの。では。お疲れさまでした」
そう言って彼女は行ってしまった。
利用するだのされるだのと、いささか青臭いことを言っているうちに気がついた。
小鳥さんが俺を試そうと黒井社長を利用しているのではないか。
だとすると随分と侮られたものだ。
中学生じゃあるまいし、俺にヤキモチを妬かせようとしたというのか。
俺はそれほど単純ではない。
憤りつつ事務所をあとにした。
いったいこの女は何を考えているのだ。
鍵を返しに来ると言ってわざわざ私の家まで出向いて来た。
話があるというので彼女をリビングに通す。
「かけたまえ」
棚からジョニー・ウォーカーの黒を取り出す。
「君も飲むかね?」
「すみません、お言葉に甘えて、いただきます」
1:1の水割りを2杯つくり、テーブルに運ぶ。
「で、何だね。話とは」
「この間は大変お世話になりました…でも私、覚えていないんです」
それはそうだろう。泥酔していたのだから。
「何があったか、教えていただきたいのですが」
「そうだな、もし私のもとにいたなら強くなれたかとか言っていたな」
彼女は黙り込む。
たら、れば、などと言ってみたところでどうなるわけでもない。
本人にもわかりきっているだろう。
私はラッキーストライクに火をつける。
「ほかに何か…たとえば如何わしいことなどは」
「安心したまえ。何もしていない」
「そうでしたか。私、魅力ないんですね」
「なにを言っているんだね。君が泥酔していたから介抱したまでだ」
音無小鳥に魅力がないなんてことはない。
かつて、この私が認めたのだ。
「優しいんですね」
「優しい?私が?私は自分のことしか考えない男だ」
「でしたら、私をどう思ってらっしゃるのですか」
「できることなら、やり直したい」
彼女はこれまで私が見てきた中でも最も才能を感じさせる逸材だった。
だが残念なことにその才能も潰されてしまった。
その後私が見出だしたタレントはそれなりに売れていたが私を満足させはしなかった。
いまだに彼女ほどの才能は見つからないのだ。
私は間違っていないと証明できなければ彼女は救われない。
「やり直すといっても、私ももうこの歳ですよ?」
「私はただ、君に幸せになってもらいたいんだ」
「黒井さんが間違っていたわけではなかったと、私は思っています」
「君にそう言ってもらえて嬉しいが、君自身はそれでいいのかね?」
彼女はグラスの残りを飲み干す。
「まだ、これからですよ」
明日の朝は早いからと、彼女は帰って行った。
鍵はまだ彼女の手元にある。
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