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夜になって事務所に人がいなくなっても、相変わらず小鳥さんは仕事を続けていた。


夏の暑さが段々和らいでいき、夕方にすうっと昼間の暑さが引いていく季節になった今日も、小鳥さんはいつもと変わらないように仕事をしている。

夜に一人で残って仕事をしている時の彼女は、昼間とはちょっと違って見える気がするのは自分だけだろうか。
昼間の小鳥さんは、俺の思い過ごしかもしれないけれど、敢えてまわりに隙を見せているような気がする。
にこにこ笑って隣の席の人と他愛もない会話をしたり、何か物思いに耽るような表情を見せてからかわれたり、たしなめられたりすることもある。
けれども、それは彼女の総てを表現しているわけではなくて、小鳥さんの一部分だけに過ぎないような気がするのだ。
きっと、こういうのは、俺を含めて一部の人間ぐらいしか知らないことなのだろうな、と思う。
少女と言ってもいいぐらいの年齢の小さい子たちが、夜の小鳥さんの姿を知ることなんてないだろう。
仮にこういう、夜の小鳥さんの姿を見ていても、人によっては、小鳥さんも真面目に仕事をすることがあるんだ、という感想を持つに留まるかもしれないからだ。

だから、もしかしたら俺だけかもしれない。
こんなことを思うのは。

その可能性は多いにある、と自分でも思う。自分の持っている、小鳥さんへの好意みたいなものが、彼女をよく見せてしまっている可能性は多いにあると思う。
そうだ、俺は小鳥さんが好きだ。結構好きだ。
何が好きって、小鳥さんの年齢を感じさせるようで感じさせない見てくれとか、明るくて優しい性格とか、そういうのも確かに好きなのかもしれないけれど、多分正確にはわかっていない。
でも、それが恋というものではないのかと自分では思う。

そうは言ってもだ。
そもそも俺は彼女の年齢すら知らない。いつもの彼女が、平素の彼女が何をしているかも知らない。
仕事場での接点など限られた物だ。
自分が計画したスケジュールのチェックとか、プロデュース案を実施する際の問題点の発見と対応策の検討とか。
そんなのをやり取りしたり、人事や給与のことでお世話になったり、ぐらいで、それに伴って少しだけ冗談交じりの会話を交わしたりというのが限界で。
よく言っても、甘い物は嫌いじゃないとか、そういった女性共通のレベルの趣味嗜好ぐらいだ。
そうそう、彼女が想像力豊かなのは、この際置いておく。想像力が豊かだからこその助言も貰っていることだし、それで何か変わったことがあってもそれは彼女の魅力の一つだと思うからだ。
遠くの席からじっと彼女を見つめている俺の視線に気付いてはいないかのような面持ちで、小鳥さんはずっと仕事を続けている。
キーボードに向かって何かを入力していたかと思うと、左手だけで文字を打ちながら右手でメモを取っていたり。
開いた書類を側のスタンドに立てて横目でそれを読みながら、キーボードのカタカタという音が「THE IDOL M@STER」の2倍のテンポで流れてきたり。
その姿はまるで、右手と左手と眼で別々の仕事をしているように見えるほどだ。
そんなことを考えていたら、俺は思わず、頭の裏に、物凄く失礼なというか、いやらしい彼女の姿を想像してしまった。
馬鹿な俺は一人で顔を紅くしてしまい、俺の席のディスプレイの影に隠れるように顔を伏せてしまう。
はあ、いけない、ごめんなさい小鳥さん。そう、心の中で謝りはしたけれども、俺の変な妄想は頭の隅に残り続けていて、まだ少し身体が熱い。
溜まってるなぁ、俺も…。ごめんなさい、小鳥さん。

そんな馬鹿な妄想をしている俺のことを、きっと小鳥さんは知りもしないだろう。
俺がこれから何をしようとしているのかを知らないのと、一緒で。


机の引き出しを静かに開けて、シンプルなダークブラウンの紙袋を手に取る。
俺は自分の席を後に引くと、そっと音を立てないように立ち上がった。

靴の裏でタイルカーペットを刺激しないように気をつけながら、小鳥さんの席の方に歩いていく。
彼女の机の島の角、彼女の机から4つ目のところで直角に曲がる。

ゆっくりと彼女に近づいていく。

小鳥さんがつけている香水の薄い匂いがするぐらいの近さ。


小鳥さんの髪がふわっと揺れて、彼女が俺の方に向き直った。
俺は思わず、びっくりして立ち止まった。
そんな俺を見て、彼女がにっこり笑って言う。
「残業ですか?お疲れ様です。
お茶でも、お入れしましょうか?」
「え、いや、あのその…」
大丈夫です、という言葉まではっきりといえないまま、俺はもごもごと口を動かしながら、側の机に手を置く。
こちらのほうから驚かせてやろう、などと思っていたのにもかかわらず、驚かされていれば世話はない。
考えてみればそうか、小鳥さんは元々周囲に気の配れる人だし、見ていないようでも、周りのことをきちんと把握しているのかもしれない。
「ごめんなさい、小鳥さん。突然、近づいたりして」
「いえいえ。大丈夫ですよ。でもびっくりしましたよ、いきなり席から立ち上がるから」
「え?気付いていたんですか?」
「はい。静かですしね。部屋にはもう、誰もいませんから、目立ちますよ、そういう人の動き」
「そ、そうですよね…小鳥さんが一番、お客さんとかに気付きますからね…」
「ええ、それがお仕事ですからね。
 ―――と、さて、それではお茶にでもしましょうか?まだお仕事されます?」
小鳥さんは机に両手を突いて立ち上がろうとする。俺は慌てて、小鳥さんに身振りでそれを制すると、小鳥さんに尋ねた。
「ええと、すみません。座ってもよろしいですか?」
「はい、どうぞ。どうしたんですか、遠慮なんかなさって。」
「いえ、その、ね…。
 小鳥さんに、聞いてみたいことがあって」
そう俺が言うと、小鳥さんは眼を瞬かせると、
「何でしょう?改まって。大事なお話ですか?来月のイベントのご相談です?」
と、いつものように聞いてくる。
そんな、彼女の真面目さに嬉しさと残念さを感じながら、唾をごくりと飲み込んで勢いを付けると、聞いた。
「小鳥さん、ええとその、お誕生日をお祝いされるのは、苦手ですか?」
「ええ?いきなりなんです?」
「あのその、すみません。いえ何となく、そうかな、って思いまして。
だって今日、昼食会をしたぐらいで、普通にそれで終わってしまったし、それ以外に誰も何も言わなかったでしょう。
それに、今日ぐらいは早く帰るのかな、って思ったら、こんな遅くまで仕事をしているし…」
そうだ。今日は普通の日だった。小鳥さんの誕生日ではあったけれども、それは普通のスタッフの人たちの時と同じように過ぎていって、それ以外はいつもと同じように終わった一日だったから。
「―――今は、仕事も大事ですからね。私の役目は、ちゃんと果たさないと。
あなただって、あなたの仕事をちゃんとやっているでしょう?」
「はい、でも、それはこれとは、違うことですから…」
「え、いやそのあの。―――って、そういうことではなくてですね、小鳥さん!」
「は、はい!」
思わず勢い余って声の大きくなる俺と、びっくりして目をまん丸にした小鳥さんと視線が合う。
俺は思わず、彼女の眼に見つめられて気恥ずかしさを感じてしまったので、それを振り払ってごまかすかのように、持っていた茶色の紙袋を小鳥さんの机に置く。
「…あの…?」
戸惑いを隠せないような小鳥さんが、椅子の背もたれに軽く仰け反ったまま。
そんな彼女に、俺は言う。
「お誕生日、おめでとう、ございます!」
「はいっ!」
「お茶入れてきます!」
「はいっ!」

…なんていう会話をしているんだろう、と俺は思いながら、俺は執務室を出て行って、事務所の隅の給湯室に駆け込んでいった。

「はああ…。」
思わず溜息を給湯室のクリーム色のタイルの壁に吐きかけながら、俺は一人でたそがれていた。
「なんだかなあ。どうしてこうなるかなあ。
もっとこう、小鳥さん、誕生日おめでとうございます、いつもありがとう、これはあなたの為に選んできたものなんです、受け取ってもらえますか。
もっと素敵なこともしてあげたいけれど、そういうのでも受け取ってもらえますか、とか…
そうやって自然な流れでこう、告白しようなんて思っていたのに、なぁ…」
その準備の為に何度シミュレーションしたことか。ここ1か月ぐらい寝る前に必ず3度はやっていた。
しかしその結果がこれだ、これじゃ何度もレッスンしてるのに間違えてこけてるあの子のことをとやかく言えないぞ、まったく…。

古臭いガス台の上では、黄銅色のケトルが次第に熱くなってきている。
眼を閉じたままその音を聴きながら、ついさっきの不味い自分の態度が、小鳥さんにどう受け取られただろうかなどと考えては溜息が出る。

ケトルの音が段々と高くなり、小刻みに蒸気の噴出す音が小さな部屋に響く。
ああ、いけない。お茶、入れないと…。

そう思って、目を開けて戸棚のほうに振り向いた瞬間。
「うわぁっ!」
俺の眼の前に、ほのかに香るシャンプーの匂いのする髪。
その真ん中の、可愛らしいつむじのあたりにキスをしてしまいそうなほどに近づいて、びっくりしたあまりにその髪の主を背後から抱き締めてしまう。
「た、た、た、た、た、た」
「………!」
言葉にならない音声を喉から発してから、飛び退くようにしてあとずさる。
それと同時に振り向いた彼女が、首を少しだけ傾けて、可愛らしく微笑む。
「ふうう、びっくりしましたよ、プロデューサーさんも大胆ですね…」
「あ、あああっ、いやその、そういうことでは!」
「もう、そんなに驚いて引かなくても…」
「いえそのあのその、引いてるんじゃなくて…ごめんなさい小鳥さん、失礼しました!」
「いえいえ。大丈夫ですよ。ちょっとびっくりしただけ、ですからね。」
小鳥さんは何事もなかったかのように微笑むと、戸棚から取り出した茶筒を手にしたまま、俺の方をじっと見る。

「ごめんなさいね。お疲れで眠いのかな、と思って、声をかけなかったんですよ。
びっくりさせてしまって、申し訳ありません。」
「い、いえ…」
小鳥さんはその言葉には答えず、ただにこりと微笑むと、両手に持っていたお茶の筒ごと、手をぶらんと下に下ろして、俺の方に近づいてくる。


「―――ありがとう。」
「…え…」
「気持ち、とても嬉しいです。ささやかなお祝いでも、してくれるだけで感激ですよ…
 さ、お茶、入れましょう。
 おいしそうなクッキーですよね、どちらで選んで来たんですか?
 お話、良かったら、聞かせてください…ね…?
 まだ、終電まで、時間もありますから…」


小鳥さんの小さな手が動いて、大きなマグカップと小さな茶碗に、湯気の昇るお茶を注ぐ。
そのお茶の温かな香りにつつまれながらの小鳥さんの誕生会。


9月9日、彼女の誕生日。
唇に残るのは、俺が選んだお菓子と、小鳥さんの煎れたお茶と。
そして、柔らかい唇の感触。

僅かな時間だったけれども、それは、今となっては忘れられない思い出―――。

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